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2021年3月

辞令交付式

3月31日(水)

恥ずかしいことに、僕はいままで全然知らなかったのだが、3月31日にも辞令交付式が行われるという。中間管理職として立ち会わなければならない立場になって、初めて知った。

辞令交付式といえば、4月1日とばかり思っていて、もちろん4月1日も行われるのだが、3月31日は退職したり転出したりする人に対する辞令交付式が行われるという。

僕はこれまで2度ほど、職場を変わっているが、転出したときに辞令交付式があったという記憶がない。うちだけが特別に、辞令交付式を厳粛に行う職場なのだろうか。よくわからない。

一通りの儀式が終わり、今度は別の部屋に移り、僕がいつも一緒に仕事をしている課で退職される方への花束贈呈式が行われる。

例年ならば、送別会が行われるのだが、今年度はコロナ禍のために、送別会は中止になった。その代わりに、課の有志が企画して、退職する方々へ花束と、少しばかりの品物をお贈りすることになったのである。

僕はその課の人たちと一緒に仕事をしている関係から、花束贈呈式に出席することになった。

指定された部屋に行くと、すでに課内で働く人がほぼ全員揃っていた。

僕はビックリした。いままでほとんど気にとめていなかったのだが、うちの課には、非正規雇用の方も含めてたくさんの人々がいたのだ。

(これだけ多くの人に支えられていたのか…)

1年経ってようやく気づいた自分が恥ずかしくなった。

もう一つビックリしたことは、うちの課は、非正規雇用の方が大半を占め、しかもそれが全員女性であるということである。

これが、この国の社会の縮図というものか…。

うちの課で退職されるのは4人。そのうち正規雇用は二人で、二人とも男性。一人は定年退職、一人は早期退職である。

あとの二人は非正規雇用で、二人とも女性である。いずれも家庭の事情により、任期を待たずして辞めることになった。家庭の事情を優先して辞めざるを得ないのは、やはり女性の方なのである。

これもやはり、この国の社会の縮図である。

僕は複雑な気持ちになった。

僕は最初に挨拶をさせられ、これまでお世話になったことに対して、感謝の言葉を述べた。

その後、4人が順番に挨拶をした。何人かの方が、「在職中は人に恵まれました」と言った。

息苦しい職場だなあと思っていただけに、その言葉は意外だった。きっと、僕がまったく知らないところで、課内の人たちはお互いを助け合い、気を遣いあいながら仕事をしてきたのだろう。

僕はこの1年間、いったい何を見てきたのか。何も見えていなかった、いや、何も見ようとしなかったのではないだろうか。

明日もまた辞令交付式である。今度は着任される方の辞令交付式。

風通しのいい職場、人に恵まれる職場になることを、願うばかりである。

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俺と師匠と

最近、忙しくてなかなか腰を据えて小説を読むということをしていない。

それに、世の中には小説がますます氾濫していて、どれを読んだらいいのかわからない。古典的な文学作品も読みたいし、いま話題の小説も読んでみたい。ふだん聴いているラジオからは、次から次へとおすすめの小説というのが語られる。それを聴くだけでも、お腹いっぱいである。

そんな中で、久しぶりに読んだ小説が、桜木紫乃『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』(角川書店、2021年)である。

桜木紫乃さんの小説は、いままで読んだことがなかったのだが、読もうと思ったきっかけは、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」を聴いたことによる。

まだこの小説が、『野性時代』に連載中だった頃、ラジオで大竹まこと氏が、この小説についてしばしば言及していた。それはおよそ、以下のような話である。

あるとき、直木賞作家の桜木紫乃さんと食事をしながらお話をする機会があった。桜木さんが北海道に住んでおられるということで、自分が若い頃、それこそまったく売れてない二十歳の頃に、北海道のキャバレーに、師匠と二人で営業に行ったことがあったことを思い出した。季節は真冬、しかも年末年始という時期である。泊まるホテル代もないので、キャバレーに泊まりながらの生活である。

年末のステージが終わると、大晦日と正月三が日はお休みとなる。そしてまた年明けから数日間のステージをしなければならない。4日間が休みとなるが、一度東京に戻るわけにも行かず、無為に過ごすことになる。そこには、「俺」と「師匠」のほかに、「ブルーボーイ」と「ストリッパー」がいて、いっしょに無為な時間を過ごした。

「俺と師匠とブルーボーイとストリッパーでね、年末年始のキャバレーのステージをこなしたんだよ」

その言葉がきっかけで、桜木さんは、小説の構想を固め、それが『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』となって完成した。

「小説家さんってのはスゴいね。俺が少しばかりお話ししたことを設定にして、まったく違う物語を作り上げるんだから」

と、大竹まこと氏は何度も感心していた。

物語自体は根も葉もないものであったとしても、その底流に流れている「想い」は、大竹まこと氏が共感できるものであったらしい。

「正月休みに何もやることがなくて、師匠が『海を見に行こう』とみんなを誘ってね。寒い中、海を見に行ったんだけど、あまりに寒くてすぐに帰って来ちゃった。そんな他愛もない話を桜木さんにしたら、小説の中にその場面を入れてくれてねえ。それが嬉しかった」

僕は先ごろ、ようやくその小説を読み終えたのだが、僕は市川森一脚本のドラマ『淋しいのはおまえだけじゃない』を思い出した。

人生のどん底にいる、さまざまな事情を抱えた人たちが、一つの場所に集まり、人を楽しませるための芸を披露する。

それは一期一会の舞台で、時が来ればまた、離ればなれになる。

あるいは、山田太一脚本の『高原へいらっしゃい』もそうだ。人生のどん底にいる、さまざまな事情を抱えた人たちが、潰れかけのホテルに集まり、お客様におもてなしをしようと努力する。

