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おかえり、笠井さん

6月30日(火)

笠井さんの声は、想像していたよりはるかに明るかった。今日の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」でのことである。

アナウンサーの笠井信輔さんは、2019年9月末にフジテレビを退社し、フリーランスとなったが、その2か月後に「悪性リンパ腫、ステージ4」と診断され、4か月以上にわたる過酷な抗がん剤治療を終え、復帰した。

僕はとりたてて笠井さんのファンというわけではないのだが、2018年5月に、大林宣彦監督にインタビューしたときに、大林監督がふと、笠井さんのことをお話になったことがきっかけで、笠井さんに親近感を持つようになった。

なぜ、笠井さんのお話が出たかというと、東日本大震災のときに笠井さんが取材に行った話を聞いて、その取材姿勢がとてもすばらしかった、と、大林監督が絶賛したのである。

もともと笠井さんは無類の映画好きで、大林監督のファンでもあったそうだ。トークショーで一緒になることが何度もあり、大林監督も、笠井さんに信頼を寄せていたのだろう。それで僕も、笠井さんに対して勝手に親近感を抱くようになった。

その後、笠井さんが病魔に襲われたというニュースを聞いたものだから、僕はかなりショックを受けた。

しかし、今日のラジオから聞こえてくる笠井さんの声は、明るかった。おそらく想像を絶する辛い治療だったと思うのだが、それを持ち前の楽天的な性格で乗り越えることができたのではないか、と思わせるほどのお話しぶりだった。

大林監督も、がんを患ってから、徹頭徹尾、楽天的だった。

先のインタビューの中で、大林監督は、ある女優のお話しをされた。その女優は、がんを患い、余命を宣告され、あるドラマに出演した後、亡くなった。あの人が亡くなったのは、「この作品だけはやり遂げたい」と言ってしまったからだ、「この作品はもちろん、あと30作品くらいは女優として生きていたい」と言えば、いまも生きていたはずだ。がんと共に生きるってことは、そういうことなんだよ、と。

僕は笠井さんの声を聴きながら、大林監督のそのお話しを、思い出したのであった。

聴きながら、さらにいろんなことを思い出した。

僕が3年前の夏に大病を患ったあと、なんとか復帰して、最初の出張先に選んだのは、その年の10月の「前の勤務地」の映像イベントだった。あのときは肉体的にとても辛かったが、おもしろいイベントになり、無理をしてでも出張して本当によかったと思った。その月は、このほかに遠方の出張が3件ほどあり、このブログでもそれとなく書いたが、いずれも肉体的にかなり辛かった。でもこれまでお世話になった人への恩返しみたいな出張だったので、行ってよかったと思った。

僕は残念ながら楽天的な性格ではない。笠井さんの声を聴いて、僕ももう少し楽天的に生きないとな、と思い直した。

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