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2020年6月

登園自粛日記

6月29日(月)

一応、今月末まで保育園は登園自粛ということになっているのだが、緊急事態宣言が解除されたあたりから、通常の業務が増えてきたので、その時期差の問題もあって、5月末以降は在宅勤務と育児のバランスが、けっこうたいへんだった。子どもの面倒をみながら在宅勤務というのは、ちょっとキビシイものがある。うちは二人とも在宅勤務で、おたがいに時間を調整し合うことができたので、まだよい方かも知れない。

緊急事態宣言中は、医療関係者とか、そういった人たちの子どものみを預かることになっていて、解除された後は、それ以外の職業の家庭でも、必要な場合は預かってくれることになったのだが、そう毎日預けるわけにもいかないので、6月以降は週に2日程度、保育園に預けることにした。それでずいぶんと楽にはなったが、それでもたいへんはたいへんだ。

ちょうど2歳って、「イヤイヤ期」だから、なおさら手こずったりするのだ。ちょっと自分の思うとおりにならないと大泣きして当たり散らす。しかもこっちは何もしていないのに、「パパ、やめて、イタいイタい」などと大泣きするものだから、近所の人が聞いたら、「あそこの家では子どもを虐待しているのではないか」と疑われかねない。ちょっとした「転び公妨」である。

まあそれでも、間近に成長を見届けることができたのはよかった。すごいなと思ったのは、いま「よしお兄ちゃん」のYouTubeチャンネルをたまに観たりしているのだが、それを2,3回観ただけで、よしお兄ちゃんのセリフを完全に暗記しているのだ。

昨年の夏に放送された「おかあさんといっしょ ようこそ不思議ホテルへ」という1週間の特集番組なんか、何度も観ているものだから、おにいさん、おねえさんのセリフを完コピしている。天才だね。

今日なんぞ、「さ~らりとした う~め~しゅ♪」と歌っていたぞ。いつの間に覚えたんだろう。

最近は、部屋の明かりをつけたり消したりするリモコンの使い方を覚えてみたいで、電気をつけたり消したりしては喜んでいる。

あと、水洗トイレの使い方も完全にマスターしている。便座に座って、用を足した後、おしりを拭いて、水を流す、そこまでの動作を完全に覚えたのであるが、残念ながら、おしっこやうんちのタイミングが追いついておらず、まだしばらくはおむつのお世話になることだろう。

形から入るタイプなんだろうね。親に似て。

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BLMとALM

いま、米国を中心に起こっている「BLACK LIVES MATTER(BLM、黒人の命は大事だ)」という運動は、各地で広がりをみせ、デモが起こっている。

先日、NHKの「国際ニュース番組「これでわかった!世界のいま」の公式Twitterに掲載された、「アメリカで黒人が今置かれている状況」について解説するアニメ動画が、まったく問題の本質をとらえていないどころか、かえって差別を助長するような内容だったと非難を浴び、翌週の番組の冒頭で謝罪し、その動画を削除する、という事態になった。

僕はたまたま、その番組冒頭の謝罪のくだりを観ていたのだが、その動画の内容は、たしかにひどい内容のものだった。

で、これに関連して、6月26日(金)の毎日新聞のネット版に、「NHKは何を間違ったのか~米黒人差別の本質 「知らない」では済まされない 黒人差別のシンボルとタブー 矢口祐人・東大教授に聞く」という記事が掲載されていた。残念ながら会員限定有料記事なので、会員でない僕は、読めるのは冒頭部分だけで、途中からは読めなくなってしまう。

ただ、そのインタビュー記事の冒頭部分は、僕にとってとても印象深い内容だった。以下、引用する。

「ーー黒人差別解消を求める運動「BLACK LIVES MATTER(BLM、黒人の命は大事だ)」に対し、「ALL LIVES MATTER(ALM、すべての人の命は大事だ)」と反論する人がいます。火事現場に駆けつけた消防士に対し、燃えていない隣家が「俺の家も大切だ。水かけろ」と言っているようにも見えますが、こうした主張をどう考えればよいですか。

 ◆BLMは、「黒人の命や生活の重要性を、白人のそれと同じレベルで扱ってほしい。現在のゆがんだ社会の構造を変革しなければいけない」という訴えです。

 一方のALMは「すべての命を大切に」という意味ですから、一見すると正論に聞こえます。しかし実態は、保守派、右派がBLMに対抗する形で使っている表現です。「我々は差別主義者じゃない。みんなで対立しないで仲良くしよう」といいながら、BLMが問題視する制度的差別の存在や構造的変革の必要性を否定し、現状を維持しようとしている。BLMは、「構造を変えない限り、みんな仲良くなんてできない」と考えているのです。」

僕はこれを読んで、溜飲が下がる思いがした。なぜなら、僕もここ最近、似たような体験をしたからである。

最近、フェミニズムとかジェンダーとか、そういうことを少しずつアップデートしようとしているんだけれど、ある場所で、ちょっとジェンダー的な観点から発言しなければならないことがあって、まあまだまだ勉強不足なんだけど、ジェンダーによる差別についてやはり考えなければいけない、的な発言をしたんだよね。

そうしたら、一人、猛烈に反論してくる人がいて、「そうやってジェンダー論者がみんなに特定の意見を押しつけようとするのは、他の意見を排除することにつながり、表現(言論)の自由を侵害しかねない」って言われたんだよね。

その人は別に極端な思想の持ち主ではなくて、ご自身は「自分はバランス感覚がとれた人物である」と自覚されている人なんだよね。つまり自分のバランス感覚から言ったら、フェミニストは極端な意見を主張し、その主張をみんなに押しつけようとする人々、ということになるのだそうだ。

僕は何となく、その人の意見にもやもやを感じていたんだけど、というかかなり腹が立ったんだけれど、それに対してどのように反論したらよいのかわからない。それはとても悔しい体験だった。

で、僕はこのインタビュー記事を読んだとき、そうか、と思った。

つまりは、僕は「BLM」と主張していたら、相手は「ALM」と反論した、ということなのか、と。

「現在のゆがんだ社会の構造を変革しなければいけない」「その構造を変えない限り、差別なんてなくならない」と僕は言ったつもりだったのだが、相手は「いや、男性女性にかかわらず、すべての人の人権が重要なんだ。男性だって差別されている」と反論したということなのである。

一見正論にみえる相手方の理屈の裏には、「制度的差別の存在や構造的変革の必要性を否定し、現状を維持しようとしている」心理がはたらいているのではないだろうか、と僕は感じ取った。

しかし、そのことを相手方に言ってみたところで、おそらくこちらの真意は理解されることはないだろう。なぜなら相手方にとってこちらの言い分は、「特定の立場に立った偏った意見」としか映っていないから。

「なんで○○に対する差別解消ばかり主張するの?××だって差別されているじゃん」

という理屈が「正論」としてまかり通っているうちは、差別はなくならないのだろうと、僕はいま、絶望的になっている。

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話術の真骨頂

6月27日(土)

TBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」が、とうとう終わってしまった。

小学生の身で「久米宏の土曜ワイドラジオ東京」を折りにふれて聴いていた頃からのリスナーとしては、じつに寂寞たる思いである。

といっても、熱心なリスナーというわけではなく、時間があるときにラジオクラウドで聴いていたくらいなのだが。

最終回のひとつ前、つまり先週6月20日(土)放送のオープニングで、久米さんの話術にハッとさせられた体験をしたので、書きとどめておく。

番組のオープニングは「空白の12分」といって、久米さんが12分間のフリートークをすることになっている。

話題はひとつではなく、あちこちに飛ぶので、聴いている方はそのジェットコースターのようなトークに翻弄されるのだが、先週の回も、話題があちこちに飛んだ。

フリートークの最後のほうで、久米さんが、

「TBSラジオの社長から手紙が来たんです」

と、意味深に言う。

聴いていた僕は、番組が終わるにあたってTBSラジオの社長が久米さんに何らかのメッセージを書いたのではないかと想像してしまう。たぶん多くのリスナーがそう感じたのではないだろうか。

アシスタントの堀井美香アナも、そのことを初めて聴いたらしく、「まさかここで読むんですか?」と、手紙の内容が気になって仕方がないといった様子である。

「あたり前じゃないですか。僕に来たんですから」といって、久米さんはその封書を開き、少し間を置いて、その手紙を読み始める。

「謹啓、梅雨の候、愈々ご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご芳情を賜わり、厚く御礼を申し上げます。

さて!…」

ここでまた間が開く。

「さて…?」ここからが本題か?

「さて、6月17日に開催されました定期株主総会ならびに取締役会の決議におきまして、次の通り役員を選任したうえで、それぞれ決定し、就任いたしましたことをご報告いたします」

ここで聴いている僕は脱力する。堀井アナも思わず吹き出す。なんだよ!株主総会の報告の定型文かよ!それ、久米さんだけに出したやつじゃなくて関係者みんなに送った儀礼的なやつじゃん!

ここで肩すかしを食らうのである。

これがオチなのかな、と思いきや、久米さんは引き続きその「手紙」の内容を紹介する。

「会長がお一人、代表取締役社長がお一人、常務取締役がお一人、取締役が四人、監査役が一人、全部で八人、お名前が書いてあります。

…全員、男なんですよ」

僕はここでハッとする。

そうか、久米さんが言いたかったのはここなのか。

「一言でいうと、ちょっと時代遅れ。放送局って、一応時代の先端を走っている企業であるはずなのに、役員全員が男ってのはねえ…時代に敏感でなければならない放送局なんだから、せめて役員に女性を何人か入れてほしかったですねえ」

そう言って、フリートークを締めくくった。

僕はこの、何ということのないフリートークについて、深く考えてしまった。

最初に、「社長から手紙をもらった」と意味深なことを言って、リスナーにいろいろな想像力を働かせておいて、実は、何の変哲もない、株主総会の報告文だった、というオチ。

だが、そこで終わらないのだ。その、何の変哲もない儀礼的な報告文の中に、問題点を見つけ出し、リスナーに問いかけるのだ。

しかも今回の場合、自分の古巣であり、現在番組を持っている放送局に対する臆せぬ批判にもなっている。

ここまでが、ひとつのパッケージである。

最初に意味ありげなことを言って、期待を持たせておいて、肩すかしを食らわせる。しかし最後に、ハッとしたことを言う。そしてそれが、停止していた我々の思考を揺さぶるような内容になっている。

たぶんこれが、久米さんの話術の真骨頂なのではないかと思う。

こういうまどろっこしい話術を自在に扱えるラジオパーソナリティーは、久米さんをおいてほかにいないんじゃないだろうか。

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永遠のラジオDJ

6月26日(金)

TBSテレビの金曜ドラマの新番組が始まるというので、観ることにした。

もう最近は、ドラマのタイトルが覚えらんない。何というタイトルのドラマなんだろうと思って調べてみたら、「MIU404」だった。

…といわれても、タイトルの意味すらわからない。もうこうなると、完全なおじいちゃんだな。副題が「機動捜査隊」とあったので、刑事ドラマだということがわかる。しかもいわゆるバディもの。

「機動捜査隊」といえば、テレビ朝日の「特捜最前線」の前身番組(というか「特捜最前線」が後身番組なのだが)の「特別機動捜査隊」が有名であるが、まあ若い人は知るまい。僕だって観たことがない。

ふだん、ドラマなんかすすんで観ようとは思わないのだが、このドラマを観たかった理由は、星野源や綾野剛が主演だったからではない。

第1回のゲスト俳優として平野文さんが出ていたからである!

ちょっと前に、TBSラジオ「伊集院光とラジオと」で、平野文さんがゲストで出ていた。そのときに、このドラマの第1回にゲスト出演します、という告知をしていたので、「これは観なければ!」と思ったわけである。

平野文さんといえば、たぶんほとんどの人が「うる星やつら」のラムちゃんの声優として認識しているだろう。

だが僕は残念ながら、「うる星やつら」のアニメを観たことがない。もちろん、ラムちゃんの声が平野文さんである、ということは知っている。

僕の中では、平野文さんは、憧れのラジオDJなのである。

前にも書いたが、小学校の頃、僕がよく聴いていたNHKのラジオ番組に、平野文さんが出演していた。小学生の僕にとって、平野文さんは「ラジオのおねえさん」だったのである。

文化放送の「走れ歌謡曲」という、深夜3時から5時まで、長距離トラックの運転手さんしか聴かないような時間帯の番組にも、平野文さんはDJをしていたと記憶する。さすがにそれを頻繁に聴くことはできなかったが、何とかがんばって深夜3時まで起きていて、オープニングだけ聴いてから寝たことが、何回かある。小学生の時ですよ!

僕がラジオを聴いていた頃とほぼ同じくらいだったか、アニメ「うる星やつら」が始まって、すげえブレイクしたのだが、僕はなぜかアニメを観ることはなかった。あくまでもラジオDJとしての平野文さんが好きだったからだろう。

その後、平野文さんは、築地の魚河岸のところに嫁いで「魚河岸の女房」になってしまい、そのまま遠ざかってしまったのであった。

で、先日、「伊集院光とラジオと」で、久しぶりに平野文さんのトークを聴いて、

「声、全然変わってねえ~!」

と、たいへんビックリしたのである。伊集院光氏との丁々発止のやりとりも、僕が小学生の時にラジオ番組で聴いた頃の印象とまったく変わっていない!

で、僕はとたんに、小学生の頃の自分に戻ったのであった。

これはドラマを観なければならない!となったわけである。

どんな役で出演されるのだろうか、と、まったく知らずに観ていると、孫娘のためにプレゼントを買った帰り道、歩道を歩いていたら、横をものすごいスピードで自動車が走り去っていくことにビックリして、思わず転倒してしまったおばあちゃん、という役だった。

えええぇぇっ!!!平野文さんがおばあちゃん!!??

