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2020年8月

ご油断なく

「ご油断なく」という言葉が好きである。

この言葉を知るきっかけとなったのが、大林宣彦監督の映画「異人たちとの夏」(1988年)で、本多猪四郎監督が扮する浅草のやつめうなぎ屋の主人が、

「長生きをしなさい。ご油断なく」

と主人公たちに声をかける場面が、短いがとても印象的だったからである。

大林監督の映画にはこのほかにも、「理由」(2004年)のなかで、柄本明扮する簡易宿泊所の主人が宿泊客の外出の際に「ご油断なく」と声をかける場面があったり、「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」(2007年)の中で、筧利夫扮する主人公が、映画の一番最後のナレーションで「ご油断なく」と観客に語りかける場面などがある。もっと探せば、ほかの作品にもこの言葉が使われているかもしれない。どうやら大林監督はこの「ご油断なく」という言葉がよっぽど好きだったようである。

しかし、ほかのところでこの「ご油断なく」という言葉を聞いたことがない。一般的な言葉なのだろうか?少なくとも僕の人生の中で、日常生活でこの言葉に出くわしたことはない。

で、調べてみると、これが岩手の方言であることがわかった。「お気をつけてお帰りください」という意味らしい。

しかし不思議なのは、大林監督は広島県の尾道出身だし、パートナーの恭子プロデューサーは秋田県の大館出身なので、岩手県とは何のゆかりもない。

では、「異人たちとの夏」の脚本を書いた市川森一が書いた台詞だろうか?と思って調べてみると、市川森一は長崎県の出身である。ちなみに原作者の山田太一は東京の浅草出身である。さらに、「異人たちとの夏」で「ご油断なく」の台詞を言った本多猪四郎監督のアドリブの台詞かとも考えたが、本多猪四郎監督は山形県の庄内地方出身であり、やはり岩手県とは関係がない。まあ台詞の感じからして、大林監督が撮影台本として書き足した台詞の可能性が高い。

大林監督は、東京の浅草が舞台の「異人たちとの夏」、荒川区が舞台の「理由」、大分県が舞台の「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」、つまり地域にかかわらず「ご油断なく」を登場させている。しかも「気をつけてお帰りください」という意味ではなく、どうやら「気をつけて行ってらっしゃい」という意味で使っている。

いったいこれはどういうことなのか?皆目わからなくなってしまった。

「ご油断なく」という言葉の響きがよいので、僕も日常で使ってみたいと思っているのだが、いきなり「ご油断なく」と言うと、言われたほうが「はあ?」となってしまう可能性があるので、使うのをためらっている。

大林監督も、どこかでこの言葉を知り、その言葉の響きに惹かれて、映画の台詞として使ったのだろうか。

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真夜中のリハーサル

8月27日(木)、23時30分

9月5日(土)に「前の勤務地」の映画館で上映されるドキュメンタリー映画の「オンライン舞台挨拶」に監督と一緒に出ることになったのだが、今日はその動作確認を行った。

どうして23時30分という遅い時間に動作確認を行うことになったかというと、その映画館で映画の上映が終わるのが23時過ぎで、実際の上映館を使って「オンライン舞台挨拶」のリハーサルをするためには、映画の上映が終わってからでないとダメだからである。

僕は自宅にいるから問題はないが、実行委員の方々は、その時間に映画館にいるというのだから、遅くまで大変である。

僕は2歳5か月になった娘を必死で寝かしつけて、教えられたアカウントで23時30分にZoom会議システムに入室した。

するとそこには、会場となる上映館が映し出されていた。

懐かしい。「前の勤務地」にいた頃、よくマイナーな映画やドキュメンタリー映画を観に通ったものだ。

僕は実行委員のみなさんに挨拶をした。当日の主役のO監督もすでに入室していた。

さて、「オンライン舞台挨拶」というのは、どのようにやるのか?

上映会場とO監督と私の三者をZoom会議システムでつなぐ。それを、映画のスクリーンに映し出すのである。

つまり、僕の顔が、映画のスクリーンにドーンと映し出されるわけだ。

ついに銀幕デビューですよ!!!

言うは易しで、実際にこのやり方がそう簡単にできるわけではない。実行委員の方々は、どのようにしたらスムーズに進行できるかを、いろいろと試行錯誤していた。実行委員の方々の並々ならぬ熱意を見るようであった。

映画館の中なので、たぶんWi-Fi環境もそれほどよいとはいえないのかもしれない。会場からの画面はしばしばフリーズしていた。

若干の不安は残ったが、ひとまず動作確認は終了した。

「これから本番までの打ち合わせは、グループLINEで行います。鬼瓦先生、LINEのアカウントはお持ちですか?」

と実行委員のKさん。

「ええ、まあ。ただどうすれば私のアカウントがみなさんに伝わるんでしょうか」

僕はほとんどLINEの使い方を知らない。

「では、私から先生のメールアドレスにQRコードを送りますので、それを読み取っていただければ大丈夫です」

「はぁ」

ナンダカヨクワカラナイが、ひとまず言われたとおりにしてみると、知らないうちにグループLINEに参加していた。

そこから、怒濤のLINEの応酬である。みんな使い慣れているから、打つの早いなあ。僕が返信しようともたもたしていると次々にメッセージが入ってくるので、僕のメッセージが変なタイミングで入ることになる。

「当日はリアルタイムでグループLINEに連絡を入れていきますので、グループLINEから目を離さないでください」

「はぁ」

もう一つ困ったことがあった。それは、僕のスマホが壊れかけていることである。

かなりの頻度で電源が入らないことが多く、電源が入るまでに数分かかることがある。それに、4Gの回線の速度が異様に遅い。イメージとしてはダイヤル回線でインターネットにつないでるようなものである。つまりスマホは瀕死の状況なのだ。

当日、スマホの電源がスムーズに入ることを祈るばかりである。

さらにもう一つ困ったことがあった。

「あのう、ぜひご自身のSNSとかで宣伝してください。一人でも多くの方に来てもらいたいので」

「はぁ」

しかし僕にビックリするほど集客力がないことは、すでにいろいろなイベントで証明済みである。こっちが勇んで宣伝をしても、最終的に恥をかくだけなのだ。

どうせ個別に宣伝をしても、

「行きたいです!でもその日はちょと…」

と、落語の「寝床」のような展開になるのがオチである。

かといって、このブログで、

「ある映画館で上映されるある映画の、9月5日(土)の初回上映の後に、オンライン舞台挨拶をしますので、ぜひ来てください」

と宣伝しても、固有名詞がひとっつもないからナンダカヨクワカラナイ。

まったく、どうしたらいいものか。

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こんなモギ裁判はイヤだ!

むかし、「鶴瓶・上岡パペポTV」という番組で、上岡龍太郎がこんなことを言っていた。いまでもはっきり覚えているのだが。

ある番組で、Sという芸能レポーターがゲストにやってきた。司会の上岡は、そのSという芸能レポーターのことが大嫌いで、

「おまえなんかアホじゃ!」

と番組内でさんざん罵倒したところ、のちにSという芸能レポーターが名誉毀損で上岡龍太郎を訴える、と言い出した。

その話を聞いた鶴瓶が、

「で、師匠、訴えられたらどないしはりまんの?」

と聞いたら、上岡が、

「法廷でアホの証明をせなあかん」

と言った。その答えに僕は爆笑してしまった。上岡さんらしい。

それで思いついたのだが、前の職場で毎年行われる恒例のイベント、モギ裁判で、こんな裁判はどうだろう?

誰かがTwitterで、ある芸人のことを「おもろない」と書いて、それがまたたく間に拡散した。

それを知ったその芸人が、「おもろない」と言われるのは名誉毀損だ、いわれのない中傷だ!と、法的手段に訴えることにした。

争点は、「その芸人はおもしろいか、おもしろくないか」である。

原告側の芸人は、裁判官の前で、いろいろなネタを披露するのだが、裁判官はおろか、傍聴席の人たちもピクリとも笑わない。

証人として、芸人仲間たちが次々と法廷に立つ。

「おもろい」「おもろない」の立場から、それぞれの芸人たちが次々とエピソードトークを始める。

その芸人本人よりも、証人たちのエピソードトークのほうがはるかにおもしろく、裁判官や傍聴席を爆笑の渦に巻き込む。

ところが本人が笑わそうとすると、誰もピクリとも笑わない。

さて、この芸人は「おもろい」のか?「おもろないのか」?

注目の判決は?

…みたいなモギ裁判はどうだろう?

やっぱりダメかな。

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すわってからだダンダン

「おかあさんといっしょ」(「おかいつ」)では、毎年8月の1週間、夏休みスペシャルといって、通常のプログラムとは異なる特集企画があって、昨年から面白く見ているのだが、とくに今年の夏休みスペシャルは画期的だった。

何が画期的だったかというと、番組の最後に体操のおにいさんとおねえさんが元気に体操をする「からだダンダン」が、座ったまま体操できるようなバージョンになっていたのである!つまり通常の「からだダンダン」とはまったく異なる振り付けだったのだ。

これはすなわち、立って体操することが難しい子どもに配慮した体操ということである。

おかいつ史上、61年目にして初めてのことではないだろうか。逆に、なんでいままで座ったバージョンの体操がなかったんだろう?

