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2020年2月

パラレルワールド

2月28日(金)

うちの職場も、ついに2週間ほど休業とすることに決まった。といっても、通常の仕事はそのままである。

「人はみな 同じ方向に向いて行く それを横から見てゐる心」(石川啄木)

ご乱心、というべきか、昨日、急に全国の小中高校の休校要請が、政府の、しかも最高権力者から発せられた。

あくまでも「要請」だと言っているようだが、その言葉が最高権力者から発せられたのである。国民性からして、誰もが従わざるを得ない雰囲気になるのは当然である。これを最近の言葉で「パワー・ハラスメント」という。

その場にいた(と思われる)所轄省の大臣も寝耳に水の話のようで、その後の対応を見る限り、うろたえているばかりである。もともとは威張り散らしたいだけの、人の上に立つ器ではない人間なので、致し方あるまい。

一見して勇ましいような「寝耳に水」の決断を、トップダウンの決断、というのかも知れないが、まあ、通常の組織ではまず許されない。

トップダウンの決断というのが、いかにダメかという見本である。三流のビジネス本にすら、こんなことがよいことだとは書いていないはずである。

このたびの政権というのは、通常の組織に置き換えるとまるで許されないことを、いくつも行っている。

一般の職場では、書類作成に追われ、決済までに幾重もの手続きを必要とし、公文書の改ざんが犯罪となり、予算内に事業を遂行することが求められ、はては、イベントの自粛が強要される。

その一方で、あるところでは、公文書が改ざんされ、廃棄され、決済が口頭で行われ、予算を大幅に超過しても許されるような花見が盛大に行われ、イベントの自粛を呼びかけているそばで、政治家による立食パーティーが何のためらいもなく行われている。

いま僕らは、そんなパラレルワールドに生きているのだ。

怒っていいはずなのだが、誰も怒らない。

怒らないはずだ。だって僕らは、あっちの世界をパラレルワールドだと思ってぼんやりと眺めているだけなのだから。

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毎日が大規模イベント

2月26日(水)

新型コロナウィルス肺炎の影響は、日増しに強くなっている。

3月25日(水)から3月29日(日)にかけて、研究仲間の何人かで、韓国のT市に出張に行く計画を立てていた。

T市は、僕が10年前、韓国に留学していたときに住んでいた町である。今度の仕事も、自分の母校というべきT市のK大学を訪問することになっていたのだ。

久しぶりに「母校」を訪れるということで、はりきっていたのだが、T市はたちまち新型コロナウィルスが蔓延する町となり、昨日、外務省が「レベル2」(不要不急の渡航禁止)の地域に指定した。

そこで昨日、T市への出張は中止することにしたのであった。

同じく昨日、うちの職場で、「職場で3月末までにおこなう予定の大小のイベントは、原則としてすべて中止」というお達しが出た。

3月20日(金)、21日(土)と、僕が主催する「同業者寄合」を計画しており、計画書も事務に提出していたのだが、こちらの方も、やむなく中止にすることにした。

うちの職場では、200人規模のイベントから数人規模のイベントまで、ほぼすべて、中止にしたようである。

「同業者寄合」の中止のお知らせを、メンバーのみなさんにメールしたところ、メンバーのひとりであるSさんから来た返信に、次のようにあった。

「ところで、うちの職場は明日(27日)から3月15日(日)まで臨時休業し、その間不要不急の来客等も控えるように通達がありました。

こうしたことは初めてで、やや不謹慎ないい方ですが、新型コロナウイルス感染症よりも、世間の自粛や排除を求める動向の方が心配されます。

桜の咲く頃には、気持ちよく春を迎えられればと祈るばかりです」

まったくもってその通りと、僕は頷くしかなかった。お上から言われてしまっては従わざるを得ない。お互い、宮仕えは厳しいものですなあ。

つい先ほども、今週末に「西の町」でおこなう予定だった同業者寄合を中止するという連絡が入った。直前まで開催の方向で調整していたが、ついに中止の圧力に屈せざるを得なくなったらしい。中止を知らせるメールには、無念の想いが込められていた。

バッタバッタと中止の連鎖が続いているのだ。

しかし僕にとっては、そんなことよりも、もっと深刻な問題がある。

それは、僕が毎日、片道2時間、往復で4時間も、満員電車に乗って通勤しているという問題である。つまり、1日に4時間も、不特定多数の人たちと「濃厚接触」しているのだ。

イベントを中止したところで、満員電車に往復4時間も乗っていること自体が、大規模なイベントである。

言ってみれば僕は、毎日、朝と夕方に、大規模イベントに参加しているのだ。そっちの方をなんとかしろよ!政府は!

