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大問題

むかしから、ふかわりょうの、日頃から何かに怯えている感じが、たまらなく好きである。

いまは夕方の帯番組の司会をしているみたいだが、仕事の最中なので、ほとんど見ることができない。

先日、最近愛聴し始めたTBSラジオ「アシタノカレッジ」の金曜日にゲスト出演していたが、いやあ、おもしろかった。

トークなのに目が泳いでいる感じ、というのが十分に伝わったし、それを落ち着いた声で受け止める武田砂鉄氏との会話が、絶妙な雰囲気を醸し出していた。

「三軒茶屋を『三茶』と略す人とは、友だちになれない」

という話から始まるのだが、ふかわりょうによれば、言葉を略すことにより、自分が優位に立っている(今風にいうと「マウントをとる」)ということをアピールされているようで、それがイヤなのだ、と。

その感覚、すげーよくわかるのだ。僕はしばらくの間、「携帯電話」を「ケータイ」と略すのに抵抗があったし、「インターネット」を「ネット」と略すのにためらいがあった。まあそれはともかく。

そこから始まる、ふかわりょうと武田砂鉄氏とのトークが秀逸だった。

ふかわ「すぐ下の名前で呼んで女子と馴れ合えるヤツいるじゃないですか」

砂鉄「大問題ですよね」

とか、

ふかわ「(三軒茶屋は三茶と略すのに)祖師ヶ谷大蔵はなぜ略さないのか」

砂鉄「大問題ですよね」

こういうバカバカしい話題を大まじめで話し合っているおじさん二人、というのが、そこはかとなく可笑しいのである。

ふかわりょうは、瞬発的な笑いを誘う芸人ではない。

語りやたたずまいの中から、人となりを想像し、そこはかとなくおかしみを感じるのである。

つまり、笑いを享受する側には、そのおかしみにたどり着くまで、それなりの忍耐が必要だ。

上岡龍太郎師匠はかつて、「笑いは、愛である」と語っていたが、その忍耐こそが、笑いに対する愛なのではないかと、ふかわりょうを見ていると、そう思う。

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