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2020年4月

KANO

以前に録画しておいた台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」を見たけど、イマイチだったなあ。

妻の事前情報によると、「セデック・バレ」と同じ監督の作品だということで見てみたんだが、なんというか、作品の出来が雲泥の差である。おかしいなと思って後で調べてみると、プロデューサーが同じで、監督は別の人である。

台湾が日本の統治下にあった時代、代表校が内地の県代表と同様に甲子園大会に参加していたわけだが、弱小だった嘉義農林が、日本人の監督(永瀬正敏が演じている)のもとで力を合わせて、1931年、ついに台湾代表校として甲子園大会に出場し、決勝にまで進んだという史実をもとにした映画で、KANOとは、嘉義農林の略称である。その後嘉義農林は、台湾の強豪校として名を馳せることになる。

僕は甲子園大会にはまったく興味がないのだが、嘉義農林のことはよく知っていた。

ずいぶん前だが、「伊集院光 日曜日の秘密基地」というラジオ番組で、「ヒミツキッチの穴」というコーナーがあった。ラジオのリスナーの記憶の穴を埋める、という趣旨のコーナーで、あるとき、80歳を過ぎた依頼者から、こんな依頼があった。

「戦争中、私は台湾にいて、台北工業の野球部に所属していた。甲子園大会に出たいと思っていたが、当時、嘉義農林の野球部が強豪で、なかなか負かすことができなかった。ところが昭和17年(1942)に、嘉義農林を破り、晴れて甲子園大会のキップを手に入れた。そのとき、相手側の嘉義農林にはコウタイザンというキャッチャーがいて、彼のバッティングが実に惚れ惚れするものだった。いまでもそのことが強く印象に残っており、もし叶うことなら、コウタイザンという選手にもう一度会ってみたい」

たしかこんな依頼内容だったと思う。

さあ番組は、この依頼に応えるべく奔走し、最後は実に感動的な大団円を迎えることになるのだが、まあそのことは置いといて。

僕はそのとき、戦前の甲子園大会には統治下にあった韓国や台湾からも代表校が出場していたということと、戦時下では朝日新聞主催の甲子園大会だ開かれず、その代わりに文部省が主催の大会が開かれたこと、したがって、昭和17年の大会も公式な大会としてはカウントされておらず、「まぼろしの甲子園大会」と言われていること、などを初めて知ったのだった。コウタイザンという選手は、のちに台湾野球界で活躍したそうである。

映画「KANO」は、そのコウタイザン選手が所属していた嘉義農林が、もともと弱小のチームからいかにして野球の強豪校になっていったかを知る上では有益であった。しかし、そもそも高校野球に興味のない僕にとっては、それほどのめり込めなかった。それに、ラジオで聴いた、コウタイザン選手のエピソードがあまりに感動的すぎて、僕の中で、かなりハードルが上がってしまったということもある。

もちろんこれは僕の個人的な感想にすぎない。野球の試合の場面は、かなりリアルで迫力があるので、高校野球好きにはたまらないだろうと思う。あと、全般にわたって親日的に描かれているので、そういうことにこだわっている人にとっては、安心して見られる映画だと思う。

数年前、台湾に行ったとき、「台湾の近代野球」を専門に研究している人とお会いする機会があり、日本でほとんど知られていないコウタイザン選手のことを聞いてみようと思ったのだが、コウタイザンの漢字表記がわからず、結局意思疎通がとれなかった。

のちに調べたところ、コウタイザン選手の表記は「洪太山」である。洪太山さんは昨年(2019)1月、95歳で台湾野球殿堂入りをはたした。

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アンソロジーには裏切られる&古い友人との読書話

本好きの人に聞きたいのだが。

アンソロジーって、買ってよかった、ってことある?

僕はなんか、いつも裏切られるような感じがするんだよなあ。

しかも始末の悪いことに、僕はアンソロジーがけっこう好きで、騙されるとわかっていても、つい買ってしまったりする。

有名な作家が選んだ短篇集なんて、ついその選球眼を信じて買ってしまうんだけれど、いつも失敗したと思うんだよなあ。

結局、自分で見つけようとはせずに、他人の見立てたものを読むという受動的な態度がよくないのだろうということに、最近気づいた。

本だけではない。音楽もそうだ。

ちょっと前に、「星野源が選んだ細野晴臣のベスト盤」みたいなCDが発売されていて、一瞬、買おうかなと思ったが思いとどまった。いくら星野源が音楽のセンスがいいからといって、そのチョイスが僕の好みとあっているとは限らない。

そう考えると、小説にしても音楽にしても、その分野で著名な作家なりミュージシャンが、わざわざアンソロジーを編もうとする意図は、何なのだろう?ワインのソムリエみたいな役割なのだろうか。唯一裏切られないのは、町山さんの映画評論だけだ。

人に勧められた本がさほど面白くなかったという、よくある体験と近いものがあるのだろう。

読書で思い出したのだが、以前に古い友人と久しぶりに話す機会があって、本や映画の話で盛り上がったことがある。

高校の頃は、それこそ毎日のようにバカ話ばかりしていて、本の話などしたこともなかったのだが、この歳になって、高校のときの読書体験について話題に上がったとき、

「高校のとき、柴田翔とかを読んでいたんですよ。(見かけによらず)暗いでしょう?」

「ええええぇ?!そうだったの?実は俺も柴田翔を読んでいたよ」

「あの時代、柴田翔なんて読んでいる高校生なんて誰もいないと思ってました。あと、高野悦子の‥」

「『二十歳の原点』!暗すぎるだろ!」

35年ぶりくらいに、高校時代に共通の読書体験があることがわかって、それはそれは愉快なひとときであった。

本や音楽や映画や大衆芸能や芸術など、たとえ嗜好が違っていても、そういう話ができる友人が、この年齢になるとありがたいような気がする。

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日光浴ラジオ

4月26日(日)

家の中にばかりいては運動不足になるし、そもそも太陽の光に当たっていないので、今日の午前中は、うちのマンションに屋上的なスペースがあるんだけども、狭いところだがそこでぐるぐると散歩することにした。

風が少しあるが、日差しが強くて暖かい。遠くに富士山もかすかに見える。

30分も散歩すると、もう飽きちゃった。そりゃあそうだ。だって同じところをぐるぐる回っているだけだから。

で、ディレクターズチェアみたいな椅子を持ち出して、そこに座ってラジオクラウドを聴くことにした。

何日か前に放送された、TBSラジオ「荻上チキ Session22」のメインセッション「新型コロナウイルスとの向き合い方~第2弾」を聴くことにしたのである。

https://www.tbsradio.jp/476515

この番組については、このブログでたびたび取り上げているが、僕は毎日聴いているわけではなく、面白そうな特集の時には聴く、という程度である。取り上げる話題が話題だけに、まじめに全部聞くと、疲れちゃうから。

荻上チキと同世代の若い論客って、いまけっこういると思うんだけれど、たいてい僕にとっては「しゃらくせえ」存在なのだが、荻上チキだけは、唯一共感できる。

なぜなのかと考えてみたのだが、この世代の論客で、荻上チキだけが唯一、「マイナスをゼロにする」仕事を意識的にしているからだということに気づいた。

若い世代の論客って、やれITだの、やれイノベーションだのと、「0→1」とか「1→10」みたいなことに最上の価値を置く人が多い、ような気がする。偏見かもしれないが。