やれ時差通勤だテレワークだと呼びかけているみたいだが、そんなものどこ吹く風、といわんばかりに電車の中は混んでいる。

まるで、船底に大きな穴が開いてそこからどんどん水が入ってきていまにも船が沈みそうなのに、一生懸命柄杓(ひしゃく)で水を掻き出しているようなものだ。

ん?たとえがわかりにくい?

つまり、「焼け石に水」だってことだ。

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たった5分のプレッシャー

2月23日(日)

2日間にわたる北の町での「同業者祭り」が無事に終わった。

今回、僕がどうしてもこの「同業者祭り」に出席しなければならなかった理由は、コメンテーターを依頼されたからである。

「2日目の最後に、登壇者の方々の報告をふまえてコメントを5分程度でお願いします」

といわれたのは、10日ほど前のことだったか。

事前に送られてきた資料を見ると、登壇者は百戦錬磨の猛者ばかりで、

(こんな猛者たちを前にして、俺は何をコメントしたらいいのか?)

と、すっかり不安になってしまった。

少しでも不安を解消するために、あらかじめ読み原稿をつくってみたのだが、その読み原稿が、会の趣旨に合った内容なのかどうかもわからず、ますます不安になってしまった。

(うーむ。困った)

コメントは、「同業者祭り」の最終盤にあてられているので、たった5分のこととはいっても、初日からずーっとそのことが気にかかってしまい、気が滅入る一方である。しかも、

「2日目は、新幹線の時間の都合上、3時に終わらせないといけませんから、発言は時間を厳守して下さい」

と言われる。つまり、あんまりだらだらとコメントを言わないように、という意味である。

読み原稿を読み返してみると、7~8分はゆうにかかりそうなので、

(うーむ。どこかを端折らないといけないなあ)

と、またそこで悩んでしまった。

いよいよ、午後1時15分から午後の部が始まる。

それにつけても気になるのは、時間である。

(うーむ。このままのペースだと、いよいよ僕のコメントは短めにしないとダメかもな)

などと、登壇者の話そっちのけで、そのことばかりが気になってしまった。

そして2時半過ぎ。

「でほ鬼瓦先生、この件につきまして、コメントをお願いします」

結局僕は、一心不乱に原稿を読み上げた。時間を気にする余裕などなく、言いたいことが伝わったのかどうかもわからない。

その後も討論やコメントが続き、予定の3時を7,8分ほど過ぎて、会は終わった。

あれだけの盛りだくさんの内容で、ほぼ時間どおりに終わらせたのは、司会進行の方の手腕によるところが大きいだろう。

さて、帰りの新幹線の時間は、3時39分。会場から駅までは、歩いて10分程度かかる。

会が終わり、急いで会場を出ると、外は吹雪いていた。

僕は冷たい横風に震えながら、駅へと急いだ。

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北へ向かう

2月22日(土)

