アンソロジーには裏切られる&古い友人との読書話
本好きの人に聞きたいのだが。
アンソロジーって、買ってよかった、ってことある?
僕はなんか、いつも裏切られるような感じがするんだよなあ。
しかも始末の悪いことに、僕はアンソロジーがけっこう好きで、騙されるとわかっていても、つい買ってしまったりする。
有名な作家が選んだ短篇集なんて、ついその選球眼を信じて買ってしまうんだけれど、いつも失敗したと思うんだよなあ。
結局、自分で見つけようとはせずに、他人の見立てたものを読むという受動的な態度がよくないのだろうということに、最近気づいた。
本だけではない。音楽もそうだ。
ちょっと前に、「星野源が選んだ細野晴臣のベスト盤」みたいなCDが発売されていて、一瞬、買おうかなと思ったが思いとどまった。いくら星野源が音楽のセンスがいいからといって、そのチョイスが僕の好みとあっているとは限らない。
そう考えると、小説にしても音楽にしても、その分野で著名な作家なりミュージシャンが、わざわざアンソロジーを編もうとする意図は、何なのだろう?ワインのソムリエみたいな役割なのだろうか。唯一裏切られないのは、町山さんの映画評論だけだ。
人に勧められた本がさほど面白くなかったという、よくある体験と近いものがあるのだろう。
読書で思い出したのだが、以前に古い友人と久しぶりに話す機会があって、本や映画の話で盛り上がったことがある。
高校の頃は、それこそ毎日のようにバカ話ばかりしていて、本の話などしたこともなかったのだが、この歳になって、高校のときの読書体験について話題に上がったとき、
「高校のとき、柴田翔とかを読んでいたんですよ。(見かけによらず)暗いでしょう?」
「ええええぇ?!そうだったの?実は俺も柴田翔を読んでいたよ」
「あの時代、柴田翔なんて読んでいる高校生なんて誰もいないと思ってました。あと、高野悦子の‥」
「『二十歳の原点』!暗すぎるだろ!」
35年ぶりくらいに、高校時代に共通の読書体験があることがわかって、それはそれは愉快なひとときであった。
本や音楽や映画や大衆芸能や芸術など、たとえ嗜好が違っていても、そういう話ができる友人が、この年齢になるとありがたいような気がする。
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