« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »

2020年3月

僕の町のコメディアン

3月30日(月)

僕の住んでいる町に、一人のコメディアンが住んでいた。

僕がいまの町に引っ越してきたのは、いまから2年ほど前のことで、引っ越してからほどなくして、同じ町内に、そのコメディアンが住んでいることを知った。

僕の住んでいるマンションから、おそらく歩いて10分ほどのところに、そのコメディアンの家はある。僕が中学生とか高校生だったなら、そのコメディアンの家を探しに行ったかもしれないが、50歳を超えた僕には、わざわざ家を探しに行くほどの無邪気さはもうなく、だいたいの場所を知るのみだった。そのうち、町を歩いていたらどこかでひょっこりすれ違ったりして、という淡い期待を抱きながら。

そのコメディアンが、新型コロナウィルスに感染し、重度の肺炎のため入院したというニュースを聞いたとき、

(もう、戻ってこないだろうなあ)

という予感がした。

僕の父は、2年半ほど前に肺炎で亡くなった。もともと肺に持病を持ち、晩年は酸素吸入器が手放せなかったほどだった。ある日突然、肺炎が重症化し、入院してから4日目で亡くなったのである。76歳であった。

重症化した肺炎の苦しみを傍らで見てきた僕は、そのコメディアンもおそらく、そのように苦しんでいるのだろうと想像した。そのコメディアンは70歳。高齢者が重症化した肺炎にかかったという点では、父と同じだった。父よりも若いそのコメディアンは、父よりも幾分は持ちこたえるだろうというのが、僕の予感だった。そのコメディアンが3月20日に入院して1週間ほどたったあたりから、どうにも胸騒ぎがして仕方がなかったのである。

そして今日のニュースで、昨日、そのコメディアンが亡くなったことを知ったのである。

僕の町のコメディアンは、もういない。

泣ける映画

| | コメント (0)

復活の日

3月29日(日)

コロナ鬱の日々。

もうすぐ4月だというのに、東京では大雪が降った。折しも不要不急の外出を自粛するようにと言われていたから、この大雪で不要不急の外出を思いとどまった人は多かったことだろう。

あちこちで言われていることかもしれないが、小松左京の小説『復活の日』が、このたびの新型コロナウィルス騒動を予言したような小説である。

もっとも僕は、小説をちゃんと読んでいるわけではなく、深作欣二監督の角川映画『復活の日』を観ていたにすぎない。

以下はネタバレを覚悟で書くが、某国で細菌兵器のために密かに開発していた新型ウィルスが、不慮の事故で地球上に拡散され、瞬く間に世界に感染し、人類が死滅する、というお話である。このたび、あらためて見直してみた。

映画の中ではこのウィルスについて、「最初は普通の風邪と同じ症状なのだが、重症化すると肺炎を起こしてたちまち死に至る」みたいな説明があり、いまの新型コロナウィルスと同じじゃないか、と背筋が寒くなった。病院に患者が殺到し、医療崩壊をしている様子が描かれているが、これもいま見るとぞっとする。

このウィルスは、氷点下の世界では生きていけないらしく、映画では、たまたま観測隊として南極にいた世界各地の隊員たちが、ウィルスに感染することなく生き延びていた。つまり、人類は、南極に残されたわずかの人しか、残らなかったのである。

その事実を知った潜水艦が、南極への上陸許可を求める、という場面がある。一つは、ソ連の潜水艦、もう一つは、イギリスの潜水艦である。

イギリスの潜水艦は、世界で感染が始まる前にすでに海の中に潜っていたので、ウィルスに感染している乗組員は一人もいなかった。

それに対してソ連の潜水艦は、陸上でウィルスに感染した者が、潜水艦に乗り込んでいて、そのために艦内にあっという間に感染が広がっていった。

ソ連の潜水艦の艦長は、感染した乗組員たちに医療をほどこしたいと思い、わらをもすがるような思いで、南極に上陸許可を求める。

だが、もし上陸許可を認めてしまうと、南極にもウィルスが侵入することになり、もともと無菌だった人たちまで感染してしまう恐れがある。

ソ連の潜水艦は、それでも強引に南極に上陸しようとするが、そのことを察知したイギリスの潜水艦が、ソ連の潜水艦を撃墜してしまうのである。かくして、南極にウィルスが持ち込まれるという危機が回避されたのであった。

これをいまの状況に置き換えれば、クルーズ船の入港を許可するかどうか、といった問題とも重なってくるだろう。

では、映画『復活の日』が名作かというと、決してそうではない。角川映画がイケイケドンドンで予算をつぎ込んで作った、僕が言うところの「ワッショイ映画」である。

この映画は、海外のスタッフにより、海外向けに再編集されて公開されたそうである。海外版のタイトルは、そのものずばり「VIRUS」である。

オリジナルと海外版を見比べてみると、ずいぶんと違う。オリジナル版は2時間半なのだが、海外版は、かなりばっさりと切っていて1時間50分程度である。

20191124203500 それに、海外版では、オリジナルの内容をかなり大胆に組み替えている。たとえば、『復活の日』でもっとも有名な場面、物語の終盤に、草刈正雄がボロボロの衣装をまとい杖をつきながら荒野を歩き、それが夕陽とシンクロするという場面。

これは、物語が終盤になるにつれて盛り上がり、この場面でもっともカタルシスを感じるように、オリジナルでは構成されているのだが、海外版では、これを冒頭のタイトルバックに、あっさりと使ってしまっている。

それどころか、物語の終盤の、再会シーンがばっさりカットされ、その前の、地球上に核爆弾が落とされて人類が滅亡するという、なんとも救いのない結末で終わってしまうのである。

僕が想像するにですよ。この映画、撮影監督の木村大作先生が、かなり頑張ったと思うの。とくに、草刈正雄と夕陽が重なる場面なんてのは、大作先生にとっては、会心の出来だと思うのよ。画面から、「どうだ!」と言わんばかりのどや顔がみなぎっているもの。

で、それを、物語の終盤に持ってきて盛り上げようとしたのがオリジナルのほうなのだが、海外版のほうは、「そういうのいいから」てな感じで、この一番いいシーンを冒頭に持ってきちゃった。しかも最後の再会のシーンがないから、映画の冒頭で、どうして、草刈正雄がボロボロの衣装をまとって杖をついて放浪しているのかが、映画の最後まで観ても、よくわからないのだ。

オリジナル版の冒頭、ジャニス・イアンの主題歌とともに、これもまた木村大作先生渾身の、南極の美しい映像がこれでもかと流れるのだが、海外版ではやはりそこも、「そういうのいいから」てな感じでバッサリとカットしている。

情緒的なシーンだとか、浪花節的な場面だとか、クドい場面が、気持ちいいくらいにバッサリとカットされているのだ。

海外版を見た日本のスタッフたちは、「おまえら何もわかっていない!」と、さぞ激怒したんじゃないだろうか。

だが一方で、このドメスティックな内容のオリジナル作品を、海外に買ってもらうにはどのように編集したらよいのか、海外の担当者はかなり苦労したはずである。

…話がかなり脱線してしまったが、『日本沈没』といい、『復活の日』といい、小松左京先生はいまもなお、作品を通じていまの私たちに警告を発している、というのが、ここでのいちばん言いたいことである。

| | コメント (2)

終りに見た街

3月28日(土)

本来だったら、今ごろは韓国の大邱に行っているはずなのだが、新型コロナウィルス騒動で、もちろん早々に無期限延期となってしまった。

水曜日に都知事が記者会見し、「週末の不要不急な外出は自粛するように」との要請が出て、その週末を迎えた。

昨日(金曜)の夕方、娘を保育園まで迎えに行き、その後小児科に連れて行き、自宅のマンションに戻ってきたのが午後6時半頃。

マンションのエレベーターを待っていると、同じマンションの住人で、僕よりも少し若いくらいの男性が、やはり同じエレベーターに乗ろうと待っていた。名前がわからないので、仮にAさんとしよう。

そうこうするうちに、エレベーターが降りてきたのだが、そこには、ゴルフバッグを抱えた、やはり僕よりも少し若いくらいの男性が乗っていた。この人もこのマンションの住人なのだが、名前がわからないので、仮にBさんとしよう。

エレベーターの扉が開くと、AさんとBさんはどうやら顔見知りのようで、「やあ」と声を掛け合った。

「これからどこに行くの?」とAさん。

「(ゴルフの)打ちっ放しですよ」とBさん。

「そうですか、じゃあ」

といって二人は別れたのだが、横で聞いていた僕は、

(おいおい!週末は不要不急の外出自粛、ましてや夜間の外出はとくに自粛って、都知事が言ってたじゃん!)