昨日も、めちゃくちゃ忙しい1日だった。

北へ向かう新幹線のなかで、この文章を書いている。

これから二日間、「同業者祭り」である。

僕は「同業者祭り」に極力出席しないことにしているのだが、この「同業者祭り」ばかりは、むかしからお世話になっている人が多いこともあり、出席することにしている。

だが、この「同業者祭り」は、僕にとってはなかなか過酷である。

第一に、冬の寒い時期に、寒い地方でおこなわれるということ。

第二に、移動時間が長いこと。

第三に、初日の午後から、夜の懇親会を経て2日目の夕方まで、ほぼノンストップでおこなわれるということ。

スタミナ的にかなりきつい会なのである。ましてや体調が万全とはいえない僕からしたら、年々きつくなっている。

昨今の新型コロナウィルスの影響で、あるいは中止になってしまうのではないかとも思ったが、予定どおりおこなうという。

そういえば、来週末は今度は新幹線で西に向かうことになっているのだが、そちらの会のほうも、いまのところ予定どおりおこなうという。主催者からのメッセージに「こんなご時世ですので、不要不急ではないみなさんには覚悟してお集まりいただくことにしたいと思います」とあった。「覚悟して来い」といわれると、本当に「不要不急ではない」といえるのか、ちょっとひるんでしまう。

各地でおこなわれるイベントが、軒並み中止になっている。その様子を見て思うことは、

「この世に、必要なイベントなど存在しないのではないか」

とという、確信に近い仮説である。

「本が捨てられない」という心理と似たような感覚である。

なぜ本が捨てられないのか?もし1冊でも本を捨てることができてしまうと、その他の本も自分にとってとくに必要な本というわけではない、という真実に気づいてしまうからではないか、そのことに気づくのがこわいから、本を捨てるのがためらわれるのだと、以前、ある人が言っていた。

イベントもまた然り。ひとつイベントを中止してしまうと、「じゃ、このイベントもいらねんじゃね?」と、次々と中止の連鎖が起こる。

結局、この世には、必要なイベントなど何一つないということになるのだ。

だから、今年の夏にこの国でおこなわれる予定の大規模なスポーツイベントは、口が裂けても「中止」という言葉を口にすることはできないのだろう。

昨晩のニュースを見ていて、新型コロナウィルスの感染拡大が深刻になっているというニュースのあとに、

「東京五輪の公式スポーツウェアが決まりました!」

と、アナウンサーがニコニコしながら伝えているのを見て、

(俺はいま、どんなパラレルワールドに住んでいるのだ???)

と、脳がグンニョリしてしまったのだった。

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トマトソースにご用心

2月20日(木)

娘を保育園に迎えに行ってから、夕食を作り始める。

「アジのハンバーグの冷凍食品があるから、それをフライパンで焼くときに、きのことトマトソースをからめて作っておいて」と妻に言われたので、その通りに作ってみた。

トマトソース味は、娘が好きな味なのである。

作っているうちに、もう一つアイデアが浮かんだ。

(これをパスタにからめれば美味しいんじゃね?)

ということで、急遽スパゲッティを茹でることにした。

娘は、スパゲッティもまた、大好きなのである。

つまり、最強の好みの味ということになるのだ。

案の定、できあがった「アジのハンバーグとトマトソースのパスタ」(料理名)を見た娘が、

「ちゅるちゅるめんめんだ!」

と大喜びした。「ちゅるちゅるめんめん」とは、要するに麺類のことである。

娘は一心不乱に食べ始めるが、これがまあ、大惨事になる。

手や顔にトマトソースがつくのはもちろん、テーブルや床にまで飛び散る始末。

だいたい、麺類をちゅるちゅるっと口の中に入れるたびに、まわりにいろんなものが飛び散るのだが、これがトマトソースとなると、さらにたちが悪い。うまくフォークが使えないと手でつかんで1本ずつスパゲッティをちゅるちゅると吸い上げる。そうしているうちに、まわりは真っ赤に染まる。娘の周囲一帯が、まるで殺人現場のような様相を呈するのである。そして手を真っ赤に染めた娘がそこにいるのだから、完全に殺人事件の加害者である。

娘の大好物のトマトソースのパスタを、今後も食べさせてやりたいのだが、あとの大惨事のことを考えると、相当覚悟してのぞまなければならない。

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誤訳ニ関スル問題

2月21日(金)

最近は、公私ともに忙しくて、ブログを更新する時間がない。

今日は定例の診察だが、かかりつけの総合病院に行くまでに片道1時間半ほどかかり、しかも病院や薬局は大混雑で、長時間待たされるので、ちょっと診察を受けるだけでも1日仕事である。まったく、健康でないと、病院には通えないな。