僕はビックリしたが、たしかに声は平野文さんである。

考えてみれば、僕よりも15歳も年上なのだ。おばあちゃんの役をやって、何ら不思議ではない。

たとえおばあちゃんの役を演じていても、僕にとっては、小学生の頃と変わらず、永遠のラジオDJである。

ラジオ番組、またやってくれないかなあ。

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まだまだ焼け石に水

6月26日(金)

今週も、何とか金曜日を乗り越えた。

ここ最近は、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」の金曜日のオープニングで、ジェーン・スーさんが必ず言う、

「さあ、お仕事中の方、家事育児、病気療養、はたまた介護中のみなみな様、よくぞ、よくぞ金曜日までたどり着きました!」

という言葉通りの心境である。

今月は、たまりにたまっていた原稿を、いくつか書き上げた。なにしろ、3月のコロナ禍以降、4月、5月と、まったく原稿が書けなかったからね。書ける気がせず、漫然とした日々を過ごしていた。

それが今月は全部で4本、以前に書いた原稿の修正が1本。

4本の原稿の文字数を合わせると32000字程度。400字詰原稿用紙にして80枚。うーむ。もっと分量を書いた気でいたが、1本あたりの文字数が少ないなあ。まあ、それでも考えに考えて書き続けていたのだから、仕方がない。

このうち3本は、1年先、2年先、あるいはもっと先にならないと公表されないかも知れない。気が遠くなるなあ。

それでも、まだまだ焼け石に水である。締め切りを過ぎた原稿はまだだいぶ残っているし、これから締め切りが来る原稿もある。もちろん原稿だけでなく、先送りにしているプロジェクトもかなりある。

なんとかこの勢いで、7月以降も原稿が進めばいいのだが、どうなるかはわからない。

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仮定の質問には答えられない

「仮定の質問には答えられない」。

これ、最近の大臣の答弁などでよく聞く言葉なんだけれど、よく考えたら、おかしな話である。

「気象予報士さん、明日の天気はどうでしょう?」

「仮定の質問には答えられません」

これでは天気予報が成り立たない。

「将来の夢は何ですか?」

「仮定の質問には答えられません」

これでは面接試験が成り立たない。

つまりすべての質問を無力化する、魔法の言葉なのである。

この答弁のルーツについて、あんまり言及されている記事を見たことがないんだけど、これって明らかに、映画「小説吉田学校」(1983年公開、森谷司郎監督)のなかで、吉田茂首相扮する森繁久弥が言っていた台詞だよね。

映画なのに「小説吉田学校」って何だよ!と思うかも知れなけれど、もともとは、政治評論家の戸川猪佐武が書いた政治実録小説である。それを映画化したもので、なかなかにおもしろい映画である。

国会の場で、勝野洋扮する中曽根康弘が、

「もし第三国が日本に攻撃してきた場合、警察予備隊は戦うのか」

という質問をしたら、吉田茂首相が、

「仮定の問題には答えられない」

と答えたシーンがある。僕はこのやりとりがとても印象に残っていた。

つまり、「仮定の質問には答えられない」という答弁を最初にした政治家は、吉田茂である。

だから、昨今の内閣が、

「仮定の質問には答えられない」

という答弁を連発したときに、

「ははあ~ん、さては映画『小説吉田学校』からパクったな」

と確信したのである。

考えてもご覧なさい。いまの副総理兼財務大臣は、吉田茂の孫ですよ!

で、心なしか、「仮定の質問には答えられない」という答弁を頻繁にする人というのは、この副総理兼財務大臣なのである。たぶんほかの大臣にくらべて、この答弁をする機会が多いのではないだろうか。「仮定の質問には答えられない」という言葉と、その大臣の名前を合わせて検索をかけると、そうした答弁の実例をいくつも見ることができる。

ところで、映画の最後は、吉田茂が大磯の海岸で幼い孫と戯れるシーンで終わる、と記憶しているのだが、つまりはいまの副総理兼財務大臣の幼い頃である。

いまの副総理兼財務大臣が、この映画を見ていないはずはない。なにしろ、おじいちゃんがかっこよく描かれているからね。おそらく『ゴルゴ13』よろしく、自らの政治の教材にしているに違いないのだ。

この映画を見た彼は、自分のおじいちゃんが「仮定の質問には答えられない」と憤然と答えている姿を見て、「かっこいい~」と思い、自分も同じ台詞を使いたくなってしまった気持ちは、彼の性格から言ったら、十分すぎるくらいにわかる。

ちなみに、この映画には、現首相のおじいちゃんとお父さんも、一瞬だが登場する。現首相もまた、この映画を見て、「仮定の質問には答えられない」という台詞に痺れ、使いたくなっちゃったのかな?こうしてこの台詞は、再生産されていくのだ。

こういうのを、「馬鹿のひとつ覚え」という。

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ハリウッド版ゴジラ

6月20日(土)

地上波放送で、2014年に公開されたハリウッド版「GODZILLA ゴジラ 」が放送されていたので観てみた。劇場では観ていないので、これが初観賞である。

ただし、ちゃんと観ていたわけではなく、途中でお風呂に入ったりしたので、かなり失礼な鑑賞の仕方である。

前にも書いたかもしれないが、僕は年齢的に、ゴジラシリーズをリアルタイムで観て熱狂した世代ではなく、ちょうど狭間の世代なので、実はあんまりゴジラに対する熱量がそれほど高くない。

放送を見終わった後、町山智浩さんが以前にTBSラジオ「たまむすび」で解説していた回と、ライムスター宇多丸さんが「タマフル」で解説していた回を聴きくらべてみたのだが、町山さんは大絶賛だったのに対し、宇多丸さんは是々非々という立場だった。

で、僕の感想は、宇多丸さんの方に近い。これはたぶん世代的な問題が関係していて、町山さんは少年時代にゴジラにどハマりしていた世代であるのに対し、僕とほぼ同い年の宇多丸さんは、本人も告白しているように、少年時代にはそこまでどハマりしていなかったことが関係しているのだろう。

1998年のハリウッド版ゴジラはまったく別物と考えるとして、2014年のハリウッド版ゴジラは、東宝映画のゴジラに対するリスペクトが感じられる映画になっている。また、渡辺謙が演じる芹沢博士の父が、広島の原爆で犠牲になったという台詞が劇中にある。とってつけたような設定だが、ハリウッド映画で広島の原爆に言及するのは、これがギリギリの線だったのだろうか。

怪獣のシーンはたしかに圧巻だったが、人間ドラマの場面が、個人的にはあまり受けつけなかった。ハリウッド映画、とくにパニック映画にありがちな、何でもかんでも「家族愛」とか「根性論」に落とし込んでゆくドラマ展開が、どうも苦手である。ああいう展開にする、というのは、ハリウッド映画の定石なんだろうか。

宇多丸さんは、平成ガメラシリーズとの類似性を指摘していた。僕は平成ガメラシリーズをまったく観たことがないのだが、金子修介さんが監督しているし、宇多丸さんが絶賛していたので、いつか観てみなければならないだろう。

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チャラ男官僚

6月19日(金)

職場からの帰宅の道中で聴いた、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」のラジオクラウドで、ゲストの古賀茂明さんが話していた内容が、とてもおもしろかった。記憶の限りで書きとどめておくと…。

古賀さんは、もと経済産業省の官僚で、いまは辞めている。ラジオを聴いたら、「経済産業省不要論」をとなえている。

この国は、高度経済成長、バブル経済を経て、著しい経済発展をとげたため、企業は国の援助がなくても十分にやっていけるくらいの力がついた。そこで経済産業省は、やることがなくなっちゃった。むしろ経産省が余計なことをするおかげで、企業や経済がどんどん衰えてしまう、なんて事態になった。