と、Bさんの行動に大変驚いたのだが、Bさんは水曜日の記者会見を、さほど意に介していないのだろうか。

このタイミングで、ゴルフの打ちっ放しにいくという感覚が、僕には全然わからない。それほど急を要することなのか???

そして今日、土曜日。

娘をどうしても耳鼻科に連れて行かなければならなかったので、午前中に外に出たのだが、記者会見の効果か、車の数や歩いている人の数は、普段の週末より、やや少なめである。とくに、先週の3連休の時と比べると遙かに少ない。先週の3連休は、道路が大渋滞し、バス停にも人が大勢並んでいたのだが、今日は道路の渋滞もなく、バス停に並ぶ人もかなり少なくなっている。

そんな中で目立つのは、ジョギングをする人たち、である。

普通に歩いている人が少ない分、行き交う人というのは、ジョギングを目的に走っている人がほとんどなのである。

ジョギングって、不要不急の外出には当たらないの???

こんなときにジョギングをしている人って、バカなの???

ジョギングをせずにいられない病気なの???

それとも、ジョギングをすることは、新型コロナウィルスに感染もしないし、感染もさせないという科学的根拠があるのだろうか?寡聞にして知らない。

脚本家の山田太一が書いた、『終りに見た街』(小学館文庫、2013年、初出は1981年)という小説のことを思い出した。

ある家族が、太平洋戦争末期の1944年末に突然タイムスリップする、というファンタジー小説である。そこで彼らは、飢餓や言論統制や空襲という悪夢のような体験をするのだが、未来から来た彼らは、いつどこで空襲が起こるか、とか、最終的に日本が敗戦する、といった歴史的事実を知っている。

やがて、1945年3月10日という日が迫ってくる。東京大空襲の日である。未来から来た家族たちは、一人でも多くの人を東京大空襲から救おうと、東京中を駆け回って、

「3月10日に東京で大規模な空襲が起きるから、早く逃げて!」

と呼びかけるのだが、誰も聞く耳を持とうとしない。それどころか、根拠のない嘘で不安をあおり立てたとして、彼らはみんなから罵倒されるのである。

過去にタイムスリップした人が、未来について警告するなんて、まったくの荒唐無稽な話だと思うかもしれないが、果たしてそうだろうか。

いま、欧州や米国に住んでいる人が、日本に住む人たちに対して、

「このままだと、東京、あるいは日本に感染爆発が起きて、とんでもないことになるから、そうならないように、外出するのはやめて!」

と呼びかけている。欧州や米国の現実が、まさにそうだからである。この国にとって、少し先の未来なのかもしれないのだ。

だが日本に住む人々は、その呼びかけを、どれほど真剣に受け止めているだろうか。

山田太一が小説の中で語ったのと同じことが、いまこの国で起きているのではないだろうか。

| | コメント (1)

2歳になりました

3月26日(木)

早いもので、娘が2歳になった。

感慨深いのは、娘が2歳になるまで、僕自身が生きながらえている、ということである。この調子で、娘の成長とともに、生きながらえていきたいものだ。

むかし、日本テレビの火曜サスペンス劇場という2時間の単発ドラマ枠があり、そこで「わが町」と題するドラマシリーズが1990年代に放送されていた。1話完結型式で放送された刑事物のサスペンスドラマで、主演は渡辺謙である。

原作はエド・マクベインの『87分署シリーズ』で、設定を東京の月島に置き換えて、原作をもとにしつつも、当時の日本の世相を盛り込んだ内容となっていた。主演の脇を固める刑事役の俳優陣は、蟹江敬三、佐藤B作、平田満、川野太郎、松井範雄である。

2作目の「わが町Ⅱ」だったと思うが、もうすぐ初めての子が生まれる森田吾郎刑事(渡辺謙)が、先輩同僚である鳴海成巳(蟹江敬三)に、

「はじめて子どもが生まれたとき、どんな気持ちでした?」

と聞く場面がある。このとき鳴海は、

「そうさなぁ。俺が死んでも、代わりに生きてくれるやつができたと思った」

と答えるのである。

僕はごく最近、このドラマの再放送をテレビで観て、

(娘が生まれたとき、俺も同じことを思ったなあ)

ということを思い出したのである。ちなみに脚本は、鎌田敏夫である。

このセリフは、これからも繰り返し思い出すだろう。

さて、娘に誕生日プレゼントを買った。「おかあさんといっしょ スペシャルステージ からだ!うごかせ!元気だボーン!」と、「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート ふしぎな汽車でいこう!60年記念コンサート」の、2本のDVDである。いずれも、昨年におこなわれたコンサートで、Eテレでも放送された。

もちろんこれはテレビで録画していて、娘も繰り返し観ているので、あらためてDVDを買う必要もないのだが、DVDには、放送には出なかった歌も収録されており、いわば「完全版」なのだ。

何より、僕自身が、この二つのコンサートに心を奪われたのである。

もうね、クオリティーの高さったらないね。そんじょそこらのアイドルのコンサートなんかより、はるかにクオリティーが高いもの。とくに「スペシャルステージ」のほうは、会場が埼玉アリーナだったり大阪城ホールだったりするから、もう完全にアイドルのコンサートだな。しかも歌唱力と身体能力はそんじょそこらのアイドルの追随を許さないのだ。

「最強の4人のユニット」といえば、ちょっと前までは「水曜どうでしょう」のいわゆるどうでしょう軍団を思い浮かべたものだが、いまや僕の中では、「あつこおねえさん、ゆういちろうおにいさん、まことおにいさん、あづきおねえさん」の4人が、「最強の4人のユニット」である!

「60年記念コンサート」のほうは、「おかあさんといっしょ」が放送60周年になることを記念したコンサートだが、こちらには、歴代のうたのおにいさん、おねえさんが登場する豪華版である。

このワクワク感はなんだろう?と考えてみたら、ウルトラマンシリーズで、歴代のウルトラの兄弟たちが一堂に会する回があったりしたでしょう。「ウルトラ兄弟全員集合」みたいな。僕の中では、あのときのワクワク感と同じなのだ。

最後のほうで、「初代うたのおねえさん」が登場したときは、「ウルトラの母だ!」と感動したのである。

ま、そんなことを思っているのは僕だけなのだが。

さて、プレゼントを受けとったときの娘の反応は、イマイチだった。テレビで録画したものをすでにさんざん観ているから、飽きてしまったのかもしれない。

いまは「アナと雪の女王」に夢中である。

| | コメント (0)

感染爆発、重大局面

3月25日(水)

都知事が午後8時の記者会見で、東京におけるコロナウィルス感染の状況について、

「感染爆発、重大局面」

というフリップをもって、説明していた。

もちろん、このメッセージじたいは、真摯に受けとめなければならないのだが、いくつか、気になることがあった。

たしか2月の終わりに、政府は、

「この1,2週間が瀬戸際」

と述べていた。つまり、1,2週間は自粛しろ、ということで、粛々とそれに従ってきた。

もう2週間はとっくに過ぎたのであるが、今度は、「感染爆発、重大局面」なので、週末の不要不急の外出は自粛しろ、という。

なんかどんどんと、言葉がエスカレートしていくなあ。言葉のインフレである。こうなると、これからはこれよりももっと刺激的な言葉を使わなければ、人々は危機感を持たなくなるということだろう。

もう一つ気になったのは、なぜ、「感染爆発、重大局面」という言葉をわざわざフリップにしたのか、という疑問である。

都知事は、そのフリップを自分の顔の真横にピッタリとつけながら、説明したのである。まるで、新元号を書いた文字を記者たちに向かって見せた官房長官のような仕草である。

しばらくして、気がついた。

そうか。キャッチフレーズをフリップにして、顔の真横にピッタリとつけて説明すれば、テレビやネットニュースなどに、都知事の顔が必ず映り(写り)込むことになる。つまり、都知事がリーダーシップをとって決断しているのだ、という姿を、見せつけることになるのだ。

そのために、「感染爆発、重大局面」という、一件センセーショナルで、それでいて曖昧模糊とした表現を、わざわざフリップにしたのではないだろうか。で、テレビやネットニュースは、まんまとその通り、都知事の「顔付き」で、「感染爆発、重大局面」というフリップを紹介していた。

キャスターの経験のある都知事は、どうすれば自分が印象よく映るのか、ということを、よく知っているのだ。

この国の感染防止対策が後手にまわった理由が、オリンピックにあることは、衆目の一致するところである。首相や都知事は、感染防止対策には「上の空」で、どうしたらオリンピックを開催できるかにばかり気が向いてしまっている。だから感染防止対策を本気で考えることよりも、IOC会長との話し合いを優先させたのだ。そんな時間かあるなら、国内の感染防止対策と経済補償の問題に時間を割けよ!

