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2020年5月

素晴らしき日曜日

前回、「カメラに向かって役者が語りかける」という映画の話をしたが、黒澤明監督の初期の映画「素晴らしき日曜日」(1947年)の終盤のあたりで、役者がカメラに向かって語りかけるという場面があった。

主人公は貧しい恋人(沼沢薫、中北千枝子)。毎週日曜日にデートするのだが、お金がない。なけなしのお金で、週に1度しか会えない日曜日のデートをなんとか楽しもうとするのだが、その日は、ことごとく裏目に出る。

戯れに飛び入り参加した子どもたちの草野球で、男が打ったボールが饅頭屋に入り、弁償をする羽目になる。戦友が経営するキャバレーに行くと、乞食と間違われて冷たい仕打ちを受ける。日比谷音楽堂の「未完成交響楽」演奏会を聴きに行こうとチケット売り場に並ぶが、ダフ屋にチケットが買い占められ、高値で買わされようとしたことに抗議をすると、ボコボコにリンチされる。挙げ句の果てには、カフェでぼったくられて、ついにお金は底を尽いてしまう。

とんだ日曜日だ、と男は悲嘆に暮れる。それをなんとかなだめようとする女。

夜、2人は、再び音楽堂に向かう。演奏会はとっくに終わり、誰もいない音楽堂の舞台の上で、昼間に聴くはずだった「未完成交響楽」の気分に浸ろうと、男は指揮者のまねごとをはじめる。客席には恋人の女がひとり。

しかしやっぱりダメだ。テンションを上げようと思っても、自分のふがいなさに心がおれそうになる男。

そのとき、女は立ち上がって後ろを振り向き、誰もいない客席に向かって、…つまりカメラの向こう側にいる映画の観客に向かって、語りかけるのである。

「みなさん!お願いです!どうか拍手をしてやってください!みなさんの暖かいお心で、どうか励ましてやってください!お願いです!…世の中には、私たちみたいな貧乏な恋人がたくさんいます。そういう人たちのために…ひとかけらの夢も、一筋の希望も奪われがちなたくさんの可哀想な恋人たちのために、…世の中の冷たい風に、いつも凍えていなければならない、いじけがちな、ひがみがちな、貧しい恋人たちのために、どうか、みなさんの温かいお心で声援を送ってください!そして、私たちに美しい夢が描けるようにしてください!みなさんの温かい心だけがわれわれのいじけた心に翼を与えてくれるのです。夢を、希望を、力を与えてくれるのです。どうか拍手をしてやってください!お願いします、お願いします!」

このとき、実際に映画館で拍手が起きたのかどうかは、わからない。しかし女優がカメラに向かって観客に語りかけ、そして拍手を求めるという演出は、当時としてはかなり実験的な手法だったと思われる。

「素晴らしき日曜日」は、地味だが佳品である。脚本を書いたのは、植草圭之助。黒澤明とは小学校の同級生で、つまり幼いころから二人は親友だった。

植草圭之助は、「素晴らしき日曜日」」のほかにもう一つ、「酔いどれ天使」の脚本も書いている。この映画も名作である。黒澤明と仕事をしたのは、この2本だけである。この後、二人は決別する。

植草圭之助が書いた『わが青春の黒沢明』(文春文庫、1985年、原題『されど夜明けに』1978年)は、親友・黒沢明との友情と決別を叙情的な筆致で書いており、実に味わい深い本である。脚本家の目から見た黒沢明の実像を描いたものとしては、橋本忍『複眼の映像』(文春文庫)が白眉だが、植草のこの本も、それに並ぶ傑作だと思う。

植草圭之助が黒澤明と決別したあと、ちょうど入れ替わるように、今度は橋本忍が脚本家として黒澤明の作品に関わり、「生きる」「七人の侍」などの傑作を生み出す。その橋本忍も、やがて黒澤明と決別してしまう。

両者の本を読み比べてみると、もちろん筆致も個性も異なるが、脚本家のまなざしとはなるほどこういうものか、という脚本家特有の視点のようなものを感じ取ることができる。

植草圭之助と橋本忍という、黒澤明に深く関わった2人の脚本家の黒澤評伝は、いずれもそれ自体が映画の脚本であるかのような物語性を持っていて、実におもしろい。

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作風の起源

「人に歴史あり」ならぬ、「表現者に作風あり」

人はみな、それぞれの作風というものを持っている。その作風から、逃れることはできない。

読者を減らすために、再び大林映画についての話。

あんまり語られていないことかも知れないが、大林監督の映画「北京的西瓜」(1989年)は、大林映画の転機となった作品であると、僕は考えている。

千葉県船橋市にある八百屋のおじさん(ベンガル)と、中国人留学生との交流を描いた、実話をもとにした作品。ファンタジーとかジュブナイルとかを好んで作る大林監督のイメージからしたら、ちょっと異質の作品である。

東京乾電池など、当時の小劇団の役者さんをたくさん起用して、こぢんまりした作品に仕上げた。どちらかといえば、地味な作品である。

この映画の最後は、中国に帰ったかつての留学生たちが、立派になって、八百屋のおじさん夫婦を北京に招待し、日本でお世話になったお礼をする、という場面で終わる予定だった。

ところが、撮影中に、天安門事件が起こり、中国ロケが叶わなくなった。

映画は、八百屋のおじさん夫婦(ベンガル、もたいまさこ)が中国に飛び立った直後、画面が真っ白になる。37秒間、画面は真っ白のままになったのである。

そして画面が変わると、八百屋のおじさん扮するベンガルが、なんとカメラに向かって、観客に語りかける。中国ロケに行けなかったことを、ありのままに説明するのである。

当時大学生だった僕は、劇場でこの映画を観て戸惑ってしまった。それまで、手練れの小劇団の役者たちによるウェルメイドの映画だと思って観ていたら、途中からまったく裏切られるのである。

自分は虚構の世界にいるのか、現実の世界にいるのか、わからなくなってしまった。

しかも、役者が映画のカメラに向かって語りかけるというのは、ふつうではあり得ない。その「禁じ手」を使ったのである。

この「北京的西瓜」は、地味な映画ながら、けっこうファンが多い。

のちに宮部みゆきの『理由』が大林監督によって映画化されるが、その『理由』のなかでも、役者が入れ替わり立ち替わりカメラに向かって語りかけている。

「カメラに向かって役者が語りかける」という作風は、「北京的西瓜」によって生まれ、その後の大林映画にあたりまえのようにみられるようになった。

「北京的西瓜」の作風を最もダイレクトに受け継いでいるのが、2012年に公開された「この空の花 長岡花火物語」であると思う。「この空の花」は、大林監督晩年の傑作である。

まず、出てくる役者が共通している。柄本明、笹野高史、ベンガルなど、「北京的西瓜」に出演していた役者たちが、ここでも数多く登場している。

そして、例によって役者がカメラに向かって語りかけている場面がたびたびあらわれる。

さらに、この映画の構想途中に東日本大震災が起こり、映画のコンセプトの見直しが図られる。「北京的西瓜」が、天安門事件により映画のコンセプトを根本から考え直すことになったがごとくである。

こうしてみると、あの大傑作「この空の花」は、「北京的西瓜」とてもよく似ていて、「北京的西瓜」がなければ「この空の花」は生まれなかったとさえ言ってよい、というのが、僕の仮説である。

もう一つ、「青春デンデケデケデケ」が、その後の大林映画の「饒舌性」という作風を開花させたという仮説を立てているのだが、ここまで書いてきて疲れたので、またの機会に。

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大林映画総選挙

今ごろ気がついたんだが、ライムスター宇多丸さんの「アトロク」の4月23日放送分で、「“さよなら、大林監督。” 追悼特別企画<大林監督作品>総選挙!」というのをやっていたんだね。順位は以下の通り。

第1位 『時をかける少女』1983年7月16日・公開

第2位 『さびしんぼう』1985年4月13日・公開

第3位 『青春デンデケデケデケ』1992年10月31日・公開

第4位 『ふたり』1991年5月11日・公開

第5位 『転校生』1982年4月17日・公開

第6位 『この空の花 長岡花火物語 』2012年4月7日・公開

第7位 『HOUSE 』1977年7月30日・公開

第8位 『異人たちとの夏』1988年9月15日・公開

第9位 『はるか、ノスタルジイ』1993年2月20日・公開

第10位 『花筐』2017年12月16日・公開

なんというか、実に良心的な順位である。非常にバランスのとれたランキングである。

いわゆる「尾道三部作」がランクインしているのは当然として、注目されるのは、「青春デンデケデケデケ」「ふたり」「はるか、ノスタルジイ」の3作品がランクインしていることである。

