エモジ
ヨーロッパに行ったことがない。
というか、海外にほとんど行ったことがないのだが、ヨーロッパにはいつか行ってみたいと思う。とくに、フランスを起点に、ドーバー海峡を渡って英国に行ってみたい。ま、「水曜どうでしょう」の新作の影響を多分に受けているんだけど。
少しでも英国の雰囲気に触れたいと思い、ブレイディみかこさんのエッセイを読んでみることにした。手始めに『ブロークン・ブリテンに聞け』(講談社、2020年)である。
英国に対する知識が皆無な僕だが、それでも読んでいて面白い。
たとえば、「エモジがエモくなさすぎて」というエッセイ。
もともと英国人は、エモジを使わない。「これはいかにも日本的なファンシーな習慣であり、こんなものが英国に入ってくることはあり得ない」と思われていた。
ここでいうエモジとは、笑ってる顔だの、目がハート型になっている顔だの、ウィンクしている顔だの、といった、顔の表情を表した絵文字のことをとくにさす。
著者のママ友の英国人は、エモジなどと言う、奥行きのない、低能の象徴のようなものを、絶対使うものか、とくにウィンクをしているエモジが薄らサムい、と思っていた。
「ウィンクしている顔の絵文字なんて、チャーミングというより低脳の象徴。感情があまりに単純化されて、送っている人間も単純バカって言ってるみたい」
…僕が言ってるんじゃないですよ。その英国人のママ友が言ってるんだ。
ところが、いったん使い始めると、エモジのない文章は妙によそよそしく感じられて、逆に一つか二つのエモジでは物足りなくなる。「エモジって、いつの間にか広がっていく疫病なのよ」という、そのママ友の言葉通り、英国ではいつのまにか大半の人がエモジを使うようになってしまった。英国どころか、いまや世界中でソーシャルメディアを使う人々の約9割がエモジを使っているという。まさに「疫病」と例えるにふさわしい。
たしかに、1文の末尾ごとにエモジが付いている文章を読んだりすると辟易するのだが、あれは、使わずにはいられない依存症のようなものなのだろうな。
ブレイディみかこ氏は、「つまるところ、エモジというのは、剥き出しの感情をぶつけて他者を困惑させないように、感情のエッジを除去するものとして使われているのだろうか」と述べ、エッセイのタイトルの意味するところにつなげていく。
英国事情を語っているようでいて、小気味よい日本文化論になっているところが面白い。
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コメント
😲👍👏👏👏
投稿: 😺 | 2021年1月20日 (水) 16時50分
ㅠ_ㅠ
投稿: 🐢 | 2021年1月22日 (金) 21時20分