「町の声」も、アスリートの心配するよりも、自分の心配をしろよ!

政府は時差出勤やテレワークを推奨しているが、現場はあまりそうなっていない。そもそもうちの職場は、もともとテレワークを認めていない職場だったので、テレワークといわれても、その方法がわからない。

お役所系の機関に勤める友人に話を聞いたら、時差出勤を命じられて朝8時に出社することになったのだが、仕事をしていると結局、いつもの退勤時間になってしまうので、結果的に以前よりも長時間労働になっているという。

外資系の企業に勤める友人によると、今は完全にテレワークで自宅待機。出社することはないという。さすが、外資系は徹底している。

笛や太鼓で時差出勤やテレワークを政府が推奨しても、現実にはそうならないことは、構造的な問題である。

まあこんなことはどうでもよい。

それよりも問題なのは、僕が毎日、往復5時間かけて、満員電車で通勤し、職場では密閉された空間の中で会議やら打ち合わせやらをひっきりなしにおこなっているという現状である。

なんとかならないものか。

| | コメント (1)

寓話・新憲法制定会議

僕の住んでいる国は、人口が100人ほどの小さな国である。

この国では、6年に1度、憲法を改正しなければならない、という決まりがある。いや、改正というより、まったく新しい憲法に作りかえる、といった方がよい。

新しい憲法の策定にあたっては、新憲法制定会議なるものが組織され、そこで憲法が作成される。会議の構成員は、5人ほどである。つまり、憲法の策定は、5人に委ねられるのである。それで僕は、その5人のうちの1人になってしまった。

昨年の4月からはじまり、1年かけて、憲法を完成させなければならない。そのための会議は、平均して、1週間に1回程度で、1回の会議時間は2時間~3時間である。

前半の半年は、過去の憲法の読み込みと問題点の洗い出し、といったことや、この国の住民で、さまざまな職業の方に取材をして、この国の問題点を明らかにする、といったことに注力した。そして、それが一段落すると、5人で合議して、今度の憲法でふれるべき論点、といったものを、箇条書きのような形で書き出し、「今度の憲法では、こんなことについて触れますよ」ということを、住民たちに示し、意見をもらう。これがだいたい、9月ごろである。

10月以降になり、ようやく憲法の文面を、5人が分担して書き始める。初めに前文、というか総論があり、そのあとに各論が書かれる。総論を書くのは議長で、僕は議長ではないので、各論の中の一部を担当した。

粗原稿を書き、それを持ち寄り、読み合わせをする、といったことを、何度も繰り返す。そうして、次第に形を作っていく。そして、12月の年末くらいまでに、おおよその草案を作りあげる。といっても、5人はその仕事だけにかかりきりではなく、他にいくつも仕事を抱えているので、なかなか原稿は進まない。

それに、正直なことを言うと、この国に、はたして未来への展望が開けているのかすら、よくわからない。バラ色の未来が広がっているのならば、憲法作成に対するモチベーションが上がろうものだが、社会全体に閉塞感が漂う今日において、理想を語ることにどれほど意味があるのか、ときにむなしく感じることもある。こんなことを書く時間があったら、その時間を、自分のための原稿を書く時間に使いたい、という思いが、なくはないのだ。

かなりいろいろな制約がある中で、生産性があるのだかないのだかわからないような文章を書くというのは、実につらい作業である。

年明け以降は、さらに原稿の読み合わせをしながら、ふれるべきであるのに落としている内容がないかとか、表現が妥当かどうか、といった、細かい点をひとつひとつチェックする。つまり、推敲に推敲を重ねるのである。ちょっとした表現であっても、5人が合意する表現に落ち着くまでに、かなりの時間を要する場合もあり、これもまたかなりのストレスである。

僕は、新憲法制定にあまり思い入れがないこともあり、(もう、これでいいじゃん)と、投げやりに思うこともしばしばなのだが、もちろんそんなふうに投げ出すわけにも行かない。そんな個人の思いとは別に、どこに出しても恥ずかしくないような憲法を作らなければならないのである。

かくして3月の末になって、ようやくそれなりの形が完成した。ここまで来るのに1年。会議の数は40回以上にもなった。1回の会議時間が2時間半として、実に100時間以上もかけたことになる。

とりあえず、これを国王に献上するのだが、これで終わりではない。国王は、これをさらに諮問機関にかけて、この憲法についての意見を求め、それをもとに、また修正を加えなければならない。

任期は1年だと思っていたのだが、新憲法の完成までには、年度を越えて、もうしばらくかかりそうだ。

この1年、僕はこの仕事にかかわり、とても疲弊してしまった。

人口が100人ていどのこんな小さな国で憲法を改正するだけでも、これだけたいへんなのだ。僕が言いたいのは、1億人以上を擁する国において、もし憲法を変えたいというのであれば、問題点を洗い出し、何度も何度も議論し、表現の一言一句に至るまで慎重に吟味し、何度も何度も推敲を重ね、何重にもわたってチェックをするくらいの覚悟が必要なのだ、ということである。

| | コメント (0)

パパ、ズボンはいて!

もうすぐ2歳になる娘の最近の口癖は、

「パパ、ズボンはいて!」

である。

お風呂上がりに下着で歩いていると、それをめざとく見つけて、

「パパ、ズボンはいて!」

というのである。そのうち僕は、わざと下着で部屋の中を歩くようになり、

「パパ、ズボンはいて!」

と言わせたりしている。どんなプレイなんだ?

今日のお風呂上がり、娘を寝かしつけようと、娘を抱っこしようとした。

布団に入って素直に寝てくれることはなく、縦抱っこをしないと寝てくれないのだ。で、眠ったころを見はからって、布団に寝かせるのである。

ところが、まだ遊んでいたいというときや、寝たい気分でないときは、抱っこを断固拒否する。もう少し遊ばせろ、ということなのである。

それでもこっちとしては、早く寝かしつけたい。

「抱っこするよ」と、こちらが両手を差し出すと、「やだー」と、断固拒否した。

それでもしつこく、両手を差し出して抱っこしようとするポーズをこちらがすると、ますます拒否反応を示し、逃げ回り、大声で泣き出した。

まるで、こっちが虐待しているかのごとくである。

「抱っこするよ」

ワーン、ワーン、ワーン!!!

「抱っこするよ」

ワーン、ワーン、ワーン!!!

…とにかく本気で大泣きするのである。

そんなに拒否しなくてもいいだろう、と思うのだが、全力で拒絶される。

それでもしつこく抱っこしようとすると、精一杯大声で泣き、

「ワーン、ワーン、パパズボンはいてぇ~、パパズボンはいてぇ~、ワーン、ワーン、パパズボンはいてぇぇぇぇぇ~、パ~パ~、ズ~ボ~ン、は~い~て~、ワーン」

と、力の限り、「パパ、ズボンはいて!」を叫び続けるのだ!