1991年公開の映画「ふたり」(赤川次郎原作)は、「新・尾道三部作」の第1作として作られた。といっても、2作目の「あした」、3作目の「あの、夏の日。とんでろじいちゃん」は、あまり知られていない。

僕にとっては、「ふたり」「青春デンデケデケデケ」「はるか、ノスタルジイ」こそが、90年代初頭の三部作(あるいは50代三部作)なのである。この時期は、大林監督にとって「脂の乗った」時期なのである。

もう一つ、この3作品に共通しているのは、映画のポスターをあの野口久光さんに画いてもらったということである。別の言い方をすれば「野口久光三部作」といってもよい。映画公開の当初から、この3作品は特別な存在だったのだ。だからこの3作品がランクインしているのは、きわめて当然のことなのである。

さらに興味深いのは、「この空の花」と「花筐」の2作品がランクインしていること。これは、晩年のいわゆる「戦争三部作」のうちの2つである。

「この空の花」以降の作品もまた、作品の熱量が尋常ではなく、大林映画に注目が集まった時期である。

こうしてみてくると、

80年代前半期の「尾道三部作」

90年代初頭の「野口久光三部作」

2011年の東日本大震災以降の「戦争三部作」

この3つの時期が、大林監督が神がかった映画を作った時期ということになる。

それが、正直にこのランキングにあらわれているというのが、うれしい。

ちなみに、「HOUSE」は商業映画デビュー作品で、かつその後の作風を決定づけたものとして別格。

「異人たちとの夏」は、大林映画の中で最も一般に広く薦められる映画として、これもまた別格である。

僕自身のベストテンについては、機会があったらいずれ述べる。

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弁護人

GyaOでソン・ガンホ主演の「弁護人」(2013年)を観た。

1981年に軍事政権下の韓国で実際に起きた冤罪事件である釜林事件を題材にしていて、主人公は3代前の盧武鉉(ノムヒョン)大統領がモデルになっている。

弁護士だった盧武鉉はのちに金大中(キムデジュン)に続くリベラル派の大統領となり、引退後はお金の問題で逮捕されて、崖から飛び降りて自殺してしまった。

僕が韓国に住んでいた2009年のことで、ちょうど10年前のことなんだね。ニュースを見てびっくりしたのを覚えている。僕は当時、韓国の地方都市に住んでいたが、ちょうど永訣式の前日にソウルに行ったら、市民の人たちが追悼デモみたいのをやっていて、僕もついでに参加した

ソン・ガンホはおそらくこの映画に主演したことがきっかけで、保守派のパク・クネ大統領のときに、反体制派のブラックリストに載ったのである。

でもソン・ガンホは、「大統領の理髪師」という映画で、パク・クネのお父さんであるパク・チョンヒ大統領のお抱えの理髪師役をやっている。そこではパク・チョンヒ大統領に気に入られているのである。パク・クネ大統領は、お父さんの髪を散髪してくれたソン・ガンホに恩を仇で返したわけである。

そのパク・クネ大統領も捕まり、いまは盧武鉉大統領に見いだされた文在寅が大統領となり、ソン・ガンホはアカデミー賞をとったのだから、時代の移り変わりというのは、じつにおもしろいものである。

いま、この国では芸能人が政治に口出しするなという風潮が強いけれど、隣の国では、どんな名優も臆せず政治色の強い映画に出演する。民主主義を、闘って勝ち取ったのか、お上から与えられて粛々と従ったのかという、「お国柄」の違いによるところが大きい。

映画「1987 ある闘いの真実」は、「弁護人」の続編として観ると、また興味深い。

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種痘証明

BSで放送されていたむかしのイギリス映画「予期せぬ出来事」(1963年)を観た。

霧で飛行機が飛ばなくなった国際空港を舞台に、そこに居合わせた人々がさまざまな人生の転機を迎えるという物語。原題は「The V.I.P.s 」。

こうした群像劇を、「グランドホテル形式」と言うんだったと思う。

この映画の中で、出国する際に、パスポートとともに「種痘証明」を提出しなければいけないことになっている、という描写がある。不勉強で、この映画で初めて知った。

調べてみると、世界保健機構(WHO)は 1967年、 全世界天然痘根絶計画をスタートさせ、その後、1980年のWHO総会で正式に天然痘根絶宣言を行った。これにともない、 旅行者に種痘証明書の提示を要求する制度を廃止したのだという。

ということは、1980年より前は、旅行者に種痘証明書の提示を求める制度が、ふつうに存在していたということなんだな。世の中、知らないことばかりだ。

今後も、同様の証明が求められる時代が来るのだろうか。

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セーラー服と緋牡丹博徒

映画「緋牡丹博徒」(1968年)を観た。

僕はこうした任侠モノというのをほとんど観たことがない。だからほぼ初心者に等しい。

主演の藤純子がかわいらしい、のひと言に尽きる。

やくざの親分が死んで、その一人娘が、跡を継いで一家の親分となる。

これって、基本的なプロットは「セーラー服と機関銃」と同じではないか。

映画の中では藤純子を陰ながら見守る役として、高倉健が登場する。

つまり、

藤純子=薬師丸ひろ子

であり、

高倉健=渡瀬恒彦

というわけだ。

「セーラー服と機関銃」の方は、薬師丸ひろ子が序盤でいきなりやくざの組長になるが、「緋牡丹のお竜」は、最後の最後に、親の跡目を継ぐことになる。そういう違いはあるものの、基本的には、物語の展開は同じである。

実際のところ、「セーラー服と機関銃」が「緋牡丹博徒」の影響を受けているのかどうかは、よくわからない。

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ノヅラでドン!2回目

ノヅラでドン!

5月24日(月)

緊急事態宣言が解除されるって言ったって、まだまだ安心はできないのだが、2歳の娘が、イヤイヤ期ど真ん中で、家にいると大声で泣き出したり、ところかまわずモノを投げたり、挙げ句の果てに親に向かって暴力を振るったりするので、こっちもすっかりまいってしまい、午前中に娘を連れて散歩に行くことにした。

通院以外で外出するのは、何日ぶりだろう?

僕の住むマンションのすぐ近くに、「○○の里公園」という小さな公園がある。公園といっても、遊具があるわけではなく、全体に芝が敷かれていて、所々に木々があり、地形に沿って傾斜している「平岸高台公園」みたいな感じの公園である。わかる人だけがわかればよろしい。

僕は、髭ヅラで、髪もぼさぼさのまま、「着ていれば服、道に落ちていればボロ布」という感じの服とズボンをとりあえず着て、財布も何も持たずに、娘の手を引いて公園に向かった。

しばらく公園のなかを歩き回っていると、

「あら、○○ちゃん!」

と、娘の名前を呼ぶ声がした。

声の方を見ると、娘と同じくらいの女の子と、そのお母さん。

おそらく、保育園の同じクラスのお友達なんだろう、ということはわかったが、お母さんはマスクをしているので、顔がよくわからない。そのお友達の顔を見て思い出そうとするのだが、どうも自信がない。

お友だちの方は、僕の娘のことを、保育園のお友だちだとすぐにわかったみたいだが、うちの娘の方は、相手を見てもやはりピンときていない様子。

話しているうちに、どうやら娘と同じ名前の○○ちゃんだということがわかった。

娘と同じ名前の○○ちゃんは、保育園の同じクラスで、しかも同じ名前だということで、仲がよいお友だちである。どうしてすぐにピンとこなかったんだろう?

