寓話・新憲法制定会議
僕の住んでいる国は、人口が100人ほどの小さな国である。
この国では、6年に1度、憲法を改正しなければならない、という決まりがある。いや、改正というより、まったく新しい憲法に作りかえる、といった方がよい。
新しい憲法の策定にあたっては、新憲法制定会議なるものが組織され、そこで憲法が作成される。会議の構成員は、5人ほどである。つまり、憲法の策定は、5人に委ねられるのである。それで僕は、その5人のうちの1人になってしまった。
昨年の4月からはじまり、1年かけて、憲法を完成させなければならない。そのための会議は、平均して、1週間に1回程度で、1回の会議時間は2時間~3時間である。
前半の半年は、過去の憲法の読み込みと問題点の洗い出し、といったことや、この国の住民で、さまざまな職業の方に取材をして、この国の問題点を明らかにする、といったことに注力した。そして、それが一段落すると、5人で合議して、今度の憲法でふれるべき論点、といったものを、箇条書きのような形で書き出し、「今度の憲法では、こんなことについて触れますよ」ということを、住民たちに示し、意見をもらう。これがだいたい、9月ごろである。
10月以降になり、ようやく憲法の文面を、5人が分担して書き始める。初めに前文、というか総論があり、そのあとに各論が書かれる。総論を書くのは議長で、僕は議長ではないので、各論の中の一部を担当した。
粗原稿を書き、それを持ち寄り、読み合わせをする、といったことを、何度も繰り返す。そうして、次第に形を作っていく。そして、12月の年末くらいまでに、おおよその草案を作りあげる。といっても、5人はその仕事だけにかかりきりではなく、他にいくつも仕事を抱えているので、なかなか原稿は進まない。
それに、正直なことを言うと、この国に、はたして未来への展望が開けているのかすら、よくわからない。バラ色の未来が広がっているのならば、憲法作成に対するモチベーションが上がろうものだが、社会全体に閉塞感が漂う今日において、理想を語ることにどれほど意味があるのか、ときにむなしく感じることもある。こんなことを書く時間があったら、その時間を、自分のための原稿を書く時間に使いたい、という思いが、なくはないのだ。
かなりいろいろな制約がある中で、生産性があるのだかないのだかわからないような文章を書くというのは、実につらい作業である。
年明け以降は、さらに原稿の読み合わせをしながら、ふれるべきであるのに落としている内容がないかとか、表現が妥当かどうか、といった、細かい点をひとつひとつチェックする。つまり、推敲に推敲を重ねるのである。ちょっとした表現であっても、5人が合意する表現に落ち着くまでに、かなりの時間を要する場合もあり、これもまたかなりのストレスである。
僕は、新憲法制定にあまり思い入れがないこともあり、(もう、これでいいじゃん)と、投げやりに思うこともしばしばなのだが、もちろんそんなふうに投げ出すわけにも行かない。そんな個人の思いとは別に、どこに出しても恥ずかしくないような憲法を作らなければならないのである。
かくして3月の末になって、ようやくそれなりの形が完成した。ここまで来るのに1年。会議の数は40回以上にもなった。1回の会議時間が2時間半として、実に100時間以上もかけたことになる。
とりあえず、これを国王に献上するのだが、これで終わりではない。国王は、これをさらに諮問機関にかけて、この憲法についての意見を求め、それをもとに、また修正を加えなければならない。
任期は1年だと思っていたのだが、新憲法の完成までには、年度を越えて、もうしばらくかかりそうだ。
この1年、僕はこの仕事にかかわり、とても疲弊してしまった。
人口が100人ていどのこんな小さな国で憲法を改正するだけでも、これだけたいへんなのだ。僕が言いたいのは、1億人以上を擁する国において、もし憲法を変えたいというのであれば、問題点を洗い出し、何度も何度も議論し、表現の一言一句に至るまで慎重に吟味し、何度も何度も推敲を重ね、何重にもわたってチェックをするくらいの覚悟が必要なのだ、ということである。
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