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2019年11月

続・DDRだけが人生だ!

DDRだけが人生だ!

11月29日(金)

いよいよ明後日、日曜日が「西の町」でのイベントである。

自分の職場で行うイベントとは勝手が違うので、いろいろと心配事が多い。

当日に配布する冊子が、木曜日に完成した。当日のイベントでは、この冊子がなければ成り立たない。それだけに、力を入れて作成したのだが、あとは、この冊子が、当日までに確実に先方のところに届くかどうか、である。

「これから梱包して、『西の町』に送る予定です」と業者。

「明日(金曜日)中には着きますか?」

「大丈夫だと思いますよ」

だが、不安である。「西の町」は新幹線と在来線を乗り継いで4時間くらいかかる場所なのだ。たった1日でダンボール3箱分に納めた冊子300冊は、届くのだろうか?

気が気ではなく、眠れない一夜を過ごした。

そして今日の夕方、先方から「届きました!」と連絡が来た。ホッとした。

次に心配なのは、「当日の登壇者が急病になってしまったらどうしよう」ということなのだが、そこまで気に病むと、こっちが病気になってしまうので、これ以上考えるのはやめた。

最近は一事が万事、こんな感じで、DDRばかりしている。

いくつものイベントを請け負っているので、同時並行的にDDRを組んでいるのである。

日曜日のイベントが終わると、今度は次の木曜日も午後に、別のイベントが控えている。

「前の職場」の元同僚の二人が、学生10人くらいを連れてうちの職場を訪れるのである。

遊びに来るのではなく、授業の一環で来るのだから、こちらとしても、ちゃんとしたDDRを組まなければならない。

彼らが期待しているものの一つは、いま臨時営業しているお店を解説付きで見学することである。

僕はその臨時営業のお店には関わっていないので、僕が解説するわけにはいかない。関わった人に解説をお願いしようと考えた。

まずAさんに聞いてみたが、「その日は出張です」と断られた。

仕方ない。うちの職場は、その性質上、出張とか外勤が多いのだ。

Aさんがダメなら、あとはBさんしかいない。実はBさんは、いま臨時営業しているお店の店長なのである。だったら最初からBさんに説明をお願いしろよ、ということなのだが、なにしろBさんは忙しい方なので、頼みづらいところがあった。それで最初は、Aさんに頼んでみたわけである。

(Bさんは今日、職場に来てるかな?)

ホワイトボードの予定表を見ると、Bさんは木曜日は外勤の日らしい。

(木曜日は外勤か…。そういえば今日も木曜日だし、学生たちが来る日も木曜日だよな…)

これは絶望的である。だが、ダメ元で、Bさんにメールをしてみた。12月5日(木)の午後に、「前の職場」の学生たちが、授業の一環でうちの職場に来るのだが、ぜひ、いま臨時営業中のお店の解説をお願いしたいのだが、大丈夫でしょうか?と。

するとすぐに返信が来た。

「12月5日ですが、かなり限定的ではありますが、対応は可能です。

実は同日、朝にC市で、夕方にM区で外勤が入っています。一度職場に戻ってきますが、到着が11:30頃、出発が14:00頃です。

その上で、この間、このたびお世話になった会社の方へのご案内と、50人の団体さんへの解説(13:00〜)があります。

すこし離れ業かも知れませんが、13:00〜の団体さんへの対応の際に、学生さんにも同席してもらう、ということでどうでしょうか」

なんと!木曜日はBさんは終日外勤で、職場には来ないだろうと思ってダメ元で聞いてみたら、他の団体をご案内するために職場に戻ってくるから、そのときに学生さんたちにも同席してもらってはどうかというのである。これを「渡りに船」と言わずして、何といおう。というか、松本清張の「点と線」なみの時間トリックである。

おかげで、懸案事項を一つ解決できた。これが解決できれば、あとはこれに続くスケジュールを組めばよいだけの話である。

僕は元同僚にメールを書いた。

「12月5日(木)の午後の日程について、おおよそ固まってきたのでお知らせいたします。

いま臨時営業しているお店について、Aさんに説明をお願いしようと依頼したのですが、この日は出張とのことで断られてしまいました。

そこで、臨時店の店長をしているBさんに、(お忙しい方なので)ダメ元でお願いしてみたところ、12月5日(木)の午後1時に、団体さん50名ほどに向けて、臨時店の説明を20分ほど講義室でするので(というかこの時間しか空いておらず)、そこに同席する形ならば大丈夫とのことでしたので、そこに同席して、臨時営業の店の説明を聞くことにします。つまり、12時50分に到着し、受付で入館証を受けとったあと、そのまま講義室に行き、13時から店長による臨時店の説明を聞く、ということです。

それがだいたい20分くらいで終わると思うので、そのあと、控え室に移動し、不必要な荷物を置いて、次に舞台裏見学に移ります。これがだいたい30分くらいです。この見学については、事務方が対応してくれます。

舞台裏見学が終わるのが2時頃なので、控え室に戻り、少しだけ私がうちの職場の概略について説明をして、そのあと、臨時営業のお店を1時間ほど見て、少し休憩ののち、3時過ぎから、新装開店した常設店を見学します。全部のコーナーは説明できないので、自分が担当した店舗を中心に現場で解説いたします。

それでだいたい、閉店時間の4時半になるかと思いますので、控え室に戻って、ちょっとした意見交換や、翌日の予定などを確認してもらって、5時に出て駅に向かうのがちょうどよいかと思います。

以上のようなスケジュールでいかがでしょうか」

すると、さっそく元同僚からメールが来た。

「お忙しいところ、詳細な行程まで考えて頂いて恐縮の限りです。鬼瓦さんとともに仕事をしていた昔を思い出しました」

そのメールを読んで、僕も思い出した。

そうだった!俺は「前の職場」でも、同じようなことばかりしていた!

