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2020年10月

続・ご油断なく

『A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る』(立東舎、2020年)は、圧巻の書である。なにしろ、全作品について詳細に語っているのだから。

まだ精読していないが、ひとつ、謎が解けた箇所がある。それは、大林映画によく出てくる「ご油断なく」という言葉の謎である。

大林監督は、映画「異人たちとの夏」について語っている箇所で、次のようなことを言っている。

「ーーそしてこの映画、本多猪四郎監督が八ツ目鰻屋の親父に扮しています。

大林 そうそう、それで、本多さんになにか一言いい台詞ないですか?と言ったら、「ご油断なく」、という。これが痺れたねえ。いい言葉だねえ猪さん、と。(後略)」(345頁)

で、この「ご油断なく」というところに脚注がついている。

「「ご油断なく」 本多猪四郎監督の演技によって新たな意味を持ったこの言葉は、その後の大林映画に頻繁に登場するようになる。『SADA ~戯作・阿部定の生涯』で狂言回しの嶋田久作が、『22歳の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』で筧利夫が、『理由』で柄本明が、と言った具合に、さりげなく、または効果的に使われている。元は盛岡弁だそう」

というわけで、僕が長年抱いていた謎は、「本多猪四郎監督がアドリブで『ご油断なく』と言ったところ、その言葉の響きに大林監督が感激し、その後の映画で使い続けた」という結論に落ち着いた。

ただ、これですべて解決したわけではない。岩手県出身でもない本多猪四郎監督が、なぜこの言葉を使ったのか、という疑問は、まだ解けてはいない。本多猪四郎監督は、どこかで、この言葉を聞いて、その言葉の響きに感激し、どこかで使おうと思ったのだろか。

だとすれば、両監督の響き合う言葉の感性に、思いを致さずにいられない。これもまた、映画史である。

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電話取材

10月28日(水)

今日の午前中は、女性週刊誌の記者から電話取材を受けた。

なんということはない。いまうちの職場で開催中のイベントについてなのだが、イベントの代表者の同僚が、あまりにも取材を受けすぎてたいへんだというので、その一部を請け負っただけである。

なにしろそのくらい、取材が殺到しているのだ。うちの職場では初めてのことではないだろうか。

40分くらい電話で喋ったのだが、どれだけ伝わったのかはわからない。それに、名前が出るのかどうかも不明。ま、そんなことはどうでもいいことなのだが。

そして今日、私が愛聴していたあのラジオ番組の中でも、うちのイベントを見に行ったリスナーからの、イベントの様子を報告したメールが、その番組で紹介されていた!

正確に言えば、今現在愛聴している番組、というわけではない。以前に土曜日の夜に週1で放送していた頃は熱心に聴いていたのだが、平日のワイド番組に移ってからは、時間がなくてほとんど聴いていなかった。

で、その情報を聞きつけて、さっそくradikoのタイムフリーで聴いてみた。18時台の最後の4分間の部分である。

そのラジオパーソナリティーが読んだメールの内容を聞くと、

「そのメール、俺が出したんじぇね?」

というくらい、イベントに関して詳細で正確な内容である。

いかにもその番組のリスナーらしい、詳細で正確な内容のメールに、土曜日に週1で放送していた頃と変わってないな、と、僕は奇妙な連帯感を覚えたのであった。

 

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Re: パンデイロのカピバラ

「どうも、返信ありがとう。

これだけ付き合いが長いと今更?絶縁などすることもないですし、自分が重病になったら大騒ぎすると思うので、まあ貴君の書いてる通り、便りの無いのが元気なしるしと思って貰って結構です。ただ、面倒だと当分いいかと思ったりすることはありますかね。

仕事の方も偉くなると忙しくなってくるのは、働く人間の常として仕方がないですかね。

サラリーマンなども重役はガミガミと鬱陶しいですが、それだけ責任が重くなっているということで、やはり偉くなるとあれもこれも判断しなければいけないし、夜も休みも自由な時間がなくなってしまい本当に割に合わないと思います。

私も四月に部内で異動があり仕事内容が変わり少し暇になりましたが、前職は中間管理職として、あーだこーだ言ってくる他部署に半ばキレながら対応しつつ、何を言っているか分からない部下の資料を読み解きながらああ直せこう直せと指示し、あれこれしょうもないことを言ってくる上司を跳ね除けと、本当にウンザリでした。

最近、思うのですがサラリーマンも学者も音楽家も、お金を稼ぐ為には面倒で嫌なことをしなければならないのは一緒なのではないかと思います。私なども、どこでサラリーマンを引退するかというのが最近の課題です。遅くとも60歳では辞めたいものです。

書き出したら終わらず、あれこれ長々とすいませんでした。

難しいとは思いますが、あまり気に病まないようにしてください。

気が向いたら何時でも声をかけてください。

それでは、また。」

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パンデイロのカピバラ

このブログのヘビー読者にはおなじみだと思うが、「高校時代の友人・元福岡のコバヤシ」から、じつに久しぶりにメールが来た。

実はこの1年以上ばかり、音信不通になっていて、何か俺の発言のせいで絶縁されてしまったのではないか、とか、ことによると重篤な病に罹ってしまったのではないか、と心配して、こちらから連絡をするのもはばかっていた。だが、下記のメール内容を読めばわかるように、ちっともそうではなかったことがわかり、ひとまず安心した。

そしてその内容は、このブログにふさわしい内容だったので、以下に紹介する。

「鬼瓦殿

こんばんは。ご無沙汰してます。

コバヤシです。お元気ですか?

などと書きつつ、こちらは貴君のプログをごまめに読んでいるので、貴君の心持ちも含めそちらの状況は手に取るようにわかるのですが。

本当は貴君にメールをしたところで、どうせ返信もないしバカバカしいので向こう数年は貴君にメールをするのは止めるつもりだったのですが、今日、会社の取引先との会食で、どうしてもネタとして話さないわけにはいかない出来事があったので不本意ながら止む無くメールをする次第です。

ということで、今日の出来事ですが、

実は、私はこの四月に部内で異動があり、輸出出荷の仕事をするようになったのですが、この十月ぐらいからコロナも小康状態で取引先との会食が入るようになりました。

そんな中、今日、取引先の会社の方と懇親会をしたところ、たまたま私が楽器をやってます、という話になったところ、その取引先の方が、実は私も少し楽器をやってましてマイナーなんですがパンデイロという楽器をやってます、と語り出しました。