発想としては、すでに同じEテレの「テレビ体操」で、足の不自由な人のために座ったままで体操をするバージョンがすでにあるから、おそらくそれに准じて生まれたものなのだろう。

僕が気になったのは、なぜ今年になってようやくそうした発想が出てきたのかということである。

今年度は、新型コロナウィルス感染拡大の影響により、番組に子どもたちが出演することが不可能になっている。異例の事態なのである。そんな中で、番組としては子どもたちが飽きないようにあの手この手の工夫を凝らし、その一つとして「すわってからだダンダン」が生み出されたのではないか、というのが一つの仮説。

もう一つ仮説を思いついた。

それは、本来であれば開催されるはずだった、今年の8月25日からの東京パラリンピックに合わせて、「すわってからだダンダン」が発想されたのではないかとの仮説。時期的には、ちょうど合うのだ。

第二の仮説に立つ場合、東京パラリンピックの延期が決まる以前から、この体操が構想されていたことになる。

いずれにしても、おかいつが現実の世界を意識して進化し続けていることには違いなく、今後もその進化に注目せずにいられない。

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一期一会

前回の記事で、9月5日(土)のオンライン舞台挨拶の宣伝を積極的に行おうと決意したのだが、

「行きたいです!でもその日はちょっと…」

と、まるで落語の「寝床」のような展開になる気がしたので、

(こりゃあヘタをすると、「星飛雄馬のクリスマスパーティー」のような結果になってしまうぞ)

と思い直し、自分からは個別に宣伝しないことにした。

もちろん、当然ながらいろいろと事情があるので、こういうことは一期一会なのである。

一期一会で思い出したが、つい先日送られてきた高校の同窓会会報に、僕の中学時代の社会科の先生が文章を寄稿していた。

へえ、N先生、僕の高校の先輩だったのか、とこの時初めて知ったのだが、さらに驚いたことに、大学と学部まで、僕と同じだった。つまり、高校と大学の直系の先輩だったのである。高校を昭和48年に卒業したとあるから、僕よりも14年ほど先輩である。

N先生の近況が語られたその文章には、公立中学校に33年勤務した後、現在はとある市で、子どもの貧困による教育格差をなくすための学習支援に取り組んでいると書かれていた。おそらく33年の教師生活を定年退職した後、学習支援の取り組みを始めたのだろう。

僕が通っていた中学校は、札付きの問題校で、荒れまくっていた。校内暴力が社会問題化していた時代である。そんな中学校で、当時新任の若い女性の先生だったN先生は、相当苦労されただろうと推測する。僕たちは、反抗期であることも手伝って、N先生に対してかなり酷いことを言ったのではないかと、いまでも忸怩たる思いを禁じ得ない。

だがN先生はおそらく定年まで中学校教師をつとめ、定年後のいまもなお教育のお仕事に携わっている、ということを知り、僕は少し安堵したのであった。やはり教職が天職だったのだろう。

僕は中学校卒業以来、もう35年もN先生にはお会いしていないのだが、もしいまお会いしたら、反抗的だった中学時代とはまったく異なり、先生からいろいろなことを学ぶことができるだろう。とくに、いま取り組んでおられる学習支援のこととか、聞いてみたいことがたくさんある。

…と、久しぶりに同窓会会報を読んで感慨に浸っていると、別のページに「同窓会役員改選報告」という記事が載っていて、それによると、同窓会役員10名のうち女性はたった1名で、あとは全員男性。しかもその女性役員の役職は「会計監査」という「ありがちな」役職。

さすが、ジェンダーギャップ指数が世界153カ国中121位の国だけある。僕はいきなり現実に引き戻されたのであった。

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上映会

8月21日(金)、22日(土)と、「前の勤務地」で、僕が少しだけかかわったドキュメンタリー映画の上映会が行われた。

僕にとって、このドキュメンタリー映画が「前の勤務地」で上映されることは悲願だったのだが、多くの有志の方々のお力で、この約束がはたされたことは、じつに感慨深い。

きっかけは、昨年(2019年)4月末にさかのぼる

「前の勤務地」で大林宣彦監督の講演会があるという。しかも企画者のひとりが、昔の仕事仲間の旧姓Mさんである。

手帳を見ると、この日だけ、仕事がなく、ぽっかりと空いている。

これは日帰りで講演会を聴きに行けという神のお告げか?と思い、新幹線で片道3時間かけて講演会を聴きに行くことにした。

その1年前(2018年5月)、大林監督にインタビューをする機会に恵まれたのだが、その機会を作ってくれた、若きO監督も、その日はたまたま空いていて、その講演会に参加することになった。そこで僕たちは大林監督と再会することになるのだが、とくにO監督はほかにもさまざまな人と出会い、地元の有志の方々と「いずれかならずこの地で上映しましょう」と約束を交わした。

そしてその約束が現実になったのである。

このコロナ禍で、映画を上映することはかなり困難をともなうことだったと思うが、時間をかけて周到に準備し、実現にこぎつけた実行委員の方々の熱意には、敬意を表さずにいられない。

上映会にあたって、メッセージを書いてください、という依頼が来たので、僕は700字ほどのメッセージを書いてお送りした。僕自身は、昨年大林監督の講演会を聴きに行き、懇親会に顔を出したというだけで、今回の上映会の実現には何の役にも立っていないのだが、以前この地に住んでいたというご縁で書かせていただいた。

上映会が終わった直後と思われる時間に、O監督からメールが来た。O監督はオンラインで舞台挨拶をしたそうで、上映会が順調に進んだということと、実行委員の方々の強い思いに感激したと書かれていた。

そのメールには、上映会のときに配られた、手作りのパンフレットのPDFが添付されていた。

そこには、O監督の書いたメッセージはもちろん、僕の書いたメッセージも掲載していただいたのだが、それよりも驚いたのは、実行委員の方々のメッセージの、想いの強さだった。自分の書いた拙いメッセージが恥ずかしくなるほどに、映画を上映することへの想いにあふれた文章だった。

O監督のメールからほどなくして、僕が「前の勤務地」時代に大変お世話になったIさんからもメールが来た。僕が勝手に「人生の師」と仰いでいる方で、大林監督よりも3歳ほど年上の、人生の大先輩である。

ここ最近、Iさんとメールをやりとりする機会があったのだが、この上映会のことはお知らせしそびれていた。ところがIさんから、さきほど上映会に参加してきましたとのメールをいただき、まさかIさんが上映会に参加されていたとは思わず、見ていただきたい人に見ていただいたなあと、これもまた感激したのであった。

旧姓MさんやIさんなど、映画を通じて旧知の親しい人とまたつながることができるというのは、なんとも嬉しいものである。映画には人と人とを結びつける力がある。それは、大林監督の映画から学んだことでもある。

さてここからが宣伝。

9月4日(金)~10日(木)、この映画が「前の勤務地」の映画館で公開されることが決まりました。

9月5日(土)、午前10時の回の上映終了後、O監督による「オンライン舞台挨拶」が行われますが、そこに僕もオンラインで登壇する予定です!つまり「映画の舞台挨拶」をします!

そういえば「前の勤務地」に住んでいた頃、ある映画で「トヨエツ」が舞台挨拶に来ていたのを見に行ったなあ。してみると俺は「トヨエツ」みたいなもんか?

ま、今回はあまり照れくさがらずに、「前の勤務地」でお世話になった人たちにも宣伝しようかと思います。

9月5日(土)、劇場で再会しましょう。

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口元を噛まれる

「あなたが噛んだ小指が痛い」

なんて歌を知ってる人、古いねえどうも。

2歳4か月(もう少しで5か月)になる娘が、夜になると大泣きする。

「イヤイヤ期」というのは覚悟していたが、ここまで激しいとは思わなかった。

少し前までは、僕がだっこをして寝かしつけることができていたのに、ここ最近は、僕がだっこをして寝かしつけようとすると、断固として拒否する。

「あっちへ行って!」

と、ものすごい形相でにらむのである。

まるで、父親を毛嫌いする思春期の娘のような表情である。こんなことがずっと続くのかなあ。

娘は母親のほうにだっこしてもらいたいようなのだが、朝から働きづめの妻には、寝かしつけるためのだっこが相当な負担である。

見かねて、僕が娘をだっこすると、信じられないくらいに暴れまくる。

「やめて、いたい!いたい!あっちへ行って!」

それでもだっこをし続けていると、今度は暴力を振るう。両手を使って僕の顔をバンバン殴り、かけていた眼鏡を落としたりする。

それでもじっとこらえ、だっこし続けていると、さらに泣きわめく。

そしてついに、

ガブリッ!!!

と、僕の唇の右下あたりを噛みやがった!!

イテテテテテッ!!!

だっこしている俺は娘を虐待していることになるのか?それとも俺は娘に虐待されているのか?

なんだかよくわからなくなり、とうとう僕は観念して、娘を下ろした。僕がだっこをしたのは逆効果だったようだ。

翌朝、娘が、唇の右下あたりを指さして、

「パパ、ここどうしたの?」

と聞くので、鏡を見てみると、真っ赤になっているではないか!!!それもかなり目立つ傷になっているぞ!

