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2020年1月

人間ドック初体験

1月30日(木)

なんとビックリすることに、この年齢になって、人間ドック初体験である!

いままでは職場で年に1度行われる定期健康診断を受診していたのだが、これが憂鬱ったらありゃしない。しかも、深刻な病気については、まったく見抜けないものであることがわかった。

ということで、今年度は、外部の病院で人間ドックを受診することにしたのである。

しかし、やるべきことというのは、職場の健康診断とさほど変わらない。

事前に2回ほど、採便をしなければならないことは、職場の健康診断でも同じである。

採便について、いつも頭を悩ませていることについては、以前に書いたことがある。今回も、当日までに2回の採便がうまくできるかが心配で、職場に採便キットを持っていって、いつでも採取できるような臨戦態勢をとった。

採尿については、自宅で当日の朝の一番尿をとるということで、これについては問題なかった。

ということで、採便、採尿の準備は完璧である。

あとは当日、指示された通りに検査を受ければいいだけである。

検査メニューもこれまた、職場とほぼ同じだった。視力とか聴力とか心電図とか。これだったら職場の健康診断がタダなのだから、わざわざ人間ドックに行く必要もないのかな、と思ったのだが、大きな違いは、「周りに知り合いがいない」ということである。職場の健康診断だと、まわりに知り合いばっかりがいるので、自分の健康状態に関する個人情報がダダ漏れな感じがするのだが、知り合いがいないと、気楽に受診することができる。

もう一点、大きな違いは、今回初めて体験した、胃カメラである。

胃カメラこそは、人間ドックのいちばん最後にして最大のイベントである。事前の申請段階では、鼻からカメラを入れるのを望んだのだが、同じ病院で人間ドックを受診したことのある妻が、「口からカメラを入れても全然痛くない。口から入れるカメラのほうが高解像度だし」とアドバイスをもらって、当日になって、口からカメラを入れるタイプに変更した。

実際、麻酔や鎮痛剤などのおかげで、あっという間に終わった感じだった。

で、結果のほうは…。

ま、ブログでこの話題をとりあげたことからもわかるように、「何も異常なし」という結論だった。

「食道も胃も十二指腸も、きれいですねえ」と。

ひとまず安心したのだが、それにしても不思議である。

2年前、生きるか死ぬかの大病を患い、いまも闘病中なのに、そんなことはまったく関係ねえ!とばかりに、人間ドックの結果は「問題なし」と出たのである。

…ということは、人間ドックでも見つからない重篤な病、というのが、この世にはいくつも存在するのだ。

過信は禁物、である。

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キーマカレー

1月29日(水)

何度も言うが、僕は断じて「イクメン」ではない!

世のイクメンの方に失礼である。

家に帰ってから一緒にお風呂に入ることがせいぜいなのである。まことにダメな父である。

今日は、母親の帰りが遅いというので、父親の僕が保育園に迎えに行き、夕食を食べさせたのであった。

夕食、といっても、昨日に作り置いていたキーマカレーである。

1歳10カ月になる娘は、さながら怪獣である。言葉も覚えてきたせいか、好き嫌いをはっきり言うようになった。

ショックなのは、父親が抱っこしようとすると大泣きして、母親の抱っこで泣き止むことである。

これはけっこう精神的にまいる。

今日も、保育園にお迎えに行って、自宅に着いたら、母親がいないことに気づいて、

「ママは?」

と、つまらなそうに聞いてきた。「ママ」とは言うが、「パパ」とはまだ言わない。これもまたショックである。

なんとか夕食のキーマカレーを食べさせて、「ごちそうさまでした」と言わせて、ようやくこっちがキーマカレーにありつける、と、食べ始めたとき、娘が僕のところに近づいて離れようとしない。

不思議である。いつもなら、そんな甘ったれた様子で近づいてきたりしないのだ。

とうとう軍門にくだったか!と思いきや、さにあらず。

「あれ?…ウンチしたでしょう?」

「うん」

「おむつ替えてほしいの?」

「うん」

といって、おむつのある場所に走り去って、おむつを一枚とってきた。

なあんだ。屎尿処理をしろってか!

おむつを明けてみると、たしかにこれではさぞ居心地が悪かっただろう、と思われるような屎尿の量である。

とくにこんもりしたウンチのほうは、いま食べ始めたキーマカレーと同じ質感である。

なんとかおむつを替え終わり、再び食卓についた。

目の前にあるキーマカレーを食べる勇気たるや…。

よく、このテの話を書くと、「お食事中の方はごめんなさい」と謝ったりするけど、僕は謝りませんよ。だって、食事中に起こった出来事なんだから。

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可及的速やかな対応

1月28日(火)

職場では、殺人的なスケジュールである。

午前中の会議、12時に終わる予定が終わらず、結局12時45分までかかってしまった。

午後の会議は1時半からである。その間に、昼食をとって、メールの返信やらたまっていた書類やらを書かなければならない。

昼食用に買ったコンビニのおにぎりを食べ終わったところで、仕事部屋に内線で電話がかかった。

「総務課のAですけれど、いま、お時間大丈夫でしょうか」

「ええ、まあ」

「いまからそちらにうかがってもよろしいでしょうか」

「はぁ」

なんといっても、総務課からの電話がいちばん恐い。なんか怒られるのかなあ。用件を言ってくれないだけに、なおさら恐い。

ほどなくして総務課のAさんがやってきた。

「あのう…鬼瓦先生にお願いがあって来ました」

「なんでしょう?」

「いま、中国で、新型コロナウィルスが問題になっているじゃないですか」

「ええ」

「うちは、海外からのお客さんもたくさん来ます」

「そうですね」

「そこで、お客さんに対して、新型コロナウィルスに対する注意喚起の掲示をしようと思っておりまして」

「なるほど」

「日、英、中、韓の4カ国語で表示しようと思うのですけれど、韓国語の部分の翻訳をお願いできますでしょうか」

そういうと、エクセルの表を打ち出したA3サイズの紙を僕に見せた。注意喚起の文章が、4カ国語による対照表の形になっていた。

「すでにできてるじゃありませんか」と僕が言うと、

「いえ、これは、課長がたたき台として翻訳したもので、…どうやら、インターネットの翻訳サイトで自動翻訳したものみたいなんです」

「ちょっと拝見」

最初に目についたのが、

「手洗いをこまめに行いましょう。」

という文章。対応する韓国語訳をみると、

「화장실을 부지런히 실시합시다.」

となっていた。「手洗い」を「トイレ」と訳してしまっている。これでは、

「トイレを勤勉に実施しましょう」

という意味になってしまう。

うむ。これはたしかに自動翻訳のなせる業だな。

こういうときは、日本語を

「手をこまめに洗いましょう」

となおした上で、韓国語に訳さなければいけないのである。

さて、もとの日本語の全文は、以下の通りである。

「体調不良の場合は、フロアスタッフまでお申し出ください。」

「新型コロナウイルスによる肺炎を防ぐためのポイント」

「インフルエンザなどの呼吸器感染症の対策を徹底することが重要です。」

「咳などの症状がある人は、マスクをお願いします。」

「手洗いをこまめに行いましょう。」

「中国・武漢市に滞在後2週間の間に咳や発熱などの症状が出たら、マスクを着用して滞在歴があることを伝えた上で、速やかに医療機関を受診しましょう。」

ひとつひとつの文章は、さして難しくはない。というか、たいしたことを書いていない。

「これ、いつまでに訳せばいいんですか?」

「あのう、課長が言うには、『可及的速やかに』と…」

「可及的速やかに?」

「ええ」

「このあと1時半から会議があって、それが終わると今度は、韓国から来たお客さんの対応があって、それが終わってからならば取りかかれますけれど」

「そうですか…。ではそういう事情だと、課長に伝えておきます」

Aさんの返事の様子から、今すぐにでも訳してほしいという雰囲気が感じられた。

僕の翻訳が遅れたせいで、Aさんが課長に叱られるようなことがあっても困るので、会議が始まる1時半ギリギリまで、翻訳をして、会議開始の5分前に、翻訳した文章をメールでお送りした。

