私だけの逸話
先日、知り合いの編集者が出版した、脚本家・早坂暁さんのエッセイ集を読んだという話を書いた。
その感想を、知り合いの編集者の方にメールでお送りしたところ、なんと僕の感想を早坂さんの奥様に伝えてくださったようで、奥様がたいへん喜んでおられましたと、その編集者の方からメールをもらった。
なんとも恐縮するようなお話しである。僕は一読者にすぎず、書いた感想も実に拙いものだったのだが、早坂暁さんや早坂さんの奥様とはまったく面識がないにもかかわらず、存在がぐっと身近に思えてしまったのである。
僕の感想を、早坂さんの奥様がご覧になったと聞いて、ちょっとこれは書かない方がよかったのかな、と思った部分があった。
「エッセイ集とは関係のない話になりますが、早坂暁さんと大林宣彦監督は、「恋人よわれに帰れ」(1983年)という単発ドラマで、いちどだけ一緒にお仕事をされていますね。僕は未見なので内容はよくわからないのですが、ある評論によれば、ビデオ制作によるテレビドラマだったために、大林監督らしい演出が発揮できず、当時はあまり評価されなかったようだったとありました(樋口尚文編『フィルムメーカーズ20 大林宣彦』2019年7月、宮帯出版社刊)。同じ瀬戸内海の生まれで、しかも広島での戦争体験を共有しているお二人が、映画で一緒にお仕事をなさるところをもっと見たかったなあとも思います」
僕が大林宣彦監督のファンであるあまりに、上記のような、エッセイ集の感想とは関係のないことを書いてしまったのであるが、ここで大林監督のお名前を出してよかったのだろうか?と、ちょっと心配になった。お二人が良好なご関係にあったかどうか、僕はわからないまま書いてしまったからである。
編集者の方からの返信によると、「奥様はもともと実家が尾道で、大林監督と同郷です。医者だった大林監督のお父さんは地元では「大先生」と呼ばれていて、「ちなみに大林さんの父上は開業医で、私の伯母は、盲腸を切ってもらったそうです」とのことです」とあったので、僕はまたまたびっくりしてしまった。人間の縁とは、なんとおもしろいものだろう。早坂さんと大林監督は、意外なところでつながっていたのである。僕があの感想を書かなければ、「早坂さんの奥様の叔母様が大林監督の父上に盲腸を切ってもらった」というエピソードを伺うことはできなかったのである。
大林監督といえば、今年の5月にお目にかかったときのエピソードを思い出したので、書きとどめておく。
大林監督の講演会の後、僕は厚かましくも懇親会に出席して、あろうことか途中から監督の隣の席に座ることになった。
僕はガッチガチに固まって、結局何もお話しできなかったのであるが、まあそれは置いといて。
その懇親会場には、プロジェクターがセットされていて、壁には大きなスクリーンが掛かっていた。
途中、スタッフの方が気を利かせて、スクリーンに映像作品を流しはじめた。食事をしたり歓談したりしながら、BGM的に見てもらおうと思ったのだろう。
大林監督が、スクリーンに映し出された映像に気がついて、スタッフの人に質問した。
「いま、前で流れているあの映像は、何?」
「あれは、地元の大学の学生が、授業の一環として制作した短編映画です」
たしかそんなふうに答えていたと思う。すると大林監督がおっしゃった。
「食べたり飲んだりしながら見ちゃ、失礼だよ。見るんならばちゃんとした環境で見たい。あとでじっくり見たい」
「では、後日にこの映像作品をお送りします」
「ありがとう」
横で聞いていた僕は、びっくりしてしまった。いってしまえば、たかが学生が作った、おそらくは未熟な作品である。そうした作品さえも、映画として尊重しているのだ。どんな映像作品も、1つとしておろそかには観ない。つまりこれは、映画そのものに対する、監督の畏敬の念なのではないだろうか。僕はすっかり感動してしまった。
おそらく、その場に居合わせた僕しか知らないエピソードだろうと思うので、書きとどめておく。
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