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気は病から

10月7日(水)

「特急のすれ違う駅」の町へ日帰り出張の道中で、頭木弘樹さんの『食べることと出すこと』(医学書院、2020年)を、すがるような気持ちで読んだ。

大学生のころに潰瘍性大腸炎を発症し、今も闘病を続けている頭木さんの、闘病記、というよりも、闘病を通じた思索、というべき本である。

潰瘍性大腸炎の当事者だけでなく、まったく身に覚えのない形で発症し、いつ治るかもわからない病気を抱えている人にとっては、じつに共感できる本なのではないだろうか。というか、少なくとも僕は共感した。

本で書かれたことの一部は、先日紹介したTBSラジオの「荻上チキSession22」で語られているが、そこで語られなかった内容についても、共感することばかりである。

たとえばこんな話。

「病は気から」という言葉がある。病気をしている人たちが、いかにも病気になりそうな性格だ、と思えることがある。

「潰瘍性大腸炎の人たちは、みんな同じような性格をしている」といわれたことがある著者は、最初はピンとこなかったが、やがて闘病を続けているうちに、自分もだんだんそういう性格になっていったことに気づく。

「つまり、そういう性格だから、その病気になったのではなく、その病気だから、そういう性格になったのである。病気によって形成された性格であるため、その性格を見ると、その病気になりそうに見えるのだ。「病は気から」というが、「気は病から」でもあるのだ」(252頁)。

潰瘍性大腸炎を患った著者は、「病気になる前とは、別人のようになってしまった」と述懐している。

もちろん、病気になっても性格が変わらない人もいるんだけどね。でも、僕はこの頭木さんの気持ちはなんとなくわかる。

病気には休みがない(199頁)、というのもよくわかる。「「病気であることを忘れる」という瞬間がないということが、とても苦しい」と頭木さんは述べている。

頭木さんが、ある医師とプライベートで会って話をしたとき、

「自分だけがたいへんなようなつもりでいる。誰でもたいへんなことがあるのに、それがわかっていない」

そう言って、その医師はジョッキでビールを美味しそうに飲んだ、という。

たしかに誰でもたいへんなことがある。しかしたとえ医師のほうがはるかにたいへんだったとしても、勤務時間を終えれば、ビールを飲んでひと息つける。

しかし慢性痛の人の場合は、痛さから逃れてひと息つくことはできない。休みがないということは、どれほど人を消耗させ絶望させるかしれない、と頭木さんは述べている。

僕は慢性痛ではないのだが、病気には休みがない、という感覚は、よくわかる。

もともと、集まってお酒を飲んだりすることは好きではなかったが、病気になってからはよりその傾向が強くなった。お酒をやめてしまったこともあるが、気心の知れた仲間どうしの集まりであったとしても避けるようになった。そういう集まりに出ることが、耐えがたくなったのである。その理由はいわく言いがたい。病気のことが頭の片隅にあり、みんなと同じようにひと息つくことができない、という感覚があるからかもしれない。これはあくまで僕の心の問題であり、誰かのせいというわけではない。

一方で、こんなこともある。完治できない病を抱えているある人と、病気の種類はまったく異なるが、同志というつもりでいろいろとお話をしていたが、あるときからぱったりと音信不通になってしまった。あまり心当たりは見当たらなかったのだが、おそらく僕が何かしら無頓着なことを言ってしまったのかもしれない。

繰り返しこの本を読もう。この本のよさは、楽観的ではなく、思索的であるという点にある。

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