そのお友だちは、保育園がまだ登園自粛前だったときとくらべると、顔がふっくらとして、ちょっと会わない間に、ずいぶんと印象が変わってしまったのである。おそらくそれが、ピンとこなかった理由だろう。ま、こちらも他人様のことは言えないのだが。

それでも、保育園で遊んでいたときのことを思い出して、だんだんと仲良くなり、一緒に歩いたり、手をつないだりして遊んでいた。

いちばん心配だったのが、ふだん娘が僕に対している仕打ち、つまり、暴力を振るったりわがままを言ったり、人のものをとったりといった行動を、そのお友だちに対してもするのではないか、ということだったのだが、とくにトラブルもなく、仲良く遊んでいたので、ホッとしたのである。

僕は僕で、ほんの少しだけれど、保護者同士の情報交換ができて、日頃の子育てに対する不安から、少しだけ解放された。

「ずいぶんとお父さんになついてますねえ」

「いえいえ、とんでもない!家ではいつも全力で拒否されているんですよ」

「まだ、抱っこしないと寝てくれないんですか?」

前に、保護者会の席で、娘はいまだに抱っこをして歩きまわらないと、寝てくれない、という悩みをみんなの前で言ったことがあったことを、覚えていたようだった。

「ええ。昨晩も抱っこしながら寝かしつけました」

「だんだん重くなるから、たいへんでしょう」

「ええ、12㎏くらいはありますからね」

こういうときこそ、オンライン保護者会をやって、在宅で育児していることの悩みを言い合うといったことをすれば、かなり気持ち的にも楽になるだろうに、ということを思いついたのは、あとになってからである。

娘のお友だちが、娘と一緒に遊んでくれたおかげで、午前中のお散歩はなんとか間を持たせることができた。

僕も久しぶりに日差しの強い時間に長時間外出してすっかり疲れてしまったが、ストレスが少しだけ解消された。

それにしても、ひどいノヅラのときに限って、知っている人に会うというのはどういうことだろう。次に散歩に行くときは、誰に会うかわからないから、ちゃんとした格好で外に出ることにしよう。

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作風・その2

作風

相変わらず、何も書くことがない。

ずっと以前に録画しておいた、野村芳太郎監督の映画「続・拝啓天皇陛下様」〈1964年)を観た。

「続」というからには、当然第1作がある。野村芳太郎監督による映画「拝啓天皇陛下様」は、1963年に公開され、それがあまりにヒットしたため、急遽続編を製作したといわれている。

しかし、1作目の「拝啓天皇陛下様」と、2作目の「続・拝啓天皇陛下様」は、実際にはまったくつながりのない、別の話である。手っ取り早くウィキペディアの説明を借りると、「『拝啓天皇陛下様』と同じく、棟田博の兵隊小説・拝啓天皇陛下様を原作としているが、前作にて主人公は死んでしまっており、「軍隊は天国だと思っている純朴な男」というコンセプト以外は、設定その他全て変わっている別物である」。 主演は両方とも渥美清だが、主人公の名前は、1作目は「山田正助」で、2作目は「山口善助」である。

1作目は、以前からよくみていたのだが、2作目を観たのは、今回が初めてである(このあと、「拝啓・総理大臣様」という「パート3」が作られるのだが、「パート3に当たりなし」というジンクスどおりの作品らしい。後日観る予定〉。

1作目も面白かったが、2作目も悪くない。脇を固める人たちの演技が、みんなすばらしい。とくに「続」の方は、華僑の王さんという役で小沢昭一が登場するが、これがまた絶品の演技である。

余談になるが、小沢昭一演じる華僑の王さんもまた、時代に翻弄される庶民として登場するが、彼のもともとの職業が理髪師という設定なのである。この設定もまた興味深いので、心覚えに書き留めておく。

話を戻すと。

2作を通したコンセプトとしては、「軍隊を天国だと思い、天皇陛下の赤子として天皇を純粋に思い続ける愚鈍な男」の戦中から戦後に駆けての悲哀を描いているのだが、両作品を見比べてみると、なんというか、読後感ならぬ「観後感」が、かなり異なる。

1作目は、「戦友であり良き理解者でもある棟本博との長年にわたる関係を軸に構成されている」(ウィキペディア)。棟本博を演ずるのは長門裕之であり、映画の視点も棟本博の視点を中心に語られる。物語の全体の印象は、「乾いた印象」というのか、カラッとしている感じである。

それに対して2作目は、前作よりも少し物語が重く、ちょっと切ない。前作の印象が、カラッとしているのに対して、2作目は「ウェットな感じ」がするのである。

それともう一つ、渥美清が演じる山口善助が、のちの寅さんを連想させるのである。これは、前作を観たときにはあまり感じなかったことである。実際、2作目の中では、山口善助は少年時代に勉強を教えてくれた先生(岩下志麻)に恋い焦がれてフラれ、戦後は戦争未亡人(久我美子)に恋い焦がれてフラれるのである。その展開は、まるで後の寅さんそのものである。

それもそのはずである。2作目の「続・拝啓天皇陛下様」の脚本には、野村芳太郎監督と並んで山田洋次監督も名を連ねているのである。

1作目と2作目のテイストが、なぜかくも違うのか?それは、脚本の山田洋次によるところが大きいのではないかと愚考する。2作目の、あの独特のウェット感(これは、後年の「砂の器」の脚本にも通ずる)は、山田洋次の作風そのものである。逆に言えば、1作目がわりとカラッとした展開になっていたのは、山田洋次が脚本に参加していなかったことが大きいのだろう。

作風ってのは、つきまとうんだねえ。

で、もう一つ気がついたのだが、若い頃の山口善助が、自分の唯一の理解者であった先生(岩下志麻)に憧れる場面。このときの岩下志麻が、まあ綺麗なんだ。

どこかで観た場面だなあと記憶をたどっていくと、山田洋次監督の映画「馬鹿が戦車でやって来る」にも、同じような場面があったことを思い出した。「続・拝啓天皇陛下様」と同じ1964年に公開された映画である。

ハナ肇演じる主人公サブは、少年兵上がりの無教養な乱暴者で、村中から嫌われている。唯一の理解者が、岩下志麻演じる村の長者の娘だった。このときの岩下志麻も、まあ本当に綺麗なんだ。当然、サブはその娘に憧れるわけだが、その恋が成就することはない。

考えてみれば、渥美清演じる「続・拝啓天皇陛下様」の主人公も、ハナ肇演じる「馬鹿が戦車でやって来る」の主人公も、その性格や境遇や世間からの目、といった点で共通していて、両者はかなり親和性が高いのである。これもやはり、山田洋次の作風のなせる業である。ただおそらく、山田洋次監督特有の「ウェットなストーリー展開」には、おそらく渥美清の演技の方が適合したのであろう。ハナ肇の演技は、どちらかといえばカラッとしているのである。そのあたりが、後年の「男はつらいよ」の流れにつながっていくのだと思うが、あくまでこれは僕の妄想仮説である。

妄想仮説ついでに書くと、世間的には「拝啓天皇陛下様」と「続・拝啓天皇陛下様」が一連のものとしてとらえられているが、僕からしたらむしろ、「続・拝啓天皇陛下様」と「馬鹿が戦車でやって来る」を一連のものとしてとらえたほうがいいのではないかとみている。

以前に書いたことがあるように、僕の中では「砂の器」→「八つ墓村」という系譜ではなく、「砂の器」→「八甲田山」という系譜なのだ、というのと、同じニュアンスで、「拝啓天皇陛下様」→「続・拝啓天皇陛下様」ではなく、「続・拝啓天皇陛下様」→「馬鹿が戦車でやって来る」という系譜なのである。

…相変わらずどうもわかりにくいね。

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バズる・その2

バズる

5月23日(土)

先ほどちょっとこのブログのアクセス数を確認してみたら、いつもの5倍くらいのアクセス数があった。

しかも、午後8時頃にアクセス数が一時的に急上昇し、その後はすぐに通常のアクセス数に戻っている。

何なんだ?この現象は?また寅さんか???

思いあたるフシがまったくなかったのだが、どの記事へのアクセスが多かったのだろう?と思って調べてみると、なんといまから10年以上前( 2009年11月12日) に書いた「フンブとノルブ」という記事らしいのである。「フンブとノルブ」とは、韓国の昔話である。

なんでいまごろ「フンブとノルブ」がバズったのか?よくわからない。

ふつうならここで諦めるところだが、もう少し調べていると、どうやらこの日、K-POPのアイドルが、FMのラジオ番組か何かで、昔話の朗読?読み聞かせ?みたいなことをやっていて、今日はどうやら「フンブとノルブ」をとりあげたらしいのだ。

そしてそのK-POPアイドルというのが、どうも、あのBTSだったようなのである!

