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2020年7月

地震・水害・感染症

7月30日(木)

車で1時間半かけて病院に行く日である。

朝、自宅を出ようとすると、スマホの緊急地震速報がけたたましく鳴り響いた。

(これは大きな地震かな…)

と身構えたが、揺れが全くなかった。

ホッとして、車で1時間半かけて病院に出かけた。

病院に着くと、中の待合スペースではかなりの人々が密集している。

そればかりではない。総合受付にいる医療事務の人や、その奥でさまざまな作業をしている看護師さんのところを見ると、やはりかなりの人々が密集している。

(こりゃあ、ソーシャルディスタンスどころではないな…)

これだけの患者に対応しなくてはいけないので、仕方がないのだろう。

長時間待ったあげく、診察自体は数分で終了した。

さて、昨日は、「前の勤務地」「前の前の勤務地」のあたりが、大雨の影響で未曾有の水害に見舞われた。

「前の勤務地」時代の仲間たちが、被害の状況について、昨日から猛烈な勢いで情報交換を進めている。

僕も、昨年12月に訪れた場所のことが気になって、そのときにお世話になった方に連絡をとってみたりした。

「前の勤務地」だけでなく、その隣の県も、未曾有の水害に見舞われた。僕が長年お世話になっている事務所の方に連絡をとり、当地の状況と、近況をうかがったりした。

どちらもまた訪れたい場所なのだが、感染症の影響でおいそれと訪れるわけにも行かないのが、歯がゆくて仕方がない。

この日、都内の感染者数は367人と、これまでで最多になり、全国の感染者数も1200人を超えた。

明日は、最速の新幹線で2時間15分ほどかかる県から出張に来られる方と都内で打ち合わせの予定だったが、昨日からの感染拡大の状況に鑑み、明日の出張は見合わせるとの連絡があった。

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千本おばけ

7月28日(火)

昨日、今日と、オニのように忙しくて、帰宅したのが夜9時前。

娘はとっくにお風呂に入って、すでにパジャマに着替えているのだが、僕が帰宅して、お風呂に入ろうとすると、

「一緒に入る!」

といって、パジャマを脱いでスッポンポンになって、もういっぺん、お風呂に入ってくれた。

(うーむ、やっぱりパパとお風呂に入るのが楽しいんだな)

と悦に入ったのだが、今日、帰宅すると、

「パパとお風呂入る?」

「入らない」

「入らないの?」

「パパどーぞ」

と塩対応。

たんに気分の問題だったんだな。

それはともかく。

昨日のお風呂で、やたらと歌っていたのが、「おばけなんてないさ」という歌。

「おばけなんてないさ

おばけなんてうそさ

ねぼけたひとが

みまちがえたのさ

だけどちょっとだけどちょっと

ぼくだってこわいな

おばけなんてないさ

おばけなんてうそさ」

これを繰り返し繰り返し口を大きく開けて歌うのである。というか一緒に歌わされるのだ。

どうも最近はこの歌がブームらしい。数日前までは「だんご三兄弟」だったのだが。

で、今日は一緒にお風呂には入らなかったのだが、僕がお風呂から出たら、またしても「おばけなんてないさ」地獄である。

「おばけなんてないさ

おばけなんてうそさ

ねぼけたひとが

みまちがえたのさ

だけどちょっとだけどちょっと

ぼくだってこわいな

おばけなんてないさ

おばけなんてうそさ~」

おしま~い、と思ったら、

「もっか~い」

と言って、また最初から一緒に歌わされる。

「おばけなんてないさ

おばけなんてうそさ

ねぼけたひとが

みまちがえたのさ

だけどちょっとだけどちょっと

ぼくだってこわいな

おばけなんてないさ

おばけなんてうそさ」

「もっか~い」

「おばけなんてないさ

おばけなんてうそさ

ねぼけたひとが

みまちがえたのさ

だけどちょっとだけどちょっと

ぼくだってこわいな

おばけなんてないさ

おばけなんてうそさ」

「もっか~い」

「おばけなんて…」

これが延々と続く。

まるで鬼コーチの千本ノックのごとくである。しかも、口を大きく開けて歌わないと怒られるのである。

ま、こっちも、くたびれるまで歌わせて、早く寝かしつけようという一心で、何度も歌うのだが、逆にこっちが疲れて眠たくなってしまう。

今日のTBSラジオ「たまむすび」で町山智浩さんが、「子どもは2歳の頃がいちばんたいへん」と言っていたが、そのことをいま、実感している。

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リモート三昧

東京サンシャインボーイズの昔の傑作舞台「ショー・マスト・ゴー・オン」の中で、女役を演じる男優と新人脚本家による、こんなやりとりがあった。

「先生よ~。今度俺のためにホン書いてくれよ」

「たとえばどんなのがいいんです?」

「『おんなねずみ小僧』みたいなやつ。たとえば、『おんな旗本退屈男』とか」

「『おんな旗本退屈男』って、女なんですか、男なんですか?」

「じゃあ、『おんな八百屋お七』ってのはどうです?」

「『八百屋お七』ってのはもともと女なんじゃないですか?」

みたいなやりとり。

これになぞらえれば、「オンラインオフ会」って、オンなのかオフなのかよくわからないが、我ながらよい命名である。

4連休のうちの前半2日は、リモート三昧だった。

23日(木)は、オンライン研究会だった。オンライン研究会自体は、2回目の体験である。

実際にやってみると、対面で行うのと、ほとんど大差がないことに気づく。スライドなんかも、画面共有すれば鮮明に見られるので、対面の研究会よりもむしろ見やすい。

なにより、会場を確保したり、配付資料を人数分用意したり、みたいな面倒くさい準備も不要なのでかえって楽である。

24日(金)も、オンライン会議やらオンライン打ち合わせやらオンラインオフ会やらで、ほぼ丸一日、リモート漬けだった。

オンライン会議は、わざわざ重い荷物を持って都内に出向いて…みたいな面倒なプロセスが必要ないし、対面とほぼ変わらない意見交換ができるので、もうリモートでいいんじゃねえの?という思いを強くする。