しかも病院にいると、いま問題になっている新型コロナウィルスに感染しないだろうか、ヒヤヒヤする。まったく何のために病院に行っているのか、よくわからない。

それはともかく。

こぶぎさんから謎の四行詩のコメントをもらった。あいにく僕は新聞を読んでいないので最初は何のことかよくわからなかったのだが、古典的な暗合解読法で、何のことががわかった。

過去の新聞を取り寄せるつもりもないので、ネットにニュースがあがっていないかと思ってみてみるが、こぶぎさんの紹介した新聞のサイトは、ログインしなければ読めないので、記事自体は読めなかった。

でもまあその内容は、K省のサイトの中で新型コロナウィルスに対する注意喚起の外国語訳が、自動翻訳機そのままなので、かなりおかしなことになっているという記事であることが、なんとなくわかった。

この問題は、その新聞よりも以前に、別の新聞で話題になっていたこともわかった。

要は、僕がこのブログで述べた、「手洗いをこまめにしましょう」という日本語の韓国語訳のところが、「トイレは勤勉に実施しましょう」という頓珍漢な訳になっている、ということを述べた記事である。自動翻訳機は、「手洗い」という言葉を「化粧室」と訳してしまっているのである。

別に記者は僕のブログをパクったわけではなく、そもそもK省のサイトが、そうなっていたのである。

僕が不思議に思ったのは、「なぜ、自動翻訳サイトで翻訳したものをそのままアップしてしまったのか?」ということだけではない。

僕の職場の課長さんは、M省から出向してきている役人である。K省ではない。

にもかかわらず、発想(つまり、自動翻訳サイトで翻訳してよしとする発想)が、K省の役人とM省の役人で、共通している、という事実に、驚いているのである。

自動翻訳でよしとするこの発想は、省庁にかかわらず、役人に共通する発想なのだろうか?だとしたら、かなり根深いものがある。

外国語で発信しようとする発想が、そもそも官僚たちにはないのだ。

やれインバウンドだなんだといっても、所詮は、この程度なのである。

僕はその末端にあるような職場にいるのだが、ここでは、外国語による情報発信が必要であるにもかかわらず、満足にできていない。そういうスタッフを雇う予算がいないからだ。

たぶんその親方である省庁じたいに、そういうスタッフを揃えようという人件費を確保する気が、さらさらないのだろう。

まったく困ったことである。

誤訳問題については、時間ができたらまた書く。

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カミコウセン

2月13日(木)

昨晩、1歳10カ月の娘をお風呂に入れようとしたら、

「イナナイ!」

と、大泣きして全力で拒否された。「全力で」というのは、床に寝っ転がってテコでも動かない、っていうやつである。

「イナナイ」とは「いらない」という意味で、つまりは「イヤだ」ということである。

なんとか強引に服を脱がせようとするが、断固として拒否している。これ以上強引にコトを進めたら、虐待になってしまう。

日中の保護者会で、だいたいどこの家庭でも、これくらいの時期は「父親のいうことを全力で拒否する」ようだから、仕方がないといえば仕方がない。

だが、妻が仕事の都合で帰りが遅くなるので、妻の帰りを待ってお風呂に入れてもらうには、時間が遅すぎてしまう。

泣き止むまで5分ぐらいほうっておいて、あきらめて

「もう寝るか?」と娘に尋ねたら、

「オクロ入る」

という。「オクロ」とは「お風呂」のことである。

どないやねん!なんという変わり身の早さだ。

「イヤだイヤだ」といいながら、ある瞬間に態度を180度変えるのが、この時期の特徴でもある。

何日か前から、「カミコウセン」という言葉を口にするようになった。

「カミコウセン!カミコウセン!」

「カミコウセン見たい!」

カミコウセン、って何だろう?