その元同僚と、あるイベントを企画したときも、同じようにDDRを組んでいたのだ!

してみると俺は、実はDDRを組むことが好きなんだろうか?

いや、そんなはずはない。世の中でDDRを組むことほど面倒くさいことはない。ましてやズボラな俺からしたら、DDRを組むことは、最も苦手な行為なのである。

そんな俺が、DDRに日々追われているのだから、呪われているとしか思えない。

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ブックカバーの話

本を買ったとき、ブックカバーをつけてもらうか、つけてもらわないかは、人によって好みが分かれると思う。

僕は、買ったときにはつけてもらい、その本を読み終わるとブックカバーをはずす派である。

高校時代の本好きの友人は、どうやらブックカバーを捨てない派らしい。

理由を聞くと、「ブックカバーを見ると、その本をいつ頃どこで買ったかを思い出すから」だという。

その友人は、高校時代に買った文庫本を今もたまに読み返すそうで、以前にその本を見せてもらったことがあるが、「東西書店」のブックカバーがかけられたままだった。

そのブックカバーのデザインをしばらくぶりに見た僕は、とたんに懐かしい気持ちになった。

僕の通っていた高校の近所には、「東西書店」と「増田書店」という二つのちょっと大きめな本屋さんがあって、高校時代はその二つの本屋さんをよくハシゴしていた。増田書店のブックカバーこデザインは忘れてしまったけれど、見たらきっと思い出すだろう。

なるほど、その友人からしたら、「東西書店」のブックカバーを見ればその文庫本を買った高校生の時の自分の気持ち、つまりどんな気持ちでその本を買ったのか、といったことを思い出すのかもしれない。

そう考えたら、ブックカバーは捨てたもんじゃない、というかむやみに捨てるもんじゃない。

めったに行かないのだが、家の近所の有名な繁華街のアーケード内に昔からある小さな老舗の古本屋のブックカバーのデザインは、なかなか凝っていて好きである。地元に対する郷土愛に溢れたブックカバーといったらよいか。本じたいを大切に守っている、という感覚になり、そこで買った文庫本は、読み終わってもブックカバーをはずすことができない。

してみると、愛着がわくようなブックカバーを提供する本屋は、本に対する愛着に溢れた本屋であるということを表明しているということなのかもしれない。

最近は、おしゃれなブックカバーも多い。同じ本を買うのでも、好みのブックカバーの本屋で買おうかな、と思う場合も少なくない。

ただ困るのは、ブックカバーの種類がいくつもあって、それを客に選ばせるシステムをとっている本屋である。

ある本屋は、10種類の色からブックカバーを客に選ばせている。

「お好きな色をお選びください」と店員はいうが、10種類もあれば目移りしてしまって、それを考えるだけでも疲れてしまう。で、一つの色を選んで、その色のブックカバーをつけてもらうと、「この色じゃないのがよかった」と、あとでひどく後悔するのである。ブックカバーひとつで、なぜこれほどまで思い悩まなければいけないのか。そうなるともう、本の内容が頭に入ってこなくなる。

ブックカバーひとつでも、僕の感情は浮き沈みするのである。


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来たメールを打ち返すだけの毎日

最近は、来たメールを打ち返すだけで一日が終わる。千本ノック的な毎日といってもいい。

たまに打ち忘れて返信が相当遅れたりすることもあるのだが。

その合間に、書類を作ったり会議に出たりしている。

おかけで駄文を書く時間がまったくとれない。「桜を見る会」とは正反対の、超お役所仕事的な書類作成の話を面白可笑しく書きたかったのだが、内容が複雑怪奇過ぎて順序だてて書く気力もない。

ていうかさー、何なんだあの「桜を見る会」の段取りのいい加減さは!(怒)あんな段取りが許されるんだったら、こっちもバッカみたいに書類なんか書かないっつーの!(怒)

まあそれはともかく。

ちょっと僕もイベントを請け負い過ぎていて、訳がわからなくなっている。注文を請けすぎて靴の納品が間に合わない花田優一みたいなものである。

…たとえがわかりにくい。

直近は、今度の日曜日に西の町で行うイベントである。

その町の市民を対象に、マニアックかつピンポイントな内容のお話をするのだが、チラシや冊子を、かなり力を入れて作った。あとは本番が無事に終わることを祈るばかりである。

定員90名の事前申込み制にしたのだが、すでに申込みは定員に達したという。

地元付近にしかチラシを配らなかったので、どんなイベントをやるのかすら、ほとんどの人には突き止められないだろう。

そういうアングラな感じのイベントが、好きである。

年明けから年度末にかけてもいろんなイベントを請け負っていて、同時並行的にメールが行き交っている。来たメールを打ち返してばかりいるのは、そのためである。

その他のイベントについては、またいずれ。

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中島敦の絵はがき

自分の仕事に関係する展覧会を見に行くべきなのかも知れないけれど、へそ曲がりというか、現実逃避というか、全然関係のない中島敦展を見に行くことにした。

周知のように、中島敦は33歳の若さでこの世を去るのだが、彼の短い人生に比して、生前の彼に関する資料が、実に数多く残されていることに驚いた。

とくに驚いたのは、南洋庁に赴任した彼が、自分の息子に向けてひっきりなしに南洋の絵はがきを送っていることである。

絵はがきに書くので、1回あたりのメッセージの量は少ない。

「けふ、とてもおいしいミカンとバナナをうんとたべたよ。大きくてあをいんだよ。それであまいんだ」

「ヤップ島でたべたバナナはとてもおいしかったぜ。さたうバナナって名前だってさ。あまいからだね」

「今やっとパラオに着きました。これからおりるところ。空はくもってゐます。とうとうふりだしました」

そのほとんどは、たわいもない報告である。やってることは、LINEと変わりない。もちろん、LINEのように素早く相手の元には届かないのだが、頻繁にはがきを書くということは、いまのSNSでやっていることと、基本的には同じなのではないだろうか。