あのBTSですよ!すごくないですか?

そのFM番組というのが、日本の放送局なのか、韓国の放送局なのかはわからないのだが、とにかく、日本のBTSファンの方々が、その番組を聴いて、「フンブとノルブ」を検索して、このブログにたどり着いたというのが、真相のようだ。

実際に「フンブとノルブ」で検索をすると、このブログが検索画面の1ページ目に出てくるので、参照しやすいことはたしかである。

何にせよ、このブログが、韓国のBTSファンのみなさんにお役に立ったことは、うれしい限りである。僕はいま、K-POPから遠ざかってしまった、というか、10年前の知識からまったくアップデートされていないのだが、心の中ではいつも応援している。

しかし「フンブとノルブ」について僕の書いた文章は、いま読むと、昔話をちょっとひねくれて解釈しているところがあり、純粋に昔話を楽しむ人にとってみたら、あまり役に立たない内容であったに違いない。

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死刑台のエレベーター

日常生活で何も起こらないので、観た映画のことを書くぐらいしかない。

ずいぶん前に録画していたフランス映画「死刑台のエレベーター」を観た。

この映画はとても思い出深い映画である。

高校時代、必修クラブという時間があった。いわゆる課外活動の部活ではなく、授業の一環としてのクラブ活動である。必修なので、生徒は必ず、どこかのクラブに属さなければならない。

高1の時、僕は「フランス語クラブ」を選んだ。顧問の先生はたしか、ヒロイ先生だったと思う。

僕は、とりたててフランス語を学びたいというわけではなかった。「大学でフランス語を専攻している女子大生を講師として招き、フランス語を学ぶ」というふれこみだったので、その宣伝文句につられて選んだのである。おそらく、ヒロイ先生の教え子だった人なのだろう。

女子大生にフランス語を習う、というのが、当時高1だった僕にはとても新鮮だった。それだけでも楽しい時間である。だがその女子大生の講師は、毎週教えに来るというわけではなかったと記憶する。

女子大生がお休みのときは、顧問のヒロイ先生が、たぶんお茶を濁す意味があったんだろうな、古いフランス映画をビデオで見せてくれたのである。もちろん字幕付きで。

そういうことが何度もあったのだが、その時に初めて観せてくれた映画が、「死刑台のエレベーター」だったのである。

…この話、前にも書いたっけ?

授業時間は50分だから、当然、映画を最後まで観ることはできない。2週に分けて観たと思う。

それでも、僕にとって「死刑台のエレベーター」は、初めて観るフランス映画として、鮮烈な印象を残した。

当時僕は、部活の友人の影響でジャズという音楽にも興味を持ち始めた時期だったから、音楽がマイルス・デイビスだったこともまた、この映画の印象をより強いものにしたのである。たしか、サントラのレコードを買った記憶がある。

もうひとつ、その授業の中で観た映画として鮮烈な印象を残したのは、アランドロン主演の「太陽がいっぱい」である。

のちにマット・デイモン主演の「リプリー」(1999年)という映画を観たが、これが「太陽がいっぱい」のリメイクで、これもまた面白かった。

というわけで、フランス語を教えに来てくれた女子大生の印象は、すっかり薄れてしまったのだが、ヒロイ先生が観せてくれた映画は、後々まで、僕の心の中に残り続けたのである。

で、35年ぶりくらいにちゃんと「死刑台のエレベーター」を見返してみたのだが…。

おもしろい、たしかにおもしろいのだが、なかなかツッコミどころ満載の映画だ、ということに気づいたのである。

この映画は、細かいところをつつき出すとキリがない。しかしこの映画の本質はたぶんそこではなく、周到に考える者も、行き当たりばったりで生きる者も、どんな人間であれ、犯罪に対しては浅はかな考えが露呈することがつきものである、という点にあるように思う。そう考えると、思わずツッコミたくなるような登場人物(犯罪者)たちの「脇の甘さ」こそが、この映画の仕掛けであると思わずにいられない。

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「独裁者」雑感

BSで、映画「チャップリンの独裁者」(1940年公開)を放送していたので、録画して見た。

ウィキペディアによれば、この映画がチャップリン初の完全トーキー作品であるという。無声映画を通じてしかチャップリンを見ていなかった当時の人々にとっては、衝撃的な映画だったのではないだろうか。とくに最後の演説の場面は、トーキーでしか味わえない屈指の名場面である。

あらためて観て、笑いと涙と風刺が全部詰まっている、紛れもない傑作だと実感した。

「笑い」について言えば、、「動きによる笑い」は、ドリフターズに受け継がれているし、「ドイツ語ふうの演説」は、タモリの「4カ国語麻雀」に受け継がれている。名だたるコメディアンがチャップリンに憧れていた理由が、よくわかる。

「風刺」について言えば、気弱な独裁者、側近たちの浅知恵、苦言を呈する者への冷遇、外交相手に椅子の高さを気にするくだりなど、まるでいまのこの国の首相を風刺しているかのようでもある。

映画評については、僕なんぞの出る幕ではないので、1つだけ、どうでもいいことを書く。

チャップリンは、独裁者ヒンケルと、ユダヤ人の理髪師の一人二役である。映画の中では、独裁者と庶民がチャップリン自身により対比的に描かれるのだが、僕が面白いと思ったのは、庶民の代表として描かれている職業が、理髪師だということである。

映画とかドラマの中で、理髪師が庶民の記号的存在として描かれることが、よくあるような気がする。

日本でいえば、「私は貝になりたい」(1958年)。平凡で気弱な理髪師が、アジア・太平洋戦争のBC級戦犯として裁かれ、理不尽にも死刑を宣告されるという物語。

韓国でいえば、映画「大統領の理髪師」(2004年)。パク・チョンヒ大統領の散髪をつとめた理髪師の悲哀を描いた物語。韓国版「フォレスト・ガンプ」である。

圧倒的な権力の前に、なすすべもなく運命を翻弄されてしまう、気弱でまじめな庶民の代表として、理髪師がしばしば登場するのである。そういえば岡本喜八監督の映画『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)でも、田中邦衛が気弱でまじめな理髪師として登場していたな。

そのルーツは、「チャップリンの独裁者」にあるのではないか、というのが僕の仮説。

なぜ、権力者との対比のなかで理髪師が平凡で気弱な庶民の記号として描かれることが多いのか、これは興味深い問題である。

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眠れない日々

なかなか眠れない日々が続く。

ようやく眠りについたと思ったら、今度は夢を見る。どちらかというと、あまり愉快ではない夢である。悪夢というべきか。

起きてしばらくすると忘れてしまうのだが、悪い夢だったという記憶だけは残っている。

最近、ラジオ番組をいろいろ聴いていると、パーソナリティーがフリートークで自分が見た夢の話をする、というパターンがよくあるような気がする。気のせいだろうか。外出自粛でとくに喋る話題がないからかもしれないが、そうではなく、行動がかなり制約されているなかで、僕と同じように心が不安定になったりストレスがたまったりして、実際に夢を見る頻度がふだんよりも多いことを意味しているとは考えられないだろうか。専門家でないので、よくわからない。

僕以外の人たちはどうなんだろう。こんな状況の中でも、夢を見ずにぐっすりと眠れているのだろうか。

コロナ禍が起きる前によく見ていた夢は、「前の職場に、僕の仕事部屋がまだ残っている」という夢だった。

もちろんいまは、職場が変わったので、前の職場に自分の仕事部屋が残っているはずはない。それどころか、実際には職場が変わって以降、前の職場を訪ねることは何度かあったものの、自分の仕事部屋があったフロアーには近づきもしなかった。

しかし夢の中ではなぜか、まだ僕の仕事部屋があけ渡されておらず、僕は時々、その仕事部屋を訪れては、早くあけ渡さなくてはと、少しずつ荷物を整理するのである。その間、誰かと会うというわけでもない。

僕は車で、前の職場があった町を走ったり、ときには「前の前の職場」があった町まで運転したりするのだが、それらの町は、僕が知っている町の姿とは微妙に、というかかなり異なっている。だが夢の中では、その町が、自分がかつて住んでいた町だとはっきりと認識しているのだ。