オンラインオフ会も、長距離を移動して会いに行く、というプロセスは楽しめないものの、考え方を変えれば移動の負担を考えずに会うことができるので、やはりこれも新鮮な体験だった。

お笑いタレントの事務所であるASH&Dコーポレーションというところに所属する「阿佐ヶ谷姉妹」「ザ・ギース」「ラブレターズ」という3組のお笑い芸人が、YouTubeで「東京リモートコントメン」というコントライブを配信していたので、見てみたのだが、これがなかなか面白かった。

ASH&Dコーポレーションって、もともと大竹まこと、斉木しげる、きたろうの「シティーボーイズ」が所属する事務所だったのだが、今では芸人やタレントの数も増えて、とくにコントに強い芸能事務所といったイメージを築きつつある。

僕がこのライブを面白いと思ったところは、今までのような劇場の舞台でやるコントをそのまま配信する、というのではなく、設定をそもそもリモートにする、という点だった。

「ラブレターズ」は、コロナ禍で卒業式ができなかった学校が、リモートで卒業式をやることになった、という設定で、画面上では校長先生と答辞を読む生徒との間でボケとツッコミが繰り広げられる、というコントであった。

「ザ・ギース」は、やはりコロナ禍で直接不動産屋さんに行けないお客さんが、オンラインを通じて不動産屋さんに部屋探しを相談する、という設定で、やはりオンライン上の画面でボケとツッコミが繰り広げられる。

つまり、リモートそのものを設定としたコントなのである。うーむ、わかりにくかったかな。説明が下手ですみません。

とにかく、リモートという制約の中で、コントのあり方も変わってくるのだな、ということが実感できるようなライブだった。

そう考えれば、会議だって研究会だって飲み会だって、リモートの可能性をもっと追求すれば、面白くなるのかもしれない、と僕は強く思ったのである。

そう、僕たちは変わらなければいけないのだ。

だがしかし、一方で「変わりたくない」という考えの人が大勢いることも、また事実である。

対面で話した方が、誤解も生じないし、信頼関係も生まれるのだ、だから俺はリモートなんて信用できない、という意見ももっともなのだが、話の通じない人は、対面であろうとリモートであろうと、話の通じない人であることには変わりない、ということもまた事実である。

容易には結論の出ない問題だけれど、もう少しリモートの力を信じてみよう、リモートでできることはリモートでいいんじゃね?というのが、この二日間のリモート三昧での結論である。

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カオスを呼ぶ人

7月22日(水)

いままでの人生の中で、「カオス」を呼び込むタイプの人を、何人か目の当たりにしてきた。

仕事をやっていくうちに、どんどんとカオスに巻き込まれていく人、といったらよいか。あるいは、その人の個性が引き起こしている事態なのかもしれない。

いまやっている、あるプロジェクトが、なかなかカオスになりつつある。

そのプロジェクトの代表者は、とてつもなく壮大な計画を立てて、その計画を実行するために、多くの優秀なメンバーを集めて、アイデアを出し合ってもらうことにした。

優秀なメンバーばかりだから、どんどんとアイデアが出てきて、壮大な計画は、さらに微に入り細を穿ち、複雑で手間のかかる作業を伴うようになっていく。

優秀なメンバーたちは、一方で、自己主張が強い。このプロジェクトを成功させるには、絶対にこのことが必要だ、とか、あれをやった方がよい、とか、いろいろな意見を代表者に言ってくる。

そのたびにその代表者は、人がいいもんだから、できるだけ意見と組み入れて、当初の計画をさらに複雑なものにしていく。

「船頭多くしてなんとやら」である。

これだけ複雑で壮大な(無謀な?)計画が、はたして実行可能なのか、このプロジェクトの末端にいる僕としても、いまからひやひやしているのである。

代表者は、それだけでなく、それ以外の仕事でも、いろいろと突発的なアクシデントに巻き込まれたりして、そのたびにそれにかかりっきりになって、泥沼にはまってしまう。

いやいやいや、そんなことなんか横に置いといて、いま大事なのは、プロジェクトのほうでしょう!と言いたいところなのだが、やはり性分なのだろう。というか、常に目の前のカオスと闘っているのだ。

で、そういったことについて悩んでいるのかと思ったら、そうでもなく、プロジェクトの壮大な計画の変更がいかに大変だったか、とか、巻き込まれたアクシデントがいかに面倒なことだったかを嬉々として僕に話すと、大笑いして帰っていくのである。もちろん僕も、大笑いする。