なんてことはない。いまははがきを頻繁に書く習慣がなくなり、SNSに代わっただけなのだ。相手に伝わるスピードが速くなっただけで、むかしから、どんな遠い場所にいても、伝えたい人がいれば、なんとかして伝えようと手段を講じていたのである。しかもそれが苦ではなかったのだ。

SNSが発達した時代といわれるが、はがきを書かなくなった時代、ともいえる。

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ワンオペジェネレーション

11月20日(水)

日曜日から金曜日まで、妻が出張のため、僕が1歳7カ月の娘の世話をしなければならない。

実家の母に応援に来てもらっているから、正確には「ワンオペ育児」ではないんだけどね。

それでも、怠惰な僕にはかなりな冒険である。

朝8時に保育園に送り届け、夕方6時に保育園に迎えに行く。これだけは毎日守らなければならない。

で、その合間に職場に行くことになるのだが、すでに何度も書いているように、僕の通勤時間は、片道2時間半、往復5時間である。

午前8時から午後6時までの10時間のうち、実に半分の5時間が、通勤時間にとられてしまうのだ。

残りの5時間で職場の仕事を片づけなければいけないわけなのだが、5時間まるまる、ぶっ続けで仕事ができるわけではない。お昼ご飯も食べなければならないし、いつなんどき、電車が遅延するかもわからないので、帰りは少し時間的余裕をもって職場を出なければならない。

そんなこんなで、実質仕事ができるのは4時間ほどである。この4時間の中で、書類の作成やメールの返信、会議や打ち合わせをこなさなければならないのだ。

まさに時間との闘いである。

帰るときも、常に電車の運行情報をチェックする。もし、ふだん使っている電車が運転見合わせなどになった場合、他のルートを考えなければならないからだ。とくに最近は、電車がスナック感覚で遅延したりするので、何にも知らないでいるとたいへんなことになる。

保育園から帰ってきてから寝るまでが戦争。起きてから保育園に送り届けるまでが戦争。

1歳7カ月の子どもは、いわば怪獣と同じなのだ。怪獣を懐柔するのが晦渋な僕の使命である。

食事を食わせ、ウンチを出させ、お風呂に入れて、着替えをさせ、歯を磨かせ、寝付かせる。これでようやく、1日の闘いが終わる。

…と思ったら大間違い。日によっては、1時間おきに夜泣きすることもあり、気が抜けない。

それに、寝ている時を見はからって、手足の爪を切らなければならない。

赤ちゃんの爪は、はさみを使って切るのだが、指が細いので、指まで切ってしまわないか、不安でたまらない。びくびくしながら切っていると、額に玉のような汗が吹き出し、さながら手術中の執刀医を思わせる。

月、火、水と、いまのところ、時間どおり送り迎えができており、娘の健康も問題はない。

今日は「握手」という言葉を覚えてきたようだ。

夕食の時、「あくじゅ、あくじゅ」といって手をさしのべるので、何かと思ったら、握手をしたいということらしい。

握手をしたあと、ふんぞり返って夕食を食べる姿は、さながらふてぶてしい政治家風情である。

このところ、言葉を覚えるスピードが異様に速い。妻が出張から帰ってくるころには、ペラペラになっているのではないだろうか。

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公開1周年記念

11月17日(日)

今日から、妻が1週間出張のため、僕が娘の世話をしなければならない。

今日の午後は、イベントに参加することになっていた。

知り合いの若い映画監督による初ドキュメンタリー映画が映画館で上映されて1年が経ったことを記念したイベントである。公開当時、その映画のトークイベントをお手伝いしたことがあった

今年の8月、そのドキュメンタリー映画の舞台となった南の島で、上映会が行われたそうで、その報告会も兼ねている。さらに、映画の中で流れる南の島の音楽をウクレレ演奏するミニライブもあるという。

ぜひ来てください、とお誘いを受けたが、前述のような事情で、娘も連れていくことになった。

「ブロードウェイのある町」にあるお店が会場である。自宅からは、バスと鉄道を乗り継ぎ、ふつうならば40分ほどで着くような場所なのだが、ベビーカーに娘を乗せながらの移動ということになると、1時間くらいはかかることになる。

今日は気温が低いのにもかかわらず、大汗をかいて会場に到着した。

会場は、…これは致し方ないことなのだが…、乳幼児連れにはなかなか厳しいところで、娘にとってはかなり窮屈な場所だったことだろう。だが娘は泣きも騒ぎもせず、舞台で行われたトークイベントや、南の島での上映会の報告映像(20分程度)を黙って見ていた。

こっちは、娘がいつ愚図るのか気が気ではなくて、内容がほとんど入ってこなかった。

さて後半は、いよいよミニウクレレコンサートである。

そしたら、前半のトークイベントで力尽きたのか、娘が寝てしまった!ウクレレコンサートを聴いてもらいたかったのに!

さて、このドキュメンタリー映画のプロデューサーは、監督と同級生の、若いタレントさんなのだが、僕が唯一、知り合いと呼べる芸能人である!

タモさんは知り合いではないけどね

この方は、なかなか器用な方で、今年8月に行われた南の島の上映会にも同行し、その南の島で使われている言語をマスターしていた。さすが、以前にNHKの「中国語講座」に出演されていただけある!

そればかりではなく、ウクレレもマスターして、コンサートで披露していた。

実に器用な人だなあと、僕はすっかり感心してしまった。

イベントが終わると、その方は、僕の娘に気づき、近づいてきた。

「2018年の3月生まれなんですってね。監督から聞きました」

「ええ」

「うちの子が4月生まれなんですよ。1カ月違いですけど、学年は違ってしまいますね」

えええええぇぇぇぇぇ!!!

