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2019年9月

市民の日

9月29日(日)

いま住んでいる町には、世界的に有名なアニメ制作会社の、美術館がある。

いまの町に移り住んだのが1年半ほど前なのだが、僕はまだその美術館に行く機会がなかった。あまりに人気がありすぎて、入場制限をするために、近くに住んでいたとしても、おいそれとは行けないのである。

ところが年に一度、「市民の日」というのがあり、その日は、市民が事前に申し込んで当選すれば、無料で入場できるのだという。

それもまた競争率が高いらしいのだが、運がよいことに、当選のハガキが届いたので、「市民の日」である今日、その美術館に行くことにした。

自宅から歩いて20~30分ほどの距離である。

僕は、その制作会社のアニメ映画にそれほど思い入れがないのだが、マニアにはたまらない美術館なのだろう。

美術館の中でしか上映していないという短編アニメが見られるというので、見てみることにした。上映時間は12分ほどである。

軽い気持ちで見てみたのだが、幼い子どもが見たら、トラウマになるのではないかと思うような内容だった。

鳥の羽を持つ奇怪な老婆が登場する。彼女は異常な食欲をもち、あらゆるものを食い散らかす。

いちばんの好物は、人骨を小麦粉のように砕いて粉にして、それを練ってパンを作ることである。毎日大量の人骨を粉にしてパンの材料にしている。

卵も大好物で、毎日大量の卵を食べるのだが、あるとき、生きている卵を見つけ、その卵を自分の家で奴隷のようにこき使うようになる。

生きている卵は、鳥の羽を持つ奇怪な老婆のもとで、奴隷のように働かされてパン作りに励むのだが、あるとき、自分の作ったパン生地に生命が宿り、生きている卵と心を通わせるようになる。

パン生地はいずれ、焼かれて老婆に食われる運命である。生きている卵にしたって、老婆にこき使われて一生が終わってしまう。パン生地と卵は、手を取り合って老婆のもとから逃げ出すのである。

それに気づいた老婆は、二人を執拗に追いかける。二人は何とか逃げようとするが、ついに老婆に見つかってしまう。老婆は生きているパン生地を、まるで火葬場で遺体を焼くがごとく、オーブンの中に入れて焼き上げようとするのである。

さて、二人の運命や如何に?

映画の内容をこうして文字にして書くと、なんとも残酷な映画ではないか。

実際、上映が終わると、泣き出す子どももいた。うちの娘も怖かったようで、見終わってから少しだけ泣いた。

あの、世界的に有名なアニメ映画の巨匠は、子どもに夢を与えるよりもむしろ、トラウマを植え付けることに喜びを感じているのではないかとさえ、思えるのである。

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消去法の果てに

9月26日(木)

長距離移動して、会議に出席する。

昔から続いている会議なのだが、今年度は委員の改選があり、僕は今回から委員として初めて会議に出席することになった。

僕が最年少で、僕以外の委員は、僕よりもひとまわり以上、年齢が上の方たちばかりである。しかも委員を以前から継続している方々ばかりである。つまり僕だけが新参者なのだ。

委員の改選がおこなわれた年度であったため、議事進行をする委員長を委員の中から選出しなければならない。

委員長の選出は、委員の互選によって決めるのだが、こういう場合、会議の場で突然決めるのではなく、あらかじめ委員長を委員の誰かにお願いしておいて、会議の場では、ほかの委員がその人を推薦する、という形をとる。

つまり、互選と言ったって、

「○○さん、委員長をやりませんか?」

「いえいえ、××さんこそ、委員長にふさわしい」

といった譲り合いをしなくてすむように、あらかじめ委員長を決めておき、会議の場では形式的に互選の形をとるのである。

当然今回も、そういう形で委員長が決定した。

委員長が決定すると、委員長は議長席に座り、議事が始まる。

「委員長を仰せつかりました。よろしくお願いいたします。ではまず、副委員長を決めたいと思います。副委員長は、慣例により委員長が指名することになっておりますので、○○委員を副委員長に指名したいと思うのですが、いかがでしょうか」

ここまではおそらく、シナリオどおりである。○○委員が副委員長になるのは、ほかの委員全員も納得した人選だった。

これで決まったと思った矢先、○○委員が手を上げて、おもむろに発言を始めた。

「ちょっと発言をさせてください。私、今回をもちまして委員を引退いたします。ですので副委員長はお引き受けできません」

ええええぇぇぇぇっ!!!

まさかの引退宣言!!!

たぶんだれも予測していなかったことである。もし前もって誰かが知っていたとしたら、委員長が○○委員を副委員長に指名するはずがないからだ。

その場にいた全員の目が点になった。

「…どういたしましょうか…」

ここからはシナリオにない事態である。

事務局が助け船を出した。

「そうしますと、次に長く委員をしておられるのは、××委員ですので、××委員に副委員長をお願いできればと…」

すると××委員が、

「私はダメです。私は副委員長にふさわしくない」

とお断りになった。

「…そうしますと…、その次に長く委員をされておられるのは△△委員ですので、△△委員に…」

「私なんかダメですよ。ふさわしくない」

「…そうしますと、□□委員に…」

「ダメダメ」と□□委員は食い気味に断った。

「そうなりますと、あとは鬼瓦委員になりますな」

「ぼ、僕ですか???」

「お願いできますか?」

「だって、今日初めて会議に出席したんですよ」

それに僕はいちばん若いんですよ、と言おうとしたが、ためらった。

「ほかにいらっしゃいませんので、ここはひとつ、お願いします」

「……」

というわけで、事情もまったくわからないまま、まさかの副委員長就任である。

まるで、ダチョウ倶楽部の「どうぞどうぞ」のコントのような、マジシャンズセレクトである。

副委員長の仕事は、委員長に不測の事態が起こり、会議を欠席するようなことになったときに、副委員長が委員長の代行として、議事を進行する、というものである。

そういう事態にならないことを、祈るばかりである。

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羽田のあんぱんまん

9月23日(月)