『蟹工船』?まさかね。

紙風船のことかな、と思った。家には、もらった紙風船があって、以前はそれでよく遊んでいた。紙風船のほうを指さしてみるが、どうも違うようだ。

妻も、同じ言葉を何度か聞いていたようで、やはり不思議がっていた。「カミコウセン見たい!」って、何だろう?、と。

今日ついに、その意味が判明した。

今朝、娘が「カミコウセンへようこそ!」と言ったらしい。

そこで妻はピンときた。

Eテレの「おかあさんといっしょ」で、たまに「ファミリーコンサート」を放送することがある。うたやたいそうのおにいさん、おねえさんたちが、地方に出向いてコンサートをする模様を放送する回である。

そのとき、うたのおにいさんやおねえさんが最初に言うセリフが、

「ファミリーコンサートへようこそ!」

なのである。

つまり「カミコウセン」=「ファミリーコンサート」なのだ!

そんなもん、わかるか!!!

ただ、よくよく考えれば、理にはかなっている。「カミコウセン」の「カミ」は、「ファミリー」なのだ。

ちょうど「おふろ」が「オクロ」に変化するように、「ファミリー」が「カミ」に変化したのである。いずれもh音(もしくはf音)がk音に変化している。

これを言語学では、「音韻対応の法則」という。

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保護者会・3回目

2月12日(水)

今年度3回目の保護者会。1回目のことはこのブログに書いたが、前回の保護者会については書いていなかったようだ。

1歳児クラスは2組あるのだが、前回の保護者会は、各組ごとに懇談会をおこなったところ、僕を含めて4名しか集まらなかった。4名のなかで、父親として参加したのは僕だけだった。

前回、あまりにも寂しかったせいか、今回の懇談会は、最初は2組合同でおこなうことになった。全部で13名くらい集まったが、そのうち父親は、やはり僕1人で、あとは全員、母親である。

僕は3回とも、父親として懇談会に参加しているのだ。ま、平日の昼間だから、仕方がないのかも知れないが、それにしても、母親が仕事を休んで、父親は仕事を休まない、というこの国の社会の構造は、やはりおかしいのではないだろうか。そうした社会に風穴を開けるべく、僕は懇談会に参加しているという側面もあるのだが、ま、それはともかく。

合同での懇談会では、「2歳児クラス」にあがるときの諸注意などが保育士さんから説明があった。

それが終わると、2組が分かれて、組ごとの懇談会が始まる。うちの組は、8名である。

そこでは担任の保育士さんから、「保育園での園児たちの様子」とか、「ひとりひとりの園児の印象」などが語られる。

その後、保護者が4名ずつの2班に分かれて、日ごろの悩みや疑問をお互いにぶつけ合って、解決のヒントをさぐる、という本当の意味での懇談がおこなわれる。

話していていつも思うのは、どこも同じ悩みを抱えている、ということである。

たとえば僕は、娘を抱っこしようとすると、娘が断固拒絶し、妻のほうに抱っこを求めることについて、深く悩んでいたのだが、どこの家庭でも、父親に対する拒絶、というのが、この時期にあるらしい。

「娘に抱っこを泣きながら拒絶されると、自分のプライドが傷つくんです。これからもずっと、あんな感じで嫌がられるのかな、と」

「そんなことは絶対ないですから安心して下さい。いまだけですよ」

「そうでしょうか…思春期までずっとこんな感じなんじゃないでしょうか」

そう言ったら、みんなに笑われた。

あとは、「歯磨き問題」「食事問題」「トイレ問題」「寝付き問題」「テレビ問題」「週末どこに連れていく問題」といったことが話題にあがったが、まあどこの家庭も似たり寄ったりの悩みを抱えているんだな、というのが僕の印象である。

最後に、「この懇談会についてのアンケートを書いて提出して下さい」と、自由記述のアンケート用紙が配られたので、僕は、

「保護者の悩みを話し合う懇談会も有意義ですけれど、保育士さんの苦労や悩みを保護者と共有し合うような形式の懇談会があってもよいかと思います」

と書いた。

これは、昨今問題となっている、保育士の労働環境のことを念頭に置いて書いたものである。保護者は、自分の子どもたちのことだけでなく、保育園や保育士さんについてもっと知る機会があってもよいのではないか、と思うのだが、実現はなかなか難しいかも知れない。でも、言い続けようとは思う。

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祝!「パラサイト」アカデミー作品賞受賞!