で、仕事がなくなっちゃったもんだから、仕事をつくることにした。そうしないと予算を持ってこれないから。

「おもてなし」とか「プレミアムフライデー」とか「クールジャパン」とか。

結局、アレって何だったの?みたいなお祭り騒ぎに予算を使う。仕事がないのに、余計な仕事をつくって、盛り上げていかなくてはいけない、というのが、いまの経産省。

毎年、予算獲得のために、何か新しい政策を考えなければいけない。もっともらしくって、見栄えがよくって、キャッチーなものであればあるほどよい。

経産省には、「チャラ男」が多い。そういうチャラ男連中が、口八丁手八丁で、もっともらしいイベントを考えて、それを財務省に持って行って、予算を獲得する。予算を取ってくる人が、出世する。

しかし、結局は中身のない政策だから、次の年にはまた別の政策を考えなくてはならない。

経産省の役人は、そういうことばっかりやってきたもんだから、すっかりそういうスタイルが身体に染みついちゃっている。

だから、経産省と電通は、むかしからウマが合うのだ。どっちもお祭り騒ぎが好きだから。

持続化給付金が電通に委託されたのも、そういったことが背景がある。

ああいう給付金って、税務署が担当すれば、スピーディーにできるんじゃないの?というのは誰でも思いつくこと。だって、確定申告を通じて収入だってわかっているし、振り込みの銀行口座だってわかっているぞ。税務署のノウハウを活用すれば、給付金なんてオチャノコサイサイのはずなのだ。

現に、コロナウィルスがいちばんたいへんだった5月に、自動車税の納付書がちゃんと来たもん。給付金とかマスクなんかよりもはるかに早かったぞ。給付金だって、税務署の手にかかればすぐに支給されるだろうし、相手が税務署だったら、給付金を受ける側も、不正に申請したりすることもできないはずだ。

でもそれをやらない。なぜか?

それは、税務署が財務省の管轄だからだ。つまり財務省にその仕事をとられてしまうと、経産省の出る幕がない。予算の大きな仕事を財務省に渡したくないのだ。

…というのが、古賀さんのお話。

なるほど、ここ最近の一連の動きが、これでよくわかった。溜飲が下がるとはこのことである。

しかし、これは経産省に限ったことではない。同じようなことは、ほかのところでもやっているのではないだろうか。

以前、経産省ではない、別の役所の人と仕事をしたとき、その役人が、チャラい感じのイベントを企画してチャラい感じの民間業者を連れてきていたことを思い出した。

それに、予算を取るために毎年もっともらしい仕事を新しくつくるというのも、大なり小なり、よくやっていること。

とすれば、もうこれはこの国の構造的な問題なのだ。

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趣味・特技

昨日、ようやく一本、原稿を出したという話を書いた。

原稿といっしょに、「執筆者紹介」というのを書かなければいけないみたいで、その様式に沿って、いろいろと書いていたら、執筆者紹介の項目の中に、

「趣味・特技」

を書く欄があった。

えええええぇぇぇぇぇっ???!!!

今どき「趣味・特技」を書くなんて、昭和かよ!

お見合いをするんじゃないんだから!

そもそも、原稿の内容と何の関係があるんだ?まったく関係ないじゃないか!

読者はそれを知ったところで、どうするんだ?

「へえ、鬼瓦さんという人には、そういう一面があるのか?意外!」

って、読者はそもそも、俺のことをどれほど知っていたというのだ?

しかも「特技」って何だよ!「コーラの一気飲み」とか、そういうヤツ?

こういうことを聞かれるのがいちばんつらいのだ。

だってこちとら無趣味なんだもん!びっくりするほど、趣味がないのだ。

鉄道マニアでもないし、切手集めもしていないし、動物も飼っていないし、ロードバイクも挫折しちゃったし、お酒もやめちゃったし、麻雀もやらないし、ゴルフもやったことがない。

…まったく思いつかない。

いっそ書かないまま出そうとも思ったが、それもまた大人げないと思い、

「映画、演芸、ラジオ、アルトサックス」

と書くことにした。

でもこれも、大嘘なんだぜ。映画が趣味といっても、映画なんてほとんど見ていない。先日思い返してあらためて驚いたんだけど、「ロッキー」とか「バック・トゥ・ザ・ヒューチャー」とか「インディージョーンズ」とか「エイリアン」とか「ターミネーター」とか、そういう有名どころの映画を、ちゃんと見たことがないのだ。

これでは映画が趣味ですとは、とてもいえない。

子どもが生まれてから、映画館で映画を見る機会はめっきり減ってしまったし、いまはかろうじて、TBSラジオ「たまむすび」火曜日の町山智浩さんの映画コーナーを毎週聴くぐらいなものである。

演芸も、いまは「伯山ティービィー」を見るくらいだ。演芸場に足を運んだこともない。いまは落語では一之輔師匠が飛ぶ鳥落とす勢いらしいが、ちょっとあの無愛想な雰囲気(それが持ち味なんだろうけれど)にどうもなじめず、いまだに一之輔師匠の落語を聴けていない。

ラジオも、全然マニアなんかじゃない。TBSラジオのいくつかの番組を、時間があるときに聴く程度。だが「久米宏 ラジオなんですけど」が今月末で終わっちゃうので、「荒川強啓 デイキャッチ」に続き、また1つ、聴いていた番組が減ってしまった。あとは文化放送の「大竹まこと ゴールデンラジオ」を聴くくらい。

特技として「アルトサックス」と書いたが、これも大嘘。むかしかじっていたという程度である。いまはまったくやっていないので、とくに思い入れがあるわけでもない。

…というわけで、まったくの大嘘を書いてしまった。ま、お見合いをするわけでもないので、実害はないだろう。

いったい何を書けば正解なんだろう。

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原稿の神様、降臨!

6月16日(火)

6月15日(月)が締め切りの原稿が書けない。

週末の土、日を使って書こうと思ったのだが、週末は結局何もせずに過ごし、2日間を棒に振った。

おかしいなあ。金曜日の時点では、「よし、土曜日にがんばるぞ一」と思っていたのが、土曜日になると「日曜日があるからいいや」と思ってしまい、結局、日曜日もまったく手つかずで終わってしまった。

こういうときの自己嫌悪ってのは、半端ないねえ。

そして締め切り当日を迎えた。

この日も、午後までうだうだしていて結局何も手がつかない。

(あ~あ、今日もダメか…)

と思っていた矢先、夕方になってパソコンに向かったら、次々と文章が浮かんできた。

それまでまったく手つかずだったものが、次第に形になっていく。

夕方は2時間弱ほどパソコンに向かい、その後、夕食やお風呂や、娘を寝かしつける時間をはさんで、夜にまた数時間、原稿を書き続けた。

結局、数時間ほどで、目標の4000字を書き上げた。

で、一晩寝かせて、本日送信。結局、締め切りからわずか1日遅れで原稿を提出した。

それまで何も書けずに悶々としていたあの時間は、いったい何だったんだ?

