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2020年9月

トラック野郎、2回目

9月30日(水)

朝からトラック野郎のIさんと二人で、都内2ヵ所をまわる。

というか、来週の火曜日にイベントが始まるというのに、今ごろトラック野郎と都内をまわっていて大丈夫なのか?

しかも2ヵ所とも僕にとっては敷居が高い。

戦々恐々として事にのぞんだが、思ったより順調に進み、午前中には作業が終わり、午後イチには職場に着くことができた。

その足で準備中のイベント会場に向かうと、相変わらず会場は修羅場と化していた。

残るは明日と明後日の2日間。この2日間で勝負をかけなければならない。だが明日は午前午後と絶対はずせない会議や打ち合わせが続き、その合間をみて作業に参加するしかない。

いよいよ盛り上がってまいりました!

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機種変更の憂鬱

9月26日(土)

この世でいちばん憂鬱なこと。

それは、スマホの機種変更をすることである!

もうホント、めんどくさい!

僕が初めてスマホを手にしたのが、2016年8月

それから4年間、ずっと同じスマホを使い続けてきた。

それなりに気に入っていた機種だったので、できれば一生使い続けたいと思っていたのだが、そういうわけにはいかないことが、ここ最近次々と起こった。

まず、電源が入りにくい。電源のボタンを100回くらい押し続けて、ようやくスマホの画面が起ち上がる。

次に、カメラが写らなくなった。

次に、回線速度がやたらと遅くなった。

そして極めつけは、アプリがアップデートできなくなった。アップデートできなくなると、強制的に使えなくなってしまう。

つまり、こうして機種変更の外堀を埋められていくのである。

むかし、中学校の技術の先生が、

「家の蛍光灯ってのは、あれ、わざとすぐに切れるようにしているんだよ。そうしないと、蛍光灯が売れないから」

と言っていたことをいまだに覚えているが、それ以来僕は、陰謀論者である。

頼んでもいないのにアプリを勝手にバージョンアップさせて、それに対応できないスマホを駆逐するという作戦に決まっているのだ。あ~くやしい!

4年ぶりの携帯電話ショップというのは、かなり様変わりしているんだろうな、とビクビクしながらお店に入った。

「ここでおまちください」

と、椅子に座って待っていると、

「これに必要事項を入力してください」

と、タブレットを渡され、延々と個人情報を入力し続ける。

いつも思うのだが、スマホの店員にこんなにも自分の個人情報をさらけ出して、大丈夫なんだろうか???

まずそこからして、スマホショップというのは気に食わない。

長い時間かけて、タブレットに自分の個人情報を入力し終わると、ようやくブースみたいなところに呼ばれた。

「機種変更したいんです」

と告げると、店員は僕の顔をほとんど見ずに、延々とパソコンとかタブレットをカタカタと動かしている。

「あのう、…いま使っているのと同じ会社の同じ機種はないんですか?

「もうありません」

なんと、僕が使っていた機種は、もう生産中止してしまったようなのだ。

「お客様はアンドロイドを使っていらっしゃったので、次もアンドロイドにしないと、データの移行が上手くいきません」

「そうですか…」

ま、iPhoneにそれほど関心がなかったので、それはそれでよかったのだが。

店員に勧められるがままに、アンドロイドスマホの機種を一つ選んだ。

もうちょっとね、ペットショップでペットに一目惚れして、思わず飼いたくなった、みたいにはならないもんかね。

というわけで、僕にとってはまったく思い入れのない機種に変更することになった。

僕は、新しい機種なので使い方もよくわからないし、データ移行とかも不安だし、そういうことを解消してほしいと思っていたのだが、店員さんは、そんなの関係ねえ、とばかりに、カタカタとパソコンやタブレットを動かし続け、僕にはちんぷんかんぷんのお金の計算やら、わかりにくい契約をごり押ししてくる。とにかく、使い方とかデータ移行とかは後まわしで、まずは店員が思うがままの料金プランを提示して契約させようという気まんまんなのである。

いくつもの紙にサインをさせられる。これって大丈夫か?だまされてるんじゃないだろうか?と、かなり不安になる。

しかし、この試練を乗り越えなければ、都市生活者として不適格となってしまうのだ、と思い、グッとこらえる。

あいかわらず、個人情報をえげつないほどにさらけ出しているのだが、なんで目の前にいるうさんくさいやつに、俺の個人情報をこんなにさらけ出さなければならないのかと、だんだん腹が立ってきた。

結局、妙な契約ばかりさせられ、データの移行とか操作の仕方とかは雑に扱われ、3時間もかかってようやく店を出た。

店員にとって客は、「いいカモ」にしか見えないんだろうな。あ~腹が立つ!

家に帰ってさっそく充電ケーブルを使ってスマホを充電してみるのだが、いっこうに充電できる気配がない。

さては、不良品をつかまされたな、と思い、ショップに電話をかけると、

「では明日の午前10時に来てください」

といわれた。

翌日日曜日の午前10時、開店と同時にショップに入ると、

「こちらでお待ちください」

と、昨日と同じ椅子に座らされ、

「これに必要事項を入力してください」

と、また昨日と同じタブレットを渡された。

また延々と個人情報を入力しなきゃいけないのか!?

と、腹が立つのをグッとこらえ、延々と入力していると、

「昨日お電話いただいた方ですね」

と、別の店員さんがやってきて、

「入力はしなくてけっこうです」

と、タブレットを取り上げられた。

「充電ケーブルの件でしたね」

「ええ」

「こちらに電源がありますから、実際に充電していただけますか」

「わかりました」

僕は昨日家でやったとおりに、スマホに充電ケーブルをつないで、コンセントに差し込んで充電を始めようとした。

案の定、うんともすんともいわない。

「ほら、充電できないでしょう?」

というと、店員さんは半笑いして、

「この充電ケーブル、先っぽが三つ叉になっているでしょう」

「ええ。どの機種にも対応するように作られているんですよね。僕のスマホはタイプCで間違いないですよね」

「ええ、ただ、タイプCの場合は、タイプBに接続した上で、スマホに差し込まなければ充電できません。やってみてください」

「え?そうなんですか?」

言われるがままに、タイプCをタイプBにジョイントさせた上で、スマホにつなげたら、あら不思議、充電が始まった。

充電ケーブルが壊れていたのではなく、僕がやり方を知らなかっただけなのである。

「昨日担当してくれた店員さんからは、そんなことを教わりませんでしたよ」

と言ってみたのだが、彼らからしたら、こんなこと知っていて当然のことなのだろう。

おまえは充電ケーブルの使い方も知らないポンコツ野郎だと烙印を押された気がして、ショップをあとにした。

数年後、また機種変更をしなければならないのかと思うと、いまから憂鬱である。

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イベント準備、大詰めの2日目

9月25日(金)

今日も朝から、会議の時間以外はイベント会場に張り付いて準備していた。

…といっても、作業にはいろいろと順番というものがあり、のべつ準備しているわけではない。待ちの時間のほうがむしろ長いかもしれない。

たとえて言えば、映画とかTVドラマの撮影みたいなものか。「待つのが仕事」みたいな。もっとも、映画とかドラマに出演した経験がないのでこのたとえが合っているのかどうかわからない。

映画やドラマだと、大勢いる出演者のスケジュールを調整して、撮影全体の進行表みたいなものをあらかじめ作っておくと思うのだが、こっちはそんなものがない、というか作れないので、「できるところから始める」という最も原始的な方法をとらざるを得ない。

しかも、前回述べたように、「できているはずのもの」がまだできていなかったり、「来るべきもの」がまだ来ていなかったりするのである!