お子さんがいたのか!!

アイドルのような顔立ちとスタイルの方なだけに、まさかお子さんがいるとは思ってもいなかったのである。今日いちばんのビックリ。

イベント終了後、こぢんまりした懇親会が行われた。

僕は懇親会が苦手なので、帰ろうかとも思ったのだが、娘の夕飯をここで済ませてしまおうという魂胆で、参加することにした。

懇親会では、いろいろな出会いがあり、結果的に出てよかった。もう少しいろんな人と話をしたいなと思ったのだが、とにかく娘のことばかり気にかかって、お話しに集中できなかったが、いずれまた機会はあるだろう。

娘が愚図らないうちにと、早めにおいとまし、帰宅した。

たいしたことのない道のりのはずが、娘と二人だと、大冒険になる。娘も娘なりに気を遣い、すっかり疲れたのか、ぐっすり寝てしまった。

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俺以外全員ブラタモリ

たまに思い出したように、NHKの「ブラタモリ」という番組を見ることがある。「ブラタモリ」とは、タレントのタモリが、日本のいろいろな場所を巡るという旅番組である。「笑っていいとも」を引退してから、日本全国を行脚する番組を始めたタモリは、さながら伊能忠敬である。

そのとき、地元の人、あるいはその地元にゆかりの深い人が出てきて、タモリにいろいろと説明をするのだが、たまたまテレビをつけたら「ブラタモリ」をやっていた、というくらいの頻度で「ブラタモリ」を見ると、たいてい、僕の知り合いが地元の案内人として出演しているのである。

大学の先輩だったり、後輩だったり、仕事仲間だったり、会議などでご一緒したことがある人だったり。

もし毎回欠かさず見ていたとしたら、そうとうな数の僕の知り合いがタモリと会っている、ということになるだろう。

それだけではない。

高校時代の吹奏楽部の、同じサックスパートだった後輩に、アサカワというやつがいるのだが、アサカワは大学進学後、「ダンモ」といわれる「モダンジャズ研究会」に入り、ジャーマネ(マネージャー)をつとめたそうだ。

そのダンモは、歴史と伝統のあるサークルで、大大大大先輩に、タモリがいるという。タモリも、ジャーマネをつとめていた。

で、定期的に、歴代のジャーマネが集まる同窓会みたいなものがあるそうで、僕の後輩のアサカワは、そこでタモリとツーショットの写真を撮ったり、ちょっとしたセッションをしたり、なんてことがあるそうだ。

つまり高校時代の後輩も、タモリと面識があるというのである。もはやタモリは、「めったに会えないタレント」ではない。むしろ「最も会うチャンスのあるタレント」である。

しかしながら、おそらく僕にはその機会は、永遠に訪れないだろう。僕のまわりの知り合いだけが、これからもタモリと一緒に仕事をするのだろう。

むかし筒井康隆が、小松左京の『日本沈没』のパロディーとして『日本以外全部沈没』という小説を書いたが、それに倣えば、「俺以外全員ブラタモリ」という現象であるといっても過言ではない。

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絶望からはじめる

11月13日(水)

今日はぽっかり1日空いたので、明後日が最終日の展覧会を見に、新幹線に乗って西に向かった。今秋は仕事でその町に訪れる機会がなかったので、例年のように仕事のついでに見ることができず、展覧会を見るためだけに片道3時間以上かけて日帰りで出かけたのであった。とんぼ返りだったので、取り立てて書くこともない。

先日、是枝裕和監督の最新映画「真実」のメイキング番組を見た。カトリーヌ・ドヌーブが主演で、フランスのスタッフとキャストで制作した映画である。

最初に断っておくと、ぼくは是枝監督の映画を熱心に見てきたわけではない。ちゃんと見たことがあるのは、「幻の光」と「空気人形」と「海街diary」の3本くらいである。

知り合いの娘さんが、まだ大学を卒業して間もないのだが、映画の制作会社か何かに就職して、たまたま是枝監督の「万引き家族」の制作に関わって、…というか、下働きをしていたのだが、カンヌ映画祭に出品されることになり、なぜかその娘さんも是枝監督に随行することになり、そうしたらグランプリを取っちゃった、みたいな話を聞いたので、それからというもの、是枝監督を身近に感じるようになってしまった。

メイキングを見ていて、是枝監督はまじめな人だな、と思った。フランス映画界のしきたりに辛抱強くしたがいながら、映画を撮っていた。これが黒澤明監督だったら、絶対に途中で投げ出していただろう。

番組の中で、日本の映画界について聞かれ、「このままでは、若い作家たちが映画制作に絶望してしまう」と言っていて、「是枝監督はどうなんですか?」と問われ、「いつも絶望してますよ」と答えていたのが、なんてことのないやりとりだったのだが、印象的だった。

タモリに関する本を読んだときだったと思うのだが、「タモリの芸風は、すべてを絶望したところからはじまっている」みたいなことが語られていて、なるほど、タモリのあらゆる言動は、絶望が出発点となっていると考えれば納得がいくと、感じたのだった。

同じことは、是枝監督がさまざまなところでインタビューに答えている様子からも、感じていた。もちろんこれは、たんなる僕の印象に過ぎない。

是枝監督は、もともとテレビのドキュメンタリー番組の制作をしていた。

これもうろ覚えの話だが、たしか森達也氏の『日本国憲法』の中に、こんなエピソードがある。

フジテレビのドキュメンタリー番組の企画で、憲法をテーマに、是枝裕和氏と森達也氏がそれぞれ番組を作ることになった。ところが撮影までしていたのだが、さまざまな事情により、その企画はボツになってしまった、というのである。