…なんか書いていて頭がグラングランしてきた。夢の話はナンダカヨクワカラナイ。

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人類ウィルス論

空気がきれいになった。

そう感じたのは、この時期になっても、マンションの上から富士山が見えることに気づいたからだ。ふつうこの時期になるとモヤがかかったりして、富士山をのぞむことができない。

夕方になると、風が心地よい。空気が澄んでいるのである。

BS朝日「町山智浩のアメリカの今を知るテレビ」を見ていたら、ロサンゼルス在住で女優の藤谷文子さんが、ロサンゼルスの空はふだん見られないような青空が広がり、空気が澄んでいるという。どうやら空気が澄んでいるのは世界的な傾向らしく、おそらく外出が規制されて人々の活動が減少しているからだろう。

地球とはまことに正直である。

人々が街に出るのをやめ、車に乗るのをやめ、仕事も休み、家にこもる。それを世界規模でおこなったら、もちろん人間にとっては困った事態だが、地球にとってみたら健康を取り戻した、ということになるのではないか。

大林宣彦監督の言葉を思い出す。

「僕はがんの宿主だから、いつもがんと話しているんです。

『おい、がん公よ、おまえは俺の血液や筋肉を食っていい思いをしているけど、おまえはバカだぞ。おまえがあまり贅沢をしていると、宿主の俺が死んじゃうぞ。そうしたら、おまえも死ぬんだぞ。そこまで考えろよ。おまえが考えてくれれば、おれもおまえを労って、いつまでも一緒に長生きしてやるからな』と。

でもそう考えると、待てよ、ぼく自身もがん細胞じゃないですか。ぼくもいいものを食いたくて、地球上の生物を食い荒らしまくっている。エアコンを使ったり、ジェット機を飛ばしたりして、地球の温暖化を引き起こしている。そうしたぼくたちの我がままが宿主たる宇宙や自然界や地球を破壊して、結果として地球人である人間を滅ぼすことになる。ぼく自身も賢くなって、我慢して、宿主の地球と共存しなければいけない。地球に優しくしないと、人類が滅亡するぞということまで見えてくるわけです。

(中略)

だから、がんになった今の心境を一言で言えば、『がんよ、ありがとう』」(『のこす言葉 大林宣彦 戦争などいらない-未来に紡ぐ映画を』平凡社、2018年)

僕はこの言葉に大いに共感したのだが、いまの状況をこの言葉になぞらえれば、地球にとっては人間自体がウィルスである、という言い方もできる。

ウィルスにとってみても、人間を根絶させてしまったら宿主を失う。それと同じように、人間は地球と共存していかなければ宿主を失うのである。ウィルスと人間がうまく共存したいかなければならないのと同様に、人間は地球とうまく共存しなければならないのである。

ウィルスは、人間の果てしない活動にブレーキをかけた、という見方もできる。「コロナ前」の状態に完全に戻ることがいいことなのかどうなのか、いまの僕にはわからない。

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第三番惑星の奇跡

僕は平成ウルトラマンシリーズはまったく見たことがないのだが、YouTubeの円谷プロチャンネルで配信中の『ウルトラマンマックス』の第15話「第三番惑星の奇跡」を見て、度肝を抜かれた。『ルパン三世 パート2』シリーズの最終話(宮崎駿演出)を見たときとまったく同じ印象を持ったのである。

何なんだ!たかだか30分番組なのにまるで映画みたいにホンイキで作っているではないか!

こういうのを「神回」っていうんだろうな。もうなんというか、心を全部持っていかれた感じ。

演出にまったく無駄がない。冒頭から引き込まれ、中盤のアクション、そして感動のラスト。

なんと三池崇史監督が演出していたのだ。そりゃあすげえはずだよ。

怪獣を暴力的に攻撃すると、その怪獣はまったく同じ暴力でウルトラマンマックスを攻撃する。どんな攻撃を仕掛けても、同じ攻撃で返されるのである。かくして暴力による争いは泥沼化する。

ところが、ある盲目の少女が、怪獣の目の前でピッコロを吹き、音楽の力で怪獣の暴力性を失わせるのである。

そのときの曲がショパンの「別れの曲」!これがまたいいんだ!

ちょっと思い出したのは、大林宣彦監督の映画「漂流教室」。これはファンの間でも酷評された映画なのだが、この映画の中で、巨大なゴキブリみたいな怪獣が学校の生徒たちに襲いかかる。間一髪、先生がピアノを弾いて音楽を奏でると、怪獣は生徒たちへの襲撃をやめておとなしく立ち去っていくという場面があった。もちろん、大林監督と三池監督はまったく関係がないのだが、「別れの曲」といい、大林映画ファンにもたまらない演出になっている。

ほとんど説明になっていないが、平成シリーズといってもひとくくりにできないのだと、反省した。

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空想の翼で駆け、現実の山野を往かん

本当に何も書くことがない。

というか、外出自粛を初めて1か月以上がたち、僕のメンタルは完全にやられてしまっている。僕だけでなく、家族も限界だろう。2歳になる娘は、完全な「イヤイヤ期」に入って、外に出られないストレスとも相まって、ことあるごとに僕に八つ当たりをしている。たぶん、原因は僕にあるのだろう。

たまたまテレビで、松本清張と鉄道をテーマにした旅番組を見た。あれだけ膨大な小説を、一分一秒を惜しんで書いている松本清張は、無類の旅好きで、いまでも松本清張の思い出を抱いて生きている人たちが全国各地に数多くいることに驚いた。

その中で、山陰地方の小さな町にある企業に、

「空想の翼で駆け、現実の山野を往かん」

という、松本清張の言葉を刻んだ石碑があることを知った。

その企業は、義肢装具、人工乳房などを製造、販売する世界的企業で、松本清張がこの町を訪れたとき、決して都会とは言えないこの小さな町に、若者たちが集まって世界に通用する製品を開発、製作していることに感銘を受け、企業経営者ご夫婦に色紙をしたためたらしい。そしてその色紙に書かれた松本清張の肉筆を、石碑に刻み込んだというのである。

おそらくこの言葉は、松本清張の小説のどこにもなく、ここにしかない言葉なのだろう。現実の政治や社会の暗部を空想の翼で駆けまわって、読者にその問題を突きつけ続けた松本清張ならではの言葉。いま私たちが直面しているさまざまな政治的・社会的問題を解決するヒントを与えてくれる言葉。

自分の仕事とも関わる言葉のようにも思われたので、忘れないうちに書きとどめておく。

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アレなマスクが届きました

5月15日(金)

これは、記録として書きとどめておくのだが。

ついに我が家にも「アレなマスク」が届きました!

『日本経済新聞』の4月1日付けの記事

「…首相は1日、首相官邸で開いた新型コロナウイルス感染症対策本部で、全世帯に再利用可能な布マスクを配布すると表明した。1住所あたり2枚ずつ配る方針で「再来週以降、感染者数が多い都道府県から順次配布を開始する」と語った。来週決定する経済対策に国が買い上げる費用を盛り込む。

全国5000万あまりの世帯に配る。首相は「来月にかけて1億枚を確保するメドがたった」と述べた。「急激に拡大するマスク需要に対応する上で極めて有効だ」との認識も示した。」

最初に「マスクを配る!」と宣言してから、1か月半ぶりに届いたことになる。

僕の住んでいる町は、そこそこ都内に近いところにあるのだが、それでもこのスピードである。こぶぎさんの家に届くのは、いつになるやら。

いざ、届いたマスクを見てみると、…かなり脱力するぞ。ノスタルジーを感じるぞ。

小田嶋隆さんが、「1枚は鼻用、もう1枚は口用」といっていたが、顔のでかい僕にとっては、それくらい小さなマスクである。

「アレなマスク」の製造業者が取材に答えて、こんなことを言っていた。

「布マスクは1枚のガーゼを折りたたんでいるだけ。一般的にドラッグストアやコンビニで販売されている、サージカルマスクの方が安くて性能はいいと思う。一度、自分で作った布マスクを洗って試したら、縮んでしまい、使い物にならなかった」

うーむ。ますます脱力。

竹槍で敵の戦闘機に立ち向かうとは、こういうことか。

休業を余儀なくされ、かといって政府からなんの補償もされずにこの先の希望が持てなくなってしまっている人が、郵便受けに入っている「アレなマスク」を見たら、どう思うのだろうか。

