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寅と清と田所と

12月28日(土)のアクセス数が、ふだんの10倍にまで跳ね上がり、ビックリした。

その翌日の29日(日)は、少し減ったが、それでも、ふだんの6倍のアクセス数である。

なんだなんだ?記事が3000本に到達したことが、巷でそんなに話題になっているのか?

…と思ったが、そんなはずはない。

アクセスの最も多い記事が、2012年に書いた「被害妄想の教科書」であることがわかり、なるほど、そういうことか、と思った。

前日の12月27日(金)に、山田洋次監督の映画「男はつらいよ お帰り寅さん」が封切りになったことが関係しているのではないだろうか。

「被害妄想の教科書」は、「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」に出てくる名シーン「メロン騒動」について書いたものである。新作の寅さん映画を見た人が、たまたま検索をしたら、このブログに引っかかった、ということなのではないだろうか。

試みに「寅次郎 メロン」で検索をかけてみると、上から2~3番目に、このブログが登場する。「メロン騒動」は「男はつらいよ」の中でも屈指の名エピソードだから、これに触れているサイトはいくつもあるのではないかと思うのだが、なぜかこのマイナーブログが検索の上位に出てきてしまうのである。

ちなみに「寅のアリア」で検索をかけてみても、上から3番目くらいにこのブログが登場する。「寅のアリア」もまた、「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」の中の名シーンである。ある場面における寅次郎の語りが、まるでアリアのような美しい独唱のように聞こえるから、そう名付けられているのだ。

それにしても、これだけのアクセス数になったのは、ヨン様について書いた時以来である。2回目に書いた時は、ヨン様ファンの方がご自身のブログで紹介して下さったほどである

そう考えると、ヨン様と寅さんの人気というのは、目を見はるものがある。

僕は一時期、このブログで、寅さん映画評をせっせと書いていた。けっこう気に入っているのは、「映画的余韻」「不遇と共感」という記事なのだが、この記事はあまり読まれてはいない。

最近は、「寅さん」からすっかり遠ざかってしまった。このブログの読者の中には、寅さん映画が苦手だ、という人がいるのではないか、という思いにとらわれたことと、なにより自分自身が、劇中の寅さんのことを「なんという人格破綻者だ」と思うようになり、いまや僕の古びた時代感覚からしても、寅さん映画は遠い過去のものになってしまったことによる。

しかし、渥美清という役者に対するリスペクトは、いまも続いている。最近は早坂暁さんのエッセイ集『この世の景色』を読んで、渥美清に対する新たなリスペクトが生まれたといってもよい。

渥美清は、3つの名前を持っていた。

芸名としての渥美清。

役名としての車寅次郎。

そして、本名としての田所康雄

おそらく本人の中では、それを使い分けていたはずである。映画の中では、渥美清でも田所康雄でもなく、車寅次郎だった。あたりまえのことだが。

だが、ときおり寅さん映画を見ていると、ややこしい場面に遭遇した。

なんの回だったか忘れてしまったが(「寅次郎夢枕」だったか…)、米倉斉加年演じる気弱な男に対して、「キヨシ」と名前を呼ぶシーンがある。その男の名は本当は「キヨシ」ではないんだが、なにかのはずみで寅次郎がその男のことを「キヨシ」と呼んだのである。たぶん渥美清のアドリブなんだろうが、僕はその場面を見たとき、「キヨシはあんただろ!」と、なぜか可笑しくて仕方がなかった。

また、「男はつらいよ 葛飾立志編」には、小林桂樹が田所という役名で出てくる。田所というのは、ご存じの通り映画「日本沈没」で、小林桂樹が演じた偏屈な博士の役名である。つまりパロディーとして、「男はつらいよ」でもこの役名をつけたのである。

寅次郎が、小林桂樹に対して「田所先生」と呼んでいたのが、そこはかとなく可笑しい。「田所は、あんたでしょう」と。

役名と芸名と本名がグッチャグチャに入り乱れ、虚実の皮膜が一瞬垣間見られる感じが、好きだったのだが、この感覚は、たぶん誰にもわかるまい。自分で書いていても、ナンダカワカラナイ。

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