今回もまた、「原稿の神様」に助けられた。

それにしても不思議である。今回ばかりはお手上げだ、と毎回思うのだが、土壇場で原稿がなんとか書き上がる。

おそらく集中力の問題なのだろうということはわかるのだが、問題は、その集中力が、どのようなメカニズムで訪れるのか、である。

原稿を早めに出したいのなら、締め切りを早めに設定する暗示をかければよいのではないかとも思うのだが、いままでそれで成功したためしがない。

いつもいつも、締め切りに合わせて集中力が訪れるというわけでもない。締め切りを大幅に過ぎてから原稿の神様が降りてくることもある。

自分の意志とは関係なしに、突然スプーンと同じくらいに小さくなってしまう「スプーンおばさん」みたいなものなのだろうか?ナンダカヨクワカラナイ。

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ああ、青春日記

6月14日(日)

お昼時にテレビをつけたら、BSフジで「渥美清のああ、青春日記」という1997年のドラマを再放送していた。渥美清の1周忌に合わせて作られたドラマである。最初の30分くらいを見逃してしまったが、最後まで見ることができた。

ちなみに僕は、リアルタイムではこのドラマを観ていない。当時、観る気が起きなかったのは、渥美清を誰が演じても、自分にとっては不満が残るだろうと思っていたからである。

しかし、このドラマの脚本が早坂暁さんであることをいまになって知り、これは観ておかなければと思ったのである。以前にも書いたが、僕は子どもの頃に観た早坂暁さん脚本のドラマが長く記憶に残っていて、没後に刊行されたエッセイ集を読んで感激しその感想がまわりまわって早坂さんの奥様に届き、奥様から長いお手紙をいただくという幸福な体験をした。それからというもの僕にとって早坂さんは、「ご縁のある人」として僕の心に刻まれたのである。

余談になるが、以前の勤め先で同姓同名の教え子がいて、在学中に「将来は脚本家になりたい」という夢を語ってくれたことがある。僕はびっくりして、「じゃあ君と同じ名前の有名な脚本家がいるんだけど知ってる?」と聞くと、「知りません」と彼は答えた。「素晴らしい脚本を書いているから、脚本家を目指すんだったら、何かの縁だ、まずは早坂さんのドラマを観なさい」と、そんな会話を交わした記憶がある。いま彼はどうしているのかと、早坂さん脚本のドラマを見返すたびに思い出す。

さて、このドラマで渥美清を演じたのはウッチャンナンチャンの南原清隆だった。おそらく1997年時点で考えうる最高のキャスティングだっただろう。そもそも、若いころの渥美清を演じられる役者を思い浮かべることができない。いま強いて考えれば、大泉洋とか阿部サダヲの名前が浮かぶのだが、渥美清のすごさは、声を張らなくてもセリフが聞きとれるという滑舌のよさにある。ナンちゃんの場合は、渥美清の滑舌を再現するために声を張り続けなければならないという点が少し気になったが、それでも好演や熱演と呼ぶにふさわしいものであった。

ドラマは、若い頃に渥美清と交流のあった早坂暁の視点で描かれる。二人は終生の親友どうしであったことはよく知られている。つまり渥美清の若い頃をドラマ化するとしたら、脚本は早坂暁さん以外考えられないのだ。

プロデューサーと演出は、小林俊一。映画版の前にフジテレビ版の連続ドラマ「男はつらいよ」が放送されたが、その演出をつとめたのが小林俊一である。映画版でも1本だけ監督をつとめている。

関敬六、谷幹一、秋野太作など、渥美清の若い頃にゆかりの深い人たちが出演している。音楽は山本直純である。つまりスタッフ、キャストともに、渥美清にゆかりの深い人々が結集してドラマが作られたのである。

ドラマのタイトルが「渥美清のああ、青春日記」というものだが、これがじつに早坂暁さんらしいタイトルである。

早坂さんのドラマには、「日記」とつくタイトルのものが多い気がする。一番有名なのは「夢千代日記」だが、代表作の「花へんろ」の副題は「風の昭和日記」である。毎日放送版「人間の証明」(これも名作)は、ある高校生の日記の体裁をとって、ドラマのナレーションが進んでいく。時代劇の傑作「関ヶ原」(全3話)の第2話の最後は、石坂浩二による、

「この日、イギリスの都ロンドンでは、シェークスピアの『真夏の夜の夢』が上演されている」

というナレーションで締めくくられる。僕はこのナレーションが子どもの頃から耳について離れないほど印象的なものだったのだが(おそらく司馬遼太郎の原作にはないのではないか)、このナレーションもまた、日記的な語りである。つまり日記的な語りこそが、早坂暁さんの脚本の真骨頂なのである。

そして「ああ」という言葉。

渥美清がいろいろな人を演じたTBSの連続ドラマ「泣いてたまるか」も、「男はつらいよ」以前の渥美清の代表作だが、このドラマで、早坂暁さんは2回ほど脚本を書いている。「ああ誕生」「ああ無名戦士!」の2本である。もともと「泣いてたまるか」の各回のタイトルには「ああ◯◯」と題するものが多いのだが、つまりはこの、渥美清と早坂暁さんが若い頃に一緒に仕事をした思い出深いドラマ「泣いてたまるか」へのオマージュなのではないだろうかと、妄想したくなる。タイトルを見ただけでも、さまざまな思いが詰まった脚本だということがわかるのだ。

このドラマが、欲張らず、まだ世に出る前の若き渥美清をのみ描くことに特化したのも、早坂暁さんならではであろう。みんながよく知っている「寅さん」以後ではなく、その前の渥美清を知ってもらいたいという思いが込められていると思う。そしてそのホンは、早坂暁さんにしかやはり書けなかったであろう。

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豆腐屋のメタファー

6月13日(土)

金曜日の職場での仕事が、あまりにもストレスフルだったので、今日は疲労と頭痛で身体が石のようになり、何もできなかった。ま、休みの日はいつもそんな感じではあるのだが。

新型コロナウィルスによる影響で、平時では起こらない問題が発生したりして、それをどのように収めるか、といったことに腐心しなければならない。運の悪いことに今年度からはそんな役回りをさせられる立場になって、そういう仕事に慣れていない僕は、些細なことであってもそれを収めることに過度なストレスを感じるのだ。

「リーダーシップ論」とか「組織運営論」とか、そういうビジネス系自己啓発本みたいな本を読んだ方がいいのだろうか。何かいい本があったら教えてください。

そんなわけで、職業的文章が相変わらず止まったままである。

そんなことはともかく。

前回書いた文章は、よくよく読んでみれば、まったく論理的ではない。

こぶぎさんがコメント欄で紹介してくれたように、YouTubeの「伯山ティービィー」で、講釈師の神田阿久鯉先生が「徂徠豆腐」をやるというのを知り(ちなみに、阿久鯉先生の「徂徠豆腐」は名演であった!)、文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」で豆腐屋のエピソードを聴いて感傷的になり、そういえば少し前の「久米宏 ラジオなんですけど」(今月で番組終了というのが残念!)で、元朝日新聞論説委員の清水建宇さんが退職後にスペインで豆腐屋を始めたというお話しを思い出して、これらを1つの文章にできないだろうかと思って書いたのが、前回の文章なのである。

だから、論理性はまったくなく、僕の脳の中にあるとりとめのない断片を息を吐くように文章に認めたにすぎない。

こんな支離滅裂な文章、共感して読んでくれる人なんて誰もいないだろうな。もっとも自分のために書いているのだから仕方ないのだが。

豆腐屋について思い出したことをもう少し書くと(しつこいな)。

山田洋次監督の映画「男はつらいよ 望郷編」(第5作)では、フーテンの寅次郎が、一念発起して地道に働こうとしてたどり着いた先が、豆腐屋さんだった。その豆腐屋の一人娘(長山藍子)に恋をしてフラれる、というお決まりの展開になるのだが、それはまあ置いといて。

