恩師のなななのか
2018年4月14日
大学時代の恩師の一人の訃報を聞いたのが一昨日。
大学1年の時にこの先生の授業を聴いて衝撃を受けて、ゼミに参加した。ゼミと行っても、梁山泊みたいなところで、代々、専門分野の異なる個性豊かな学生たちが集まっていた。7学年後輩にあたる私の妻も、その一人である。
先生の語りも好きだったが、文章も好きだった。あの格調高い文章は、何度読んでも惚れ惚れした。
先生が退職されたとき、薫陶を受けた教え子たちで3冊の本を作った。私も妻も、末端の弟子だったが、そこに文章を寄せた。
退職記念のパーティーでは、教え子の一人としてスピーチをする光栄に恵まれた。
「前の職場」で、1年生向けの基礎演習的な授業を担当したときに、専門的な文章を読むトレーニングとして、先生の書いた文章を取り上げた。大学で人文学をこれから学ぼうとするすべての学生に読んでもらいたい文章だと思ったからである。
退職されてしばらくしてから、体調を崩されたというお話を聞いた。数年前にいただいた年賀状に、「年賀状はもう今年限りにしてほしい」と書かれていて、ひどく寂しい思いをした。
とはいえ、あまりに早すぎることだ、と思った。
今日、先生の奥様から、弔事を知らせるお葉書をいただいた。奥様もまた同業者で、私と妻にとっては、先生の奥様というよりも、やはり尊敬する先生なのだが、ここでは便宜上、先生の奥様と書く。最近は、奥様とお仕事をご一緒することが多かった。
葉書を見ると、先生は2月8日に亡くなり、葬儀は身内だけでおこなったと書かれていた。
四十九日が終わってから、みんなにお知らせしたのだろうか、と思った。それにしても、亡くなったことを、業界の人たちは今の今まで誰一人知らなかったのである。最も近いと思われる弟子すらも知らなかったようで、葉書で知りましたと、僕を含めた関係者にメールを送っていた。
うちの業界には、噂好きの人がけっこういる。早々と情報を仕入れては、同業者にふれまわって悦に入るという輩が多い。しかしその人たちですら、知らなかったのである。
四十九日が終わるまでは公表しない、という奥様の強い意志を思わずにはいられなかった。
僕は2月8日という日付を見て、あっ!と思った。
2月21日におこなった職場のイベントに、先生の奥様をお呼びした。
その前日の20日、韓国からいらしたゲストを囲んで懇親会を開いたのだが、そこにも先生の奥様に参加いただいた。
懇親会が終わり、私は車で、先生の奥様を宿までお送りすることになった。奥様のほかに、2人の同業者も、僕の車に乗っていた。
途中、先生の奥様の携帯電話が鳴った。
「…ええ、…ええ、ありがとうございます。何とか無事に終わりまして、悔いなく送ることができました。もう大丈夫です。ありがとうございます」
聞くとはなしに聞こえてしまったのだが、電話の相手と、そんなお話しをされていた。
私はその電話の応対がひどく気になったのだが、悪い想像をしたくなかったので、それ以上何も考えないことにした。
先生の奥様も、その電話について何もおっしゃらなかった。他の2人も、何もいわなかった。
いま思えば、2月20日のあの電話は、やはりそうだったのだ。
だがあのときは、何もいわない、という選択肢以外は、やはりあり得なかったと思う。
四十九日が終わるまで伏せておくことが、先生ご自身のお気持ちだったのか、それとも先生の奥様のお気持ちだったのか。おそらくお二人のお気持ちだったのだろう。いずれにしてもそのお気持ちを貫徹した先生の奥様の強い意志は、とてもすばらしいものだと感じた。
いまも先生の奥様とお仕事をご一緒する機会があるが、いまだにお悔やみを申し上げることができていない。
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