その人曰く、パンデイロというのは所謂タンバリンのことで、ブラジルではタンバリンをパンデイロと呼ぶのですが、私は父親が商社マンだったので子供の頃をブラジルで過ごしたのです、そこで何かの縁でパンデイロの巨匠と言われる当時九十近い方に師事したのです、それで社会人になっても暫くはパンデイロ奏者として演奏していたのです、と話してくれるのです。

その話を聞いてアサカワのことを思い出し、

実は私の高校の後輩で日本唯一のブラジル音楽専門のサックス奏者のアサカワという変な奴がいるのですが、ご存知ですか?と聞いたところ、その方が、もしかしてヒロキーニョさんのことですか?もう十数年ご無沙汰してますが良く知ってます、私はパンデイロのカピバラと呼ばれていたので、アサカワさんにそう言って貰えたら覚えてくれているかも、というではないですか。

懇親会の後、早速、アサカワに、パンデイロのカピバラさんて知ってる?と久しぶりにメールしたところ、良く知ってます、でも十数年前に突然いなくなっちゃったんでどうしてるんだろうと思ってたんです、でもカピバラさんはお元気だったんですね、宜しくお伝えください、とすぐに返信がありました。

なぜ仕事上の付き合いの中で、あのアサカワの知り合いがいるんだろうと驚き、貴君にメールしてしまった次第です。

貴君も書いていましたが、人の縁というのは本当に不思議なもので、何故こんなところでという思わぬ出会いがあったりします。

前段で書きましたが、本当は貴君には向こう数年は連絡しないつもりだったのに、何故かたまさかのご縁で、貴君にメールしてしまうということになってしまったわけです。

ということで、またそのうち。

貴君の気が向いたら、茶でも飲みながらゆっくり話しましょう。

では、あまり無理はしないで、ご自愛ください。」

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ママがいい!

10月24日(土)

もうすぐ2歳7か月になる娘が、保育園でウィルスをもらってきたようだ。まあこの時期、珍しいことではないのだが、鼻水が止まらなくなっている。

鼻水が止まらないとどうなるかというと、夜、鼻水が喉に詰まるか何かで、眠れなくなってしまうのだ。それで大泣きをする。金曜の夜がそんな感じだった。

これは困ったことだと、翌朝の土曜日、かかりつけの小児科に行って、薬をもらってきた。薬を飲ませてもすぐに効くわけではなく、効いてくるのは翌日以降だそうである。

「この時期、保育園にはいろいろなウィルスが跋扈していて、子どもたちは、順番にそれをもらってくるのです」とのこと。新型コロナではないらしいが。

10月25日(日)

相変わらず、娘の鼻水は止まらない。

今日の午後から、妻は1週間の出張である。

これから1週間、娘の子守をしなければならない。

気になるのは、最近とみに、

「ママがいい!」

といって、母親にだっこをせがむことである。僕がだっこをして寝かしつけようとすると、強烈に拒否して、

「痛い、痛い!降ろして!」

と言うのだ。これでもし母親が1週間不在となったら、どんなことになるのだろう?

1人では不安なので、恒例の、実家の母にも来てもらうことにした。

お風呂に入れ、夕食を食べてる途中に、娘が急に泣き出した。

「ママがいい!ママがいい!」

狂ったように、この言葉を連呼する。おそらく、眠いのだろう。

目の前でこの言葉を言われた父親の気持ちは、たぶん言われた人にしかわからないだろう。

それでも寝かしつけなければならないのだ。

ようやく眠ったかと思って、布団に寝かせたら、ほどなくしてまた

ギャーッ!!!

と泣き出した。鼻水が詰まって苦しいのだろう。再びだっこして寝かしつけようとするのだが、

「ママがいい!ママがいい!」

と言って、僕のだっこを力ずくで嫌がる。

それでも僕は、投げ出すわけにはいかない。辛抱強くだっこを続ける。

そんなことを何度かくり返して、ようやく眠りについたようだが、またいつ、泣き出すかわからない。

「ママがいい!ママがいい!」

と、これから1週間、言われ続けるのだろうな。

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風呂場のまこちゃん

10月24日(金)

高校の後輩のSNSに、「風呂場のまこちゃん」の写真がアップされていたので、僕はビックリして思わず、

「えっ!メール採用されたの?」

とコメント欄に書いたら、

「読まれました」

というではないか。むかしから文才があった人だからなぁ。

「すごい!太田アナに読んでもらったんだ!そして大竹さんにコメントもらったんだ!」

と聞いたら、

「月曜祝日で大竹さんはおやすみだったのですが、太田さんにメール読んでもらって阿佐ヶ谷姉妹にコメントしてもらいました!」

という。なるほど。月曜日が祝日で仕事がおやすみだったから、ラジオをリアルタイムで聴けてたんだな。

そうなると、いつの放送だろう?月曜祝日という手がかりだけを頼りに調べようと思ったが、もちろん音源を探し出すこと自体、もはや困難である。radikoはもちろん、ラジオクラウドにも残っていないようだ。本人に聞くのも野暮なので、それ以上詮索することはあきらめた。

もう一つ不思議なのは、その後輩が住んでいるところは、その番組がネットされていない地域なのではないか?という疑問である。となると、radiko premiumか何かでリアルタイムで聴いていたのだろうか。だとしたらそうとうなヘビーリスナーである。

僕は少しそのあたりを確認してみたくなり、

「太田さんは昨日(10月23日)でフル曜日の出演が最後だね」

とカマをかけてみたら、

「偉くなられたのはおめでたいけど、さみしいですねー。大竹さんが時々ちょっと偏りすぎた発言しても、太田さんがさりげなく上手にバランスとってくださるから、いつも安心して聞けてたんですよねー」

と、完璧な解答。太田アナが編成局長に昇進したことまで知っている。

(うーむ、おぬし、なかなかやるなあ)

と思い、

「猛獣ばかりの金曜日に残ったのは正解だったかも」

と、またカマをかけてみたら、「納得です」的なリアクションをしていた。ということは、今週木曜金曜の放送を聴いて、太田アナが金曜レギュラーとして残ることも当然知っていたということになる。

こうなるともう、降参である。自分の愛聴しているラジオ番組にメールを出して紹介され、「風呂場のまこちゃん」までもらえたというのはうらやましい。

その後輩とは、もう何年も会っていないのだが、同じラジオ番組を聴いているというだけで同志と思えてくるから不思議である。

ちなみに、これはその後輩には言わなかったが、僕はつい今週、このラジオ番組を聴いていて不思議な体験をした。

今週の水曜から金曜までの3日間、都内某所で隔離生活をしていたのだが、そのおかげで僕はその番組をリアルタイムで聴くことができた。

そしたらあーた、今週の「大竹発見伝 ザ・ゴールデンヒストリー」のコーナーでは、いま僕が隔離生活を送っている町、その町に生きる市井の人のエピソードを特集していたではないか!その町でがんばって暮らしている人の姿。なんという偶然!