たしかに僕は、お風呂上がりに下着のままである。だが、

「いまそれは関係ないやろ!それをいうなら、『まだねんねしたくない~』やろ!」

と、こっちもついそう言いたくなる。

まだボキャブラリーの少ない娘は、なんとか全力で拒否したいと思い、知っている言葉をありったけ僕に浴びせたのだろう。

「パパ、ズボンはいて!」

と言うと、パパは従順にズボンをはくことを知っていたから、このときも、

「パパ、ズボンはいて!」

と言えば、「まだねんねしたくない」という自分の願望にパパも従順になってくれるだろう、と思っているのではないだろうか。

言葉を武器にしたいが、武器にするボキャブラリーが少ない時期にあらわれる、特異な現象というべきであろう。

…と、パンツ一丁の僕は、そう考察したのであった。

| | コメント (0)

新幹線事情

3月22日(日)

またまた、日帰り出張で西に向かう。いま、行きの新幹線の中である。

新幹線は、コロナウィルスの影響で、例によってガラガラである。

東京駅で新幹線の切符を買おうと、窓口で、

「いまから乗る新幹線で、E席の取れる新幹線をお願いします」

と言ったら、

「いい席ですか?」

と聞かれた。良い席?

「いや、その…Eの席です」

「ああ、Eの席ですね。だったら、どの新幹線も大丈夫ですよ」

無事に、早めの新幹線のE席を確保することができた。E席とは、2列シートの窓側である。

新幹線に乗り込むと、やはりガラガラである。3列シートなんて、ほとんど座っている人がいない。

ところが、である。

僕が座っている列の、通路を挟んで隣の3列シートには、作業着を着たむくつけき男ども3人が、ビッチリと並んで座っているではないか!!!

どういうこっちゃ???

他の3列シートは、がら空きなんだぜ。にもかかわらず、どうして、3人並んで席を取っちゃったんだろう?

どうやら会社の同僚らしいので、何か仕事の打ち合わせでもあるのかな?と思ったのだが、3人はまったく会話をする気配がない。

まったく言葉を交わすことなく、ただたんに、窮屈そうに座っているだけなのである。

明らかに他の席が空いているのだから、ちょっと融通を利かせてばらけて座ればいいのに、と思うのだが、ずーっと律儀に3人並んで座っていて、誰も席を動こうとしない。

こっちからすれば、車両のこの部分だけ、人口密度が高いのだ。つまり、感染の確率が高くなっているのである。まったく、迷惑な話である。

どうしてこんなふうになっちゃうのだろう?

僕が新幹線に乗っているとき、いつも思うことなのだが、同じ会社の人間の何人かが出張のために新幹線に乗っている光景をよく見かけることがある。

すると決まって、彼らは隣同士の席を取ったり、4人とか6人の場合は、席をボックスにしたりして、座っているのである。

家族や友人と旅行に行くならばそれは当然だが、仕事で同僚と出張するときに、新幹線で隣同士の席に座るというのは、僕にとって死ぬほど耐えがたい。往復の移動くらいは1人にしてくれよ、と思う。

だが、多くのサラリーマンたちは、おそらくそれを苦としないのである。

この背景には、この国の社会に宿る同調圧力が存在すると、僕は仮説を立てているのだが、いま、僕の横で3列シートに並んで座っている作業服の男たちも、その同調圧力に慣らされた結果、「空いているので席を別々に座る」という融通が利かなくなっているのではないだろうか。

考えすぎか?もちろん、こんなことを考えるのは、その人たちにとって「よけいなお世話」なのかも知れない。

| | コメント (1)

親知らずを抜きました

、、3月21日(土)

この1年近く、近所の歯科医院にずっと通っている。

以前に歯科医院に行ったのが、まだ「前の職場」にいた時代で、2013年なので、実に7年ぶりである。

詰め物が取れたことがきっかけで通うことにしたのだが、この際、歯を全部治療してもらおうということになった。

心配なのは、歯科医院での待ち時間である。

7年前に通っていた歯科医院では、予約をしても何時間も待たされ、挙げ句の果てに歯科医の床屋談義を延々と聞かされるという、最悪の体験をしたのだった。

これが、歯医者に対する僕のイメージを、完全に決定づけてしまった。つまり「最悪」というイメージである。歯医者ってのは、どこもそんな感じなんだろうか?

だが、いま通っている歯科医院は決してそんなことはなかった。僕の歯医者に対するイメージは、がらっと変わったのである。

以前通っていたところは個人医院で、歯医者さんが1人だけだったが、いま通っているところは、医者の先生が何人もいる。1人の先生にずっと診てもらうのが理想なのだろうが、シフトの関係で、なかなか同じ先生にあたるということはない。なので、治療日によって先生が替わるなんてことがざらである。向こうは名前を名乗らないし、しかも全員マスクもしているので、なんという先生に診察してもらっているのかが、わからない。

予約した時間は、きっちり守られる。なぜなら、1人あたりの診療時間が、30分と決められているからである。つまり、30分でできる診療がおこなわれるのであり、それを越える場合は、次回の診察にまわされる。まるで「流れ作業」だ。

こうして、ちょっとずつちょっとずつ診察しているので、僕の場合も、すでに1年近く通っていることになるのだ。

これって、ずいぶん儲かるよねえ。1人あたりの診察時間を30分と決めて、何度も通わせるのだから。もっとも僕の場合、たんに治療箇所が多いからだけかも知れない。

それと、ビックリしたのは、全然痛くないのである。

むかしは、歯医者の麻酔があまりにも痛くて、それがトラウマになっていたりしたのだが、いまは、本番の麻酔注射が痛くないように、その前に表面麻酔というのをしている。麻酔注射のための麻酔なのだろう。

僕は以前に通っていた歯医者と、まるで異なるシステムになっていることに、とても驚いた。というか、これがふつうなのか?よくわからない。

さて、僕の歯の治療もいよいよ大詰めである(歯医者だけに)。親知らずを抜くという初体験の大イベントである!

いままで親知らずをほうっておいたのだが、前回の治療のとき、「親知らずを抜いた方がいいですねえ」と言われ、覚悟を決めたのだった。

親知らずを抜いたことがないのでわからないのだが、なんとなくいままでいろんな人の話を聞いたところでは、とても痛い、という噂である。これは困った。僕は痛いのが苦手である。前日の晩から、そのことが気になってよく寝られなかった。

(どんなに歯の治療が進歩しても、親知らずを抜くことだけは痛みが変わらないのではないだろうか…)

と、重い足取りで歯科医院に向かった。

午前10時。診察予定の時間だが、名前が呼ばれない。10分たっても15分たっても呼ばれない。

(おかしいな。いつもはこんなことはないのに)

そのことがよけいに、僕を不安にさせた。

10時17分に名前が呼ばれ、診療台に向かう。

(今日は時間がかかるのだろうか。親知らずを抜くという大事業だから、1時間以上はかかるのかな…)

と不安に思いながら、診療台に座る。

担当の先生は、いままでに診てもらったことのない、初対面の先生である。

(おいおい、今日に限って、初対面の先生かよ!)

このことがさらに僕を不安にさせた。

「これから親知らずを抜きます」

「よろしくお願いします」

「体調は万全ですか?」

「た、体調???あ、はい…。大丈夫だと…思います」

(親知らずを抜くには、体調が万全でないとダメなのかよ!)

僕の不安は頂点に達した。

…しかし、僕の悪い予想は、裏切られた。

いつものように、表面麻酔からの麻酔注射。ここまでは通常どおり。それから親知らずを抜く時間じたいは、1分もかからなかったであろう。

「はい、抜きました」

(えええぇぇぇっ!!!こんだけ???)

「血が出ていますので、15分間は、ガーゼを噛んでいて下さい」

「はい」

「食事は麻酔が切れる2時間後ぐらいからなら大丈夫です」

「はい」

「炎症を抑える薬と、痛み止めを処方しますから、炎症を抑える薬は毎食後に、痛み止めは、痛いときに適宜飲んで下さい」

「わかりました」

麻酔が切れたあと、どんだけ痛いんだろう?と、これまた不安だったが、思ったほどの痛みではなかった。

次回は、もう一つ残っている親知らずを抜くことになっている。今回よりも、少し厄介なのだそうだ。

少し厄介、ということは、今回よりも痛いのだろうか。

| | コメント (0)

ドアノブが取れた

3月19日(木)

職場の仕事部屋の、ドアノブが取れた。

仕事部屋のドアは、内開きになっていて、取れたドアノブというのは、ドアの内側のほうである。つまり、つかんで引っ張る方のドアノブである。

ドアノブが取れるなんてこと、あるのか?ひょっとして、知らない間に誰かが部屋に侵入したとか?