ある時期、是枝裕和氏は森達也氏は、テレビのドキュメンタリー番組を作るディレクターとして肩を並べていた。

その後、是枝氏は劇映画の世界に移り、森氏はドキュメンタリー映画の世界にこだわり続けた。

ここからは、僕の勝手な妄想だが、この違いは、「是枝氏は絶望し、森氏はまだ絶望していない」という違いによるのではないだろうか。

…うーむ。ナンダカワカラナイ。それに、僕の解釈はまったくのお門違いで、是枝監督は絶望なんかしていないのかも知れない。

だがそれでもいいのだ。僕はとにかく「いったん絶望したところから、もう一度自分の生き方を見つめ直す」ということを、それを実践している(と思われる)人たちから一方的に学べば、それでよいのだ。

もちろん、絶望しない生き方を選択するに越したことはないかも知れない。ますますナンダカワカラナイ。

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影絵劇

11月10日(日)

保育園の父母会では、年に何回か「自主活動」というものをやっている。この日は、今年度2回目の「自主活動」だそうで、公民館で人形劇を見るという催しがあった。

50組ほどの申し込みがあったようで、公民館の畳の部屋は、保育園に通う家族たちで溢れていた。会費は500円だった。

事前にまったく情報を入れていなかったので、趣味で人形劇をしている団体が、乳幼児やその保護者を対象にしたゆるーい人形劇でもやるのかな、と漠然と思いながら、待っていたら、さにあらず。予想はいい意味で、まったく裏切られた。

まず、「人形劇」と思い込んでいたのだが、そうではなく、影絵劇といわれるものだった。

もうひとつ、趣味で行っている団体ではなく、れっきとした専門の劇団だった。しかも、60年以上の歴史を持つ老舗の劇団だというのだ。

公演時間の予定は45分とあった。

まずオープニングは、「手影絵」つまり手を使ったさまざまな影絵がメドレー方式で次々と走馬燈のように現れる。鳥とか狐とか犬とか、メジャーどころから、ペンギンやウサギ、蟹に至るまで、ありとあらゆる動物を手影絵で表現するのである。その表現力の豊かさに、すっかり驚いてしまった。

オープニングの手影絵メドレーが終わり、劇団員と思しき演者が登場する。男性と女性の二人である。

続いて、簡単にできる手影絵講座がはじまる。これは、僕たちが子どものころに漠然とならったことのある、狐とか、鳥とか、犬などの簡単な手影絵だが、乳幼児たちにとっては、初めての体験であり、しかも手を動かす楽しみもあり、けっこう盛り上がっていた。

そして最後は、「影絵劇」である。題目は「三匹の子豚」。スクリーンにプロジェクターを使って背景が映し出され、そのスクリーンの裏側に、子豚やオオカミの影絵が、縦横無尽に動き回る。劇団員の男性のほうが、ストーリーテラーになり、時にはオオカミの役や、子豚のお母さんの役など何役もこなしながら、スクリーンの前と裏側を行ったり来たりしている。女性のほうは、三匹の子豚の声色を変えながら、自在に演じ分けている。

とても二人だけでまわしているように思えないくらいの、クオリティーの高さである。

そして、開演から45分で、ピッタリと終演した。久しぶりに、プロ意識を垣間見た思いである。

影絵劇の専門の劇団があることにも驚いたが、ここに所属する劇団員さんたちは、いわば影絵劇一筋。いったいどういった経緯で、ふつうの演劇ではなく、影絵劇をめざそうと思ったのだろうか。なかなかめずらしい人生の選択である。

劇団のホームページが充実していた。劇団員一人一人のプロフィールや実績が細かく書いてある。それを見てわかったのだが、公民館に来た二人のうちの一人、男性のほうは、舞台部ではなく、なんと営業部の人だった。といっても、もともと舞台部に所属した役者さんだったらしく、舞台慣れしているのもうなずけた。

劇団のホームページの中に、興味深いページを見つけた。

ほら、東京五輪のポスターデザインで、最初に採用されたデザインに無断流用疑惑が出て、取り消された、ということが社会問題になったでしょう。

で、その際、そのデザインをしたデザイン事務所が、以前にもいろいろなデザインをいろいろなところからパクっていた、ということが問題になった。

この劇団の「手影絵」も、そのデザイン事務所が手がけたあるポスターのデザインとして、無断流用していたことが明らかになった、というのである。

どうやら当時、そのことがニュースになったらしく、被害の当事者である劇団が、実際に検証したところ、当劇団の劇団員による「犬」の手影絵を、そのままデザインにパクっている、ということが証明されたというので、その検証報告書が、劇団のホームページにアップされているのである。

この報告書が、実にすばらしい。

何がすばらしいといって、自分たちが長年積み重ねてきた「手影絵」に対する誇りと愛に満ちているのである。

「影絵は輪郭こそが命であり、表現です。これは著作物性を充分感得できるものであると私たちは主張します。この「犬の手影絵」は基本的には江戸時代の文献にも見られる、日本ではごく一般的なものに見えますが、実は当社独自の工夫の加わったもので、伝統的なだけのものとは違うという事も言添えておきたいと思います。  
   