「アンパンマン」とは、うまく名前をつけたものである。

1歳半になる僕の娘の口癖は、「アンパンマン」。とにかく「アンパンマン」と言いたくて仕方がないらしい。

たぶん、それには科学的な理由があって、「ア段」を含んだ言葉は幼児にとって発音しやすいからなのだろう。

その点、「ドラえもん」は不利である。ア段がひとつも入っていないので、幼児にとっては発音が難しい。

実際、うちの娘は、ドラえもんを見ても「アンパンマン」と言っている。「ドラえもん」の完全なる敗北である。

なぜ、小さい子どもたちに「アンパンマン」は人気があるのか?それは、「言いやすいから」という、比較的単純な理由なのではないだろうか。

今日、故あって、娘を連れて、羽田空港の国際線ターミナルに遊びに行った。

いつもは、韓国出張のたびにこのターミナルを利用しているのだが、今日は仕事でもなく、飛行機にも乗らず、ただたんに遊びに行ったのである。

なぜ、「故あって」羽田空港の国際線ターミナルに遊びに行ったのか、については、少々込み入った話になるので省略する。

ここでも娘は、目を皿のようにして、アンパンマンを探している。

とにかく、まるい顔のようなイラストを見つけると、なりふりかまわず指をさして「アンパンマン」と叫ぶのである。

まるでアンパンマンの摘発をする「アンパンマンGメン」のごとくである。

ベンチに座っている親子がいて、3歳くらいの子どもがアンパンマンのぬいぐるみで遊んでいた。

「しまった!」と思ったのもつかの間、娘はすかさずそれを見つけて、「アンパンマン!」と指をさしてそのぬいぐるみに近づいていった。

これはヤバい。このままでは、なりふりかまわずアンパンマンのぬいぐるみに近づいていって、そのぬいぐるみを奪いかねない。そうなれば、その家族にご迷惑がかかる。

慌てて連れ戻すと、娘は火がついたように泣き出し、「アンパンマン、アンパンマン」と大声で叫んだ。

これはまずい、と、娘を抱きかかえてとにかくその場を離れた。

すると今度は、願い事を書いた木の板がたくさんぶら下がっているコーナーのところにさしかかった。

どういうコンセプトなのかよくわからないのだが、ここに来た人が、絵馬に願い事を書くがごとく、あるいは七夕の短冊に願い事を書くがごとく、飛行機のチケットのサイズの木の板に、思い思いの願い事を書いて、ぶら下げている。

「CAになれますように」とか、「大学に合格しますように」とか、

(どれにもありがちな願い事だなあ)

と思いながら見ていると、中に一枚、ひらがなで

「あんぱんまん」

とだけ書いて、その文字の横にアンパンマンの顔のイラストを描いたものを発見した。

どうやら小さい子どもが書いたらしく、アンパンマンの顔のイラストも、子どもならではの稚拙な絵である。

娘はそれをめざとく見つけると、その札を指さして、

「アンパンマン!」

と叫んだ。

別に字が読めたわけではなくて、字の横に書かれたへたくそなアンパンマンの顔のイラストに反応したようである。

どんなに稚拙な絵だろうと、娘にとってはアンパンマンはアンパンマンなのである。

それまで、明らかにアンパンマンでないものを指さして「アンパンマン」と叫ぶくらい、アンパンマンの幻影に取り憑かれていた娘である。

ようやく出会えたアンパンマンのイラストに、娘のテンションも最高潮に達した。顔のイラストのところをしっかりと指さして、「アンパンマン」と連呼している。

(こんな下手なイラストでもいいのかよ!)

と内心思ったが、この程度のもので満足するんだったら、それに越したことはない。

「ささ、行きますよ」

と、いったん離れたが、娘はまだ未練が残っていたらしく、さっきのアンパンマンの絵をもう一度見たいというそぶりをした。

仕方がないので、もう一度その場所に連れていき、その稚拙なアンパンマンのイラストの前に立つと、娘は再びそのイラストを指さして、

「アンパンマン、アンパンマン」

と連呼した。

(おいおい、やなせ先生が描いた絵じゃなくて、誰だかわからない子どもが描いた絵なんだぜ)

それでも娘は、その絵がいたく気に入ったらしい。

もし、うちの娘が、どこかのお殿様だったとしたら、

「このアンパンマンは、どこのアンパンマンじゃ?」

「へえ、やなせ先生がお描きになった、正真正銘のアンパンマンでございます」

「それはいかん。アンパンマンは羽田にかぎる」

こんな会話を交わしたことだろう。「目黒のサンマ」ならぬ、「羽田のアンパンマン」である。

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タイトル神経症

他人様にはどうでもいい話なのだが、ブログの記事にどんなタイトルを付けるかということに、頭を悩ませることがある。

他人様のブログを覗いたりすると、タイトルがかなり安直につけられているな、と思うものがけっこうあり、ゲンナリすることがある。

文章だけでなく、映画にしても、絵画にしても、音楽にしても、タイトルというのは非常に大事である。タイトルをおろそかにするものは、中身もおろそかにしているということを意味する。

自分の場合はできるだけ、安直にならないタイトルをつけようと考えているのだが、それでも最近はだんだん手を抜いてきて、安直につけてしまうことが多い。むかしはけっこう、凝ったタイトルを考えたりしたんだけどね。

前回の文章、最初は「今日の空脳」というタイトルで書き始めた。書いていくうちに、オチが落語の「粗忽長屋」のような感じになったので、最初に考えていたタイトルを改め、「粗忽ハガキ」に替えたのである。

ところがその後、こぶぎさんから「時空のゆがみ」という観点から僕の文章を解釈するコメントをもらって、

(そうか、落語の「粗忽長屋」風のオチではなく、時空のゆがみという観点からのオチも可能だったか)

と思い直した。書いている本人は、この文章のオチは「粗忽長屋」でまとめるしかない、と思い込んでいたので、それ以外のオチの可能性についてはまったく気づかなかったのである。

つまり、事実に対する解釈は一つとは限らないことをあらためて思い知らされたのである。

この文章のオチを、「ひょっとしてこれは時空のゆがみなのか?」とした場合、タイトルは「時をかけるハガキ」としてもよかったかも知れない。

そう思って自分の体験をあらためて振り返ると、数日前に出したはずのハガキが、数日経って、自分の机の上に置いてあることに気づくというシチュエーションは、まさに映画「時をかける少女」そのものである。

「粗忽ハガキ」とするのと、「時をかけるハガキ」とするのとでは、どちらが読者の共感を呼びやすいだろうか。

ま、他人様にはどーでもいい悩みなのだが、年がら年中、僕はこんなことで頭を悩ませているのである。

…それよりも、タイトルをどのようにつけたらよいか悩んでいることについて書いたこの文章のタイトルを、どのようにつけたらよいかわからない。

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粗忽ハガキ

数日前のことだったか。

だいぶ前にある会合の案内が来ていて、そこに出欠を知らせるためのハガキが同封されていたことを、すっかり忘れていた。締切はとっくに過ぎていたのだが、先方も準備などがあるだろうから、遅れても出欠の返事は出しておくに越したことはないだろうと、欠席に○をして、出勤の途中にでも郵便ポストに投函しようと、かばんに入れて、翌朝、そのハガキを、近所の郵便局の郵便ポストに投函した。

そしたら今日。

自分の部屋の机を見たら、数日前に出したはずの、というか出したと思っていたハガキがそのまま机の上に置いてあるではないか。

おかしいぞ。数日前に投函したはずなのに…。

これはいったいどういうことだ???

