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脱・筋トレ思考

2月12日(金)

まあよくも毎日毎日、職場では重い事案から些細なことまで、いろいろなことが起こるものだ。職場にいる時間のほとんどは、こうしたことに翻弄されている。

あれこれ気の重い職場の打合せが終わるのが夕方のかなり遅い時間。それが終わって、いくつもある締切厳守の仕事に取りかかりたいのだが、結局少ししかできずに、職場を出て、車で2時間以上かけて帰ることにする。

金曜夜の楽しみは、TBSラジオ「アシタノカレッジ」を聴くことである。日付をまたぐあたりの時間に、パーソナリティーの武田砂鉄さんと澤田大樹記者のトークを聴くと、ああ、とりあえず週末は職場に行かなくていいんだな、と、ホッとした気持ちになる。

今日のゲストの、平尾剛さんのお話もとてもよかった。僕はまったくスポーツに疎いので知らなかったのだが、平尾剛さんは、元ラグビーの日本代表で、いまはどこかの大学でスポーツ教育学を教えている研究者なのだそうだ。東京五輪の開催にはっきりと反対の意志表示をされているのが頼もしい。

『脱・筋トレ思考』という本を出されていると知り、僕はそのお話に拍手喝采した。

筋トレを○○回やることで、筋力がつくこと、またはそう考えることは、スポーツにとって必ずしもよいことではない。むしろ諸悪の根源なのだと。

「筋トレをすればなんとかなるという思考は、物事の複雑さを見ずに、簡単に解決しようと考えることに等しい」

「数値目標を立てて、それに合わせて筋トレをして、その結果筋肉がついたからといって、それがいったい何だというのだ。大事なことは、そのスポーツに対してどのようにとりくむかということだ」

という意味のことを語っていて、その通りだよなあと思った。僕なりに言い換えればそれは「思考停止」ということである。

平尾さんもいっていたが、これはスポーツに限ったことではない。この「筋トレ思考」は、この国の社会のあらゆるところにはびこっている。

数値目標を掲げ、その数値目標に達しなければ評価が下がる、という考え方は、いまやこの国の社会ではあたりまえになっている。中身なんてどうだっていいのだ。中身のことを議論しようとすると、そんなことを言ったってダメだよ、数値目標を達成しなければ、何を言ったってダメなんだ、と言われてしまう。筋トレをして筋肉を付けることが大事で、そこに邁進することが自己目的化する。

「脳みそが筋肉」という揶揄の仕方があるが、つまりそれは「筋トレ思考」ということなのではないだろうか。この国の社会は、「一億総筋トレ社会」なのだ!

…う~む。自分が運動嫌いだということを正当化するためにこの理論を絶賛しているような気がしてきたなあ。実際そうなのだが。そういうことは少しでも運動してから言えよ!というハナシである。

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