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都内で会合、からのお通夜

10月10日(木)

本務に関わる会合のため、都内の貸し会議室に向かう。

今回は、自分の専門とはまったく異なる、最先端の科学のお話を聞く。

N大学におつとめの、まだ若い先生なのだが、世界で初めて、あることを発見された方で、世界中のその分野の専門家にインパクトを与えたのだという。

専門分野の話を、とてもわかりやすく説明されて、たいへんおもしろかった。

おりしもいまは、ノーベル賞の時期である。どうも最近のノーベル賞は、基礎研究とはいっても、人間に役に立つものを発明した人に与えられる傾向にあるように思うのだが、その先生の研究は、直接には、僕たちの生活には何の役にも立たない。しかしそれにもかかわらず、大発見であることには違いないのだ。こういう研究こそ、評価されるべきだと思うのだが、まあそれは置いといて。

お話を聞いているうちに、ある先生のことを思い出した。この若い先生の研究は、僕が知っているある先生の研究と、非常に近いことに気づいたのである。

こういうとき、とても微妙な問題が生ずる。その若い先生に、僕の知り合いの先生の名前を出してもよいものか?もし、同じ専門分野の中で、その二人が仲が悪かったら、その先生の名前を出すことで、かえって若い先生の気を悪くすることになるからである。

…逡巡したあげく、会合が終わってから、その若い先生にご挨拶に行くことにした。

「今日のお話、とてもわかりやすくておもしろかったです」

「ありがとうございます」

僕は、「実はいまの職場にいる前は…」といって、「前の職場」の名前を出した。すると、

「ああ、S先生ですね!」

「そう!S先生です!S先生と研究分野が同じですよね」

「一緒に研究してますよ。今日のお話の中の一部は、S先生が明らかにされたことです」

「そうですか!僕は前の職場にいたときに、S先生とちょっとしたお仕事でご一緒する機会があったんですけど、今日のお話で、S先生のご研究を含めたこの分野の内容が、よくわかりました」実際のところ、S先生のご研究は、当時、僕にとっては難しすぎて、よくわからなかったのである。

「いまは退職されましたけど、研究はまだ現役でされておりますよ」と、その若い先生。

「そうですか。実は、S先生の娘さんと、僕の教え子が結婚しまして、最近双子が生まれたそうなんです」

「そうでしたか」

初対面で、専門分野のまったく異なる人だったが、ひょんなところで、つながりがあるものである。

まったく、人間の縁というのは不思議なものだ。

さて、都内での会合が終わり、夕方、お通夜に向かった。同業者の先輩が、亡くなったのである。

僕とは年齢がひとまわり以上離れた、大学の研究室の先輩なのだが、その先輩も僕も、口数が多いほうではないので、特別に親しいということはなかった。

ただ、ここ数年、その先輩と一緒に、「僕の実家のある町」の企画で、ある本を一緒に作っていた。その関係でたいへんお世話になったのである。

今年の5月末にその本が完成した。その過程についてはこのブログでも少し書いたことがあるが、その本作りはとてもたいへんなもので、その先輩の調整なくしては、予定どおりに完成しなかったと思う。

その先輩は、昨年の秋頃に体調を崩し、手術をした、と聞いた。

退院してしばらくしてから復帰したと聞いたので、ホッとした。今年の2月頃、僕はその先輩と一緒に、本の最終校正の作業をした。少しお痩せになっていたが、校正作業は、粛々とおこなわれた。そしてそれが、その先輩との最後の仕事となった。

5月末に本は完成したが、実はもう1冊、作ることになっていた。1冊目が完成し、さあこれから2冊目を作る準備にとりかかろう、という矢先に、先輩の訃報を聞いたのである。

あまりに突然なことで、びっくりした。僕は、すっかり復帰されたものだと思っていたからである。

僕は同業者のお葬式に参列するのが苦手なのだが、今回ばかりは、行かないわけにはいかない。

派手なお仕事をされた方ではなかったので、比較的こぢんまりしたお通夜のようにも思われたが、それでも、同業者が何人も参列した。

僕が苦手なのは、故人に最後のお別れをしたあとの、「通夜ぶるまい」の席である。そこには多数の同業者がいて、僕にとっては居心地が悪い場である。しかしまったく顔を出さないのも失礼だろうと思い、少しだけ顔を出すことにした。

久しぶりに会った人もいたようで、昨今の業界の話やら、仕事の話に興じていたりする様子が見られた。

もちろん、それも故人を供養することにつながると思うのだが、僕はどうしても、

「わたしの友は皆、厳しい光栄の中に生きてゐるだらう。

さうして私が死んだことなぞは、あんまり気にもとめないだらう」

という、堀口大學『月下の一群』におさめられた、フィリップ・ヴァンデルビルの「死人の彌撤」という詩を思い出してしまい、なんとも居たたまれなくなるのだ。

僕が死んでも、こんな感じになるのだろうかと思うと、憂鬱になり、そそくさとその場をあとにした。

あと1冊、一緒に本を作ることができなくなったことが、無念でならない。

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