…と、ここまでの説明、わかりにくかったかな?周りにこういう人がいれば、わかってくれると思うのだが。

こういうタイプの人、以前にも僕の近くにいたなあと記憶をたどったら、「前の前の職場」の同僚だった、OQさんという人だった。もう亡くなって14年になるんだね。

OQさんについては、このブログで何度もふれているので、気になる方は過去にさかのぼって読んでほしい。

同じ同僚だった方が、OQさんについて、こんな思い出を語っている。毎年韓国に学生を引率していたOQさんについての思い出である。

「旅行案を練っている時のOQ先生は、実に嬉しそうでした。まず、インターネットから見学先の情報を編集して分厚いしおりを作り、そのしおりを私に見せてくれます。この段階ですでに緻密な旅程が組まれているのですが、それから旅程が変わるたびにしおりを改訂、旅程を変更したいとや苦心の跡を事細かに説明して、終わると満足して戻ってゆかれました。これがなんと五~六回続くのですから、私の仕事部屋にしおりの改訂版が山積みに、なんてことも。改訂が進むほどに旅程がさらに緻密に、実現不可能になっていくようでした」(一部改変)

もちろん僕も、この場面に立ち会っていた者の一人なので、このときの様子をありありと思い出すことができる。

いま僕が直面していることは、これとまったく同じことだ、と思った。「旅行案」を「プロジェクトの計画」に置き換えれば、いま私が体験していることそのままである。

そして僕は気づいたのだ。

壮大で緻密な計画を立てれば立てるほど、カオスの世界にはまっていく人、しかしそれを厭わずに、嬉々として語る人。

僕はそういう人を傍で見つめながら、その人のもつ価値観に影響を受けてきたのだ、と。

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オンラインコミュニケーション

7月19日(日)

午後、オンラインの会議である。気が重い。

会議の趣旨は、僕の書いたものに対し、複数の人がコメントを言う、というもので、早い話が僕の文章にダメ出しをする会である。

以前に、あらかじめ各人のコメントを書面でもらったことがあって、その中には、お会いしたことのない方も何人か含まれていた。

要はそのコメントにもとづいて、僕の書いたものを修正するわけだが、お一人、お会いしたことのない方のコメントが、かなりキツい調子で書かれていた。

(何もそんな書き方をしなくてもよいのに…)

と落ち込んで、しばらく自分の文章を修正する気になれなかったほどである。

それでも気持ちを切り替えてなんとか修正をして提出した。

で、今度は、実際にオンライン会議をして各人のコメントを聴くことになったのである。

あらかじめ出席者の名前をみたところ、かなりキツいコメントを書いた方が出席することになっているようで、

(また、強い調子でダメ出しされるのだろうか…)

と戦々恐々としていた。

さて、その方に、オンライン会議で初めてお会いしたことになったのだが、僕が想像していたよりも、はるかに言葉に気をつけながら発言されていた。

もちろん、その方の主張は一貫したものだし、言葉の端々に、その方の「偏屈さ」みたいなものが垣間見られたのだが、結果的に書面に書かれていたことと同じようなコメントであったとしても、実際にお話をうかがったほうが、

(なるほど、この方がおっしゃっていたことは、そういうことだったのか…)

と、はるかに納得がいったのである。

もっとも、だからといって、その方のダメ出しに応えられるような修正を、僕自身ができるかどうかはわからないのだが。

メールや書面よりもオンライン、オンラインよりも対面、のほうが、コミュニケーションの手段として優れているというのは、ある意味で真実であろう。

しかしそれでは、いつまでたっても「働き方改革」なんてできないなあ、とも思ってしまい、悩ましいところである。

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マンガの監修をしました!

僕が監修したマンガがようやく公刊されました!

…といっても市販してはおりません。

僕が数年前からお仕事させていただいている「光の国の姉妹都市」で、地元の若い人たちにもっと町のことを知ってもらおうと、マンガの小冊子を作ることになり、僕がその監修を仰せつかったのだ!

マンガを描いたのは、地元のマンガ専門学校の学生さんたち。一人が描いたのではなく、できるだけたくさんの学生さんにチャンスを与えようという配慮なのか、1ページごとに違う人が描いている。だから1ページごとに画風が異なるという、これまた味わい深い作品に仕上がっているのだ。

オールカラーだが、ホッチキスで簡易に製本してあり、ほとんど同人誌の趣であるが、コンパクトで、おそらく無料配布されるのだろうから、その町を知るには重宝すること請け合いである。

そういえば、いまから15年ほど前だったか。

ある仕事で知り合った同業者が、その仕事の合間に、

「いま、『仁』というマンガの監修をしてるんですよ。みなさん知らないと思いますけど、面白いマンガなんで、だまされたと思ってまあ読んでみてください」

と言っていて、そのときは、

(『仁』…知らんなあ)

と思いながら、とりあえず最初の数巻を読んでみたら、これがまあ面白かった。

そしたらあーた、その数年後にドラマ化されて、大人気になったじゃあ〜りませんか!

それだけでなく、韓国でもリメイクされていたぞ!

それからというもの、

(うーむ。俺もマンガの監修をしてみたい)

と思ったものだが、このたびついに、その夢が叶ったのである!