ちょっとその偶然にうれしくなり、そこでの隔離生活の辛さがほんの少しやわらいだのであった。

ラジオ番組のよさって、そういうところよ。

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アンチテーゼ

10月22日(木)

前回、「ドリフ軍隊論」を書いたが、昨晩はあまり眠れなかったこともあり、あれからまたいろいろ考えた。

寺尾紗穂さんが書くように、戦時中の「隣組」という歌が、戦後、「ドリフ大爆笑」のオープニング曲として替え歌にされ、歌い継がれていくことの「気持ち悪さ」というのを、たしかに僕も感じていた。

しかし、こうは考えられないだろうか。

戦時中の、あのいかにも窮屈な歌を、お笑いのバカバカしい歌に変えてしまうことは、むしろあのときの窮屈さを無力化することにはならないだろうか。

むかし喜納昌吉が「すべての武器を楽器に!」と言ったように。

むかし、アメリカのコメディアンのアビー・ホフマンが、アメリカの国防総省にデモを仕掛けた時、軍隊がそれを阻止しに来たら、その軍隊の持っているライフルの銃口の一つ一つにお花をさしていった「フラワージェネレーション」「フラワー革命」を実行したように(町山智浩さんによる「シカゴ7裁判」の解説より抜粋)。

「すべての銃を花束に!」

「すべての軍歌をコメディーソングに!」

は、平和を希求する思いにはつながらないだろうか、と。

寺尾さんが、ドリフの歌の元歌が、「隣組」という歌であるという事実を知って、ショックを受けたように、僕もまた、若い頃にその事実を知ってショックを受けた。そこに戦争の闇があることを知ったわけである。しかも、むしろ強烈に。

そこに気づかせることに、この歌の意味があるのではないだろうか。

ドリフのコントも、考えてみれば、いかりや長介というリーダーへの絶対服従を建前としながらも、最終的にはほかのメンバーたちがいかりや長介をひどい目に遭わせて終わる、というパターンが多い。「もしもシリーズ」の「ダメだこりゃ」はその典型である。これは見方によっては、軍隊という秩序に対するアンチテーゼであるようにも思える。

1931年生まれのいかりや長介の価値観を、1950年生まれの志村けんが新たな価値観に変えていこうとするせめぎ合いに、ドリフの可笑しさがあったのではないだろうか。

…などと、またまた、まったく根拠のない、いいかげんな話を書いてしまったが、正直なところ、自分でもナンダカヨクワカラナイ。

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ドリフ軍隊論

10月21日(水)

寺尾紗穂『南洋と私』(中公文庫)を読む。

相変わらず文章がすばらしく、つい引き込まれる。

この本の中で寺尾さんが、「ドリフ大爆笑」の主題歌、

「ド、ド、ドリフの大爆笑~♪」

が、戦時中に流行した「隣組」

「とんとん とんからりんと 隣組~♪」

の替え歌であることを知り、驚いたという記述がある。

「戦時の生活を象徴するメロディーが戦後、お笑い番組の中で採用され、私が思っていたように「ドリフのオープニング以外のなにものでもないはず!」と広く思われている戦後とはなんだろうか。単純に曲がいいから、いろいろ使われるんだろう、小難しいことじゃない、そう言われればその通りかもしれない。でも私はやっぱりひっかかるのだ。自分たちはだまされていた、軍部が全部悪い、自分たちは無力な被害者にすぎなかった、そう決め込んで、かつて提灯行列や相互監視や密告によって銃後を、戦争体制を支えていた人たちが、戦後、まんざらでもない、と「民主主義」社会に溶け込んでいく。相反するはずのものへといつの間にか移動しているその気持ち悪さ。否定しようのない連続。そういう気持ち悪さを、隣組とドリフの連続に感じるのは、考えすぎというものだろうか」(70頁)

これは決して考えすぎではない。「ドリフ大爆笑」のオープニングが、「隣組」の替え歌であるのは、ただたんに曲がいいから、という理由ではない。

「ド、ド、ドリフの大爆笑~♪」

よりも前に、もう一つ、「ドリフ大爆笑」のオープニング曲があったと記憶する。

「ド~リフのド~リフの大爆笑♪」

という歌なのだが、これは、やはり戦時中の、

「月月火水木金金♪」

の替え歌である。僕の記憶では、「隣組」の替え歌バージョンは、2代目のオープニング曲なのである。

つまり、一貫して戦時中の歌を替え歌にしていたのだ。

なぜあえて戦時中の歌を替え歌にしているのだろうかと、僕はずっと気になっていた。

で、僕は、「ドリフターズは軍隊である」という仮説に行き着いた。

ドリフターズのリーダー、いかりや長介と、ほかのメンバーの関係は、軍隊における上官と部下の関係になぞらえられるのではないだろうか。

「8時だよ!全員集合」のコントでよく、リーダーのいかりや長介がメンバーが横並びで整列させて、

「やすめ!きょーうつけい!」

と号令する場面を何度も見た記憶があるのだが、なんとなく軍隊の整列を連想させる。

それぞれのキャラクター設定も、部下に対して統率をとろうとする上官と、それになんとか反発してやろうという部下たち、という関係を思わせる。

というわけで、戦時中の文化が、1970年代くらいに、ドリフターズが好きな子どもたち(僕もそのひとりだが)の間で、知らず知らずのうちに継承されていったのではないかと感じるのである。

これが、ドリフターズの先輩格にあたるクレージーキャッツになると、ドリフほどの軍隊性は感じない。むしろ戦後を象徴するようなグループである。

植木等の「無責任シリーズ」は、高度経済成長期を象徴するような映画のように思えるし、クレージーキャッツは、ドリフターズほど、集団行動をとらず、むしろ個人主義的というイメージがある。まあこれも、僕の思い過ごしかもしれないのだが。

時代はやがて、クレージーキャッツからドリフターズへとバトンタッチしていくのだが、そこでなぜ復古的なドリフターズが受けたのだろうか?