そういうのって、とっても口当たりがいいことだし、なによりすぐ金儲けにもつながるので、たぶんいろんな人たちに重宝されるのだ。

でも「0→1」とか「1→10」を当然の価値観として公然と話題にあげて、そこに身を置く人というのは、僕は苦手なのである。

あと、「ちゃぶ台をひっくり返す」系の若い論客も苦手である。そういう人がテレビに出るとすぐにチャンネルを変える。

荻上チキは、いじめやハラスメントをなくすにはどうしたらいいかとか、薬物依存症で苦しんでいる人をどのようにして社会に復帰させていくべきなのか、といったこと、すなわち「マイナスをゼロにする仕事」に自分の身を置いているところに共感できるのである。

最近の「Session22」は、こんなご時世であることもあって、新型コロナウィルス関連の特集ばかりやっていて、ちょっとげんなりしてしまうのだが、それでも、ウィルス学者の峰宗太郎さんがゲストの回の特集は、聴いておくべき内容だと思う。

先月だったか、「新型コロナウイルスとの向き合い方~第1弾」をたまたま聴いていて、峰さんの解説がとてもわかりやすく、誠実だったので、第2弾も聴いてみようと思ったのである。

いま、テレビ番組なんかを見ると、感染症の専門家と称する人たちが、実にたくさん出演している。こんなにいるのか?ってくらい。その中で誰の話を信用していいのか、ちっともわからない。

そんな中でいま僕が最も信頼している専門家は、峰宗太郎さんなのである。たぶんあんまりテレビには出ない人だと思うんだが、この人は、どこまでが確実に言えることで、どこがいまわかっていないか、ということを、現段階での研究動向をふまえて、実にわかりやすく論理的に説明される。

じっくり1時間、その特集を聴いていたら、だんだん顔がヒリヒリしてきた。

家に戻って鏡を見たら、顔が真っ赤になっていた。ひどい日焼けである。

うーむ。火曜日のオンライン会議に、この日焼け顔で出たら何といわれるか…。「おまえ、外出していただろう!」と糾弾されるだろうか。

誰もいないマンションの屋上で、新型コロナウィルスについての最新の研究動向を聴いていた、と言っても、信じてもらえないだろうか。

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のれんに腕押し

毎年、5月の大型連休に、出身高校のOBで作った吹奏楽団が定期演奏会をおこなっている。僕も若い頃は楽団員として演奏会に出ていたのだが、いまはすっかり遠のいてしまって、ここ数年は申し訳ないことに聴きにすら行っていない。

今年の定期演奏会は、新型コロナウィルスの影響で中止になってしまった。ま、仕方がないことである。

で、僕は考えた。

演奏会をやるはずだった日に、オンライン会議システムを使って、演奏会とはいかないまでも、オンラインOB会をやったらいいんじゃね?

オーケストラの団員一人一人がリモートで楽器を演奏してハーモニーを奏でる、という動画を見たことはあるが、あれはちょっと難しそうだ。でもオンライン飲み会なら十分に可能ではないか?

僕はそれを、SNSを使って後輩に提案してみた。

僕の予想では、「その提案、いいですね!ぜひ実現しましょう!」という反応が返ってくるだろうと思っていた。しかしさにあらず。まったく反応がない。

いや、正確に言えば、2人の後輩から反応があった。

「オンライン飲み会経験者ですが、どうしても1人の話をみんなで聞く形にならざるを得ず、個別の会話が同時に乱立するカオス状態が作りにくい、というか本当にカオスになるだけなので7、8人が限界かなと思います」

なるほど、そういうものか。人数が多いと収拾がつかないということか。

「じゃじゃじゃじゃじゃあ‥たとえば複数のアカウントを作って、最初に7〜8人単位の飲み会を同時進行で始めて、ある程度時間がたったら他のグループのところに自由に行き来する、というのはどう?飲み会で席替えするような感じで」

僕はシステムがわからないなりにも、アイデアを出したつもりだった。すると今度は別の後輩が、

「‥‥それも難しいと思います」

えええええぇぇぇっ!そうなの???

結局その後は、誰からも何も意見がなく、終わってしまった。

いやいやいや、俺は別にハナっから参加する気がなかったからいいんだが、よかれと思って提案したことがこれほど冷たくあしらわれるとは思わなかった。もっとも、よかれと思っているのは僕だけで、相手にとっては余計なお世話なのかもしれない。

それとも、俺抜きでそういう計画が進んでいるとか?「ははあん、さては俺のいない間にメロン食ってやがるな」という、例のアレである。

どっちにしろ、完全に意気消沈して、今後は他人によかれと思って何かを提案するのはやめようと誓った。今までも何度もしくじってるからね。

やっぱり、「ヘビーだまらー」によるいつものオフ会をこぢんまりとやるくらいがちょうどよい。

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「おかあさんといっしょ」沼

ここ1年弱、「おかあさんといっしょ」という沼にはまり込んでいる。

番組の構成だけを見たら、実にワンパターンな構成なんだけれども、中身を分析すると、実によく考えられている、というか、かなり強烈なメッセージを発している番組だと思う。

ジェンダーの研究者は、絶対にこの「おかあさんといっしょ」を見るべきだと思うのだが。「おかあさんといっしょ」の歴史の中にこそ、この国のジェンダー観の変遷が見て取れるのではないか、と思えるほどだ。

たとえば、毎週火曜日に「ガラピコ忍者修行」というコーナーがあるのだが、ここに登場する赤忍者が、体操のおにいさんで、青忍者が、体操のおねえさんである。

また、2020年の2月の「月歌」(今月の歌)は「きみイロ」という歌だった。この歌は、きみはこれからたくさんの色に出会うと思うけども、きみらしい色を見つけてほしい、という、メッセージ性の強い歌なのだが、この歌とともに、歌のおにいさんとおねえさん、体操のおにいさんとおねえさんの4人が着ている服の色が、めまぐるしく変わるという映像(MV)が流れる。その服の色を注意深く見ると、2人のおにいさんには赤系の色、2人のおねえさんには青系の色が、意識的にあてられているのである。

むかしは、…少なくともの僕らの時代は、男の子は青で、女の子は赤、というのがあたりまえの時代だった。でも、男の子の中には赤が好きな子もいるし、女の子の中には青が好きな子もいる。古いジェンダー観からの解放、という強いメッセージがここには込められているのだ。あ、それと、多様性ね。

それだけでない。「おかあさんといっしょ」といえば、必ず登場する人形劇のトリオがいるでしょう。いまならチョロミー、ムームー、ガラピコの3人。

この性格付けもまた面白い。元気でみんなを引っ張っていくのが女の子のチョロミーで、内気で引っ込み思案なのが男の子のムームー、そしてガラピコはロボットなので、厳密に言えば性別がない。

「おかあさんといっしょ」の人形劇トリオの変遷を考えてみると、おそらく少し前までは、男の子2人、女の子1人で、女の子は「紅一点」的な役割として存在していたと思われるのだが、いまはそんなことがないのだ。男の子と女の子の比率も、ガラピコがロボットという設定でかろうじて男性優位というこれまでの慣習を克服している。

最近の「今月の歌」も、固定化されたジェンダー観ではなく、多様性にかなり配慮した内容になっている。

…いや、僕が言いたいのは、こういうことではない。もっと細かいことなのだ。

先月(3月)、「なんでもあらいぐま」など、手を洗うということを奨励するような歌が流れた。これは、新型コロナウィルスの感染が拡大して、子どもたちに手を洗う習慣を身につけてもらおうという意図による選曲であることは明らかである。

そして今日(4月24日)。

冒頭の歌が、「あしたははれる」という歌だった。坂田おさむさんが作った名曲である。ちょっと古い歌ということもあり、今の4人のメンバーになってからこの歌が歌われたことはなかったのではないだろうか。

幼稚園や保育園にも行けず、家にいる子どもたちに対するメッセージとしては最適の歌であることは間違いないのだが、重要なことはこの歌が、速水けんたろうさんが歌のおにいさんだった時代に、最後の「今月の歌」として、坂田おさむさんが速水けんたろうさんにプレゼントした歌である、という事実である。つまりこの歌を最後に、速水けんたろうさんは歌のおにいさんを引退したという、おそらく思い出深い歌なのだ。

このタイミングで、若い彼らがこの歌を歌ったというのは、先輩である速水けんたろうさんに対する、強烈なメッセージだったのではないだろうか。新型コロナウィルスで闘病している速水けんたろうさんへの、回復を願うメッセージである。

そう考えると、この番組の細部に、強烈なメッセージが託されていると考えざるを得ないのである。こうして僕はいま、「おかあさんといっしょ」という沼にはまり込んでいるのだ。

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オンラインオフ会、断念!