いやあ、めでたい!!!

アカデミー作品賞、「パラサイト」がとりましたな!

「ジョーカー」とか「アイリッシュマン」とか「ワンスアポンアタイムインハリウッド」とか「1917」とか「マリッジストーリー」とか「フォードvsフェラーリ」とか、なみいる強豪をおさえての受賞ですよ!

いま挙げた作品、全部見てないけど。

ようやくハリウッドが俺に追いついた!

前々から言ってたでしょう!俳優のソン・ガンホはすごいって。もちろん、監督のポン・ジュノがすごいのだが。

ということで今回は、祝意を込めて、過去に書いたソン・ガンホに関する記事を順不同で再掲します。

酔っぱらい映画鑑賞」(「殺人の追憶」)

映画3連発」(「優雅な世界」)

やさぐれ男の風格」(「義兄弟」)

10年後に『JSA』を見る」(「JSA」)

ソン・ガンホは寅さんをめざすのか」(「青い塩」)

イ・ナヨンの颯爽、ソン・ガンホの迷走」(「ハウリング 凍える牙」)

銭湯と散髪」(「大統領の理髪師」)

拝啓大統領様」(「大統領の理髪師」)

改訂!韓国版「七人の侍」

テーマは再会・その2」(「シークレット・サンシャイン」)

グローバル映画、ドメスティック映画」(「雪国列車」)

韓国映画3本」(クワイエット・ファミリー)

印象はかくも違うか

中国のソン・ガンホ

國村隼はソン・ガンホだ

めざせ!映画プロデューサー

主演はソン・ガンホ

どうだい!このブログで、ソン・ガンホについてふれた記事をこれほど多く書いてきたのだ。

しまいには、ソン・ガンホを渥美清にたとえたり、「七人の侍」の千秋実の役にあてたり、やれ姜文(チアン・ウェン)が中国のソン・ガンホだの、國村隼が日本のソン・ガンホだのと、個性派の名優が全部ソン・ガンホに見えてしまう始末。

さらにあろうことか、自分の人生を映画化するとしたらソン・ガンホがいい、とまで書いていやがる。

これほどまでにソン・ガンホ愛にあふれたブログがあるだろうか?単なるイタいファンやね。

僕にとってのヒーローは、高倉健でも、矢沢永吉でもない。ソン・ガンホなのだ!!!

いままで韓国映画にまったく興味なかったという読者のよい子のみなさん。「ソン・ガンホ」という名前だけは、覚えて帰って下さい。

最後に告白すると、「タクシー運転手」も「パラサイト」も、まだ見ていません。

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アングラ志向

土日の2日間、絶食をしている。当然、外出も控えている。

ウィルス性胃腸炎に罹ると、何が悲しいって、被害者であり、加害者にもなりうる、ってことなんだよなあ。

ま、感染性の病気に共通して言えることなんだろうけど。

こういうときは、得意のマイナス思考が頭をもたげてくる。

もともとがアングラ志向の人間である。

アングラがメジャーになると、急に興味を失ったりしてね。

むかし、ある劇団が好きで、20代の頃は舞台をよく見に行ったものだが、その座付き作家がテレビドラマの脚本を書いて売れるようになり、ついには映画監督にまでなってからは、急速に興味を失った。