現在の日本の著作権法は非常に不備の多いものです。私たちが多年にわたって積み重ねてきた「影絵」の「著作物性が低い」と判断されるとしたら、これは大変心外な事です」

これは、

「なぜ、ふつうの演劇ではなく、影絵劇というマイナーなジャンルをめざそうと思ったのだろう?」

という先ほどの疑問に対する、答えのようにも思える。

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ソファーで寝ると、なぜ気持ちいいのか

通勤時間が異様に長いので、電車の中ではもっぱらラジオクラウドを聴いている。

最近のお気に入りは、文化放送の「大竹まこと ゴールデンラジオ」である。

水曜日にレギュラー出演している芸人のいとうあさこが、番組のオープニングで、こんなことを言っていた。

一人暮らしをしている部屋で、毎日、テレビを見ながらお酒をぐでんぐでんになるまで飲んでいると、つい、ソファーで寝てしまう。ソファーで寝るのがあまりにも気持ちよくて、別の部屋のベッドで寝る気が起きない。しかし、ソファーで寝ていると、からだが曲がったままで寝ていたりするので、本当はあまり身体によくない。だからいまは、ベッドで寝るためのトレーニングをしている。

…あたかも、飼い猫がトイレの場所で用を足せるように躾けるかのような感じで、自分自身をベッドで寝るように躾けているような言い方だったので、思わず笑ってしまった。

そこから、「どうしてソファーで寝ると気持ちいいんでしょうかね」という話題になり、出演者の一人、文化放送のアナウンサーの太田英明氏が、

「最近は、寝入りばなにベッドの背を上げ、熟睡するとフラット状態になるように自動的に動くベッドが開発されたそうです」

という情報を提供した。

なんでも、「寝るときにベッドの背を上げるとリラックスしやすくなり、フラット状態になると熟睡するために必要な自然な寝返りが打てるようになる」からだそうだ。

なるほど。それでわかった。

ソファーで寝るときは、たいてい、肘掛けに頭を乗せたり、さらにクッションを置いた上に頭を乗せて横になることが多い。つまり、頭の位置が高くなるのである。

寝入りばなには、この体勢がちょうどよいのだ。

ところが、この状態をずっと続けていると、熟睡ができなくなる。熟睡をするためには、寝返りを打ちやすいフラットな状態がよいのである。

「ソファーで寝るのは気持ちよいが、熟睡はできない」という理由は、このようなメカニズムによるものであろう。

あるいは、「うっかりソファーで寝てしまったが、熟睡ができないので、しっかり寝ようと思って別の部屋のベッドに移動して横になったが、そのとたん、眠れなくなってしまった」という現象も、これで説明できると思う。…って、これは俺だけか?

さらに、思いあたるのは、うちの娘である。

1歳半を過ぎたが、いまだに、抱っこをして歩きまわらないと、眠りにつかない。いきなり布団の上に横たわらせても、まったく寝つけないのだ。

これもまた、寝入りばなは頭が高い位置にないと眠りに入りにくい、という法則によるものではないだろうか。

…ま、どうでもいいといえばどうでもいい話なのだが、これは大発見なのか、それともよく知られたことなのか、よくわからなかったので、とりあえず書きとどめておく。

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母の友人、大河ドラマの登場人物になる

NHKの大河ドラマ「いだてん」がいよいよ最終章に入りました!戦後編です!

来年開催予定の東京五輪はあんな感じだし、出演者は次々と問題を起こすし、視聴率は低いしと、さんざんな目にあっている「いだてん」ですが、脚本家・クドカンの最高傑作であることは間違いないし、主演の阿部サダヲの演技は、全盛期の渥美清や西田敏行を彷彿とさせるキレッキレの演技であることも間違いのないことである。

先日見た回では、1964年の東京オリンピックで金メダルを取った「東洋の魔女」ことバレーボールの選手たちが、満を持して登場した!

この中の一人が、実は、僕の母の友人なのである。正確に言えば、中学のバレー部の1年先輩である。

僕の母は、中学生の時からバレーボールを始めた。こういっちゃあアレだが、ド田舎の中学校である。

バレー部の1年先輩に、のちに東京五輪で「東洋の魔女」と呼ばれる選手の一人がいたのである。

僕はその人の名前を母から聞いていたので、「いだてん」のオープニングで流れる登場人物に、その人の実名が出て、さらにその人物を演じる人の名前が出てきたのを見て、少し感動した。

だってすごくないですか?母の友人が大河ドラマの登場人物の一人ですよ!歴史的人物といってもいい。ちなみに言うと、その方は、3年ほど前に亡くなっている。

僕は、「東洋の魔女」に関する予備知識がまったくないままに、「いだてん」を見ていたのだが、「鬼の大松」こと大松監督が、関西弁を話している。実業団チームの日紡貝塚というのが、大阪にあるらしい。

だが、僕の母は、大阪出身ではなく、関東出身である。もちろんその1年先輩も、関東出身である。

いろいろと気になったことがあったので、「いだてん」を見終わってから、母のところに電話をして聞くことにした。

「大河ドラマ、見た?」

「見てない」

「見ろよ!東洋の魔女が出てるぞ!次の土曜日の午後に再放送があるから、絶対に録画して見るように」

「わかった」

「中学の1年先輩の人の名前も出てたぞ」

「あら、そう!」

さあそこから、その人の話題で話が止まらなくなる。

かいつまんで言うと、こういうことらしい。

母も、その1年先輩のその人も、バレー部で一緒に練習をしたり試合に出たりしていた。おそらくそのバレー部は、ド田舎の中学ながらも、けっこうな成績を残していたのだろう。

1年上の先輩は、卒業後もバレーを続けたいと思っていたが、家庭の事情で、家があまり裕福ではなかったため、高校に進学することを断念し、大阪にある日紡に入社し、実業団チームの日紡貝塚に入部した。

しかし、大松監督から、「高校バレーを経験しておいたほうがいい」と言われ、入社から1年後に、会社からの資金援助を得て、大阪の高校に入学した。そして高校卒業後、あらためて日紡に入社した、というのである。「東洋の魔女」の中では、その人が最年少だったという。

オリンピックに出た後、大阪の呉服問屋さんのところに嫁いだそうだ。息子さんもオリンピック選手として活躍したという。

晩年、その人は、母校の中学校で講演をした。そのとき、僕の母も聴きに行って、友人たちとお金を出し合って、記念品を贈呈したのだという。

1年先輩だったその人は、中学の時から、だれもが認めるバレーボール選手だったのである。同じバレー部にいた僕の母も、そうとうレベルの高い選手だったと推察される。母も中学卒業後、数々のプロスポーツ選手を輩出する県内の高校でバレーボールを続けたのだが、自らの才能に見切りをつけ、高校卒業後はバレーボールをやめてしまった。

「東洋の魔女」はほんの一握り。その背後には、母のような女子バレーの選手が大勢いたのだろう。

さて、その1年先輩の選手というのは…。

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7年ぶりの再会

11月3日(日)

こぶぎさん、大正解です!