今週の前半は、ちょっと面会謝絶的な感じで、個室に閉じ込められていたので、…といっても、新型コロナウィルスに罹ったわけではない、面会謝絶というのは、深刻な状態という意味ではなく、このご時世であるがゆえにとられた措置という意味である…社会性のない僕でも、さすがにそういう場所に2泊3日もいれば、人恋しくなるものである。Wi-Fiのない部屋だったしね。しかも枕が違うだけで寝付きが悪くなる僕にとっては、夜はほとんど眠ることができなかった。

たった2泊3日でも心がまいっちゃうくらいだから、感染者で無症状の人が、2週間以上も一人でいるというのは、なかなか耐えがたい状況なのではないだろうか。

あと、これも聞いた話なので間違っているかもしれないが、PCR検査というのは、細い棒の先っちょに検査液をつけたものを、鼻の奥に10秒くらい突っ込んで検査をするのだそうである。鼻の奥に棒を突っ込まれるので、かなり痛くてつらい、と、経験者がニュース番組で語っているのを見た。

大変そうだな、と思っていたら、僕はその上を行く仕打ちをされた。いきなりなんの予告もなく、細長い管を左の鼻の穴の奥にまで突っ込まれ、その状態で2時間半ほどじっとさせられていたのである。

これが痛いのなんのって。いままでそんなことをやられたことがないので、びっくりした。

2時間半後、ようやく鼻の奥から細長い管がにゅるにゅるにゅるっと抜き取られた。この抜き取られるときもまた痛いのだ。

このあと2日間くらい、左の鼻の穴から鼻水が止まらなくなったのは、鼻の通りがよくなったからだろうか。

まあそれはともかく、その間、ずっと考えていたのは、「オンラインオフ会をやりたい」ということだった。

ニュースとかで、「オンライン飲み会」をやっているのを見たりしていると、なんか無性に楽しそうに思えてくるのだ。よっぽど心がやられちゃっているのかもしれない。

いっそみんなに呼びかけて、zoomを使ってオンラインオフ会を企画しようかな、と思ったのだが、気軽に呼びかけられる人もいないし、仮にこれに唯一応じてくれそうなこぶぎさんといつものようなオフ会をしたとしたら、家の中でバカバカしいしいことを大声で話すと家族に呆れられるから、ちょっと実現は難しいなと、思いとどまったのであった。

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比喩が合っていないかもしれない話

いまは引退してしまった芸人・上岡龍太郎が、むかしこんな話をしていた。

若い者たちとそば屋に行くとき、いつも悩むことがあるという。

当然、その場の支払いは上岡龍太郎が全部することになっている。若い者たちも当然、上岡龍太郎にごちそうになることは心得ている。

このとき、そば屋で何を注文するか?

もし上岡龍太郎が、

「ざるそば」

と真っ先に注文したら、若い連中たちは、本当は天ぷらそばが食べたいかもしれないのにもかかわらず、遠慮してざるそばよりも高いものは注文できなくなるだろう。

もちろん、そんなことをおかまいなしに高いものを注文するやつもいるかもしれないが、まあそれは置いといて。

だから上岡龍太郎は、(本当はざるそばが食べたいのだがなあ)と思っていても、天ぷらそばを注文したりするのだという。

そうすれば、若い者たちも気兼ねなく、天ぷらそばを注文することができるからだ。

「俺はざるそばだけど、君たちは好きなものを注文していいぞ」

と言えばいいのかもしれないが、それでも若い者たちは、遠慮する可能性だってある。いわゆる「忖度」というやつである。

ま、似たようなことは、社会人ならば、多かれ少なかれ経験していることではないだろうか。

なぜこんな話を思い出したかというと、新型コロナウィルスの対策で自粛要請をするのと引き換えに一律に10万円の給付金を支給する、と政府が決定したことに関するニュースを見たからである。

一律に10万円支給するまではまあよい。

問題は、閣僚や与党が「10万円の受け取りを辞退する」と、高らかに表明したことだ。

一見、美談のように聞こえるが、はたしてそうだろうか。

そしたらあーた、ドラッグストア協会という業界団体の幹部54人も、「10万円の受け取りを辞退する」という声明を出したのだ。

10万円受け取り辞退の連鎖は、この先も続くのだろうか?

もしそうなったら、恐いのは、「なんでおまえらは辞退しないんだ?」と文句を言うやつが出てくることだ。だってこの国は、同調圧力の国だから。

上の方の者が辞退を表明する、ということは、「俺はざるそばにするけど、君たちはどうする?」と言っていることと同じなのだ。

「上岡師匠がざるそばなんだから、(ごちそうになる)おまえらもざるそばを注文しろよ!」

という圧力と、どこがどう違うのだろう?

天ぷらそばを注文した上で、「僕は天ぷらが胃にもたれるから、もしよかったら君ら食べてくれ」というべきじゃないのか?

…というか、この比喩は合っているのか?自分で書いていてナンダカワカラナイ。

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折り紙が折れない

4月19日(日)

保育園が休園になったので、2歳になる娘がずっと家にいるのだが、保育園に通っていないと時間感覚が狂ってしまうようで、午前0時を過ぎないと眠りにつかない。もともと寝付きが悪い方で、僕が縦抱っこをして歩き回らないといまだに眠れないのである。何とか早く寝てほしいのだが、こちらの思うようには行かない。仕方がないので、眠りにつくまで、こちらが辛抱強く縦抱っこをして歩き回らなければならない。

娘がいまハマっているのは、『アナと雪の女王』『トイストーリー2』『リメンバー・ミー』の3本のディズニー(orピクサー)映画である。これを代わりばんこに、繰り返し観るのである。僕はストーリーを何度も追うだけで疲れてしまうので、断片的にしか観ていない。おかげでストーリーがボンヤリとわかる程度までにはなった。この中で個人的に好きなのは、『リメンバー・ミー』である。

3つの映画のうち、前の2つはテレビ放映されたのを録画したもので、『リメンバー・ミー』はDVDである。最近は、DVDを自分でセットしたり取り出したりすることを覚えた。この調子でいくと、まもなくリモコンの使い方も会得してしまうのではないだろうか。

ところで僕は、折り紙の遊び方について、すっかり忘れてしまった。娘に遊ばせようと折り紙を買ったのだが、僕自身が折り紙を作ってみせることができない。子どもの頃に何度も追ったことのあるはずの、鶴ですら、折り方を忘れてしまったのである。

