逆ピカレスク小説
むかし、浅田次郎のエッセイを読んでいたら、まとまった休みができたときは、スーツケースいっぱいに(他人様の)小説を詰めて、旅先でそれをひたすら読み耽る、みたいなことが書いてあって、そのときはあまりピンとこなかったのだが、いまはその行為をしてみたくなる気持ちがよくわかる。
ということで、本当は書かなければいけない原稿が山ほどあるのだが、この週はそこから逃避することにして、できるだけ仕事とは関係のない本を読みたいと思っているのだが、実際にはなかなか読書三昧、というわけにもいかない。
子どもの頃、テレビ朝日の「特捜最前線」という刑事ドラマが大好きだったのだが、物語が終わり、エンドクレジットのところで、脚本家の名前が出る。その名前を見るのが好きだった。
見ているうちに、脚本家の作風みたいなことがだんだんわかってきて、…といってもなんとなくわかるのは、二人ぐらいなのだが、あ、これはトリックが凝っているから長坂秀佳だな、とか、あ、これは人情話の要素が強いから塙五郎だな、とか。…ま、ある時期は、ほとんどこの二人が脚本を書いていたんだけどね。
そういう遊びが好きだったのだが、いまのドラマでそれをやるとしたら、テレビ朝日の「相棒」である。
…といってもこのドラマには脚本家が多いので、各脚本家の作風を当てることはなかなか難しいのだが、
(うーむ、今回の話はすごいなあ)
と思った回の脚本は、だいたいが太田愛だったりすることに気づいた。ま、あくまでも自分の好みなのだろうけれど。
で、以前に太田愛の小説『天上の葦』(角川文庫)を手に入れたのだが、ちょっと分量が多かったので、なかなか取りかかることができずにいた。この夏休みを逃したら、読む機会がなくなってしまうかもしれない、と思い、ようやく取りかかることにしたのである。
巻末の解説に町山智浩さんが書いているように、太田愛の脚本家としての出発点は、円谷プロの(平成)ウルトラマンシリーズである。
この点については、町山さんの解説を読む前に、TBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」で、太田愛がゲストに来た際に(それこそ、この『天上の葦』が刊行された時期に合わせてのゲストだったと思う)、太田愛の脚本家デビューがウルトラマンシリーズであることを聴いて知っていた。
その後、円谷プロのYouTube公式チャンネルで、『ウルトラマンダイナ』の「少年宇宙人」という作品が配信されたときにたまたま観てみたら、とてもメッセージ性の強い内容ですごいなあと思っていたら、脚本が太田愛だった。町山さんは解説のなかで、太田愛という脚本家に初めて注目したのは、このエピソードを見たときからだったと解説のなかで述懐している。
前置きが長くなったが、『天上の葦』を読んでみた。
予想に違わぬ面白い内容であった。報道をとりまくいまの状況が、ヘタをすると戦時中のメディア統制と同じ道をたどってしまうのではないかという危機感がよく伝わってくる。「相棒」の脚本でこれまで小出しにしてきたメッセージを、この小説に込めたのだなということがよくわかる。
そのへんの背景は町山さんの解説をはじめいろいろと語られているからそちらに譲るとして、それ以上に、僕の読後感は、エンターテインメントとして十二分に楽しめた、ということであった。
なんと言えばいいのか、「逆ピカレスク小説」という言葉が頭に浮かんだ。
「ピカレスク小説」は、悪党をテーマにした「悪漢小説」とか「悪党小説」といったジャンルだが、僕のなかでは、悪党たちがいろいろな悪知恵を駆使して悪事を成し遂げていくという娯楽小説というイメージがある。
この小説も、主人公たちがさまざまな知恵を駆使して、ひとつのことを成し遂げていくというスリリングな娯楽小説と言えるのだが、主人公たちは悪党ではなく、むしろ彼らを追い詰めていく連中が公安警察という悪党たちなのである。
いや、公安警察の立場からすれば、自分たちこそ善で、あいつらが悪党なのだ、という理屈が成り立つのかもしれない。しかし、これを「ピカレスク小説」としてしまうと、公安警察を善と認めてしまうことになるので、「逆ピカレスク小説」と命名してみた。
まったく的外れな感想かもしれない。
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