フュージョンバンドを結成してライブをしたり映画の推薦文を書いたり映画のトークショーに出たり、マンガの監修をしたりと、僕の夢だったことがどんどん叶えられてゆく。

めざすはみうらじゅん先生である。

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人類の一大叙事詩

7月14日(火)

隔離生活、2冊目の本は、小松左京『復活の日』(角川文庫、初出1964年)である。

深作欣二監督の角川映画は何度となく見ていたのだが、原作の小説をちゃんと読むのは、たぶんこれが初めてである。

原作を読んでわかったことは、僕が見ていたあの映画は、残念ながらまったく原作小説の足下にも及んでいなかった、ということである。ひょっとしたら、あの映画を作った人たちは、原作小説の本質をまるで理解していなかったのではないだろうか、とさえ思えてくる。

ちょっと言い過ぎたかも知れない。しかしあの映画が、原作小説のごく一部、それもあまり本質的ではないと思われる部分を強調して描いているような気がしてならないのだ。

『復活の日』を『シン・ゴジラ』みたいなテイストでリメイクしてくれないかなあ、と、なんとなく思った。

まあそれはともかく、この小説は、人類の一大叙事詩ともいうべき小説である。そしてこの小説もまた、生半可な知識では書けないし、読者も生半可な知識ではついて行くことができない。そして原作のもつあの格調の高さは、やはり映画では描ききれなかったのである。

そしてまた、この小説は予言の書でもある。新型コロナウィルスの感染拡大の現状を予言している、ということはもちろんなのだが、僕が注目したのは、この小説で描かれている、アメリカと、アメリカ大統領についてである。

この小説には、前大統領と、その次の現大統領という、二人の大統領が登場する。その描き方が対照的である。

まず小説では、現大統領が登場する。その一節。

「『ジョージ……すまないが、その話はあとできかせてくれ。緊急電話だ』

テレビ電話を切って、かかってきた電話を耳にあてると、大統領の表情がみるみるけわしくなった。『なんだって!--そんなバカなことが許せるか!』と大統領はどなった。『すぐ州知事を呼びたまえ!--今いなければ、かえったらすぐ!そんなことは絶対ゆるさんと、秘書にいえ。場合によれば軍隊を出動させる、とな』

ガチャリと電話をたたきつけると、大統領は苦虫をかみつぶしそうにいった。

『アラバマで黒人の暴動がおこりかけている』

『なぜ?』と財務長官。

『州政府が、ワクチン接種の差別をしたというんだ。--州兵が出動して、保健所の前から黒人を追っ払い、発泡した』

『絶対量がたらないんですよ』と国防長官がいった。

『かといって、黒人を差別することはゆるさん』」

この場面、新型コロナウィルス感染のさなかに、黒人に対する差別の問題が起こり、市民運動が起こっているいまの現実を、予言しているようにも思える。もっとも、小説の中の大統領はリベラルだが、現実世界の現大統領は、それとは正反対である。

さて小説の中では、その前任の大統領について言及している場面がある。

「『まったくバカげたことだ。そして、このバカげたことの原因は、アメリカはじまって以来の、バカげた大統領--シルヴァーランドによってつくられたものだ……』

『前大統領の……』吉住はつぶやいた。

『そう--あいつは……ほとんど考えられないくらいの極右反動で、まるできちがいじみた男だった。南部の大資本家と称するギャングどもの手先で……二十世紀アメリカのアッチラ大王だった。憎悪、孤立、頑迷、無智、傲慢、貪欲--こういった中世の宗教裁判官のような獣的な心情を、”勇気”や、”正義”と思いこんでいた男だ。世界史の見通しなど全然なく、六年前にはもう一度”アカ”の国々と大戦争をおっぱじめるつもりだった。--なぜ、こんな男を、アメリカ国民がえらんでしまったのか、いまだにわからない。私は軍人ではあるが、あの時ばかりは、アメリカの後進性に絶望した…』」

これって、明らかに現実世界のいまのアメリカ大統領のことだよね!

半世紀以上も前に、小松左京はトランプ大統領の出現を予言していたのだ!

そしてコロナ禍で顕在化した人種差別も!

以前にも書いたが、小松左京こそが現代の予言者である。いまこそ、彼の言葉に耳を傾けなければならない。

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俺のための小説

7月13日(月)

3日間の隔離生活。浮世のことはあまり考えないことにして、小説を読むことにした。

1冊目は、僕の高校時代の1年下の後輩である小説家が書いた「シリーズもの」の最新作である。

もうこのシリーズ、11冊も出ている。僕はそのほとんどすべてを読んでいる。

僕はその後輩とは直接の面識がないのだが、僕の親しい後輩の高校時代の親友にあたり、その親しい後輩からは何度となく、その小説家の話を聞いていた。

で、以前にその後輩から、その小説家がいま取り組んでいるシリーズものの話を聞き、おもしろそうだったので読んでみることにしたのである。

そしたらあーた、そのシリーズものが、僕の業界のドンピシャリな世界を描いているではないか。つまりは、かなりマニアックな内容である。

僕が関わったことのあるフィールドや、僕の知り合いが勤めている組織などが、バンバン登場するのである。

これ、書いているほうも生半可な知識では書けないし、読むほうも、生半可な知識ではなかなかついて行くのが難しいのではないか、というくらい、情報量の多い小説である。

では難しい内容なのかというと、まったくそんなことはない。内容自体は、ミステリー小説というべきものである。さすがプロというのは、そのあたりの構想力というか、読ませ方が上手だなと、毎回読むたびに感服する。