このあたりのことは、もう誰かとっくに考察しているのかもしれない。

ちなみに「欽ちゃんファミリー」は、学校の先生と生徒の関係、「オレたちひょうきん族」はヤンキーの集まり、になぞらえているのだが、それはまた別の話。

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仕事のひと山

10月20日(火)

なかば恒例となってしまったが明日からは3日間の隔離生活。来週は在宅勤務をするつもりなので、事実上、今日は10月最後の出勤日である。

しかも火曜日は会議日。1週間のうちでいちばん忙しい曜日である。今日のうちに、あれこれと仕事を片づけておかなければならない。

朝6時に家を出て、8時半頃に職場に到着。9時半からイベントがオープンするので、その前の9時に、イベント会場の模様替えをしなければならない。

それが終わると10時から社長室で2時間の打ち合わせ。

お昼休みのあとは、1時から3時間にわたる全体会議。僕が提案する議題が、破綻することなく承認されるよう、薄氷を踏む思いで会議を乗り切る。

それが終わると、各方面にメールやら、書類作成やら、事務方で作成した書類のチェックやらに追われる。

この4月から妙な役職に就いてしまったばかりに、会議やら打ち合わせの数が格段に増えてしまった。

事務的なことは、係のスタッフ3人に、いろいろとお願いしている。僕は、係のスタッフが迷わないように、いろいろなことを判断し、いろいろなことを指示しなければならない。

僕には政策能力もなければ、事務処理能力もないので、ひたすら誠実に対応するしかない。

新しいことは何も生み出せないかもしれないけれど、ともに悩み、ともに考える、というスタンスしか、僕には道がない。

係のスタッフの仕事の展望が、少しでも開かれるような判断をしていくしかないのだ。

半年かかって、どれだけ信頼関係が築けたか、よくわからない。

すっかり日の暮れた時間に、係のスタッフのうちの2人が、僕の仕事部屋のドアをたたいた。

「今日はお疲れさまでした」

「お疲れさまでした」

「今日はこれで失礼します」

わざわざそんなことを言いに来ることはないのだ。僕にことわって退勤する必要などないのである。現に、いままでそんなことはなかった。

「あの…、聞きました。明日から…」

「ええ。ご迷惑かけます」

「いえ、どうかお大事にしてください」

「ありがとうございます」

僕にとっても係のスタッフにとっても、今日はひとまず、仕事のひと山を越えた日だった。

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割に合わない原稿

10月19日(月)

今日は、職場が一斉停電のため、お休みである。職場からメールが来ないというだけでも、気が楽である。

先週金曜日締切の、短い原稿を、今日のうちに仕上げておかなくてはいけない。それでなくとも、今週半ばに第二弾の原稿の締切、週明けには第三弾の締切が待っているのだ。

ごくごく短い原稿で、分量にすると1200字程度の文字数だと思うのだが、これがなかなか書けず、1日がかりの仕事である。

なるべく自分の個性を押し殺して、正確な記述につとめなければならない。さまざまな制約の中で書かなければならないこともあり、そのために今までなかなかやる気が出なかったのだが、ともかく今日のうちに書いてしまって出版社に出さないと、面倒なことになる。

夕方、なんとか書き終えて、図版候補も何点か入れて出版社に送ったのだが、すぐに出版社から返信が来た。

「たいへん申し訳ないんですけども、図版候補のうち、1点の写真については、使用料が法外に高くて、金銭的な事情で掲載するわけにはいきません。別の写真に差し替えていただけませんでしょうか」

聞いてみると、たしかに法外な使用料である。しかし以前にも自分の原稿に使用したことがあったと思ったが、そのときは出版社から何も言われなかったぞ。約15年前と今とでは、事情が違っているのだろうか。だとすれば、世知辛い世の中になったものである。

そんなに法外な使用料を取ったら、だれもその写真を使いたがらなくなり、かえって観光などで人が呼べなくなるぞ、と思うのだが、まあそれでも、写真の使用料から上がる利益のほうを大事にしたいということなのだろう。まったく、何が世界共有の財産なのか。

あわてて、まったく別の写真候補に差し替えて再送した。

とにかく、使いたい写真も使えないし、1200字の文章を書くにも1日がかりだし、原稿料などいつ入ってくるかわからないし、人目につく可能性はほとんどないし、まったく、割に合わない原稿である。最近はそんな原稿ばかり書いている。

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よい読書

現在開催中のイベント用のTwitterの件だが、管理人さんたちがえらく盛り上がっていて、どんどんエスカレートしていくような気がして、ちょっと怖くなってきた。

僕も、ツイート文をこれまで何度かアップさせてもらったのだが、だんだん面倒くさくなってきたので、ここらで引こうかと思っているところである。

『文藝春秋』2020年11月号の巻頭随筆に掲載された芸人の光浦靖子さんのエッセイ「留学の話」が、ネットで評判になっていて、僕も読んでみたのだが、とてもよい文章だった。

一つのことを追い、極めることが世間では素晴らしいとされています。でも私にはできそうもない。じゃ、どうする? 深さじゃなく、広く浅く、数で勝負するのは? 「逃げ」と「新しい挑戦」の線引きなんて曖昧なもんだ。」

「外国生まれの日本人の友達がいます。彼女は10代で日本に戻って来た時、虐められたそうです。「違う」と。でも彼女は「世界はここだけじゃない」ということを知っていたから、虐めを乗り越えられたそうです。仕事も友人も住む場所も、「世界はここだけじゃない」を知ったら、どれだけ強くなれるんだろう。私はそれを知りたいのです。英語から逃げた分岐点に戻って、もう一つの人生も回収したいんです。」

このあたりがグッときたので、心覚えに引用しておく。

「上から目線」の書き方かもしれないけれど、よい文章に出会った時は、「この人は、きっと『よい読書』をしてきたんだろうなあ」と思うことにしている。光浦さんが本好きなのは有名だが、たんなる本好きではなく、「よい読書」をしてきた人なのだ。ほかの芸人さんでいうと、バービーさんのエッセイを読んだ時も、同じ感想を抱いたことがある。

反対に、「うーむ。この人は、読書に恵まれなかったか、読書嫌いだったのだろうなあ」と思ってしまう文章に出会うこともある。人間は、歳を重ねるごとに自然と文章が上手くなるというわけではなく、それまでにどれだけ「よい読書」をしてきたかが、文章の深みを左右するのではないのだろうか、と思うようになってきた。

リンカーン大統領が、「男は40を過ぎたら自分の顔に責任を持て」みたいなことを言ったとか言わなかったとか。「男は40過ぎたら」の部分はともかく、それまでの生き方が顔に出る、というのであれば、それまでの生き方が文章に表れる、ということもまた、真実なのではないだろうか。

光浦さんのエッセイを読んで、いまの業界における自分の立ち位置、みたいなことについて、少し考えてしまった。

光浦さんが自分について感じているのと同じように、僕自身もまた、一つのものを極めたという人間でもなければ、一芸に秀でている人間というわけではない。どちらかというと、かなりブレブレの人間だし、この業界でなんとなくやり過ごしてきた人間である。