投函したつもりが、投函しなかったのだろうか??

いやいやいや、数日前、たしかに投函するつもりで、机の上に置いていたハガキを、忘れないようにと、かばんの目立つところに入れていたはずだ。その記憶はたしかにあるのだ。で、出勤時に、そのハガキを手に持って、近くの郵便局の郵便ポストに投函したのだ。

では、なぜそのハガキが残っているのか?

というか、数日前に投函したハガキは、いったい何だったのか???投函するときにちゃんと確かめなかったのが、痛恨のきわみである。

「目の前にあるハガキはたしかに出欠のハガキだが、では数日前に投函したハガキは、何だろう?」

と、これじゃあまるで、落語の「粗忽長屋」だな。

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ここにも大學先生

10代のころに読んだ本の再読シリーズ。

柴田翔『されどわれらが日々』(文春文庫)。初出は1964年。

高校生か大学生の時に読んだと思われるが、当時としてもマイナーな小説だったと思う。このマイナーな小説の存在を、だれから教えてもらったのか、覚えていない。

前回取り上げた、高野悦子『二十歳の原点』や高橋和巳『わが解体』が、70年安保を背景にしているのに対し、こちらの小説はそれよりもやや古い60年安保を背景にしている。学生運動に挫折した大学生たちの内面の葛藤を描いた物語。

主人公が、自殺未遂した恋人を慰めるために、詩を読み聞かせる場面がある。

「思い出は 狩の角笛

風のなかで聲は死にゆく」

いい詩だな、と思っていたら、出典は堀口大學訳詩集『月下の一群』より、ギョーム・アポリネールの「狩の角笛(断章)」という詩の一節だった。

当時の大学生たちの間で、堀口大學の『月下の一群』が広く愛読されていたことがわかる。

以前このブログで、『月下の一群』のなかで、フィリップ・ヴァンデルビルの「死人の彌撤」という詩が好きだと書いた

「私は知ってゐる。やがて、冬のとある日の

五時頃のはや灰色の夕暮に、私は死んで行くのだと。

哀れな同僚たちの意地悪さにもあきはてて、

しかしまた、恨みもなく怖れもなく、あきらめて、安んじて。

私の側にはただ一人、妻だけがゐるだらう、

彼女は私に云ふだらう、私の最後の時はまだ遠いと。

彼女は和げてくれるだらう、私の断末魔の苦痛を。

彼女は私に接吻するだらう、すべてを赦した上で。

私は今、かうしたすべてを予感する。

私自身も気に入らぬ晦渋で気位だけ高い、多くの書物を私は残すだらう。

しかも私の唯一の言ひ癖は、それらの書物を、自分が生きてきたといふにあるが、

その日、この言ひ訳はもはや言ひ訳にならないだらう。

その時、私は六十近い年だらう。

わたしの友は皆、厳しい光栄の中に生きてゐるだらう。

さうして私が死んだことなぞは、あんまり気にもとめないだらう。

翌日、墓地へ、一人の老女が、百合を抱いて来るだらう。」

この方面に詳しい友人が、この翻訳詩の原詩(フランス語)を読みたいと思って調べてみたところ、原詩はおろか、フィリップ・ヴァンデルビルという詩人の存在すら、突きとめることができなかったと聞いて、たいへん驚いた。つまりこの詩も、詩人も、まったく無名の存在だったのである。

「『月下の一群』を訳した頃」という堀口大學のエッセイの中に、

 「『月下の一群』のあの詩人群の大方は、その頃まだ日本には名さえ知られていなかった。ぼくはその人たちの作品を、名もない詩誌のバックナンバーや、市販には見出せない少部数発行の詩集やを探し集めては、読み耽り、気に入った翻訳可能の一篇でもみつかるとこおどりして、これに立ち向かった。ヴァレリーもコクトーもぼくは自分で見つけた。アポリネールだけは、彼と暫く婚約の間がらだった画家マリー・ローランサンがその存在を教えてくれた。」

とある。おそらくフィリップ・ヴァンデルビルという無名の詩人の無名の詩を、堀口大學先生がたまたまどこかで見つけて、それを翻訳したということなのだろう。

もう少し手がかりがないだろうかと、『月下の一群』を調べてみることにした。

現在比較的容易に入手できる『月下の一群』としては、新潮文庫版と、岩波文庫版と、講談社文芸文庫版と、思潮社版(『現代詩文庫 堀口大學訳詩集』)がある。よく見てみると、それぞれ微妙に訳し方が違うことに気づく。

「私自身にも気に入らぬ晦渋で気位だけ高い、多くの書物を私は残すだらう。

しかも私の唯一の言ひ訳は、それらの書物を、自分が生きて来たといふにあるが、

その日、この言ひ訳は、もはや言ひ訳にならないだらう」(新潮文庫版)

「私自身にも気に入らぬ晦渋で気位だけ高い、多くの書物を私は残すだらう。

しかも私の唯一の云ひ訳は、それらの書物を、自分が生きて来たと云ふにあるのだが、

その日、この云ひ訳はもはや云ひ訳にならないだらう」(講談社文芸文庫版)

「私自身にも気に入らぬ、晦渋な気位高い、多くの本を私は書いた事だらう。

さうして私の唯一の云ひ訳は、それらの本を私は生きて来たのだと云ふにあるのだが、

その日この云ひ訳はもう言ひ訳にならぬだらう」(岩波文庫版)

「翌日、墓地へ、一人の老女が、百合を抱いて来るだらう」(新潮文庫版・講談社文芸文庫版)