妻に教わってみて、「こんなに難しかったっけ?」と、あらためて折り紙の奥深さに驚いた。一度折り方を教えてもらい、その後自分でもう一度鶴を折ってみるのだが、たちまち忘れてしまっている。こんなに早くポンコツ親父になるとは思わなかった。

ひょっとして折り紙はボケ防止にいいのかもしれない。放っておくと体が硬くなってしまうように、放っておくと折り紙の折り方を忘れてしまうのだ。折り紙は頭の柔軟体操といえるのかもしれない。

月曜から3日間、やむを得ぬ事情で自宅を離れ、一人で過ごすことになる。

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歯医者に行く

4月18日(土)

コロナ鬱の日々。

朝から大雨である。ニュースでは「数年に一度の大雨」と伝えていて、この地域には大雨洪水警報が出ていた。ついでにお昼頃にちょっとした地震があった。

少し雨が収まった頃、予約していた歯医者さんに行った。

このご時世に歯医者に行くのは、かなり危険な行為であることは重々承知している。とくに歯医者さんのほうは危険と隣り合わせである。何より、患者とは濃厚接触も濃厚接触、ド濃厚接触だし、飛沫も飛沫、ド飛沫のなかを治療しなければならないのだ。

それを考えると、行かない方がいいのかもしれないが、こればかりは仕方がない。

次の予約は来週の土曜日になったが、受付のところに、貼り紙があることに気づいた。

「誠に申し訳ありませんが、5月1日より31日まで休診いたします。」

1か月間、閉めるらしい。4月いっぱいは、予約の患者も多かったので、休診に踏み切れなかったのだろう。

緊急事態宣言が解除される予定の5月6日を過ぎても休診をする、というのは、やはりこの事態が長引くことを想定してのことだろうか。

この事態は、いつまで続くのだろう?

ニュースは、楽観的なものから悲観的なものまでさまざまあって、どれも信用できない。

自由を束縛されているわけでもないし、特定のもの以外は物資が不足しているわけでもないし、毎日多数の死者が出ているわけでもないのに、なぜか、戦時下の気分である。もっとも、戦時下の体験をしたことがないのだが、おそらく戦時下って、こんな感じだったのだろう。

終わりのみえない行動制限、といったらよいだろうか。

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1勝1敗

4月16日(木)

今日もまた、自宅から電車とバスを乗り継いで1時間半ほどかかる病院に行く。昨日の検査の結果を聞きに行くのである。

昨日と同じように、病院の入り口の前にテントがあり、そこで体温を測らなければならない。

「36度4分ですね。ではどうぞ」

平熱だったので、無事に病院に入ることができた。

しかし考えてみれば不思議である。病院は具合の悪い人が行くところなのに、平熱だと病院に入ることができて、熱があると入ることができないというのは、これ如何に。つまりそれほど、いまの状況が異常事態だということである。

昨日は、午後の遅くに病院に着いたので、病院はガラガラだったのだが、今日は、お昼の12時に診察の予約をしていた。

ふだんだと、12時頃のこの病院の中は、外来診察の患者でごった返している。待合室の椅子なんかギュウギュウ詰めである。社会的距離なんてあったもんじゃない。ところが今日、待合のスペースに行くと…、

ガラガラである!

どういうこっちゃ???

ふだんいるはずの患者さんは、どこへ行っちゃったのか???

まさか、ふだん来ている患者の多くは、不要不急の患者だったんだろうか???

まことに不思議な光景であった。

桂文珍師匠の「老婆の休日」という新作落語だったかな。病院の待合室でお年寄りたちが、

「今日、。。さん来てはりまへんな」

「具合悪いみたいでっせ」

という会話をしているくだりがあったことを思い出した。

それはともかく、検査の結果は、ひとまず問題ないようだった。

だが、先週の結果がアレだったので、1勝1敗というところか。「一進一退」というほうがふさわしいかもしれない。

いつもは病院に行くのも憂鬱だが、久しぶりに外出ができるので、体調がよくなくても、どことなく気持ちが晴れやかになる。

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厳戒態勢

4月15日(水)

1週間ぶりの外出である。定期の検査のため、自宅からバスと電車を乗り継いで1時間半ほどかかる病院へ行かなければならない。

日中だったせいもあって、ふだんは混雑している電車の中はガラガラであった。心なしか車内の雰囲気がピリピリしている。あるおじさんが咳をしたら、近くにいた人たちがササッと離れていった。

病院に着くと、入り口の外のところにテントがはってあり、そこで体温をはかってから中に入った。問題ない人には緑色の丸いシールを服の上に貼られた。2か所ある入り口は1か所に制限されていた。人の出入りを一元化するためであろう。

夕方近くだったこともあり、大きな病院だが、人の数はまばらだった。尿検査と血液検査をすませていつものようにCT検査の部屋に行くと、

「鬼瓦さん、今回は血液検査の結果が出てからCT検査をするか判断しますので、1時間ほどお待ちいただけますか?」

と言われた。

ふだんならば血液検査の後、そのままCT検査をする流れだったと記憶しているが、なぜ今回はこんなことを言われたのだろう?ひょっとして新型コロナウィルスのことが影響しているのか?血液検査で新型コロナウィルス感染の可能性がわかるとか?…だがそんな話は聞いたことがない。

言われた通り、病院の中で待っていることにしたが、このご時世、病院の中で時間をつぶすのはなかなかに勇気がいる。

1時間が経ち、CT検査の部屋に行くと、「血液検査の結果が出たのでどうぞ」と、中に通された。

僕は看護師さんに思い切って聞いてみた。

「あのう…、いつもは血液検査の結果にかかわらず検査をしていたと思うんですが、今回血液検査の結果が出てからCT検査をするのはなぜでしょうか」

「特別なことではありませんよ。いつもの通りです」

「そうでしたか…。ひょっとして新型コロナウィルスのことが関係しているのではないかと…」

「それは違います。全然関係ありません!」

看護師さんは、なかば食い気味に、僕の疑問を否定した。

「そうですよね。すみません」

僕は反省した。「新型コロナウィルス」という言葉は、病院の中でうかつに口にしてはいけなかったのだ。そうでなくとも病院の中はピリピリしているのだから。ましてやド素人の僕が軽々に口にするべきではなかった。どうも最近は軽率なことばかりしてよくない。

いま、新型コロナウィルスという言葉に最もナイーブになっているのは、医療スタッフの方々であることを、あらためて実感したのである。

検査は無事に終わり、明日は検査結果を聞きに再びこの病院を訪れる。検査から診察までの間が、僕にとって最も憂鬱な時間である。

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Zoom会議第1号

4月14日(火)

在宅勤務7日目。コロナ鬱の日々。

うちの職場、いつまで経ってもオンライン会議をやりそうにないなあ、と思っていたら、昨日の夕方いきなりメールが来た。

「明日午後の会議は鬼瓦先生にはZoomで参加していただきます。ついては、18時に接続の確認を行います。

えええぇぇぇっ!!!いきなり???

18時に、出勤している職員さんとZoomの動作確認をしたのだが、タイミング悪く、娘が火がついたように泣き出した。その泣き声が大きすぎて、画面からの職員さんの声が聞こえない。

「聞こえてますか?」

「すみません。娘の泣き声が大きくて…」

娘の泣き声のことばかり気になってしまい、動作確認も早々に切り上げてしまった。

そして今日。午後は妻と娘には別の場所で待機してもらうことにした。

13時30分からの会議だが、13時から、例によってZoomの動作確認をするという。「またかよ!」と思ったが、会議室のオンライン環境との調整が必要らしい。そこで衝撃の事実を知る。

「Zoomで会議に参加いただくのは、鬼瓦先生だけです」

ええええぇぇっ1!!俺だけ???ということは、ほかの人たちは出勤してるってことか!!!