いずれも、僕が子どもの頃に、大好きだったドラマである。

この小説を読んでいると、映像が浮かんでくる。連続ドラマになればいいなあと思うのだが、ブルーボーイとストリッパーが、いまのテレビのコンプライアンス的には、難しいのかもしれない。しかしこの二人がいなければ、この物語は成立しないし、この二人がいるからこそ、胸を打つ物語となっていると思う。

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大雨公園

3月28日(日)

午前9時半、3歳になったばかりの娘と二人で家を出た。

向かった先は、娘が「タイヤ公園」と勝手に呼んでいる公園で、公園にはタイヤが全くないのに、なぜかそう呼んでいる。家からゆっくり歩いて20分くらいかかるところにある。遊具がいろいろとあるので、娘が気に入っている公園である。

最近は、娘と公園に行くのがブームである。昨日も、実家の近くにある、遊具のある公園で午後のひとときを過ごした。

少し気になったのは、天気のことだった。空はどんより曇り、低い雲が立ちこめている。いまにも雨が降りそうな空である。

しかし、ピンポイントの天気予報を見ると、日中は曇りマークで、夕方6時くらいから雨マークに変わっていたので、たぶん大丈夫だろうと、雨具を持って行かなかった。

一抹の不安はあった。家から公園までも道のりは、完全なる住宅街で、途中で休むところもない。公園やその付近も、屋根の下で休むような場所が全くないのである。

(雨が降ったら防ぎようがないな…)

僕は雨具を持ってこなかったことを、公園に向かう途中で後悔した。

公園に着くと、いつもよりも若干遊んでいる子どもたちが少ない。この天気が影響しているのだろうと思った。

最初の30分ほどは、なんとか天気がもってくれたのだが、少しずつ、パラパラと小雨が降るようになってきた。

すると、少しずつ、公園から人がいなくなっていった。

それでも娘は小さな女の子と一緒に遊ぶようになり、一緒に土いじりなどをしていたが、やがてその小さな女の子も、家に帰ってしまった。

「おしっこ出ちゃった…」

娘が残念そうに言った。見ると、ズボンの両側におしっこの流れたあとがあった。娘はズボンがおしっこで濡れてしまったのを気持ち悪く思ったのか、がに股で歩き始めた。

「いま着替えようね」

何も遮るもののない公園で着替えさせるのは、なかなか難しい。しかも地面は砂地だから、靴を脱がせてズボンを着替えさせようとすると、足の裏がたちまち汚れてしまう。

娘をベンチの上に立たせて、おしっこまみれのパンツとズボンを脱がし始めた。

(漏らすことがわかってて、どうしてパンツを履かせてしまったかねえ。最初からオムツを履かせておけばよかった…)

と僕は後悔した。昨日も公園で遊んでいたとき、おしっこを漏らしてしまったのだ。

着替え終わった頃に、雨が少し強くなってきた。

「おうちへ帰ろう」

「イヤだ」

娘は駄々をこねた。すでに公園には誰ひとりいない。

「おうちに帰ったらケーキあるよ。ケーキ食べる?」

「ケーキ食べたい」

と、なんとか嘘をついて娘を説得したときには、すでに遅かった。

雨はものすごい勢いで降り始め、風も強くなった。

急いで公園を出て歩き始めたが、傘も雨がっぱもないので、僕と娘はたちまちずぶ濡れになった。

娘はいまにも泣きそうだったので、僕は急いで娘を抱っこして、歩いて5,6分のところにコミュニティーセンターがあることを思い出し、ひとまずそこに向かうことにした。

歩いている間も、容赦なく雨が振りつけてくる。

大雨の中を、傘もなく、小さい子どもを抱っこして歩いている人間なんぞ、どこにもいない。

「もうちょっとだからね、頑張ってね」

と、僕は泣きそうになりながら、娘にたびたび言い聞かせて、ようやくコミュニティーセンターに到着した。中に入ると、かろうじて玄関の部分だけが自由スペースだったが、椅子も何にもなく、僕も娘も立ったままなすすべもなかった。

ひとまず家にいる妻に、コミュニティーセンターで雨宿りしてると伝えると、「迎えに行きます」という。

僕は、小やみになったらタクシーを呼んで家に帰りたい心境だった。また家までの道のりを歩いて帰るのは勘弁してほしかった。

しばらくして、傘と雨がっぱをもった妻がコミュニティーセンターに現れた時には、すでに雨は小やみになっていた。

そこからまた、足場の悪い道をひたすら歩いて家に向かい、着いた頃にはもうヘトヘトになっていた。

娘はそのあとに体力を回復したようだが、僕は体調を崩し、午後はグッタリと過ごしたのであった。

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文集

3月27日(土)

さて、実家でお昼を食べていると、

「ちょっと見てほしいものがあるのよ」

「何?」

「今度、文集に書かなくちゃいけなくて、原稿を書いてみたんだけど、読んでみて、おかしなところがあったら直してちょうだい」

「文春?」

「文集」

「なんだ、文集か」

どうやら喜寿の記念に、高校時代の仲間で、思い出話を綴った文集を作る、ということらしい。

見ると、テーブルの上に400字詰め原稿用紙があり、3枚にわたって謹厳な文字で文章が書かれている。

いまどき、400字詰めの原稿用紙に文章を書く、なんてことはトンと見たことがないから、新鮮というか、微笑ましい感じがした。

「読んでくれた?」

「いままだご飯を食べてるんだよ。そんなに早く読めるかよ!」

とにかく、早く読んでもらいたくて仕方がないらしい。

お昼を食べ終わり、いよいよ原稿用紙に目を通す。

そこには、母の青春時代の話が書かれていて、読んでいて少し面映ゆくなった。

母は田舎町の中学校を卒業したあと、バレーボールを続けたいということで、同じ県内にある、スポーツが盛んな高校に入学した。入学直後から、バレーボールの練習に明け暮れることになる。遅くまで練習が続き、電車がなくなって家に帰れなくなって友達の家に泊まることもしばしばだった。当時、家に電話がなかったから、近所の酒屋さんに電話をかけて、今日は帰れないと家に言づてを頼んだことが何度もあった。

