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「車中のバナナ」と「ああ軍歌」

頭木弘樹『食べることと出すこと』(医学書院、2020年)について、もう少し書く。

この本の中には、数々の文学作品からのエピソードや言葉がちりばめられているのだが、その中に、脚本家・山田太一の「車中のバナナ」というエッセイを紹介しているくだりがある。「このエッセイが好きで仕方がない」と、頭木さんは述べている。

それは、こんなお話である。

山田太一が、旅先からの帰り、普通列車に乗っている。電車の四人がけの席には、中年男性と、老人と、若い女性、すべてその場に居合わせた他人が座っている。その中の一人、気のよさそうな中年男性がみんなに話しかけ、わきあいあいと会話が始まる。

その男性が、バナナをカバンから取り出す。

そこに座っていた老人と若い女性は、バナナを受け取ったが、山田太一は断った。中年男性は「遠慮することないじゃないか」といったが、山田太一は「遠慮じゃない。欲しくないから」と再び断った。

するとその中年男性は、

「まあ、ここへ置くから、お食べなさい」と窓際にバナナを置く。

「おいしいんだから、あんたも食べなさい」と、中年男性は山田太一にしつこく勧める。

老人も非難し始める。「いただきなさいよ。旅は道連れというじゃないの。せっかくなごやかに話していたのに、あんたいけないよ」と山田太一をたしなめるのである。

頭木さんは、このエッセイにひどく共感する。

せっかくバナナを通じてみんながなごやかになっているのに、どうしてバナナを受け取らないのか?雰囲気がぶち壊しではないか、ということを当然のことと考えることに対する恐怖に、頭木さんは共感したのである。

「もともとは、たんにバナナを出したというだけのことでも、このように、「たちまちなごやかにはなれない人間」に対して、圧力をかけ、非難するという展開になっていく」ことが、ここでは問題なのである。

この話を読んで、僕は山田太一脚本のあるドラマのことを思い出した。

それは、渥美清主演の「泣いてたまるか」というドラマシリーズの、「ああ軍歌」(1967年)という回である。

「泣いてたまるか」は、1話完結型のドラマで、渥美清が毎回さまざまな職業の人間に扮して、その悲哀を描くというものである。脚本家も毎回異なり、のちに一線で活躍する脚本家たちが、このドラマの脚本に関わっていた。山田太一も、その1人である。

山田太一脚本の「ああ軍歌」は、たしかこんな内容である。

主人公は、杉山という、ある会社の営業課長(渥美清)。戦争でつらい体験をした彼は、戦後になっても、その思いが消えない。いつまでも戦争の悲しみを引きずっている。

ある日、親会社から元軍人の重役(山形勲)がやってくる。この重役は、軍隊時代を誇りに思っている人間で、職場をまるで軍隊のように作り上げようとする。その職場方針に、営業課長の杉山の心は次第に塞いでゆく。

ひどく憂鬱なのは、宴会である。その重役が中心となる宴会では、みんなが手拍子を打ちながら軍歌を大きな声で歌う。部下たちも重役の機嫌を損ねないようにと、一緒になって軍歌を大声で歌うのである。

しかし営業課長の杉山はそれが耐えられない。自分ひとりだけ、軍歌を歌わずに下をうつむいて黙っている。

それに気づいた部下は、「今さら軍歌にこだわってどうするってんですか。もっと人間の幅を持たなきゃ! たかが歌じゃありませんか? もっと平気になってもらわなきゃ、この激しい生存競争をどうして乗り切れますか」と営業課長の杉山に説教するのだが、それでも杉山は軍歌を歌うことに納得がいかない。

そしてついに、本社からの客をもてなす宴会の席で、杉山は重役から軍歌を歌うことを強要される。重役も、杉山のこれまでの態度が気に入らなかったのであろう。ここで歌わないと、本社からの客に不愉快な思いをさせてしまうことになる。

杉山は立ち上がり、自分はなぜ軍歌を歌いたくないかについて、自らのつらい戦争体験を語り出す。

宴会の席が重苦しい雰囲気になり、重役の怒りは爆発する。「もう歌わんでいい!」

「いえ、歌います!こうなったらどうあっても歌います!」と、これまでの怒りをぶつけるように、杉山は軍歌をひとり大声で歌い始める。それは、懐かしい思い出などとはほど遠い、つらい戦争体験を喚起させる歌い方である。

重役は「あんなヤツはクビだ!」と、杉山の態度に怒り心頭になる。

…というストーリーなのだが、この話は「車中のバナナ」とまったく同じ構造ではないか。

電車の中でバナナを食べるように勧める人のよさそうな中年男性と、宴会で部下に軍歌を歌うことを強要する元軍人の重役と、どこがどう違うのだろう?

ひょっとして、「ああ軍歌」は、山田太一自身が体験した「車中のバナナ」がモチーフになっているのではないだろうか?

少なくとも言えることは、山田太一は、かなり早い段階から、この国の社会が持っている「同調圧力」を危惧していて、それをエッセイや脚本を通じて発信していた、ということである。「同調圧力」という言葉が生まれるはるか以前から、山田太一はそのことに気づいていたのである。

名脚本家は、予言者でもあるのだ。

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