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言い方なのよ、すべては

1月19日(火)

「不織布マスクは他の素材よりも飛沫を防ぐ効果がある」というニュースは、やはり瞬く間に世間に広まったようだ。今日の職場の全体会議に出席した同僚たちを注意深く見ていると、不織布マスクの割合が圧倒的に多かった。以前は布マスクをしていた人も、いまは不織布マスクに替えている。

そんなことを思いながらインターネットのニュースを見ていたら、「不織布マスク警察」なる者が現れているらしい。「マスク警察」の進化形である。いまやマスクをしている、していないの段階ではなく、不織布マスクをしている、していないの段階に突入しているのである。

今日は朝から会議が3つあり、夕方には思考が完全にストップしてしまった。

職場の行き帰りは、運転をしながらラジオを聴くのを趣味としているが、例によって文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」をradikoのタイムフリーで聴いていると、「大竹メインディッシュ」のコーナーは、あるノンフィクション作家がゲストだった。

いまの日本が、新自由主義によって冒され、たいへんな世の中になっている、という本を書いた方のようで、それ自体は、たしかにそうだと思うのだが、大竹まことの質問に対する答え方を聴いていると、なぜかだんだん不愉快になってきた。

(うーむ。こんなゲストだと、大竹さんはきっと最後にはキレるんじゃないだろうか)

と、僕はとてもそれ以上聴く気にならなくなり、途中で聴くのをやめてしまった。

毎日、ゲストを呼ぶようなラジオ番組だと、ゲストによっても、あるいはその日のパーソナリティーのコンディションによっても、ゲストとの対談が不調に終わることがある。これは、人間の体調と同じようなもので、仕方のないことである。

TBSラジオ「荻上チキ Session」でも、ときおりイラッとくるゲストが登場する。そんなとき、荻上チキは、真っ向からキレるわけではなく、ゲストを「泳がせて」その人の底意地の悪さをわざと可視化(ラジオだから可聴化?)しようとしている節がある。それはそれで、面白いといえば面白い。

ただ、大竹まことは素直な人だから、荻上チキのようなテクニックは使わない。なんとかゲストから気持ちよく答えを引き出そうと、気を遣った質問をする。だからなおさらのこと、イラッとくるゲストが来たときには、ヒヤヒヤして聴いていられなくなるのである。

「メインディッシュ」のコーナーを早送りして、その後から聴くのを再開したら、大竹まことが、

「俺のインタビューがまずかったのかなあ…」

と、めずらしく引きずっていた。終始、そのゲストとはかみ合わなかったようである。

さて、その後に登場したのが、「大竹紳士交遊録」の隔週のレギュラー、武田砂鉄氏である。15分程度、時事問題をコラム的に話すのだが、相変わらず、切れ味があり、小気味よく、何より聴いていて楽しい。大竹まことも、武田砂鉄の言葉に共感をもってうなずき、ときに自分の意見をのびのびと主張する。それは、先ほどの「メインディッシュ」での不調を挽回するかのようであった。

それにしても、である。

同じライターという立場で、しかも同じスタンスで政権批判をしているように思えるにもかかわらず、「メインディッシュ」のゲストと、武田砂鉄氏とでは、なぜかくも印象が異なるのだろうか。

「言い方なのよ、すべては」

といういとうあさこの言葉を思い出した。

以前、「人は見た目が9割」という本があったと記憶しているが、その向こうを張って、ドキュメンタリー映画監督の森達也氏は、「見た目よりも声が重要だ」と言っていた。

いま調べたら、「人は話し方が9割」「伝え方が9割」という本もあるようである。しかし「話し方」「伝え方」というのは、声よりも内容や表現手法を重視しているニュアンスが感じられる。

やはり「言い方なのよ、すべては」に尽きる。僕が本を出すとしたら、タイトルはそうしよう。

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