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誰かの靴を履いてみること

1月21日(木)

ブレイディみかこさんの『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年)を読んだ。

「誰かの靴を履いてみること」のくだりを読んで、まことに恥ずかしながら、エンパシー(empathy)とシンパシー(sympathy)の違いについて、初めて知った。

「シンパシー(sympathy)」とは、「1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと」「2.ある考え、理念、組織などへの指示や同意を示す行為」、「3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解」と、辞書に書かれているそうだ。

それに対して「エンパシー(empathy)」とは、「他人の感情や経験などを理解する能力」という意味が辞書に書かれている。シンパシーのほうは「感情や行為や理解」であるのに対して、「エンパシー」は「能力」なのである。ここから著者は、「シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業とも言えるのかもしれない」と述べている。

その「エンパシー」の意味を、著者の息子さん(中学生)が「誰かの靴を履いてみること」と説明した、なるほど、わかりやすいたとえである。

僕は「共感」という言葉が好きだが、そこでの「共感」が、シンパシー(sympathy)を意味しているかというと、なんとなく違うなあという気がしていたので、溜飲が下がる思いがした。シンパシーは、「かわいそう」とか「理解して気にかける」とか、どちらかといえば、「上から」の目線のようなニュアンスを感じるのだが、そうではなくて、「当事者と同じ立場に立って物事を考える能力」が、僕がイメージする「共感」である。

そういえば以前に、大林宣彦監督が、こんなことを語っていた。

まだ商業映画監督として駆け出しのころ、檀一雄の小説「花筐」に映画化をお願いしようとして檀一雄のもとを訪れると、檀一雄は肺がんの末期で、『火宅の人』を口述筆記していたときだった。その後檀一雄が亡くなったこともあり、映画「花筐」はまぼろしの企画となった。

その後、時を経て、2016年にいよいよ「花筐」の映画化が実現することになった。

ところがクランクインの前日、大林監督は、「肺がん、ステージ4、余命半年」の宣告を受ける。2日後には余命が3か月に半減した。

ふつうならば落ち込むところだが、檀一雄と同じ肺がんと聞いて「うれしくて体中がふわっと温かくなった」という。これでやっと、檀一雄さんと同じ思いを共有することができる、と思ったのである。そして監督は、映画「花筐」を完成させるのである。

僕は共感という言葉を思うとき、いつもこの話を思い出す。正確なニュアンスからしたら間違っているかもしれないが、これが僕にとってのエンパシー(empathy)である。

 

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