やはり「ありがたい」と思うのだろうか。「ふざけるな」と思う僕は、ひねくれ者だろうか。

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サイレント作戦と自粛警察

5月14日(木)

ほんと、何も書くことがない。

YouTubeの円谷プロ公式チャンネルで配信中の「ウルトラマン80」第7話「東京サイレント作戦」は、音に敏感な怪獣が東京に現れ、音に反応して怪獣が暴れ回るので、東京から音を消す、という作戦に出る、という話である。東京から音をなくすためには、人々が音を立てずに生活をするしか方法がない。そこでUGM(地球防衛軍)は「東京サイレント作戦」を決行する。

人々は外出の自粛を余儀なくされ、賑やかだった町は、だんだんゴーストタウンのように静かになっていく。町の電光掲示板には、音の強さが数値であらわされ、その数値が日を追うごとに小さくなっていく。やがてその怪獣は、反応すべき音を失い、眠りについてしまう。

ところが、主人公・矢的猛の教え子の生徒たちが、バンドの練習場所に困り、野原の真中で演奏を始めたところ、いったん眠っていた怪獣は、その音に反応して目覚めてしまったのである。

…と、ここまで書いてきてわかるように、このエピソードは、新型コロナウィルスの脅威によりいま僕たちが置かれている状況を、寓話的に描いているように思えてならない。

新型ウィルス感染をめぐる一連の騒動が、しばしば映画「シン・ゴジラ」にたとえられるように、怪獣の寓話と新型ウィルスの拡大は親和性が高いのである。

もう一つ、最近2歳の娘がピクサー映画「トイストーリー3」ばかり見ていて、僕は横から断片的に見ているにすぎないのだが、どうやらレギュラー陣のおもちゃが、持ち主のアンディーのもとを離れ、とある保育園にやってくる、という話のようである。

その保育園は、まるで監獄のようなところで、おもちゃがおもちゃを監視し、逃げ出そうものならたちまち連れ戻される。

至る所に監視カメラがあり、その監視カメラを凝視しているのは、おもちゃの猿である。監視カメラに不穏な動きが映し出されると、おもちゃの猿はすぐに手に持っているシンバルを打ち鳴らし、「ギャー」と叫ぶ。それにより、脱走しようとするおもちゃがたちどころに摘発されるというわけである。

ストーリーをちゃんと把握していないことを最初にお断りしておくが、これもまた、いまの僕たちが置かれている状況で言えば、「自粛警察」のようなものではないか。人間がおもちゃを監視しているのではなく、おもちゃがおもちゃを監視しているのである。

僕らはいま、寓話的世界の中に生きているのだ。

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発車メロディに由来あり

この1か月ほど在宅勤務のため通勤していないのだが、ふだん通勤で使っている駅の発車メロディが、聞いたことのあるメロディで、耳について離れない。1番線と2番線、それぞれ別の曲である。

一つは「おはなしゆびさん」という童謡の一節であることはすぐにわかったのだが、もう一つはどこで聞いたんだったかなあと気になっていたら、「おかあさんといっしょ」で歌のおねえさんが歌っていた「やまのワルツ」という歌の一節だということに気づいた。だから耳馴染みがあったんだな。

どうしてこの二つの童謡がこの駅の発車メロディに選ばれたたんだろうと思って調べてみると、この駅のある町に住む湯山昭さんという作曲家が1962年に作曲した童謡であるらしい。つまりこの町にゆかりのある作曲家が作った童謡の一節が、発車メロディとして採用されたわけである。

「おはなしゆびさん」も「やまのワルツ」も、今現在、「おかあさんといっしょ」でたまに歌われている。無数にある童謡の中で、今でも歌われ続けている名曲なのである。

この2つの童謡を作詞したのが、香山美子さんという方で、てっきり女優の香山美子(かやまよしこ)さんなのかなと思っていたら、そうではなく、児童文学作家の香山美子(こうやまよしこ)さんという方だ、ということもわかった。知らないことが多いなあ。

さらに、湯山昭さんの娘さんは、ワイドショーなんかでコメンテーターとしてよく出ている湯山玲子さんだということもわかった。ここまでくると、どこまでが必要な知識なのかはわからない。

全国の駅の発車メロディについては、当然、マニアがいるのだろうな。これ以上は深入りしない。

 

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リアル「12人の優しい日本人」

5月12日(火)

5月6日、大型連休の最終日に、Zoom会議システムによる「12人の優しい日本人」(三谷幸喜脚本)の朗読劇が、YouTubeを通じて配信された。しかも、初演のときの「東京サンシャインボーイズ」のメンバーのほとんどが参加した。

僕は、中原俊監督の映画版を何度も見たクチだが、元祖である東京サンシャインボーイズのメンバーによる芝居は見たことがなかったので、とても楽しんで見ることができた。朗読劇と言うよりも、Zoom会議劇の様相を呈していた。

昨日今日と、Zoom会議をしたのだが、これがまさに「12人の優しい日本人」のような体験だった。いや、正確に言えば、「12人の優しい日本人」は笑えたり面白かったりするが、実際のZoom会議は、笑えたり面白かったりする要素がない「12人の優しい日本人」である。

昨日の会議は、僕はホスト役でなかったので気楽ではあったが、

「A案とB案、どちらがよろしいでしょうか」

という議題が、ことごとく意見が割れ、議論が地味に紛糾した。「12人の優しい日本人」でたとえると、

「有罪と無罪、どちらがよろしいでしょうか」

という議論で紛糾しているようなものである。

こういうときは、たいてい僕は少数派の方に入ってしまう。陪審員2号の気持ちである(わかるひとがわかればよろしい)。

僕が提案するアイデアも、ことごとく否定されるので、僕はすっかり疲弊してしまった。僕は、議論をかき回している人間だと思われているのだろうか。ほとんど発言していないのだが。

結局3時間もかかって終了した。

今日の会議は、僕が進行役である。つまり陪審員1号。

僕は「会議と○○は短いほどよい」というのがモットーなので、自分が仕切る会議は、極力短時間で終わるように心がけている。

今回はA4版で80頁以上ある資料を使った会議を、1時間で終わらせるつもりでいたのだが、最終的には1時間半かかって終わった。

適度に建設的な議論が起こり、紛糾することなく収めたので、まあよしとしよう。

終わってホッとしたのも束の間、どっと疲れた。

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法定12か月点検

5月9日(土)

なーんにも書くことがない。

今日は久しぶりに一人で外出した。自家用車の「法定12か月点検」のため、車を買った販売店に行ったのである。

予約した時間に行くと、お店の中に通され、点検の間、そこで待つことになる。

いつも思うのだが、新車の販売店の中は、明るくて、天井も高く、広々としている。テーブルも広いし、テーブルとテーブルとの間もゆったりとあいている。商談に使うから、あんまり他のお客さんに内容が聞かれないように、テーブルの間隔を広めにとっているのだろう。

4人掛けのテーブルを独り占めにして座る。いつもは、「お飲み物はいかがですか?」と、待っている間にコーヒーなんぞを持ってきてくれる。

今回は新型コロナウィルス感染拡大防止対策として、入り口にペットボトルの飲み物が置いてあり、それを自由にとって着席するという方法がとられていた。

「点検に少しお時間をいただくのですが、よろしいでしょうか」

「どうぞどうぞ。かまいません」

なんなら長めに点検してもらってもいいですよ、と途中まで出かかったが、さすがに言わなかった。

なにしろ居心地がいいのである。繁華街にあるチェーン店のコーヒーショップなどは、小さいテーブルに椅子がギュウギュウに並べられていて、狭くっていけない。そんなのにくらべると、はるかにここは開放的な空間なのである。

(こういうところだったら、本を読むのも、原稿を書くのもはかどるだろうなあ…)

実際、そうなのである。

(もう、ここの子になっちゃおうかなあ)

というくらい、居心地がいいのだ。

だが残念ながら、ここに来る機会は、定期点検のときか、車検のときくらいである。年に1回とか2回くらい。しかも、点検が終わり、会計を済ませると、すぐに追い出される。追い出される、というのは語弊があるが、「お客様のお帰りでーす」とか言って、担当者の先導により建物を出て車まで連れて行かれ、車に乗ると「オーライオーライ」とか言って、道路まで先導され、見送られるのだ。