その点、クドカンはいいね。「いだてん」は大河ドラマ史上最低の視聴率なのだが、一部に熱狂的なファンがいる。あれくらいの温度が、好きである。

僕がコントグループのシティーボーイズが好きなのも、あのアングラ性であり、それがずーっと変わらない、ということなのである。

僕も仕事の必要から、いろいろな会合やイベントを企画したりするが、あんまり大がかりのイベントは、好きではない。「知る人ぞ知る」みたいな集まりが好きなのだ。

といって、「馴れ合い」が好きなわけではなく、そのときどきによって離合集散していく感じ、というのがよい。

「メジャー化」と「固定化」というのが、苦手なのである。

アングラ的な活動が、いつしかメジャーになり、大がかりなイベントを仕掛け、常連さんが幅をきかせるようになっちゃったら、

「ちょっともう、僕の出る幕じゃない」

と思ったりして、そのイベントに参加するのをためらってしまうようになる。ま、これを一般には「気後れする」ともいうのだが。

だから、僕は人から離れていくし、人は、僕から離れていく。

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薬がない

世界では 新型コロナウィルスに感染する人が 増えている

今朝来た 新聞の 一面に 書いていた

だけども 問題は 僕のノロウィルス 薬がない

行かなくちゃ 病院に行かなくちゃ 薬をもらいに行かなくちゃ 寒空の中

冷たい風が 今日は心に滲みる ノロのこと以外は 考えられなくなる それは いいことだろう?

行かなくちゃ 病院に行かなくちゃ 薬をもらいに行かなくちゃ 寒空の中を

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もし総理大臣になったら

もし総理大臣になったら、絶対に日記をつけるだろう。

総理大臣になるチャンスなど、誰にでも訪れるわけではない。

そんなチャンスを、漫然と過ごしているのはもったいない。

もともと、このブログも、40歳にして韓国留学、という、一生に一度、あるかないかという体験を、事細かに記録にとどめておこうという趣旨で、はじめたものである。

ずいぶん前に買った本だが、細川護煕『内訟録』(日本経済新聞出版社、2010年)という本がある。

細川護煕氏が、1993年夏から1994年春にかけての8カ月間、総理大臣を務めたときの日記である。

ちょうど僕はその頃、大学院生だったので、リアルタイムでこのときの政権のことを記憶している。

この日記が、めちゃくちゃ面白いので、折にふれて読み返し、いまの政権の知的水準との雲泥の差に、思いを致している。

思えば、細川氏が、当時飛び抜けて知的水準が高かった、というわけではないだろう。むしろこの世代の平均的な知的水準をもつ政治家であったはずである。

1993年8月4日(水)の日記

「トインビーは『私たちは自分たちがたまたまその中に生きている特定の国家、文明および宗教を、その故に中心的であり、また高級なものであるとする幻想からみずからを解放しなくてはならない』(『歴史の研究』)と言っているが、ベルリンの壁の崩壊、東西両ドイツの統一、旧ソ連の瓦解、東西冷戦の終結など、歴史の変化の速度は人智を超えるものなり。

日本自身の変化の速さに思いを致すとき、人間の考える時刻表が如何にあてにならぬものかと改めて思う。

私は行動で誤ることがあっても、歴史を見ることで誤ることはない。-シャルル・ドゴール」

1993年9月5日(日)の日記。

「すべての権力を持つ者が、それを濫用しがちなことは、いつも経験するところである…。権力を濫用できないようにするには、権力が権力を抑えるようなしくみが必要だ、とモンテスキューが『法の精神』で言える如く、活力ある、豊かさが実感できる社会実現のためには、何としても官僚の抵抗を抑え規制緩和せざるべからず。『春秋左氏伝』に、「国将亡、必多制」とあることを銘記すべし」

1993年11月5日(金)の日記。

「朝、皇居正殿「松の間」における文化勲章、功労賞授賞式に出席。

それにしても勲章の如きものに人は何故かくも執着するのか。真に世の為、人の為に陰ながら尽した人々を顕彰するは結構なることなれど、既に功成り、名遂げたる高位、高官の物欲しげなる態、まことに見苦しきものなり。これを見れば、大体その人の器量は解るものなり。西郷曰く、「生命も要らず、名も要らず、官位も金も望まざる者は、御しがたきものなり。然れどもこの御し難き人に非ざれば、艱難をともにして国家の大業を計るべからず」と」