「翌日墓場へ一人の老女が百合を抱いて来るだらう」(岩波文庫版)

大きく分けて、新潮文庫版・講談社文芸文庫版と、岩波文庫版に分かれると思われるが(思潮社版は、岩波文庫版と同じ)、新潮文庫版と講談社文芸文庫版も、微妙に違うところがある。

岩波文庫が1925年の初版版に拠っており、講談社学芸文庫が1952年の白水社版に拠っており、そして新潮文庫は1954年の刊行であるということからすると、どうも堀口大學先生は、版を変えるたびに少しずつ手を加えているようである。

ここまで調べたからといって、原詩に近づくことなどできないのだが、翻訳詩が、実に奥深い世界であることを思い知らされるのである。

さて、そこでもう1冊の小説を思い出す。

四元康祐『偽詩人の世にも奇妙な栄光』(講談社、2015年刊、初出は2014年)という小説である。

中学生のころに詩のすばらしさを知った主人公は、数多くの詩を読み、自らも詩を作ったりしていたが、大学生の時に限界を感じ、詩人になる夢をあきらめ、商社に勤めることになる。

商社の社員として世界をまわっていく中で、各地で多くの詩人や詩と出会う。その多くは、日本でまったく知られていない詩人である。日本に戻ってから、それらを翻訳し、それを自分の詩として発表する。その詩の内容はすばらしく、またたく間に注目され、その主人公は流星の如くあらわれた詩人として文壇で華々しくデビューするのである。

ところが、しばらくしてある事件が起こる。無名だと思っていた外国の詩人が、ある世界的な賞をとり、一躍有名になった。日本でもその詩人が注目され、その詩を日本語に翻訳してみたところ、その主人公が自分の詩として発表したものと、うり二つだったことがわかったのである。かくして、主人公による詩の剽窃が明るみになり、彼は偽詩人の烙印を押されることになる。

…という内容の小説。実に不思議な雰囲気を醸し出す小説だ、というのが、僕の読後感である。

「偽詩人」とよばれた彼は、本当に詩の才能がなかったのだろうか。剽窃をせず、これを翻訳詩として発表したら、彼はやはりその才能を認められていたのではないだろうか。堀口大學先生のように、翻訳詩もまた奥の深い世界なのである。

…と、ここまで考えてきて、一つの妄想が浮かんできた。

それは、フィリップ・ヴァンデルビルという詩人は、そもそも存在しなかったのではないか、という妄想である。

堀口大學先生は、フィリップ・ヴァンデルビルという架空の詩人に仮託して、自分の詩を翻訳詩として発表したのではないだろうか!

『偽詩人の世にも奇妙な栄光』という不思議な小説を読んで、そんな妄想が頭をよぎった。

もちろん、これはまったくあり得ないことである。むしろ、まったく無名の詩人の詩までも訳詩した堀口大學先生の律儀さに、敬意を表すべきである。

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1969

読んでいる本がシンクロする、という話の続き。

高橋和巳『わが解体』(河出文庫)を読み直しているということは、前回書いた。

もう1冊、実家で見つけてきた本が、高野悦子『二十歳の原点』(新潮社)である。

この2冊を同時に読み直している。

高野悦子は、1969年、学生運動のさなか、二十歳で自ら命を絶った。山陰本線の二条駅と花園駅の間で、上り貨物列車に飛込んだのである。 『二十歳の原点』は、自殺の直前まで彼女がノートに書き連ねていた心の葛藤の記録である。

高野悦子は、当時立命館大学の学生で、京都で一人暮らしをしながら、ある時期まで学生運動にかかわった。

高橋和巳もまた、この当時、京都にいた。京都大学で教員をしていたが、大学闘争の際に学生を支持して、1969年3月に大学を辞する。

もちろん、二人に直接の接点があったわけではないが、同じ時期に京都で、一人は教員として、一人は学生として、葛藤していたのである。

僕がもっと驚いたことがある。

河出文庫版の『わが解体』には、高橋和巳の友人だった哲学者、梅原猛が、「高橋和巳の霊」という一文を寄せている。

その219頁に、京大の構内にたたずむ高橋和巳を写したスナップ写真が掲載されている。

そのキャプションには、

「『わが解体』執筆のころ 京大にて(昭和44年6月23日) 撮影・榊原和夫」

と書かれている。

僕は、あっ!と思った。

昭和44年6月23日…。

高野悦子『二十歳の原点』によれば、高野悦子が自ら命を絶った日が、昭和44年6月24日。

高橋和巳が、大学闘争で揺れる京大の構内にたたずんだ翌日、高野悦子は死んだのである。

高橋和巳が『わが解体』を書いているころ、高野悦子は自殺に至るまでの心の内面の葛藤をノートに書き連ねていたのである。

高橋和巳は、その2年後の1971年、39歳の若さで死去した。

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瞳の中の訪問者

最近は、10代の頃に読んだ本をあれこれと読み返したりしている。すっかり内容を忘れてしまっていることが多い。

実家で、高橋和巳の『わが解体』(河出文庫)を見つけた。文庫版は昭和55年(1980年)が初版とあり、僕が小学校6年生の年であるが、いくら何でも小学生の時にこれを読んだはずはない。おそらく中学生か高校生の時に買ったものだろう。

「死者の視野にあるもの」という随筆があって、その冒頭に、こんなことが書いてあった。

「何の雑誌だったろうか。かつてイタリアの法医学者が殺人事件の被害者の眼球の水晶体から、その人が斬殺される寸前、この世で最後に見た恐怖の映像を復元するのに成功したという記事を読んだことがある。本当にそういう《残像》がありうるのかどうか。またその技術が実際の事件解決に利用されているとも聞かないから、あまり信用のおけない雑誌の、非科学的な記事にすぎなかったのかも知れない。

しかし私はこの紙面の一部に紹介されていた写真を奇妙な鮮明さで覚えている。全体が魚眼レンズの映像のように同心円的にひずんだ面に、鼻が奇妙に大きく、眼鏡の奥に邪悪な目を光らせた男の顔がおぼろげに映っていた。被害者はその男に首をしめられたのだろうか、それとも凶器で殴りつけられたのだろうか。もはや抵抗力を失った被害者が、無念の思いをこめて相手を見、そこで一切の時間が停止し、最後の映像がそのまま残存する―それは充分ありそうなことに思われた」

