粘土詩
前回の続き。
小学校4年~6年の時の担任だったN先生が松山東高校出身だったことから、いろいろなことを思い出す。
同級生だった人たちの話も、しばしばしてくれた。その中には、のちに絵手紙作家として有名になる小池邦夫さんの名前もあった。
ほかにもいろいろな同級生のお話しをしていたよなあ、とつらつらと思い返してみると、愛媛県の知的障害者施設の先生をしている方がいらっしゃったことを思い出した。
すぐに名前が思い出せなかったが、僕は小学6年生の時、その学園に通う子どもたちが書いた詩をまとめた『どろんこのうた』という詩集を授業で読んだことを思い出した。そしてその先生の名前が、仲野先生であることを思い出した。
仲野先生は、学園に通う知的障害者の子どもたちに詩を書かせるのだが、その方法が一風変わっていた。粘土板に、自分がその時に浮かんだ言葉と、絵を彫らせて、版画にするのである。
その「版画詩」を集めた詩集だから、タイトルが「どろんこのうた」。
知的障害を持つ子どもたちの詩は、何の不純物も混じっていないようなみずみずしい言葉で綴られており、当時の本の帯には、詩人の谷川俊太郎の推薦文が書かれている。
また、のちに音楽家の池辺晋一郎がこの詩集に感動し、いくつかの詩に曲をつけたそうである。
さて、話を僕の小学生時代に戻す。小学6年生のときである。
N先生は、この『どろんこのうた』という本をクラスの一人一人に配った。
「この詩集を読んで、感想文を書いてください」
よくよく説明を聞くと、この詩集をまとめた仲野先生は、N先生の高校時代の同級生であり、この本は、仲野先生が知的障害者施設の子どもたちが粘土に掘った詩をまとめた本である、という。
その本を、まずはまっさらな気持ちで読み、感想文を書く。
その後、N先生が国語の授業でこの詩集をとりあげ、詩についてみんなで考える時間を作る。
そしてそれをふまえて、各自がもう一度、感想文を書く。
つまり、N先生による指導の前と指導の後、2度にわたって感想文を書いたのである。N先生は、指導によって児童の感想がどのように変化するかを見るために、このようなやり方をとったのであろう。
しかし、この詩集の感想を書くことは、当時の僕、いや、今の僕からしても、とても酷な課題だった。
それぞれの詩は、本当に純粋な気持ちに溢れたもので、飾りのない、混じりけのない言葉に溢れている。その詩について、僕がいくら感想を書いたとしても、それは所詮は飾り付けた言葉でしかないのである。どんなに言葉を並べ立てても、彼らの詩にふさわしい感想文を書けるはずがないのである。
詩人の谷川俊太郎は、この本の帯文に、「生まれたてのことば、何も着ていない裸のことば、心と体の見わけのつかぬ深みから、泉のようにわいてきたことば、詩の源と、生の源とがひとつであるということを教えられました。粘土に書くという着想も、すばらしい」と書いている。これ以上、どんな言葉が必要だろう。
400字だったか800字だったか、とにかくどのようにして僕が2回の感想文を原稿用紙のマス目に埋めていったのか、今となってはまったく覚えていない。
クラス全員が2回ずつ書いたその感想文は、ガリ版刷りの手作りの感想文集、いわゆる私家版としてまとめられた。
その後、その文集が誰かの目にとまったのか、ラジオの短波放送に取り上げられることになった。そのとき、N先生とともに、クラスの児童の何人かが出演し、インタビューに答える形でラジオ出演した。僕も出演した児童の一人として選ばれた。そのとき何を喋ったのか、まったく覚えていない。
…そんなことを思い出し、『どろんこのうた』の本は、いまどうなっているんだろう?と思って調べてみたら、なんと2016年に新装版が出版されていた。最初の出版が1981年であるから、35年以上経たロングセラーだったのである。
新装版には、仲野先生の回想録が掲載されていて、その中に、N先生が作った感想文集についても触れられていた。
「『どろんこのうた』出版直後に、東京都○○小学校のN先生が指導・編集されたクラス全員による初読と指導後の感想文を収めた『どろんこのうた 感想文集』(1981年、自家版)は交流教育の始まりでした」と述懐している。
小学校の国語の授業中で、『どろんこのうた』の詩集を読み、感想文集を作る、という試みは、N先生だけの着想で、ほかでは行われなかったようである。同級生だったからこその、着想だったのかも知れない。
さて、そこにどんな感想文が綴られていたのか。読み返したくもあり、読み返したくもなし。
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