茗荷村見聞記
おぼろげな記憶なのだが。
小学生の頃、『茗荷村見聞記』という映画を、劇場に観に行ったことがある。
調べてみると、1979年に公開されたそうだから、僕が小学校5年生の時である。
僕がその映画を見たいと思い、父にお願いして、父と一緒に見に行ったという、かすかな記憶がある。父は映画にあまり興味のない人だったから、父が僕を誘って観に行ったとは考えにくい。
で、その映画を見たあとに、原作である田村一二の小説『茗荷村見聞記』を買った。いまでもその本は実家の僕の部屋に残っていた。これは僕が自発的に買った本である。映画もやはり僕が自発的に観に行きたいと思ったのだろう。
いま思えば、とても地味な映画である。当時、全国でどの程度の規模で公開されていた映画なのかもよくわからない。どういう経緯で、僕がその映画の存在を知ったのかも、記憶にないのである。そもそも、小学5年生が自ら好んで観る映画とは考えがたい。
しかしこの映画は、僕に鮮烈な印象を残した。そこに登場する人々の個性に惹かれたのである。
僕はこの映画で、殿山泰司、大泉滉、ケーシー高峰といった、個性的な役者に心を奪われた。そして主演の長門裕之の人間味あふれる演技も、強く印象に残った。長門裕之が、馬車に乗って移動しているシーンは、この映画のことを思い出すたびに頭に浮かんでくる光景である。
映画を観るときに、個性派と呼ばれる俳優や、アクの強い俳優に注目するようになった原点が、この映画だと思う。
あれから40年が経つが、原作者の田村一二が思い描いた「茗荷村」という理想郷は、この国のどこにも存在しない。
(今日は父の墓参りに行ったので、父と映画を観に行った思い出を書いたのだが、はたしてこの記憶が正しいのかどうかは、自信がない。)
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