世間とのズレ
11月23日(月)
結局、この3連休は、まったくやる気が起きず、たまっていた仕事を何にも進めることができなかった。ま、いつものことである。
ここ最近、いわゆるお笑い芸人が、自分がうまく世間に適応できていないことや、世間に対する違和感を、対談やエッセイにまとめて、それがかなり話題になったりしている。
伊集院光・養老孟司『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所、2020年)
ふかわりょう『世の中と足並みがそろわない』(新潮社、2020年)
バービー『本音の置き場所』(講談社、2020年)
以下は、未読だが、
岩井勇気『僕の人生には事件が起きない』(新潮社)
あと、オードリーの若林正恭氏のエッセイも、おそらくそうしたものではないかと思う。
こういう本は、基本的には好きなのだが、冷静に考えてみると、多くの人に読まれているし、決してこれは「少数派」の本ではなく、むしろ、多くの人に受け入れられているのではないか、と思うことがある。
芸人としては「自分は世間とズレている」「ひねくれている」というところを持ち味にしているわけだが、それが結果的に、多くの人の支持を得ている。ということは、世間とは決してズレているわけではないのではないか?というか、ここでいう世間って、いったい何だろう?
そういえば「前の職場」に勤めていたときのことである。
年度末に、教養課程の1年生が、2年生からの専門課程を選ぶ際の、ガイダンスを行うことになっていて、1年生を集めて、それぞれのコースの教員が自分のコースの「プレゼン」をすることになっていた。各教員からしたら、自分のコースに一人でも多くの学生が来てほしいので、このコースに入ったら、こんなことが学べる、みたいな、コースの魅力やメリットをプレゼンすることになる。
ある年、コースの説明をするという役が僕にまわってきた。
僕は1年生に対して、たしかこんなことを言った。
「自分は世間的にマイナーだな、どうもメジャーなことについて行けないな、と思う人は、このコースに入ることをおすすめします」
まあ半ば自虐的にそんなことを言ったわけだが、そうしたら翌年度、史上最多?というくらいたくさんの学生がうちのコースに入って来ちゃった。別に全員が全員、僕のプレゼンに影響されたわけではなかったのだろうが、「自分は世間的にマイナーだ」と感じている学生が、実は多数派を占めているのではないかと、そのときに思ったのである。
で、話は、いまうちの職場でやっているイベントのことになるのだけれど。
いまやっているイベントのテーマは、おそらく「世間とのズレ」を感じている人に響くような内容だと思う。
ところが、これが思いのほかバズっていて、いままでうちの職場が経験したことのないような反響を呼んでいる。
まず、これまでと客層が違う。いままでは、ご高齢の方がどちらかといえば主要な客層だったのだが、今回のイベントは、若い人が中心で、いままでうちの職場のことをまったく知らなかった人たちが来てくれている。おそらく、カルチャー味のあるラジオ番組で紹介されたことも大きいのであろう。
「世間とのズレ」を感じている人がいかに多いかということを示しているのではないか、実はそう思っている人が多数派なのではないか、と思わずにいられないのである。
しかし、ここからがおもしろい現象なのだが。
このイベント、職場の中では、ほとんど反響がない。被害妄想かもしれないのだが、見に来てくれる人たちの反応と、職場の中の反応に、著しいギャップを感じるのである。
このイベントを企画した同僚は、そのことを少し心配している。このイベントが、「一時的な花火を打ち上げる」だけで終わってしまうのではないだろうか、と。そこで、同僚はその「反応のギャップ」を埋める必要があるのではないか、と考えているようなのであるが、どうなのだろう。僕は、そのギャップは、永遠に埋まることはないのではないか、と半ばあきらめかけている。ふかわりょうが、自分と世間の間には、埋めがたい大きな溝があり、自分はせいぜい、その溝に流れる川に笹舟を浮かべるくらいしかできないと喝破したように、である。
自分にとって「世間」とは何なのか?意外と身近なところにあるのではないか、という気がしてきた。
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