で、僕はすっかり、このシリーズのファンになってしまったのである。

さらに驚いたことに、このシリーズのうちのいくつかに、僕の大学院時代の恩師の本が参考文献にあがっているのだ。つまり小説を書く際に、参考にしたのである。それも小説の中でかなり重要な要素になっている。

うーむ。僕の恩師が取り組んでいたような、あんなにマイナーなテーマを主軸に物語が進んでいくなんて、

「これ、俺のための小説じゃね?」

と勘違いしてしまうほどだ。

先日、それとなく読んでいた本の中に友人の名前が出てきてビックリした、という話を書いたが、それと同じ気持ちである。

恩師にしても、自身の研究がそれと知らずに小説になっているというのは、うれしいのではないだろうか。僕だったらうれしい。

恩師にこの小説のことを紹介しよう、と、本気で思い始めている。

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気分は低空飛行

7月12日(日)

昨日、オンライン懇親会をキャンセルした本当の理由は、2歳3か月になる娘の機嫌が悪かったからである。機嫌が悪いというのは、体調が悪いということである。

7月1日から保育園にこれまで通り週5日通うことになり、多くのお友だちと接する機会が増えたせいか、「鼻水」が復活した。

不思議なもので、登園自粛中は、お友だちとも会わず、家にこもりきりだったので、鼻水が出るなんてことはなかった。それが、保育園に通い出してから、とたんに鼻水が出るようになったのである。保育園から、いかにいろいろな菌やウィルスをもらってくるかということがよくわかる。

あと、夏になると、汗をかいてあせもができるので、それで体中がかゆくなる。娘はひたすら背中や脇腹などをかいて、「かいかい」「かいーの」といってべそをかく。

鼻水と体のかゆさで、寝つかれずに泣いてばかりいるのである。

それをなだめすかして寝かしつけるのには、相当な体力がいる。それにもともと、僕自身の体調も悪くて、とても、オンライン懇親会どころではないのだ。

今日はさらに悪化したようで、鼻水に加えて、咳もこんこんとし出した。

時期が時期だけに心配ではある。おりしも昨日と今日のニュースで、都内のある区の保育園で、園児22名と保育士2名が新型コロナウィルスに感染したと報じていて、とても他人事とは思えない。

明日の朝一番に、娘を小児科に連れて行こうと思っているのだが、僕自身の体調も低空飛行で、明日の午後から2泊3日で隔離生活に入ることになっている。娘を小児科で診察してもらったあと、薬をもらい、娘を保育園に預けて、僕自身が都内某所に移動して隔離生活に入る、といったふうに、うまくいけばいいのだが、というか、僕自身の隔離生活もうまくいけばいいのだが、はたしてそううまくいくかどうか、わからない。

今日も娘の寝つきが悪いので、徹夜を覚悟して、

「テレビでも見よっ!」

と、録画していた市川崑監督の「病院坂の首縊りの家」を見ることにした。いつも見ているアニメ映画だとますます眠れなくなってしまうのではないかと思ったので、内容が難解な劇映画を見ることにしたのである。

ご存じのように、おどろおどろしいシーンが満載の映画で、生首が天井からぶらーんと垂れ下がっている場面では、思わずびくっとなって、いったん布団に潜り込んでしまった。

それでも、その続きが気になったらしく、起き上がってきて、部屋の壁の影に隠れて、市原悦子の「家政婦は見た!」みたいに、顔を半分のぞかせて、テレビに見入っていた。

不思議なもので、そのときばかりは、鼻水も咳もピタッと止んだのである。息をのむとは、こういうことなのだろう。

そのうちに飽きちゃって、抱っこしているうちに眠ってくれたのだが、この寝かせ方がはたしてよかったのか悪かったのか、よくわからない。

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オンライン懇親会にビビる

7月11日(土)

今日は、僕にとって初めての、オンライン研究会である。

職場でオンラインの会議は何度となくやっているので、zoomじたいには慣れているのだが、研究会に参加するのは、これが初めてなのである。

しかも、いままでに参加したことのない、まったく専門外の研究会に初参加するというのだから、さらにハードルは高い。

なぜ専門外の研究会に参加することになったのかというと、昨年の11月に、その研究会の主宰者の方とあるところで知り合い、ふとしたきっかけで、その方とこの1年、小さなプロジェクトを進めることになった。お会いしたのはそのときだけで、その後はコロナ禍のせいもありたまにメールをやりとりする程度なのだが、その方が、ご自身が主宰する研究会をオンラインで開催するというのでお誘いのメールをいただいたのである。

専門外の研究会だし、知り合いもほとんどいないと思ったので、黙って話を聴いているだけなら気楽なものだろうと思い、参加することにした。

直前になり、主宰者の方から、

「オンライン研究会の後、オンライン懇親会もやりますので、それぞれ飲み物とおつまみを用意してご参加ください」

とメールが来た。

オンライン懇親会かあ。これもまた経験がない。世に言う「zoom飲み会」ってのは、どんなものなんだろう?ちょっと興味が引かれた。ちょっと参加してみよっかなあ…。

さて当日。参加者は全部で30人くらいだという。

参加メンバーを見て、いささか驚いた。

15年ほど前にいっしょに「大きな仕事」をしたMさん、2年ほど前にいっしょに仕事をしたA出版社のOさん、いまいっしょに仕事をしているB出版社のOさん、そして昨年度まで僕が主宰していたプロジェクトに何度か参加してくれたFさんなど、知り合いがけっこういたのだ。しかも、いずれの方も僕とは異なる業界にいる人たちである。