この業界には、まったくブレない人がいて、そういう人は、自分のやるべきことが決まっているから、それにもとづいた仕事を量産してしている。僕はそういう人を、とてもうらやましく思っている、というより、かなり嫉妬している。僕には、「ブレない」ことが窮屈で仕方がない。

「ブレブレで何が悪い」と開き直っているのだが、たぶん光浦さんが書いているように、「新しい挑戦」といいながら、実際には逃げているだけなのかもしれない。

ただまあ、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしているおかげで、「世界はここだけじゃない」という感覚を、漠然とだが持つことができた。

同じ業界の人から、酒に酔った勢いで僕がいかにダメかを延々と説教されたことが、何度かある。そのときはひどく落ち込んで、いまでもそいつらに対して根に持っていたりするのだが、それでもいまは、「俺はそんなところで勝負していない」という自負がある。「おまえらの考えている世界なんて、その程度のものさ」と。ま、負け惜しみなんだけどね。

まだ、「負け惜しみ」といっている時点で、勝ち負けにこだわっている自分がいるのだが、やがては、そんなことすらどーでもよくなるような境地に達したい。

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音声収録

10月15日(木)

病院に定期診察。

診察は半日がかりなので、ふだんなら職場に行かないのだが、この日は、夕方に仕事が入った。

数日前、いまうちの職場で開催しているイベントの代表者の同僚が、

「木曜日の夕方、空いてますか?」

「木曜日ですか…。病院に行くんですけど、夕方ならば職場に行けないことはありません」

「イベントで、音声ガイドが必要なんじゃないかと盛り上がってしまいまして、急遽音声ガイドの収録をおこなおうかと」

「音声ガイドですか?」

ああいうのって、プロに頼むんじゃないの?南部広美さんとか、堀井美佳アナウンサーとか。…ま、僕の好きな語り手だけど。

「お願いします」

「わかりました」

ということで、音声ガイドの収録を急遽することになったのである。もちろん、原稿は自分で作り、自分で読むことになる。

診察をする病院というのは、自宅と職場の中間あたりにあるので、診察が終わったらそのまま職場に向かうことができる。ま、かなり体力的にはつらいのだが。

診察が2時過ぎに終わり、これならばなんとか夕方に間に合うだろうと、車で職場に向かった。

すると、途中でイベントの代表者の同僚から連絡が来た。

「ごめんなさい、間違えてました。音声ガイドの収録は、今日の夕方ではなくて、明日の夕方です!!」

ええええぇぇぇぇっ!!!もうだいぶ来ちゃったよ!!

仕方なく自宅へ引き返したのであった。

10月16日(金)

今日も朝から忙しい。

午前10時から会議があるのだが、会議でスムーズに承認されるための対策で、9時前に出勤して打ち合わせ。なんとか会議では原案通り承認されて一安心。

午後からも打ち合わせが一つあり、その合間にも書類作成など。あっという間に夕方になった。

夕方から、いよいよ音声ガイドの収録である。

イベント会場で収録した方が臨場感がある、という同僚の提案で、会場でおこなうことになった。

ふつう、音声ガイドって、一人が全部をナレーションすると思うのだが、担当者が、自分の担当のところに音声ガイドをつける、ということらしい。これって、聴いてる人からしたら、どうなのだろう?煩わしく感じたりしないだろうか?と思ったが、まあそれで進めるというのだから仕方がない。

あらかじめ原稿を作成してきたのだが、問題は、どんなトーンで喋るか、である。

考えたあげく、「大竹発見伝 ~ザ・ゴールデンヒストリー~」風で喋ろうということに決めた。ま、わかる人だけがわかればよろしい。

音声ガイドは、いずれネットで公開されるようである。はたして、僕の語りが「大竹発見伝 ~ザ・ゴールデンヒストリー~」風になっているかどうか、乞うご期待!

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イヤイヤ期にもほどがある

最近は仕事があまりに忙しいうえに、精神的にもストレスのたまることばかり起こる。朝早く家を出て、夜に帰るころには、2歳半になる娘はもう眠りにつく時間。娘とのコミュニケーションがほとんどとれない。

疲れ果てて帰って来て、娘に近づこうとすると、

「あっちへ行って!」

と言われる。娘は、母親にだっこしてもらいたいらしく、私がだっこしようとすると、泣き叫んで全力で拒否するのである。

「パパのこと嫌いなの?」

「うん」

「顔も見たくないの?」

「顔も見たくない」

「いない方がいいの?」

「いない方がいい」

まあね、ここまで言われてしまうとね、仕事で凹んでいる身が、さらに凹んでしまう。

2歳半のときにこんなことを言われているくらいだから、思春期になったらどんなことを言われるのだろう?想像するだけで恐ろしくなる。

まったく、なんのために生きているのか、わからなくなってきた。

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客として職場へ

10月11日(日)

家族親族に、いま職場で開催中のイベントを見てもらおうと日程を調整したら、10月11日(日)しか予定の合う日がなかったので、急遽、家族親族5名を連れて職場に行くことにした。

ただ、週末は事前予約の手続きをした人が優先的にイベント会場に入ることができることになっていたため、数日前にあらかじめ事前予約の申し込みをした。

自分の手がけたイベントに、わざわざホームページで申し込んで観に行く、というのも、変な話なのだが、ま、自分の出演した映画にお金を払って劇場に見に行く俳優のようなものなのだろう。

2歳半の娘が、イベント会場に着くやいなや、

「おうちへ帰ろう」

と言い出し、しかも繰り返し言うので、凹んでしまった。

それに、イベント会場のあちこちにいる会場スタッフは、先日僕が研修会の講師をつとめたこともあり、

「先日の研修はありがとうございました」

と挨拶される始末。まったくもって恥ずかしい。

それでも午前中から夕方まで、職場で「客として」時間を過ごし、ヘトヘトになって帰ってきた。

疲れ果て、寝ようと思ったら、イベント専用のTwitterの管理人からメールが来て、僕が書いたツイートの文案に、不正確な記述があるのではないかという疑義が出されて、あわてて調べ直し、文案を修正して送信した。

あまり不用意なことを書くと炎上するから、表現に気を配るのが難しい。

ツイートの文案を作るのが面倒になってきた。Twitterなど、やるものではないね。

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どうも、熱狂的なファンの者です

10月9日(金)

