犬笛のようなもの
ちょっと前に、あるオンラインの打ち合わせで、村木厚子さんとご一緒することになった。
2009年6月、厚労省の局長だった村木厚子さんが身に覚えのない罪で大阪地検特捜部に逮捕され、不当勾留という信じがたい仕打ちをされたが、その後裁判で無罪が確定し、厚労省に復帰して最終的には事務次官になったことは、記憶に新しい。
打ち合わせは5~6人のこぢんまりとしたものだったのだが、僕自身は直接村木さんとお話ししたわけでなく、もっぱらほかの人たちが村木さんにいろいろと質問していた。僕は黙ってそのやりとりを聞いていただけなのだが、村木さんのお話がとても明快でわかりやすく、じつに素敵な方だという印象を持った。
そんなわけで、僕は村木厚子さんのファンになったのだが、昨日たまたまテレビをつけると、NHK-BSの「アナザーストーリー」という番組で、村木さんの不当逮捕についてのドキュメンタリーを放送していた。
番組の後半の方に、映画監督の周防正行さんが登場した。周防さんは、映画「それでもボクはやってない」で、刑事司法のゆがんだ現状を丹念な取材に基づいて描いた。それがきっかけで、村木さんの事件をきっかけに進められることになった刑事司法改革の委員に抜擢される。そしてその顛末を、周防さんは「それでもボクは会議で闘う」(岩波書店、2015年)にまとめた。
この本の内容については、すでに書いたことがあるので、そちらを参照のこと。
今回書きたいのは、村木厚子さんのことでも、周防監督の本のことでもない。周防監督の映画「それでもボクはやってない」についてである。
周防監督の映画は基本的には好きなのだが、僕はこの映画を見ていない。
それは、「この映画って、功罪両面あるよね」という妻の言葉になるほどと思ったからである。
この映画は、痴漢のえん罪についての映画である。
何の罪もない一市民が、痴漢の容疑者として逮捕され、不当な取り調べを受けて裁判にかかる、というストーリー。
現在の刑事司法の不当なやり方に対する告発的な映画だ、というのはよくわかる。
そこを問題にしたいのではなく、この映画が、「痴漢のえん罪」をテーマにしたことが引っかかるのである。
たしかに痴漢のえん罪という事案は存在する。だが、実際に痴漢の被害にあった事件にくらべると、痴漢のえん罪というのは、おそらくごくわずかである。
にもかかわらず、おそらく、この映画をきっかけに、痴漢のえん罪というのが社会問題化し、テレビのワイドショーなんかでも大きく取り上げられた。
その結果、痴漢を訴えた側が加害者である、という本末転倒な論調が生まれたのである。
いやいやいや、実際には痴漢の被害の方が断然多いのだ。痴漢のえん罪が社会問題化したために、男性を不当に陥れるために痴漢を訴える女性があたかも多いような空気ができてしまった。
これは、痴漢を訴えることに対して萎縮させてしまうことにもつながる。
ま、映画監督としては、ふつうの人が突然不当に逮捕されて不当な取り調べを受ける、もっとも身近な事例として、痴漢のえん罪という題材を選んだのだろうけれど、「でも、これが女性監督だったら、この題材にはしないよね」と妻。たしかにその通りである。
そんなわけで僕は、複雑な思いをもって、いまだにこの映画を見ることができていないのである。
…それで思い出したことがあった。
以前にいた職場で、ハラスメント防止対策の担当をしていたとき、どのようにしたらハラスメントに対して問題意識を高めてくれるだろうか、と考え、社内の全員に、大規模なアンケート調査をすることを考えて、提案した。当時仕えていた副社長に提案すると、ぜひやりましょうということになり、僕はアンケート項目を作り、自分の部局で、このアンケートについての説明をすることにした。
そのアンケートには、「ひょっとしたらこれ、ハラスメントじゃないかな」といった、ふだん言いたくても言えないようなことも、自由記述で書いてもらうような仕掛けを作った。つまり「寝たふりした子を起こす」ことをしよう、と思ったのである。そうすることで、ハラスメントに対する意識を高めることがこのアンケートの目的だった。
僕が自分の所属する部局で、そうしたアンケートのねらいを説明すると、当時その部局の管理職をしていたある同僚が、
「学生が教員を陥れようとしてありもしないハラスメントを書き込む可能性があるので、こうしたアンケートはいかがなものか」
といって、難色を示したのである。
僕はそのとき、非常にモヤモヤしたものを感じたのだが、あとになって、痴漢のえん罪が社会問題化したときに、そうか、これは痴漢のえん罪を恐れる心理と同じなんだな、と思った。実際のところハラスメントの事案が多いことは不問に付し、ひたすら、偽のハラスメントが起こることへの警戒感のみを主張する。典型的な「論理のすり替え」である。
その頃から、その管理職の同僚には違和感を抱くようになったのだが、その後も、僕がいろいろと相談しに行くと、同様の対応をされたことが何度か続き、
(う~む。この人に何を話してもダメだな)
と確信し、僕はその人と決別したのである。
すでにその人は定年退職され、別の職場に移られたそうだが、もうそんな年月が経ってしまったのかと、僕はある感慨をもって、このことを思い出したのであった。
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