不思議なものである。これまでまったく別のところでいっしょに仕事をしていた人たちと、ひとつのオンライン会議システムの中で、再会したのである。相変わらず、引きが強いねえ。

とくに15年前にいっしょに「大きな仕事」をしたMさんは、僕がzoomの会場に入室するなり、

「あれ、鬼瓦さんじゃない?東京の仕事の時以来だよね」

「ご無沙汰しています。再会できてうれしいです」

ちゃんと覚えていてくれたことに感激した。

午後2時30分から始まった研究会は、けっこう盛り上がって、4時間後の6時30分頃に終了した。

いままでオンライン会議ではストレスがたまる一方だったが、あんまり利害関係を考えずに自由闊達に議論できる場に久しぶりに参加できて、なかなかにおもしろい体験だった。

さて、問題はその後の懇親会である。

7時から開始ということだったが、娘をお風呂に入れなければならないし、夕食もいっしょに食べなければならないしで、開始時間の7時から参加するというのは不可能である。

ならば途中から参加しようかな?とも思ったが、僕以外のメンバーはすでに関係性ができあがっている、そんなグループの中に、懇親会に遅れて参加する、というのは、僕も気まずいし、ほかの方々にとっても興ざめなのではないか、という不安が襲ってきた。

これがもし親しい間柄だったら、遅れて参加してもどうってことはないんだけどね。

なにより僕は、懇親会でどんなことを話していいのかわからない。誰とも話ができずに黙ったままで画面を見つめることになってしまうのではないだろうか?これでは間が持たない、と、どんどんビビってしまった。

…というわけで、結局オンライン懇親会は遠慮することにした。

オンライン懇親会参加への道のりは、まだまだ遠いなあ。

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雑談欲求

7月9日(木)

車で1時間半ほどかけて、県をまたいで病院に行く。やはり電車に乗ると感染のリスクが高いという不安があるので、仕方がない。

今日はわずか数分の診察のためだけに行くのだが、かといって行かないと、次の予約が取れないので、無意味だなあと思っても行かなくてはならない。たった数分のために、一日がかりの大仕事である。

病院に着いて、ビックリした。待合室が患者でごった返しているではないか!

これは3密なのか?そうではないのか?よくわからない。

かなりの時間、待たされたあげく、2分ほどで診察が終わった。

うーむ。これならば、オンライン診察みたいなものでも十分だったんではないだろうか。これだけのことで、かなり体力を消耗した。

病院に通うにも、体力がないといけない。

結局、主治医の先生と数分しゃべって終わりか…。話す内容も、最低限の情報だけである。

考えてみれば、コロナ禍以降、雑談というものをほとんどしていない。職場では、誰に対しても業務に関わる最低限の話しかしていないし、昨日の会議では、僕は結局ひと言も発言しなかった。

そういえばちょうど1週間前、都内に出たついでに、出版社の編集者の方と、1時間ほど喫茶店でお話をしたんだった。

1年くらい前だったか、その方からお手紙をもらい、一度お話しをしたのだが、その後はとくに仕事の進展がなかったため、しびれを切らしたその方が、またお会いしたいということでその前日に連絡をいただいたのだった。で、急遽、お会いすることにしたのである。なのでその方にお会いするのは、2回目である。

親しい間柄というわけではないので、バカ話ができるというわけではない。基本的には仕事というか原稿に関する話なのだが、それでも相手が聞き役で、僕の方が自分の関心の赴くままにお話しするという形なので、なんか久しぶりに雑談をした、という気持ちになったのである。

話していくうちに、なんとなく構想がまとまっていくような気がしたのだが、かといって、仕事が進むとは限らない。

それでも、出版社の方は出版社の方で、このコロナ禍のなかでかなりたいへんであるらしく、結果を出していかなければならないという焦燥感もあり、なんとか仕事を進めてもらいたいという思いもあるのだろう。

のらりくらり交わしていた僕も、ちょっと申し訳ないなあという気持ちになり、少し仕事を進めなければと思ったのであった。思っただけである。

「1時間、タダで講義を聴かせていただいた気分です。ぜひそれを形に」

「はぁ」

僕は久しぶりに1時間もじっくりしゃべったので、すっかり疲れてしまった。

でもいま自分がやりたいのは、「雑談」だということに、あらためて気づいたのである。

最近もっぱらラジオばかり聴いているのも、そのせいかもしれない。

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起転承結

7月8日(水)

先日、4000字程度のエッセイを書きあげたのだが、ほかの執筆者の原稿もあがってきていて、読みくらべてみたところ、

(うーむ。控えめに言ってもやっぱり俺の文章がいちばんおもしろい)

という結論に至った。

また自画自賛かよ!と呆れた人はここから先は読まなくてよろしい。なにしろ本当のことなんだから仕方がない。

あらためて自分のエッセイを読み返して驚いたのだが、まったく無意識のうちに、教科書のお手本かよ!と思うほどに、「起承転結」のセオリーに忠実に書いていることに気づいた。