だが会議中も、「あの訳、あれでよかったかなあ?」と、気になって仕方がない。

会議が早く終わって、韓国からのお客さんが来るまで少し時間があったので、気になった部分を急いで推敲して、再びAさんに送った。

そのあともう1回推敲して、結局、2回ほど推敲したのであった。たいした文章ではないのだが、事態が事態だけに、誤訳が文字通り「命取り」になる可能性もあるからね。

だって最初は、「トイレを勤勉に実施しましょう」と書いてあったんだぜ。これでは何のこっちゃわからない。

かくして一件落着したが、それにしても、である。

「そんなに、1分1秒を争うようなことか?」

とか、

「注意喚起の文章は、結局マスクをしろだの手を洗えだの、たいしたことは書いていないじゃないか」

といった「そもそも論」が頭に浮かんだのだが、ま、お役所仕事というのは、こんなものである。

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同業者の寄合に参加する

1月25日(土)

このブログでは、「同業者祭り」とか「同業者の寄合」などという言葉を使うことがあるが、

「同業者祭り」…年に1回おこなわれる、大人数が参加する大会みたいなもの。

「同業者の寄合」…少人数でおこなわれる、定例会みたいなもの。

と考えてもらえればよろしい。

で、今日は、めずらしく「同業者の寄合」に出かけた。

「めずらしく」と書いたのは、僕は基本的に、この種の「同業者祭り」「同業者の寄合」に、ほとんど顔を出さないからである。

それでも若い頃はね、少しは熱心に参加していたんですよ。そういうところで「顔つなぎ」をしていれば、「がんばってる感」をアピールできるし、次の仕事につながったりするから。とにかく忘れられないように、そういうところによく顔を出していた。

だが今は、ほとんど参加しない。2年前に大病を患ったのがきっかけで、わざわざ休みの日に、顔つなぎのためだけにそういう集まりに出て行くのは、時間の無駄のような気になってきたのである。それよりも自分の健康が大事。

で、そういう人間は、業界的にはとても「不義理な人間」と思われる場合が多い。そういう場にマメに顔を出していれば、なんとなく活躍しているように思われたり、誠実に思われたりするのだ。あわよくば、そうしたコミュニケーションの中で、思わぬ仕事をもらったりする。このあたりは、政治家が地元のお祭りに顔を出す心理とよく似ているのかも知れない。

それからいえば僕はまったく不義理な人間で、この業界に相手にされなくても仕方がないようなことばかりしているのだが、それでも不思議なことに、そこそこ仕事をいただいているので、今のままで十分である。

前置きが長くなったが、そんな出不精な僕が、実に久しぶりに小さな「同業者の寄合」に参加することにしたのは、10年前に韓国に留学していたときに何度か会ったことのある当時大学院生だった青年が、そこで報告をすると聞いたからである。

10年前に大学院生だった彼は、今はどこかの大学の先生をしていて、この1月に、3週間ほど日本に滞在することになったのだという。僕は忙しくて、なかなか彼と再会するチャンスがなかったのだが、今日、「同業者の寄合」で彼が報告をすると聞いて、もうこのときしかないと思い、重い腰を上げて、都内の大学に向かったのであった。

10年前に何度か会った、といっても、ほとんど話をした記憶がなく、「会えば挨拶する間柄」ていどだったのだが、向こうは僕のことを覚えていてくれていた。

彼の報告は、実に堂々としたものだった。それは、彼が大学院時代から比べて成長した、ということなのか、大学院時代からの素質であるということをたんに僕が知らないだけなのか、あるいは「地位が人をつくる」ということなのか、よくわからない。

彼の報告に対して、コメントできる人間がその場では僕くらいしかいなかったので、少し長めのコメントを言ったのだが、コメントを言っているうちに、(なんか俺、上から目線じゃね?)と思い始めて、自己嫌悪に陥ってしまった。

そして僕は、いまノリにノっている彼の姿を見て、自分自身の限界を痛感したのだった。

2年ほど前だったか、ある人から、「ある仕事の依頼をしたいんですけど、誰か若い人を紹介して下さい」という依頼が来たことがあって、

「俺だってまだ若いよ!」

という意味のことをオブラートに包んで返信したことがあったが、今から思えば、その人の見立ては当たっていたのかも知れない。

残りの時間を、さて、どう使おうか。

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シェフを呼んで下さい

1月24日(金)

仕事の関係で、ある美術館に行く。仕事の必要からどうしても見ておかなければいけない企画展がもうすぐ会期を終えるのだが、なんとか間に合った。今回は、妻もやはり仕事の必要から同行した。

新幹線に乗って北に向かい、1時間20分ほどで駅に着く。そこから、1時間に1本の間隔で出ているバスに乗り、10分ほどで到着した。わずか10分ほどの乗車だったが、さきほどまでの駅前の喧噪が嘘のように、その美術館は森に囲まれたところにあった。

じっくりと企画展を見て、

「まるで集大成のような展示だね」

と妻が言った。なるほど、たしかにそんな感じがした。

さて、仕事の必要から、この展示を企画した担当者の方に、ぜひお話をうかがいたいと思った。ところが、僕も妻も、その方とはまったく面識がないし、業界も異なる。二人とも、全然面識のない方にこちらからご挨拶してお話をうかがう、ということが、とても苦手なのである。いきなり全然知らない人が訪ねてきて、「変な人だと思われないだろうか」とか、「めんどくさいと思われないだろうか」と、被害妄想が頭によぎった。

しかも、おそらく先方は、とても忙しい方だろうし、そんな知らない人間のために時間を割いてもらうことが忍びない。

しかしせっかくここまで来て、お話を聞かずに帰るというのも、あとで悔いが残る。

まあ多少煙たがられても、悔いが残らないようにトライしてみようと、意を決して、受付に行った。

「あのう…鬼瓦と申しますが、副館長の○○先生はおいででしょうか。もし、お時間がありましたらご挨拶したいと思いまして…」

「少々お待ち下さい」と、受付の方が内線電話をかけた。

こちらが期待したのは、「いちおう問い合わせてみて、ご当人が不在である」というパターンだった。であれば、仕方がない、とあきらめもつく。

だが、受付の方が僕たちに言った答えが、

「いま、こちらにうかがうとのことでしたので、少々お待ち下さい」

というものだった。僕たちはとたんにどきどきした。

ほどなくして、その方があらわれた。

いったいこの二人は誰だろう?という顔を一瞬されたが、名刺を交換して、「実はこれこれこういう事情で…」とお話しすると、「座ってお話ししましょう」と、応接室に通された。