朝、職場に行くと、今開催中のイベントの代表をしている同僚と廊下ですれ違った。

「いよいよ今日ですよね」

「ええ」

「あれ?リモート出演ですか?」

「そうです」

今日の夕方は、僕がヘビーリスナーとして愛聴するあのラジオ番組に、その同僚が開催中のイベントの宣伝を兼ねて出演するのである。スタジオに行かず、職場の仕事部屋からリモート出演するようだ。

僕はその同僚に、僕があのラジオ番組のヘビーリスナーであることを昨日メールで伝えていた。

しかし同僚は、その番組を1回も聴いたことがないという。

「影響力のある番組ですよ」

「そうなんですか。鬼瓦さんにも一緒に出てもらえばよかったですね」

「いえいえ、僕はたんなる一リスナーですから…。今から楽しみです。僕は、パーソナリティーのお二人のファンですからね。よろしく伝えておいてください」

「わかりました」

さて、午前から午後にかけていろいろな仕事をしていると、あっという間に夕方になってしまった。気がつくと5時半が過ぎていた。

すると、イベント代表の同僚が僕の仕事部屋にやってきた。

「…ラジオ聴きました?」

「いえ、まだ…。職場からの帰りの道中で、ラジコのタイムフリー機能を使って聴こうと思ってまして」

「そうですか。実はお願いがあるんですが」

「なんでしょう?」

「番組パーソナリティーのお二人に、イベントのカタログをお送りしようと思うんですよ」

「はあ」

「それで、私と鬼瓦さんの連名でお送りしようと思うので、ここにお名前を書いてください」

見ると、「謹呈」と書かれた短冊が2枚ある。一方の短冊の上の方には、男性パーソナリティーの名が書かれ、その下には同僚の名前が書かれている。

同僚の名前の左隣に、名前を書けということらしい。

もう一枚のほうには、「謹呈」と印刷された文字以外、何も書かれていない。

「こちらは?」

「こちらは、もうひとりの女性パーソナリティーのお名前を、鬼瓦さんに書いてもらいたいんです」

「はあ」

「で、その下に鬼瓦さんの名前を書いていただいて、その左隣に、私の名前を書きますから」

言われるがままに、短冊の上の方に女性パーソナリティーの名前を、その下に僕の名前を書いた。そしてその左隣に、同僚が自分の名前を書いた。

「しかし、「謹呈」の短冊に、僕の名前を書くというのはどうなんでしょう?パーソナリティーのお二人に「誰だこいつ?」と思われませんかね?」

同僚は、ラジオに出演したから名前を書く必然性があるが、僕はまったく関係ないのだ。

「大丈夫ですよ。言っておきましたから」

言っておいた?何を言っておいたんだ?

さて帰宅の道中で、いよいよ、同僚が出演したあのラジオ番組のMainのコーナーを聴くことにした。

40分ほどの話が終わって、いよいよMainのコーナーが終わりだな、という雰囲気になったのだが、そこで男性パーソナリティーが

「他に何かお知らせすることなどありますか?」

と同僚に聞いたところ、同僚は最後の最後に、

「あ、これは忘れないうちに言っておかなくては」

と前置きして、

「実はこの番組の出演のお話をいただいたとき、私の同僚で、イベントを一緒に作ってきたメンバーがいるんですけれど、お二人の熱狂的なファンで…」

「まあうれしい!」

「このイベントのことをこの番組で取り上げてほしいとメールを書こうかと思って悩んでいたところだったんだそうです」

「ああそうですか」

「そうでしたか~」

「ぜひお二人にがんばってくださいって言付かっていますので」

「ありがとうございます」

「うれしいです」

と、とてもよい雰囲気のうちに、Mainのコーナーが終わった。

…というか、「熱狂的なファン」って、俺のことじゃん!

ええ、たしかに、番組宛てにメールを出そうと本気で思いましたよ、ええ。

お二人に贈るカタログにつける「謹呈」の短冊に、出演したわけでもない僕の名前を書く理由が、これでわかった。

僕はお二人の「熱狂的なファン」として、コーナーの最後の最後のところで、紹介されたのだ!

名前は出されなかったけど。

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「車中のバナナ」と「ああ軍歌」

頭木弘樹『食べることと出すこと』(医学書院、2020年)について、もう少し書く。

この本の中には、数々の文学作品からのエピソードや言葉がちりばめられているのだが、その中に、脚本家・山田太一の「車中のバナナ」というエッセイを紹介しているくだりがある。「このエッセイが好きで仕方がない」と、頭木さんは述べている。

それは、こんなお話である。

山田太一が、旅先からの帰り、普通列車に乗っている。電車の四人がけの席には、中年男性と、老人と、若い女性、すべてその場に居合わせた他人が座っている。その中の一人、気のよさそうな中年男性がみんなに話しかけ、わきあいあいと会話が始まる。

その男性が、バナナをカバンから取り出す。

そこに座っていた老人と若い女性は、バナナを受け取ったが、山田太一は断った。中年男性は「遠慮することないじゃないか」といったが、山田太一は「遠慮じゃない。欲しくないから」と再び断った。

するとその中年男性は、

「まあ、ここへ置くから、お食べなさい」と窓際にバナナを置く。

「おいしいんだから、あんたも食べなさい」と、中年男性は山田太一にしつこく勧める。

老人も非難し始める。「いただきなさいよ。旅は道連れというじゃないの。せっかくなごやかに話していたのに、あんたいけないよ」と山田太一をたしなめるのである。

頭木さんは、このエッセイにひどく共感する。

せっかくバナナを通じてみんながなごやかになっているのに、どうしてバナナを受け取らないのか?雰囲気がぶち壊しではないか、ということを当然のことと考えることに対する恐怖に、頭木さんは共感したのである。

「もともとは、たんにバナナを出したというだけのことでも、このように、「たちまちなごやかにはなれない人間」に対して、圧力をかけ、非難するという展開になっていく」ことが、ここでは問題なのである。

この話を読んで、僕は山田太一脚本のあるドラマのことを思い出した。

それは、渥美清主演の「泣いてたまるか」というドラマシリーズの、「ああ軍歌」(1967年)という回である。

「泣いてたまるか」は、1話完結型のドラマで、渥美清が毎回さまざまな職業の人間に扮して、その悲哀を描くというものである。脚本家も毎回異なり、のちに一線で活躍する脚本家たちが、このドラマの脚本に関わっていた。山田太一も、その1人である。

山田太一脚本の「ああ軍歌」は、たしかこんな内容である。

主人公は、杉山という、ある会社の営業課長(渥美清)。戦争でつらい体験をした彼は、戦後になっても、その思いが消えない。いつまでも戦争の悲しみを引きずっている。

ある日、親会社から元軍人の重役(山形勲)がやってくる。この重役は、軍隊時代を誇りに思っている人間で、職場をまるで軍隊のように作り上げようとする。その職場方針に、営業課長の杉山の心は次第に塞いでゆく。