いや、よく読んでみると、「起承転結」ではなく、「起転承結」かもしれないぞ。

どっちにしても、「起承転結」「起転承結」こそが、文章の極意である、と僕はいまだに信じている。

文章を書く際に「起承転結」(あるいは「序破急」)が大事だということは、小学校の時の担任の先生が口酸っぱくおっしゃっていたことで、僕はいまだに、その教えを守っているにすぎないのだ。

しかし、ほかの執筆者の書いた文章を読むと、必ずしもそのセオリーに従っていないというものが多く、それで、ほかの執筆者の書いた文章にちょっとした違和感を抱いてしまうのだと思う。

もちろんこれは、好みの問題でもあるので、起承転結がない文章を好むという人も、当然いるのだろう。

もう一つ、僕がいまめざしているのは、

「右からも左からも攻撃されるようなテーマの文章を書くときに、いかにして、右からも左からも攻撃されずに、それでいて自分の主張を貫けるか」

というタイプの文章である。最近この手の文章を書く機会が多い。

これはとても高度なテクニックで、こういう手法で文章が書けるのは、俺ぐらいのものだぞ、と、やはり自画自賛である。

ま、他の人から見れば、どー---でもいいことなんだけど。

そういう細かいことにこだわって文章を書くというのが、僕にとっての楽しみなのである。

…とても不愉快な文章になってしまったことをお詫びする。疲れていることに免じてお許しください。

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夜更かしこんくらべ

7月7日(火)

2歳の娘は、かなり寝つきが悪い。

家族の中で、いちばん寝つきが悪いんじゃないだろうか。

こっちは、朝早くに家を出て、車で2時間かけて職場に出勤している。満員電車が恐いからね。

で、夜また車で2時間かけて家に帰る。

翌朝もまた朝早くに家を出て、車で2時間かけて職場に出勤。

この繰り返しである。

すっかりへとへとになっているので、家に帰ってからは何ももできず、体力温存のためにもできるだけ眠らなければならないのだが、娘が眠るまでは寝ることができない。

抱っこして歩きまわり、頃合いをみて寝かせるのだが、またすぐ起きてきて、「抱っこして」という。それを何回か繰り返す。それでも娘は眠れない。

結局、平均就寝時刻は夜12時くらいである。

寝かしつけてから原稿を書こうと思っても、これではとても無理である。

今日もまた、寝つきが悪い。

抱っこをして寝かせようと思ったら、猛烈な勢いで大泣きして、寝ることを拒否している。

仕方がないので、今日は寝かせるのを諦めた。

好きなだけ起きていればよい。今日は徹夜の覚悟である。

…と覚悟を決めた直後、娘は眠りについた。

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本の中の再会

7月4日(土)

笠井信輔『増補版 僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た』(新潮文庫)を読む。

先日も書いたが、2018年5月におこなった大林宣彦監督へのインタビューの中で、フジテレビのアナウンサーだった笠井信輔さんについてふれる場面があった。

「笠井さんは、映画がとても好きな人で、映画祭に出てきて取材もしてくださるくらい映画へのリスペクトがあって、そういう人間だから、はしたない真似はしないということを学んでいる。その笠井さんから、東日本大震災の取材のときのことを聞いたんだけど、ある被災者へのインタビューの内容は、とても生々しくて、テレビでは放送できないものだった。でものちに彼はそれを本に書いたんだ。私は伝えるために取材したので、映像では伝えられないけど、本に書き残しておきます、ってね」

およそこのようなお話しだった。

笠井アナが大林監督に話したという、被災者へのインタビューの内容は、この本の序章に書かれていた。

この本は、東日本大震災が起きてから、笠井アナがすぐに現場に駆けつけ、被災地の取材をしたときの様子や、そのときの気持ち、あるいは葛藤、といったものが、じつに生々しく書かれている。

読み進めていくと、次の記述にあたった。震災から2日目のくだりである。

「仙台放送では、地元向けのローカル番組が延々と続いていた。給水場所、遺体の安置場所など、細かな情報を地域の被災者に向けて放送し続けていた。全てがローカル枠ではないとはいえ、フジテレビと違って24時間を数人のアナウンサーで回していた。少ない人数で、もう2日。さぞかし大変だろうと、生放送を一旦終えたばかりの報道キャスター、佐藤拓雄アナに声を掛けた。

 「大変だね」

するとやや悲しげな表情の佐藤アナが、「たぶん、誰も見てないんです。停電です。テレビ見られないんですよ。誰のために放送しているんでしょうか?」

 「……」(絶句)

答えられなかった。全く予想していなかった佐藤アナの言葉に頭が白くなってしまった。」

ここに出てくる「佐藤拓雄」というのは、高校時代、吹奏楽の部活でいっしょだった友人である。人望が厚く、部長をつとめていた。もう30年近くも会っていない。

僕はこの文章を読んで、いまから9年ほど前の、2011年3月ことを思い出した

「あの日」の少し前、3月3日に、高校時代の部活の男子で、久しぶりに東京で集まらないか、というメールが来た。拓雄が仕事で東京に来るそうだから、それに合わせて3月26日にみんなで集まろう、ということになったのである。

拓雄かぁ。高校卒業後は、大学時代に一度会ったきりだから、20年ぶりだなあ。

だが僕は3月26日に出張の予定が入っていて、あいにくその同窓会には参加できそうになかった。そのことをメールでみんなに知らせると、その日の晩に、拓雄からメールが来た。26日は会えなくて残念だが、せっかくお互い隣県に住んでいるんだから、こんど酒でも飲もう、という内容である。僕たちは再会を約束した。