焼きそばを食べたお店の場所まで当てちゃうんだからなあ。それよりなにより、これから書こうと思っていた話の場所まで当てちゃってる。もはやクイズを出す前に正解を出す、という域にまで達しているのだ。

さて、昨日の続き。

帰りの新幹線の時間までに、1箇所、訪れたいところがあった。

昨日の昼に焼きそばを食べたお店のあった観光村に、県の公共施設があって、そこに、「前の職場で一緒に仕事をしたSさん」が勤めているのである。

Sさんとは、「前の職場」でいろいろな仕事をご一緒したが、7年前に、こちらの公共施設の正職員に採用され、この地に旅立った。それ以来、会っていない。

その公共施設をいつか訪れますよと約束していたのだが、訪れる機会のないまま、7年が過ぎたのである。

もともと、おいそれと行けるような場所にはなかったのだが、今回たまたま、この公共施設のある町に宿を取ったので、時間を見つけて訪れてみようと思ったのであった。

前日の夜の懇親会で、幹事のSさんが、「鬼瓦さんは、明日の帰りの新幹線の時間までに、どこか行きたいところはありますか?」というので、

「お昼に焼きそばを食べた観光村に、公共施設があるでしょう」

「ええ」

「今日は時間がなくて立ち寄れなかったのですが、そこに行きたいんです」

と答えた。

「わかりました。では車でご案内します」

「いいんですか?バスで行こうと思っていたんですが」

「大丈夫です。Tさんも同じ新幹線でお帰りになるので、3人で行きましょう」

ということで、幹事のSさん、南の町から来たTさんと3人で、翌朝、町のはずれにある観光村の公共施設を訪れることになった。

しかし、今日は日曜日。しかもまったくアポを取っていないので、Sさんが職場に来ているかどうかもわからない。

それに、7年ぶりに再会できたとしても、

「はて、どなたでしょう?」

と訝しがられる可能性もある。

ダメ元で、受付に

「あのう…ここにつとめておられるSさんは、今日いらっしゃるでしょうか」

とたずねたところ、

「はい。いまお呼びします。どちら様でしょうか」

「鬼瓦といいます」

「わかりました」

と内線をつないでくれた。

「いまこちらに来るそうです」

しばらくして、

「あ~、鬼瓦先生!」

というかん高い声が聞こえた。

「びっくりしました。『鬼瓦さんという方が来ています』とだけ言われて、『鬼瓦さん…?もしや…』と思ったら、まさか本当に鬼瓦先生だったとは…!」

そりゃあそうだろう。突然来たんだから。

「どうしてこちらにいらしたんですか?」

僕はかくかくしかじか、と事情を話した。

「帰るまでの時間にここを訪れようと思って。日曜日なのでいないかも知れない思いながら、ダメ元で来てみたんです。1時間ほどしか時間がないんだけど」

「たまたま今日は出勤日だったんです」

公共施設の中を歩きながら案内してもらいつつ、Sさんは1時間ほど、堰を切ったようにいろいろなお話しをした。

さあそろそろ帰ろうか、というときに、

「鬼瓦先生!」

と呼ぶ声がした。

「前の前の職場」の教え子だった、旧姓Fさんである

昨年10月、この近くの町で講演会をしたときに、旧姓Fさんが聴きに来てくれたので、旧姓Fさんとは1年ぶりである。そのとき、Fさんがいまこの公共施設で働いていることを聞いたのだった。

「Fさんも今日、出勤日だったの?」

「ええ。鬼瓦先生が来ているという噂を聞いて、飛んできたんです」と、息を切らしながら言った。

しかも旧姓Fさんは、以前はこの町の職員である「幹事のSさん」のもとで働いたこともあったようで、幹事のSさんとも知り合いだったのだ。

それだけではない。

僕は、この近くの町にある調査事務所のYさんと、昨年来、何度か一緒に仕事をしているのだが、「前の職場で一緒を仕事をしたSさん」は、そのYさんと仕事を通じて知り合いになり、来年1月に、その調査事務所主催の講座で講演をするそうだ。

もうこうなると、人間関係が複雑すぎてワケがわからない。誰か人物相関図を書いてくれないか?

「前の前の職場の教え子だった旧姓Fさん」と「前の職場で一緒に仕事をしたSさん」が、いま同じ職場で働いていて、以前、旧姓Fさんが「この町につとめる幹事のSさん」のもとで働いていたことがあって、「前の職場で一緒に仕事をしたSさん」と、昨年来僕とたびたび一緒に仕事をしている「近くの町の調査事務所のYさん」とが、今度一緒に仕事をする。で、「幹事のSさん」と「調査事務所のYさん」と僕が、同じ業界の人間として、何度か一緒に仕事をしている。

…ま、俺だけがわかっていればいいか。

あっという間に帰る時間となり、「じゃあまた」といって、僕は幹事のSさんの車に乗って駅に向かった。

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ご当地グルメ2択

11月2日(土)

前日の晩、新幹線と在来線を乗り継いで、自宅から5時間ほどかけて、北の町に到着した。

この町に宿を取るのは、10年以上ぶりくらいである。

翌朝、駅前に集合し、10人ほどの同業者と貸切バスに乗って、まる一日、「大人の遠足」である。昨年は、南の町を訪れたので、今年は北の町になったのである。

お昼は、町の中心部から少し離れたところにある、観光施設のようなところで、昼食をとることになった。

さて、お昼は何を食べよう?