「あのう…居心地がいいんで、もうちょっとここに居たいんですが」

とは、口が裂けても言えない雰囲気である。

あの…、やっぱり、点検とか車検とか商談とか、用事があるときしか販売店には行けないんですよね。

用事もないのに行って、日がな一日過ごす、なんてことをしては、いけないんですよね。

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ビデオ考古学者のつぶやき

5月7日(木)

文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」のメインパーソナリティーである大竹まことが、4月27日(月)から5月6日(水)まで、ゴールデンウィーク休暇と称して、ラジオ番組を休んでいた。

ところが5月4日(月)に、いても立ってもいられなくなり、自分の番組に乱入した。自分の番組に乱入する、というのも変な話だが、代役を立てていただけに、予定にはなかったことである。

「もう喋りたくて喋りたくて、しょうがなくて来たんだよ。でも、休み中は家にいるばっかりだから、喋る内容がないんだ」

と言っていた。これもまたおかしな話だが、この感覚、すごくよくわかる。

僕も、このブログでどーでもいい文章を書きたくて仕方ないのだが、ずっと家にいるので、書くべき内容がない。

録りだめた映画の感想とか、読んだ本の感想とか、政府の新型コロナウィルス対策に対する怒りとか、そういったものくらいしか思い浮かばない。

それだったら、仕事の原稿を書けよ!というハナシなのだが、気分的になかなか仕事の原稿を書く気力がわいてこない。

なので、読者を減らすために、誰もわからないような話を書く。

このブログでも以前に名前の出た、コンバットRECさん。このブログでは有名人ですけども。

…あれ、ご存じない?ビデオ考古学者のコンバットRECさんですよ!

もちろん僕はまったく面識がなく、どんな顔をしている人かすらもわからない。ライムスター宇多丸さんのラジオ番組にちょいちょい出演する、謎の人物である。

ラジオ番組で喋っている様子から、相当なダメ人間であることや、僕とほぼ同年齢と考えられることや、子どもの頃から無類のテレビ好きであることなどがわかる。なにしろ「ビデオ考古学者」という訳のわからない肩書きなのだ。

一番最初に買った歌謡曲のアルバムは、沢田研二の『思いきり気障な人生』であるとラジオで語ったときは、僕もまた同じく、最初に買った歌謡曲のアルバムがソレだったので、なんという共通点だ!と、親近感を覚えずにはいられなかったのである。

連休中、体調もアレなので、家でぐったりしながらネットサーフィンしていたら、たまたまコンバットRECさんのツイッターに突き当たった。

コンバットRECさんもツイッターをやってるのか、とその時初めて知り、少し読んでいくと、今年の4月12日に、

「大林監督とは一度サシでお話する機会に恵まれ、映画づくりのお話をたくさん伺いました。4時間でビールを10本以上飲んだでしょうか。緊張と興奮で酔ってるのか酔ってないのかよくわからない状態でしたが、それはもう夢のような時間でした。生涯の宝物です。」

「何かを好きになる入口には「なんかよくわかんないけどすげー!」があって、その先に意味がわかったり理解を深めたりがあったりすると思うんですけども、大林映画は40年経っても「なんかよくわかんないけどすげー!」のままなんですよね。個人的には。」

「ご本人にその旨伝えたら、いたずらっぽい笑顔でニコッと笑って「だから映画を撮るんじゃないか。嬉しいねえ」と。」

と、大林宣彦監督に対する追悼のツイートをしていた。

このコンバットRECさんの体験が、僕自身の体験と重なるようで、とても興味深かった。僕は、大林監督へのインタビューのとき、お酒こそ飲まなかったが、「4時間」「緊張と興奮」「夢のような時間」「生涯の宝物」「大林映画は40年経っても「なんかよくわかんないけどすげー!」のまま」といったコンバットRECさんの言葉とまったく同じ思いをしたのである。

おそらく、大林監督のお話を聞いてそんな体験に浸った人が、ごまんといるんだろうな。その一人がコンバットRECさんであり、僕なのである。

映画評論家の町山智浩さんは、大林監督を追悼するコメントの中で、「亡くなった気がしない」と述べていた。僕もそうである。なぜなら、大林映画を通じて、死者と生者があたりまえのように共存することをずっと見続けてきたからである。死んだ者を忘れなければ、死者は生者の心の中で永遠に生き続ける、というピクサー映画『リメンバー・ミー』にも共通する死生観を、僕は大林映画から学んできたのだ。

3年前に父が死んだときも、僕はそれほど悲しくはなかった。なぜなら僕の中に父が生き続けているから。僕の顔つきや、声や、喋り方や、咳の仕方、そして娘のあやし方のなかに、父はいまでも生き続けているのだ。

「死んだ人たちはどこにいる?

旅に出かけておりまする」

(『EMOTION=伝説の午後 いつか見たドラキュラ』より)

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緊急事態宣言が延長された日

5月4日(月)

ほぼ1か月、家の中で自粛しているが、精神的に限界が訪れつつある。

もちろん、世間では僕なんぞよりもはるかに苦しい人ばかりなのだが、家族以外とは話す機会もなく、鬱がひどくなり、ちょっと社会復帰が難しい気がしてきた。

今はYouTubeで有名人がいろいろと発信していて、僕もチャンネル登録して見たりしているのだが、あんまり長続きするようなものでもない。いまのYouTubeによる発信ブームは、やり方を相当考えないと、早晩淘汰されていくのではないだろうか。

今日の夕方のテレビのニュースで、個人経営の洋食屋さんが取材を受けていた。

そのニュースに釘付けになったのは、その洋食屋さんのある場所が、僕がいま住んでいる市の隣の市だったという理由が大きい。より正確に言えば、僕の実家のある市と、僕がいま住んでいる市の間に位置する市である。つまり身近な存在として僕の目に映ったのである。

その洋食屋さんは、ご主人であるおじさんと従業員数名がいるようなこぢんまりした店のようで、それでも長年にわたって地元の人たちに愛されていたようだった。

その取材によれば、店のご主人は40年近く(だったと思うが)洋食を作り続けていたが、新型コロナウィルスの影響で、予約もすべてキャンセルになり、店を休業せざるを得ず、もう2週間も料理を作っていない。店を開けずに維持していくのは大変だが、それでもなんとか乗りきろうと思っていたところ、緊急事態宣言が延長され、もう先行きが見えなくなり、

「すっかり心が折れたので、(40年続いた店を)店を閉めようと思っています」

と語っていた。

洋食屋を40年も続けてこられた、僕よりもはるかに人生の先輩であり、ご苦労を重ねてきたはずの店の主人が、

「もう心が折れました」

と語っていたことに、僕は衝撃を受けたのである。

僕もよく、些細なことで心が折れるのだが、そんな生半可なことではない。そのご主人の「心が折れた」という言葉は、どれほど重みのある言葉なのかを考えただけでも、僕は憂鬱な気持ちになってしまったのである。「心が折れた」とは、もう自分では頑張りようもない、ということである。

「歯を食いしばって頑張る」という言葉を、首相は会見で何度も使っている。

その言葉を、首相は、その店のご主人の目の前で言えるだろうか。

歯を食いしばって頑張ってきた挙句に、心が折れてしまった洋食屋のご主人に対して、その言葉はどれほどの慰めになるのだろうか。

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作風

お酒をやめて、かれこれ3年くらいたつが、お酒が無性に飲みたくなる、ということはあんまりない。最近は、麦茶と炭酸水を交互に飲めば、ビールを飲んでいるつもりになれることを発見した。そんなことはともかく。

昨年末まで、MXテレビで放映されていた「ルパン三世 パート2」を録画して、空いた時間に視聴しては、視聴し終わったものを消していた。

なにしろ、155回くらいあるからね。全部残していたら、ハードディスクがたちまちいっぱいになってしまう。その中でも、よほどこれは、といういわゆる「神回」的な回のみを残すことにした。

ルパン三世のアニメをちゃんと見るのは、10代以来だから、かれこれ35年ぶりとか40年ぶりくらいである。なので、内容じたいはほとんど覚えていなかった。当時だって、まじめに毎回見ていたわけではない。

強烈に覚えていたのは、ある回で、ルパンが何かの計算をしている場面があり、「え~っと、サインコサインタンジェント、と…」という台詞があったなあ、ということくらいで、物語の本筋とはまったく関係のない場面だったのだが、実際にその場面に再会したときは、ちょっと感動した。