そこで15分ほど、あれこれとお話しをした。考えてみれば、初対面とはいえ、今回の企画展、という共通の話題があるのである。その方のお話から、今回の企画展に対する強い思いを感じることができた。

あまり長居をしてはいけないと思い、「ありがとうございます」と席を立つと、

「実は私、来年が定年でして、これが最後に手がけた企画展なんです」

とおっしゃった。なるほど、まるで集大成のような展示だ、と僕たちが感じたのは、そういうことだったのか。

帰り道、妻が言った。

「企画展がよかったから担当者の方に挨拶したい、ってのは、まるで『この料理が美味しかったから、シェフに会って挨拶したい』というようなものだね」

なるほど、至言である。

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原稿ため込み党、史上最大の危機

大河ドラマ「麒麟が来る」。

「戦国もの」は苦手なのだが、長谷川博己が主演ということで、試しに見てみることにした。

たぶん、多くの人が感じたと思うが、初回は、黒澤明監督の映画のオマージュで溢れている。

冒頭の、野党と戦う場面は、「七人の侍」。

マチャアキ扮する「名医」が登場する場面は、「赤ひげ」。

画面全体の色彩は、「乱」。

そもそも衣装担当は、黒澤明監督の娘の黒澤和子さんなんだね。

今回は、そんな話がしたいんじゃない。

すべての原稿が遅れているのである!

かつてないほどの危機的な状況である。

年末に、二つの出版社から、「原稿、どうなってますか?」とメールが来た。

両者とも、遅れに遅れている原稿で、出版社の習わしなのか、年末になると、原稿の進捗状況を聞いてくる。聞いておかないと、編集者も年を越せないのだろう。

で、僕は毎年、「すみません」と返事を書く、という状態が、ここ何年か続いている。

このほかに、雑誌に書かなければならない原稿がいくつかある。

原稿が間に合わなくて出せなくなることを「落ちる」という。「脱落する」という意味である。

ある雑誌の原稿が、そろそろ「本当の締め切り」(これもまた業界用語)なのではないかと思いながら、怖くて編集担当者に聞くことができない。たしか「本当の締め切り」が昨年末だった気がする。

ひょっとして、もう落ちたんじゃないかと思い、今日、編集担当者におそるおそる聞いてみたところ、

「ある重要なメンバーの方の原稿がまだ来ていなくて、その方の原稿をなんとしても載せたいので、待っている段階です。もし○○日まで間に合うようだったら出して下さい」

と返信が来た。

ちょっと待て!もしその「重要なメンバーの方」がすでに原稿を出していたら、俺の原稿を待たずに入稿してしまうつもりだったんだな!俺の原稿は、載っても載らなくてもいいってわけだ。

軽く死にたくなったが、それが自分の実力なのだから仕方がない。

来週末が締め切りのある本の原稿。まだ全然書けていないが、公共性の高い性質の原稿なので、これを落としたらシャレにならない。

さらに「企画もの」のシリーズに書く予定の複数の原稿に至っては、現在、1文字も書いていない!

うーむ、困った。原稿ため込み党史上、最大の危機である。

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サツマイモとしらすぼし

1月20日(月)

マルチタスクな日々。

職場でどれほどマルチタスクなのか、書こうと思ったが、それを書くのもしんどい。

あるいは、神田松之丞の桂歌丸論が秀逸だったので、それについて書こうと思ったが、これもまた話が込み入っていて、面倒くさい。

ということで、食べ物の話を書く。

今日の晩に、サツマイモを食べたのだが、これがとても美味しかった。

むかし、というか若い頃、サツマイモがあんまり好きではなかった。いまも断然ジャガイモ派である。

どうもサツマイモというと、戦時中とか戦争直後とか、食糧難の時の食べ物というイメージが強い。子どものころに見ていたドラマ「横溝正史シリーズ」で、戦争直後の食糧難の時に金田一耕助はサツマイモばかり食べていたのを見ていたからかも知れない。

そんなイメージから、サツマイモを今まで敬遠していたのだが、ここ最近、サツマイモが妙に美味しいと思うようになった。

体質が変わったからだろうか?

どうもそういうわけではないらしい。原因は、「石焼きいも黒ホイル」というアルミホイルを使って、オーブントースターで焼いたからであるようだ。

ビックリするほど甘いのだ!そして美味しい!いままで、サツマイモってこんなに美味しかったっけ???

とにかく、「石焼きいも黒ホイル」という不思議なアルミホイルを巻くだけで、その名の通り、石焼きいものような甘さになるのだ!

これはひょっとして、今世紀最大の発明ではないだろうか???

この先、もし食糧難になって、サツマイモしか食べるものがなくなっても、このホイルさえあればもう大丈夫!

ホイルつながりでいうと、おもちをオーブントースターで焼くときに、絶対にひっつかないホイル、というのがある。それが「フライパン用ホイル」である!

いままで、おもちをオーブントースターで焼くと、必ずおもちがひっついて、いつも泣かされていた。それが、「フライパン用ホイル」の上におもちをのせて焼くと、おもちがどんなにふくれあがっても、決しておもちがホイルにひっつかないのだ!

うーむ。これも今世紀最大の発明といえよう。恐るべし、アルミホイル業界である。

もう一つ、しらすぼしを食べた。

痛風持ちの僕にとって、しらすぼしは禁物であった。イワシにはプリン体が多く含まれているので、しらすぼしもまた、痛風持ちにとっては危険な食べ物なのである。そんなわけでいままでしらすぼしを避けてきたのである。

家に帰ると、近所のスーパーで買ってきたと思しき、ふつうのしらすぼしが置いてあった。もうお酒もやめたことだし、しらすぼしを食べたところで痛風の発作が起きることもないだろうと、しらすぼしをちょっとずつご飯にかけて、そこに醤油をチョロッとたらして、プチしらす丼みたいにしてご飯を食べたら…。

あーた、これが美味しいのなんのって!!!

しらすぼしってこんなに美味しかったっけ?

わざわざ遠くまで出かけていって、生シラス丼を食べなくとも、近所のスーパーで買ったしらすぼしをご飯にかけるだけで、十分美味しい!!

サツマイモもしらすぼしもたいしたものではないのだが、それだけに、そこに幸福を見出したとき、「幸せは細部に宿る」という思いを禁じ得ない。

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ほぼワンオペセミナー

1月16日(木)

ひどく込み入った話なので、以下は読まなくてよろしい。

1月15日と16日の2日間、韓国から24名のお客さんがお見えになって、15日に妻の職場、16日に僕の職場を訪問する計画がある、ということは、以前に述べた

韓国からのお客さんというのは、僕が10年前に留学でお世話になった大学の、教員と大学院生で、妻と私の職場で、リレーセミナーをしたい、というご希望である。

妻も僕もその大学にお世話になっていたし、なによりこのセミナーを企画した人が、妻と僕が韓国のその大学の語学学校でお世話になったキム先生のお姉さんだったということで、なおさら断るわけにはいかなかった。

かくして、二つの機関にまたがる壮大な「リレーセミナー」が実施されたのである!