落ち着いて考えてみたら、原因がわかった。

いつも部屋の内側からドアを開けるときに、思いっきり引っ張る癖があるのだ。

いや、たんにドアノブを思いっきり引っ張ってドアを開けるだけなら、ドアノブが取れるはずはない。

いちばん大きな原因は、部屋の電気のスイッチがちょっと手の届きにくいところにあり、部屋の電気のスイッチをつけたり消したりするたびに、いつも、ドアノブを右手で握った状態で身体を伸ばして、左手でスイッチを切り替える、という、まるでサーカスなみのアクロバティックな方法で電気をつけたり消したりしていたからなのだろう。そのたびにドアノブに全体重がかかるから、ドアノブが金属疲労を起こし、ポロッと取れてしまったのである。

しかし、こんな恥ずかしいことは、誰にもいえない。

「太っているくせに、ドアノブなんかに全体重をかけるからから、そりゃあそんなことになるのは当然ですよ。自業自得だ」

と言われるに決まっているのである。修理を頼むのも面倒くさい。

仕方がないので、ガムテープでドアノブを留めて、しばらく様子を見ることにした。このことは、しばらく内緒にしておこう。

夕方からは、実に久しぶりに同僚数人と、会食をした。

本来この日は、海外からのお客さんが来るので、その歓迎会をする予定だったのだが、昨今のウィルス騒ぎで海外からのお客さんが来ないことになった。しかし、せっかく日を設定したから、内輪だけでも集まりませんか、ということになったのである。実質的には、年度末の打ち上げのようなものである。

いつも行く店は、コロナ対策をしっかりとっており、予約客のみ、しかも、グループとグループが隣り合わないように、席に余裕を持たせて配置していた。

僕よりもほんの少しだけ若い人たちばかりだったし、面倒な人たちはいなかったので、気兼ねのない集まりだった。

だがそれでも、僕にとっては久しぶりの同僚との飲み会(僕は飲んでいないが)なので、どんなふうに会話に参加していいのか、すっかりペースがつかめなくなってしまった。

(えーっと、こういうときって、どういう話題を出せばいいんだっけ?)

と、さぐりさぐりしているうちに、会は終わった。

うーむ。このままでは、本当に座持ちが悪い人間のままで終わってしまうぞ。

| | コメント (0)

原稿ため込み党の焦燥

コロナウィルス騒ぎでいろいろなイベントが中止になったりしたので、この間に、いい加減、書かなければ原稿を進めなければいけないのだが、これが全然書けない。時間ができたので、てっきりはかどるかと思ったが、全然そんなことはないのだ。なかなか思うようにいかないことに対して、ますます焦りが出て、原稿を書けない自分に対して、よりいっそう自己嫌悪に陥るのである。

現実逃避として、ラジオを聴いたり、youtubeの「伯山ティービィー」で公開中の「畦倉重四郎」を観たり、小説を読んでみたりと、そんな毎日である。

あるシリーズものの小説を読んでいるのだが、「よくこれだけの量と質の小説が書けるなあ」と、うらやましいやら落ち込むやらである。その作家は、僕よりも1歳ほど若いのだが、大学時代にデビューし、若い頃、あるシリーズもので一世を風靡し、いまは、(かつてとくらべると)地味だが着想豊かで誠実なシリーズものの小説を堅実に続けている。

若き講談師・神田伯山先生もそうだが、表現活動を長く続けていて、スランプに陥ったりすることはないのだろうか。

僕など、たかだか400字詰原稿用紙にして30~40枚の原稿を書くだけでも、七転八倒するのである。しかも、商業的な文章ではなく、業界の限られた人たちに向けた文章にすぎないのに。

そういえば、「水曜どうでしょう」の新作を観ていたら、「ミスター」こと鈴井貴之さんが、

「40代前半くらいまでは、自分はまだいろんなことをやれるんじゃないかと、すげえ前向きにがんばっていたけれども、50を過ぎたら、そんなことはどーでもよくなる」

と言っていて、大いに共感するところがあった。40代前半までは、けっこうイケイケドンドンの感じで仕事をしたりしていたが、3年ほど前に大病を患ったこともあって、50歳手前ごろから、あんまりガツガツと仕事をしようとは思わなくなった。というかできなくなった。

ま、もともとがこのくらいの身の丈の人間なのだろうと、最近は思うことにしている。

| | コメント (0)

新幹線日帰り出張

3月16日(月)

日帰りで西に向かう。新幹線と在来線を乗り継いで、3時間以上かかる場所である。

3年後くらいに大きなイベントを担当することになってしまい、そのために、これからお世話になるところにご挨拶にうかがうことにしたのである。手始めに、昨年(2019年)の1月にも一度訪れたことのある、関西のある大学を訪問することにした。

こういう下交渉というのは、実に苦手である。もともと非社交的で、座持ちが悪いので、どうしてよいかわからなくなる。だが仕事なので仕方がない。

以前にもお会いしたベテランのスタッフの方のとなりに、若手の方がおられた。

「はじめまして」

と名刺交換をすると、

「鬼瓦先生、以前、M市に何度か来られてましたよね」

という。

「はあ」

九州のM市には、2016年度から2018年度の3年間のプロジェクトの際に、3回ほど訪れたことがある。

「私、ここに来る以前は、M市につとめておりまして、鬼瓦先生がM市に来られたときに、Kさんの部下として同席しておりました」

「そうでしたか!」

…といっても、まことに申し訳ないことに、記憶がない。

そのときのプロジェクトでは、おもにkさんという方と一緒に仕事をしたのだが、その方は、Kさんの部下として、その場に居合わせていたというのだ。

こういうときって、実になんというか、決まりが悪い。

相手は自分のことを覚えていても、自分が相手のことを覚えていないというのは、相手にとって感じ悪いことではないだろうか。そう思うと、つい、自己嫌悪に陥ってしまうのである。

あとでインターネットで調べてみると、その方は、どうも2017年4月にいまの職場に移られたらしい。僕が九州のM市を訪れたのは、2015年の3月11日と、2016年の8月と、2018年の12月の3回だったので、おそらく、2015年の3月か2016年の8月に訪れたときにお目にかかったのであろう。

それにしても、九州のM市から関西の大学へと、一見まったくつながりのない職場に移られたにもかかわらず、僕がその二つの職場に関わって、しかもまったく別のプロジェクトで、その方とお目にかかるというのは、なんという奇跡であろうか。

我ながら引きが強いと思わざるを得ないが、もうあんまり驚かなくなった。人はいろいろなところでつながっているのだ。

その方には、今度のプロジェクトに正式に加わっていただくことになった。僕にとってみれば、以前にお目にかかったことがあるという気安さで、グンと仕事がやりやすくなった。

こういうことがあると、ちょっとした出会いも、おろそかにしてはいけないものだと、痛感する。

| | コメント (0)

コロナ大喜利とコロナ川柳

ラジオを聴いていても、話題はコロナウィルスのことばかりである。

いささかうんざりしてきた。「コロナ疲れ」というらしい。

コロナウィルス感染の恐れから、うちの職場でも、人がたくさん集まるような大きな会議は中止となり、メール審議という形に切り替えようとしているのだが、そのための事前の打ち合わせは、結局のところ職場で顔を合わせながらおこなうわけだから、ふだんと変わらないのである。

さらに年度末は、駆け込みでいろいろなナニをアレするために、担当する職員さんは、在宅勤務などできず、職場にはりついていないといけない。

「あ~、せめて軽めのコロナに罹りたい」

と、会議が終わった後に同僚が言っていたが、見えない恐怖に怯えるくらいなら、いっそ軽めのコロナに罹って白黒はっきりつけたい、という気持ちは、よくわかる。

最近は「若者のコロナ離れ」が始まっている、とラジオで言っていたのには、笑ってしまった。

「若者のテレビ離れ」みたいな言い方である。「コロナを捨てて、町に出よう」みたいな。大喜利だねえどうも。

みんな、コロナウィルスに飽き始めているのだろう。

そういえば以前、節電が社会問題となったときに、「節電川柳」というのを考えたことがあったが、さしずめいまなら、「コロナ川柳」であろう。

手洗いを トイレと訳す 厚労省

「今日もまた 1,2週間が 正念場」

みたいな。こぶぎ宗匠にもご登場願いましょう。

ところで、このところのこの国をとりまく状況に対して、ある仮説に行き着いた。

それは、我々が、壮大な「ストックホルム症候群」にかかっているのではないかという仮説である。

だって考えてもご覧なさい。現政権は、消費税を上げたり、コロナウィルス対策を怠ったり、この国の民を徹底的にいじめぬいているのだ。

本来ならば、倒閣運動や政権交代が起こってもいいくらいの状況なのだが、そんなことが起こる気配がまったくない。支持率はそれほど下がらず、むしろ「野党がだらしない」という言説が横行する。だらしないのは与党のほうだぜ。