僕の画面には会議室が映し出されたが、僕以外の全員が会議室にいる。いまもなお対面の会議をしていて大丈夫なんだろうかと、逆に心配になるくらいである。

会議室のスクリーンには、僕の顔が大写しになっているらしい。

(どんな羞恥プレイだよ!)

会議は2時間におよび、ようやく終了した。

僕の声は、会議室にはよく聞こえていたみたいだが、会議室の音声は、僕にはよく聞き取れなかった。まあこれは、今後の課題だろう。

ということで、はからずも僕が、職場でリモート会議参加者第1号となった。

「はじめに道はない。人が歩くから道になるのだ」という魯迅の言葉を思い出した。

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大林監督のこと


4月11日(土)

大林宣彦監督の訃報は、4月10日の深夜にネットニュースで知りました。

僕の家の玄関には、2年前のインタビューのときに大林監督が僕の娘へ宛てて書いてくれたサインが、額に入れて飾ってあります。その娘も、先日2歳になり、だいぶ言葉を覚えるようになりました。いまは「アナと雪の女王」に夢中で、繰り返し見ています。

そういえば2年前のインタビューで大林監督の事務所にうかがったときに、事務所の壁に新作映画のタイトルを書いた原稿用紙が貼ってありました。たしかそこに書かれていたタイトルは「春爛漫!キネマの玉手箱(仮)」。僕はそのとき、それを写真に収めたいという衝動に駆られたのですが、できませんでした。その時点ではまだ撮影に入る前だったんですよね。

その映画が「海辺の映画館 -キネマの玉手箱-」として完成して、今年の4月10日(金)に公開されるはずでした。しかし新型コロナウィルスの影響で、公開は延期となり、その公開予定日だった4月10日に、監督は世を去ったのです。

10代の終わりから20代前半にかけて、大林監督の映画はもちろん、監督の出演する番組もチェックして録画したり著作を全部集めたりするほどのファンでした。これが自分の中の第一次ブーム。1980年代の終わりから90年代前半頃のことです。

その後しばらく離れてしまいますが、2002年の秋、大分の臼杵を訪れたときに、大林監督が「なごり雪」を撮影した際によく通っていたという料亭に偶然行ったことがきっかけで、監督の映画と再会したのが第二次ブーム。

第三次ブームは、それから15年後の2017年です。2017年の夏に僕は大病を患い、絶望的になっていたときに、2017年6月11日に東京で開催された「SHORTS SHORTS FILM FESTIVAL& ASIA 2017アワードセレモニー」という、映像コンペ作品の受賞作発表と表彰式がおこなわれた場で、審査員の一人である大林監督が、30分にわたるスピーチをしている動画を見つけました。僕はそこで初めて知ったのですが、齢80になろうとする大林監督は、前年の8月、末期がんであることがわかり、余命3か月の宣告を受け、その翌日に「花筺」をクランクインしたというのです。そのお話を聞いて、たいへん驚きました。

僕はいまも病気とつきあっていますが、病気を抱えながらどのように仕事を続けていけばよいのか、ということを、その30分のスピーチで学び、僕は絶望から解放され、前向きに人生をとらえることができるようになったのでした。それを、若い頃からのファンだった大林監督に教えてもらった、ということに、不思議な縁を感じたのです。

その後、2018年の5月に、ある本の仕事でまさか大林監督にインタビューできる機会が訪れるとは!そこに至るまでにはさまざまな縁が絡んでいたのですが、それについては省略します。

僕の中では、2018年5月に監督にインタビューできただけで、十分に満足だったのですが、その1年後、2019年4月末に、僕の古巣の土地で、大林監督の講演会があり、しかもその土地で過ごしていたときの僕の友人がその企画に関わっていることを知り、日帰りで講演を聴きに行き、懇親会までご一緒するという幸福な時間を過ごしました。そこではパートナーの恭子さんともお会いすることができ、僕が新幹線の時間の関係で懇親会を早めに失礼することになったとき、大林夫妻が別れ際に手を振ってくれたのが、いまでもはっきりと目に焼き付いています。

でも、ファンというのはそういうものなのかもしれませんが、お目にかかってもこちらが緊張してしまい、ほとんど会話を交わすことができません。

2018年5月のインタビューの録音を聞き返すと、監督と会話をしたのは、

監督:百恵ちゃんの自伝を書いた女の人、誰だっけな。

私:残間さん。

というやりとりと、

監督:この間、昼ドラで何とかの郷ってやってましたね。

私:『やすらぎの郷』ですか。

監督:あれに出ていた女優さん、千葉真一の奥さん。

私:野際陽子さん。

たぶんこれだけです。もちろんこのくだりは本ではカットされています。

2019年4月末に古巣の地でお目にかかったとき、懇親会で幸運にも隣に座らせていただく時間が少しあったのですが、そのときも、

監督:パキさん(藤田敏八)がテニスの審判役で僕の映画に出てくれたことがあったね。何だったっけな。

私:『瞳の中の訪問者』ですね。

というやりとりと、

監督:いま(このお店で)流れているBGM、僕の映画で使った曲だよね。何だったっけ。

私:『あした』のサントラです。

と、これだけでした。

些細な出来事にすぎませんが、他の人にはない、自分だけの思い出なので、心覚えとして書いておきます。

新型コロナウィルスが収束して、また映画館で映画が見られる日が来ることを心待ちにしましょう。

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メール生活

4月10日(金)

在宅勤務5日目。コロナ鬱の日々。

うちの職場は、今日もまだZoomを導入しておりません!

ま、Zoomを導入したところで、本当に会議に使うのかどうかはわからないのだが。

なので在宅勤務ではもっぱらメールでやりとりをしている。

うちの職場の職員さんたちも、シフトを組んで、徐々に在宅勤務に移行しているようである。

今日、仕事関係で届いたメールを数えてみたら、30通くらい来ていた。これは私個人宛てに来たメールのみの数で、職場全体の一斉メールを入れると、もう少し多くなる。

こちらから出した仕事のメールは、返信も含めて18通くらいだった。この数が、多いのか少ないのか、よくわからない。

こちらからお願いのメールを書いたり、逆に判断を仰がれて細かく指示したりするメールがほとんどなので、一通あたりの分量が長い。得意の「クドいメール」なのである。

仮に1通に平均10分かけて書いているとしたら、18通書くのに3時間かかることになる。いや、いろいろと考えたり文章を練ったりしながら書くので、10分では書けないことが多い。仮に平均20分かけて書いているとしたら、6時間かかることになる。つまり、メールを書いているだけで、勤務時間のほとんどが費やされてしまうのだ。メールに添付する資料を作ったりしていると、さらに時間はかかる。

こちらの近況を伝えても大丈夫かな、という仕事の関係者には、用件のついでに、ひと言ふたこと、近況を伝えたりもする。そうすると、相手からもちょっとした近況が伝えられたりする。

ある仕事の関係者は、パートナーの方の職場の建物で謎の発熱をした人が何人も出て、ひょっとしたら新型コロナウィルスに罹っているかもと思っても検査をしてもらえないのでわからず、とりあえず自宅待機をすることになり、自分も用心して自宅待機をしているのだが、家の中でパートナーとの距離を2m以上保とうと思っても、2メートルより近寄ってしまうし、ついついでかい声でしゃべってしまうし、マスクもつい忘れてしまって、困ってしまう、といった近況を報告したり、