フーテンと対極にある地道な仕事の代表として、豆腐屋が選ばれているのだ。

映画のつながりでいえば、小津安二郎監督は、

「私は豆腐屋のような映画監督なのだから、トンカツを作れといわれても無理で、せいぜいガンモドキぐらいだよ」

という言葉を遺している。小津安二郎監督にとって「豆腐屋のような映画監督」であることは、自身のアイデンティティーだったようである。

トンカツのようなお腹にもたれることのない豆腐のような映画を作る、というのがその真意なのだろう。それに加えて、豆腐屋は地味で手間がかかる仕事の象徴であるという意味も込められているのかも知れない。

そういえば「頭文字D(イニシャルD)」の主人公の家が「藤原豆腐店」だったが、家業が豆腐屋であることに何か意味があったのだろうか。未見なのでわからない。

 

 

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豆腐屋の思索

6月11日(木)

定期の診察。

新型コロナウィルスに感染するのが不安なので、いつもは電車で行くところ、自家用車で高速道路を使って1時間半ほどかけて病院に到着した。

病院に入ると、前回とは打って変わって、外来の患者が待合室にあふれている。いつもの光景が戻ってきたのだ。

診察時間自体は短いのだが、やたら待ち時間が長い。まったく、一日がかりの仕事である。

車中で、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」のコーナー、「ゴールデンヒストリー」が流れていた。市井の人々の、何気ない人生の軌跡を、大竹まことが朗読するというコーナー。

今週は、「豆腐の味」という特集で、町の豆腐屋さんにまつわるエピソードが語られる。今日は、芸人だった人が挫折し、父の豆腐屋を手伝うことを通じて、豆腐作りに目覚めるというお話だった。

豆腐屋、と聞くと、いろいろなことが頭に浮かんでくる。

ルポルタージュ『暗闇の思想を』で知られる松下竜一さんは、家業の豆腐屋を継いで、豆腐作りを生業にしていた。『豆腐屋の四季』は有名である(のちに豆腐屋を廃業して作家生活に入る)。

朝日新聞の元論説委員で、かつて久米宏の「ニュースステーション」でコメンテーターを務めていた清水建宇さんは、退職後にスペインに移住して、一念発起して豆腐屋を始めた、というのをTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」を聴いて知った。

豆腐屋は、とてもたいへんな仕事である。朝は早いし、重労働だし、儲けだってそんなにいいというわけではないと思う。

一方で豆腐屋さんは、思索的であるようにも思える。思索的な人だから豆腐屋に魅力を感じるのか、あるいは豆腐を作る行為が、思索的にさせるのか、そのあたりはよくわからない。

とにかく僕の中では、豆腐屋=思索家のイメージなのである。

落語に「徂徠豆腐」という噺があって、もとは浪曲だったらしいが、講談にもなっている。江戸時代を代表する思想家・荻生徂徠と豆腐屋との交流を描いた噺である。

この噺の中で豆腐屋は、荻生徂徠の思想に影響を与えたことになっている。豆腐屋は、江戸の昔から思索的存在なのである。

そういえば「前の前の職場」の同僚で、荻生徂徠の子孫のOQさんも、思索的な人だった。OQさんも豆腐が好きだったのかな。

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伏線だらけの人生

6月9日(火)

出勤前から憂鬱である。

コロナ禍による不測の事態により、いろいろとトラブルが起きる。

で僕は、それらのトラブルを、なんとか収めなければならない係。

午前中は2つの気の重い案件があり、なんとか収めなければならない。

この頭、どうせたいした頭ではないのだから、必要とあらばいつでも下げる用意がある。頭を下げて解決するものなら、いくらだって頭を下げるぞ、という思いを強くした。

それはともかく、1つめの重い案件が解決した後、2つめの案件に取りかかる。

こちらの方は、具体的な解決策は結局見つかりそうにないのだが、その職員さんは、僕に愚痴をこぼしているうちに、心が少し軽くなったらしい。

今年度から、うちの職場に異動になった人で、初めてお会いする職員さんである。話を聞いているうちに雑談になった。

僕が「前の職場」の話をすると、その職員さんの「前の職場」の上司が、僕の「前の職場」から異動してきた人だったという。

「僕の知っている人かも知れませんね。何て言う名前です?」

「Mさんです」

「Mさん!知ってますよ!」

久しぶりにMさんの名前を聞いた。

「前の職場」にいた頃、僕はある部局にしょっちゅう出入りしていたのだが、職員のMさんも、けっこうそこに出入りしていて、何度かお茶を飲みながら雑談を交わしたことがある。僕と同い年くらいで、とても有能な職員さんだった。職場結婚をして、たしか新婚早々に、Mさんはその職員さんの「前の職場」に異動してしまい、それからずっと週末は新幹線で地元に戻る、という生活だったんじゃなかったかな。

そんな記憶を話すと、「その通りです」とその職員さんが言った。「とても有能な方なので、地元には帰してもらえず、いまは別の勤務地に転出されました」

「そうだったんですか…」

「それにしても、Mさんを知っている方がこの職場にいらっしゃったとは、驚きです」そこで警戒心が解けたのか、その職員さんのお喋りに拍車がかかった。

結局、問題は何一つ解決していないのだが、ふだんたまっている愚痴を吐き出してすっきりしたようだった。

それにしても僕は、相変わらず引きが強い。

「袖すり合うも多生の縁」。どんな出会いも、無駄な出会いなんてないのだな。まさか「前の職場」のMさんと少しばかり雑談を交わしたことが、いまの職場に生きてくるとは、思ってもみなかった。

そう考えると、人生は伏線だらけだ。

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オンラインライブ

6月7日(日)

とくに何も書くことがない。相変わらず、職業的文章が書けずにこの週末も終わってしまった。いよいよやばい。

最近、いろいろな有名人がYouTubeで動画配信をするので、空いた時間はついチャンネル登録している番組を観てしまう。もういい加減観るのはやめた方がいいな。

そんな中、ミュージシャンをやっている、高校時代の2学年下の後輩が、ライブ配信をするということをSNSで知り、ちょうどそれを知った時間がライブ配信をしている真っ最中だったので、観てみることにした。

そのライブは、小さなバーみたいなお店で行われていて、演奏者は、その後輩と、もう一人の、合計2人という、こぢんまりした編成だった。画面で見る限り、お客さんが一人いた。当初、ちょっと機材のアクシデントみたいなことがあったのだが、後半くらいに持ち直したようだった。

僕はびっくりしたのだが、そのライブ配信映像は、とても画質がよく、また音もクリアだったので、あたかもライブ会場にいるような感覚になった。つまりタブレットを観ていて全然ストレスを感じなかったのである。

その後輩は、こんな状況下で仕方なく始めたオンラインライブに慣れているはずもないと思うのだが、それでも、あれくらいのクオリティーのライブ配信ができるのか、と感動したのである。

ライブ会場で聴いていた一人のお客さんというのは、どこかで見た顔だなあと思ったのだが、よくその後輩のSNSにコメントを寄せてくる人で、後輩のバンドの熱烈なファンらしい。よく写真をアップしていて、お顔をよくみていたので、ああ、あの人か、とわかったのである。一面識もないのに、なぜか昔からの知り合いのように感じてしまうから不思議である。

