« 1969 | トップページ | 粗忽ハガキ »

ここにも大學先生

10代のころに読んだ本の再読シリーズ。

柴田翔『されどわれらが日々』(文春文庫)。初出は1964年。

高校生か大学生の時に読んだと思われるが、当時としてもマイナーな小説だったと思う。このマイナーな小説の存在を、だれから教えてもらったのか、覚えていない。

前回取り上げた、高野悦子『二十歳の原点』や高橋和巳『わが解体』が、70年安保を背景にしているのに対し、こちらの小説はそれよりもやや古い60年安保を背景にしている。学生運動に挫折した大学生たちの内面の葛藤を描いた物語。

主人公が、自殺未遂した恋人を慰めるために、詩を読み聞かせる場面がある。

「思い出は 狩の角笛

風のなかで聲は死にゆく」

いい詩だな、と思っていたら、出典は堀口大學訳詩集『月下の一群』より、ギョーム・アポリネールの「狩の角笛(断章)」という詩の一節だった。

当時の大学生たちの間で、堀口大學の『月下の一群』が広く愛読されていたことがわかる。

以前このブログで、『月下の一群』のなかで、フィリップ・ヴァンデルビルの「死人の彌撤」という詩が好きだと書いた

「私は知ってゐる。やがて、冬のとある日の

五時頃のはや灰色の夕暮に、私は死んで行くのだと。

哀れな同僚たちの意地悪さにもあきはてて、

しかしまた、恨みもなく怖れもなく、あきらめて、安んじて。

私の側にはただ一人、妻だけがゐるだらう、

彼女は私に云ふだらう、私の最後の時はまだ遠いと。

彼女は和げてくれるだらう、私の断末魔の苦痛を。

彼女は私に接吻するだらう、すべてを赦した上で。

私は今、かうしたすべてを予感する。

私自身も気に入らぬ晦渋で気位だけ高い、多くの書物を私は残すだらう。

しかも私の唯一の言ひ癖は、それらの書物を、自分が生きてきたといふにあるが、

その日、この言ひ訳はもはや言ひ訳にならないだらう。

その時、私は六十近い年だらう。

わたしの友は皆、厳しい光栄の中に生きてゐるだらう。

さうして私が死んだことなぞは、あんまり気にもとめないだらう。

翌日、墓地へ、一人の老女が、百合を抱いて来るだらう。」

この方面に詳しい友人が、この翻訳詩の原詩(フランス語)を読みたいと思って調べてみたところ、原詩はおろか、フィリップ・ヴァンデルビルという詩人の存在すら、突きとめることができなかったと聞いて、たいへん驚いた。つまりこの詩も、詩人も、まったく無名の存在だったのである。

「『月下の一群』を訳した頃」という堀口大學のエッセイの中に、

 「『月下の一群』のあの詩人群の大方は、その頃まだ日本には名さえ知られていなかった。ぼくはその人たちの作品を、名もない詩誌のバックナンバーや、市販には見出せない少部数発行の詩集やを探し集めては、読み耽り、気に入った翻訳可能の一篇でもみつかるとこおどりして、これに立ち向かった。ヴァレリーもコクトーもぼくは自分で見つけた。アポリネールだけは、彼と暫く婚約の間がらだった画家マリー・ローランサンがその存在を教えてくれた。」

とある。おそらくフィリップ・ヴァンデルビルという無名の詩人の無名の詩を、堀口大學先生がたまたまどこかで見つけて、それを翻訳したということなのだろう。

もう少し手がかりがないだろうかと、『月下の一群』を調べてみることにした。

現在比較的容易に入手できる『月下の一群』としては、新潮文庫版と、岩波文庫版と、講談社文芸文庫版と、思潮社版(『現代詩文庫 堀口大學訳詩集』)がある。よく見てみると、それぞれ微妙に訳し方が違うことに気づく。

