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KANO

以前に録画しておいた台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」を見たけど、イマイチだったなあ。

妻の事前情報によると、「セデック・バレ」と同じ監督の作品だということで見てみたんだが、なんというか、作品の出来が雲泥の差である。おかしいなと思って後で調べてみると、プロデューサーが同じで、監督は別の人である。

台湾が日本の統治下にあった時代、代表校が内地の県代表と同様に甲子園大会に参加していたわけだが、弱小だった嘉義農林が、日本人の監督(永瀬正敏が演じている)のもとで力を合わせて、1931年、ついに台湾代表校として甲子園大会に出場し、決勝にまで進んだという史実をもとにした映画で、KANOとは、嘉義農林の略称である。その後嘉義農林は、台湾の強豪校として名を馳せることになる。

僕は甲子園大会にはまったく興味がないのだが、嘉義農林のことはよく知っていた。

ずいぶん前だが、「伊集院光 日曜日の秘密基地」というラジオ番組で、「ヒミツキッチの穴」というコーナーがあった。ラジオのリスナーの記憶の穴を埋める、という趣旨のコーナーで、あるとき、80歳を過ぎた依頼者から、こんな依頼があった。

「戦争中、私は台湾にいて、台北工業の野球部に所属していた。甲子園大会に出たいと思っていたが、当時、嘉義農林の野球部が強豪で、なかなか負かすことができなかった。ところが昭和17年(1942)に、嘉義農林を破り、晴れて甲子園大会のキップを手に入れた。そのとき、相手側の嘉義農林にはコウタイザンというキャッチャーがいて、彼のバッティングが実に惚れ惚れするものだった。いまでもそのことが強く印象に残っており、もし叶うことなら、コウタイザンという選手にもう一度会ってみたい」

たしかこんな依頼内容だったと思う。

さあ番組は、この依頼に応えるべく奔走し、最後は実に感動的な大団円を迎えることになるのだが、まあそのことは置いといて。

僕はそのとき、戦前の甲子園大会には統治下にあった韓国や台湾からも代表校が出場していたということと、戦時下では朝日新聞主催の甲子園大会だ開かれず、その代わりに文部省が主催の大会が開かれたこと、したがって、昭和17年の大会も公式な大会としてはカウントされておらず、「まぼろしの甲子園大会」と言われていること、などを初めて知ったのだった。コウタイザンという選手は、のちに台湾野球界で活躍したそうである。

映画「KANO」は、そのコウタイザン選手が所属していた嘉義農林が、もともと弱小のチームからいかにして野球の強豪校になっていったかを知る上では有益であった。しかし、そもそも高校野球に興味のない僕にとっては、それほどのめり込めなかった。それに、ラジオで聴いた、コウタイザン選手のエピソードがあまりに感動的すぎて、僕の中で、かなりハードルが上がってしまったということもある。

もちろんこれは僕の個人的な感想にすぎない。野球の試合の場面は、かなりリアルで迫力があるので、高校野球好きにはたまらないだろうと思う。あと、全般にわたって親日的に描かれているので、そういうことにこだわっている人にとっては、安心して見られる映画だと思う。

数年前、台湾に行ったとき、「台湾の近代野球」を専門に研究している人とお会いする機会があり、日本でほとんど知られていないコウタイザン選手のことを聞いてみようと思ったのだが、コウタイザンの漢字表記がわからず、結局意思疎通がとれなかった。

のちに調べたところ、コウタイザン選手の表記は「洪太山」である。洪太山さんは昨年(2019)1月、95歳で台湾野球殿堂入りをはたした。

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