「あんたが昨日噛んだんだよ!!」

と言っても、まったく覚えていない様子。

こんな目立つ傷で職場に行くのはイヤだなあ、と思っていたが、考えてみれば、対面のときはマスクをしているので、口元の傷を誰に見られることもない。

こういうのを不幸中の幸いというのだろうか。よくわからない。

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まったくやる気が出ない

この2週間ほど、まったくやる気が出ない。

やらなければいけない仕事は山ほどあるのに、それがまったく手につかない。

というか、コロナ禍による自粛生活が始まって以降、まったくやる気が起きないのである。それに加えてこの夏は、尋常じゃない暑さである。みんなよく仕事をやっているなあ。

困ったなあ、と思い、「まったくやる気が出ない」というワードで検索したら、一番上に来た記事のなかに、その原因の一つとしてこんなことが書かれていた。

「決断することが多過ぎると脳が疲弊する」

なるほど、いまの俺はこれだな。

今年度から、職場に行けば、決断をしなければならないことがあまりにも多くなった。今日だって、午後だけで打ち合わせが3つもあり、いずれも決断をしなければならない局面に追い込まれた。

しかし決断というのは、うまくいかない場合が多く、取り繕ったり謝罪をしたり、なんてことがじつに多い。

こんなことが多いので、決めたことが今後また失敗に終わるのではないかと思うと、そのことばかりが気になって、決断をすること自体が面倒になってしまい、どうしても先送りしたくなってしまう。

さて、この記事を読み進めてみると、

「大きな決断をいくつもしなければならない状況にいると、やる気が急速に失せていきます。米紙ニューヨークタイムズの記事で、John Tiernyさんはその問題について以下のように言っています。

いつもは普通の人が、同僚や家族に急に怒ったり、洋服に散財したり、ジャンクフードを買って食べたり、ディーラーの勧めるままに新車に錆び止めをしたりするのは、決断疲れのせいです。どんなに正気を保とうとがんばっても、決断を変えることはできません。肉体的に疲れているのとは違い、自分が疲れているということに気付かないうちに、精神的なエネルギーが低下しているのです。1日中、選択をすればするほど、脳はどんどん選択することが難しくなり、結局楽な道を探そうとするのです。

これは何も仕事の大きな決断に限ったことではありません。小さな決断をたくさんしなければならない時も、ゆっくりと徐々に同じように疲れていきます。大きさに関係なく、日々自分がしなければならない決断の数を管理できない場合は、繰り返し快楽や衝動に走ることになるでしょう。」

とある。ますますいまの僕にぴったりの症状である。やる気が出ない原因は、決断することが多すぎて、脳が疲弊していたのである。決断疲れで、つい楽な道を探そうとしてしまうのだ。

では、やる気を取り戻すにはどうしたらいいのか?この文章の下に、

「やる気を取り戻す方法」

という項目があった。これだよこれ!さっそく読み進めてみよう。

「やる気を回復させるには、「やる気をなくす原因を断ち切ること」と「やる気を取り戻す最初の一歩」を組み合わせます。社会的に拒絶された場合は、落ち込んで何もしたくなくなりますが、問題と向き合わなければなりません。おそらく、相手が拒絶したくなるようなことを何かやっているのでしょう。もしくは、嫌な人たちと付き合っているだけかもしれません。あなたを拒絶した人と話して、原因を突き止めましょう。自分に原因があるならそれを正す方法を探し、相手に原因があるなら何とか対処してみましょう。問題が解決できなかった場合は、常に社会的に拒絶されているのは健康に良くないので、環境を変えることも考えた方がいいかもしれません。

やる気が出ない理由が、自分の身体的な欲求を満たしていないだけなら、問題を解決するのは簡単です。前述の通り、毎日自分の記録を付ければ、簡単に原因を突き止めることができます。身体的な欲求を満たしていないせいだと分かったら、最初にそれを解決すればいいだけです。

決断ばかりしているせいだとしたら、すべての選択を管理するのは難しいです。この問題を解決するには、タスクではなく決断リストを作りましょう。そうすれば、いつどんな決断に迫られる必要があるか、わかるようになります。その決断をいくつか分けて、1日にたくさんの決断をしなくてもいいようにしましょう。思いがけない決断に迫られたら、できるだけそれを避けます。スーパーやコンビニで何を買おうか考える、というような小さなことでも、決断のうちに入っていることをお忘れなく。

結局、自分が本当にやりたいことが何なのかを見つけることです。部屋をきれいに片付けたいのかもしれないし、ゲームを作るというようなもっとワクワクすることかもしれません。自分の時間を5分作り、どんなことでもいいので、自分がやりたいことをほんの少しでも実現しましょう。次の日には、さらにもう少しだけ前に進めましょう。毎回ほんの少しずつでも何かを実行していけば、おのずと道がひらけます。どんなに小さなことでも、毎日少しずつ実現し始めると、前進させるのがどんどん楽になります。つまり、少しでも始めることが大事なのです。

この方法が、少しでもお役に立てることを願います。やる気をなくしていた原因に勝てれば、すぐにやる気は戻ってきます。

なるほど、じつに明快な答えである。

ただ、「決断リストを作る」こと自体が、憂鬱な行為だなあ。

「自分の時間を5分作り、自分のやりたいことをほんの少しでも実現しましょう」というのは、よくわかる。僕にとってそれは、このブログを書くことである。

ただ、こういう無駄な文章を書くことが、やる気を出すことにつながっているのかどうかは、いまだにわからない。

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「ぼよよん行進曲」を国歌に!

8月17日(月)

文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」の中で、「ゴールデンヒストリー」という10分程度のコーナーがある。市井に生きる人々の、何気ない人生の軌跡を、大竹まことが朗読するというもの。番組の放送作家が毎回、無名の人に取材をして、それを原稿にまとめ、大竹まことが静かに朗読する。

今週のテーマは、「がんとともに生きる」。今日は、ステージ4の肺腺がんと診断された、2児の母の物語である。正確ではないが、僕なりに聴いた内容をまとめると、次のようになる。

ステージ4の肺腺がんと診断されたのは、44歳のとき。がんは肺全体に散らばり、外科手術はできない状態にあり、分子標的薬という抗がん剤を服用しながら治療することになる。

分子標的薬は副作用が強く、皮膚は炎症を起こし、下痢が止まらない。加えて、薬の値段は高額で、家計を圧迫する。

自分には小学生の子どもが二人いる。少しでも家計を助けるために、仕事をしたいのだが、副作用による体調の悪さから、気持ちに波ができてしまう。

転機となったのは、息子が持ち帰ってきた保健体育のテスト。「生活習慣病が引き起こす病気はどれか?」という問題の選択肢に「がん」があり、息子はそれに○をつけると、正解となっていた。

これを見て、まるで自分の生活習慣が悪かったからがんに罹ったと言われているような気がして悲しくなり、思い切って息子の学校に抗議の電話をかけた。

そのとき、対応してくれた学校の先生が、自分の気持ちに寄り添って話を聞いてくれた。

そのとき初めて、自分はステージ4の肺腺がんであると、他人に告白する。そして次第に、自分の周囲に、自分の病気のことを理解してくれる人が増えてきた。

自分はたしかにがん患者である。でも、ふつうに仕事がしたいし、一人前に扱ってもらいたい。そんな社会が来れば、どんなに救われることだろう。

いま、その方は、仕事に復帰し、同じ立場で苦しんでいる人をケアする仕事をしている。

…大竹まことの静かな朗読が終わると、曲が流れた。

「ぼよよん行進曲」だ!

昼間の民放ラジオ番組で、この歌が流れてきたのは、不意打ちである。

もうね、こんなもん、どうやったって泣いてまうやろ!

「ぼよよん行進曲」の選曲は、おそらくこのインタビューに応じた方のリクエストによるものなのだろう。今日の前向きな物語に、これ以上マッチした選曲はない。

聴いていて、ふと気づいた。

「ぼよよん行進曲」には、さまざまバージョンがある。歴代の歌のおにいさん、おねえさんが歌ったものから、それこそ、作詞作曲した中西圭三さんがソロで歌っているものもある。この日、流れていたのは、だいすけおにいさん&たくみおねえさんバージョンだった。

小学生の息子がいる、ということは、この方が子どもと一緒にリアルタイムで見ていた「おかあさんといっしょ」は、だいすけおにいさん&たくみおねえさんのときだったのだ。だから、どうしてもこの二人が歌っているバージョンでなければいけなかったのだ、と。

「ぼよよん行進曲」で励まされていたのは、子どもではなく、母親のほうだった。否、この歌に世代など関係ないのだ。

だから僕は提唱したい。

「ぼよよん行進曲」を国歌に、と。

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1944年8月6日の第九

太田愛の小説『天上の葦』には、1944年8月6日に東京帝国大学で行われた「壮行大音楽会」のエピソードが出てくる。これは史実で、この日、東大生の学徒出陣にかかわり、音楽会が催された。この中で、ベートーベンの「第九」も演奏された。

「第九」といえば、僕の母の知り合いだったスズキさんが書いた『第九と日本人』という本の中でも、このときの「壮行大音楽会」の様子を、実際の資料から復元している。

小説は、どのあたりまで史実に基づいているのか、検証してみたくなり、小説の描写と、スズキさんが明らかにした1944年8月6日当日の様子とを、比較してみることにした。

まず、太田愛の小説『天上の葦』から、該当の記述を抜粋する。

「あれは、一九九四年八月六日だった。

(中略)

だが、あの日の音楽会は、美しい音楽を聴くのもこれが最後になるやもしれぬと、覚悟を決めた若者たちのためのものだった。それは、東京帝大法学部学生自治会・緑会の発案によって開催されることになった出陣学徒のための壮行音楽会だった。(中略)

緑会の学生は当初、演目にベートーベンの第九交響曲を考えていたが、これは大曲で平時でさえ体力を要する演目であるため、猛暑の中、栄養不良の体で演奏するのは困難であると日本交響楽団に断られたという。だが、彼らは戦地に赴くに当たってせめて最後に第九をと交渉を重ね、遂にいくつかの小品と共に第九の第三楽章と最終楽章の上演にこぎ着けたのだと聞いていた。

会場は安田講堂が歌舞音曲一切禁止のため、法文経一号館の二階にある二十五番教室。開演時間は灯火管制で夜が不可能であるため、日盛りの午後二時だった。(中略)

午後二時過ぎ、音楽会は『君が代』で幕を開けた。次いでベートーベンの歌劇エグモント序曲、ブラームスのハンガリー舞曲、南ドイツの歌があり、十五分の休憩の後、いよいよベートーベン第九交響曲の第三楽章と最終楽章の演奏が始まった。日本交響楽団と、合唱は東京高等音楽学院生徒百余名。

(中略)