「一億総ストックホルム症候群」という仮説を立てないと、この現象は説明できないのではないだろうか。

| | コメント (2)

いまさら「君の名は。」

遅ればせながら、ようやく、映画「君の名は。」を見ました。

ちなみに、僕は新海誠作品を見たことがない。「天気の子」も見ていない。なので、これから書くことは、まったくの的外れかも知れない。

見たあとに、TBSラジオで放送されていたライムスター宇多丸さんの「ウィークエンドシャッフル」で語っていた映画評を聴き直してみた。映画評については、ほぼ宇多丸さんの語りに尽きているといってよい。

見終わってすぐの僕の感想は、

「大林宣彦監督の『転校生』と『時をかける少女』、そして韓国映画の『イルマーレ』を足して3で割ったような映画だなあ」

というものだった。もちろんこれは、僕の乏しい映画視聴体験から出た感想に過ぎない。

『転校生』や『時をかける少女』を、若い頃から身体に染みついているほど観ている僕は、この映画を見ながらずっと、大林監督の二つの映画を意識せずにはいられなかった。

それと、『イルマーレ』を観たときの、あの感覚を思い出したのである。

(あと、『博士の愛した数式』がちょっとだけ、頭をよぎった。)

映画の前半は『転校生』。宇多丸さんの言葉を借りれば「カルチャーギャップコメディー」である。ただしその描き方にはかなり違いがある。おそらく時代性の違いを反映したものであろう。

で、映画のラストは、完全に大林監督の『時かけ』のラストとダブってくる。

いままでのジュブナイル映画のハイライトシーンのオンパレードなのである。

宇多丸さんはこの点について、「『君の名は。』は、「みんな大好き展開」っていうのがパーツ的に、モザイク的に集められているというか。「展開のパーツ化」というか。いろんな観客がそれぞれの「あ、見たことある。知ってる、知ってる」な好きな要素を入り口に楽しめるという、まあよくも悪くもイマドキのエンタメの潮流を感じさせなくもないという作り」になっていると述べている。

ただこの感想は、宇多丸さんとか僕とか、アラフィフのおじさんだけに共有できる感想かも知れない。

『転校生』も『時をかける少女』も『イルマーレ』も知らない若い人たちは、むしろ新鮮に思えたのではないだろうか。

あと、やっぱり神木隆之介君はいいね。

大林監督がいまより30年若かったら、神木君は大林映画の尾美としのりや林泰文の役どころとして大林組の常連になっていたかも知れない。

…拙い感想でした。

| | コメント (2)

マス句

退屈な満員電車に乗りながら考えた。

満員電車で、たくさんの人がマスクをしている。しかもマスクはどれも真っ白で、面白くも何ともない。

あそこに何か文字なり絵なり書いてあれば面白いんだがなあ。

たとえば、マスクに俳句を書いたらどうだろう。

…いや、あの小さなスペースに、575の17文字を書くのは、いかにも窮屈だ。

そこで僕は考えた。全部を書かずに、上五か、中七か、下五のどれかを書けばよいのではないか。

たとえば、上五でいえば、「柿食えば」とか「五月雨を」とか、もちろん先達の句ではなく、オリジナルの上五を作る。

別のマスクには、中七を書く。「鐘が鳴るなり」とか「集めてはやし」とか。これもオリジナルの中七を作る。

さらに別のマスクには、下五を書く。「法隆寺」とか「最上川」とか。

で、そんなマスクをした人が、満員電車にたくさん乗ってるわけよ。

僕はというと、乗客のマスクを見渡して、適当に上五の中七と下五をくっつけて、俳句を作る。季語がないから、俳句というよりも川柳というべきか。もちろん、上五のつもりで書かれた言葉を下五にもってきてもいいし、逆もまた真なり、である。

それを、自分の頭の中だけで楽しむのだ。

こうしてできた句を、「マス句」と呼ぼう。

そうすれば、あの満員電車も、少しは面白くなるんじゃなかろうか。

…ま、不謹慎だと、怒られるだろうな。

| | コメント (2)

バックステージ

コロナコロナで、陰々滅々としている毎日だが、最近ハマっているのは、YouTubeの「伯山ティービィー」である。

ご存じ、講談師の神田松之丞改め、神田伯山の真打ち昇進襲名披露興行に密着したドキュメントで、襲名披露パーティーから始まり、新宿末廣亭、浅草演芸場、池袋演芸場と、毎日おこなわれる襲名披露興行の舞台裏を、二つ目の番頭さんが撮影し、それをプロのドキュメンタリー映画作家が20分ほどに編集して、翌日にアップするという、実に贅沢な動画である。コロナウィルスの脅威に負けず、いまのところ毎日、襲名披露興行が続き、もう30回近く更新されているのだ。

テレビ局のスタッフではなく、同じ寄席仲間の「二つ目」がカメラをまわしているから、楽屋の芸人さんたちもかまえることなく、リラックスしている。

「情熱大陸」みたいな、余計なナレーションや過剰な演出がまったくないのもよい。ドキュメンタリーとしてどっちがすぐれているかといえば、「情熱大陸」よりもむしろ、「伯山ティービィー」である。

僕がいままで全然知らなかった、文治師匠、遊雀師匠、笑遊師匠、龍鏡師匠、鯉昇師匠、柳橋師匠、寿輔師匠、松鯉先生等々、魅力的なキャラクターが次々と映し出される。

文治師匠なんて、すげえ年寄りかと思ったら、俺より1歳年上にすぎないんだね。ということはこぶぎさんと同い年。

業界における俺の位置というのは、落語会における文治師匠の位置ということになるわけだ。

寄席の楽屋が、実に楽しい。だいたいバックステージというのは、どんなジャンルでも独特の昂揚感のようなものがあって、見ていて楽しいのだ。

傑作は、第9回。志らく師匠登場の回である。

この日は、機材のトラブルで、楽屋の様子を映した部分の音声が、まったく録れていなかった。楽屋で芸人さん同士が楽しげに会話している風景だけが、映像として残っているだけである。

芸人同士の会話が聞こえないんじゃ、おもしろくも何ともない。そこで伯山先生は、この無音の会話に、アテレコをつけてもらうことにしようと思い立つ。

そこで登場したのが、現役の活動写真弁士の、坂本頼光先生である。

むかしむかし、無声映画を上映しながら、その場でアテレコをつけていた活動写真弁士という職業があった。いまは無声映画がないので、とっくに絶滅した職業かと思っていたが、いまも現役の弁士さんがいるんだね。しかも坂本頼光先生は、まだ40代そこそこの若さというから驚きである。

この坂本頼光先生がつけたアテレコが、抱腹絶倒なのである。伯山先生が頼光先生を称して「天才」といっていたが、まさに天才である。

映像に登場するすべての人を、声色を変えながら演じている。しかもそれは、かつての名優の声真似になっていて、それがよく似ているのだ。

声を聞いただけで、誰の声をあてているのかが、この僕にもわかるほどだ。

心覚えに書いておくと、

春風亭昇々…平泉成

神田鯉栄…浦辺粂子

桂鷹治…アントニオ猪木

三遊亭遊雀…殿山泰司

三笑亭夢丸…(不明)

春風亭柳橋…滝口順平

塙宣之(ナイツ)…サザエさんのアナゴ君(若本規夫)

土屋伸之(ナイツ)…サザエさんのマスオさん(増岡弘)

三遊亭笑遊…永井一郎

神田松鯉…美輪明宏?