バレーボールの強豪校であったこともあり、毎年のように国体に出場し、そのたびに遠征をした。ある年は、北海道への修学旅行と遠征の日程が重なり、泣く泣く修学旅行を諦め、宇部の大会を優先させたのだが、その代わりに、宇部の大会が終わったあと、周辺をみんなで旅行して修学旅行気分を味わった。

運動能力には誰にも負けない自信があり、全校生徒が参加するマラソン大会で、1年生の時に3年生の先輩とゴールを争って肩の差で2位になった。

昨年、バレー部のキャプテンが亡くなった。闘病生活を続け、ことあるごとに励ましていたが、昨年はコロナ禍のために直接お見舞いに行けなかったことが悔やまれた。告別式でようやくキャプテンの顔を見ることができたが、その顔は実に安らかだった。

のちに娘さんが、遺品の中からメモを見つけ、高校のバレー部のみんなに励まされたことがとてもうれしかったと書いてあったと知らせてくれた。

母の文章は、情緒的に過ぎず、淡々と書かれていた。決してうまい文章とはいえなかったが、この素朴な味を壊してはならないと、修正は最小限にとどめた。

最後の数行には、いまに至る人生が少しばかり書かれていた。その後結婚し、同居している夫の両親の津軽弁がわからず苦労したが、最終的には東京生まれの夫よりも津軽弁が聞き取れるようになった。その夫も3年前に亡くなり、いまはできるだけ子どもたちに迷惑をかけないように終活をしたい、とあった。

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謎のカンノさん

謎のナトリさん

3月27日(土)

実家に行くと、母が帰りにいつもいろいろなものを持たせてくれる。それがけっこういいお菓子だったりすることがあるのだが、そういうものはたいてい、母が買ってきたものではなく、「カンノさん」という母の友人が母にくれたものをお裾分けしてくれるものだったりする。

この「カンノさん」という名前を、僕は10代の頃から母から聞いていたし、いまも実家を訪れるたびに「カンノさん」の名前を聞くのだが、実は僕は、「カンノさん」に会ったことがない。

これまでの話を総合すると、カンノさんは、母の中学時代の同級生である。母の故郷は、いまの家から遠く離れた、人口が1万人に満たない陸の孤島のような小さな田舎町である。中学卒業後、ふたりは別々の道を歩み、それぞれ社会人となって結婚したのだが、まったく偶然なことに、結婚後も家が近所だった、というのである。そんな奇縁もあって、いまでもよく会ったりしているというのだ。

これだけ頻繁にカンノさんの話を聞きながら、僕はそのカンノさんに会ったことがないのである。

次第に僕は、カンノさんの実在を疑うようになった。カンノさんは、本当に存在するのだろうか?

さて、昨日は娘の3歳の誕生日だった。

3歳になったこともあり、今日は実家の母のところに娘を連れて行ったのだが、そこでお昼を食べていると、玄関のベルが鳴った。

母がインターホン越しに、来客の姿を確認すると、

「あら、…あんたも玄関に来なさい。カンノさんよ」

なんと、カンノさん!

玄関に出ると、まさにカンノさんがそこに立っていた。

「いつも母がお世話になっています」

僕は初めて、カンノさんに挨拶をした。

カンノさんは、僕につられてついてきた娘を見つけて、

「○○ちゃんね、大きくなったわねえ。抱っこさせて」

と、娘を抱っこしたのである。

娘も突然のことで戸惑っていたが、母は自分の孫の写真を、カンノさんに折に触れて見せていたのだろう。

それからカンノさんは、玄関先で二言三言、母と会話を交わして、帰ってしまった。

「家に上がってもらわなくてよかったの?」

「いいのよ。いつもそうしているから」

母は、カンノさんからもらったとおぼしきレジ袋を手にしていて、中から何かをとりだした。

「これ、カンノさんからもらった高級食パン」

見ると、たしかに高級そうな食パンである。

「半分持って行きなさいよ」

ということで、僕は高級食パンを4切れほど、お裾分けにあずかったのだった。

おいしいものが手に入るとお裾分けをする、というのが、むかしからの母とカンノさんの関係だというのを、僕は目の当たりにして、カンノさんが実在することを確認したのである。

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ロスジェネの逆襲

3月26日(金)

TBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」のゲストは、作家の村山由佳さん。最近刊行された、明治・大正時代を生きたアナキストで女性解放運動家・伊藤野枝の評伝小説『風よあらしよ』(集英社、2021年)にまつわるお話だった。

ラジオの中で紹介された伊藤野枝の言葉は力強く、今のこの社会が直面する問題にも、強く響き渡るものである。決して「置きにいこう」とはしない、寸分の遊びもない言葉の強さ、といったらよいだろうか。

僕はこの話を聴きながら、いま起こっているあの一連の騒動を思い起こした。

今年の夏にこの国で行われる予定の大規模スポーツイベント、本来は昨年の夏に行われる予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、1年延期されることになった。

