焼け石に水
6月5日(金)
昨日ようやく、締め切りを大幅に遅れて職業的文章を一つ提出したのであるが、こんなの、「焼け石に水」である。
同様に、締め切りを大幅に過ぎてまだ手つかずの職業的文章が、ほかにいくつもあるのだ。
そればかりではない。週明けに締め切りの原稿、再来週に締め切りの原稿、この二つは絶対に遅れてはならないのに、二つともまだ手つかずである。どうにも書く気が起こらなくて、というか荷が重い原稿なので、先送りにしていた結果、結局、ぎりぎりになって慌てることになる。
こんなことの繰り返しだ。
むかしは締め切りを守っていたのに、いまは締め切りに間に合わそうという気すら起こらない。若いころは迷うことなく突き進んでいたのに、年を取っていろいろと迷いが生じてきたことが大きいのだと思う。「四十にして惑わず」なんて嘘っぱちだ。
僕の業界には、原稿を書くのが速い人、すなわち多作の人がいる。なかには、原稿の正式な依頼状が届く前に(つまり、内諾してすぐに)原稿を提出しちゃう、という人もいるのだ。これには驚きである。
そういう人は、編集者にとっては便利だから、さらに原稿が依頼される。そしてそれもこなしちゃうものだから、あたかも売れっ子であるかのように世間的には思われるのである。
あるタレントが、「テレビに出続けるためには、ファンがいるとかいないとかはどうでもいい。スタッフに気に入られることが大事だ」と言っていたが、それと同様に、「原稿を取りっぱぐれない人」がこの業界では「売れてる人」なのである。
そこからすると、僕は落第生である。昨日なんとか仕上げたという原稿も、もう全然書けずに長い間苦しんだ。
一度は書き始めてみたものの、どうもうまくいかない、と思い、ほったらかしにしておいたら、締め切りをだいぶ過ぎたころ、原稿をとりまとめる人から、
「どうなりました?」
と聞かれたので、
「落とすかも知れません(落とす、とは、脱落する、という意味)」
と答えると、
「それは困ります。あなたが書いてくれないと。とにかく待ちますから」
「はぁ」
と、結局、逃れられなくなった。
で、内容を方針転換しよう書き始め、以前に書いたものを大幅に削除して別の内容で書き始めたのだが、これもなかなかうまくいかない。
「やっぱり当初の方針に戻そう」
と思い直し、いったん削除した文章を戻し、そこに方針転換した内容も交えて、なんとか完成にこぎ着けたのである。
もっともこれは、自分が「完成した」と思い込んでいるだけで、他人が読んだら「なんだこれ?」ということにもなりかねない。ボツになったらなったで、仕方がない。
昨年末くらいだったか、別の職業的文章を提出したときに、
「うーむ。これはどう見ても、ボツだな」
と自分でも思っていたのだが、つい先ごろ、とりまとめた人から連絡が来て、軽微な修正で問題ないとの結果が出たとのことで、逆に大丈夫かよ!と心配してしまった。
自分にとって、明らかにダメな文章、不本意な文章が、他人が読んだらそうでもなかったり、逆に自信を持って書いた文章がこっぴどく批判されたり、ということは、よくあることで、いまだにそのあたりの按配が、自分でもよくわからない。
間違いなく言えることは、どんな文章も、迷いながら書いている、ということなのである。だからとても疲れる。
文章を迷いなく書いている人がうらやましいと思う反面、迷いなく書いていて大丈夫なのだろうかと、心配したりもする。
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