「私自身にも気に入らぬ晦渋で気位だけ高い、多くの書物を私は残すだらう。

しかも私の唯一の言ひ訳は、それらの書物を、自分が生きて来たといふにあるが、

その日、この言ひ訳は、もはや言ひ訳にならないだらう」(新潮文庫版)

「私自身にも気に入らぬ晦渋で気位だけ高い、多くの書物を私は残すだらう。

しかも私の唯一の云ひ訳は、それらの書物を、自分が生きて来たと云ふにあるのだが、

その日、この云ひ訳はもはや云ひ訳にならないだらう」(講談社文芸文庫版)

「私自身にも気に入らぬ、晦渋な気位高い、多くの本を私は書いた事だらう。

さうして私の唯一の云ひ訳は、それらの本を私は生きて来たのだと云ふにあるのだが、

その日この云ひ訳はもう言ひ訳にならぬだらう」(岩波文庫版)

「翌日、墓地へ、一人の老女が、百合を抱いて来るだらう」(新潮文庫版・講談社文芸文庫版)

「翌日墓場へ一人の老女が百合を抱いて来るだらう」(岩波文庫版)

大きく分けて、新潮文庫版・講談社文芸文庫版と、岩波文庫版に分かれると思われるが(思潮社版は、岩波文庫版と同じ)、新潮文庫版と講談社文芸文庫版も、微妙に違うところがある。

岩波文庫が1925年の初版版に拠っており、講談社学芸文庫が1952年の白水社版に拠っており、そして新潮文庫は1954年の刊行であるということからすると、どうも堀口大學先生は、版を変えるたびに少しずつ手を加えているようである。

ここまで調べたからといって、原詩に近づくことなどできないのだが、翻訳詩が、実に奥深い世界であることを思い知らされるのである。

さて、そこでもう1冊の小説を思い出す。

四元康祐『偽詩人の世にも奇妙な栄光』(講談社、2015年刊、初出は2014年)という小説である。

中学生のころに詩のすばらしさを知った主人公は、数多くの詩を読み、自らも詩を作ったりしていたが、大学生の時に限界を感じ、詩人になる夢をあきらめ、商社に勤めることになる。

商社の社員として世界をまわっていく中で、各地で多くの詩人や詩と出会う。その多くは、日本でまったく知られていない詩人である。日本に戻ってから、それらを翻訳し、それを自分の詩として発表する。その詩の内容はすばらしく、またたく間に注目され、その主人公は流星の如くあらわれた詩人として文壇で華々しくデビューするのである。

ところが、しばらくしてある事件が起こる。無名だと思っていた外国の詩人が、ある世界的な賞をとり、一躍有名になった。日本でもその詩人が注目され、その詩を日本語に翻訳してみたところ、その主人公が自分の詩として発表したものと、うり二つだったことがわかったのである。かくして、主人公による詩の剽窃が明るみになり、彼は偽詩人の烙印を押されることになる。

…という内容の小説。実に不思議な雰囲気を醸し出す小説だ、というのが、僕の読後感である。

「偽詩人」とよばれた彼は、本当に詩の才能がなかったのだろうか。剽窃をせず、これを翻訳詩として発表したら、彼はやはりその才能を認められていたのではないだろうか。堀口大學先生のように、翻訳詩もまた奥の深い世界なのである。

…と、ここまで考えてきて、一つの妄想が浮かんできた。

それは、フィリップ・ヴァンデルビルという詩人は、そもそも存在しなかったのではないか、という妄想である。

堀口大學先生は、フィリップ・ヴァンデルビルという架空の詩人に仮託して、自分の詩を翻訳詩として発表したのではないだろうか!

『偽詩人の世にも奇妙な栄光』という不思議な小説を読んで、そんな妄想が頭をよぎった。

もちろん、これはまったくあり得ないことである。むしろ、まったく無名の詩人の詩までも訳詩した堀口大學先生の律儀さに、敬意を表すべきである。

|

« 1969 | トップページ | 粗忽ハガキ »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 1969 | トップページ | 粗忽ハガキ »