その後輩は、日常的には散歩が趣味で、行った先の写真をSNSにアップしているのだが、そこに載せている写真が僕の琴線に触れるものが多く、しばしばコメントでやりとりをしたり、あるいは当人同士だけでやりとりできるツールでマニアックな情報交換をしたりと、ごくたまにではあるが、そんなことをしている。

こうなるともう、わざわざ会う必要はないね。ライブを観たり、散歩で出くわしたけったいなものについてSNS上で情報交換したりするできるのだから、以前にたまーに会っていた頃よりもむしろ「密」な関係になっている。まさに「フィジカル・ディスタンス」「ソーシャル・コネクテッド」の世界やね。

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おかいつカルトQ

2歳2か月になる娘のために、プレゼントを買った。

「おかあさんといっしょ 最新ソングブック あさペラ!」のBlu-rayと、「おかあさんといっしょスペシャル60セレクション」という3枚組のCDである。

前者は、昨年度に放送された「月の歌」を中心に収録したMV集である。後者は、「おかあさんといっしょ」60周年を記念して、これまでの歌を当時の音源から集めたベスト盤。坂田おさむ(7代目)神崎ゆう子(16代目)コンビ以降の歌を60曲収録している。

娘のため、といいながら、実は自分のために買ったのである。そう、すっかり「おかあさんといっしょ」の歌の数々に、ハマってしまったのだ!

最悪、娘がハマらなくても、俺がハマればいいや、と思って買ったのである。

とくに60周年記念のCDのほうは、過去のおにいさん、おねえさんが歌った歌も入っているから、娘は食いつきが悪いんじゃないだろうか、と心配していたが、さにあらず。娘は喜んで聴いてくれた。

収められている60曲の歌のうち、多くはいまの「おかいつ」の中でも歌われているので、娘にとっては耳なじみの歌が多いのである。

びっくりするのは、1度くらいしか聴いたことのないような歌も、ちゃんと覚えていて、CDの音に合わせて歌っている。天才じゃないか!

このCDとBlu-rayのおかげで、父と娘の距離はぐっと縮まった。

僕は僕で、この3枚組のCDから、いろいろなことがわかっておもしろい。

「60周年記念」とうたいながら、実際には坂田おさむおにいさん以降の歌が収められている。やはり坂田おさむさんは、「おかいつ」の中興の祖なのだ。その後の「おかいつ」の名曲は、坂田おさむさんによって作られたものが多い。

あと、「この歌は、このおにいさん・おねえさんの時の「今月の歌」として歌われたのが初めてだったのか」という発見などもある。

もっとも、昨年からこの番組を見始めた僕はいってみれば青二才で、きっと、もう何十年も番組を見続けていて、とんでもなくマニアックな筋金入りの「おかいつ」ファンというのがいるのだろうと推測する。「どうでしょう藩士」のように。

で、思ったのだが、「おかいつカルトQ」というクイズ番組が作れるのではないだろうか。

たとえば、即席にこんなクイズを作ってみた。たぶんごくごく初級クラスの問題。

第1問 「おかあさんといっしょ」の「月の歌」を作曲していない人を、次の中から1つ選べ。

①さだまさし

②村下孝蔵

③細野晴臣

④坂本龍一

第2問 名曲「ぼよよん行進曲」を最初に歌ったおにいさん・おねえさんを、次の中から1つ選べ。

①速水けんたろう&茂森あゆみ

②杉田あきひろ&つのだりょうこ

③今井ゆうぞう&はいだしょうこ

④横山だいすけ&三谷たくみ

第3問 同じ声優の組み合わせとして正しいものを、下記の中から選べ。

a.ブンブン・イザトナルトブン

b.いなりやま・つね吉

c.ごじゃえもん

ア.のび太

イ.スネ夫

ウ.ルパン三世

①aーア、bーウ、cーイ

②aーイ、bーア、cーウ

③aーイ、bーウ、cーア

④aーウ、bーイ、cーア

以上3問。

どれも、インターネットを調べれば簡単にわかることばかりなので、正解は省略するが、マニアならば、もっとマニアックな問題をいくらでも作ることができるだろう。

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アレな新書タイトルのコーナー!

SNSなんぞをぼんやり眺めていると、たまにニュース配信サイトみたいなものの広告が出たりする。

ニュースというより、今をときめく経営者とか若手論客が、口角泡を飛ばして議論するような番組を中心に配信しているサイトである。

当然、有料のサイトなので、僕は無料部分の、ダイジェスト版みたいなものしか見ていないのだが、その短い時間、論客たちのやりとりを見るだけでも、何と言うか、ある種のキモチワルサを感じてしまう。

出演者が全員、男性だということがまず引っかかる。新進気鋭の論客とはいっても、ジェンダーバランスに配慮する姿勢を見せないという時点で、

「何がコロナ後の世界をアップデートするだよ!それ以前にお前らのジェンダー観がアップデートされていないんだよ!」

と言いたくなる。

で、男性たちだけで話をするからなのか、口調もなんとなく品がない。

僕が気になって仕方がなかったのは、議論の中で「食い物」という言葉が複数の論客から何度となく出てきたことである。

曰く、「食い物が安い」「食い物で人を釣る」など。

「食い物」って言葉、下品な感じがしない?僕だけかなあ。

その言葉に象徴されるように、言ってる内容は高尚なのかもしれないけれど、言い方に品のなさを感じるのである。僕はもうそれだけで、話の中身を受けつけなくなってしまう。

ま、言ってることもどっちみち大した内容ではないんだけどね。

ああいう人たちって、わざとああいう品のない感じの言葉を使うことによって、「俺たちは既成概念にとらわれていないんだ」ということをアピールしたいんじゃなかろうかと、つい勘ぐってしまう。

あと、自分の主張とか議論の流れをホワイトボードに書きながら説明したりするんだけど、その字がまたみんなすげえ汚いんだ。ケーシー高峰の板書か!とツッコミたくなるほどである。いや、ケーシー高峰はそれを芸の域まで高めていたが、彼らの板書は芸ではなく、ただただ汚いだけである。汚いのは字だけではない。謎の概念図を書いたりする人もいる。

あれも、わざと汚く書いて、聴衆を煙にまく作戦なのだろうか。

そこで僕は思いついた。新書のタイトルを、である。

『意識高い系の論客はなぜホワイトボードの字が汚いのか?』

というタイトルはどうだろう。意識高い系の論客の底の浅さを指摘する内容で…。あんまり売れそうなタイトルではないかな。

他に、これとは全然別の内容で、

『老人はなぜ陰謀論にハマりやすいのか?』

という新書のタイトルを思いついたんだが、こっちのほうが売れそうかな。

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焼け石に水

6月5日(金)

昨日ようやく、締め切りを大幅に遅れて職業的文章を一つ提出したのであるが、こんなの、「焼け石に水」である。

同様に、締め切りを大幅に過ぎてまだ手つかずの職業的文章が、ほかにいくつもあるのだ。

そればかりではない。週明けに締め切りの原稿、再来週に締め切りの原稿、この二つは絶対に遅れてはならないのに、二つともまだ手つかずである。どうにも書く気が起こらなくて、というか荷が重い原稿なので、先送りにしていた結果、結局、ぎりぎりになって慌てることになる。