15日の妻の職場でのセミナーは、無事に終了したらしい。あとは16日の僕の職場でのセミナーが無事に終わるかどうかである。

いちばん心配だったのは、僕の体調である。前日の15日に缶詰から解放されたが、いまひとつ、体調がすぐれない。途中で、フラフラして倒れてしまうんではないか、と自信がなかった。

それでも、今日は朝5時に起きて、6時に家を出て、職場に着いたのが8時半。

職員さん二人に手伝ってもらって、なんとか会場のセッティングが終了した。

そして、みなさんが到着する予定の9時半になった。

時間どおりにお見えになったのは、13名。

あれ、24名じゃねえの???

「ほかの人は、2時間ほど遅れてきます」

ええええええぇぇぇぇぇっ!!!

どういうこっちゃ???まさかの時間差攻撃!!!

以前にも、韓国からのお客さんが、集合時間に揃わない!という事件があったので、特段驚くことでもないのだが。

よくよく聞いてみると、今回の訪問は、「イルキチーム」と、「ビーケーチーム」という二つのチームの合同によるもので(一部重なる人がいる)、今日は「ビーケーチーム」がメインのセミナーだから、「ビーケーチーム」だけが先に来て、「イルキチーム」はあとから来るのだそうだ。

二つのチームに分かれていたなんて聞いてないよ~!

まあそれでも、予定どおりにやるしかない。

前日のセミナーの主体である「イルキチーム」と違い、今日のセミナーの主体である「ビーケーチーム」は、大学院生たちによるセミナーである。

以前の「課題解決型授業」で経験したノウハウを駆使して、韓国の大学院生向けのプログラムを作り、実践した。

こっちの思惑と、先方の思惑とに、若干の違いがあったものの、ひとまず、このプログラムは成功した、といってよい。3班に分かれた大学院生たちは、ちゃんとこちらの意図をくんでくれて、短い時間ながらも、とてもいい発表をしてくれた。

で、日本の(地方)大学の学生と、韓国の(地方)大学の学生を比較してみると、ほとんど変わらない、というのが僕の印象であった。

これはひょっとすると、俺の考えたプログラムは、グローバルスタンダードになるんじゃね?…いや、東アジアスタンダードくらいか?

ただ残念なのは、このセミナーに出ていた同僚は、僕以外にひとりしかいなかったことである。もったいない!

ここまでが第1部。午後2時からはじまる第2部は、別の部屋に移動して、こんどは「イルキチーム」のためのセミナーである。

第2部の段取りは、すべて先輩同僚にお願いしてあったので、こちらの方も談論風発、「イルキチーム」は満足したようであった。

かくして、長い1日が終わった。

「鬼瓦先生、本当にありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」

「記念写真を撮りましょう」

最後に全員で団体写真を撮って、セミナーは無事に終了した。

玄関でみなさんを見送ったのだが、玄関の外でまだみんながたむろしている。

「何してるんです?」

「写真を撮ってるんです。鬼瓦先生も入って下さい」

「わかりました」

2日間の連続セミナーが終わってホッとしたのか、みんな、解放感に溢れた笑顔をしている。

「まずはイルキチーム!」

パシャッ!

「はい、次はビーケーチーム」

パシャッ!

僕はイルキチームとビーケーチームの二つのチームの団体写真に、写り込んだのであった。

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寝たのはどっちだ!

1月14日(火)

ごくたまに、母と同室で寝ることがある。昨日が、その日だった。

そういうときは、たいてい、母が先に眠りにつく。するとほどなくして母の鼾がはじまり、

(しまった、マウントをとられた!)

という思いにとらわれる。

で、僕がそのあとに眠りにつくことになるのだが、母の鼾に加え、ふだん寝ているベッドとは違い、枕が変わっていることもあり、全然眠れない。昨日はそれに加えて、次の日のことが気がかりで、そのことばかりが頭の中をグルグル回って、まんじりともしないのである。

それに対して母は、鼾をかいてぐっすりと眠っている。

結局、僕は一睡もできずに朝を迎えた。

朝5時頃、母が目覚めた。

「昨晩は一睡もできなかったよ」

というと、

「何言ってんの!!あんた、すごい鼾をかいてたわよ!!」

と母が答えた。

「鼾がうるさかったのは、そっちだろ!」

というと、

「あんた、本気で言ってんの?部屋が揺れるくらいの鼾をかいてたんだから。おかげで眠れなかったのは私のほうよ」

と反論する。

どういうこっちゃ???

母が嘘をついているとは思えない。

よくよく聞いてみると、少なくとも深夜0時から3時まで、僕は大鼾をかいて寝続けていたというのである。

「いや、俺は一睡もできなかったぞ」

「じゃあ聞くけど、あんた、私がトイレに起きたことは覚えてる?」

「…いや」

「ほら、覚えてないってことは、そのときには寝ていたということよ」

うーん。そういわれるとそうなのだが、だがたしかに僕の意識のなかでは、母の鼾のせいで僕は一睡もできなかったのである。

…実は同じようなことが、過去に何回かあった。

いまでも鮮烈に覚えているのが、30年前、僕が大学生だった頃のことである。

あるとき僕は、あることがきっかけで知り合ったおじさん二人と、旅行に行くことになった。たしか一人が60代、もう一人が40代のおじさんだったと思う。

で、旅行先のホテルで、40代のおじさんとツイン部屋に泊まることになった。

ところがその40代のおじさんの鼾がうるさくて、僕はそのとき一睡もできなかったのである。

朝になり、そのおじさんが起きるなり、僕に言った。

「鬼瓦君の鼾がうるさくて、全然眠れなかったよ」

ええええええぇぇぇぇぇっ!!!

眠れなかったのはこっちの方だよ!

…と言いたかったのだが、年上の人なので、反論できなかった。

このときの記憶とまったく同じことが、昨晩もくり広げられたのである。

30年前の当時、僕はそのおじさんが嘘をついていると思い込んでいたのだが、その後似たような体験が何度かあり、あのとき、僕が大鼾をかいて寝ていたというそのおじさんの証言は、本当だったのではないかという気がしてきた。

いったいこれは、どういうこっちゃ???

ここで思い出すのが、「ジャングル・リベンジ」である。

ここから先は、わかる人だけがわかればよろしい。

マレーシアのジャングルのブンブン小屋で、「俺はこんな場所では一睡もできねえ」と嘆いていた藤やんが、誰よりも先にグーグーと寝てしまい、大泉さんはじめみんなに呆れられたというシーンがある。

僕はその場面を見て、腹を抱えて笑ったのだが、あの場面こそが、僕にとっての真実なのではないだろうか???