細川政権は、わずか8カ月で瓦解した。政権を投げ出したと、当時、批判された。

政界引退後は、趣味人として生きているようである。

以前、小さな映画館で、細川さんと思しき方と、すれ違ったことがある。

政治のドキュメンタリー映画も上映していたが、それには目もくれず、芸術を主題にしたドキュメンタリー映画をご覧になったようだった。

趣味人としての人生を、全うされるおつもりなのだろう。

政治が芸術を弾圧するような風潮が訪れているいま、細川さんはどんなことを考えているのだろう。

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胃腸炎

先日の日曜日の未明から、娘がウィルス胃腸炎になった。

僕は先週の土曜日から火曜日にかけて、絶対に休めない仕事が続いた。

土日は、「西の町」での仕事。

月曜日は、都内で終日会議。

火曜日は、職場で終日会議。

なんとかここまでは乗り越えた。

娘につきっきりだった妻も、胃腸炎がうつったらしく、数日前から食べ物を受け付けないらしい。

このテの病気はウィルス性なので、僕の母や、義理の母に来てもらって手伝ってもらうというわけにもいかない。年寄りに感染すると重症化する可能性もあるからだ。

今日もまだ、娘の調子が戻らないので、小児科のお医者さんに連れていった。

「吐き気があるようだったら、吐き気をおさえる座薬を処方しますから、まず座薬を入れて下さい」

「はい」

「で、40分くらい経ったら、座薬が効いてきますから、水をコップ4分の1くらい飲ませて、吐かないようだったら、スープの上澄みをのませてみて下さい。あとは、粉薬の整腸剤も処方しますので、飲ませて下さい。粉では飲みにくいので、水をほんの一粒混ぜて、団子状にして飲ませて下さい。ヨーグルトなどに混ぜると、今度はヨーグルトのせいでお腹を下しますから、ヨーグルトには混ぜないで下さい」

「わかりました」

「吐きそうな感じがしなかったら、よく煮込んだおじやか、よく煮込んだうどんを食べさせて下さい」

「はい」

お医者さんは、噛んで含めるように言った。

僕は家に帰り、言われた通りに、スープを作り、おじや、というよりおかゆを作って、娘に食べさせたのだが、娘は、スープの上澄みをひとくちすするなり、

「辛い!」

と言った。

味を見てみると、たしかに大人の私にとってもちょっと辛い。

というか、もう「辛い」という感覚がわかるのだな。僕は娘が短期間で次々と言葉やその言葉に付随する感覚を身につけていくことに、驚いたのである。

おかゆはまあまあ食べたので、食欲はいくらか回復したのかも知れない。

いまのところ、かろうじて僕だけが持ちこたえているが、さてどうなるか。

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方角に迷う駅

2月1日(土)

出張のため、新幹線で、西に向かう。新幹線の駅を降りてから、地下鉄に乗り換えて1駅で、この界隈でも有数の繁華街のある駅に到着する。

この「市」には、ここ最近何度か訪れているが、この「繁華街のある駅」で降りるのは、ほぼ初めてである。

この駅は、とくに関東圏から来た人間にとっては、少々わかりにくい。北に私鉄、真ん中にJR、南に私鉄と、平行に走っていた三つの鉄道が、この駅で合流するのである。

しかも、駅名表記が、鉄道によって微妙に異なるのがややこしい。うっかり間違って表記しちゃったら、「おまえわかってないな」と言われそうである。

もっとよくわからないのが、「東口」と「西口」である。

僕の感覚だと、「東口」「西口」と言われたら、線路を挟んでそれぞれ反対側に「東口」「西口」があると思ってしまうのだが、どうもこの駅はそういうわけではないらしい。線路の南側に出て、東側が「東口」、西側が「西口」ということらしい。しかも、明確に「東口」「西口」という場所があるのかすら、よくわからない。いや、じっくり調べたらわかるのかも知れないけれど。

泊まる予定のホテルが「東口」にある、といわれても、そもそも東口がどこにあるのかよくわからず、グルグルと変な道を回ったりしたのであった。

また、今度は用務先の場所が「西口から徒歩10分」といわれた日には、「西口ってどっちだよ!」と、ますますわかんなくなる。

この界隈では有数の繁華街であり、観光名所でもあるのだが、まったく土地勘のない人間にとっては、とても難易度の高い町なのではないだろうか。

あるいはたんに僕が老化しただけなのか。

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