北へ向かう
2月22日(土)
昨日も、めちゃくちゃ忙しい1日だった。
北へ向かう新幹線のなかで、この文章を書いている。
これから二日間、「同業者祭り」である。
僕は「同業者祭り」に極力出席しないことにしているのだが、この「同業者祭り」ばかりは、むかしからお世話になっている人が多いこともあり、出席することにしている。
だが、この「同業者祭り」は、僕にとってはなかなか過酷である。
第一に、冬の寒い時期に、寒い地方でおこなわれるということ。
第二に、移動時間が長いこと。
第三に、初日の午後から、夜の懇親会を経て2日目の夕方まで、ほぼノンストップでおこなわれるということ。
スタミナ的にかなりきつい会なのである。ましてや体調が万全とはいえない僕からしたら、年々きつくなっている。
昨今の新型コロナウィルスの影響で、あるいは中止になってしまうのではないかとも思ったが、予定どおりおこなうという。
そういえば、来週末は今度は新幹線で西に向かうことになっているのだが、そちらの会のほうも、いまのところ予定どおりおこなうという。主催者からのメッセージに「こんなご時世ですので、不要不急ではないみなさんには覚悟してお集まりいただくことにしたいと思います」とあった。「覚悟して来い」といわれると、本当に「不要不急ではない」といえるのか、ちょっとひるんでしまう。
各地でおこなわれるイベントが、軒並み中止になっている。その様子を見て思うことは、
「この世に、必要なイベントなど存在しないのではないか」
とという、確信に近い仮説である。
「本が捨てられない」という心理と似たような感覚である。
なぜ本が捨てられないのか?もし1冊でも本を捨てることができてしまうと、その他の本も自分にとってとくに必要な本というわけではない、という真実に気づいてしまうからではないか、そのことに気づくのがこわいから、本を捨てるのがためらわれるのだと、以前、ある人が言っていた。
イベントもまた然り。ひとつイベントを中止してしまうと、「じゃ、このイベントもいらねんじゃね?」と、次々と中止の連鎖が起こる。
結局、この世には、必要なイベントなど何一つないということになるのだ。
だから、今年の夏にこの国でおこなわれる予定の大規模なスポーツイベントは、口が裂けても「中止」という言葉を口にすることはできないのだろう。
昨晩のニュースを見ていて、新型コロナウィルスの感染拡大が深刻になっているというニュースのあとに、
「東京五輪の公式スポーツウェアが決まりました!」
と、アナウンサーがニコニコしながら伝えているのを見て、
(俺はいま、どんなパラレルワールドに住んでいるのだ???)
と、脳がグンニョリしてしまったのだった。
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コメント
県都の映画館で金曜日から始まったドキュメンタリー映画を見に行ったが、やはりテレビは映画で見るに限る。朝早くと夜遅くの変な時間に上映中なので、お帰りにでもどうぞ。
ちなみに、元総理が見た例の映画の予告編もかかっていたので、オトナ吹きだまらーの読者の皆さんもいかが?
投稿: さよならコブギ | 2020年2月23日 (日) 14時19分