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松山東高校

脚本家・早坂暁さんのエッセイ集について書いてきたが、早坂暁さんの出身地は愛媛県で、旧制松山中学、つまり松山東高校が出身校である。

松山東高校からは、伊丹万作とか、大江健三郎とか、多くの文化人を輩出している。

それで思い出したことがあった。

僕が小学校4年~6年の時の担任だったN先生の故郷は愛媛県で、松山東高校出身だった。その後、地元の大学の教育学部で教員免許を取り、数年間、故郷で教鞭をとったあと、東京の小学校に移ってきたのである。

N先生はよく、松山東高校時代の思い出話もしてくれた。その話を聞きながら、早く高校生になりたいと思った。松山東高校は、当時小学生だった僕にとって、最も身近な、そして憧れの高校名として、その後も記憶に残り続けた。

N先生は、当時小学生だった僕たちに、折にふれて、芸術や文学のお話しをしてくれた。もちろん、当時小学生だった僕たちには難しすぎて、そのすべてを理解したわけではなかったが、後々、僕が文章を書くことを生業のひとつにするようになったきっかけは、N先生との出会いが決定的だったと思う。

N先生はまた、正岡子規をはじめとして、伊丹万作や大江健三郎など、郷土の先輩方のお話しをしてくれたので、あるいはその時に(高校の先輩である)早坂暁さんのお名前も出ていたかも知れない。いずれにしても、松山東高校という響きに、僕は不思議な懐かしさを感じるのである。早坂暁さんのエッセイを読んで久々にその感覚を思い出し、N先生のことを思い出したのであった。

そんな折、母から電話があった。

「さっき、道ばたでN先生に会ったわよ」

N先生は、いまも、僕の実家の隣の町に住んでおられる。かかりつけの病院に行くとかで、うちの実家の近くの交差点を歩いていたところ、うちの母と出くわしたのである。

N先生は数年前に、体調を崩されているという噂を耳にしたが、いまはどうなのだろう?

「お元気そうだった?」

「お元気そうだったよ。以前お目にかかったときは、少し痩せていたけれど、いまは体調が悪そうな感じではなかった」

「それはよかった」

「でも先生がねえ、『癌で余命3年の宣告を受けましたが、いまもこうして生きています』と言っていたのよ」

「癌だったの?」

「そうみたい」

N先生は、僕の父と同じ、1941年生まれである。そういえば、高校時代の担任だったKeiさんもやはり、1941年生まれである。僕の父は2年前に他界したが、僕にとっての恩師、N先生とKeiさんのお二人が、いまでもお元気なのは、僕にとってまだ頼るべき父親がいるような気がして、嬉しいことである。

Keiさんとはここ最近、メールなどで連絡を取り合ったりしているが、近いうちに時間を作って、N先生のところに会いに行こうか、とか、手紙を書こうかとか、そんな考えが浮かんだ。

いろいろなことをつらつらと思い出しているうちに、一冊の本のことを思い出した。長くなるので次回に書く。

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