僕はこの文章を読んで、手塚治虫の『ブラックジャック』の「春一番」というエピソードを思い出した。手元に本がないので記憶をたよりに書くが、たしかこんな内容だったと思う。

片目のみえない少女が、ブラックジャックによる角膜移植手術を受けて、見えなかった目が見えるようになる。ところがその時から、彼女の目の前には、見知らぬ男があらわれるようになった。ブラックジャックはそのことを不審に思い、角膜の元の持ち主をさぐっていくと、ある男に乱暴された上に殺された被害者の女性の角膜であることがわかった。死ぬ直前に見たものが角膜に焼き付けられ、それが残像として見えていたのである。つまり瞳に映った男性は、女性を殺した犯人であるという動かぬ証拠であった。一方、角膜を移植された少女は、瞳に映った男性に憧れ、ようやくその本人を見つけ出すのだが、殺人がばれることをおそれたその男性は、その少女をも殺そうとする。危ういところでその少女は、ブラックジャックに助け出される、というところで、この物語が終わる。

高橋和巳が何かの雑誌で読んだとされるイタリアの法医学者の話は、まさにこの『ブラックジャック』の「春一番」のエピソードそのものではないか!

はたして手塚治虫は、高橋和巳が雑誌で読んだ、イタリアの法医学者の話を知っていて、それにもとづいてこのエピソードを描いたのだろうか?

それとも、「春一番」は手塚治虫のまったくのオリジナルのストーリーで、たまたま高橋和巳が読んだイタリアの法医学者の話と同じだったにすぎないのか?

殺された人の眼球あるいは角膜に、死ぬ直前の映像が残像として残るという話は、都市伝説的なものとして、医学界の間では有名な話だったのか?

調べてみると、高橋和巳の「死者の視野にあるもの」の初出が、1970年(高橋和巳編『明日への葬列』合同出版、1970年7月の序文として書かれた)。手塚治虫の『ブラックジャック』「春一番」の初出が、『週刊少年チャンピオン』1977年4月11日号であるから、高橋和巳の文章の方が先である。時系列からいえば、おそらく手塚治虫も、イタリアの法医学者の話を以前から知っていて、それをエピソードに取り入れた可能性が高いのではないだろうか。

いずれにしても、興味深い問題である。

何より僕がおもしろいと思ったのは、たまたま高橋和巳の文章を読んでいて、それが、手塚治虫の『ブラックジャック』のエピソードとシンクロしたという自分自身の体験そのものである。

高橋和巳の『わが解体』と手塚治虫の『ブラックジャック』が結びつくなどと、だれが想像しただろうか。

たまたま手にとって読んだ本の内容が、自分のかつての体験(読書体験を含む)とシンクロしたときほど、本との運命的な出会いを感じる瞬間はないのである。

なお『ブラックジャック』の「春一番」のエピソードは、1977年、大林宣彦監督により『瞳の中の訪問者』というタイトルで映画化されている。

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ゴロウ君との再会

9月11日(水)

1か月半ぶりくらいの出張である。新幹線に乗って西に向かう。

12月にこの地でおこなうイベントのための打ち合わせをする必要があったので、急遽決まった出張である。打ち合わせも無事に終了し、やはり来てよかったと思った。

出張でかなり疲れが出たのか、久しぶりに両足の裏が痛み出し、夕方になるにつれて歩くのが億劫になった。たぶん、再開した薬のせいであろう。翌日は早めに帰ることにした。

さて翌日。「新幹線の停まる駅」の自動券売機のところで、帰りの新幹線の切符を買おうとしていると、後ろから、

「鬼瓦君じゃね?」

という声がした。

振り返ると、どこかで見たような顔。

高校時代に同じクラスだった、ゴロウ君だ!

以前にも書いたと思うが、僕は、高校時代のクラスの有志によるグループLINE、というものに参加している。もとは、クラスの中でも、テニス部とかバスケ部とか、運動部系の人たちが中心に集まっているグループなのだが、文化系の僕も、連絡がついたという理由で、なぜかこのグループLINEに参加することになった。高校当時は、クラスの中でも運動部系の人たちが「1軍」、つまりイケてる人たちで、僕は「2軍」か「3軍」くらいの位置だったので、1軍の人たちとほとんどお話しするような機会はなかった。彼らは数か月に1回、LINEで連絡をとりあって有志で飲みに行ってるみたいだけども、僕は参加したことがない。

ゴロウ君は、そのグループLINEの幹事役で、飲み会の企画やらお店の選定は、すべて彼が仕切っていた。高校時代はテニス部に所属していて、根っからの人のよさから、高校時代からみんなに頼られる存在だった。

そのゴロウ君が、僕に気づいたのである。

「ど、どうしてここに?」

「ここに勤めているんだよ。鬼瓦君は?」

「これから帰るんだ」

そうだった。ゴロウ君は鉄道会社につとめていて、今年からこの地に転勤したのだと聞いた。これから会社に行くといった感じだった。

それにしても、乗降客がとても多いこの駅の雑踏の中で、よくもまあ僕を見つけたものだ。この駅は、新幹線と在来線が集まる駅で、通勤時間帯は激しく混雑するのである。

しかも、お互い、高校時代からくらべて、かなり太ったのである。それにかなりオッサンになっている。僕もそうだが、ゴロウ君も僕に負けず劣らず、くたびれたオジサンになっている。ここ最近、LINEでは近況を聞いているが、実際に会うのは、10年ぶりくらいなのである。

僕に気づいた、ということは、俺はあんまり変わっていないということなのか?

それはともかく。

むかし読んだ、松本清張の『内海の輪』という小説で、やましいことをしている主人公が、伊丹空港で偶然知り合いに会い、自分のしているやましいことがバレないかドキドキする、というくだりがあったと記憶している。その場面を読んだとき、

(そんな、偶然に空港の雑踏の中で知り合いに会うなどというご都合主義的な展開なんか、あるかよ!)