これも映画やドラマにたとえていえば、大道具や小道具がまだそろっていない、ということなのだ。

厳密に言えば、大道具のほうは、最初の段階で「セット」を組んでしまうので、あとはそこに小道具を当てはめていけばいいことになるのだが、大道具の一部がまだ納品されていないため、うかつに小道具を当てはめることもできない。「納品待ち」をしている状態なのだ。

脚本家が遅筆で、撮影に間に合うかやきもきする、みたいなことも、ドラマの世界ではあるようだが、この点も同じである。脚本が校了しなければ、それに合わせたセットも組めなくなる。いま遅れている大道具の一部というのは、まさにそれなのだ。

さらにさらに、小道具の納品もまだのところが多い。今回はイベントが始まるギリギリまで、小道具の納品を待たなければならないという「綱渡り」があらかじめ約束されている。

おそらく通常の場合は、

脚本の校了→セットの完成→小道具の納品→現場での撮影

という手順、つまり撮影の段階では脚本もセットも完成し、小道具もすべて納品されたうえで撮影にのぞまなければならないはずなのだが、今回のイベントの場合は、脚本校了に向けての作業と、小道具の五月雨式の納品と、現場での撮影が、同時進行なのである。

うん、これはかなりヤバいね。わかる人にはわかるだろうか。

とくにイベント会場の後半部分は、まったく手つかずの状態なのだが、大丈夫だろうか…?

実質の作業日は、あと5日。「半沢直樹」みたいに、「間に合いませんでした」、みたいなことにならないだろうか?

しかし、みんなどこか、楽観的である。

みんな、絶対に間に合うと信じている。僕もそうである。

いや、たんに先のことは考えないことにしているのかもしれない。

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イベントの準備、大詰めの初日

9月24日(木)

いよいよ、10月6日(火)開始のイベントの準備が始まった。

今日から1週間、朝から夕方まで、イベント会場に張り付いての作業である。

しかし、納品されているはずのものがまだ納品されていなかったり、出庫されているはずのものが出庫されていなかったりと、初日から数々のトラブルが起こる。ま、想定の範囲内である。

が、この期に及んでまだ校正が終わっていないものがあるのは、さすがに心配になる。

それに、この広い会場を、10人に満たない人数で作業するというのも、心許ない。

「ひとつひとつやっていきましょう」と、百戦錬磨の職人のSさん。

ほとんど立ちっぱなしの作業が続き、ようやく1日目が終了。

それと並行して、Twitterの文案も作成する。ツイートの文章の内容について、アカウントの管理人たちやりとりする中で、猛烈な勢いの情報交換が行われ、それはそれで勉強になる。僕も渾身のツイートをしていますので(無記名ですが)、ぜひフォローしてください。

明日もまた、朝から夕方までの作業である。

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Twitterデビュー!

9月23日(水)

ついにTwitterデビューした!

とはいっても、個人アカウントではない。職場で来月から開催されるイベント専用のTwitterに、イベントの内容についてこぼれ話的なツイートしろ、といわれたのである。

そこで、いくつかの打ち合わせの合間を縫って、ツイートの文案を書いてみることにした。

言いたいことを140字におさめるのって、かなり難しい。結局、一つの事柄について1ツイートではおさまらず、3つくらいのツイートで1つの内容が完結する、みたいな感じになってしまった。

書いたものを、アカウントを管理している人に送ることになっている。アカウントの管理人は、手練れのTwitterユーザーのようである。

最初はなかなか勝手がわからない。とくに写真は、いろいろと権利表示がややこしくいようで、制約が多いことがわかった。

しかし書いていくうちに、だんだんとおもしろいと感じるようになってきた。

で、気がつくと、12ツイートくらいの文案を書いていた。140字×12なので、1680字程度である。

で、確認したら、さっそく私のツイートがアップされていた!無記名だけどね!

アカウントの管理人から、

「とても興味深く、しかも読みやすいツイート原稿をたくさん書いていただき、本当にありがとうございます。鬼瓦さんが個人Twitterをはじめたら、すぐに人気アカウントになりそうですね。」

と褒められた!これから少しずつアップされていくのだろう。引き続きツイートの文案を書いていかなければならない。

しかしこんなことに時間を費やしていいのだろうか?原稿がかなりヤバいことになっている。

リツイート、よろしくお願いします!

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食べることと出すこと

先日のTBSラジオ「荻上チキSession22」の「Main Session」のコーナーで、2回にわたって取り上げられた「特集「話題の新刊『食べることと出すこと』当たり前のことが出来なくなって気付いたこととは?~潰瘍性大腸炎闘病記」の内容が、むちゃくちゃおもしろかった。番組の公式ホームページやラジオクラウドで、音声配信を聴くことができる。

以下、Session22の公式サイトから引用。

「今回のテーマは「潰瘍性大腸炎」。辞任した安倍前総理大臣も患っている病気として、注目を集めました。潰瘍性大腸炎は、大腸の粘膜が炎症を起こして、潰瘍ができる難病指定されている病気。しかしながら、その症状には、同じ患者同士でも分かり合えないことがあるくらいの差があるといいます。そうした中で、難病として指定されている潰瘍性大腸炎の一例だけを知ることで偏見が広がることも懸念されています。そこで、潰瘍性大腸炎とはどのような病気なのか?潰瘍性大腸炎との闘病生活を描いた新刊『食べることと出すこと』の著者である頭木弘樹さんに「食べる」、そして「出す」という、当たり前のことが出来なくなってしまうという病気とどう付き合ってきたのか、そこから気付いたことなどを伺いたいと思います。」

教養と思索に裏打ちされた頭木弘樹さんの闘病体験談は、じつに興味深いものだった。

この放送を聞く前は、「潰瘍性大腸炎」は自分とは無縁の病気だから、その闘病生活の話を聞いても、自分とは関係がないだろうと思っていたのだが、さにあらず。少なくとも僕には、そのお話に共感することばかりだった。

たとえばこんな話。

20代のころに潰瘍性大腸炎を発症した頭木さんは、症状が深刻になり、入院して1か月の絶食を強いられることになる。1か月の間、水1滴も口に入れることができない状況が続いた。

絶食期間が終わり、最初にヨーグルトを口にしたとき、「舌の上で大爆発が起きたような感覚になった」という。1か月の絶食で、舌は「味」を欲していたのだろう。1か月ぶりに食べ物を口にしたことで、「美味しい」を越えた「味の爆発」を感じたというのである。

そして次はいよいよ「おかゆ」である。

最初のヨーグルトであれだけの衝撃を受けたのだから、おかゆを食べたらさぞかし感激するだろうと思って食べてみたら、これがすこぶる不味い。それからというもの、しばらくは何を食べても不味く感じるのである。

なぜ、そう感じたのか?これが健康なときだったらそうは感じなかったのだろうが、絶食という体験を経て舌があまりに敏感になり、いままで感じなかった味の「負の部分」が強調されてしまったのではないだろうか。

潰瘍性大腸炎の患者にとってつらいことの一つは「食べること」である(もちろん、個人差がある)。食べることが苦痛になってしまったり、食べることに制限を強いられてしまったりした場合、どのようなことが起こるか?