僕はスポーツ観戦が大嫌いなので、このスポーツイベントは基本的にはほとんど見たことがないのだが、それでも僕が高校生の時だったか、アメリカのロサンゼルスで行われたそのスポーツイベントの開会式は、いまでも印象に残っている。

開会式の競技場で、ジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」が生演奏される。言わずと知れたアメリカン・クラシック音楽の名曲である。圧巻なのはピアノ演奏だった。これでもか、という台数のピアノが現れ、ユニゾンで一斉に演奏するという演出を見たときは、ちょっと心が震えた。僕はそれ以来、この曲が大好きになった。

開会式における高度で上質な音楽的パフォーマンスは、僕がそのイベントを見るとすれば、唯一楽しみにしていることである。

このたび、この国で行うイベントの開会式をめぐって、さまざまなトラブルが起こったようである。

演出統括者は、人選が二転三転し、いつのまにか、元広告代理店のクリエイティブ・ディレクターという男性(66歳)が担当することになっていた。

聞けば、これまでもいろいろなCMやイベントを手がけていたそうで、それらはなぜか共通して、僕をイラッとさせるものばかりだった。

まあそれは、僕の好みの問題だから措くとして、それよりも問題だったのは、イベント名にかけたダジャレを思いついて、ある女性タレントに豚に見立てた扮装をさせる、というまったくおもしろくない演出をアイデアとして出したことが明るみに出たことである。週刊誌にこのことが暴露され、そのクリエイティブ・ディレクターの男性は、開会式の演出統括者を辞任することになった。

もちろんその女性タレントを侮辱するような演出アイデアを出したこと自体、大問題なのだが、実はこの問題の本質はもう少し違うところにある、ということが、その後の週刊誌報道で明らかになってきた。

それは、そのクリエイティブ・ディレクターの男性が、その前に演出統括者だった演出振付師の女性(43歳)を排除した、という事実である。その男性が、というよりも、組織ぐるみで行ったことかもしれない。いずれにしても、それまでその演出振付師の女性が積み上げてきた演出プランをないものとして、というのか、なおざりにして、というのか、とにかくきわめて侮辱的な扱いをして排除したことが、明るみに出たのである。

恥ずかしながら僕はその演出振付師の名前をそれまでまったく知らなかったのだが、聞けば、Perfumeのダンス指導をした人というではないか。しかもかなりの実績のある方である。毎年文句を言いながら見ているNHKの「紅白歌合戦」で、「あの番組で見るべきところといったら、Perfumeのパフォーマンスくらいしかない」と思っていたから、「ひょっとしたらこれは、僕が高校生の時に見た『ラプソディー・イン・ブルー』のような心の震えを多くの人に与えるのではないだろうか」と思ったのだった。

ところがその希望は潰え、ダジャレを面白がる66歳のクリエイティブ・ディレクターに演出統括者が代わり、苦虫をかみつぶしていたところ、結局その人物は自爆してしまった。

66歳のクリエイティブ・ディレクターの男性は、問題が明るみに出たときに、「謝罪文」を公開したが、これがひどい悪文だった。何度読んでも、意味がよくわからない。言い訳にしか聞こえない。まったく人の心を打たない。むしろ読んでいて、あまりの論理性のなさに具合が悪くなりそうな文体である。多くの人が指摘しているように、あの謝罪文は、公表する前に、誰のチェックも受けなかったのか?あの謝罪文でよしとする人しか周囲にいないとしたら、それこそが、この問題の本質ではないだろうか。

そして今度は、一連の週刊誌報道を受けて、演出振付師の女性がコメントを出したのだが、このコメントの文章が実に素晴らしかった。人の心に訴えかけ、胸を打つ文章だったのである。一読して、前者と破格の違いがあることは、誰の目にも明らかであると思う。

言葉に生命があるのだとしたら、演出振付師の女性のコメントは、血の通った言葉であり、それは伊藤野枝が圧倒的な言葉をもって語ろうとした姿勢にも通じるのではないだろうか、と、そんなことを感じたのである。

そしてこの問題は、この国の社会全体に関わる問題であると、僕は見ている。性別による理不尽な扱いももちろんだが、世代の上下による圧力と隷従、成功体験にすがる世代と、何もないところから出発せざるを得ない世代との対立。この国のあらゆる場面で、日々、こうした対立や葛藤が起きているのだ。

どれだけの言葉を尽くせば、過去の成功体験にすがる人たちの古い価値観を変えさせることができるのか。むなしい作業かもしれないが、いまこそ逆襲の時である。

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あっちゃんあがつく

娘ももうすぐで3歳だ。

たまに、「これ読んで」ともってくるのが、「あっちゃんあがつく」という絵本。「あ」から「ん」まで、最初にその文字がつく食べ物をあげていくというものである。

「あっちゃんあがつくあいすくりーむ」

みたいな。

で、僕が「あっちゃんあがつく」と言って、娘が「あいすくりーむ」と答える遊びが、ここ最近好きらしい。

「あっちゃんあがつく」

「あいすくりーむ」

「いっちゃんいがつく」

「いちごじゃむ」

「うっちゃんうがつく」

「うめぼしすっぱい」

「えっちゃんえがつく」

「えびふらい」

「おっちゃんおがつく」

「おにぎりふたつ」

最初のほうは完璧に覚えているのだが、後半になるとかなりあやしくなる。

「まっちゃんまがつく」

「…何だっけ?」

「まかろにぐらたん」

「ろっちゃんろがつく」

「…何だっけ?」

「ろーすとチキン」

そもそも娘はマカロニグラタンもローストチキンを食べたことがないので、どんなものなのかも想像もつかないらしい。

可笑しいのは「め」のくだりである。

「めっちゃんめがつく」

「ねまやまき」

「…え?」

「ねまやまき」

「めだまやき、でしょ?」

「めなやまき」

「めだまやき」

「ねまなやき」

「めだまやき」

「ねなやまき」

「めだまやき」

「ねやまなき」

どうしても、「目玉焼き」とい言葉が言いにくいらしい。

なぜ、「めだまやき」だけ言いにくいのか?

