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いまさらながら、新しい日常について考える

12月18日(金)

今週を振り返ってみる。

14日(月)年休を取り、自宅から片道2時間の病院で定期検査。

15日(火)出勤。午前、会議。午後、全体会議

16日(水)出勤。午後、研究会

17日(木)午前、自宅から片道2時間の病院で診察。そのあと出勤し、午後、最高意志決定会議。

18日(金)出勤。午前、会議。午後、研究会

この間、矢のようなメールが届き、ひたすら打ち返す。そのほか、いろいろな根回しや交渉で職場内を行き来す。

おまけに通勤に往復5時間以上かかるのだから、もうグッタリである。

そんなことはともかく。

いまさらながら、新しい日常ということについて、考えている。

いまや人前でマスクをしていないと、パンツをはいていないのと同じような感覚に陥る、というのは、あるあるなのだろうか?

今月になってようやく、多量のアクリル製衝立がうちの職場に導入されて、会議室などでも、隣の人との間にアクリル製の衝立が立てられるようになった。

不思議なもので、会議や研究会の場で、アクリル製の衝立が間に立っただけで、ずいぶんと落ち着くのだ。感染の不安から、少し解放されたことを意味しているのだろう。これもまた、今までにない感覚である。

大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』の、坂本龍一によるサントラのアルバムのキャッチコピーは、「異常も、日々続くと、正常になる」(仲畑貴志)だったが、まさにいまが、その状況である。

つい最近、Facebook上の「友だち」が、「自分の知り合いが、ぜひ鬼瓦さんと友だちになりたいそうです」と言ってきて、ほどなくしてそのご本人から友だち申請が来たので、承認した。もちろん僕は全然知らない人なのだが、どうも教育のお仕事についておられる方らしい。

友だち申請を承認すると、とたんにその方の記事がタイムライン上に出現してくる。見たところ、どうやら活発なアウトドア派の方のようで、僕とはおよそ真逆のライフスタイルのようであった。

で、僕は、タイムライン上に流れてくる、ここ数日のその方の記事を見て、驚いた。

地元の友人たちとか、学生時代の友人たちとかと、複数で飲み会をしている写真が立て続けにアップされていて、満面の笑顔で、お酒を持ってピースサインをしている。問題なのは、全員、マスクをせずに、しかも数人が体をピタリと寄せ合って、ほろ酔い加減でじつに機嫌良く笑っている写真だということなのだ。コロナ前の写真かな?と思ったが、そうではなく、感染が拡大しているいま現在の写真である。

おいおい!密だよ密!

マスク会食は???

というか、この状況で、会食の写真をあげるってどういうこと?!

いや、会食が悪いというわけではない(僕なら絶対しないけど)。

百歩譲って、会食をしたとしても、その写真を、このタイミングで公開するのは、どうなのだろう?感染者数が過去最多とニュースで言っているタイミングだぜ。

写真を撮っている以外の時間はマスクをしていたのかもしれないけど、写真からはおよそそんなふうには感じられない。いくら気の合う仲間たちだといっても、なにも写真を撮るのにピッタリくっつくことはないだろう!

しかも、その方が、どうも教育を職業としているらしいということにも、引っかかるのだ。

さらに引っかかることは、その人だけでなくその場に一緒にいた人たちの中に、「こういうご時世に、こんな写真を撮るのは、マズいんじゃないの?」と注意する人が誰もいなかったということだ。「類は友を呼ぶ」とは、まさにこのことである。

自分たちはアウトドア派で体鍛えているから感染しない、とでも思っているのかな?…と思いたくなるほど、僕にとっては心がざわつく写真なのだった。

コロナ前だったら、飲み会のふつうの写真で、なんとも思わないんだけどね。いまはすごく不愉快な写真に思えてくる、ということは、これもまた、「新しい日常」なのだろう。

しかし一方で、僕はある仮説を抱きつつある。

それは、この種の人たち、つまり、このコロナ禍の中でも、そんなこととは無関係に、無邪気に飲み会をしている人たちが、実はけっこういるのではないだろうか。

古い価値観をたとえて、「それは昭和の考え方だよ」という言い方をしたりするが、そのうち、古い価値観のたとえとして、

「それはコロナ前の考え方だよ」

という言い方が、近い将来、ふつうに使われるようになるかもしれない。

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