絶望からはじめる
11月13日(水)
今日はぽっかり1日空いたので、明後日が最終日の展覧会を見に、新幹線に乗って西に向かった。今秋は仕事でその町に訪れる機会がなかったので、例年のように仕事のついでに見ることができず、展覧会を見るためだけに片道3時間以上かけて日帰りで出かけたのであった。とんぼ返りだったので、取り立てて書くこともない。
先日、是枝裕和監督の最新映画「真実」のメイキング番組を見た。カトリーヌ・ドヌーブが主演で、フランスのスタッフとキャストで制作した映画である。
最初に断っておくと、ぼくは是枝監督の映画を熱心に見てきたわけではない。ちゃんと見たことがあるのは、「幻の光」と「空気人形」と「海街diary」の3本くらいである。
知り合いの娘さんが、まだ大学を卒業して間もないのだが、映画の制作会社か何かに就職して、たまたま是枝監督の「万引き家族」の制作に関わって、…というか、下働きをしていたのだが、カンヌ映画祭に出品されることになり、なぜかその娘さんも是枝監督に随行することになり、そうしたらグランプリを取っちゃった、みたいな話を聞いたので、それからというもの、是枝監督を身近に感じるようになってしまった。
メイキングを見ていて、是枝監督はまじめな人だな、と思った。フランス映画界のしきたりに辛抱強くしたがいながら、映画を撮っていた。これが黒澤明監督だったら、絶対に途中で投げ出していただろう。
番組の中で、日本の映画界について聞かれ、「このままでは、若い作家たちが映画制作に絶望してしまう」と言っていて、「是枝監督はどうなんですか?」と問われ、「いつも絶望してますよ」と答えていたのが、なんてことのないやりとりだったのだが、印象的だった。
タモリに関する本を読んだときだったと思うのだが、「タモリの芸風は、すべてを絶望したところからはじまっている」みたいなことが語られていて、なるほど、タモリのあらゆる言動は、絶望が出発点となっていると考えれば納得がいくと、感じたのだった。
同じことは、是枝監督がさまざまなところでインタビューに答えている様子からも、感じていた。もちろんこれは、たんなる僕の印象に過ぎない。
是枝監督は、もともとテレビのドキュメンタリー番組の制作をしていた。
これもうろ覚えの話だが、たしか森達也氏の『日本国憲法』の中に、こんなエピソードがある。
フジテレビのドキュメンタリー番組の企画で、憲法をテーマに、是枝裕和氏と森達也氏がそれぞれ番組を作ることになった。ところが撮影までしていたのだが、さまざまな事情により、その企画はボツになってしまった、というのである。
ある時期、是枝裕和氏は森達也氏は、テレビのドキュメンタリー番組を作るディレクターとして肩を並べていた。
その後、是枝氏は劇映画の世界に移り、森氏はドキュメンタリー映画の世界にこだわり続けた。
ここからは、僕の勝手な妄想だが、この違いは、「是枝氏は絶望し、森氏はまだ絶望していない」という違いによるのではないだろうか。
…うーむ。ナンダカワカラナイ。それに、僕の解釈はまったくのお門違いで、是枝監督は絶望なんかしていないのかも知れない。
だがそれでもいいのだ。僕はとにかく「いったん絶望したところから、もう一度自分の生き方を見つめ直す」ということを、それを実践している(と思われる)人たちから一方的に学べば、それでよいのだ。
もちろん、絶望しない生き方を選択するに越したことはないかも知れない。ますますナンダカワカラナイ。
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コメント
絶望したと言ってる人は絶望なんかしていない。という哲学者もいますが、人間は絶望できるんだから、死に至る病に陥らないでどうにかしなさい。というキルケゴールの方が個人的には共感できる。
超意訳したんで、解釈間違いかもしれませんが。
ただ、絶望していない。気づいていない。のか絶望を自覚した上で自分の道を進んでいるのかは周りから見たら判断できないよなあと思ったり。
以上国民から罵倒されるグループ会社社員が絶望のふちからお送りしました。
投稿: 江戸川 | 2019年11月14日 (木) 08時02分
江戸川君ありがとう。このナンダカワカラナイ文章に反応してくれるのは江戸川君だけです。
投稿: onigawaragonzou | 2019年11月18日 (月) 00時18分