音楽の力と喜びに全てを忘れて聴き入った。

そして天に駆け上るようなあの最後のフレーズが終わった後、辺りは静寂に包まれた。一瞬の後、頭上に割れんばかりの拍手が沸き起こった。私はただ放心して突っ立っていた。

だが、最後に演奏された『海ゆかば』が私を現実に引き戻した。それは、出征兵士を見送る曲であると同時に、ラジオの戦果発表で玉砕が報じられる際、必ず冒頭で流れるものでもあったからだ。(後略)」(角川文庫版、下巻44頁~46頁)

対して、スズキさんの『第九と日本人』に書かれている資料を紹介する。スズキさんは、「この演奏会についても公式な記録はないが、同年九月一日付の『東京大学学生新聞』がただひとつこの事実を伝えている」と述べ、このときの記事「今日よりは醜の御楯…”気魄を持ち最後のご奉公を”相継ぐ出陣学徒壮行会」の一部を引用している。

「征で行く学徒を音楽で壮行しようと云う和やかな企「出陣学徒壮行大音楽会」は東大法文経三学部会の主催の下に去月六日二時から東大法文経二十五番教室で催された。(中略)一同起立「君が代」合唱の後日本交響楽団(指揮尾高尚忠氏)のベート-ヴェンの歌劇「エグモント」序曲、ブラームスのハンガリー舞曲(第五番、第六番)、尾高尚忠氏編曲、南ドイツの歌(独唱三宅春恵女史、合唱東京高等音楽院生徒)があり、十五分の休憩の後待望のベート-ヴェン第九交響楽(終楽章)独唱矢田部勁吉氏、竹岡鶴代女史、合唱東京高等音楽院生徒百余名で行われ、出陣学徒も暫恍惚とする。かくて一同”海ゆかば”を合唱し壮行音楽会の幕を閉じた」

またスズキさんは、これに続いて、この当時東京帝国大学法学部一年に在籍していた栗坂義郎(朝日新聞元アメリカ総局長)が、1978年の『文藝春秋』8月号に書いた「出陣学徒と第九交響楽」という一文を紹介してる。

「そんな十九年初夏のある日、法学部緑会委員の間で壮行会の催しの話が出て、それなら日響を呼んでみんなで”第九”を聴き、その思い出を胸に、悔いなく戦場に行こうと私が提案した。(中略)

ところが日響の有馬大五郎理事長に”第九”の演奏は楽団員にとっていちばん骨が折れるし、暑い最中に栄養も不足で体力が続かない、と断られてしまった。われわれにとって戦争は死に結びつく、しかし生きたいー祖国防衛に起ち上がれとの歌い文句は勇ましい。だが死を賭して戦場に赴くには、祖国日本を象徴する身近な何か、恋人でも肉親でも愛する人の鮮烈な面影か、美しい人風土に囲まれて生きてきた無上の喜び、想い出を心に秘めて征きたいとの焦りにもにた願いが、我々にはうずいていた。(中略)

戦争に勝てそうもない、せめて最後に好きな音楽のうちでも至高の名曲”第九”を聴いて、また友だちにも聴かせてーと思い詰めた私は、なお有馬氏を説得しようとしたところ「第三の英雄か、第五の運命交響曲なら……」とまで軟化してくれた。だが、第三の二楽章には葬送行進曲があり、第五の「運命はかく扉をたたく」の序章は出陣学徒に不吉だというわけで、あくまで”第九”を懇望し、ついに有馬氏の承諾をとりつけた。(後略)」

その後、栗坂氏の文章は、演奏会の様子を克明に記す。前半の「小品」の演奏が終わり、十五分の休憩の後、第九の第三楽章、第四楽章が始まった。その最後の箇所。

「…ともかく空襲・警戒警報もなく、万雷の拍手のうちに無事に終った。野球など米英スポーツはすでに禁止、ジャズもない、娯楽といえばクラシック音楽ぐらいしかなく、その音楽にも飢えていた若人は戦争を忘れ、音楽に酔った。ついで”海ゆかば”になると再び戦争の現実に帰った。これが最後の第九か ー不安が再び頭を擡げ、出陣学徒は三々五々複雑な表情で散っていった。会場に残った私は、全身から力が抜けていったのをいまでも覚えている」

これらを読むと、太田愛の『天上の葦』の1944年8月6日の場面は、かなり史実に正確に描いていることがわかる。

・主催が緑会、会場が東京帝国大学法文経二十五番教室、開演が午後二時だったこと。

・実際に演奏された曲のプログラムと、演奏・合唱した人々。

事実関係だけでなく、そのときの出陣学徒の「想い」についても、当事者である栗坂氏の文章に書かれた「想い」に沿って書かれていることがわかる。

「緑会の学生は当初、演目にベートーベンの第九交響曲を考えていたが、これは大曲で平時でさえ体力を要する演目であるため、猛暑の中、栄養不良の体で演奏するのは困難であると日本交響楽団に断られたという。だが、彼らは戦地に赴くに当たってせめて最後に第九をと交渉を重ね、遂にいくつかの小品と共に第九の第三楽章と最終楽章の上演にこぎ着けたのだと聞いていた」(『天上の葦』)

「そんな十九年初夏のある日、法学部緑会委員の間で壮行会の催しの話が出て、それなら日響を呼んでみんなで”第九”を聴き、その思い出を胸に、悔いなく戦場に行こうと私が提案した。(中略)ところが日響の有馬大五郎理事長に”第九”の演奏は楽団員にとっていちばん骨が折れるし、暑い最中に栄養も不足で体力が続かない、と断られてしまった。(中略)戦争に勝てそうもない、せめて最後に好きな音楽のうちでも至高の名曲”第九”を聴いて、また友だちにも聴かせてーと思い詰めた私は、なお有馬氏を説得しようとしたところ「第三の英雄か、第五の運命交響曲なら……」とまで軟化してくれた。だが、第三の二楽章には葬送行進曲があり、第五の「運命はかく扉をたたく」の序章は出陣学徒に不吉だというわけで、あくまで”第九”を懇望し、ついに有馬氏の承諾をとりつけた。(後略)」

「音楽の力と喜びに全てを忘れて聴き入った。

そして天に駆け上るようなあの最後のフレーズが終わった後、辺りは静寂に包まれた。一瞬の後、頭上に割れんばかりの拍手が沸き起こった。私はただ放心して突っ立っていた。

だが、最後に演奏された『海ゆかば』が私を現実に引き戻した。それは、出征兵士を見送る曲であると同時に、ラジオの戦果発表で玉砕が報じられる際、必ず冒頭で流れるものでもあったからだ。(後略)」

「万雷の拍手のうちに無事に終った。(中略)娯楽といえばクラシック音楽ぐらいしかなく、その音楽にも飢えていた若人は戦争を忘れ、音楽に酔った。ついで”海ゆかば”になると再び戦争の現実に帰った。これが最後の第九か ー不安が再び頭を擡げ、出陣学徒は三々五々複雑な表情で散っていった。会場に残った私は、全身から力が抜けていったのをいまでも覚えている」

実際、小説の巻末には、参考文献の一つとして栗原義郎氏のこの文章があげられており、当事者だった栗坂義郎氏の想いを尊重し、その想いに寄り添った形での描写であることは間違いない。

話題の小説の中で、1944年8月6日の第九のエピソードが紹介されていることを知ったら、スズキさん、喜んだだろうな、と思う。

心覚えのために、記録として書いておく。

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社会派おにいさん

先日、初めて「おかあさんといっしょ」の雑誌みたいなのが出ているのを知って、読んでみた。内容のほとんどは、番組のなかで歌われている歌の歌詞だとか、おにいさん、おねえさん、ガラピコプーの写真とか、そんなものだったんだけど、1ページだけ、歌のおにいさん、おねえさん、体操のおにいさん、おねえさんの4人の「生の声」を紹介するコーナーがあった。

ここでおさらいをしておくと、「歌のおにいさん」は、花田ゆういちろうさんという方で、番組ではおばけを怖がる気弱なおにいさんというキャラ。

「歌のおねえさん」は、小野あつこさんという方で、まじめで明るくて食いしん坊キャラ。

「体操のおにいさん」は、福尾誠さんという方で、体を動かすことが大好きな筋肉おにいさんというキャラ。

「体操のおねえさん」は、秋元杏月さんという方で、明るくて元気なマンネ(末っ子)キャラ。

で、現役のおにいさん、おねえさん、というのは、もちろんほかの番組に出演することはなくて、特定のメディアの取材に答えるというようなこともない。

つまり、外に向かって発言する機会がまったくなく、ヴェールに包まれている存在なのである。

そんな存在なので、雑誌のなかで、たとえ200字程度のコメントでも、4人のおにいさん、おねえさんの発言が載るというのは、かなり貴重なのである。

で、その内容を見てみると、「行ってみたいところ」というのがテーマらしく、歌のおねえさんのあつこおねえさんさんは、自分が以前、中学校の教育実習に行ったときに、生徒と一緒に「夏の思い出」を歌ったことを思い出し、尾瀬に行ってみたいと語っていた。いかにもあつこおねえさんらしい、まじめでシブい答えである。

体操のおにいさんのまことおにいさんは、「宇宙に行ってみたい」と語っていて、

(キャラそのまんまだな!)