立川志らく…小沢昭一

夢丸さんの声だけ、頭に思い浮かばなかったのだが、あとはだいたい声を特定できた。

個人的には、殿山泰司の声をあてる、というセンスが、ツボにはまった。

| | コメント (1)

コミュニティFMを聴いた午後

3月8日(日)

高校時代の部活の1年後輩のアサカワ君が、地元のコミュニティFM局のラジオ番組でゲスト出演する話を聞いて、ちょうどコロナウィルスの影響で外出の用事がなくなり、自宅で過ごしていたので、そのラジオ番組を聴いてみることにした。

僕は全然知らなかったのだが、地域密着型のFMラジオ局が、うちの町の近くにもあったんだね。

時折挟み込まれる交通情報が、あまりにミクロな情報すぎて面白い。この辺に住んでいる人には必須に情報だろうが、違う地域に住んでいる人にとってはどうでもいい情報なのである。

さて、番組は13時半から始まった。30分番組である。

司会のラジオパーソナリティーの女性がいて、アサカワ君がゲストである。

聴いていると、どうやらこれまでも何度かゲスト出演したことがあるようで、この番組の常連さんのようである。

「サックス奏者の、アサカワさんです!」と紹介していたが、これを聴いて、「ああ、あのアサカワさんね」とわかってくれるリスナーは、どのくらいいるのだろう?僕にとってアサカワ君は、高校の部活の後輩としてむかしから知っているだけであって、世間的に彼がどう認知されているのか、よくわからないのである。

だが、地元のコミュニティFM局の番組にゲスト出演するくらいだから、やはりそこそこ有名なのだろうか?

いずれにせよ僕にとっては、どんな番組であれ、ラジオ番組に呼ばれること自体がうらやましい。

もう一つうらやましいのは、彼が「サックス奏者のアサカワさんです!」と紹介されたことである。

「生身の人間」として紹介されている、とでもいったらよいか。

たとえるなら、

「今日のゲストは、柴又の寅さんです!」

と紹介されて、リスナーが、

「ああ、あの寅さんね」

と納得している感じ?寅さんって誰だよ!みたいな。

番組は、アサカワ君がどのようにしてサックスと出会ったか、とか、どうしてブラジル音楽に目覚めたのか、とか、4年前のリオ五輪でスタッフとして活動していた時の思い出とか、最近の活動についてだとか、当たり前だが、アサカワ君にまつわる話ばかりだった。

まことに不思議な感覚である。これが有名人ならいざ知らず、ラジオで喋っているのは高校の後輩なのである。しかも彼は、決して有名人というわけではないのだ。「高校生の時にサックスに出会いました」と言っていたが、知ってるよ!だって俺、その場にいたもん!

一つ感心したのは、ゲストとしてのトークを無難にこなしていたことである。むかしから自分に正直な人間だから、このご時世、いきなり現政権批判とかやり出すんじゃないだろうかとヒヤヒヤしていたが、そこはそれ、大人の対応をしていた。

昨年、ブラジルから来日したなんとかさんというミュージシャン(多分有名な人なのだろう)が呼びかけて結成して楽団に参加し、合宿のような雰囲気のなかで練習をして、ライブをしたことがとても楽しく、最終的には楽団が家族みたいに思えて別れ難かった、という話が、聴いていてうらやましかった。もう何年も、そんな経験をしていない。

番組の一番最後に、その時のライブで演奏した曲が1曲かかった。テナーサックスのソロは、アサカワ君自身によるものだった。

その曲を聴いた、もうすぐ2歳になるうちの娘が、その曲に合わせてご機嫌に踊っていた。

近くCD化されるそうである。待ち遠しい。

| | コメント (0)

輝く!日本アカデミー賞

「日本アカデミー賞って、戸越銀座みたいなものだ」と、むかし、誰かが言っていた。所ジョージさんだったかな。

ノミネート作品を見ても、全然ときめかない、というか、何一つ見ていない。

本家のアカデミー賞が、どんどん変わっていってるのに、日本アカデミー賞は、世の潮流とは無縁の世界観を守り続けている。こういう番組はこの国にいくつもあって、「24時間テレビ」とか「紅白歌合戦」といったものも、これに近い。

いつも不思議なのは、「外国作品賞」である。本家のアカデミー賞の「外国語映画賞」の向こうを張って、そんな賞を作ったんだろうけれど、言ってみれば戸越銀座が本家の銀座のお店に賞を授与するようなもので、まったくもってかっこ悪い。「『ジョーカー』が日本アカデミー賞の外国作品賞に選ばれました!」と言われても、「はぁ、そうですか」という以上のリアクションはとりにくい。

いまや本家のアカデミー賞は、「外国語映画賞」をやめてしまって、韓国映画の「パラサイト」を最優秀作品賞にするご時世なのだ。

さらに不思議なのは、日本アカデミー賞の外国作品賞のほとんどが、アメリカ映画であることである。ノミネート作品も、ほとんどがアメリカ映画なのである。韓国映画はノミネートすらされない。おそらく眼中にないのだろう。「外国映画」というと、欧米世界の映画しか思い浮かばないのだろう。

あらゆる意味で、残念な賞である。

というわけで吾輩は、「24時間テレビ」と「紅白歌合戦」と「日本アカデミー賞」を、この国の「テレビ三大奇祭」に認定する!

| | コメント (5)

いたばさみ

今年の大河ドラマ「麒麟がくる」。

長谷川博己が主演ということで、いちおう見続けているが、ストーリー自体は、前回の「いだてん」ほどの起伏がないので、やや単調な印象を受ける。脚本はベテランの池端俊策なので、安定感はあるのだが、僕がクドカンのキレッキレの脚本に慣れてしまっているせいかもしれない。

第7回「帰蝶の願い」(3月1日放送)のあらすじは、公式ホームページによると、以下の通りである。

「駿河の今川義元(片岡愛之助)の動きに脅かされた信秀(高橋克典)は、美濃の道三(本木雅弘)と和議を結ぶことを決める。そのために、道三の娘・帰蝶(川口春奈)を、信秀の嫡男・信長(染谷将太)の妻に迎え入れたいと申し出る。
旅から明智荘に帰った光秀(長谷川博己)を、帰蝶が待ち構えていた。幼なじみで、ほのかな恋心を抱く光秀に、今回の尾張への輿(こし)入れを止めてほしいと頼む。一方、道三からは、口をきかなくなった帰蝶を説得するように命じられる。」

もう少し、僕の脚色をまじえて詳しく説明すると、以下の通りである。

織田信秀が斎藤道三と和議を結ぶ条件として、信秀の息子の織田信長と道三の娘の帰蝶との政略結婚させることを提案してきた。道三はその条件をのみ、帰蝶を説得しようとするが、

「知らない人と結婚するなんて、絶対にヤだ!」

と帰蝶が拒絶し、お父さんと口をきかなくなってしまう。

困り果てた道三は、家臣の明智光安(光秀の叔父)に、明智光秀を通じて帰蝶を説得するようにと命じる。光秀の言うことなら帰蝶は聞く耳を持つだろうと、道三は考えたのである。

光秀は叔父の光安(西村まさ彦)から「おまえは帰蝶さまから信頼されているんだから、おまえの口から説得すれば、帰蝶さまも言うことを聞くだろう。よろしく頼む」と言われる。

(それとこれとは話が別だよ…)

と言いたいところだが、叔父の言うことなので光秀は逆らえない。

そこで、光秀は帰蝶を説得しようとするのだが、帰蝶は、

「輿入れの話なら、絶対ヤだからね!お父さんにそう伝えといて!」

と突っぱねる。帰蝶の気持ちもわかる。光秀は渋々道三のところに行き、帰蝶の輿入れに反対する意見を述べる。

道三はその場で激昂するが、冷静になって考えてみると、説得できるのは光秀しかいないことに思い至る。

「…やっぱり、帰蝶を説得してくれ。おまえしかおらん」と、道三は光秀に懇願する。

(まいったなあ…)

お城を出ようとすると、今度は道三の息子、齊藤高政(伊藤英明)とその取り巻き連中(村田雄浩ら)に呼び止められる。

「さっき、父の前で、帰蝶の輿入れに対して、公然と反対意見を述べたそうだな」

「はあ」

「それでよろしい!織田信秀と和議なんかしたってしょうがない。親父はいったい何を考えているんだ!ここは絶対、帰蝶の輿入れを阻止しろよな!引き続き親父を説得しろ!」

「はあ」

主君の道三と叔父の光安からは、「帰蝶を説得しろ」と言われるし、道三の息子の高政と帰蝶本人からは、「父の道三を説得しろ」と言われるし…、

(いったい、どないせえっちゅうねん!)