そういえば、映画「となりのトトロ」の劇中で歌われている歌を歌うのが好きなのだが、

「まっくろくろすけでておいで でないとねなまをくりぬくぞ まっくろくろすけでておいで でないとねまなをくりぬくぞ!」

と、やはり「目玉」の部分が言いにくいようだ。

今度は「目玉おやじ」で試してみよう。

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CODA

東日本大震災以後の坂本龍一の音楽と人生に迫ったドキュメンタリー映画「CODA」(2017年、監督:スティーブン・ノムラ・シブル)は、震災や反原発運動などと関わって取り上げられることが多いが、僕にとっては、大病を克服した坂本龍一の「老い」をテーマにしたドキュメンタリー映画である。

映画の中では、若い頃、それこそ、YMOのワールドツアーの頃や、「戦メリ」の頃の映像が登場するが、若い頃の「戦メリ」のテンポは、今の坂本龍一がピアノで奏でる「戦メリ」とはまるで違う。明らかに今の方がテンポが落ちているのである。

ピアノを弾いている後ろ姿に、老境にさしかかった坂本龍一の、ある種の境地、といったようなものが感じられる。

しかしそれは決して悲壮感漂うものではなく、むしろ老いるとはどういうことか、老いてどう生きるべきかについて、考えさせられる。

映画の中で、坂本龍一は、こんなエピソードを紹介している。

ベルナルド・ベルトリッチ監督の映画「シェルタリングスカイ」(日本公開1991年)の劇伴の音楽を、いままさにレコーディングしようとしていたときのこと。

40人ほどのオーケストラを前にリハーサルをしていたら、ベルトリッチ監督が、

「そのテーマ曲、気に入らないから、今すぐ書き直してくれ」

という。

「ちょっと待ってよ。これからレコーディングをやるんだよ」

いくら何でもそれは無理だよ、と坂本龍一が言うと、

「あ、そう。でもエンニオ・モリコーネはやってくれたよ」

と返され、「モリコーネがやったんだったら俺も」と、30分ほどでテーマ曲を全然違うものに書き直し、レコーディングしたという。

「それがまた、いい曲に仕上がったんだ」

ここまでが、この映画で語っていたこと。この話は、以前にも聞いたことがある。

この話には、後日談があることを思い出した。1994年に坂本龍一のソロアルバム「スイートリベンジ」が発売された頃に、坂本龍一が語っていたことである。

最初に書いた「シェルタリングスカイ」のテーマ曲が没になったことがあまりに悔しくて、自分のソロアルバムに収録することにした。それが「スイートリベンジ」という曲である。タイトルを「スイートリベンジ」としたのは、ベルナルド・ベルトリッチ監督に対するささやかな復讐の意味を込めたからだ、と語っていたことを思い出したのである。

で、この「スイートリベンジ」も、かなりいい曲なのだが、これを没にすると決断したベルトリッチ監督も、それをまったく違う曲に書き換えてベルトリッチ監督を満足させた坂本龍一も、なんかすげープロ意識だよなあと、そのときに思ったのだった。

だんだん思い出してきた。

アルバム「スイートリベンジ」の発売に合わせておこなわれた、武道館のコンサートに行った。1994年だから、まだ20代半ばくらいの頃のことである。

そのとき、高野寛がゲスト出演していて、「夢の中で会えるでしょう」を歌い、会場はえらく盛り上がった。そりゃそうだ、「スイートリベンジ」に収録されている楽曲の多くは、インストゥルメンタルなのだから。

高野寛が歌い終わったあと、坂本龍一が、

「僕の曲よりも盛り上がってる…」

とぼやいていたことを思い出した。

この機会に書いておくと、森友学園問題で政治家や官僚に翻弄され、自死した近畿財務局の職員・赤木俊夫さんが、坂本龍一の熱烈なファンだったという。妻の赤木雅子さんとジャーナリストの相澤冬樹さんが書いた『私は真実は知りたい』(文藝春秋、2020年)の中に、赤木さんが坂本龍一について書いた文章が転載されている。実直な性格が表れた、坂本龍一愛にあふれた文章である。