「藤やんは俺だ!俺もこの通りだったんだ!」

という「七人の侍」の菊千代ばりの台詞が頭の中をよぎったのであった。

これも、わかる人だけがわかればよろしい。

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原稿零枚三連休

先日のTBSラジオ「荻上チキ Session22」における、荻上チキと大竹まことの対談の続き。

二人の対談のなかで、印象的だったやりとりの一つが、あるフェミニズム研究者に対する人物評である。

大竹まことのラジオを聴いていると、あの年代(古稀)にはめずらしく、女性の人権だとか、マイノリティーに対する人権について、かなり高い問題意識を持っていることに気づく。

そのような思想性がなぜ形成されたのか?荻上チキは、かつて大竹まことがテレビ番組で何度も共演したことのあるフェミニズム研究者の名前をあげた。

「やはり、番組でその方と共演されたことが大きいんでしょうか?」

実際、そのフェミニズム研究者は、批判も多い一方で、その思想に感化された人も多い。

すると、大竹まことは、

「うーん。アイツはダメだね」

とバッサリ。

「思想はすばらしいと思うよ。でも人間は思想だけで生きてるわけじゃないでしょ。その思想が、その人をあらわしているわけでもない」

実体験をあげながら、ものすごく遠回しに、そのフェミニズム研究者のことを批判していたのだが、つまりは、ふだんの実践が高邁な思想とかけ離れている、ということを言いたいようだった。

僕がその遠回しな発言からくみとったことは、

「いくら思想的に立派なことを言っていたとしても、実生活でそれを実践していないじゃん!」

ということだった。理解が間違っているかも知れない。

ここから先は僕の想像だが、たとえば、弱者として虐げられていることの理不尽さに対して敢然と立ち向かいながらも、ふだんの本人は、自分より弱い者に対して、高圧的に接していたり、とか。

それを、間近で接している人からすれば、いくら立派なことを言っていたとしても、その人の言うことが信頼できなくなってしまうものである。

僕の業界にも、そんな人がたまにいて、文章ではすごく立派なことを書いていたり、思想的にもすばらしいことを言っていて、心酔している人がけっこういたりするのだが、間近に接している者からすると、形而上の部分と形而下の部分が著しく乖離していることを感じざるを得なかったりする。その人の言っていることは、どんなに立派なことであっても、信用できないのである。

大竹まことも、そのフェミニズム研究者に対して、そのような感情を抱いているのではないだろうか、と僕は愚考した。まったくの見当違いかも知れない。

僕自身を省みると、自分自身にもそういう部分がないとはいえない。

(どの口が言うかねえ)

と言われないように、反省しながら生きる毎日である。

…こんな分析なんかどーでもいいから、早く原稿を書けよ!(原稿零枚)

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風という名のCafe

1月12日(日)

自宅から都下有数の繁華街まで、散歩がてら歩いていたときに、住宅地のなかに小さなカフェを見つけたのは、2カ月ほど前だったか。

お昼時を過ぎていたが、昼食がまだだった。繁華街まで行けば混雑しているだろうからと、そのカフェでお昼を食べることにした。

そのカフェは、明らかにふつうの2階建ての一軒家である。ふつうの家を改装して、1階の、おそらくかつてリビングだったであろう部屋の床を板張りにして、テーブルと椅子を並べている。

お昼時を過ぎていたせいか、お客さんは誰もいない。

「いらっしゃいませ」

迎えたのは、白髪の、実直そうなおじさんだった。僕のイメージでは、銀行を退職したのを機に、むかしからやりたかったカフェを始めた、という感じのおじさん。

小さな娘を連れていたのを見たご主人は、

「2階に和室がありますから、そちらのほうがいいかと…」

とすすめてくれた。

他人の家の2階に上がって行くような心境である。だって、もともとはふつうの2階建ての家だったんだから。

2階に上がると、ほんと、ごくふつうの和室があり、座布団と座椅子が置いてある。

やはり他人の家に紛れ込んじゃったような、生活感漂う部屋なのである。

メニューを見ると、「ソーキそば」「沖縄そば」というのが目に入った。というか、どうやらそれがメインのようである。

では、このお店の主人は、沖縄出身の人なんだろうか?と思ったが、さきほどの実直そうなおじさんの顔を思い浮かべても、沖縄出身という感じは全然しない。

あと、変わったものとしては、「和歌山名物」の茶がゆセットというのもあった。

沖縄と和歌山…。どういう取り合わせなのだろうか。

ほかにも、とんかつ定食とかカレーとかパスタなんてのもあったんだが、ここはやはり、ソーキそばだろう。ジューシー(沖縄の炊き込みご飯)もあったので、セットで注文した。

味は美味しかった。ここのコーヒーもこだわりがあって美味しいと評判のようだったが、時間がなくて注文しなかった。

食べ終わって、会計をすませようと2階から降りると、1階の飲食スペースのところ、テーブルが片づけられていて、椅子が並んでいた。

「何か始まるんですか?」とおじさんに聞くと、

「これから落語会なんです」

という。どうも定期的に若手の落語家さんによる落語会を開催しているらしい。しかし、畳10畳分くらいのこの窮屈なスペースの部屋で、本当に落語会をするのだろうか。ちょっとイメージがわかなかった。

「よろしかったら、聴いていきませんか?」

と誘われたが、このあとに予定があったので、残念ながらそのままお店を出ることにした。

沖縄と和歌山と本格コーヒーと江戸前の落語…。

うーむ。やっぱりどうも僕の中では結びつかない。それと、あの実直そうで物静かな白髪のご主人が、落語に興味があるというのも、なんとなく意外だった。

そして今日。

自宅から繁華街まで散歩がてら歩いて行くことにしたので、途中にあるそのカフェで2カ月ぶりに昼食を食べることにした。

昼食時を少し過ぎてしまったこともあり、またお客さんが1人もいない。

例によって2階の和室に上がり、今回もソーキそばとジューシーのセットを注文した。

食べ終わって2階を降りて、会計を済ませようと1階の飲食スペースに行くと、やはりお客はおらず、実直そうな白髪のご主人がひとり、椅子に座って、ジャズを聴きながら物思いに耽っているところだった。

「ごちそうさまでした」

「ありがとうございました」

沖縄と和歌山と本格コーヒーと江戸前の落語とジャズ…。

一見、まったく結びつかないこれらの取り合わせは、たんに店の主人の趣味なんじゃないだろうか。

仕事を引退して、自宅を改装してむかしからの夢だったカフェを開店し、そこで、自分の好きな和歌山の茶がゆとか、沖縄のソーキそばとか、本格コーヒーとかを出すことにしたのだろう。

落語も好きだから、若手の落語家に場所を提供して、お客さんを呼んで落語を披露してもらう。

そしてジャズも好きなので、店内にはジャズを流す。

定年まで、がむしゃらに働いたので、カフェで儲けようとは思わない。だからお客さんがいようがいまいが、趣味で続ける。

そこには、のんびりした時間が流れている。

…もし僕の妄想どおりだったとしたら、なんとうらやましいことか。これだよ!俺がやりたかったカフェは!