まず、会食ができなくなる。「今度食事でもどうですか?」と誘われても、それが苦痛なので、断らざるを得ない。

するとどうなるかというと、そこで人間関係が遮断されることになったりする場合がある。

「共食」とは人間関係構築の手段でもあるわけである。それができないとなると、自分は人間関係から排除されてしまうことになるのだ。しかし無理に共食すると、今度は自分が苦痛を感じてしまう。「食事を伴わない人間関係の構築」が、できないものだろうか?

実は僕も同じような体験がある。

3年前に大病を患ったとき、薬の副作用で、食事の何もかもが不味く感じるという期間が3~4か月以上続いた。これは本当につらかった。試しに自分がいちばん好きなものを食べてみるのだが、それもまた不味い。

病気がだいぶ落ち着いたころ、親しい友人から、「元気を出してもらうために、うなぎをごちそうしてやる」というありがたい誘いをもらった。ただ、僕はまだそのとき、自分の味覚を完全に取り戻したわけではなかったと記憶する。

日程が決まり、友人はお店も予約してくれた。「○月×日の□時に、都内の△△まで来てくれ」と連絡が来た。

しかし、その日が近づくにつれて、体調がすぐれなくなっていく。実はそのとき、僕はもう一つ、薬の副作用を抱えていた。身体の皮膚の各所が炎症を起こし、とくに足の裏の炎症がひどくて、歩くと激痛がはしるようになったのだ。

とてもではないが、指定された都内のお店に行くことができない。それに加えて、味覚にも自信がない。

結局僕は、直前になって、その「うなぎの誘い」をお断りすることにした。

相手からしたら、なんだよ、せっかくうなぎのうまい店を予約してやったのに、と思ったに違いない。僕自身も、断ってしまったことにしばらくは後ろめたさを感じていた。

その後、別の友人から食事の誘いを受けたときも、やはり直前になって、お断りの連絡をしたことがあった。

なぜ、食事の誘いを断ることに後ろめたさを感じてしまうのだろう、と僕はずっと悩んでいたのだが、この社会では、一緒に食事をするということが人間関係の構築と深く関わっているからであるとする頭木さんのお話を聴いて、溜飲が下がった思いがしたのである。

いまは薬の量が減ったこともあり、味覚に問題はなくなったのだが、それでもまだ、会食への抵抗は強い。でもいまは、以前ほどには断ることに対して後ろめたさを感じることはなくなった。

コロナ禍になって、会食なしのコミュニケーションが増えてきたことは喜ばしい、このまま、食事を挟まないコミュニケーションの形態が続いてくれるとよいと思っている、という頭木さんの指摘には、大きくうなずいてしまった。

多くの人が「あたりまえ」と思っていることが、ある人にとっては苦痛で仕方がない、というのは、なにも潰瘍性大腸炎の患者さんだけではない。ほかのいろいろな病気にも通じることである。いや、病気でなくとも、そのように感じる場面はあるはずだ。

そこに対する想像力があるだけで、世の中はずいぶんと変わるのではないかと思うのだが、どうだろう。

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まっくろくろすけは見えているか

9月21日(月)

某所滞在2日目。

今日も、とくに大きな問題なく、まもなく2歳半になる娘は就寝した。

この滞在中に、母親がいないことを娘が思い出して泣きはしないかと、今日も薄氷を踏む思いだった。

昨日の夕食の時、食卓についた娘が、隣にいる僕をにらみながら、無言で小さな手を僕の口の中にグイグイと押し込んできた。

「やめてよ~」

娘の顔を見ると、泣きそうになるのをこらえている表情である。(うーむ、これは数秒後に絶対に泣くだろうな)と思っていたら、案の定、まるでダムが決壊するかのごとく激しく泣き出した。

食卓を囲んでいた義理の両親や義妹親子は、僕の娘がなぜ突然泣き出したのか、意味がわからない様子だった。

「お腹が空いたのかねえ」

とか、

「眠くなったんじゃないの?」

とか推測しているのだが、僕に言わせればそうじゃない。娘は母親のことを思い出して、母親のいない寂しさでたまらなくなり泣いたのだ。だが娘は、意地でも「ママ」という言葉を口にしない。口にすると、余計に悲しくなるからだろう。

日中は、そんなことを気にしていないとばかりに、無理して楽しんでいることが僕にはわかっていた。それが夕食のときになって、母親のことを思い出し、それまで必死にこらえていたものが、一気に決壊してしまったのである。

先日、やはり妻が仕事で4日間ほど家を空けたとき、僕の実家の母が応援に来てくれたのだが、そのときも、娘が突然に激しく泣き出したことがあった。

「あれはねえ、ママがいないことを思い出したから泣いているのよ。でも、それを本人の前で言ってはダメよ。思い出して余計に悲しくなるから」

僕は母の解釈に納得し、妻が不在のときは娘に対して絶対に「ママ」のことを口にしないことにした。

今日も、2度ほど、突然泣き出す場面があったが、いずれもすぐに持ち直した。

夕食後は、「となりのトトロ」を見て機嫌がよくなり、劇中の歌や台詞を映画に合わせて大声で叫んでいた。

「まっくろくろすけ出ておいで~ 出ないと目玉をほじくるぞー!」

やはり「トトロ」は最強である。

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さながら子連れ狼である

9月20日(日)

この連休は妻が仕事のため、もうすぐ2歳半になる娘と二人で過ごさなければならない。

妻の両親や義妹親子が、この連休中に某所に滞在するというので、私と娘も便乗させてもらうことにした。

妻の両親と義妹親子は、連休の初日にすでに現地入りしているのだが、僕は連休初日に父の墓参りがあったので、2日目から合流することにする。

朝9時半、娘を車の後部座席のチャイルドに乗せて、いよいよ出発である。順調にいけば、車で3時間ほどかかる場所である。

もうすぐ2歳半になる娘と二人きりで、車で3時間、はたして無事に到着できるだろうか。

家を出ると、高速道路に入るまでの一般道が大渋滞である。

出発して40分ほどたったころ、車内がぷ~んと臭いだした。

こりゃあ、やりやがったな!

「うんちした?」

「…してない…」

「うんちしたでしょ?」

「…した…」

おいおい、まだ高速道路にも入っていないんだぞ!いきなり車内でうんちかよ!