今回の幹事のSさんは、この町の出身で、いまもこの町につとめている。Sさんに聞くのが間違いない。

「この町の名物は、焼きそばと、ラーメンと、うどんです」

「そうですね」

「うどんは、この県の名物の一つと言われていますが、もともとは、この町に元祖があります」

「そうなんですか」

僕はこのうどんが好きで、この県を訪れたときには、しばしばおみやげに買って帰るのだが、そういう意味ではいつも食べているから、今回の選択肢からははずすことにした。

「この町といえば、焼きそばですよね」

「ええ。でもラーメンも有名です。細い縮れ麺で、スープもあっさりしています」

「そうなんですか?」

僕はとたんに迷ってしまった。焼きそばを食べるつもりでいたが、話を聞いてみると、ラーメンも捨てがたい。

「一つ、注意点があります」

「何でしょう」

「焼きそばも、ラーメンも、この町では、おやつ代わりに食べるものなんです」

「そうなんですか?」

「ええ。なので、ふつう盛りが少なめに設定されています。昼食として食べる時には、大盛りにした方がよいです」

「なるほど」

「それと、焼きそばの食べ方についても注意点が」

「何でしょう」

「焼きそばは、出されたそのままを食べるのではなく、そこにソースをかけ足して食べるのが、この町の焼きそばの食べ方です」

「追いソース、ですか?」

「ええ。この町では、みんなそういう食べ方をします。とくに上に乗っかっている目玉焼きの黄身をめがけて、ソースをかけるのです」

「なるほど」

「できれば、びちゃびちゃになるくらいかけた方がいいです。つけ麺感覚で」

「わかりました」

「もしこの町の焼きそば屋さんに行って、焼きそばと一緒にソースが出てこなかったら、馬鹿にされていると思ってかまいません」

なんと、それほどまでに、「追いソース」へのこだわりが強いのか…。

さて、焼きそばにするか、ラーメンにするか…。

「細い縮れ麺のあっさりスープ」は、「前の前の勤務地」のご当地ラーメンとも近い感じがしたので、なんとなく味の予想がつく。やはり、ここは焼きそばだろう。

言われた通り、親の仇、ってくらい、目玉焼きの黄身の上に、ソースをかけてやったぜ。

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フロマンタン

11月1日(金)

午後に保育園の「もみじ組」の懇談会があるという。「もみじ組」は、1歳児クラスである。

平日の、午後3時から5時という、中途半端な時間に行うという。妻は仕事でどうしても行けないし、僕は、この日のうちに新幹線と在来線を乗り継いで5時間近くかかる北の町にたどり着かなければならなかったのだが、午後7時20分発の新幹線に乗れば、日付が変わる前にその町到着できることがわかったので、懇談会に出ることにした。

保育園の、懇談会が行われる部屋に行ってみると、参加人数は僕を含めて4人。僕以外はみんな「お母さん」である。

そりゃあそうだ。平日の午後に懇談会をやりますといわれても、仕事を持っている人はおいそれと参加できるわけではない。

こぢんまりした雰囲気の中で、懇談会が始まった。

最初に、栄養士さんが、ふだん子どもたちが食べているお菓子を持ってきた。試食してみてください、という。栄養士さんが独自に開発したものらしい。

「みなさんご存じの、○○○○○○みたいなお菓子です」

「ああ、なるほど」

…と、僕以外の人はうなづいたのだが、僕が初めて聞く、洋菓子の名前である。

最近は、初めて聞くカタカナの言葉が、なかなか覚えられなくなってきている。

1回聞いただけでは、名前が覚えられないのだ。

「食べていただくとわかると思うんですけれど、子どもたちに出しているものは、大人がイメージする○○○○○○とは、ちょっと違うかも知れませんね。見た目も違うでしょう?」

「そうですね」

いやいやいや、だから、俺はその洋菓子のことはまったく知らないのだ。

いったいこのお菓子は何なのだ???

何度か聞いているうちに、「フロマンタン」と言っているように聞こえた。

「風呂満タン」???お風呂がお湯で溢れている映像が浮かんだ。

1回そう聞こえてしまうと、もうそうとしか聞こえない。

「作り方を説明します。まず、熱したフライパンに、バターとマシュマロを溶かして、そこにコーンフレークを落とします。しばらくすると、コーンフレークどうしがくっついて、見た目がフロマンタンみたいになるのです」

もとのお菓子がどんなものかわからないので、見た目が似ているのかどうかもわからない。

「子どもたちは、このお菓子が大好きで、これを出すと喜ばれます。このお菓子が嫌いな子どもはいません」

と栄養士さんは断言した。

実際に試食してみると、たしかに美味しいのだが、ちょっと子どもたちには甘すぎやしないかなあというのが気になる。でもまあ、だからこそ子どもに人気なのかも知れない。

懇談会は5時に終わった。もう、さっきのお菓子の名前が出てこない。

(さっきのお菓子の名前、何だったっけなあ…)

必死に思い出して、「フロマンタンだ!」と思いだした。

いや、正確に言えば、「風呂満タン」みたいな名前のお菓子だったぞ。

「洋菓子 フロマンタン」でインターネット検索をしてみると、

「フロランタン」

という名前が出てきた。

先ほどのお菓子の正式名称は、「フロランタン」だったのだ!!

「風呂らんたん」(らんたんは提灯の意)という語呂で、覚えておこう。

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