ひどく憂鬱なのは、宴会である。その重役が中心となる宴会では、みんなが手拍子を打ちながら軍歌を大きな声で歌う。部下たちも重役の機嫌を損ねないようにと、一緒になって軍歌を大声で歌うのである。

しかし営業課長の杉山はそれが耐えられない。自分ひとりだけ、軍歌を歌わずに下をうつむいて黙っている。

それに気づいた部下は、「今さら軍歌にこだわってどうするってんですか。もっと人間の幅を持たなきゃ! たかが歌じゃありませんか? もっと平気になってもらわなきゃ、この激しい生存競争をどうして乗り切れますか」と営業課長の杉山に説教するのだが、それでも杉山は軍歌を歌うことに納得がいかない。

そしてついに、本社からの客をもてなす宴会の席で、杉山は重役から軍歌を歌うことを強要される。重役も、杉山のこれまでの態度が気に入らなかったのであろう。ここで歌わないと、本社からの客に不愉快な思いをさせてしまうことになる。

杉山は立ち上がり、自分はなぜ軍歌を歌いたくないかについて、自らのつらい戦争体験を語り出す。

宴会の席が重苦しい雰囲気になり、重役の怒りは爆発する。「もう歌わんでいい!」

「いえ、歌います!こうなったらどうあっても歌います!」と、これまでの怒りをぶつけるように、杉山は軍歌をひとり大声で歌い始める。それは、懐かしい思い出などとはほど遠い、つらい戦争体験を喚起させる歌い方である。

重役は「あんなヤツはクビだ!」と、杉山の態度に怒り心頭になる。

…というストーリーなのだが、この話は「車中のバナナ」とまったく同じ構造ではないか。

電車の中でバナナを食べるように勧める人のよさそうな中年男性と、宴会で部下に軍歌を歌うことを強要する元軍人の重役と、どこがどう違うのだろう?

ひょっとして、「ああ軍歌」は、山田太一自身が体験した「車中のバナナ」がモチーフになっているのではないだろうか?

少なくとも言えることは、山田太一は、かなり早い段階から、この国の社会が持っている「同調圧力」を危惧していて、それをエッセイや脚本を通じて発信していた、ということである。「同調圧力」という言葉が生まれるはるか以前から、山田太一はそのことに気づいていたのである。

名脚本家は、予言者でもあるのだ。

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あのラジオ番組

10月8日(木)

今週の火曜日から始まった職場のイベントが、Twitterとかでかなりの反響を呼んでいる。

そしてなんとなんと、僕がヘビーリスナーとして愛聴している、あのラジオ番組で、紹介されることになった!しかもMainのコーナーで!

そのことを知ったのは、今日の夕方、イベント関係者がメールで教えてくれたのである。どうやら急遽決まったことらしい。

もちろんゲスト出演するのはイベントの代表者である同僚である。僕もスタジオ見学くらいしたかったなあ…。

実は、ずいぶん前から、このイベントを、あのラジオ番組が取り上げてくれたらなあ、と夢想していた。Mainのコーナーで、1時間近くかけて、ラジオパーソナリティーとうちの同僚が対談をしている様子を、想像してみたのである。

その思いがますます強くなり、いっそ番組にメールして売り込もうか、と思っていた矢先に、ついに実現したのである!

理想をいえば、僕も一度ゲストに呼ばれてみたいと思うのだが、贅沢は言わない。こうして自分が関わったイベントが、自分の好きなラジオ番組で取り上げられるというだけでも、十分に嬉しい。

リアルタイムで聴けない方は、番組ホームページからポッドキャストで聴くことができます。あと、ラジオクラウドのアプリで聴くこともできますので、ぜひ御一聴ください。

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気は病から

10月7日(水)

「特急のすれ違う駅」の町へ日帰り出張の道中で、頭木弘樹さんの『食べることと出すこと』(医学書院、2020年)を、すがるような気持ちで読んだ。

大学生のころに潰瘍性大腸炎を発症し、今も闘病を続けている頭木さんの、闘病記、というよりも、闘病を通じた思索、というべき本である。

潰瘍性大腸炎の当事者だけでなく、まったく身に覚えのない形で発症し、いつ治るかもわからない病気を抱えている人にとっては、じつに共感できる本なのではないだろうか。というか、少なくとも僕は共感した。

本で書かれたことの一部は、先日紹介したTBSラジオの「荻上チキSession22」で語られているが、そこで語られなかった内容についても、共感することばかりである。

たとえばこんな話。

「病は気から」という言葉がある。病気をしている人たちが、いかにも病気になりそうな性格だ、と思えることがある。

「潰瘍性大腸炎の人たちは、みんな同じような性格をしている」といわれたことがある著者は、最初はピンとこなかったが、やがて闘病を続けているうちに、自分もだんだんそういう性格になっていったことに気づく。

「つまり、そういう性格だから、その病気になったのではなく、その病気だから、そういう性格になったのである。病気によって形成された性格であるため、その性格を見ると、その病気になりそうに見えるのだ。「病は気から」というが、「気は病から」でもあるのだ」(252頁)。

潰瘍性大腸炎を患った著者は、「病気になる前とは、別人のようになってしまった」と述懐している。

もちろん、病気になっても性格が変わらない人もいるんだけどね。でも、僕はこの頭木さんの気持ちはなんとなくわかる。

病気には休みがない(199頁)、というのもよくわかる。「「病気であることを忘れる」という瞬間がないということが、とても苦しい」と頭木さんは述べている。

頭木さんが、ある医師とプライベートで会って話をしたとき、

「自分だけがたいへんなようなつもりでいる。誰でもたいへんなことがあるのに、それがわかっていない」

そう言って、その医師はジョッキでビールを美味しそうに飲んだ、という。

たしかに誰でもたいへんなことがある。しかしたとえ医師のほうがはるかにたいへんだったとしても、勤務時間を終えれば、ビールを飲んでひと息つける。

しかし慢性痛の人の場合は、痛さから逃れてひと息つくことはできない。休みがないということは、どれほど人を消耗させ絶望させるかしれない、と頭木さんは述べている。

僕は慢性痛ではないのだが、病気には休みがない、という感覚は、よくわかる。

もともと、集まってお酒を飲んだりすることは好きではなかったが、病気になってからはよりその傾向が強くなった。お酒をやめてしまったこともあるが、気心の知れた仲間どうしの集まりであったとしても避けるようになった。そういう集まりに出ることが、耐えがたくなったのである。その理由はいわく言いがたい。病気のことが頭の片隅にあり、みんなと同じようにひと息つくことができない、という感覚があるからかもしれない。これはあくまで僕の心の問題であり、誰かのせいというわけではない。