運転中ですぐにおむつを替えることができないので、高速道路に入ってからサービスエリアに車を停めたときに替えることにしよう。

ところが高速道路に入っても、断続25㎞の渋滞である。

(こりゃあ、時間がかかるなあ)

高速道路に入って2時間ほどたち、ようやく最初のサービスエリアが近づいてきた。

「もうすぐ休憩するからね~」

後部座席を見ると、娘がスースー寝ている。

寝ちゃったのか…。無理に起こすとむずかるしなあ。

それにサービスエリアに入る車線が大渋滞である。

諦めて、次のサービスエリアに行くことにした。

1時間ほどたって、次のサービスエリアに到着。ちょうど娘も起きてくれた。

さっそく多目的トイレに入っておむつを脱がせると、

…うんちがない!

つまりシロだったわけだ。

とすると、あのときの臭いニオイは、おならだったということか…。

僕はてっきりうんちだと思い込み、娘に「自白の強要」をしてしまったわけである。

おむつを替えたあと、お昼ご飯の時間だったので、おにぎりを買って、混んでいるイートスペースで食べることにした。

娘はお腹がすいていたのか、大人分のおにぎりを二つ、ペロリと平らげてしまった。

お昼ご飯を食べ終わり、再び娘を後部座席のチャイルドシートに座らせて、目的地に向けて車を走らせる。

家を出て5時間、ようやく目的地に到着すると、妻の両親や義妹親子が迎えてくれた。

娘と二人だけの5時間の車旅は、疲れたが悪くはなかった。

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キネマの○○

そろそろ、大林宣彦監督の映画『海辺の映画館 キネマの玉手箱』の話をしようか。

大林監督は「キネマ」という言葉にこだわった。もう一人、「キネマ」という言葉にこだわった映画監督がいる。山田洋次監督である。

山田洋次監督には『キネマの天地』という映画があるし、次回作は『キネマの神様』というタイトルの映画だそうである。

山田監督と大林監督は、撮影所出身の監督とインディペンデントの監督ということで、その作風や映画作りの手法は相容れないものだったと思われる。だが晩年、この二人は同世代ということもあり、意気投合するようになったようである。

二人に共通するのは、古きよき「キネマ」の時代、もっといえば無声映画の時代への憧憬である。山田監督も大林監督も、老境に至り「キネマ」をタイトルに使った映画にこだわったことは、単なる偶然ではないのだろう。

さて、本題に入る。

『海辺の映画館』は、晩年の大林監督がこだわった、反戦に対する強いメッセージの映画だ、と評価されることが多い。たしかにそれはそうなのだが、僕はもう少し別の見方をしている。

よく大林監督は、「自分の映画は、自分の人生の中ですべてつながっている」という意味のお話をしていた。

あまりふれられていないことだと思うが、これまでの大林映画の一連の流れの中でこの映画を観たとき、この映画の直接のルーツとなっているのは、『マヌケ先生』(2000年)と『淀川長治物語・神戸篇 サイナラ』(1999年)である。どちらも、大林映画の中でもきわめてマイナーな映画である。

『マヌケ先生』は、大林監督の自伝的映画で、長く大林監督の助監督をつとめた内藤忠司が監督をし、大林監督は「総監督」という立場で関わっている。だがその映像を見ればわかるように、大林映画の作風が全開の映画である。

この『マヌケ先生』は、『海辺の映画館』の中でも一部引用されているので、両者が同じ系譜上に位置する映画であることは容易に想像できるのだが、それよりもさらに『海辺の映画館』に作風が近いものが、『淀川長治物語』である。

なにしろ、映画館の内部のセットが、二つともほぼ同じである。スクリーンの脇に活弁士がいて、スクリーンと客席の間にオーケストラが陣取る。これは、大林監督の少年時代に無声映画を上映していた映画館の構造そのものであり、これこそが、大林監督にとっての正統な映画館なのである。

さて、その映画館でどのようなことが起こるかというと、淀川少年は、客席とスクリーンの中を、行ったり来たりするのである。これは、『海辺の映画館』と、まったく同じモチーフである。とくに『淀川長治物語』のラストは、淀川少年が映画館の客席から舞台に上がり、スクリーンに映し出された蒸気機関車に乗り込むという場面で終わる。

『海辺の映画館』の場合、観客だった3人の若者が上映されている映画のスクリーンに入り込んで歴史上のいろいろな出来事に巻き込まれる、という荒唐無稽な設定に面食らった人もけっこういただろうと思うのだが、何のことはない、大林監督はすでに『淀川長治物語』の中でその手法を実践していたのである。

そう思って、そのほかの作品を観てみると、「瀬戸内キネマ」が登場する大林映画は、すべて同様の映像手法がとられている。

「瀬戸内キネマ」は、『海辺の映画館』だけでなく、大林映画の中でしばしば登場する架空の映画館(もしくは撮影所)である。過去には、『麗猫伝説』(1983年)、『日本殉情伝 おかしなふたり ものぐるほしき人々の群 夕子かなしむ』(1988年)、そして『マヌケ先生』などに登場する。

『おかしなふたり』に登場する映画館「瀬戸内キネマ」では、『上海帰りのリル』(1952年)という実在の古い映画が上映されるのだが、この映画の主役をつとめた水島道太郎(映画の中では「水城龍太郎」という役名)本人が、スクリーンの中ですっかり老けた現在の姿で登場するのである。大林監督は、過去の『上海帰りのリル』の映像の中に、現在の水島道太郎の姿を映し出したのである。そしてその映画を観ていた原泉演ずるヤクザの組長が、「映画も歳をとるのねえ」とつぶやく。

…ちょっと何言ってるかわからない、かな?説明が下手で申し訳ない。

また、「瀬戸内キネマ」という撮影所を舞台にした『麗猫伝説』では、大映の「化け猫映画」という、やはり古い日本映画がモチーフにされていて、ここでも、過去の映画と現在がスクリーンの中で交錯する。

つまり「瀬戸内キネマ」は、スクリーンの中の映画と現実世界を行ったり来たりできる映画館として、大林監督の中で、ずっと描かれ続けてきたのだ。

別の言い方をすれば、スクリーンこそが、「虚」と「実」の皮膜の役割をはたしていたのである。これはたぶん、少年時代の映画に対する原体験、というか、原感覚にもとづくものであろう。

一見奇抜に思われる『海辺の映画館』の映像手法は、実はすでに大林映画でくり返し行われてきたものであり、さらにそれは、映画に対する大林監督の原体験(原感覚)にもとづいているのである。

スクリーンの向こう側(虚像)とこちら側(実像)には隔たりがない、という感覚は、「死者と生者の間に隔たりがない」という、大林映画を貫くもう一つの映画的手法(ひいては死生観)にも通じていて、じつに興味深い。

