気に病む日々
とかくこの世は、謎だらけだ。
今年から、年賀状を出すのをやめようと決意したのだが、いざ年賀状をたくさんいただくと、その決意が揺らいでしまい、1月3日までに届いた年賀状にのみ、返信を出すことにした。結局は、1月5日までに届いた年賀状に返信を出すことにし、最終便は1月6日の仕事始の朝に投函したのであった。
ところが、である。
その翌日の1月7日になっても、1月8日になっても、ごくわずかだが、年賀状が届くのである!
これって、不思議じゃありません?
だって、先方がこっちの年賀状を受けとって、そのあとに年賀状の返信を出したんだったら、1月7日とか8日になることだってあるだろう。でも、今回についていえば、こっちからは年賀状を出していないんだぜ。つまり、年賀状を受けとった返信として出したから遅く届いたんじゃなくて、はなっから年賀状が遅く届いた、ということなのだ。
ということは、どう考えても、お正月の三が日が明けてから年賀状を出したとしか考えられない。
三が日が明けてから、よっこらしょと年賀状を書いて出す、というのは、ちょっと僕には考えられない感覚なのである。僕だったら、そうなったら新たに年賀状を出すのはあきらめる。返信なら別だが。
しかもよくわからないのは、7日に受けとった年賀状の中には、「これ、絶対年内に印刷が終わってたよね」と思われるものも含まれていたのである。正月の三が日が明けて、「さて、そろそろ年賀状を出すか」と思って、家族写真を選定して、印刷業者に年賀状の印刷を発注するなど、不可能だからだ。印刷がすんだ年賀状が年内に納品されているはずなのに、それが1月7日に届くのはなぜだろう?
まったくもって謎である。
…こんなどーでもいいことで、まる一日、頭を悩ませている。
謎ついでにもうひとつ。
SNSのタイムラインを通じて誕生日のお祝いコメントを送ってくれる方の心理が、僕にとって謎である。
いや、ありがたいことはありがたいんだが、ふだんほとんど接点のない人に限って、タイムラインにお祝いコメントが書き込まれる、という傾向がみられるのである。これが不思議である。
家族すら僕の誕生日なんか忘れちゃっているのに、縁遠い人からお祝いコメントをいただくのが、どうにも自分の中で、精神のバランスに支障をきたしてしまうのである。
ただ、なかには、メッセンジャーを使って、お祝いコメントを書いてくれる人がいて、これはとても嬉しい。ちょっとふだん書けないような「思い」を書いてくれたりして、短いコメントだが、それが励みになったりする。
気になって、ほかの人はどんなふうに思っているんだろうと調べてみると、やはり僕と同じことを思っている人がけっこういるようである。なかには、SNSの誕生日を非公開にしてみたら誕生日のお祝いコメントが来るのかどうか、ということを実験していた人がいた。
その人によれば、誕生日を公開していたときは、タイムラインに40件以上のお祝いコメントが書き込まれていたのが、誕生日を非公開にしたとたん、お祝いコメントはゼロになったという。まあ、あたりまえといえばあたりまえだ。「今日は○○さんの誕生日です」というのを見て、その人の誕生日を知り、ほとんど反射神経的に「誕生日おめでとう」と書き込む人ばかりだからである。
では逆に、こんなイタズラも可能なのではないだろうか?
プロフィールのところで、自分の誕生日を毎日書き換える。そうすると、はたしてタイムラインにおめでとうのコメントが毎日来るだろうか???
ま、サイテーの人間だと思われるので、やるつもりはない。
それよりも、誕生日を非公開に設定できることをようやく知ったので、非公開にした。これで気に病むこともなくなるだろう。
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コメント
ご無沙汰しております。
返信でもなく年明けに年賀状を出す心理。私も理解に苦しみます。
私ならいっそ寒中見舞いにしますね。
別に寒中見舞いは喪中連絡忘れ専用ではないし、今は本来の意味のグリーティングカード的なデザインも多いし。
なぜこんな寒中見舞い推しのコメントをするかというと、年賀状関連企業のくせに自業自得の多忙で年賀状作成できず、今年は寒中見舞いにしちゃったというわけです。
投稿: 江戸川 | 2020年1月12日 (日) 11時43分