と思ったり、体操のおねえさんのあづきおねえさんは、

「あつこおねえさんのお母さんの実家があるという沖縄に一緒に行ってみたい!」

とこれまたマンネらしい答え。

う~む。これはライターが、各人のイメージをもとにコメントを創作しているのかな?とも思ったのだが、歌のおにいさんのゆういちろうおにいさんのコメントが、ほかの3人とは違っていた。

「韓国映画『パラサイト』を観て、韓国に興味を持ち、韓国に行ってみたい、韓国語を勉強してみたい、という気持ちになった。よい映画を観ると、その国の文化を知りたくなりますね」

みたいなことを語っていた。

これだけでも僕は、ゆういちろうおにいさんのイメージがガラリと変わり、これまで以上に応援したくなったのだが、そのページの一番下に、コメントが収まりきらなかったのか、ゆういちろうおにいさんの追加コメントみたいなものが載っていた。

「最近、テレビで『チェルノブイリ』というドラマを観て、被害が次第に拡大していく様子が、新型コロナウィルスに直面している僕たちにとって、とても考えさせられる内容でした」

みたいなコメント(引用は正確ではない)が書いてあって、

(おいおい、ずいぶんと社会派だなあ)

と、僕はすっかり魅了されてしまった。

なにより、読者対象が子どもである「おかあさんといっしょ」の雑誌に、まさかの「チェルノブイリ」というドラマの話が出てくるのである。

ここからは僕の想像。

コメントをまとめたのは、ライターなのだから、ライターのさじ加減ひとつで、それぞれのキャラクターに合ったコメントを(子ども向けに)創作または誇張することも可能である。

だが、ゆういちろうおにいさんのコメントだけは、番組でのキャラクターから想像されるものとはまったく異なる内容である。

ライターは、ゆういちろうおにいさんのコメントを最大限に尊重し、生かそうとしたのだろう。それで、「パラサイト」と「チェルノブイリ」という、一見場違いなコメントをあえて残したのである。

おばけを怖がる気弱なキャラという印象とはまったく異なる、社会派な発言に、ライターも魅了されたのではないだろうか。

こういうのを、ギャップ萌えというのだろうか。よくわからない。

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逆ピカレスク小説

むかし、浅田次郎のエッセイを読んでいたら、まとまった休みができたときは、スーツケースいっぱいに(他人様の)小説を詰めて、旅先でそれをひたすら読み耽る、みたいなことが書いてあって、そのときはあまりピンとこなかったのだが、いまはその行為をしてみたくなる気持ちがよくわかる。

ということで、本当は書かなければいけない原稿が山ほどあるのだが、この週はそこから逃避することにして、できるだけ仕事とは関係のない本を読みたいと思っているのだが、実際にはなかなか読書三昧、というわけにもいかない。

子どもの頃、テレビ朝日の「特捜最前線」という刑事ドラマが大好きだったのだが、物語が終わり、エンドクレジットのところで、脚本家の名前が出る。その名前を見るのが好きだった。

見ているうちに、脚本家の作風みたいなことがだんだんわかってきて、…といってもなんとなくわかるのは、二人ぐらいなのだが、あ、これはトリックが凝っているから長坂秀佳だな、とか、あ、これは人情話の要素が強いから塙五郎だな、とか。…ま、ある時期は、ほとんどこの二人が脚本を書いていたんだけどね。

そういう遊びが好きだったのだが、いまのドラマでそれをやるとしたら、テレビ朝日の「相棒」である。

…といってもこのドラマには脚本家が多いので、各脚本家の作風を当てることはなかなか難しいのだが、

(うーむ、今回の話はすごいなあ)

と思った回の脚本は、だいたいが太田愛だったりすることに気づいた。ま、あくまでも自分の好みなのだろうけれど。

で、以前に太田愛の小説『天上の葦』(角川文庫)を手に入れたのだが、ちょっと分量が多かったので、なかなか取りかかることができずにいた。この夏休みを逃したら、読む機会がなくなってしまうかもしれない、と思い、ようやく取りかかることにしたのである。

巻末の解説に町山智浩さんが書いているように、太田愛の脚本家としての出発点は、円谷プロの(平成)ウルトラマンシリーズである。

この点については、町山さんの解説を読む前に、TBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」で、太田愛がゲストに来た際に(それこそ、この『天上の葦』が刊行された時期に合わせてのゲストだったと思う)、太田愛の脚本家デビューがウルトラマンシリーズであることを聴いて知っていた。

その後、円谷プロのYouTube公式チャンネルで、『ウルトラマンダイナ』の「少年宇宙人」という作品が配信されたときにたまたま観てみたら、とてもメッセージ性の強い内容ですごいなあと思っていたら、脚本が太田愛だった。町山さんは解説のなかで、太田愛という脚本家に初めて注目したのは、このエピソードを見たときからだったと解説のなかで述懐している。

前置きが長くなったが、『天上の葦』を読んでみた。

予想に違わぬ面白い内容であった。報道をとりまくいまの状況が、ヘタをすると戦時中のメディア統制と同じ道をたどってしまうのではないかという危機感がよく伝わってくる。「相棒」の脚本でこれまで小出しにしてきたメッセージを、この小説に込めたのだなということがよくわかる。

そのへんの背景は町山さんの解説をはじめいろいろと語られているからそちらに譲るとして、それ以上に、僕の読後感は、エンターテインメントとして十二分に楽しめた、ということであった。

なんと言えばいいのか、「逆ピカレスク小説」という言葉が頭に浮かんだ。

「ピカレスク小説」は、悪党をテーマにした「悪漢小説」とか「悪党小説」といったジャンルだが、僕のなかでは、悪党たちがいろいろな悪知恵を駆使して悪事を成し遂げていくという娯楽小説というイメージがある。

この小説も、主人公たちがさまざまな知恵を駆使して、ひとつのことを成し遂げていくというスリリングな娯楽小説と言えるのだが、主人公たちは悪党ではなく、むしろ彼らを追い詰めていく連中が公安警察という悪党たちなのである。

いや、公安警察の立場からすれば、自分たちこそ善で、あいつらが悪党なのだ、という理屈が成り立つのかもしれない。しかし、これを「ピカレスク小説」としてしまうと、公安警察を善と認めてしまうことになるので、「逆ピカレスク小説」と命名してみた。

まったく的外れな感想かもしれない。

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ファンのリアリティー

前回、是枝裕和監督の映画「海よりもまだ深く」のことを書いて、ひとつ、些細なことなのだが、思い出したことがあった。

たまに実家に帰ると、一人暮らしの母はよく、昼間にBSで再放送している「2時間ドラマ」を観ていることが多い。

なかには、わざわざ録画して観ているものもあるようである。

実家に戻るたびに、熱心に2時間ドラマを観ているのだが、僕はつい先日、あることに気づいた。

母がもっぱら熱心に観ている2時間ドラマが、『駅弁刑事・神保徳之助』(TBSテレビ)というシリーズだ、ということである。主演は、小林稔侍である。

僕は恐る恐る母に聞いた。

「ひょっとして、…小林稔侍のファンなの?」

「そうだよ」

いやあ驚いた。母が小林稔侍のファンだったなんて、初めて知った。

「橋爪功もね」

なんと、橋爪功が主演の2時間ドラマも熱心に観ているらしい。

「じゃあ、平泉成は?」

と試みに聞いてみたが、「あの人はほら、どちらかというと2時間ドラマでは脇役だから」といって、そこは違うようである。

僕が不思議なのは、キムタクとか福山雅治とかじゃないんだ、ということだった。年相応というか、同世代の俳優の方が、心惹かれるようなのである。

ま、考えてみれば僕自身も、いまは若い女優よりも同世代の女優に心惹かれることが多いから、同じことなのか。

ということは、自分がもっとジジイになったときにも、年相応の女優のファンになったりするのだろうか。どうもそこまでの実感が、まだわかない。

なんでこんなことを思い出したのかというと、映画「海よりもまだ深く」のなかで、団地に一人住まいしている樹木希林が、同じ団地にやはり一人住まいしている、橋爪功扮する老紳士が主宰しているクラシック音楽愛好サークルみたいな会に足繁く通い、その老紳士のクラシック音楽解説をうっとり聞く、という場面があったからである。その愛好会には、樹木希林だけでなく、団地に住む同世代の老婦人たちが、その老紳士のクラシック音楽解説を聞くことを楽しみに集まっていて、母が2時間ドラマの小林稔侍や橋爪功にハマっているのを間近に見て、映画のその場面が、急にリアリティーのあるものとして感じられたのである。

ひょっとして是枝監督は、この映画でそういったディテールを描きたかったんじゃないだろうか。

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これは予言なのか

ちょっと前の話になるが、録りだめておいた是枝裕和監督の映画を何本かまとめて観た。

「そして父になる」(2013年)

「誰も知らない」(2004年)

「海よりもまだ深く」(2016年)

の3本。いずれも劇場では観ていない。

僕は、是枝監督の作品にそれほど思い入れがあるわけではない、のだが、こうしてみると、意外にけっこうな数の是枝作品を観ているなあ。

個人的には、「万引き家族」よりも「誰も知らない」の方が、強く印象に残る映画だと思ったのだが、どうだろう。

…いや、今回書きたいのは、そういうことではない。

ほとんど誰も注目していないことだと思うが、「海よりもまだ深く」で、樹木希林と小林聡美が、親子の役で共演していることが、僕にとっては大事件である。

この映画が、阿部寛を主演としていながら、ほとんど樹木希林の存在感が圧倒的な映画であることは、誰しも認めることであろう。さらに僕からしたら、よくぞ娘役に小林聡美をキャスティングしてくれた!と、拍手喝采せずにはいられない。

大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」で、尾美としのり扮するヒロキの母(藤田弓子)の友人役で、樹木希林が出演している。そしてその娘役が、いわゆる「尾道三部作」の第一作「転校生」での主人公を演じた小林聡美なのである。「転校生」でも樹木希林と小林聡美は共演しているが、ここでは「直接の」親子関係にはない。ただ、この二人のキャスティングは、明らかに、「転校生」ファンに向けてのサービスであった。藤田弓子と尾美としのりの親子、樹木希林と小林聡美の親子が、一堂に会する場面は、映画の中でもとりわけ祝祭的な場面である。

で、大昔、「さびしんぼう」に関する誰かの短い映画評を読んだことがある。誰の映画評なのか、どこに載っていたのか、まったく覚えていないのだが、ちょっと辛辣な評価だった印象がある。載っていた雑誌は『広告批評』だったかな?