もちろん、まったくの見込み違いの可能性もあるが、まあそういうことにしておこう。

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安定剤

往復5時間の通勤の間、何をしているかというと、もっぱら「ラジオクラウド」を聴いている。

おもにいつも聴いているのは、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」とTBSラジオ「荻上チキSession22」である。

「ゴールデンラジオ」のほうは、TBSラジオ「荒川強啓 デイキャッチ」が終了してしまい、「強啓ロス」になった後から聴き始めたので、まだ聴き始めて1年経っていない。実際に聴いてみると、青木理とか宮台慎司とか、「デイキャッチ」に出演していたレギュラーコメンテーターが、2カ月に1度くらいの割合で出演しているので、番組のテイストはほとんどデイキャッチである。「大竹紳士交遊録」というラジオコラムのようなコーナーがあるのだが、そこに出演する曜日レギュラー(森永卓郎、武田砂鉄、深澤真紀、きたろう、みうらじゅん、金子勝など)の話も、聴いていて飽きない。

いままで、なぜ聴いてこなかったのだろうと悔やまれる。

僕は20代の一時期、シティーボーイズのコントを信奉していたから、大竹まことにはことのほか思い入れがある。自分にとって憧れの「ダメ人間」なのである。大竹まことも古稀になり、いまや「おじいちゃんラジオパーソナリティー」である。

「Session22」の荻上チキは、僕よりもずっと年下だが、よく勉強していて、キレッキレのコメントをする。ただ、理が勝ちすぎるきらいがある。ものすごく出来のいい大学院生のゼミ発表を聴いているような印象である。もちろんこれは、褒め言葉である。

大竹まことのラジオで一貫しているのは、マイノリティーに対する暖かなまなざし、弱者をないがしろにするこの国のしくみに対する怒り、である。それは、大竹まことの歩んできた人生による影響が大きいのだろうが、上岡龍太郎との出会いも大きかったのではないかとも愚考する。

僕にとってはこの二つが、この国のメディアの最後の砦である。もしこの番組がなくなったら、僕にはもう頼るメディアがない。

そんなふうに、僕の日常はこの二つのラジオ番組を聴くことに支えられているのだが、先日の金曜日(10日)、「荻上チキ Session22」で新春対談として、荻上チキと大竹まことの対談があった。もちろん、二つの番組のリスナーである僕にとっては、涙ものの企画である。

親子ほどの年齢差がある2人、そして、「論理のチキ、感情の大竹」ともいうべき対照的な2人が、ラジオパーソナリティーとして尊敬し合い、お互いの番組に敬意を表している、ということや、Session22で荻上チキをサポートしている南部広美さんのことを、大竹まことが高く評価していた、といったことは、二つの番組のファンである僕にとって、涙腺が緩くなるトークだったのだが、対談の最後のほうで、大竹まことが、

「ラジオは、面白いだけではダメだ。安心を届ける役割、安定剤のような存在でないといけない」

と言っていたことに深く共感した。

僕にとってラジオは、精神安定剤なのだ。そして、いまの自分に合う安定剤が、この二つの番組なのだろう。

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バズる

1月10日(金)

妻は、ある小さな研究会のブログを管理していて、折にふれて匿名で記事を書いて情報発信したりしているのだが、その存在はほとんど知られておらず、1日にひとケタ、という程度のアクセス数だそうである。マニアックな研究会だから、あたりまえといえば、あたりまえである。

それが、昨日、いきなりアクセス数が1000以上になった!

この場合のアクセス数とは、訪れた人の数、という意味である。

つまり昨日は、1000人以上の人が、その小さな研究会のブログをのぞきに来たのだ!

俺のブログだって、1日に1000人のアクセス数を越えたことなんて一度もないぞ!!!

どういうこっちゃ???

調べてみて、ビックリした。

そのブログで、妻が書いた最新の記事が、Twitterで紹介され、拡散していたのである!!!

つまり、Twitterから多くの人がそのブログに流れてきたというわけである。

こういうの、バズるっていうの?それともインフルエンサー?

そのブログの記事は、某サイトを紹介した記事なのだが、なぜかそのサイトそのものではなく、それを紹介した妻の記事のほうがTwitterで拡散されたのである。

記事を見てみると、某サイトを的確に解説している文章で、たしかに、某サイトそのものをダイレクトに紹介するよりも、その紹介記事を読んでから某サイトを見たほうがはるかにわかりやすいのだ。

それにしても恐るべし、Twitterの威力である。

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2日間のリレーセミナー計画

ひどく込み入った話なので、以下は読まなくてよろしい。

来週、韓国のご一行24名が、妻の職場と私の職場に訪れる。1月15日(水)が妻の職場、翌16日(木)が僕の職場。

経緯を説明すると長くなるのだが、昨年9月、僕が10年前に留学していた韓国の大学に、僕の友人が就職した。

そのことがきっかけとなって、ここ最近疎遠になっていたその大学との関係が復活した。

語学学校の4級クラスの担任だったキム先生にはお姉さんがいて、その大学で講師をしているのだが、その方が、23名の人たちを引き連れて、妻の職場と僕の職場に訪れ、交流セミナーをしたいと、僕の友人を通じて提案してきた。

僕も妻も、その大学に恩があるし、語学学校の先生にも恩があるので、当然、断るわけにはいかない。

僕と妻は、それぞれセミナーの企画を考え、それぞれの職場の会議で議題にあげ、開催を承認してもらった。

この間、先方の大学に勤務する友人と、メールで何度となくやりとりをした。

友人は、いわば伝令役にすぎず、実際はすべてキム先生(姉)が意志決定するのだが、ご多分に漏れず、これがけっこうたいへんだった。無茶な提案をしてきたり、直前になって参加人数が変更になったり、さまざまな書類をととのえさせられたり、と、いつもの通り、翻弄させられたのである。

1人で24名の韓国のお客さんを受け入れるのは、かなりの負担である。僕だけではとても対応できないので、同僚ひとりに協力してもらうことにしたが、それでも、手が足りない。会議室の確保、弁当の手配、見学の段取り、当日配付する資料の作成とその韓国語訳など、まさにワンオペのマルチタスクである。

妻のほうも、職場の同僚の何人かにセミナーに参加してもらうように交渉したようで、その調整もまた、たいへんだったらしい。

そんなこんなで、僕も妻も、来週にやってくる韓国からのお客さん24名を迎え入れる準備に翻弄され、それぞれの職場で孤軍奮闘していたのである。

しかも、来週のスケジュールがまたたいへんだ。

僕は13日(月)から15日(水)まで、都内某所に缶詰にさせられるので、まったく身動きがとれない。15日午前に解放される予定。

15日(水)は、韓国のご一行が妻の職場に来る日。この日は午後からセミナーが始まり、夜には懇親会までセッティングしているで、ホスト役の妻の帰りは当然遅くなる。なのでこの日の午前に都内某所で解放された僕は、夕方に保育園に行って娘を迎えに行き、夕食を食べさせ、寝かしつけるところまでしなければならない。

翌16日(木)は、今度は韓国のご一行が僕の職場に来る日。朝9時半に来るので、僕はそれまでに職場に着いていなければならない。いや、準備があるから、少なくともその1時間前には職場に着いている必要がある。

僕の家から職場までは2時間半かかるから、遅くとも朝6時に家を出なければならない。で、9時半から16時半までノンストップのセミナーである。

うーむ。どうも机上の空論のような気がしてならない。本当にこの計画、うまくいくのだろうか???

万が一僕が15日に解放されなかったりとか、16日の朝の電車が遅延したりしたら、もうアウトである。

なんとか無事に終わりますように。

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気に病む日々

とかくこの世は、謎だらけだ。

今年から、年賀状を出すのをやめようと決意したのだが、いざ年賀状をたくさんいただくと、その決意が揺らいでしまい、1月3日までに届いた年賀状にのみ、返信を出すことにした。結局は、1月5日までに届いた年賀状に返信を出すことにし、最終便は1月6日の仕事始の朝に投函したのであった。

ところが、である。

その翌日の1月7日になっても、1月8日になっても、ごくわずかだが、年賀状が届くのである!