また別の仕事の関係者は、自分の義理の息子が大きな病院で医者をしているのだが、4月からコロナウィルスの感染者の対応をすることになり、とても心配だ、という近況を報告したり、

また別の仕事の関係者は、自分が住んでいる県は、まだ感染者がゼロなのだが、みんなはもう絶対いるはずだと思い始めており、「ただでさえ寂しい通りが、全く人が通らない状態です」と近況を報告してくれた。ちなみにこのメールを受け取った数時間後、その県で初めての感染者が出たと報道された。

まあそんなこんなで、ひと言ふたことの近況の端々からも、新型コロナウィルスの恐怖がひたひたと忍び寄ってくる様子が伝わってくるのである。もう、自分だけは関わりがないなんてことは、誰も言えないのだ。

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Zoom講習会参加記

4月9日(木)

在宅勤務4日目。早くも鬱状態である。

風の便りによると、むかし僕がお世話になった職場では、1か月間の禁足令が出て、上京も認められなくなったらしい。もはや東京やその周囲の県は、感染爆発といってもいい状況なので、そうなるのも仕方がないのだろう。

うちの職場はといえば、来週も対面会議を行うらしい。大丈夫なんだろうか…。出勤者だけに感染のリスクを負わせることは断じてあってはならないと思う。こちらは在宅勤務という負い目もあり、そのことを考えるだけでも気に病んでしまう。

保育園も来週から5月の連休までの当面の間、預けるのを自粛することになった。これも致し方のないことなのだろう。

今日は、妻の仕事の関係先で、Zoomの講習会があるというので、僕もその講習会を覗かせていただくことにした。

講習会といっても、もちろん対面ではなく、在宅のままZoomという会議ソフト上で行う講習会で、Zoomを使いながら、どのようなことができるかなどをパワポの画面を見ながら講習を受けるというものである。大学のオンライン講義のようなものである。僕はその講習会の画面を、覗き込むことにしたのである。

最大100名しかその講習会に参加できないとのことで、13時半に始まる1回目の講習会にエントリーしようとしたところ、早い者勝ちだったようで、あっという間に100人のエントリーが終わり、われわれはすっかり出遅れてしまった。

「2回目の講習会は3時半からです」

こんどは、メールによる招待が来てからすぐにエントリーし、何とか2回目の講習会は受けることができた。

Zoomを設定するときに、ビデオと音声をオフにしないと、100名の人たちに、顔と声が伝わってしまうのだが、100名の人たちのなかには、ビデオをonにしたままの人もいて、知らない人の顔が、画面の右側にずっと映り続けている。

講習会が始まったのだが、パワポのスライド数が100枚以上あるという。そんなに覚えられるかよ!あまりにも情報量が多すぎて、追いついていけない。Zoomって、本当に簡単なのか???

(うーむ。難しいなあ…)

だんだん話に飽きてきたので、右側の画面に映っている知らない人の顔に目をやったら、僕よりも年齢が上とおぼしき、白髪のおじさんが、

こくり、こくり、

と居眠りを始めた。

(ああ、俺と同じく、すでに脱落したんだろうな)

当初は30分くらいと聞いていたのだが、45分経ってもまだ内容の半分くらいしか終わらないので、飽きちゃって聴くのをやめちゃった。

その後は妻が最後まで講習会を聴き、どうやら使いこなせそうな雰囲気である。

妻の話によると、その後、この講習会を受けられなかった外国人の関係者の方々の不満が爆発し、

「どうして英語による講習会がないんだ!」

というクレームを、関係者数百人のメーリングリストに載せて全員にわかるように訴えたという。けっこうな数のメールが来たというから、外国人の方々はそうとう怒っていらしたのだろう。

現場の担当者の方もそうとうに混乱しているようだった。誰もが初めてのことなので、無理もない。あらためて講習会を開くということで、ひとまず決着したようである。

いまこの国で、混乱していないところなんて、どこにもないのだ。

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感染とジェンダー

まずこの棒グラフを見てもらいたいのだが。

Eu5ltyrucaaprcu インターネットで拾った画像で、しかも少し前のデータなので、どれほど信憑性があるのかよくわからないのだが、これをみると、40代をピークに、30代~50代の男性に、新型コロナウィルスの感染者数が多いことがわかる。

これをSNSに載せた人は、「どう見ても、通勤で満員電車に乗っている人が被害に遭っているとしか思えない」と書いているのだが、そうとばかりも言えない。女性だって満員電車に乗って通勤しているのだから、働き盛りの女性の感染者数が増えてもおかしくないと思うのだが、そうなってはいない。

では、生物学的に、男性が罹りやすく、女性が罹りにくいのか?それもあり得ない。

今日は都内の病院に定期の検査に行くことになっていた。このご時世に、長時間電車で移動して、病院に行くというのは、かなりのリスクをともなう行為なのだが、こちらの健康にも関わる問題なので、仕方がない。

検査結果は期待外れだったのだが、まあそれは置いといて。

検査が終わると、すでにお昼の12時をまわっていた。お腹がすいたので、近くの食堂でご飯を食べることにした。

病院は、オフィス街と観光街が接しているような場所にあり、コロナ禍が起こる前は、平日でも観光客やビジネスマンで賑わっているところだった。

だがさすがに、今日は、観光客がほとんどいない。観光街のところのお店も、ほとんどがシャッターを下ろしている。

開店している食堂に入ると、ちょうど会社もお昼休みなのだろう、僕と年齢が同じくらいか、それよりちょっと下くらいの、それこそ30代~50代のスーツ姿のサラリーマンが何組かその店にすでにいた。

僕はそこで目を疑ったのだが、スーツ姿のサラリーマンたちは、狭いテーブルを囲んで、いわゆる「濃厚接触」の距離で座っていて、さらに驚いたことに、全員、マスクをしていないのだ。

そこで何をしているかというと、大声でしゃべり、ときには大声で笑う、という行為を繰り返していた。

これって、いちばんやっちゃいけないんじゃね?マスクもせずに大声を出したり大声で笑ったりすると、たちまち飛沫感染するんじゃねえの??!!

ニュースに疎い僕でも、さすがにそれくらいは何となくわかる。というか、この期に及んで、どうして複数で連れだって昼ご飯を食べに行くの???バカなんじゃないの?

しかしそのおじさんたちは、そんなことお構いなしと言わんばかりに、大声で話をして、大声で笑い合っていたのだ。それも一組だけではない。何組もだ。

僕は食堂に入ったことを後悔したのだが、仕方がない。じっと息を潜めていることにした。

このとき僕は、冒頭の棒グラフのことを思い出したのだ。

なぜ、30代~50代の男性に感染者が多いのか?それは、こういうところに原因が潜んでいるのではないか?

もちろん夜のお店の可能性も高いのだろう。だがそれだけではない。昼休みに、会社の同僚たちが、みんなで連れ立って昼ご飯を食べに行くという、サラリーマン特有の習慣から抜けきれないおじさんたちが、緊急事態宣言の後も、相当な数いるのではないだろうか。

僕はサラリーマンになったことがないのでよくわからないのだが、都心のサラリーマンってものは、おじさんたちがみんなで連れ立ってお昼を食べに行くんじゃないの?そういう光景をよく見かけるんだけど、偏見だろうか?一緒にご飯を食べに行かないと、死んじゃうの?

