原稿ため込み党の焦燥
コロナウィルス騒ぎでいろいろなイベントが中止になったりしたので、この間に、いい加減、書かなければ原稿を進めなければいけないのだが、これが全然書けない。時間ができたので、てっきりはかどるかと思ったが、全然そんなことはないのだ。なかなか思うようにいかないことに対して、ますます焦りが出て、原稿を書けない自分に対して、よりいっそう自己嫌悪に陥るのである。
現実逃避として、ラジオを聴いたり、youtubeの「伯山ティービィー」で公開中の「畦倉重四郎」を観たり、小説を読んでみたりと、そんな毎日である。
あるシリーズものの小説を読んでいるのだが、「よくこれだけの量と質の小説が書けるなあ」と、うらやましいやら落ち込むやらである。その作家は、僕よりも1歳ほど若いのだが、大学時代にデビューし、若い頃、あるシリーズもので一世を風靡し、いまは、(かつてとくらべると)地味だが着想豊かで誠実なシリーズものの小説を堅実に続けている。
若き講談師・神田伯山先生もそうだが、表現活動を長く続けていて、スランプに陥ったりすることはないのだろうか。
僕など、たかだか400字詰原稿用紙にして30~40枚の原稿を書くだけでも、七転八倒するのである。しかも、商業的な文章ではなく、業界の限られた人たちに向けた文章にすぎないのに。
そういえば、「水曜どうでしょう」の新作を観ていたら、「ミスター」こと鈴井貴之さんが、
「40代前半くらいまでは、自分はまだいろんなことをやれるんじゃないかと、すげえ前向きにがんばっていたけれども、50を過ぎたら、そんなことはどーでもよくなる」
と言っていて、大いに共感するところがあった。40代前半までは、けっこうイケイケドンドンの感じで仕事をしたりしていたが、3年ほど前に大病を患ったこともあって、50歳手前ごろから、あんまりガツガツと仕事をしようとは思わなくなった。というかできなくなった。
ま、もともとがこのくらいの身の丈の人間なのだろうと、最近は思うことにしている。
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