作風の起源
「人に歴史あり」ならぬ、「表現者に作風あり」
人はみな、それぞれの作風というものを持っている。その作風から、逃れることはできない。
読者を減らすために、再び大林映画についての話。
あんまり語られていないことかも知れないが、大林監督の映画「北京的西瓜」(1989年)は、大林映画の転機となった作品であると、僕は考えている。
千葉県船橋市にある八百屋のおじさん(ベンガル)と、中国人留学生との交流を描いた、実話をもとにした作品。ファンタジーとかジュブナイルとかを好んで作る大林監督のイメージからしたら、ちょっと異質の作品である。
東京乾電池など、当時の小劇団の役者さんをたくさん起用して、こぢんまりした作品に仕上げた。どちらかといえば、地味な作品である。
この映画の最後は、中国に帰ったかつての留学生たちが、立派になって、八百屋のおじさん夫婦を北京に招待し、日本でお世話になったお礼をする、という場面で終わる予定だった。
ところが、撮影中に、天安門事件が起こり、中国ロケが叶わなくなった。
映画は、八百屋のおじさん夫婦(ベンガル、もたいまさこ)が中国に飛び立った直後、画面が真っ白になる。37秒間、画面は真っ白のままになったのである。
そして画面が変わると、八百屋のおじさん扮するベンガルが、なんとカメラに向かって、観客に語りかける。中国ロケに行けなかったことを、ありのままに説明するのである。
当時大学生だった僕は、劇場でこの映画を観て戸惑ってしまった。それまで、手練れの小劇団の役者たちによるウェルメイドの映画だと思って観ていたら、途中からまったく裏切られるのである。
自分は虚構の世界にいるのか、現実の世界にいるのか、わからなくなってしまった。
しかも、役者が映画のカメラに向かって語りかけるというのは、ふつうではあり得ない。その「禁じ手」を使ったのである。
この「北京的西瓜」は、地味な映画ながら、けっこうファンが多い。
のちに宮部みゆきの『理由』が大林監督によって映画化されるが、その『理由』のなかでも、役者が入れ替わり立ち替わりカメラに向かって語りかけている。
「カメラに向かって役者が語りかける」という作風は、「北京的西瓜」によって生まれ、その後の大林映画にあたりまえのようにみられるようになった。
「北京的西瓜」の作風を最もダイレクトに受け継いでいるのが、2012年に公開された「この空の花 長岡花火物語」であると思う。「この空の花」は、大林監督晩年の傑作である。
まず、出てくる役者が共通している。柄本明、笹野高史、ベンガルなど、「北京的西瓜」に出演していた役者たちが、ここでも数多く登場している。
そして、例によって役者がカメラに向かって語りかけている場面がたびたびあらわれる。
さらに、この映画の構想途中に東日本大震災が起こり、映画のコンセプトの見直しが図られる。「北京的西瓜」が、天安門事件により映画のコンセプトを根本から考え直すことになったがごとくである。
こうしてみると、あの大傑作「この空の花」は、「北京的西瓜」とてもよく似ていて、「北京的西瓜」がなければ「この空の花」は生まれなかったとさえ言ってよい、というのが、僕の仮説である。
もう一つ、「青春デンデケデケデケ」が、その後の大林映画の「饒舌性」という作風を開花させたという仮説を立てているのだが、ここまで書いてきて疲れたので、またの機会に。
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