オンラインライブ
6月7日(日)
とくに何も書くことがない。相変わらず、職業的文章が書けずにこの週末も終わってしまった。いよいよやばい。
最近、いろいろな有名人がYouTubeで動画配信をするので、空いた時間はついチャンネル登録している番組を観てしまう。もういい加減観るのはやめた方がいいな。
そんな中、ミュージシャンをやっている、高校時代の2学年下の後輩が、ライブ配信をするということをSNSで知り、ちょうどそれを知った時間がライブ配信をしている真っ最中だったので、観てみることにした。
そのライブは、小さなバーみたいなお店で行われていて、演奏者は、その後輩と、もう一人の、合計2人という、こぢんまりした編成だった。画面で見る限り、お客さんが一人いた。当初、ちょっと機材のアクシデントみたいなことがあったのだが、後半くらいに持ち直したようだった。
僕はびっくりしたのだが、そのライブ配信映像は、とても画質がよく、また音もクリアだったので、あたかもライブ会場にいるような感覚になった。つまりタブレットを観ていて全然ストレスを感じなかったのである。
その後輩は、こんな状況下で仕方なく始めたオンラインライブに慣れているはずもないと思うのだが、それでも、あれくらいのクオリティーのライブ配信ができるのか、と感動したのである。
ライブ会場で聴いていた一人のお客さんというのは、どこかで見た顔だなあと思ったのだが、よくその後輩のSNSにコメントを寄せてくる人で、後輩のバンドの熱烈なファンらしい。よく写真をアップしていて、お顔をよくみていたので、ああ、あの人か、とわかったのである。一面識もないのに、なぜか昔からの知り合いのように感じてしまうから不思議である。
その後輩は、日常的には散歩が趣味で、行った先の写真をSNSにアップしているのだが、そこに載せている写真が僕の琴線に触れるものが多く、しばしばコメントでやりとりをしたり、あるいは当人同士だけでやりとりできるツールでマニアックな情報交換をしたりと、ごくたまにではあるが、そんなことをしている。
こうなるともう、わざわざ会う必要はないね。ライブを観たり、散歩で出くわしたけったいなものについてSNS上で情報交換したりするできるのだから、以前にたまーに会っていた頃よりもむしろ「密」な関係になっている。まさに「フィジカル・ディスタンス」「ソーシャル・コネクテッド」の世界やね。
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コメント
月が改まって、こちらの職場でもオンラインが始まった。とはいえ、ギガ死を避けるために、オンデマンド・課題型である。
それでも、こちらもテレビ会議のやり方をマスターしたのだから、最初の顔見世は生配信でやってみよう。
視聴者限定ながら、うれし・はずかし・顔出しのユーチューバー本格デビューのようなものである。
(正確にはアフリカTVのBJデビューか。まあ、わからないでよろしい)
ところが、時間になってビデオ会議を開始すると、見えるはずの顔が全く見えない。それどころか、最初は見えていた顔も、次々に消されてしまうではないか。
これでは顔見世にならない。
ともかく名簿順に呼びかけると、一人一人、声の応答はある。全国各地から参加しているらしく、ラジオのワイド番組で、リスナーの生電話をリレーでつないでいるようだ。
本格的なオンラインとは本格的な「個人テレビ放送」ではなく、本格的な「見えるラジオ」なのであった。
ラジオリスナーに近況を聞いた後は、こちらがしゃべるばかりで、まったく反応が分からない。こちらのへの質問もムンチャ(チャット)のみ。KBSのクールFMかよ。
笑い屋とか放送作家とかが目の前にいないと対話にならないし、ハガキかFAXの紹介もしないと間が持たない。リクエスト曲も流そうか。足りないことばかりである。
しかし、せっかくユーチューバー気取りなのだから、小物をカメラに映すときに、手のひらを開いて突き出す、あの仕草をやってみた。
職場の大掃除で発掘されたOQさんの写真を見せようと、ユーチューバーあこがれの仕草でカメラレンズの前に突き出したら、なんと透けて映らない。
どうやら、自分の背景に写真を映す設定だと、平らなものは顔ではなく壁だと判断されて、クロマキー処理されてしまうようだ。
まあ、写真が写真だけに、しょうがないや。
投稿: 透けるこぶぎ | 2020年6月 9日 (火) 23時08分