あの文章は、教授に届いただろうか。

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電凸小噺

再び鬼瓦亭権三(ごんざ)でございます。

世の中、わからないことだらけですなあ。

SNSを見ていたら、「電凸」という言葉が出てきて、これがよくわからない。

「ご隠居、わからねえことはご隠居に聞けばわかるってねえ」

「なんだ熊公か。まあおまえよりも長く生きてるから、多少のことは知ってるぞ。隠居ベディアがおせーてやろう」

「晴の輔かよ!まったく…。いえ知りてえのは、『電凸』って言葉でして」

「『電凸』…?」

「ご隠居、まさかご存じないんじゃ…?」

「何を言う。知らないわけがないだろう」

「そもそも、何て読むんです?」

「いま、何て読むって聞いたか?」

「ええ」

「凸というのはな、凸凹、つまりデコボコのデコと読む」

「するってえと、『電凸』は『デンデコ』ですかい?」

「そうだ」

「デンデコ…。デンデケ…。青春デンデケデケデケ!」

「何くだらねえこと言ってんだ」

「でんでん太鼓」

「もっとくだらねえよ」

「じゃあ何です?教えてくださいな」

「電池にはプラスマイナスがあるだろう。電池のプラスの方のことを電凸という」

「なるほどねえ。じゃあ電池のマイナスの方は電池の電に凸凹の凹で、電凹だ!」

「そうだ」

「何て読むんです?」

「電凸がデンデコなら、電凹はデンボコだろう」

「デンボコねえ。チ…あ、いけねえ」

「おいおい!」

「しかしご隠居、日常生活で、電池のプラスとかマイナスとか、頻繁に使いますかねえ」

「使うだろう。電池の交換の時なんかに」

「それにしては妙なんですね。あっしが見たSNSでは、『あいつを辞めさせるために職場に電凸しろ』『いや、電凸すると職場に迷惑がかかるからやめた方がいいよ、職場に罪はない』『職場は、あんなやつを許しておいていいのか!』『電凸だと職場に負担がかかるからせめてメールやファックスにしとけ』みたいな感じで炎上していたんですよ」

「うむ。たしかに電池のプラスと解釈したらおかしなことになるな…。まてよ。凸は形が爆弾に似てないか?電凸とは、電気仕掛けの爆弾のことだよ」

「なるほどねえ。爆弾か。『あいつを辞めさせるために職場に電気仕掛けの爆弾を仕掛けろ』『いや、電気仕掛けの爆弾を仕掛けると職場に迷惑がかかるからやめた方がいいよ、職場に罪はない』『職場は、あんなやつを許しておいていいのか!』『電気仕掛けの爆弾だと職場に負担がかかるからせめてメールやファックスにしとけ』…て、最後のところ、爆弾をやめてメールにしろってのは、落差がありすぎませんか?」

「それもそうだな…。凸はトツとも読むぞ。電凸は『デントツ』と読むんじゃないか?」

「なるほどご隠居…。いまスマホで『デントツ』と入れたら『電凸』と変換されました。これですよ!…で、意味は何です?」

「凸が煙突の形をしているだろう。『デントツ』とはつまり電気煙突のことだ」

「ますますわからねえや。ご隠居、そろそろ本当のことを教えてくださいな」

「エヘン、『電凸』とは、企業とかマスコミとか政治団体とかに電話して、組織の見解を問いただすことを言うのだ。」

「なるほどねえ。それならつじつまが合う。なんだご隠居、知ってたんじゃないっすか。いよっ!さすが隠居ペディア!」

「いや、ウィキペディアに書いてあった」

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さがしもの

3月21日(日)

昨日は春分の日だったため、父の墓参りに行った。僕の実家のお墓は、実家から車で20分ばかりの、同じ市内にある大きな霊園の中にあるのだが、天気もそこそこで、気温も低くなかったので、霊園の中はお墓参りの人たちの車で大渋滞していた。

今となっては、この霊園の中にお墓があるというのはずいぶんと恵まれていると思うのだが、母の話によると、私の叔父(私の父の兄)が先の戦争で戦死したので、優先的にこの霊園にお墓を作ることが認められたらしい。

私の祖父が田舎から上京したのが、戦争が始まる1941年で、そのときに父が生まれたのだが、その後まもなく父の兄は戦地に赴き、戦死した。つまり、今の墓に最初に入ったのは、父の兄である。

その後、僕が3歳の時に祖父が死に、20歳の時に祖母が死に、48歳の時に父が死んだので、お墓に入った順序としては、叔父→祖父→祖母→父である。ただし、叔父は「中支」で戦死したそうなので、骨はない。なのでお墓の中には、祖父と祖母と父の骨がある。

ところが、父の納骨の時に、お墓の下を開けたら、祖父、祖母の骨壺のほかに、もう一つ、木の入れ物が腐って崩れたような状態であったというのである。陶器の骨壺ではなく、木の箱に骨が入っていたのだろうか。だとしたらずいぶん前に入れられたのもののようである。しかし叔父の骨はないはずだから、いったい誰の骨なのだろうと、母も首をかしげていた。

一転して今日は大雨である。

マンションの一室が、本や書類で埋もれているので、1日かけて、少しずつ片付けようとしているのだが、なかなか片付かない。

片付けようと思った理由の一つが、定期購読している業界紙のバックナンバーを見つけ出したい、と思ったからである。必要があって読まなければならない号なのだ。

僕は整理が悪くて、複数の業界紙が毎月送られてくると、たちまち部屋の適当なところに置いてしまうので、あとでどこに行ったかわからなくなってしまう。

2015年11月に発行された639号、というのを探しているのだが、まったく見つからない。

複数の業界紙をまとめて置いているところで、該当の号を探すのだが、とにかく雑然と置かれているので、見つけるの時間がかかる。時間をかけても、結局見つかることはなかった。

職場に行けば該当の号が架蔵されているので、それをコピーすればすむ話なのだが、コピーをすると、また紙ゴミが増えてしまうことになる。

その号は、自分にとって大事な号なので、とっておこうと思って、どこか別の場所(本棚?)に置いておいた記憶があるのだが、どこに置いたのかが記憶にない。まったく、探したいものほど見つからないのだから、困ったものである。

その代わりに、片付けているうちに、思わぬものが発見されることもある。

僕は全然メモ魔ではないのだが、ちょっと調べたことや考えたことをメモしたりするノートが出てくることがある。

これもまた整理が悪いもので、僕はすぐにノートが行方不明になり、代わりのノートを使ったりするので、あちこちにメモ書きが分散されることになる。

整理していると、思わぬところからノートが見つかったりすることがあり、

(あ~、このメモ、このノートに書いていたのか!)