…いや、そんなことを書きたいわけではない。

MXテレビの再放送は昨年末にめでたく最終回を迎えたのだが、僕は録画した最終回を見ないままにしていた。見てしまうと、「これで終わりか…」と寂しくなる感じがしたからである。

そうしたところ、最近妻がルパン三世の最終回を先に見てしまったらしく、

「ルパン三世の最終回、見た?」

「いや、まだだけど」

「すごいよ。まるで映画みたいにホンイキで作られてるよ」

そこには、たかだか30分のテレビアニメなのに、というニュアンスが込められていた。

「ジブリ作品だよ、絶対」

どれどれ、と見てみると、たしかにぶったまげた。

「これは完全に、宮崎駿作品ではないか…」

いやいや、ここまでの文章をルパン三世マニアの方が読んでいたら、「おまえいまさら何言ってんの?そんなの常識だよ!」と言われるかもしれないが、こちとら、40年ぶりくらいに見ているのだ。まったく、何の知識もなく見てみたら、誰だって驚くはずである。

前の回までと、作風が全然違う。完全にラピュタの世界観ではないか。それに、ルパンを始めとする出演者の「顔つき」も違うのだ。早い話が宮崎駿タッチである。

決定的なのは、劇中に「炎のたからもの」のインストがBGMで流れていたことである。「カリオストロの城」じゃん!話の最後も、カリオストロの城を彷彿とさせる。

そう言われてみると、最終話のヒロイン役の声が、クラリスであり、ナウシカである。

これはもう、間違いないな、と思って、エンディングの歌とともに流れるスタッフロールを見ると、脚本、作画、演出にいずれも「照樹務」とあった。後で調べたところ、これは宮崎駿のペンネームであることがわかった。

というか、これくらいのことはすべて、ウィキペディアに書いてあることなので、こんなことは常識なのだろう。

それよりも僕がびっくりしたことは、そのウィキペディアによれば、宮崎駿は第145話「死の翼アルバトロス」も担当していたという事実である。何にも知らないで見ていた僕は、この145話を見たときに、「こりゃあすごい」と思い、神回に認定して録画を残しておいたのである。

作風ってのは、つきまとうんだねえ。

どちらの話にも共通しているのは、空(そら)や雲の描き方の美しさである。空や雲を強調するような画面展開なのである。

あと、これもびっくりしたのだが、ルパン三世パート2の最終話が1980年、「カリオストロの城」が1979年で、映画の方が前だったんだね。てっきり「カリオストロの城」は、ルパン三世パート2のシリーズが終わってから公開されたのだと思っていた。「炎のたからもの」のインストがBGMに使われたのも、これで納得できた。これもまた、マニアには常識なのだろう。

最終話のヒロインの声をつとめたのは、クラリスやナウシカの声を担当した島本須美さんだということもわかったのだが、島本さんは、ほぼ同じ頃に放映された「ザ☆ウルトラマン」というアニメで、女性隊員役の声を担当していたり、「ウルトラマン80」の第4話では、この回の主人公である中学生(あだ名はスーパー)のお姉さん役で、つまり役者として出演している。ちょうどいま、YouTubeの円谷プロ公式チャンネルで見たばかりだったので、これにも驚いた。

これもまた、マニアには常識のことなのだろう。ということで、マニアにとってはきわめて退屈な文章でございました。

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連休前の追い込み

5月1日(金)

明日から連休に入るということもあって、今日は一日中、職場からのメールの対応に追われた。午前9時頃から夕方6時頃まで、ひっきりなしに来るメールを開いては、そのたびに細々とした案件に対する判断を行う。連休明けに、本社に提出しなければならない書類があり、それで大わらわだったようだ。

うちは、でっかい親会社Aの下にある本社Bの、さらにその下にある支社Cにあたる組織で、さらにその中にいろいろな部局があるのだが、僕はその部局Dで、いろいろな判断を任されている役回りである。

たとえば、親会社に書類を提出する場合、本社が支社の分をとりまとめて提出するので、支社はまず、本社に書類を提出しなければならない。本社は本社で、親会社に提出する前に、それをチェックして、各支社に書類の改善点を指示し、各支社はそれをふまえて書き直す。さらに書類の作成や修正には、関係する社内の各部局があたることになる。

親会社に提出する期限が決まっていると、それに合わせて、支社が本社に提出する期限も自ずと決まる。本社は支社の書類の書き直しを命じたりするから、親会社への提出期限に間に合わせるためには、実際には相当前の段階に支社の書類を完成させ、それを本社に提出しなければならない。その締め切りが、どうやら大型連休明けなのである。そのためには、連休前までに、関係する部局ごとに書類をととのえて、支社全体でとりまとめを行わなければならない、と、こういうわけなのである。

この国のあらゆる組織は、どんな天変地異が起こっても、基本的には平時の論理を変えないという姿勢を貫いているので、たとえ職場が在宅勤務で混乱していようとも、お上は通常の対応を求めてくるのが常なのである。

さすがに今回のような非常時には、それを貫き通せないだろう、と思っていたのだが、不思議なもので、上層だけではなく、われわれのような末端の組織でも、ルーティーンをできるだけ維持しようと努力するのである。たとえていえば、形状記憶合金といったらよいか。あるいは低反発枕か。ナンダカヨクワカラナイ。

ばたばたとしたが、なんとか、連休前にやっておくべき仕事はひとまず終わったようである。こっちは一日中ノートパソコンにはりついていたから、夕方には目がしょぼしょぼしてしまった。

目を休ませるために少しばかり遠くの景色を見ようと、夕方にベランダに出てみたら、風が心地よかった。

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ご縁があれば

4月30日(木)

病院行脚。午前は自宅から1時間半以上かかる総合病院。いつもは電車とバスを乗り継いで行くのだが、新型コロナウィルスの感染のリスクを少しでも減らすため、自家用車で行くことに。午後に家に戻り、夕方は自宅近くのかかりつけの病院にいつもの薬をもらいに行く。まったく、面倒な身体である。

午前中、病院に行く道すがら、TBSラジオ「伊集院光とラジオと」を聴いていた。10時台のゲストコーナーに、俳優の篠井英介さんが出演していた。

篠井英介さんだ!!!

僕は、大人になってから、面と向かってサインをもらった有名人が3人いる。俳優でエッセイストの室井滋さん(初エッセイ集のサイン会に並んでサインをもらった)、映画監督の大林宣彦さん(以前このブログに書いた)、そして篠井英介さんである。

篠井英介さんにサインをもらったときの話は、過去にこのブログに書いた。

ミーハー講師控え室」(2012年6月30日の出来事)

このとき篠井さんは都内の巨大カルチャースクールで、泉鏡花の小説を朗読する、という講座を開いていて、僕はたまたま同じ講師控え室にいたというご縁で、大学ノートの切れ端にサインをもらい、握手してもらったのであった。僕はそのときの篠井さんのオーラと人柄に、すっかり魅了されてしまった。いまもそのサインは、職場の仕事部屋に飾ってある。

返す返すも、篠井さんによる泉鏡花の朗読を聴きたかったものである。

…そんなことを思い返しながら、篠井さんと、パーソナリティーの伊集院光氏、柴田理恵さんの鼎談を聴いていた。篠井さんの人柄が表れた、とてもよい鼎談だった。

途中、こんなやりとりがあった。

篠井さんが若い頃、ほんの短い期間だったが、ポール牧師匠の付き人をやっていた。その話を聞いた伊集院光氏が、

「僕も落語家時代、ポール牧師匠と何度か仕事場でご一緒したことがあるんですよ」

と言うと、篠井さんは、

「じゃあ、ご縁があったんですね」

と返した。

ほかにも、「ご縁があって…」という言い回しが何回か出てきた。

僕はそのとき、篠井さんにサインをもらったあとに、、

「またご縁がありましたら、お会いしましょう」

と言われたことを思い出したのである。そのときの言葉の響きがとても美しく、僕もそれからというもの、「ご縁があったらまたお会いしましょう」という言葉を、よく使うようになったのだった。

近く、大型連休中に、篠井英介さんが朗読する三島由紀夫の『サド公爵夫人』がインターネットで配信されるそうである。ご縁があれば、拝聴しましょう。

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