これって、不思議じゃありません?

だって、先方がこっちの年賀状を受けとって、そのあとに年賀状の返信を出したんだったら、1月7日とか8日になることだってあるだろう。でも、今回についていえば、こっちからは年賀状を出していないんだぜ。つまり、年賀状を受けとった返信として出したから遅く届いたんじゃなくて、はなっから年賀状が遅く届いた、ということなのだ。

ということは、どう考えても、お正月の三が日が明けてから年賀状を出したとしか考えられない。

三が日が明けてから、よっこらしょと年賀状を書いて出す、というのは、ちょっと僕には考えられない感覚なのである。僕だったら、そうなったら新たに年賀状を出すのはあきらめる。返信なら別だが。

しかもよくわからないのは、7日に受けとった年賀状の中には、「これ、絶対年内に印刷が終わってたよね」と思われるものも含まれていたのである。正月の三が日が明けて、「さて、そろそろ年賀状を出すか」と思って、家族写真を選定して、印刷業者に年賀状の印刷を発注するなど、不可能だからだ。印刷がすんだ年賀状が年内に納品されているはずなのに、それが1月7日に届くのはなぜだろう?

まったくもって謎である。

…こんなどーでもいいことで、まる一日、頭を悩ませている。

謎ついでにもうひとつ。

SNSのタイムラインを通じて誕生日のお祝いコメントを送ってくれる方の心理が、僕にとって謎である。

いや、ありがたいことはありがたいんだが、ふだんほとんど接点のない人に限って、タイムラインにお祝いコメントが書き込まれる、という傾向がみられるのである。これが不思議である。

家族すら僕の誕生日なんか忘れちゃっているのに、縁遠い人からお祝いコメントをいただくのが、どうにも自分の中で、精神のバランスに支障をきたしてしまうのである。

ただ、なかには、メッセンジャーを使って、お祝いコメントを書いてくれる人がいて、これはとても嬉しい。ちょっとふだん書けないような「思い」を書いてくれたりして、短いコメントだが、それが励みになったりする。

気になって、ほかの人はどんなふうに思っているんだろうと調べてみると、やはり僕と同じことを思っている人がけっこういるようである。なかには、SNSの誕生日を非公開にしてみたら誕生日のお祝いコメントが来るのかどうか、ということを実験していた人がいた。

その人によれば、誕生日を公開していたときは、タイムラインに40件以上のお祝いコメントが書き込まれていたのが、誕生日を非公開にしたとたん、お祝いコメントはゼロになったという。まあ、あたりまえといえばあたりまえだ。「今日は○○さんの誕生日です」というのを見て、その人の誕生日を知り、ほとんど反射神経的に「誕生日おめでとう」と書き込む人ばかりだからである。

では逆に、こんなイタズラも可能なのではないだろうか?

プロフィールのところで、自分の誕生日を毎日書き換える。そうすると、はたしてタイムラインにおめでとうのコメントが毎日来るだろうか???

ま、サイテーの人間だと思われるので、やるつもりはない。

それよりも、誕生日を非公開に設定できることをようやく知ったので、非公開にした。これで気に病むこともなくなるだろう。

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サボぐちひろし

今、いちばんおもしろいお笑いの人といえば?

ミルクボーイ?たしかに、漫才をちらっと見たが、おもしろかった。

だがそれよりも僕の心をつかんで離さないのは、

サボさん

です!!

今、僕がいちばんよく見ているチャンネルというのが、Eテレなのである。

「おかあさんといっしょ」は別格。これを越える子ども番組はない。もう完璧な子ども番組である。

何がすごいって、この番組、まったくアドリブがない。すべてが計算し尽くされている。

ほかの子ども番組の中には、けっこうアドリブの台詞を入れたり、グダグダな展開になったりしているものがあったりするのに対し、「おかあさんといっしょ」だけは、まったくぶれない。

ファミリーコンサート、スペシャルステージのクオリティーの高さといったら、そんじょそこらのアイドルグループのそれとは比べものにならない。歌のおにいさん、おねえさんの歌唱力、体操のおにいさん、おねえさんの身体能力にかなうものはないのだ。

そんなわけで、いまはすっかり「おかあさんといっしょ」の虜なのだが、その「おかあさんといっしょ」の前の時間に放送されている「みいつけた!」という15分番組も、そこはかとなくおもしろい。

とくに好きなのは、その番組のキャラクターの1人である「サボさん」なのである。サボテンの形をしているからサボさん。

Photo_20200108184601thumb1 たまにクイズの司会者として登場する「サボぐちひろし」には、腹を抱えて笑った。

いったい誰に向けた笑いなんだ?

「サボぐちひろし」と聞いて、元ネタがわかる人は、ごく限られているぞ。見ている子どもはもちろんわからないし、親だってわからないぞ。わかるのは、俺みたいな高齢の親くらいじゃないだろうか。

調べてみたら、サボさんの中の人というのは、もともとお笑い芸人をやっていていて、お笑いコンビ解散後は俳優をされているそうだ。で、サボさんのスーツアクター兼声優を担当しているという。どうりでお笑いの間を心得ていらっしゃるわけだ。

さらに、この前の時間に放送している「コレナンデ商会」もそこはかとなく面白いのだが、それはまた、別の話。

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決意表明、撤回!

1月4日(土)

先に、重大な決意を宣言した。それは、

「年賀状をやめる!」

という決意表明である。

だがその決意は、完全に揺らいでしまった。

その原因の第一は、こぶぎさんのコメントである。

いつになく情緒的なコメントである。しかも、「ラジオの神様」まで出されちゃったら、こっちとしてはもう、ぐうの音も出ない。

これでは、年賀状の返事を書かない俺の印象が悪くなるばかりではないか!

これで僕の決意が揺らいだ。

そして第二は、いただいた年賀状にあった、いくつかのコメントである。

若い頃お世話になって、いまはまったくお会いする機会のない、ご高齢の方からいただいた年賀状のコメントに、

「娘さんの写真を見て幸せな気分になりました。今年の写真が楽しみです」

とあった。

昨年、9カ月になる娘の写真を年賀状に載せた。娘の写真を載せたのは、初めてである。まあこれが、自分で言うのもナンだが、娘が花畑に囲まれたベンチに座って、カメラ目線で満面の笑みをたたえているという、ベストの写真だったのである。

ふつう、僕なんかもそうだけど、他人の子どもの写真が載っている年賀状を見ても、なんとも思わないというか、むしろ、

(なんで他人の子どもの成長を毎年見せつけられなければならないんだ?)