と、再開することもしばしばである。

あるノートには、ノートの最初に、

「打ち明けて語りて何か損をせしごとく思ひて友とわかれぬ」

という石川啄木の歌が書いてあった。それ以外のことは何も書かれていない。

そういえば以前、こんな経験をしたことがあって、たまたま啄木の歌を読んだときにこの歌に出会って、まるでそのときの気持ちが代弁されていると思い、メモしたのだと思う。

「打ち明けて語りて何か損をせしごとく思ひて友とわかれぬ」

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世界睡眠デー

3月19日(金)

3月19日は、世界睡眠デーなのだそうだ。

TBSラジオでは朝から晩まで、睡眠に関する話題をしている。といっても、今日聴いたのは「荻上チキSession」と「アシタノカレッジ金曜日」くらいなのだが、いずれもメインのコーナーで睡眠の話題をしていた。

個人的には、荻上チキ氏が、

「僕、布団が変わると眠れないので、出張とかでホテルに泊まると、ホテルのベッドで絶対寝られないんです。あと、新幹線とか飛行機とかでも、まったく眠ることができません。海外に行くときも、10数時間飛行機に乗っていて一睡もできません。巷間言われているようなありとあらゆる方法を試して睡眠のための努力をしてきましたが、どれもまったく効果がありません。どうしたらいいですか?」

という質問に、専門家の先生が困っていた様子が可笑しかった。

かくいう私は、昨日にオンライン国際会合のホストをつとめ、慣れないZoomの操作をしたものだから、終わったらドッと疲れて夜9時に寝てしまった。

というか今週は、月曜日は自治体主催のオンライン会議が2つ、火曜日は職場の全体会議、木曜日は僕がホストのオンライン国際会合、金曜日が職場の最高意思決定会議と、重い会議が続き、すっかりと疲れてしまった。

僕は最近、YouTubeなどで時事問題についておじさん二人がトークしているような番組をベッドに横になりながらタブレットで見ていると、いつの間にか眠ってしまうことが多い。

落ち着いた声で喋る武田砂鉄氏も「自分の声は眠気を誘う」と言っていたが、そこでハタと思いついた。

僕の声や話し方も、「無伴奏のチェロ組曲」のようで眠気を誘うと言われたので、たとえば僕が、延々と小説などを朗読している音源を「睡眠用」として発売すれば、けっこう売れるんじゃないだろうか?

あと、もう一つ新しい商売を思いついた。「謝罪文ライター」である。

偉くなったおじさんというのは、謝罪文を書くのがド下手である。謝罪文の中に、どうしても言い訳とか自尊心などを入れてしまい、かえって人の心を逆なですることが多い。それに、文章自体が恐ろしく下手で、ああ、口八丁で今までやってきたのだな、ということがよくわかったりする。

そこで僕の登場ですよ。僕ならば、ありとあらゆる謝罪文に対応できる自信があるぞ。『炎上しない謝罪文の書き方』という本を書きたいくらいである。

試しに、具体的にある謝罪文を取り上げて、この場で推敲してやろうか、と思ったのだが、大人げないのでやめた。

しかしこれには問題が二つある。

一つは、僕が書いた謝罪文の内容と、本人の性格とのギャップが乖離しすぎて、「はは~ん。さては誰かに謝罪文を書かせたな」ということがわかってしまう恐れがあるということ。

もう一つは、身に覚えのないことについて僕が謝罪文を代筆することで、僕の心がやられてしまうんじゃないだろうか、ということ。

でも、つまらないダジャレで全世界を沸かせようという口先のアイデアを出して炎上するよりも、人の心を打つ謝罪文を書いて事態を収拾するほうが、僕の性に合っている。

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新作落語・ごりん(習作)

お久しぶりでございます。鬼瓦亭権三(ごんざ)でございます。

久しぶりに、新作落語をひとつ。

とある長屋に、あだ名を「ごりん」というやつが住んでおりまして、そのごりんの長屋に、ある日兄貴分のバッハがやってきた。返事がないので入ってみると、何とごりんが死んでいる。そういえば、昨晩会ったときにアサリを食べていたが、さてはそいつに中(あた)りやがったな……。

「兄弟分の葬儀を出してやりたい」、そう思ったバッハだが、金がない。考え込んでいると、ちょうど上手い具合に屑屋のセイ公がやってきた。早速、その屑屋のセイ公を呼んで室内の物を引き取ってもらおうとするが、セイ公はごりんの家の家財道具のことは全部知っている。なんでも、何回もガラクタばかりを引き取らされたので引き取りたくないという。ますます困るバッハ。と、その時にあるアイディアが浮かんだ。

「月番のヤマシタを呼んでこい」

セイ公を月番のヤマシタの所に行かせ、長屋に住むスポンサー企業から香典を集めてくるよう言いつけさせるのがバッハの魂胆。セイ公は断るが、大臣の職をとられ、しぶしぶヤマシタの所へ。

「ごりんが死んだ」と聞き、喜ぶヤマシタ。しかしこれまでスポンサーにはごりんのために散々お金を工面してもらった手前、このうえ香典をもらいに行くのは気が進まなかったのだが、結局「ごりん中止の花火を打ち上げる代わりに香典を出すよう言って集めてくる」と了承した。

安心したセイ公だが、ごりんの家に戻ると、今度はスポンサーのビール会社に通夜に出すビールとつまみを届けさせるよう命令された。ところが、スポンサーのビール会社はドケチというかドライで有名。そのことを話すと、バッハは「断ったらこう言えばいい」と秘策を授ける。