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茗荷村見聞記

おぼろげな記憶なのだが。

小学生の頃、『茗荷村見聞記』という映画を、劇場に観に行ったことがある。

調べてみると、1979年に公開されたそうだから、僕が小学校5年生の時である。

僕がその映画を見たいと思い、父にお願いして、父と一緒に見に行ったという、かすかな記憶がある。父は映画にあまり興味のない人だったから、父が僕を誘って観に行ったとは考えにくい。

で、その映画を見たあとに、原作である田村一二の小説『茗荷村見聞記』を買った。いまでもその本は実家の僕の部屋に残っていた。これは僕が自発的に買った本である。映画もやはり僕が自発的に観に行きたいと思ったのだろう。

いま思えば、とても地味な映画である。当時、全国でどの程度の規模で公開されていた映画なのかもよくわからない。どういう経緯で、僕がその映画の存在を知ったのかも、記憶にないのである。そもそも、小学5年生が自ら好んで観る映画とは考えがたい。

しかしこの映画は、僕に鮮烈な印象を残した。そこに登場する人々の個性に惹かれたのである。

僕はこの映画で、殿山泰司、大泉滉、ケーシー高峰といった、個性的な役者に心を奪われた。そして主演の長門裕之の人間味あふれる演技も、強く印象に残った。長門裕之が、馬車に乗って移動しているシーンは、この映画のことを思い出すたびに頭に浮かんでくる光景である。

映画を観るときに、個性派と呼ばれる俳優や、アクの強い俳優に注目するようになった原点が、この映画だと思う。

あれから40年が経つが、原作者の田村一二が思い描いた「茗荷村」という理想郷は、この国のどこにも存在しない。

(今日は父の墓参りに行ったので、父と映画を観に行った思い出を書いたのだが、はたしてこの記憶が正しいのかどうかは、自信がない。)

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二人のshioriさん

9月18日(金)

まったくもって忙しい。

4連休の前にできるだけ仕事を済ませておこうと考えていたのだが、まったく終わる気配がない。

何より、職場への通勤でかなりの体力を消費するのだ。

午前中だけで早くもぐったりしていると、お昼過ぎにLINEが来た。妻からかな?と思って見てみたら、「shiori」さんという人からだった。

「鬼瓦先生、ご無沙汰しております!昨日ですが、無事に女の子を出産しました~。母子ともに健康です!これから子育てがんばります」

というメッセージに添えて、昨日生まれたばかりという赤ちゃんの写真が送られてきた。

あれ?shioriさんって、結婚してたっけ?というか、つい最近、オンライン上で一緒に仕事をしていたはずだが…?

いきなり赤ちゃんが生まれたのか???

…よくよく考えてみたら、「前の職場」の教え子で、5年以上前に卒業したshioriさんのことだった。

実は最近、オンライントークの仕事の関係で、別のshioriさんという人とLINEで連絡をとったばかりだった。

つまり、僕のLINEの連絡先には、二人のshioriさんが登録されているのである。登録先が10名に満たないにもかかわらず、そのうちの二人が「shiori」という表記の名前なのは、なんとも見分けがつかない。ややこしいなあ。

僕は最初、てっきり、最近連絡をとった方のshioriさんだと勘違いして、いきなり出産の連絡が来たのでにビックリしたわけである。

しかし実際は、卒業生のshioriさんのほうだった。だったら納得だ。結婚したことや妊娠したことを折にふれて知らせてくれていたので、無事に女の子を出産したという報告は、待ちに待った知らせだったのである。

写真をよく見たら、(卒業生のほうの)shioriさんによく似た面影だ。

名前も聞いた。9月のこの時期にふさわしい、いい名前である。

ここ最近、仕事のことで鬱気味だったが、何よりも嬉しい知らせである。

しかも、生まれた翌日に知らせてくれたんだぜ。ありがたくて涙が出る。

これからは子育ての先輩面(づら)をしてやろう。

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小見出し

僕が書いた短いエッセイの初校が、出版社からPDFで送られてきた。

短い文章の中で、内容の区切りごとに小見出しを4つつけたのだが、4つの小見出しのうち、2つが、出版社により書き換えられていた。

書き換えられた小見出しは、僕のセンスというか、僕の意図するところに、著しく反するように思えた。

こういうときって、無性に腹が立つ。人によって怒りのポイントは違うと思うのだが、僕の場合は、こういうことが腹立たしいのである。

改変された小見出しは、「○○のか?」「○○の理由とは?」という、問いかけのスタイルである。問いかけの小見出しがときによい場合もあるのだが、この場合は、本文で自分が意図している内容とは異なる小見出しで、本文の内容をミスリードしかねない。

そうねえ、たとえていえば、よくインターネットのニュースで、1行のタイトル(小見出し)を見て、そのタイトルに引きずられてクリックして本文を読んでみたら、小見出しから連想される内容とはかけ離れたものだった、といったことあるでしょう?そんな感じ。

以前も同様のことがあった。出版社の編集者がつける小見出しが問いかけ風のものばかりで、自分のセンスとは著しく反するものだったのだが、出版社の編集者の世界では、小見出しで読者を引きつけないと中身を読んでもらえないという強迫観念があるらしく、人目を引く、というか煽るような小見出しをことごとくつけていた。

僕は面倒くさくなって、いちいちそれに対して反応するのをやめたのだが、結局その本は、まったく売れなかった。

それからというもの、僕は編集者のセンスというものが、よくわからなくなったのである。もちろん僕自身のセンスのなさを棚に上げて、だが。

小見出しをこうすれば本文を読んでもらえる、という出版社のセオリーは、ネットに氾濫する「悪意ある小見出し」に影響されたものだろうか。

これはたいへん興味深い問題である。

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4つの会議とイベント準備

9月15日(火)

毎週火曜日は、会議日である。とくに第三火曜日は、重要な会議の日である。

午前中に1本、午後に2つの会議と1つの打ち合わせ。つまり午前10時から午後5時過ぎまで、お昼休みを除いて会議漬けだったのである。

その合間にも、さまざまな案件が押し寄せてくる。そのたびに判断を迫られたり、調整を迫られたりする。まったくこの世は針の筵である。

3つの会議のあとに行われた打ち合わせでは、社長を含めた数名によるざっくばらんな意見交換がおこなわれる。

「本当はこういう話は、ビールでも飲みながらやるといいんですけどね」

と、打ち合わせに参加した同僚の1人が言った。

じょ、冗談じゃない。俺はその種の飲み会が苦手なのだ。できればこの種の打ち合わせも、勤務時間中にしらふでやっていただきたい。

不謹慎な言い方かもしれないが、コロナ禍になってほとんど唯一よかったことは、この種の仕事上の飲み会がなくなったということだ。

いや、平時においても、ここ最近は飲み会に極力出ないことにしていたのだが、コロナ禍となり、飲み会に出ないことに後ろめたさを感じる必要がなくなったのは、精神衛生上にもよい。