一方で、こんなこともある。完治できない病を抱えているある人と、病気の種類はまったく異なるが、同志というつもりでいろいろとお話をしていたが、あるときからぱったりと音信不通になってしまった。あまり心当たりは見当たらなかったのだが、おそらく僕が何かしら無頓着なことを言ってしまったのかもしれない。

繰り返しこの本を読もう。この本のよさは、楽観的ではなく、思索的であるという点にある。

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いきなり!会議

10月6日(火)

そういう役回りのせいで、最近は「いきなり!ステーキ」ならぬ、「いきなり!会議」というケースが多い。

先々週の金曜日(9月25日)だったか、廊下を歩いていたら社長に呼び止められて、

「月曜日の午後、代わりにオンライン会議に出てくれへん?」

と言われて、

「はあ」

と答えた。

その会議というのは、職場の中の会議ではなく、複数の会社が集まって話し合う会議のようなのだが、まったく中身を知らされていない。

しばらくして、会議用の資料がメールで送られてきたのだが、そこに書かれているポンチ絵を見ても、何のことやらいっこうにわからない。

(う~む、困った)

で、会議当日(9月28日)。

1時間ほどの会議だったのだが、結局最後までよくわからず、一言も発言せずに終わってしまった。

そして昨日の晩。

家に帰ろうと思った矢先に、同僚が来て、

「明日の午後、申し訳ありませんがオンライン会議に出てください」

という。

「情報システムのリプレイスについての会議なんですが、そこでうちの会社の立場から発言してください」

ええええぇぇぇぇっ!!!??

「情報システム」とか「リプレイス」とかって、俺がいちばん苦手なやつじゃん!

一体何を話せばいいのだ?

「お役に立てるかなあ」

「大丈夫です。『わからない』ということを発言してもらえればいいです」

なんじゃそりゃ?ま、それも大事なことだ。

そして当日。

聞いたことのない横文字が延々と飛び交う会議の中で、僕はなすすべもなくボーッとしていた。

(今この状況で、鬼瓦さんはどう思いますか?と聞かれたら、何と答えればよいのだろう?)

議論の内容がまったくわからない。

僕に参加を頼んだ同僚が、さすがに見かねたらしく、2回ほど、僕に話を振ってくれたので、それらしい意見を言ったのだが、何しろコンピューター用語が飛び交う会議で、自分の稚拙な発言がどれほどの意味を持っているのか、よくわからない。

こんなんでいいのかなあ、と思う今日この頃である。

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おもちゃ箱をひっくり返したような

10月5日(月)

午前は、会場スタッフ向けの研修で30分を3セット行い、ヘトヘトになる。

午後はメディア向けのイベントで、こちらも30分が2セットだったが、30分で終わるはずもなかった。

このイベントのプロジェクトのメンバーも全国から集まった。とにかくドタバタの1日だった。

このイベントの特徴をツイッターで「おもちゃ箱をひっくり返したような」と表現してもらった。

最初は「おもちゃ箱のような」という表現だったのだが、「おもちゃ箱をひっくり返したような」に変えてもらったのだ。

この言葉には、僕なりの思い入れがあって、大林宣彦監督(またはじまった)の商業用映画のデビュー作『HOUSE』が公開されたときに、

「おもちゃ箱をひっくり返したような映画」

と批評された。

それ以来、ぼくはこの「おもちゃ箱をひっくり返したような」という表現が大好きになったのだが、このイベントもまた、「おもちゃ箱をひっくり返したような」という表現がぴったりだと、僕には思えたのである。

難しく考えることはない。驚きと発見の連続なのだ、というメッセージが、このイベントには込められている。

そして圧倒的な情報量!これもまた大林映画的である。

期せずして、このイベントも、そんな感じになった。もちろん、このイベントと大林映画の「おもちゃ箱をひっくり返したような」というコンセプトが似ていると考えているのは僕だけで、他の誰にも言うことはできないし、理解もされないけどね。

間違いなく言えるのは、常識破りのイベントだということである。これもまた大林映画的。

いよいよ明日、開幕する。

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イベント準備、終了!

10月4日(日)

結局、今週は朝から晩まで、会議のない時間はひたすら展示場でイベントの準備をするというハードな時間を過ごした。

結局、金曜日のうちには終わらず、最終的な作業は日曜日に持ち越されたのだが、さすがに日曜日は出勤できないなあと思い、休むことにした。

週末は、グッタリして家から出なかった。

そしてさきほど、日曜日に作業をした同僚から、無事に作業が終了したという報告が届いた。オープンは明後日の火曜日だが、明日月曜日の午前は会場のスタッフのための研修、午後はメディア向けの説明会と、気の抜けない時間が続く。

イベントの準備作業自体は肉体的にハードだったのだが、作業自体がクリエイティブなことだし、その時間は雑務から逃避できるという精神的な安堵感もあるので、それ自体はストレスには感じなかった。

それよりもストレスを感じるのは、会議である。とくに長い時間をかけて会議をするのは、本当にストレスがたまる。

僕が進行する会議については、できるだけ短くしようと思っているのだが、中には、恐ろしく長く議論する割には、結局ほとんど決まらない、みたいな会議がある。あくまでも一般論の話だが。

僕にとってのダメな会議は、

「時間が長くかかる会議」

である。会議の形式がオンラインになっても、長い会議は長い会議のままである。

長い会議は、いいことが一つもない。議論をしていくうちに、あれよあれよと本質からかけ離れたことを言い出す人が出てきて、最初の原案の良いところをぶっ壊してしまったりする。とくに企画会議などはそうである。

長い時間をかけて議論をして、よい結果が出てくるという会議もあるのかもしれないが、今までの僕の体験では、そうした会議にお目にかかったことがない。もしよい例があれば教えてほしい。

あと、会議や打ち合わせの数が異常に多いことも、今回、イベントの準備をしていてあらためて気づいたことであった。時間が限られている身にとっては、じつに迷惑な時間である。

これから、増えることはあっても、減ることはないのだろうな。

いや、僕が本当に心配しているのは、そんなことではない。

イベント準備の期間中は考えないことにしていた9月末締切の原稿2本に、まったく手をつけていない。その後も、ほぼ1週間おきに「絶対に遅れてはいけない原稿の締切」が続くのだが、こちらもまったく手をつけていない。うーむ。困った。

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