なんて書いてあったかというと、富田靖子と藤田弓子、小林聡美と樹木希林は一卵性双生児のようなもので、女優としての富田靖子の未来は藤田弓子であり、女優としての小林聡美の未来は樹木希林である、みたいな評。なんだかよくわからないが、それを読んだ当時、なんとなく、富田靖子と小林聡美を揶揄しているような書きぶりだった。つまり、将来は、藤田弓子「程度」の女優、樹木希林「程度」の女優になるのだろう、といったニュアンスである。ま、細部は覚えていないので、僕の思い込みにすぎないかもしれない。

…こういう冷笑系の映画評は、やっぱり『広告批評』だったんじゃないだろうか。まあそれはともかく。

だが小林聡美に関していえば、将来は樹木希林「程度」の女優になる、というのは、いまとなっては最高の褒め言葉なのではないだろうか。樹木希林は、晩年、何者にも代えがたい存在として評価されていった。映画「さびしんぼう」から30年経って、樹木希林と小林聡美が再び親子役で共演することに、僕はある感慨を禁じ得ないのである。

このキャスティングは「さびしんぼう」を意識したものなのか?いや、それは考えすぎだろう。であればなおさら、この二人を親子とするというキャスティングに自然にいきついたことは、まさに慧眼というべきである。樹木希林の娘役は、小林聡美でなければならないのだ。そして、いずれ樹木希林のような存在になっていくはずである。

あの映画評を書いたのは誰だったのだろう?

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日付またぐまで

8月10日(月)

今日も、2歳4か月の娘を寝かしつけるまでの激闘が、2時間以上続いた。結局、日付をまたいでしまった。

保育園に行かない日が続くと、途端に生活のリズムが乱れてしまう。

保育園では、いつも決まった時間に、午睡といって昼寝をするのだが、家にいるときは、極力昼寝をしたがらない。

不思議でならないのは、家にいるときは昼寝をしたがらない娘が、保育園ではなぜ、決まった時間にお昼寝をすることができるのだろう?

まったくもって謎である。

しかし、昼寝をしないと、中途半端な時間に眠くなってしまう。これがよくない。

よくあることだが、ギリギリまで昼寝をしなかったのに、夕食を食べる直前あたり、6時頃になって寝てしまうときがある。そういうときは、そのまま寝かせておくべきなのか、それとも起きるまで待って、そのあとに夕食を与えるべきなのか、判断に困る。

今日も、ちょうど夕食の直前あたりの時間に寝てしまった。もうこうなると、「お昼寝」ではない。

こういう日はきまって、夜寝るのが遅い時間にズレ込んでしまうのである。

(今日は寝かせるのがいつも以上にたいへんだろうな…)

というのが、容易に予想できた。

で、その予想通り、今日の娘は、かなりしつこい。

「だっこして」

だっこして歩き回ること数分、

「ねんねする」

といって、だっこから降りたがるので、布団に横たえる。

で、また数分後、

「だっこして」

の繰り返し。うーむ。今日はかなり手強いぞ。

しばらくこれを続けると、ようやく眠くなったとみえて、布団に寝かしつけ、やれやれと安堵すると、しばらくして、

「だっこして!」

とまた起き上がってきた。眠ったと見せかけて、からの~、「だっこ」攻撃である。

まるで何度倒してもよみがえる怪獣のごとくである。

で、またしばらく縦だっこをするのだが、最初は腕の中でバタバタと動いていた娘の動きが、やがて静かになり、動きもなくなったので、これはもう眠ったかな?と思って、顔をのぞき込んだら、

目がカッと開いていた!

どんなホラー映画なんだ??!!

日付が変わって少し経ってから、ようやく眠りについた。

今日の怪獣との激闘は、いつも以上に熾烈だった。

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千本だっことようかいかいかい

8月9日(日)

例によって、夜は、2歳4か月の娘をいかに寝かしつけるかで、死闘が繰り広げられる。

朝から働きづめの妻は、早々と寝落ちしてしまうので、寝付きが悪い娘は、別室で部屋の明かりを消して息を潜めている僕のところにやってきて、

「だっこして」

という。娘も、僕が寝ていないことを知っているのだ。

そのたびに12㎏以上の娘をだっこして歩き回るのだが、今日は、ハナっから寝る気配がない。

だっこの間じゅう、僕の顔をつねったりめがねをいじったりして、もう完全に寝る気がない。

それが飽きてくると、

「ねんねする」

という。ねんねするから、だっこをやめて布団に寝かせてくれ、というのだ。

いやいやいや、おまえ、絶対寝ないだろ!と思いながらも、何度も「ねんねする」というので、

「絶対ねんねする?」

と聞くと、

「ぜったいねんねする」

と答える。たぶん、「絶対」の意味をわかっていないのだろう。

「もうだっこしないからね」

「うん」

そうやって布団に寝かせて、僕は別室に戻る。

すると数分後、娘がやってきて、

「だっこして」

という。ほら、またやってきた。

僕はまた、寝る気のまったくない娘をだっこして、娘がだっこに飽きて、

「ねんねする」

というと、

「絶対ねんねする?」

「ぜったいねんねする」

と確認をとって、布団に寝かせる。

するとまた数分後、

「だっこして」

この繰り返しが、そうねえ、1時間半くらい続く。

「縦だっこ」だから眠れないのだろうか、と、お姫様だっこも試してみたりするのだが、寝ないときはどんなだっこの仕方でも全然寝ないのだ。

だが1時間半くらいこれを繰り返すと、さすがに娘も眠くなってくる。

すると今度は、背中がかゆくなるみたいで、

「かいかい、かいかい、うぇーん」

と、背中をかいてくれと泣きついてくる。

あせもがあるわけではないのだが、それでも汗をかくので、背中がかゆくなってくるらしい。

最近気がついたのだが、

「かいかい、かいかい」

と騒ぎ出すと、眠くなり始めた証拠である。

僕が背中をかくまで泣き止まない。仕方がないので、背中をガリガリかいてやると、少しおとなしくなる。

もう大丈夫かな、と思って、かくのをやめると、

「かいかい、かいかい」

とまた騒ぎ出す。で、また背中をガリガリかいてやると、おとなしくなるので、かくのをやめると、

「かいかい、かいかい」

とまた騒ぎ出す。

なんだ、センサーみたいなもんがついているのか?あるいは妖怪「かいかい」か?

ずっと背中をかき続け、眠りが深くなったな、と思ったところで、かくのをやめると、その後は騒ぐことなく、ぐっすりと眠る。

やれやれである。

そんなわけで、「かいかい」と言い出したときは眠いときだ、ということが最近わかってきた。人間、眠くなると体温が上がり、体温が上がると体がかゆくなる、それゆえに、眠くなると体がかゆくなるのではないかと、僕は仮説を立てている。

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漫才の習作

どうもミルクボーイです。お願いします。

ありがとうございます。今、雨がっぱをいただきましたけどもね。こんなん、なんぼあってもいいですからね。ゆうとりますけれどね。

うちのおかんがね、好きなうがい薬があるらしいんやけど。

そうなんや。

その名前を忘れたらしいねん。

うがい薬の名前忘れてまうってどうなってんねん。

いろいろ聞くんやけどな、全然わからへんねん。

ほんだら俺がね、おかんの好きなうがい薬、一緒に考えてあげるから、どんな特徴言うてたかとか教えてみてよ。

おかんが言うにはな、カタカナで4文字のやつやって言うてた。

イソジンやないかい?その特徴はもう完全にイソジンやがな。すぐわかったよこんなもん。

わかれへんねん、でも。

何がわかれへんねん!

俺もイソジンやと思てんけどな、おかんが言うには、オレンジ味やグレープ味があるっていうねんな。

ほな、イソジンと違うか…。イソジンはね、薬品ぽい味がすんねん。オレンジ味とかグレープ味なんて飲みやすいものではないねん。イソジンって、そういうもんやから。イソジンちゃうがなそれ。もうちょっと詳しく教えてくれる?

おかんが言うには、なんでもCMの歌が有名やいうねん。「ただいまのあとは、ガラガラジンジン、ガラガライソジンジン♪」

イソジンやないかい!歌の中で「イソジン」言うてもうてるやん!俺はなんでもお見通しやねんから!イソジンやそんなもんは!イソジンに決まりや!

わかれへんねん、でも。

何がわかれへんねん!

俺もイソジンやと思てんけどな、おかんが言うには、子どもたちが大好きで、夏になると冷たい水で薄めてごくごく飲む言うねん。

ほな、イソジンちゃうやないかい!イソジンはね、子どもがいちばん嫌いな味なの!それにあんなもん、ごくごく飲むもんやないよ。もうちょっとなんか言ってなかった?

おかんが言うにはな、大阪府知事が記者会見で紹介したら、全国で品薄になってパニックになったたらしい。

イソジンやがな。大阪府知事が不用意な発言をしたばっかりに、全国でイソジンが品薄になって、歯医者さんが治療に使ううがい薬が手に入らなくなって困ってしまったんや。まったく迷惑な話や。イソジンや、そんなもん。

わかれへんねん。

なんでわかれへんのそれで。

俺もイソジンや思てんけどな、おかんが言うには、それでうがいをすると新型コロナウィルスに罹らへん言っててん。

イソジンちゃうやないか!イソジンでうがいすると新型コロナウィルスに罹らへん、なんてことはないのよ!そういう根拠のないことを堂々と言うやつがおるのよ、腹立つわ~。 もうちょっとなんか言ってなかったか?