打ち合わせが終わったのが5時過ぎで、さあそれから、来月16日(火)に始まるイベントの準備である。

目下のところ、順調に遅れております。

イベントのカタログは、今週中に校了になる見込みだが(それも不安)、イベント会場に設置するパネルの原稿が、圧倒的に遅れている。

見かねて、自分の担当以外の箇所のパネルも校正することになったのだが、後ろに行けば行くほど、入稿が遅れている。

「これ、初校ですか?」

「ええ」

「僕が担当している最初のほうは、もう3校ですよ?」

「ええ。でも後ろのほうはまだまだなんです。まだ入稿していない原稿もあります」

「ええぇぇぇっ!!!???」

言われてみれば、最後のほうのパネルの校正はまだ来ていない。つまりいまだにイベントの全貌がわからないのだ。

校正をやりますよ、とひきうけたものの、自分と関係のない担当の、しかも初校を見るというのは、かなりたいへんである。これが2校や3校だったら、一つ前の校正と照らし合わせればよいのだが、初校は、元のデータにいちいちあたらなければならない。ま、あたりまえのことだが。

4つの会議を終えたあとなので、もうほとんど頭が働いていないのだが、最後の力を振り絞って校正に集中する。

気がついたら3時間以上も過ぎていた。

「すみません。もうさすがに帰らなければいけないので」

と担当の職員さん。途中になってしまったが、おおかたの校正は終わったので、あとはイベント代表者にお任せすることにして、僕もひきあげることにした。

もうヘトヘトだが、最後は、家に帰るという大仕事が待っている。なにしろ車で2時間以上もかかるのだ。

今日の教訓は、いくら仕事で疲れても、帰りの体力を残しておかないといけない、ということである。

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2歳の地獄

動画サイトのYouTubeで、ダースレイダーさんと町山智浩さんの対談を見ていたら、冒頭で少しばかり子育ての話題になった。

ダースレイダーさんの娘さんが11歳と5歳だと聞いた町山さんが、

「2歳の地獄を乗り越えたらもう何でも大丈夫」

と言っていた。

そういえば以前、TBSラジオ「たまむすび」でも町山さんは同じようなことを言っていたと記憶する。

うちの娘はいま2歳5か月なので、「2歳の地獄」真っ最中である。

なぜ2歳の時に、意味もなく泣いたり、眠れなくて泣いたりするのだろうか?それはこの時期に、

「脳の中の神経がつながっていくために眠れない」

から泣くのだそうだ。つまり神経がつながるたびに覚醒していくのである。

なるほど、それで娘は意味もなく突然に泣いたりするわけだ。そして、

「それが終わると急にしゃべれるようになる」

のだという。たしかにいま、娘は猛烈な勢いで言葉を覚えている。

この時期、つまり脳の中の神経がつながり、言葉を猛烈に覚えていく時期に日本語と英語を一緒に習得するのがよい、とも言っていたが、そこまではちょっと難しい。

記憶というのは、脳の中の神経がつながって以降のものが残り、それよりも前の記憶は残らないのだという。つまり人間は3歳くらいからの記憶が残り、それよりも前の記憶はないということになる。

そういえば以前、こぶぎさんが、自分の最初の記憶は「救急車のサイレンが『ウー』から『ピーポー』に変わったというニュースを見た」という記憶だと言っていた(と思う)。

で、調べてみると、救急車のサイレンが「ウー」から「ピーポー」に切り替わった年は、まさにこぶぎさんが3歳になった年だった。

あまりにもできすぎた話だが、まあそれはともかく。

なんとかこの「2歳の地獄」を乗り越えたい。

町山さんはこんなことも言っていた。

「父親は、だんだん娘のスペックを忘れるようになる」

「12歳くらいから、娘は父親を嫌悪するようになる」

12歳からも、また地獄が待っているということか。

ちなみに町山さんの娘さんは、いま21歳だそうである。

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トラック野郎との再会

9月10日(木)

なんと、今年度になって初めて、新幹線に乗っての日帰り出張である。

そういえば4月からのコロナ禍以降、新幹線に乗っていない。あやうく乗り方を忘れるところだった。

今回の出張は、10月からうちの職場で始まるイベントのための準備作業である。

朝6時に家を出て、新幹線と地下鉄を乗り継いで、最寄りの駅に着いたのが9時半。

今日、一緒に作業をする「トラック野郎」のOさんが改札の外で待っていた。

「ご無沙汰しています」

「よろしくお願いします」

Oさんとは、一昨年に職場の中で一緒に仕事をしたが、トラックに同乗しての仕事は6年ぶりである。

午前中に1件、午後に1件まわることになっているのだが、先方にうかがう時間が決まっているので、時間を調整するために、トラックの中で時間をつぶすことになる。

そのときのOさんのお話が、僕にとってはなかなかの楽しみで、仕事上でのこれまでの武勇伝や、これまでの仕事の経験で培われた豊かな教養、といったものを聴くことができる。といって決して自慢げにお話しするわけでもなく、なかなかの思索的なトラック野郎なのである。

午前中の用務をひとまず無事に済ませた。

「うちらはトラックの中で昼飯を済ませますんで、どうぞ食事に行ってきてください」

Oさんとその相棒の若いIさんは、トラックの中で食事を済ませるらしい。僕はトラックを出て、近くのおそば屋さんで昼食をとった。

しばらくしてトラックに戻ると、Oさんは文庫本を読んでいた。やはり思索的なトラック野郎である。

午後の約束の時間までまだ少しあったので、トラックの中で再びOさんのお話を聴いた。

「さ、そろそろ行きましょうか」

午後の用務先は、思った以上に大変だった。ま、気軽な気持ちで考えていた僕のほうが悪いのだが。

(うーむ。どうも追い詰められていくなあ…)

しかし、今日は先方の指示に全面的に従わなければならないので、とにかく先方に失礼のないように、こちらも辛抱強く対応する。

その間、トラック野郎の2人はじっと近くに控えていて、僕の作業のペースに合わせて、自分たちの作業を進めていく。

30分くらいで終わると思っていた作業は、2時間以上かかってようやく終了した。

僕は先方に丁寧にお礼を言って、トラックに乗り込んだ。その途端、どっと疲れが出た。

「いやあ。面食らいましたなあ」

とOさん。

「Oさんもそう思われましたか?」百戦錬磨のOさんにとっても、あまりない経験らしい。

「ま、ともかく無事に終わってよかったです」

トラック野郎の2人が味方になってくれていると確信していたので、僕は心が折れずにすんだのであった。

それにしても、体力が低下しているせいか、久しぶりの出張は思いのほか身体にこたえる。

帰宅して、泥のように眠った。

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「民衆の歌」の波紋

9月9日(水)

遅れたらシャレにならない仕事が集中していて、やらなければならないのだが、どうにもなかなか進まない。どうしたものか、困ったことである。

2歳5か月の娘がミュージカル「レ・ミゼラブル」の「民衆の歌」をすっかり覚えてしまった、ということを以前に書いたが、どうやら保育園でも大きな声で歌っているらしい。

保育士さんたちがビックリしたらしく、園内でもかなり話題になっているようだ。

「あのう…『大衆の歌』、でしたっけ?」

「いえ、『民衆の歌』です」

「保育園で歌っていたので、みんなビックリしたんですよ。それも歌詞がはっきりと聞き取れるくらいに歌ってましたし。同じクラスのほかの子どもたちは、『きらきらぼし』を歌うのが精一杯なのにねえ」

「将来はミュージカル俳優にしようかと思ってるんです」

「あ、そうですか…」

冗談だと受け止めてくれなかったらしい。

それはともかく、今日、保育園に迎えに行ったときも、担任でない保育士さんから、

「あら、『レ・ミゼラブル』歌ってましたよね、私も好きなんですよ」

と娘に向かって声をかけていた。どんだけ広まっているんだろう。

それよりも、ほかの子たちは『きらきらぼし』って。うちの娘は1歳の頃にすでに完全にマスターしていたぞ!