それから1週間ほどして、「あの日」を迎え、事態は一変した。

電気が復旧し、テレビをつけたら、空港が津波に襲われている映像が流れていた。食い入るように見ていたら、

 「…言葉がありません」

と声を詰まらせているアナウンサーの声が聞こえた。

拓雄の声だ。

皮肉というべきか、僕はこのときに、画面に映る彼と久しぶりに再会したのである。彼は連日、被害の状況を伝えていた。

僕は笠井さんのこの文章を読みながら、あの日、拓雄が「言葉がありません」と言葉を詰まらせていたことを思い出したのである。伝える職業なのに、それを伝えることができないもどかしさや無念が、「言葉がありません」「誰のために放送しているんでしょうか?」といった言葉にあらわれているような気がしたのである。

結局、拓雄との再会を果たせないまま、「あの日」から3年がたったときに、僕は勤務地を離れた。いまに至るまで、再会が果たせないままである。

つい先日、復帰した笠井信輔さんの元気な声をラジオで聴き、そういえば2年前の大林監督へのインタビューで、笠井さんが震災を取材したときのことについてふれておられたなあと思い出し、ふと読み始めた笠井さんの本の中に、高校時代の友人の名前を見つける。

このたとえがふさわしいのかどうかわからないが、まるで、ビリヤードの玉を突くように、僕の中で人と人とが転がるようにつながってゆく。

 画面の中の再会の次は、本の中の再会。コロナ禍が落ち着いたら、今度こそほんとうに、再会したいものだ。

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俺の中の新規感染者数

7月2日(木)

本日、都内では、新型コロナウィルスの新規感染者数が100名を超えた。5月2日以来、2か月ぶりの100名超えである。

そんなことよりも僕が気になっているのは、「俺の中の新規感染者数」である。

「やはり一進一退、といった感じですね。…ざっとみたところ、一桁くらいですかね」

「やっぱりありましたか」自分でも自覚していたので、覚悟はしていた。

「前回もそうでしたが、当日になってもう一回調べてみると増えている可能性もあります」

「前回は二桁でしたね。そうすると今回も二桁くらいいくでしょうか」

「そうかもしれません」

「俺の中の第二波」は、かなりしつこい。どうやら根絶することはなかなか難しいようだ。とすれば「ウィズコロナ」よろしく、共存していくしかないのだろう。

闘うのではなく、共存していくのである。

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おかえり、笠井さん

6月30日(火)

笠井さんの声は、想像していたよりはるかに明るかった。今日の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」でのことである。

アナウンサーの笠井信輔さんは、2019年9月末にフジテレビを退社し、フリーランスとなったが、その2か月後に「悪性リンパ腫、ステージ4」と診断され、4か月以上にわたる過酷な抗がん剤治療を終え、復帰した。

僕はとりたてて笠井さんのファンというわけではないのだが、2018年5月に、大林宣彦監督にインタビューしたときに、大林監督がふと、笠井さんのことをお話になったことがきっかけで、笠井さんに親近感を持つようになった。

なぜ、笠井さんのお話が出たかというと、東日本大震災のときに笠井さんが取材に行った話を聞いて、その取材姿勢がとてもすばらしかった、と、大林監督が絶賛したのである。

もともと笠井さんは無類の映画好きで、大林監督のファンでもあったそうだ。トークショーで一緒になることが何度もあり、大林監督も、笠井さんに信頼を寄せていたのだろう。それで僕も、笠井さんに対して勝手に親近感を抱くようになった。

その後、笠井さんが病魔に襲われたというニュースを聞いたものだから、僕はかなりショックを受けた。

しかし、今日のラジオから聞こえてくる笠井さんの声は、明るかった。おそらく想像を絶する辛い治療だったと思うのだが、それを持ち前の楽天的な性格で乗り越えることができたのではないか、と思わせるほどのお話しぶりだった。

大林監督も、がんを患ってから、徹頭徹尾、楽天的だった。

先のインタビューの中で、大林監督は、ある女優のお話しをされた。その女優は、がんを患い、余命を宣告され、あるドラマに出演した後、亡くなった。あの人が亡くなったのは、「この作品だけはやり遂げたい」と言ってしまったからだ、「この作品はもちろん、あと30作品くらいは女優として生きていたい」と言えば、いまも生きていたはずだ。がんと共に生きるってことは、そういうことなんだよ、と。

僕は笠井さんの声を聴きながら、大林監督のそのお話しを、思い出したのであった。

聴きながら、さらにいろんなことを思い出した。

僕が3年前の夏に大病を患ったあと、なんとか復帰して、最初の出張先に選んだのは、その年の10月の「前の勤務地」の映像イベントだった。あのときは肉体的にとても辛かったが、おもしろいイベントになり、無理をしてでも出張して本当によかったと思った。その月は、このほかに遠方の出張が3件ほどあり、このブログでもそれとなく書いたが、いずれも肉体的にかなり辛かった。でもこれまでお世話になった人への恩返しみたいな出張だったので、行ってよかったと思った。

僕は残念ながら楽天的な性格ではない。笠井さんの声を聴いて、僕ももう少し楽天的に生きないとな、と思い直した。

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