と思ったものだが、実際にあるんだね、こういうことが。まったく、自分の引きの強さには呆れるばかりである。

帰ってからグループLINEに投稿したところ、ゴロウ君がメッセージをよこしていた。

「今日は、かなりぼぉーっとして歩いていたのですが、たまたま目の前の人が切符を買うのを見ていたら、誰かに似てるな、と思って、さらに見ていたら鬼瓦君かな?と気づきました。

鬼瓦君かどうか確信がなかったので、じつはちょっと自動販売機に立ってチラ見にして、鬼瓦君であることを確認。最後に背後に立って小声で「鬼瓦君じゃね?」とつぶやきました。まさか、本当に鬼瓦君だったとは半信半疑だったのでびっくりしました。

その後はあまりにも想定外だったので、喋ることが浮かばずにゴニョゴニョ喋って立ち去ってしまいました。鬼瓦君、すいません」

たしかに、あのときはあまりに突然に会ったために、お互い、何を喋っていいかわからなかった。

突然に再会したときなんて、そんなものなのだろう。

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下書きの復活

このところ、かつて書いていたもののボツにした文章を掲載してばかりいる。

ブログの公開設定には、「公開」「下書き」「公開日時を設定」の3つがあり、書いてはみたもののさまざまな理由で公開を見送った文章は、「下書き」として保存しておいた。

ボツにした文章には、いくつかのパターンがあって、

1.すぐに公開してよいかどうか迷った内容の文章

2.何がいいたいのかわからない文章

3.東日本大震災に関する記録

の3つがある。

ここ最近、掲載しているのは、1である。

2は、ふつうは下書きにすら残さずに削除してしまうのがふつうなのだが、まれに下書きのまま残ったりする。

3は、実は一度公開したのだが、公開してすぐに非公開にしたものばかりである。震災で避難を余儀なくされた方について書いた文章は、個人名が特定されないように配慮したつもりでも、読む人が読めば個人名が特定される場合がある。とくに人口の少ない町では、少ない情報でも、個人名が特定されることがあることを知り、公開直後に指摘を受けて非公開にしたものがある。この先、これらの記事が公開される可能性はまずないだろう。

なぜいまこんな作業をしているのかというと、あと50本程度の文章を書くと記事が3000本に達する。ところがこの記事の本数というのは、下書き保存されている文章も含まれているのである。ということは、実際に公開している文章の数は書いた記事の本数よりも少ないことになり、なんとなく気持ちが悪い。せっかくならば、書いた記事の本数と公開した本数を限りなく近づけたい。そこで、書いた記事の本数と、実際に公開している記事の本数をできるだけ近づけるために、下書き保存している記事の中で、公開できそうなものは公開し、削除してもいい記事は削除して、下書き保存している記事を整理しようと考えたわけである。ま、人様にとってはどーでもいい話である。

だいぶ蔵出しをしたつもりだが、それでもまだ、公開すべきか迷っている記事が残っている。

一度書いてボツにした文章でも、なかなか捨てられないのはなぜだろう。どんなにくだらない本を買ってしまっても捨てられないという心境に似ているかもしれない。

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恩師のなななのか

2018年4月14日

大学時代の恩師の一人の訃報を聞いたのが一昨日。

大学1年の時にこの先生の授業を聴いて衝撃を受けて、ゼミに参加した。ゼミと行っても、梁山泊みたいなところで、代々、専門分野の異なる個性豊かな学生たちが集まっていた。7学年後輩にあたる私の妻も、その一人である。

先生の語りも好きだったが、文章も好きだった。あの格調高い文章は、何度読んでも惚れ惚れした。

先生が退職されたとき、薫陶を受けた教え子たちで3冊の本を作った。私も妻も、末端の弟子だったが、そこに文章を寄せた。

退職記念のパーティーでは、教え子の一人としてスピーチをする光栄に恵まれた。

「前の職場」で、1年生向けの基礎演習的な授業を担当したときに、専門的な文章を読むトレーニングとして、先生の書いた文章を取り上げた。大学で人文学をこれから学ぼうとするすべての学生に読んでもらいたい文章だと思ったからである。

退職されてしばらくしてから、体調を崩されたというお話を聞いた。数年前にいただいた年賀状に、「年賀状はもう今年限りにしてほしい」と書かれていて、ひどく寂しい思いをした。

とはいえ、あまりに早すぎることだ、と思った。

今日、先生の奥様から、弔事を知らせるお葉書をいただいた。奥様もまた同業者で、私と妻にとっては、先生の奥様というよりも、やはり尊敬する先生なのだが、ここでは便宜上、先生の奥様と書く。最近は、奥様とお仕事をご一緒することが多かった。

葉書を見ると、先生は2月8日に亡くなり、葬儀は身内だけでおこなったと書かれていた。

四十九日が終わってから、みんなにお知らせしたのだろうか、と思った。それにしても、亡くなったことを、業界の人たちは今の今まで誰一人知らなかったのである。最も近いと思われる弟子すらも知らなかったようで、葉書で知りましたと、僕を含めた関係者にメールを送っていた。

うちの業界には、噂好きの人がけっこういる。早々と情報を仕入れては、同業者にふれまわって悦に入るという輩が多い。しかしその人たちですら、知らなかったのである。

四十九日が終わるまでは公表しない、という奥様の強い意志を思わずにはいられなかった。

僕は2月8日という日付を見て、あっ!と思った。

2月21日におこなった職場のイベントに、先生の奥様をお呼びした。

その前日の20日、韓国からいらしたゲストを囲んで懇親会を開いたのだが、そこにも先生の奥様に参加いただいた。

懇親会が終わり、私は車で、先生の奥様を宿までお送りすることになった。奥様のほかに、2人の同業者も、僕の車に乗っていた。

途中、先生の奥様の携帯電話が鳴った。

「…ええ、…ええ、ありがとうございます。何とか無事に終わりまして、悔いなく送ることができました。もう大丈夫です。ありがとうございます」

聞くとはなしに聞こえてしまったのだが、電話の相手と、そんなお話しをされていた。

私はその電話の応対がひどく気になったのだが、悪い想像をしたくなかったので、それ以上何も考えないことにした。

先生の奥様も、その電話について何もおっしゃらなかった。他の2人も、何もいわなかった。

いま思えば、2月20日のあの電話は、やはりそうだったのだ。

だがあのときは、何もいわない、という選択肢以外は、やはりあり得なかったと思う。

四十九日が終わるまで伏せておくことが、先生ご自身のお気持ちだったのか、それとも先生の奥様のお気持ちだったのか。おそらくお二人のお気持ちだったのだろう。いずれにしてもそのお気持ちを貫徹した先生の奥様の強い意志は、とてもすばらしいものだと感じた。