と、光秀は板挟みになるのである。

なんということのない話ではあるのだが、自分の仕事に置き換えてみると、最近はこんな役回りばかりさせられているので、光秀が板挟みになる状況が、手にとるようにわかる。

こういうとき、どうすればいいんだろう?

| | コメント (0)

伝わりにくい話

いま職場で、年度末までに仕上げなければならない小冊子の編集を担当している。

主な仕事は、台割りをして、それをふまえて執筆者に原稿を依頼して、その原稿をとりまとめて、レイアウターに送ってレイアウトしてもらい、さらに校正を各執筆者に渡し、それをとりまとめて、印刷所に入稿する、という流れである。今、各執筆者から校正が戻って、レイアウターに戻している段階である。

22頁ほどのささやかなものなのだが、これが意外に面倒くさい。

まず、執筆者の数が多い。それと、執筆者によって、微妙に制限字数が違う。

執筆者から取り立てなければならないのは、1,原稿、2.写真6枚、3.写真のキャプションの、おもに3つである。オールカラーなので、文字原稿だけでなく、写真も重要な要素なのだ。

いちばん心配なのは、執筆者が多ければ多いほど、原稿が集まりにくい、ということである。

執筆者はみなさんお忙しい人ばかりだから、締め切りまでに原稿が集まるか心配だった。もっとも、それを見越して、締め切りを早めに設定してはいるのだが。

集まった原稿をレイアウターに渡すと、今度は校正である。校正もまた、期日までに戻ってくるか、気が気ではない。

おおむね、破綻することなく、原稿は集まり、ギリギリ、スケジュールどおり編集作業が進んでいるのだが、原稿の提出の仕方が、執筆者の個性によってまちまちだなあと感じることがある。

この小冊子の執筆者は、半分くらいがうちの職場の同僚で、残りの半分くらいが職場以外の方である。

このたび執筆を依頼したうちの1人、仮にXさんと名付けよう。

職場以外の方なので、僕はXさんとは面識がない。

職場の同僚だったら、だいたいみんなの性格がわかっているので、この人はきっちりと提出してくれるな、とか、この人は締め切りに間に合いそうもないな、というのが、なんとなく予想がつく。

しかし面識のないXさんは、どんなタイプの人なのか、皆目見当もつかない。

しかるべき地位にある人で、おそらくは僕と同じくらいの年齢か、僕よりも少し若い方なのだと思うが、顔を見たことがないのでわからない。

締め切りをちょっと過ぎて原稿が送られてきたのだが、写真6枚が送られてこなかった。

「写真はあとでお送りします」

と言ったっきり、待てど暮らせど写真が送られてこない。いまどきはメールに添付して送れる時代なのだから、それほど難しくはないはずなのだが。

結局、レイアウターに渡す期日までに写真が送られてこなかったので、とりあえず文字原稿だけを送って、レイアウトしてもらうことにした。

初校が出たのだが、当然、その方の原稿だけは写真がなく、とりあえず文字だけをレイアウトしてもらったものが初校となった。

僕はXさんに初校を送ったついでに、おそるおそる「写真をお送りいただけますでしょうか」とメールでお願いしたところ、ようやく写真を送っていただいた。

「写真のキャプションはあとでお送りします」

どないやねん!

そうやって五月雨式に送ってこられると、その都度レイアウターに送らなければならず、こちらとしては地味に面倒な作業となるのである。

まあそれでも、何度かのやりとりで、ようやく原稿と写真とキャプションが揃ったのであった。

あらためて写真入りの再校を送り、

「レイアウト等、ご確認下さい。修正点等ございましたら、ご連絡下さい」

とメールをした。

するとほどなくして、

「原稿、確認しました」

と、ひと言だけ書かれたメールが来た。

うーむ、と、僕は考え込んでしまった。

「確認しました」とは、どういう意味なのか?

目を通しました、という程度の意味なのか?

僕は心がモヤモヤしてしまったのである。

…この話、伝わっているかな?

せめて、「修正点はありません」とか書いてくれたら、はっきりするのだが「確認しました」だけでは、修正点があるのかないのかまでは、厳密にはわからないのである。

…うーむ。やはり伝わりにくいか。

僕はここで、あることを思い出した。

例の「桜を見る会」をめぐって、野党が合同で内閣府のヒアリングをしたとき、こんなやりとりがあった。

「桜を見る会」の招待状に付された、60番台の招待区分について、それを知る担当者がいるので確認してきてくれという話だった件がどうなったかを野党の議員が質問したときのことである。60番台が付された招待状が、総理大臣の推薦によるものかどうか、重大な局面を迎えていたのである。そのとき内閣府の役人は、

「当時の担当者が特定できるということは申し上げたが、確認をするというところまで確約したかというと記憶にございません」と答えた。

「だって、わかりましたと言ったじゃないか」と野党側が問い詰めると、

「わかりましたというのは、そういうご趣旨は理解しましたが、必ず確認をしてくると承諾したわけではありません」

と言い放ったのである。

つまり、「わかりました」というのは、「話の趣旨はわかりました」という意味で、承諾しましたという意味ではないという屁理屈を言ったのである。

ここ最近の、こうした日本語の壊れ方からすると、

「確認しました」

という言葉は、

「目を通したという意味で、修正点がないことを表明したわけではない」

という意味だとする屁理屈も成り立ちうるのである。

そういう誤解を防ぐためにも、「確認しました」のあとに、「修正点はありません」とひと言付け加えるべきなのだ。

…やはり伝わらないかな、というか、こんなことを考える俺は、ノイローゼなのか???

とにかく僕は、小冊子の編集を通じて、そうした人の心の機微を感じ取らずにはいられなかったのである。

…やはり伝わりにくい話だ。

| | コメント (1)

オヤジギャグはパンデミックを救うか

だるいというか、やる気が起きないので、とにかく寝てばかりいる。書かなければいけない原稿は山ほどあるのだが、まったく進まないのは、昨今の自粛ムードのせいもあるだろう。

SNSのタイムラインをぼんやり眺めていると、いくつか共通した投稿があることに気づいた。

それは、どこかの飲み屋のテーブルに、「コロナビール」の瓶を置いているところを写真に写して、

「コロナウィルス対策」

と書いている投稿である。

なかには、

「アルコール消毒」

と書いてある投稿もある。

さらに共通しているのは、その投稿をしているのが、僕と同じ世代の「アラフィフ」の中高年男性ばかりである、ということである。

(…………)

よくわからないのだが、これって、面白いヤツなの?典型的なオヤジギャグとしか思えないのだが。

ま、どこか飲み屋に行ったんでしょうな、その人は。

で、コロナビールがあるのを見つけて、昨今のコロナウィルス騒動に引っかけて、注文したんでしょう。

「コロナウィルス」と「コロナビール」!ハハハ!これ、俺が発見した面白いヤツ!

なんて思いながら、SNSに投稿したんでしょう。

でも、同じことを考えているヤツが、わんさかいたのだ。だってそんな投稿が、1人ではなく、複数いたんだもの。

こうなると、面白いどころか、うすらサムいではないか!

で、僕が興味があるのは、投稿した人の心理のほうなのだが。

投稿した人は、本当にこんなオヤジギャグがおもしろいと思ったのだろうか。

それとも、サムいオヤジギャグだって知っていて、ひとまわりしておもしろいと思っているのだろうか。

小一時間問い詰めてみたい。

いずれにしても、ギャグがサムいことには変わりないだろう。

「こんなご時世に飲み屋なんて行ったら、感染の危険が増すでしょう?」

「大丈夫。コロナビールでアルコール消毒したから。コロナウィルスだけに」

「ハハハ、それなら大丈夫だね」

今ごろ各地の飲み屋では、こんな会話がくり広げられているのだろう。

| | コメント (0)

« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »