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おバカなセオリー

(以下は、以前に書いてお蔵入りにしていた文章)

芦原すなお原作・大林宣彦監督の映画「青春デンデケデケデケ」は、青春映画の傑作である。

原作者の芦原すなおさんが、こんなエピソードを語っている。

原作の映画化の話が来たとき、ある制作会社から「大林監督で映画化したい」というオファーが来て、飛び上がるほど喜んだという。

しかし制作会社から送られてきた企画書を見て驚いた。

二つの点を、原作からちょっと変更させてほしい、と。

一つは、原作の讃岐弁がわかりにくいので、関西弁にしたい、と。

もう一つは、「強力なマドンナ役」を設定したい。ついては、「しーさん」役を女の子にしてしまいたい、と。

「しーさん」は、厳密にはロックバンドのメンバーではなく、YMOでいえば松武秀樹みたいな存在である(わかりにくい)。主人公の「ちっくん」とは奇妙な友情で結ばれていた。

それを、男の子ではなく、女の子に変更したいといってきたのである。

芦原すなおさんは、これは男の子たちのロックバンドの物語なので、そんなの絶対に嫌だなあと思っていたら、二日後に企画書の改訂版が届いた。そこには大林監督の自筆のメッセージがついていて、

「ぜひ、この躍動する小説を」「あのリズム、あの勢いを、ぜひカメラで再現したいんだ」

「ついては、前回の企画書について、二点の提案を白紙に戻したい」

と書かれていた。つまり、大林監督もまた、この二点の提案に違和感を抱いていたというのである。

それで、芦原すなおさんは、原作の映画化を快諾したという。

この二つの奇妙な提案は、おそらく制作会社側からのものだったのだろう。

もし、この二点の提案通りの映画が作られたとしたら、記憶に残らない映画になってしまっただろう。

原作のよさを貫いたことにより、この映画は多くの人に影響を与える、傑作となったのである。

ところで、この二つの提案。なかでも、原作の男性を「強力なマドンナ役」に置き換えるという設定変更は、映画やテレビドラマで、実に多く見られる傾向である。おそらく制作サイドに昔から連綿と伝わっているセオリーなのだろう。

しかしそんなことで本当に映画やドラマは「当たる」のか???

思いつくものだけをあげてみても、

映画「チームバチスタの栄光」の竹内結子とか。

テレビドラマ「ガリレオ」の柴咲コウとか。

原作が男性であるにもかかわらず、それを女性に変えてしまっている。

極めつけは映画「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」である。

佐渡酒造先生を、高島礼子が演じているのだ!

しかしその結果は、どれも薄ら寒い結果になっている。

とくに原作を愛読している人たちからすれば、噴飯物である。

つまり、誰も得をしない設定変更なのだ。

原作の意図を無視して、「マドンナ役を一人入れておけば、それに惹かれて見てくれるヤツもいるだろう」とばかりに、安易に設定変更をしてしまう制作者が、後を絶たない。

原作を蹂躙し、観客を愚弄する。

まったく困ったものである。

「映画やドラマで、原作の設定を変更してまでマドンナ役を入れることで、多くの人が見てくれるものだ」というおバカなセオリーは、「土俵の上に女性を上げない」という「伝統」と、通ずるものがあるのではないか、と僕は見ている。

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