いまも先生の奥様とお仕事をご一緒する機会があるが、いまだにお悔やみを申し上げることができていない。

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信濃毎日新聞

A :高校の近くに、古いお蕎麦屋さんがあったのを覚えていますか。

そこの壁に、写真のような小さな掲示があるのに少し前に気づきました。
自分とはまったく価値観の異なる人たちによって物事が変えられていくのを見て、自分は世のためになにかできるのか…何をしていても、しばしばそんなことが頭をよぎります。同時に、どうしようもないという声もよく聞こえます。そんなことはありませんか。

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B: 信濃毎日新聞のことは、恥ずかしながら知りませんでした。で、手元にあった本を見てみると、桐生悠々という反権力ジャーナリストが戦前に主筆をつとめていたこともあり、大手新聞がのきなみ戦争を肯定する論調に変わっていく中で、反戦の姿勢を貫いていた新聞であったようです。

前の職場では、上層部に対してかなりいろいろなことを発言し続けました。発言しても変わらないと思いつつも、発言したことだけは、残しておこうと思ったのです。職場が変わっても、その思いは変わっていません。

だって何十年たっても、「昭和十六年、戦争を反対したのは信濃毎日新聞だけです」という事実だけは、残るのでしょう。

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恵存

数年前、僕は一冊の本を出した。

自分らしい本ができたな、と思ったのだが、全然話題にならず、思ったほど売れ行きがよくなかった。

1年ほど前のことだったか、ある人が僕のところにやってきた。仮にBさんとしよう。

「実はお願いがあるんです」

Bさんはそう言うと、袋の中から一冊の本を取り出した。

それは、僕が数年前に書いた本だった。

「これに、ひと言書いてほしいんです。Aさんにあてて」

「Aさんに、ですか」

Aさんは僕のよく知る人で、仕事でよくお世話になっている人だった。同業者ではない、ふつうの人である。僕が本を出したと知ると、わざわざその本を買って読んでくれた。たぶん専門的な内容だったので難しかったと思うのだが、それでも、最後まで読んでくれたようだった。

ところがAさんは、その後、仕事を休まれた。ご病気になったのだと聞いた。

ちょっと長引いているなあと思ったが、どのような病気なのか、それがどの程度のものなのか、まったくわからない。入院しているのか、自宅で療養しているのか、それもわからない。

Bさんがなぜ、Aさんが持っていた僕の本を持ってきて、そこにAさんのためにひと言書いてくれと言ってきたのか、それもわからない。風の噂で、AさんとBさんはおつきあいしているのだ、と聞いたことがあるが、本当かどうかはわからない。Bさんは多くを語ろうとしなかった。

AさんがBさんに本を託し、僕のサインをもらってきてほしいと依頼したのではないかと、僕は想像した。

Bさんは、僕のメッセージが入った本をAさんに届けることで、Aさんの励みになるのではないかと思い、その依頼を引き受けたのではないか、とも想像した。

いずれも身勝手な僕の想像である。

Bさんに聞けば、Aさんがいま、どんな様子なのか、わかったのかも知れないが、僕は聞くのをためらった。

いま僕がすべきことは、Bさんに言われたとおりに、Aさんにあててメッセージを書くことなのだ。

僕は自分の本に、Aさんの名前を書き、その下に「恵存」と書いた。

「恵存」とは、「お手元に置いておいてください」という意味である。僕が好きな言葉だ。

そして二言三言の、簡単なメッセージを添えた。

「これでよろしいでしょうか」

「どうもありがとうございます。急なお願いで、しかも妙なことをお願いしてすみません」

「いえ」

Bさんは多くを語らず、その場を立ち去った。

僕も何も聞かなかった。

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本棚

TBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」の後継番組「アクション」。

僕は直接は聴いていないのだが、フリーライターの武田砂鉄さんがMCの曜日、というのがあって、お笑い芸人「フォーリンラブ」のバービーさんがトークゲストとして出演した日があったのだという。

「フォーリンラブ」のバービーさん、って、一瞬、だれだっけ?と思ったが、最近よくテレビで見る、女性芸人の方である。

武田砂鉄さんが、バービーさんをゲストに呼ぶことにした理由がおもしろい。彼のツイッターに、こんなツイートがある。

「昨日、『メレンゲの気持ち』を見ていたら、芸人のバービーさんの自宅訪問があり、一瞬だけ映った本棚に、牧野雅子『刑事司法とジェンダー』などなど興味深い書籍がいくつも並んでいた。番組は相変わらず女子力高い云々だったが、本棚をじっくり見たかった。」

なんときっかけは、バービーさんの自宅の本棚の本を見て、興味をもち、それでラジオ番組のゲストに呼んだ、というのである。

たしかに、テレビで見る芸人としてのバービーさんのイメージと、本棚に並んでいる本のイメージは、なかなか結びつかない。実に興味深いではないか。

残念ながらそのラジオを直接聴くことができなかったのだが、インターネットにあがっている文字起こしを読むと、文字起こしなのでその時の正確なニュアンスはなかなか伝わりにくいのものの、それでも、好感の持てる対談で、いままでまったく興味のなかったバービーさんを応援しよう、という気持ちになったのである。

本棚とは、人生である。

本棚で思い出した。

先日、『ルパン三世 PART2』の「第82話 とっつあん人質救出作戦」を見ていたら、ルパンたちのアジトらしき部屋の本棚が映っていた。

武田砂鉄さんと同様に、僕もまた、他人の本棚が気になるタイプである。

69633212_715400098871822_404473797014454 つい本棚に見とれていると、背表紙にタイトルが書いているものがいくつかあった。

ある場面には、「石川達三集」と背表紙に書かれた本がある。

カットが切り替わると今度は、「金子光晴」と背表紙に書かれた本が確認できる。

69584268_715400172205148_789989333076960本棚で確認できる日本の文学者は、この二人のみである。

石川達三と金子光晴って…。

もちろん有名な作家であり詩人であることは間違いないのだが、なんか微妙な人選だよなあ。もちろんこの人選は個人的には嫌いではない。

どうしてことさらに石川達三と金子光晴が選ばれたのか。これはちょっとした謎である。

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階段

先月、友人からDVDが送られてきた。この夏、家で安静にしてばかりいては退屈だろうと、退屈しのぎにと、差し入れとして送ってくれたのである。『シャーロック・ホームズの冒険』という、むかしの連続ドラマであった。友人らしい、粋な計らいである。

恥ずかしながら、僕はこのドラマの存在を知らなかった。見れば、翻訳が額田やえ子で、シャーロック・ホームズの声が露口茂、ワトスン博士の声が長門裕之ではないか!