おとんがいうには、イチジク浣腸ちゃうかって。

いや、絶対ちゃうやろ!もうええわ。

どうもありがとうございました。

(※最近はマイルドミント風味やアップル風味のイソジンもあるそうです)

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入学から就活まで

前回の記事で村木厚子さんのことを書いたが、最近出版された村木厚子さんの著書『公務員という仕事』(2020年7月、ちくまプリマー新書)という本がおすすめである。

とくに、公務員を目指す大学生のテキストとして、これ以上によい本はないと思う。

試みに、本書の「おわりに」で書かれているメッセージを引用する。

「①新しい仕事をするチャンスがあったら引き受けましょう。

これは、自分の大学時代の恩師から教えられたことです。その人の職業的なキャパシティーというのは、専門性・経験の深さと間口の広さの掛け算で決まる。だから、自分の専門性、得意分野を伸ばすことは大事だが、同時に、ほんの少しでもいいから、まったく違う分野を経験してみると、それは、掛け算で効いてくるというのです。だから、新しいこと、苦手なことへのチャレンジは大きなチャンスなのです。

②昇進のオファーがあったら受けましょう

昇進は階段を上ることととてもよく似ています。階段を上ると、背が伸びたわけでもないのに、下の段にいたときには背伸びをしたり跳び上がったりしなければ見えなかったものが自然に見えるようになります。オファーがあったということは、客観的に見て実力がついているということ。自信をもって、オファーを受けましょう。

③ネットワークを作りましょう

仕事はうまくいくこともいかないこともあります。先が見えないこともしょっちゅうです。そんなときに、同じように仕事に取り組む仲間や、経験豊かな先輩とのネットワークがあれば、たくさんアドバイスがもらえます。自分の仕事と全く違う異業種の人に新しい視点をもらったり、みんな同じように悩むんだと連帯感を持ったりというのもうれしいことです。

④家族・家庭を大切にしましょう

これまでの日本社会は、「滅私奉公」などといった言葉にも象徴されているように、職場では家庭のことはあまり見せない、残業も、転勤もいつでもOKといった仕事優先の姿勢が賛美される傾向がありました。しかし、家族・家庭は安定した職業生活の基盤ですし、「仕事」と「家庭」という二つの軸を持つことで、ものの見方が多様になったり、気分転換を上手にできたりします。これからは家族・家庭を大切にしている人が職場でも尊敬されるようにしたいですね。」

この4つは、いちいちうなずくことばかりである。若い人向けの言葉なのだが、すべていまの僕にもあてはまる。つまり、いくつになっても、この4つは大事だということなのだろう。若者だけでなく、中堅やベテランも読むべき本である。

ついでに(といっては失礼だが)もう1冊、おすすめの本は、武田砂鉄『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版、2020年7月)である。こちらの方は、実はまだ読み始めたばかりなのだが、僕はこの本を読んで、忸怩たる思いがする。

教員稼業をしていた頃、大学に入学したての学生を対象にした授業「スタートアップセミナー」を担当したとき、人の文章をわかりやすく要約する技術であるとか、自分の考えをわかりやすくプレゼンする技術とか、そういうことばかり教えていた。

しかし本当は、大学というところは、わかりにくいことを勉強するところなのだ。わかりやすいことはよいことばかりではない、ということを学ぶ場のはずである。

その意味で、本来は大学に入ったら、「世の中はわかりやすいことばかりではない」「わかりやすいことには、落とし穴がある」といったこと学ぶ必要があるのだ。だがいつの頃からか、「わかりやすいことは善」という考え方が、大学教育を支配するようになってしまった。

だからいまの僕だったら、大学に入学したての学生を対象にした授業では武田砂鉄『わかりやすさの罪』をテキストにし、就活をしている学生を対象にした授業では村木厚子『公務員という仕事』をテキストにするだろう。ま、そういう機会はこの先永遠に訪れることはないだろうけれど。

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犬笛のようなもの

ちょっと前に、あるオンラインの打ち合わせで、村木厚子さんとご一緒することになった。

2009年6月、厚労省の局長だった村木厚子さんが身に覚えのない罪で大阪地検特捜部に逮捕され、不当勾留という信じがたい仕打ちをされたが、その後裁判で無罪が確定し、厚労省に復帰して最終的には事務次官になったことは、記憶に新しい。

打ち合わせは5~6人のこぢんまりとしたものだったのだが、僕自身は直接村木さんとお話ししたわけでなく、もっぱらほかの人たちが村木さんにいろいろと質問していた。僕は黙ってそのやりとりを聞いていただけなのだが、村木さんのお話がとても明快でわかりやすく、じつに素敵な方だという印象を持った。

そんなわけで、僕は村木厚子さんのファンになったのだが、昨日たまたまテレビをつけると、NHK-BSの「アナザーストーリー」という番組で、村木さんの不当逮捕についてのドキュメンタリーを放送していた。

番組の後半の方に、映画監督の周防正行さんが登場した。周防さんは、映画「それでもボクはやってない」で、刑事司法のゆがんだ現状を丹念な取材に基づいて描いた。それがきっかけで、村木さんの事件をきっかけに進められることになった刑事司法改革の委員に抜擢される。そしてその顛末を、周防さんは「それでもボクは会議で闘う」(岩波書店、2015年)にまとめた。

この本の内容については、すでに書いたことがあるので、そちらを参照のこと。

今回書きたいのは、村木厚子さんのことでも、周防監督の本のことでもない。周防監督の映画「それでもボクはやってない」についてである。

周防監督の映画は基本的には好きなのだが、僕はこの映画を見ていない。

それは、「この映画って、功罪両面あるよね」という妻の言葉になるほどと思ったからである。

この映画は、痴漢のえん罪についての映画である。

何の罪もない一市民が、痴漢の容疑者として逮捕され、不当な取り調べを受けて裁判にかかる、というストーリー。

現在の刑事司法の不当なやり方に対する告発的な映画だ、というのはよくわかる。

そこを問題にしたいのではなく、この映画が、「痴漢のえん罪」をテーマにしたことが引っかかるのである。

たしかに痴漢のえん罪という事案は存在する。だが、実際に痴漢の被害にあった事件にくらべると、痴漢のえん罪というのは、おそらくごくわずかである。

にもかかわらず、おそらく、この映画をきっかけに、痴漢のえん罪というのが社会問題化し、テレビのワイドショーなんかでも大きく取り上げられた。

その結果、痴漢を訴えた側が加害者である、という本末転倒な論調が生まれたのである。

いやいやいや、実際には痴漢の被害の方が断然多いのだ。痴漢のえん罪が社会問題化したために、男性を不当に陥れるために痴漢を訴える女性があたかも多いような空気ができてしまった。

これは、痴漢を訴えることに対して萎縮させてしまうことにもつながる。

ま、映画監督としては、ふつうの人が突然不当に逮捕されて不当な取り調べを受ける、もっとも身近な事例として、痴漢のえん罪という題材を選んだのだろうけれど、「でも、これが女性監督だったら、この題材にはしないよね」と妻。たしかにその通りである。

そんなわけで僕は、複雑な思いをもって、いまだにこの映画を見ることができていないのである。

…それで思い出したことがあった。

以前にいた職場で、ハラスメント防止対策の担当をしていたとき、どのようにしたらハラスメントに対して問題意識を高めてくれるだろうか、と考え、社内の全員に、大規模なアンケート調査をすることを考えて、提案した。当時仕えていた副社長に提案すると、ぜひやりましょうということになり、僕はアンケート項目を作り、自分の部局で、このアンケートについての説明をすることにした。

そのアンケートには、「ひょっとしたらこれ、ハラスメントじゃないかな」といった、ふだん言いたくても言えないようなことも、自由記述で書いてもらうような仕掛けを作った。つまり「寝たふりした子を起こす」ことをしよう、と思ったのである。そうすることで、ハラスメントに対する意識を高めることがこのアンケートの目的だった。

僕が自分の所属する部局で、そうしたアンケートのねらいを説明すると、当時その部局の管理職をしていたある同僚が、

「学生が教員を陥れようとしてありもしないハラスメントを書き込む可能性があるので、こうしたアンケートはいかがなものか」

といって、難色を示したのである。

僕はそのとき、非常にモヤモヤしたものを感じたのだが、あとになって、痴漢のえん罪が社会問題化したときに、そうか、これは痴漢のえん罪を恐れる心理と同じなんだな、と思った。実際のところハラスメントの事案が多いことは不問に付し、ひたすら、偽のハラスメントが起こることへの警戒感のみを主張する。典型的な「論理のすり替え」である。

その頃から、その管理職の同僚には違和感を抱くようになったのだが、その後も、僕がいろいろと相談しに行くと、同様の対応をされたことが何度か続き、

(う~む。この人に何を話してもダメだな)

と確信し、僕はその人と決別したのである。

すでにその人は定年退職され、別の職場に移られたそうだが、もうそんな年月が経ってしまったのかと、僕はある感慨をもって、このことを思い出したのであった。

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シューベルトの子守歌

8月4日(火)

この2日ほど、例の海外のプロジェクトの申請書に忙殺された。「七人の侍」よろしく、交渉の末、メンバーを7人集め、申請書をなんとか書き上げ、ようやく自分の手を離れた。

三谷幸喜の映画『ラヂオの時間』で、素人の書いたラジオドラマの台本を、たった10分間でまるっきり書き換えるという、敏腕放送作家の「バッキーさん」という人物が登場するが、依頼されてから4日で申請書を仕上げた僕のいまの気分は、さしずめバッキーさんである。

そんなことはともかく。

帰ってからは、また寝付きの悪い娘を寝かしつけなければならない。

パターンは昨日と同じ。

朝から働きづめの妻が寝落ちしてしまうと、2歳4か月の娘は、別の部屋で電気を消して息を潜めている僕のところにやって来て、

「だっこして」

という。

また始まった。今日は何回続くのだろう。

抱っこしては布団に寝かせる、という動作を2回繰り返したが、やはり娘は眠れないようである。

こういうとき、実は秘策がある。

それは、「子守歌を歌う!」ということである!