タモリが子どもの頃、幼稚園に入園する前に家族の者に連れられて幼稚園に見学したときに、園児たちがみんなでお遊戯している姿を見て、

「俺にはこんなマネはできない…」

といって、幼稚園に入園するのをやめた、というエピソードを、なぜか思い出した。なぜかわからないけど。

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銀幕デビュー

9月5日(土)

今日は「前の勤務地」の映画館で、ドキュメンタリー映画のオンライントークをする日である。

「11時50分から始まりますので、10分前の11時40分にZoomのアカウントにお入りください」

と、実行委員のNさんからメールが来た。

今日は「オンラインダブルタスク」の日である。午前10時から午後5時まで、職場主催の比較的大きな会合が行われる。僕も関わっているので、そちらにも出席しなければならない。そしてその会合を途中で抜け出して、オンライントークに参加しなければならない。職場の会合の方は聴いているだけなので、中座しても支障はない。

8月27日(木)に、会場となる映画館と繋いでZoom の動作確認はしたが、トークの内容についてのリハーサルは、一切していない。

(大丈夫かなあ…)

と若干不安だったので、前日の夜にO監督に、

「保険をかける意味で、いくつか写真画像を画面共有できるように準備しておきましょう」

と提案した。

で、今日の午前11時40分を迎えた。

職場のオンライン会合のZoomアカウントを退出し、11時40分少し前に、オンライントークのZoomアカウントに入室した。

職場の会合を中座して、そのまますぐに400キロ離れた「前の勤務地」の映画館の会場に顔を出すのだから、さながら「どこでもドア」である。

ところがZoomに入ってみると、本日の主役であるO監督がまだ入室していない。

(大丈夫かな…)

11時42分。グループライン上にO監督から、

「教えていただいたZoomに入ろうとすると、待機中画面ホストが別のミーティングを主催中になっていますが、問題ないでしょうか?」

というメッセージが送られてきた。

11時44分。ZoomのホストNさんから、

「もう一度入り直していただいてもよろしいでしょうか」

という返信。

同分。O監督から、

「いまもう一度試してみましたが、同じですね。もうオープンしてますか?」

という返信。

11時45分。ZoomのホストのNさんから、

「はい。では改めてリンクをお送りいたします」

という返信。

(おいおい、11時50分に間に合うのか???)

もし主役のO監督が機械のトラブルでZoomには入れないということになったら、画面には僕だけが大写しになり、観客から、

「ふざけんな!金返せ!」

ということにもなりかねない。

11時47分。O監督から、

「入れました!」

という返信。なんとオンライントーク開始の3分前に、登壇者が勢揃いしたのであった。

というわけで、まったく打ち合わせなしの「ぶっつけ本番」のオンライントークが11時50分に始まった。持ち時間は40分である。

この場合、僕の立ち位置が難しい。

主役はあくまでもこの映画を監督したOさんで、観客はO監督の話を聞きたくて来ている。なるべく邪魔にならないように、それでいて(映画を作ったわけではない)僕がこの場にいることの意味も観客にわかってもらわなければならない。黙っていたら、(誰だあいつは?)ということになってしまう。つまり、喋りすぎてもいけないし、喋らなすぎてもいけないのだ。

実行委員会の方からは、「お二人でお話しいただいたあとで、会場から質問を受けます」と聞いていたので、当然、その時間もとっておかなければならない。ある程度の時間が来たら、二人のトークを切り上げる必要がある。

…といったことが頭の中にいっぺんに浮かびつつ、話す内容をさぐりさぐりしながらひとまずO監督とのトークが始まった。「保険」として準備しておいた写真画像も役立った。

話しているうちに、時計が12時13分となり、持ち時間の半分が過ぎた。そろそろ二人のトークを切り上げなければならない。僕は、高校時代の恩師であり、この映画の応援団の一人であるKeiさんからいただいたメールに書かれていた、

この映画は、見ると必ず何かを言ってみたい衝動に駆られる、そういう刺激が詰まっている」

というメッセージを引用して、

「会場のみなさんも、この映画を見ていろいろと話したいことがあるかと思います。ぜひ会場からの質問や感想をいただければと思います」

と会場に投げかけて、二人のトークを切り上げた。

会場からの質問や感想も順調に出て、会場の観客ととO監督とのやりとりも充実した内容になった。

かくして、40分の予定が50分くらいになり、オンライントークは無事に終了した。

緊張から解き放たれ、しばらくは余韻が冷めやらず、職場の会合の午後の部に復帰するには、少し時間がかかった。

しばらくして、実行委員の方から、オンライントークの様子を写した会場の写真が送られてきた。

僕の顔がスクリーンに大写しである!

これが僕の「銀幕デビュー」であった。

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開かない○○はない

9月4日(金)

昨日から妻が出張である。

昨日は職場で午前中に3時間の会議、午後に1時間半の会議を終えたあと、夕方の保育園のお迎えに間に合うように、急いで職場を出た。

何しろ通勤時間が車で2時間かかるからね。

実家の母にも手伝ってもらい、昨日今日と、いまのところなんとか滞りなく、娘に食事をさせ、お風呂に入れ、寝かしつけることができている。

娘からしてみたら、ママがいないので、退屈で仕方がないんだろうな。いつもよりも早く寝ついてしまうのだ。

娘が家にいて起きているときは、娘から片時も目が離せないので、それだけでヘトヘトになる。

そんな感じなので、10月6日(火)から始まる職場での大きなイベントの準備が山場を迎えているということを、つい忘れてしまう。

いまは、そうとうな修羅場である。

僕もそのイベント関係者の末席に連なっているのだが、それでもかなり切羽詰まった仕事がかなり無茶なペースで降ってくる。

しかし文句は言えない。イベント代表者の同僚は、もっと大変なのだから。

はたして、10月6日(火)は無事に開くのか?

「明けない夜はない」という言葉になぞらえて、「開かないイベントはない」という言葉が、この業界にあるそうだが、はたしてこれは真実だろうか。

実際、新型コロナウィルスの影響で、うちの職場のいくつかのイベントは中止になってしまったぞ。

そして今回は、新型コロナウィルス感染拡大後、初めての大きなイベントである。

無事に開いてくれるのを祈るばかりである。というか、そのために僕もがんばらなくてはならない。

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ぼよよん行進曲、からの民衆の歌

YouTubeの「よしお兄さんとあそぼう!」というチャンネルで、4月に配信された「ぼよよん行進曲」は、「おかあさんといっしょ」の歴代のおにいさん、おねえさん17人が勢揃いするばかりか、作詞作曲の中西圭三も参加してリモートで歌っている圧巻の動画である。

娘と一緒に何度も見返しているのだが、最近、この動画のパロディーがあることに気づいた。

ひとりの人が、歴代のおにいさん、おねえさん17人に扮装し、本家の動画とまったく同じ構図で、ぼよよん行進曲を歌い上げるというものである。

どうせ茶化しているんだろうな、と思いながら見てみたら、これがとてもクオリティが高い。17名一人ひとりのモノマネが完璧で、顔やコスチューム、声までもがクリソツ、激似である。歌もそうとう上手い。これは逆に、この動画に対する愛がなければ、ここまでのクオリティーは出せない。

モノマネ芸人の人がやっているのかな、と思って調べてみると、角田修一さんという方で、本業は写真家らしい。コスプレが趣味であるとあった。あとハリネズミを専門としているらしい。どうやらそうとう変わった人のようである。

この動画を2歳5か月の娘に見せたら、本家の動画との微妙な違いに、最初はかなり戸惑っている様子だったが、そのうちに見分けがつくようになったらしく、「ホンモノ見たい」「スッキリ(そっくり)見たい」と区別するようになった。

で、この角田修一さん、もう一つ、同じようなパロディーをやっていて、それが、ミュージカル俳優たちがリモートで歌い上げた「民衆の歌」の動画である。「民衆の歌」は、ご存じの通り、ミュージカル「レ・ミゼラブル」で歌われる、革命の歌である。2012年の映画「レ・ミゼラブル」でも歌われていた。

この動画では36人の歌い手が登場するのだが、角田さんは、この36人を1人でモノマネしているのである。

本家の「民衆の歌」と見くらべてみると、こちらもまた、クオリティーが高い。どんだけ凝ってるんだ??!!

かくして、「ぼよよん行進曲」(本家)→「ぼよよん行進曲」(パロディ)→「民衆の歌」(パロディ)→「民衆の歌」(本家)にたどり着いたのだが、娘が、この「民衆の歌」(本家)にすっかりとハマってしまい、この動画を繰り返し見ることになった。

「戦う者の歌が聴こえるか

鼓動があのドラムと響き合えば

新たに熱い命がはじまる

明日が来たとき そうさ明日が

列に入れよ 我らの味方に

砦の向こうに 世界がある

戦えそれが自由への道

戦う者の歌が聴こえるか

鼓動があのドラムと響き合えば

新たに熱い 命がはじまる

明日が来たとき そうさ明日が

悔いはしないな たとえ倒れても

流す血潮が 潤す祖国を

屍超えて拓け明日のフランス

戦う者の歌が聴こえるか

鼓動があのドラムと響き合えば

新たに熱い命がはじまる

明日が来たとき そうさ明日が

列に入れよ 我らの味方に

砦の向こうに 憧れの世界

皆聞こえるか ドラムの響きが

彼ら夢見た明日が来るよ

列に入れよ 我らの味方に

砦の向こうに 憧れの世界

皆聞こえるか ドラムの響きが

彼ら夢見た明日が来るよ

Ah 明日は」

この動画を何度も繰り返し繰り返し見て、娘はすっかり歌詞を覚えてしまった。

動画に合わせて何度も何度も、この歌を大声で朗々と歌い上げるのである。

すごくないですか?2歳5か月でこの「民衆の歌」を朗々と歌い上げるんですよ!「戦う者の歌が聴こえるか」とか「たとえ倒れても 流す血潮が 潤す祖国を 屍超えて拓け 明日のフランス」とか2歳児が歌ってるんですよ!ギネスブックに載るんじゃないかな。「民衆の歌」を歌った最年少記録として。

将来はミュージカルスターになるか、革命家になるかの、どっちかですよ!

とりあえずは、ミュージカル「レ・ミゼラブル」をいつか娘と観に行かなければならない。

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青表紙の手帳

8月31日(月)

毒蝮三太夫さんの手帳には、

「拾った方を信じます」

と書かれているのを、何かで見たことがある。

夕方、職場を出る頃になって、手帳がないことに気づく。

仕事部屋のどこを探しても、手帳が見つからない。

(おかしいなあ…)

手帳がなければ、生活ができない。

(今日、家に忘れてきたのかな?)

そういえば、職場で手帳を開いた記憶がない。

しかし、家に忘れてきた、というのはありえない。なぜならば、僕のシャツの胸ポケットにはボールペンがさしてあるからである。このボールペンは、ふだんは手帳のカバーのところにさしてあるものなのだ。僕には、手帳を手に取ったとき、無意識に、手帳のカバーにさしてあるボールペンを取り出して、シャツの胸ポケットに移しかえる、という癖がある。ということはつまり、手帳は職場に持ってきている、ということなのだ。

僕は職場での打ち合わせのとき、必ず手帳を持ち歩いている。とすれば、打ち合わせをしたスペースのどこかに、置き忘れたに違いない。今日は、複数の打ち合わせのために職場のいろいろなスペースを行き来したのであった。

そう思って、今日、自分が行った打ち合わせスペースを記憶を頼りにたどってみるのだが、どうも見つからない。

するとそこに、お昼過ぎに打ち合わせをしたときのアルバイトさんが作業をしていた。

「あのう…この辺に手帳が落ちてなかったですか?」

「あ、鬼瓦先生、手帳ですか?お昼過ぎの打ち合わせのときに青い表紙の手帳をお持ちでしたね」

「よく覚えてますね」

僕はその方の記憶力にビックリした。そのアルバイトさんと打ち合わせしたのは初めてなのである。

「ええ、よく覚えてますよ。青い表紙の手帳をお持ちだなあと思って見ていました」

「この辺にありませんよね」

「そうですねえ。見つかったらご連絡します」

「すみません」

ということで、いろいろと打ち合わせをした場所を行脚したのだが、どこにも見当たらない。

(困ったなあ…)

諦めかけたとき、そういえば、もう1カ所立ち寄ったところがあったことを思い出した。

あることを問い合わせるのに、建物の一番端っこにある仮設事務室に立ち寄ったのだった。

急いで建物の一番端っこまで行って、仮設事務室に着くと、事務室は扉に鍵をかける寸前で、パソコン机の上にチョコンと手帳が置いてあったを見つけた。

問い合わせに集中するあまり、手帳の存在を忘れてしまって、そのまま事務室を出てしまったのだ。

僕はホッとして、先ほどのアルバイトさんのところに行って見つかったことを告げると、

「またずいぶん遠くにありましたね」

と、汗だくの僕に言った。

いまだにスマホに予定を書く習慣がなく、やはり信じられるのは手帳である。

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