こんなご時世にリモートワークができずに会社に出社しなければならないことについては、かなり同情の余地がある。だが、であればなおのこと、なるべく感染しないように、お昼はお弁当か何かにして、できるだけ人が接触しないような場所で食べるとか、ふだんの習慣を変える工夫が必要である。だが察するに、おじさんたちは、ふだんの習慣を変えようとしないのである。

というか、誰かが「こういうの、やめましょう」と言えばすむ話なのだが、同調圧力の強いこの国の会社のなかでは、その一言すら、言うことができないのだ。

対して女性は、そういうことに対してかなり敏感に反応し、ふだんの習慣を見直すことに長けているのではないか。

その違いが、男女の感染者数の違いとなってあらわれているのではないか。

つまりこれは、ジェンダーの問題である、というのが僕の仮説。

感染拡大を防ぐには、こうしたジェンダーによる習慣を見直してみる必要もある、というのは飛躍しすぎだろうか。

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巨人の星かよ!

4月7日(火)

緊急事態宣言が出された。

テレビで、ある識者が、

「爆弾でいうと、ちょっと前までは導火線に火がついた状態だったのが、いまは、爆弾のすぐ近くまで火が来ている状態です」

みたいな発言をしていた。

この種の発言は、いろいろなところにあらわれていて、何日か前に「いまが瀬戸際です」といっていた政治家が、何週間後かに「いまは瀬戸際の瀬戸際です」と言っていて、

「瀬戸際の瀬戸際ってなんだよ!」

と呆れてしまった。

僕は、こういう言い回しを聞くたびに、なぜか二つのことを思い出す。

ひとつは、芸人のレーザーラモンRGが、

「あるあるネタを言いたい」

と言いながらなかなかあるあるネタを言わず、最後の最後に言う、というネタである、

もう一つは、「巨人の星」の漫画だったかアニメだったかで、1球を投げるのに1話かかったというエピソードである。

いずれも、「決定的な事態に触れないまま、時間だけをいたずらに費やして、事態を先送りする」ことを表現しているように思えて、いま僕たちが置かれている状況は、これと似たようなことなんじゃなかろうか、と思っているのだが、たぶんこの感覚は、誰にも理解されないだろう。

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ZOOM待ち

4月6日(月)

昨日、社長に言われたので、在宅勤務しているのだが、それにしても気になるのは、明日、僕が初めて議長となるはずの会議がどうなるか、である。

ま、僕自身はメール審議でも問題ないと思ったのだが、今日の午後になって連絡が来た。

「明日の会議は、代理の議長を立てて対面で行うことにすると、社長が決めました」

ええええぇぇぇっ!!!

対面でやるの???

この状況で、わざわざ対面でやることはないと思うのだがなあ。

僕は遠くから通勤しているので、新型コロナウィルスに感染するリスクが高いということで、在宅勤務になったわけだが、ほかの人たちだって、同じくらいに感染のリスクが高いはずだ。

で、会議の責任者である僕が出勤せずに、他の人に議長の代理を任せるというのは、どうも後味が悪い。

まるで俺ひとりが、在宅勤務をすると駄々をこねたみたいじゃないか!!

こんなことなら、出勤して議長をやった方がどれだけ精神的に楽だろうか。

しかし、それをすると、「なんだ、対面の会議ができるんじゃん」と、いつまで経っても職場がテレワークだのオンライン会議だのに移行しようとしない、だらだらと対面の会議を続けるだけである。

ここは一つ、心を鬼にして、家から出ないようにしなければ、世の中は変わらないのだ!

ああ、早くZOOMとやらでオンライン会議ができるようになれば、在宅勤務でも気兼ねないのだがなあ。

だがZOOMは契約するのにお金がかかるとかなんとかで、職場が契約し、こちらを招待してくれないと使えないみたいなのだ。招待されたときに、リンク先をクリックするとZOOMが自動的にインストールされるので、こっちが下手にインストールしない方がいいんだとかいう人もいたりするのだが、本当だろうか?よくわからない。このあたり、テキトーに書いているが、未知のものなので、わからないことだらけだ。

早く職場がZOOMを使用したオンライン会議に踏み切ってくれないと、困るなあ。ところで、本当にZOOMで、明るい未来は来るのだろうか?

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在宅勤務ヲ命ズ

4月は人事異動の季節である。

うちのような職場では、この時期に、お役所を中心にいろいろなところから人事異動の挨拶にいらっしゃるのが慣例となっているようである。

先日の金曜日は会議がなかったので在宅勤務をしていると、職場から、

「4月6日(月)に得意先Aの部長さんと課長さんがうちの社長のところに挨拶にみえるので、同席してください」

「4月10日(金)に得意先Bの社長さんがうちの社長のところに挨拶にみえるので、同席してください」

という依頼のメールが、立て続けに来た。得意先というのは、ま、簡単に言えばお役所とか公的機関のことである。

いくら慣例とはいえ、新型コロナウィルスによる感染が広がっているこの時期に、何事もなかったかのように、本当に挨拶に来るつもりなのだろうか。

僕はこの些細な出来事のなかに、この国の社会の本質が潜んでいるとみている。

東日本大震災のあと、ある地域で活動していたボランティアの方が、こんなことを言っていた。

「役所というのは、非常時には平時の論理が優先する」

たしかそのような言葉だったと思う。いまの政権が、国民一人一人への一律の現金支給を拒み、「現金ではなく商品券を」とか、「現金を支給する場合は、所得に制限を設けて自己申告させる」などということを、この期に及んで真剣に考えているというのは、いまの政権が狂っているというだけではなく、もともとこの国の役所が、そういう考えしかできないところだからである。「コロナ禍」という状況で、まるで平時のように挨拶まわりというふるまいを見せようとするのも、そういうことなのだろう。

そしてこの土日、東京の感染者数が100人を超える、という事態になった。いよいよ危機的な状況である。というか、もうこれ、ダメだよね。

日曜日の夕方あたりから、

(ああ、明日の月曜日は、挨拶まわりで社長室にやってくる方々に対応するためだけに、2時間半の満員電車に揺られて職場に行かなければならないのかあ…)

と、すっかり憂鬱になってしまった。それでも、今年度からはそういう仕事もやらなければならないのだから、仕方がないだろうと、あきらめた。

そうしたところ、日曜の夜に社長から電話があり、

「君、東京やろ。明日から当面は、職場に来んでええで」

と言われた。もちろん、クビになったわけではなく、在宅勤務を命じられたのである。

ひとまず、満員電車に乗らなくてよくなったと、安堵した。

とはいえ、在宅勤務に切り替えることで、自分の主宰する会議をどうするかなど、いろいろなことに対応をしなければならず、その対応も悩ましいところである。

それよりも僕が気になるのは、ここ数日の急激な感染拡大の状況にあって、得意先の方々は、本当に予定通り、うちの職場に挨拶まわりに来るのだろうか、ということである。

もし本当に、挨拶まわりに来るのだとしたら、「非常時には平時の論理が優先する」という仮説が、ますますもって証明されることになるだろう。

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狭間のウルトラシリーズ

YouTubeのウルトラマン公式チャンネルで、「ウルトラマン80」を無料配信しているというので、観てみることにした。

その名の通り、「ウルトラマン80」は1980年に放映された。僕が小学校6年の時にあたる。

僕は「ウルトラマンタロウ」や「ウルトラマンレオ」あたりから、ウルトラシリーズから離れてしまったクチなのだが、この「ウルトラマン80」は、けっこう面白く観ていた記憶がある。というか、ウルトラマンのシリーズのなかでもかなり好きな部類に入る、と思う。

