起転承結
7月8日(水)
先日、4000字程度のエッセイを書きあげたのだが、ほかの執筆者の原稿もあがってきていて、読みくらべてみたところ、
(うーむ。控えめに言ってもやっぱり俺の文章がいちばんおもしろい)
という結論に至った。
また自画自賛かよ!と呆れた人はここから先は読まなくてよろしい。なにしろ本当のことなんだから仕方がない。
あらためて自分のエッセイを読み返して驚いたのだが、まったく無意識のうちに、教科書のお手本かよ!と思うほどに、「起承転結」のセオリーに忠実に書いていることに気づいた。
いや、よく読んでみると、「起承転結」ではなく、「起転承結」かもしれないぞ。
どっちにしても、「起承転結」「起転承結」こそが、文章の極意である、と僕はいまだに信じている。
文章を書く際に「起承転結」(あるいは「序破急」)が大事だということは、小学校の時の担任の先生が口酸っぱくおっしゃっていたことで、僕はいまだに、その教えを守っているにすぎないのだ。
しかし、ほかの執筆者の書いた文章を読むと、必ずしもそのセオリーに従っていないというものが多く、それで、ほかの執筆者の書いた文章にちょっとした違和感を抱いてしまうのだと思う。
もちろんこれは、好みの問題でもあるので、起承転結がない文章を好むという人も、当然いるのだろう。
もう一つ、僕がいまめざしているのは、
「右からも左からも攻撃されるようなテーマの文章を書くときに、いかにして、右からも左からも攻撃されずに、それでいて自分の主張を貫けるか」
というタイプの文章である。最近この手の文章を書く機会が多い。
これはとても高度なテクニックで、こういう手法で文章が書けるのは、俺ぐらいのものだぞ、と、やはり自画自賛である。
ま、他の人から見れば、どー---でもいいことなんだけど。
そういう細かいことにこだわって文章を書くというのが、僕にとっての楽しみなのである。
…とても不愉快な文章になってしまったことをお詫びする。疲れていることに免じてお許しください。
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コメント
遠隔授業「オンライン寄席学入門」課題
問 鈴本演芸場のオンライン寄席15席を全編見た上で、上の問題文の起承転結について落語的に考察しなさい。
(解答例)
問題文の構成を起承転結の順序に並べ直すと、以下のようになる。
(起)先日、4000字程度のエッセイを書きあげたのだが、ほかの執筆者の原稿もあがってきて、読みくらべてみた
(承1)「起承転結」「起転承結」こそが、文章の極意である、と僕はいまだに信じている
(承2)ほかの執筆者の書いた文章を読むと、必ずしもそのセオリーに従っていないというものが多く、それで、ほかの執筆者の書いた文章にちょっとした違和感を抱いてしまうのだと思う。
(転)また自画自賛かよ!と呆れた人はここから先は読まなくてよろしい。
(結)俺の文章がいちばんおもしろいという結論に至った。
(承3)もう一つ、僕がいまめざしているのは、「右からも左からも攻撃されるようなテーマの文章を書くときに、いかにして、右からも左からも攻撃されずに、それでいて自分の主張を貫けるか」というタイプの文章である。
(転2)ま、他の人から見れば、どー---でもいいことなんだけど。
(結2)…とても不愉快な文章になってしまったことをお詫びする。疲れていることに免じてお許しください。
この「起承承(承転結)(承転結)」という文章構造を落語的に考えると「マクラ-八ちゃん-熊さん-ご隠居-サゲA(緊張Aと緩和A)/ご隠居からやり直して-サゲB(緊張Bと緩和B)」という形式になる。ふたつのオチを用意して繰り返す手法は、晩年の談志に似ていると言えよう。
投稿: 愉快な文章に並び替えるこぶぎ | 2020年7月 9日 (木) 14時03分
もう時効と勝手に判断す申し上げます。
大学生の時、私は引用文献として先生の論文を読ませていただきましたが、他のゼミ生も本も発刊されたこともあり、興味を持って読むわけです。少なくとも男衆は全員何本かは読ませていただきました。
で、読後共通の感想、「先生はかなり気を使ってるよな~。論争になってる案件は文量をかけてどっちの顔も立ててるし」
これ、今中間管理職の私には非常にしみます
投稿: 江戸川 | 2020年7月10日 (金) 19時55分