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タイトル神経症

他人様にはどうでもいい話なのだが、ブログの記事にどんなタイトルを付けるかということに、頭を悩ませることがある。

他人様のブログを覗いたりすると、タイトルがかなり安直につけられているな、と思うものがけっこうあり、ゲンナリすることがある。

文章だけでなく、映画にしても、絵画にしても、音楽にしても、タイトルというのは非常に大事である。タイトルをおろそかにするものは、中身もおろそかにしているということを意味する。

自分の場合はできるだけ、安直にならないタイトルをつけようと考えているのだが、それでも最近はだんだん手を抜いてきて、安直につけてしまうことが多い。むかしはけっこう、凝ったタイトルを考えたりしたんだけどね。

前回の文章、最初は「今日の空脳」というタイトルで書き始めた。書いていくうちに、オチが落語の「粗忽長屋」のような感じになったので、最初に考えていたタイトルを改め、「粗忽ハガキ」に替えたのである。

ところがその後、こぶぎさんから「時空のゆがみ」という観点から僕の文章を解釈するコメントをもらって、

(そうか、落語の「粗忽長屋」風のオチではなく、時空のゆがみという観点からのオチも可能だったか)

と思い直した。書いている本人は、この文章のオチは「粗忽長屋」でまとめるしかない、と思い込んでいたので、それ以外のオチの可能性についてはまったく気づかなかったのである。

つまり、事実に対する解釈は一つとは限らないことをあらためて思い知らされたのである。

この文章のオチを、「ひょっとしてこれは時空のゆがみなのか?」とした場合、タイトルは「時をかけるハガキ」としてもよかったかも知れない。

そう思って自分の体験をあらためて振り返ると、数日前に出したはずのハガキが、数日経って、自分の机の上に置いてあることに気づくというシチュエーションは、まさに映画「時をかける少女」そのものである。

「粗忽ハガキ」とするのと、「時をかけるハガキ」とするのとでは、どちらが読者の共感を呼びやすいだろうか。

ま、他人様にはどーでもいい悩みなのだが、年がら年中、僕はこんなことで頭を悩ませているのである。

…それよりも、タイトルをどのようにつけたらよいか悩んでいることについて書いたこの文章のタイトルを、どのようにつけたらよいかわからない。

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