子どものころからミステリーが大好きだったにもかかわらず、シャーロック・ホームズのシリーズを読んだ記憶が、あまりない。僕はどちらかといえば、モーリス・ルブランのルパンシリーズをもっぱら読んでいて、あとは、江戸川乱歩や横溝正史。なぜかシャーロック・ホームズやアガサ・クリスティは、すっぽりと抜け落ちてしまったのである。

ドラマの内容がおもしろかったので、原作も読んでみることにした。ホームズのシリーズをちゃんと読むのは、初めてかも知れない。

『シャーロック・ホームズの冒険』を読み始めたところで、ある記憶がよみがえってきた。

小学校高学年の時の授業のことである。

担任のN先生が、僕たちにこんなことを聞いた。

「みんなの中で、二階建てのおうちに住んでいる人はいるかな?」

僕は手をあげた。ほかにも何人かが手をあげた。

「じゃあ聞きますが、自分の家の階段が、何段あるか知ってる人?」

誰も手を上げる人がいない。僕も、自分の家の階段が何段あるか知らなかった。毎日上り下りしているのに、である。

「ほら、毎日上り下りしている人でも、階段が何段あるかなんて、知らないでしょう。そんなことに関心がないからです。でも、いちど階段の数を数えながら登ってみると、すぐにわかります。そして、決して忘れません。人間の記憶というのは、そういうことです。関心がなければ、覚えられないのです」

なるほど、と思った。その日、帰ってから自分の家の階段の数を数えながら登った。14段という数は、いまも忘れてはいない。

…こんなことを思い出したのは、『シャーロック・ホームズの冒険』の最初のエピソード、「ボヘミアの醜聞」を読んでいて、こんなくだりがあったからである。

「『きみの説明を聞くと、いつもばかばかしいほど単純に思えて、自分でも簡単にやれそうな気がするんだが、そのくせ、きみの推考の一段階ごとに引っかかって、きみの口から論証の過程をひとつひとつ説明してもらうまでは、まるきり五里霧中だ。はばかりながら僕の目だって、きみの目に劣らず、よく見えているはずなんだがな』

『そりゃそうだろうさ』そう言いながら、ホームズは煙草に火をつけ、どさりと肘かけ椅子に身を投げかけた。『きみはたしかに見てはいる。だが観察はしない。見るのと観察するのとでは、大ちがいなんだ。たとえばの話、この家の玄関からこの部屋まであがってくる階段、きみは何度も見ているだろう?』

『ああ、たびたび見ている』

『たびたびとは、何回くらい?』

『そうさな、何百回となく』

『じゃあ訊くが、階段は何段ある?』

『何段か、だと?知るものか』

『そらね!きみは観察していないんだ。そのくせ、見るだけは見ている。そこなのさ、ぼくが言いたいのは。ついでに言うと、ぼく自身は階段が十七段であると知っている。見るのと観察するのとを、ふたつながらやっているからだ』」(深町眞理子訳)

ここを読んだとき、そうか、あのときの先生の質問は、このことだったんだな、と今になって気がついたのである。担任のN先生は、無類の文学好きだった。授業の中で、シャーロック・ホームズの話が出たことはなかったが、当然、シャーロック・ホームズのシリーズも読んでいて、その出典を明かさずに、僕たちにホームズがワトスンに投げかけたのと同じ質問をしたのである。

いまさらだが、シャーロック・ホームズはおもしろい。

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横文字天国

最近、心がアレなので、卑屈になってばかりいる。

少し前に、ある政治家が、生活保護者の人権に一定の制限を設けるという政策について、「フルスペックの人権」を認めるとか認めないとか、そういう言い方をしていた。これに対して小田嶋隆さんが「人権に「スペック」という概念を当てはめる感覚がシステム屋はだし」とツイートしていた。

「システム屋はだし」でなくとも、人権を「スペック」に見立てるという発想が生まれること自体、驚くべきことである。

「スペック」というのは、ようわからんが、「仕様。また、仕様書。規模・構造・性能などをまとめた表」という意味らしい。「ハイスペック」というのは「高性能」という意味で使われることが多いから、「スペック」とはつまり、「性能」ということなのだろう。

いろいろな言葉が、いとも簡単に、コンピューターのシステム用語に置き換えられていく。「人権」といった、これまで幾多の哲学者や法学者や政治学者が苦労して生み出してきた概念までもが、そうである。生身の人間が、まるでコンピューターの端末であるかのように扱われる。人間の思索は、AIではなくほかならぬ人間によって否定される。

そんなふうに、僕のまわりには、よくわからない横文字が溢れている。

思いつくままに書くと、もう一つ僕が苦手な言葉が、「コンプリート」である。コレクションなど、趣味の世界では、よく使われる。

最近、古い仲間数人と集まってお茶を飲みながら話をする機会があった。そのときに、「○○さんはどうしてるんだろうね。今度会いたい」とか、「××さんに最近会ってないから、会わないとね」みたいな話が出ていた。

そのやりとりを聞いて、僕は一つの仮説に行き着いた。それほど親しいわけではなかった古い仲間たちに僕が呼ばれたのは、再会を「コンプリート」するためだったのではないか、と。

僕は、特に最近はそういう場所にめったに行かなくなってしまったので、さしずめ僕はレアなキャラクターなのである。「コンプリート」したい人間にとっては、とにかく1回会っておこう、というだけの理由で、僕を呼んだのではないだろうか。

俺はチョコエッグか!言いたくなるのだが、それはおまえの被害妄想だよと言われるのがオチだから、言わない。

もちろん、こんな被害妄想を抱くのは、僕くらいのものかもしれない。だが同窓会とかクラス会なんてものは、程度の差こそあれ、再会の「コンプリート」が意識されているのではないだろうか。もし仮に、「コンプリート」を意識して再会する機会がつくられるのだとしたら、僕はそういう会にはちょっと遠慮したい、と思うのである。

「コンプリート」は、コレクションの世界にのみ、とどめておきたい。

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