あのねえ。子守歌といっても、バカにしてはいけませんよ。子守歌は人類が長年かけて作り出した「智慧」なのだ。

子守歌を歌ってごらん。ウソのように子どもが寝てしまうから。

僕が選んだ子守歌は、「シューベルトの子守歌」!

「ね~むれ~ ね~むれ~ は~は~の~む~ね~に

ね~むれ~ ね~むれ~ は~は~の~て~に」

この8小節を繰り返し繰り返し抱っこしている娘の耳元で歌う。

歌詞なんかつけずに、鼻歌だけでいい。

するとあら不思議、娘はストンと眠りに落ちてしまうのである。まるで眠り薬が効いたみたいに。

娘がまだ生後数か月の頃に、抱っこしながら寝かしつけるときに、ためしにこの歌を歌っていたら、たちどころに寝てしまったので、その成功体験が、いまも僕にこの歌を歌わしめているのである。

なぜシューベルトの子守歌にしたかというと、この国には、

「ね~んね~ん ころ~り~よ おこ~ろ~り~よ~」

という有名な子守歌があるのだが、これはメロディーに起伏がありすぎて、繰り返し歌おうとすると、歌ってる方が疲れちゃう。

それにくらべると、シューベルトの子守歌は、メロディーがどちらかといえば単純なので、エンドレスで歌っても苦にならないのだ。

ま、子守歌を歌うと子どもは必ずすぐ寝る、ということでもないのだが、かなりの確率で、早く眠りに落ちることは断言できる。

子守歌こそ、人類の叡智である。

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ようかいしりとり

8月3日(月)

午前中は在宅で、気が重い仕事に関するメールを何人かに出したり、書類を書いたりした。

午後は、車で1時間半ほどかかる病院で、定期の検査である。

かかりつけの病院が、車で片道1時間半ほどかかる(それも首都高を使って)ところにあり、そこでしかるべき検査をするというのは、なかなかに体力を消耗する。まったく、体力がないと病院に通えない。

これだけで僕はすっかり疲弊するのだが、帰ると今度は、2歳4か月の娘が待っている。

娘は寝付きが悪い。おそらく家族の中でいちばん寝付きが悪いのではないだろうか。

こちらとしては、とにかく早く寝かせようと、テレビを消したり部屋中の電気を消したりしするのだが、いっこうに寝る気配がない。

妻は朝から休みなく働いているので、「いの一番」に寝てしまうのだが、横で寝ようとする娘は、どうも眠れないらしい。

僕はといえば、別の部屋で明かりを消してベッドに横たわって、娘が寝てくれるのをじっと息を潜めて待っているのだが、娘は、妻がぐっすり寝ていることがわかると、僕のところにやってきて、

小声で

「だっこして」

という。抱っこをしないと寝てくれないのだ。

僕はベッドから起き上がって、娘を抱っこして、頃合いを見て、布団に寝かせる。

それでもまだ眠れないらしく、少し経ってまた僕のところに来て、

「だっこして」

という。

これが数回繰り返される。

若い人ならばたいしたことがないのかもしれないが、50を過ぎた僕にはけっこう体力的にキツい。

抱っこをしては布団に寝かせる、という動作を何度も繰り返し、ようやく眠ってくれるのである。最近は、夜11時半とか12時までかかることが多い。

その頃には僕もすっかり疲れてしまって、そのままぐったりと眠ってしまう。

ひどいときには、娘を寝かしつける前に、自分が先に眠ってしまうこともある。

なのでこのブログを書くのも、最近はとてもしんどいのだ。ほとんど眠りながら書いているといってもよい。

さて、最近、娘がはまっている歌が、「おかあさんといっしょ」でたまに歌われる「ようかいしりとり」である。

作詞がおくはらゆめ、作曲が種ともこ。種ともこですよ!

種ともこといえば、僕が20代の頃、シンガーソングライターとして活躍していたんじゃなかったかなあ。「おかあさんといっしょ」には、種ともこが作曲した名曲がけっこうある。「ようかいしりとり」もそのひとつである。

曲もすばらしいが、詞もまたなかなか凝っている。1番の歌詞のしりとり部分が、

「ろくろっくび→びんごうがみ→みつめこぞう→うみぼうず→ずんべらぼう→うまつき→きつねび→びじんさま→まくらがえし→しらぬい→いったんもめん。ん?まけた~!」

2番の歌詞のしりとり部分が、

「ざしきわらし→しちほだ→だいだらぼっち→ちょうちんおばけ→けらけらおんな→なきばばあ→あまのじゃく→くらげのひのたま→まめたぬき→きむないぬ→ぬらりひょん。ん?まけた~!」

である。

これ、大人だって覚えるの難しいぞ。第一、妖怪の名前を見て、その姿がすべて想像できるかというと、全然自信がない。つまり、イメージのまったく浮かばない名前がけっこうあるのである。

ましてや娘は、一つ一つの妖怪の姿を思い浮かべながら歌っているわけではない。聞いたままを覚えて、それを何度も歌っているのである。

しかし、名前を正確に発音することができないものが多くて、「びじんさま」をなぜか必ず「おじいさま」と言ったり、「だいだらぼっち」を「だいだらごっち」、「なきばばあ」を「なきままあ」、「あまのじゃく」を「あまこじゃく」、「まめたぬき」を「まめまむき」と、微妙に間違えて発音するところがかわいらしい。

そのうち、1番と2番がごっちゃになって、

「ろくろっくび→びんごうがみ→うみぼうず→ずんべらぼう→うまつき→きつねび→おじいさま→まめまむき→きむないぬ→ぬらりひょん。ん?まけた~!」

と、「みつめこぞう」が省略されたり、途中から2番の歌詞に移ってしまったりと、記憶があやふやになっていく。これもまたおもしろい。

この歌もまた、そのうちにちゃんとした歌い方になっていくだろうから、それ以前の未完成な歌い方を、忘れないうちに書きとどめておく。

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文章便利屋稼業

8月1日(土)

先週の金曜、ある方から、ある申請書を提出しなければならないのだがそのためには第三者の推薦書が必要なので、書いてほしいという依頼が来た。書類の最終締め切りは、8月10日消印有効なので、あまり時間がない。しかも、推薦書はメールに添付して送ればいいというものではなく、捺印した原本を提出するようにと、その要項には書いてある。

以前、お世話になった方なので、書くことは全然やぶさかではないのだが、申請書の内容を考えると、僕が書くのはお門違いなのではないだろうかといささか疑問を抱きつつ、まあそこはプロですから、申請の趣旨に合わせてすぐに書いて出すことにした。推薦書を書くこと自体は、「前の職場」でもさんざん経験があるので、別に苦にならない。その日のうちに書いて、翌日、捺印したものを郵送してその方のもとに届けた。

そして今日は、以前に一度だけお仕事したことのある方から、メールが来た。知り合いの海外の方が、その国からお金をもらってあるプロジェクトを実施することを計画しているのだが、そのプロジェクトの日本パートの代表者になってくれないか、ついては申請書の日本パートの部分を書いてくれないだろうか、という内容だった。

よくよく聞いてみると、昨晩遅く、海外の方からその方のもとに、いきなりプロジェクト計画の話が来て、申請書の締め切りも迫っているし、慌ててどうしようかということになり、僕の顔が浮かんで、僕に依頼のメールをよこしたのだという。

締め切りを聞いてみると、「8月10日までに、翻訳した上で、そのプロジェクト代表者の海外の方に送らなければいけない」という。あと10日しかないではないか。

その申請書には、日本パートが行うべき計画やチームのメンバーの名前とその役割、などを書く必要があって、つまりは計画やメンバーの人選などもこちらで行わなければいけないようである。

うーむ。この短い間で、それを完成させるのは至難の業である。人選にしたって、本人に内諾をもらった上でないと申請書には書けない。

厳しい審査があるそうなので、このプロジェクトが本当に採用されるのかどうかはわからないのだが、そもそも、自分がこのプロジェクトに参加するのは、物理的にも精神的にも不可能に近い。

しかし、である。

その方からいただいたメールは、かなり悲壮感が漂っていた。いきなり海外の方からこんな間際になって、日本チームを作って申請書を完成させろという無茶な依頼、というより命令が来たのである。その方からすれば、わらをもつかむ思いなのだろう。

メールをいただいたあとでお電話でお話ししたのだが、その方は、こんな無謀なお願いを一度しかお会いしたことがない方にお願いするのはまことに失礼きわまりないことは重々わかっているのですが…どうか前向きにご検討を、と、たいへん恐縮した様子でお話しになる。

まあ、海外の方が、ギリギリになって無謀な依頼をしてくることは、僕も何度も経験していることだから、それ自体は驚かないのだが、問題は、僕がそれにふさわしい人物かどうかである。きっと海外の方は失望するのではないだろうか。

だが、いろいろと聞いてみると、なかなか断れるような状況ではなく、仕方ない、申請書を書くしかないかなあと思い始めているところである。

こんなふうに、かなりタイトなスケジュールで、人の目にほとんど触れない文章を書く、という機会が、実はかなり多い。というか、今までそんなことばかりやってきた。文章便利屋などという需要があれば、すぐにでも起業したいくらいである。

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