こんなことの繰り返しだ。

むかしは締め切りを守っていたのに、いまは締め切りに間に合わそうという気すら起こらない。若いころは迷うことなく突き進んでいたのに、年を取っていろいろと迷いが生じてきたことが大きいのだと思う。「四十にして惑わず」なんて嘘っぱちだ。

僕の業界には、原稿を書くのが速い人、すなわち多作の人がいる。なかには、原稿の正式な依頼状が届く前に(つまり、内諾してすぐに)原稿を提出しちゃう、という人もいるのだ。これには驚きである。

そういう人は、編集者にとっては便利だから、さらに原稿が依頼される。そしてそれもこなしちゃうものだから、あたかも売れっ子であるかのように世間的には思われるのである。

あるタレントが、「テレビに出続けるためには、ファンがいるとかいないとかはどうでもいい。スタッフに気に入られることが大事だ」と言っていたが、それと同様に、「原稿を取りっぱぐれない人」がこの業界では「売れてる人」なのである。

そこからすると、僕は落第生である。昨日なんとか仕上げたという原稿も、もう全然書けずに長い間苦しんだ。

一度は書き始めてみたものの、どうもうまくいかない、と思い、ほったらかしにしておいたら、締め切りをだいぶ過ぎたころ、原稿をとりまとめる人から、

「どうなりました?」

と聞かれたので、

「落とすかも知れません(落とす、とは、脱落する、という意味)」

と答えると、

「それは困ります。あなたが書いてくれないと。とにかく待ちますから」

「はぁ」

と、結局、逃れられなくなった。

で、内容を方針転換しよう書き始め、以前に書いたものを大幅に削除して別の内容で書き始めたのだが、これもなかなかうまくいかない。

「やっぱり当初の方針に戻そう」

と思い直し、いったん削除した文章を戻し、そこに方針転換した内容も交えて、なんとか完成にこぎ着けたのである。

もっともこれは、自分が「完成した」と思い込んでいるだけで、他人が読んだら「なんだこれ?」ということにもなりかねない。ボツになったらなったで、仕方がない。

昨年末くらいだったか、別の職業的文章を提出したときに、

「うーむ。これはどう見ても、ボツだな」

と自分でも思っていたのだが、つい先ごろ、とりまとめた人から連絡が来て、軽微な修正で問題ないとの結果が出たとのことで、逆に大丈夫かよ!と心配してしまった。

自分にとって、明らかにダメな文章、不本意な文章が、他人が読んだらそうでもなかったり、逆に自信を持って書いた文章がこっぴどく批判されたり、ということは、よくあることで、いまだにそのあたりの按配が、自分でもよくわからない。

間違いなく言えることは、どんな文章も、迷いながら書いている、ということなのである。だからとても疲れる。

文章を迷いなく書いている人がうらやましいと思う反面、迷いなく書いていて大丈夫なのだろうかと、心配したりもする。

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久しぶりの登園

6月3日(水)

2歳2か月になる娘が、久しぶりに保育園に行った。

といっても、保育園が完全に再開したわけではない。6月末までは登園自粛の状態が続いているのだが、こっちも仕事が徐々に再開し始めているから、今月から、週に2回程度は、保育園に預けることにしたのである。

2か月くらい通わないでいると、保育園お友だちのことを忘れてしまうのかと思ったら、案外そうでもないらしい。保育園の連絡帳によれば、娘が久しぶりに登園したので、同じ組の友だちは、久しぶりの再会ということでテンションが上がったらしい。どうやら人気者である。

関西弁で「愛想いい」、東京の言葉だと「愛嬌がある」とでも言おうか。父母ともに愛想が悪くて友だちがいないのに、いったい誰の血を受け継いだのだろう。

保育園に預けると、精神的にずいぶんと楽になる。いままで全然書けなかった原稿、そろそろ、どころではなく、もう鼻先に締め切りが迫っていルものがいくつもある(もちろん締め切りが過ぎたものもいくつもある) ので、後ろから拳銃を突きつけられている状況である。それを少しでも進めなければならない。

少しだけ進んだが、焼け石に水である。今週中にアレとアレをなんとかせねば。うーむ、困った。

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東京アラートが発動された日

6月2日(火)

実に久しぶりに、職場に出勤した!

久しぶりに出勤すると、身体が慣れていないのか、職場に着いたとたん脂汗をかいて、めまいがしたのだが、午後になるにつれて体調は持ち直した。

午前中は、僕が議長をつとめる会議で、今月もまたzoom会議である。「会議と○○は短い方がいい」というのが僕のモットーで、今回は40分ほどで終了した。

それから、こまごまとした案件をいくつか対応しているうちに、あっという間に夕方になってしまった。

職場は、思っていたより多くの人たちが出勤していた。ほぼ2か月ぶりに出勤した僕としては、月並みな言い方だが「浦島太郎」状態である。

家に着いたらどっと疲れた。

そしたらあーた、久しぶりに出勤したその日に、東京は感染者数がまた増加したとかで、「東京アラート」が発動されたというではないか。…ところで「東京アラート」って何?東京駅で売っている甘いお菓子のことかと思った。

…という軽口はさておき。

僕はいつも不思議に思っていることがあるのだが。

僕はよく、「企画もの」とか「シリーズもの」といった本で、大勢の執筆者のうちの一人として、決められたテーマで原稿を書かされることがある。

そういう原稿って、自分で書いていて、そうとうつまんないんだよね。だって書いている本人が、

(こんな文章、誰が読むんだよ!)

と思いながら書いているんだもん。

それでも、こっちはプロだから、一応それなりの原稿を仕上げるのである。

(企画はアレだし、本のデザインもいまひとつだし、その割には値段も決して安くはないし、こんな本買う人いるのかなあ)

と思っていると、それが売れて重版出来!となったりする。なかには3刷とか。

僕は、自分が本当におもしろいと思って労力をかけて作った本は、いままで一度も重版になったことがないが、逆に、人に頼まれて、その他大勢の1人として義務的に書かされた「企画もの」は、重版になる確率がかなり高いのである。

つまり、僕がいままで書いた原稿の中で売れているのが、そのたぐいの本ばかりなのだ。

これはいったいどういうことだ?

出版社の戦略があたったということか?いや、それにしては全体にそうとう地味な内容だぞ。

それとも、僕以外の執筆者が、とても魅力的な人たちばかりで、そのネームバリューに惹かれて買うとか?

目次を見直してみると、僕を使うくらいだから推して知るべしということで「うーん」と唸ってしまうのだが、それはあくまで僕の感覚であり、読者の感じ入るところとは異なるのだろう。

どうして自分がおもしろいと思って苦労して作った本が売れずに、人に言われて書いた、さほど斬新ではない職業的文章の方が読まれるのだろう?人の敷いたレールの上で書いた文章の方が読まれるのだから、自分のセンスの悪さを恨むばかりである。

ま、それでも、誰かの役には立っているのだろうと、思い直し、与えられた仕事を誠実に取り組むことにしている。

ただこうした経験から僕が確信したことは、

「売れる本が、いい本であるとは限らない。かといって、売れない本がいい本であるとも限らないのだが、それでも、売れない本の中にいい本がある可能性をつぶしてはいけない」

ということなのだ。一読者としての僕は、売れる本には疑うことから始めることにしている。

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