あらためて観てみると、特撮の完成度が高く、主題歌や音楽もかっこいいので、当時はそのあたりに惹かれて観ていたんだと思う。

何より、80年代初頭に特有の「時代の明るさ」のようなものが感じられる。校長先生役が坊屋三郎さんだったんだね。これもまた貴重である。

あと、「のんちゃん」こと白坂紀子さんが出ていたことも、あらためて思い出した。

僕はこの頃、TBSテレビで平日の夕方5時から放送されていた「夕焼けロンちゃん」という番組が好きで、欠かさず観ていた。子供向けの情報番組で、司会が「ロングおじさん」という、TBSのアナウンサーの吉村光男さんで、何代目かのアシスタントが、白坂紀子さんだった。のちに俳優の志垣太郎さんの妻となる。

僕は白坂紀子さんの顔をテレビで毎日見ていたものだから、その白坂紀子さんが「ウルトラマン80」に出演するという情報を「夕焼けロンちゃん」で知って、「ウルトラマン80」を見始めたのだと思う。「知ってるお姉ちゃんがドラマに出演している!」という感覚だったのだろう。

ところがこのウルトラマン80は、ウルトラシリーズの歴史のなかで、どのように評価されているのか、よくわからない。

何となく僕のなかでは、「ウルトラマン」から「ウルトラマンレオ」までが、一つの連続したシリーズで、そこからブランクがあり、平成のウルトラシリーズ(僕は全然見ていないのだが)が始まる、というイメージがあり、その中でウルトラマン80は、宙ぶらりんの位置にいるのではないか、という気がするのである。しかし、もっと評価されていい作品だと思う。

で、ウルトラマンの公式チャンネルでは、1979年に放送されていたアニメの「ザ☆ウルトラマン」も無料配信されているということを知り、これも観てみることにした。僕が小学校5年生のときにあたる。

この「ザ☆ウルトラマン」、実写ではなく、アニメという特異な作品なのだが、実はそうとう好きだった。一般的には、どんな風に評価されているのかはわからないが。

どんな内容だったかはほとんど覚えていなかったのだが、YouTubeで無料配信されていた回を観てみたら、やはり面白かった。

僕が観た回がたまたまそうだっただけのかどうかわからないが、地球防衛軍が戦艦風の乗り物で宇宙へ出向いていって、宇宙人とか怪獣を攻撃する、というストーリーになっていて、宇宙戦艦ヤマト色がとても強かったんだね。というか、宇宙戦艦ヤマトそのものじゃん!「ウルトリア」という乗り物は、宇宙戦艦ヤマトの構造と酷似しているし、主人公の声は、宇宙戦艦ヤマトの古代進の声の人と同じ富山敬さんだし、「ワープ航法」なんて使って瞬間移動したりしているし。主題歌だって、ささきいさおだぜ。

どうやら1979年は、宇宙戦艦ヤマトのリバイバルブームだったそうである。たぶんそれに影響されて、宇宙戦艦ヤマトに寄った作品にしたのだろうか。観ている当時の僕も、親近感を持って観ていたのかもしれない。

あと、隊員の一人の声が、初代のウルトラマンで隊員役だった二瓶正也さんだし、ピグモンも登場するし、初代のウルトラマンに対するリスペクトも忘れていないのがいい。

で、この「ザ☆ウルトラマン」も、ウルトラシリーズではたぶん宙ぶらりんの位置にあると思うのだが、こちらも、もっと評価されるべき作品だと思う。

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新体制、怒濤の始動

4月2日(木)

新型コロナウィルス感染拡大の危機が迫っていても、4月1日の人事異動は変わらずに行われた。

うちの職場では、今日が辞令公布の儀式だった。

午前中に辞令交付式が終わると、午後からはさっそく、新型コロナウィルス対策に関わる緊急会合のために、関係者が招集された。

僕も、いきなり虎の穴に放り込まれたようなものだ。

「今後、感染の拡大によってどんな問題が持ち上がり、どんな対策が必要か、最悪の事態まで想定して、各部局であらいだしを頼む」

と言われても、まったく見通しが立たないし、なにより新参者の僕には、どうしていいかよくわからない。

「どうやらZOOMという会議アプリを使えば、リモート会議も可能になる」ということで説明を受けたのだが、僕を含めた大半の人がその仕組みをよくわかっておらず、これからいろいろと設定することになった。

すでに職場で使いこなしている人からすれば、「ええええぇぇぇっ!!!そこから?」と笑われるかもしれない。

うちの職場でリモート会議が実現するのは、まだ少し先のことになるだろう。

緊急会合の後は、来週に行われる、僕がとりしきる会議の打ち合わせである。

こちらはこちらで、自分自身が頼りない上に、事務側のスタッフが人事異動のためガラッと変わってしまい、先例を知る事務スタッフがいなくなってしまったため、今年度、無事に会議をまわしていくことができるのか、とても自信がない。

職場の心配だけではない。自分と家族の健康のことも心配だ。

満員電車に乗って、東京を横断して通勤している僕にとって、電車の中はさながらロシアンルーレットである。あるいは「黒ひげ危機一髪」といった方がよいか。

東日本大震災のときのことを思い出すが、僕の皮膚感覚では、あのときよりも、いまのほうが、先行き不透明による不安感が強い。

いままで経験のしたことのないような状況の中で、新体制が始動した。

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心配な日々

3月31日(火)

「前の前の勤務地」で、新型コロナウィルスの感染者が出た、というニュースを聞いた。首都圏から自動車免許合宿に来ていた人ということだ。

これまでその県は、感染者が確認されない「無垢」の県として、最後に残った4県のうちの一つだったのだが、ついに感染者が出てしまった。やはりウィルスというのは、人の移動により持ち込まれるものだということが、よくわかる。

「前の前の勤務地」はこぢんまりとした静かな町で、親しい友人や教え子がいるので、感染の拡大が心配である。いまごろ友人や教え子は、勤務先で対応に追われているのだろう。

…と、他人様(ひとさま)の心配をしている場合ではない。僕は相変わらず、片道2時間半をかけて、満員電車に乗って、都内を横断して、職場に通勤しているのである。可能な限りは在宅勤務をしているが、会議が頻繁に入るので、結局はそのたびに通勤しなければならない。

「感染爆発、重大局面」と都知事が記者会見をしてからというもの、満員電車に乗るのが怖くて仕方がない。

ふと、思い出した。

去る3月20日、お彼岸の日に、実家の母たちと父のお墓参りにいった。お墓参りの後、ファミレスで昼食を食べたのだが、そのファミレスがひどく混んでいて、満席だった。

それから10日ほどが経った。新型コロナウィルスが発症するまでには、10日から2週間くらいかかるという。

高齢の母が感染していないだろうかと、急に心配になった。

電話をしてみるが、携帯電話に何度かけてみても、電話に出る気配がない。

(うーむ。ことによると、家で倒れているんじゃないだろうか。)

とますます心配になる。妹にも電話をかけてみるが、妹も電話に出ない。

そもそも僕自身も、携帯電話に出ないことが多く、家族にしかられてばかりいるので、うちの家系は「電話に出ない家系」なのかもしれないのだが、そんなことを差し引いても、このご時世に、電話に出ないというのは心配である。

仕方がないので、LINEで「全然電話に出ないけど、大丈夫?」と送った。

するとしばらくして母から電話が来て、

「どうしたの?」

「どうしたのじゃないよ!なんで電話に出ないの?」

「電話が鳴らなかったのよ。それよりも、何の用?」

「何の用って、心配だから電話しただけだよ!」

その直後、妹からも電話があり、妹も無事だということだった。

まったく、こんな気が気でない毎日では、心がまいってしまう。

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