と思うこともしばしばである。

僕の年賀状の場合も、当然、娘の写真が載っていて愉快に思わない人が多いことだろう。

だがその方の場合はそうではない。心底から、僕の娘の写真を楽しみにしているようなのである。

うーむ。これは困った。

今年も当然来るはずだと思っていた年賀状が、何のことわりもなく、来なくなってしまったとしたら、その方はどう思うだろう。

楽しみにしていた写真も見られなくなり、それが原因で体調を崩し、床に伏せってしまったとしたら…。

そう思うと、年賀状を出さないことが、急に怖くなってしまった。

それに、年賀状の発行元に勤めている卒業生の顔も頭によぎった。

「前言撤回!年賀状を出す!」

ただし、1月3日までに自宅に届いた年賀状にかぎり、その返事を出すことにしたのである。

年賀状を買っていなかったものだから、近所中のコンビニを駆け回って、ようやくインクジェット用の無地の年賀状を人数分確保し、年賀状のデザインを決め、宛名を印刷して、投函したのであった。

…最初からそういう方針にすればよかった。

ちなみに、昨年に出した年賀状の枚数からくらべると、今年の枚数は、6割5分ほどである。

このまま、フェイドアウトしてくれると、ありがたいのだが。

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業界の中心で、恋愛を語る

ある業界誌の新年号で、恋愛をテーマにした特集を組むということで、原稿依頼が来たのが、昨年の連休明けくらいだったか。ふだんお世話になっている人からの依頼なので、断るわけにいかず、引き受けてしまった。

なんで俺が恋愛について原稿を書かなきゃいけないんだ?と思ったのだが、おそらく誰かほかの人に依頼して、断られたんだろうな。なにしろ、与えられたテーマが無茶ブリのような難易度の高さである。で、「鬼瓦だったら、なんとかしてくれるだろう」と思って依頼してくれたものと思われる。そうでなかったら、僕に依頼が来るはずがない。

何を書いたらいいのか全然わからなくって、ずーっと後回しにしていて、締切が近づいたあたりになって、「こりゃあ何か書かないとマズい」ということになって、慌てて書き始めたのが夏真っ盛りの頃である。

ところがこの時期、僕はひどく体調を崩し、原稿を書くどころの状態ではなかった。しかしまあ、それが逆に功を奏したのかも知れない。どうせこの先、こんな原稿を書く機会もないだろう、だったら自分が書けるものを書こうと腹を括り、ひどく悪い体調の中、400字原稿用紙で20枚ちょっとの原稿を書きあげた。

いまの自分にはこの程度のことしか書けない。もしこれがハシにもボウにもかからないような内容だったら、遠慮なくボツにしてもらってケッコウ!と開き直って原稿を送信した。そうしたら、ほとんど手直しすることなく掲載されることになっちゃった。

で、その雑誌が最近ようやく刊行されたのだが、ほかの人の書いているものと見比べると、明らかに僕の原稿だけ、毛色が違う。例によって僕の文章は「みんなに冷や水をぶっかける」ような内容なのである。

恋愛についての特集といっても、自分の体験を述べるわけではない。ざっくりいえば、「他人の恋愛体験を形而上学的に分析する」という趣旨の特集である。僕以外の原稿のほとんどは、そういう趣旨で書かれていた。しかし僕は、他人の具体的な恋愛体験を形而上学的に云々できるような資格はないし、その力量もない。なにより怖いのは、そんなことをしたり顔で語ることによって、僕自身の「底の浅い恋愛観」「ステレオタイプの恋愛観」が白日の下にさらされることになってしまう。

結局、「恋愛について語ることは難しい」という趣旨のことを述べるしかできなかった。

実際、恋愛という内面の問題を、当事者でない人間が、あれこれと知ったふうな顔で語ることなど、できはしない。そこに見え隠れするのは、自分自身の恋愛観だったり、ステレオタイプの恋愛観だったりする。

テレビのワイドショーで、芸能レポーターやコメンテーターが発言しているのを見ていると、いつもそんなことを思うのだ。

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新年早々、負け惜しみと屁理屈

年末年始にやっておかなければならない仕事があるのだが、どうも年末年始の雰囲気というのは、落ち着かない。

年末の仕事納めの前日だったか、職場の仕事部屋で仕事していると、職員さんが来た。

「先生に、テレビ番組のインタビュー取材の依頼が来ています」

「僕にですか?」

「ええ。なんでも、民放の所ジョージさんの番組だそうです」

「どういうわけで僕に?」

「企画書が送られてきたので、見て下さい」

見てみると、どうして俺が?というテーマなのだが、おそらく番組のスタッフが、そのテーマに関してネットサーフィンをしていて、たまたま僕の名前を見つけたのだろう。

「もし、取材をお受けになるのであれば、直接先方にお返事して下さい。お断りするのであれば、こちらからお断りすることもできますけど」

「断っていただけますか」

「いいんですか?」

「ええ。なんだったら、同僚を推薦しますよ」

職員さんは、テレビ出演を断るのかよ、といった感じの、訝しい表情をした。

「僕、テレビのこういう取材は受けないことにしているんです」

僕は、2年ほど前にテレビ番組のインタビューという形で出演して、ひどく懲りてしまい、今回もまた結果は同じになることが目に見えていたので、断ることにしたのである。

所ジョージさんの番組っていったって、インタビューは別撮りで、所ジョージさんに会えるわけでもないはないし、そもそも、所さんに会いたいという気持ちがそれほど強いわけでもない。

何より僕には、テレビ番組で気の利いたことを言うという才覚がないのだ。

同業者の中には、そういう才覚に長けた人がいて、マスコミに引っ張りだこの人が何人かいる。適度に気の利いたことをいったり、タレントに臆することなく受け答えをして見せたりと、話の内容とは別に、そういう技術に長けた人が重宝されているのである。

不思議なことに、そういう人たちは、僕にとって苦手な人たちばかりなのだ。

しかし、世間的に見れば、マスコミに露出している人は、その業界のトップランナーのように思えるのだろう。

業界の中にいると、世間の人たちの認識とのギャップに、驚くばかりである。

何人ものむかしの教え子から、

「先生がテレビに出るのを心待ちにしています」

と言われることがある。ごめん、全部断っているんだ。

最近では、CGで画面に現れる5歳の女の子が、雑学を知らない大人を叱る番組、というのが流行っていて、そこに、知識を提供する大人たちがVTR出演しているのだが、そこへの出演が、一つのステイタスになっているようである。もちろん僕は、お声がかかったこともないし、これから先も永遠にお声がかかることはない。

そもそもあの番組は、ちょっと苦手である。だって、5歳の女の子の身体を借りて、「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と、中年のオッサンが悪態をついている番組なんでしょう。見ようによっては、とても悪趣味の番組である。

中身はいわば、雑学番組。知識が消費財として切り売りされている。まるで飲み屋でオッサンが雑学を披露するためのネタを提供しているようなものである。

そんな雑学の切り売り番組ごときに、俺の知性を売ってたまるものか!というのが僕の本音である。ま、世間的にはそれを「負け惜しみ」ともいうんだけど。

そもそも、なんで、どーでもいい雑学を知らないというだけで「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と、オッサンに怒られなければならないんだ?

「ボーッと生きてんじゃねえよ!選挙に行けよ!」

とか、

「ボーッと生きてんじゃねえよ!世の中を良くするために行動しろよ!」

とかだったらわかる。いや、もっと根源的なことをいえば、ボーッと生きてはいけないのか???

…ま、こういうことを言う奴のことを、世間的には「屁理屈おばけ」という。

年始早々、暗い話になってしまった。合掌。

今年も、見えないところで頑張ります。

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