「死骸のやり場に困っております。ここへ背負ってきますから、どうか面倒を見てやってください。ついでにたいまつを持って聖火ランナーにさせて、聖火リレーををご覧にいれます」

仕方なくスポンサーのビール会社へ行ったセイ公。ごりんが死んだと聞き、大喜びするビール会社。しかし、ビールとつまみの申し出は拒絶。なんとこのごりんという男、このビール会社からただ酒をしこたま飲んでいたらしい。

すかさずセイ公が「ごりんの死骸にたいまつを持たせて聖火ランナーとして走らせるぞ」という話をすると「やれるものならやってみろ!!」。

セイ公がそのことをバッハに伝えると、何とバッハはセイ公にごりんの死骸を担がせ、本当にビール会社へ乗り込んでしまった。そして、死骸にたいまつを持たせ、文楽人形のように動かし、聖火リレーをしてみせた。本当にやると思っていなかったスポンサーのビール会社はすっかり縮み上がってしまい、ビールとつまみを出すよう約束した。

これで解放されたと思ったセイ公。だが、今度はスポンサーの自動車会社の所へ「棺桶代わりに使うから、自動車を借りてこい」と命令された。「ハイ…イエース…」と、しぶしぶ行くと、ごりんが死んだことを聞いてやはりスポンサーの自動車会社はたいそう喜び、申し入れは断られた。「聖火リレー」の話をすると先ほど同様「やってみろ」と言われるが、つい今しがたスポンサーのビール会社で実演してきたばかりだと言うと「何台でもいいから持っていけー!」。

これで葬式の準備が整った。セイ公がごりんの家に戻ると、ビール会社からビールとつまみが届いている。バッハに勧められ、しぶしぶビールを飲んだセイ公。ところが、このセイ公、かなりの酒乱で、酒を飲んで興が乗るとやたらめったら接吻をしまくる。おいおいそれはセクハラだよ、という制止も聞かず、「おいバッハ、もっとビールを持ってこい!スポンサーのビール会社がイヤだって言ったら、ごりんの死骸にたいまつを持たせて聖火ランナーをやらせるぞ!」

何だか分からなくなったバッハは言われたとおりにビールを持ってくる。そうこうしているうちに、話はごりんの葬礼へ。スポンサーの自動車会社からぶんどった自動車にごりんを放り込んだ。

「どこ行くんだい?」

「決まってらあな。東京湾に行って海に投げ捨てるのよ」

廃車寸前の車だったせいか、道中で底が抜けて、中のごりんが落っこちてしまい、東京湾に着いた頃にはごりんの死骸はなかった。仕方なく死骸を探しに戻ると、橋のたもとでモリの坊主が、いびきをかいて眠っている。酔った二人はそれを死骸と勘違いし、車に押し込んで東京湾に連行するとそのまま海の中へ放り込んでしまった。

ところがこの海、ヘドロがたまっていて臭くってたまらない。さすがにモリの坊主、目が覚めた。

「おい、いきなり何しやがるんだい!どうせ面白おかしく書こうって魂胆だろ。ここはどこだ!?」

「トライアスロンをする予定だった東京湾だ」

「どうりで臭いと思った。おい、アサリを持ってこい!」

おあとがよろしいようで。

(Wikipedia「らくだ」の「あらすじ」をもとに改変)

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無伴奏のチェロ組曲

3月16日(火)

小学生の頃から、自分の声と話し方が嫌いだったので、人前で話すことが苦手だった。

それが何の因果か、中学生になって生徒会長に選ばれてしまい、月に2回、月曜日の朝の「生徒集会」で、全校生徒の前で校長先生みたいな挨拶をしなければならなかった。これが苦痛で苦痛で仕方なかった。よく「サザエさん症候群」というが、僕の場合は、本当の意味で「サザエさん症候群」に悩まされた。

文面を考えて、体育館の舞台に立ち、数分間のスピーチを行う。我ながらいいことを言った、と思い、壇上から降りて、友達に、

「どうだった?いまの挨拶」

と聞くと、

「ボソボソ言っていて何言ってるのか全然わからなかった」

というのが、お決まりの答えだった。ああ、自分には喋ることが向いていないと、あらためて実感した。その思いはいまも変わっていない。

毎週火曜日は会議日。とくにこの日は、全体会議なので、ことさら気が重い。僕はこの全体会議の中で、何回か説明しなければならない場面があり、説明の仕方を間違えたり、躊躇したりすると、質問が出たり、反論されたりすることもある。そうなると会議が紛糾するので、とにかく穏便にすませなければならない。

ここ最近は、軽いウツなんじゃないかってほど、自分の言葉に覇気がないことがわかっている。説明するのもしんどいのである。しかも今日はよりによって、込み入った説明をしなければならない場面がある。

(ああ、憂鬱だなあ)

こういうときは、無理に声を張って説明しても空回りするだけである。できるだけテンションを上げずに、淡々と説明することに限る。

僕は声のトーンを下げ、しかも一定のトーンで説明することに徹した。

(聞いている人は、まるで覇気がないと思うだろうな…)

幸いにも、けっこう脇の甘い説明だったにもかかわらず、とくに荒れることなく、会議は終了した。

あとで知ったのだが、会議に参加していた人の多くは、居眠りをしていたらしい。

ある同僚に言われた。

「鬼瓦さんの話がやたらと子守歌みたいで、つい寝てしまった。語り方が『無伴奏のチェロ組曲』みたいだった」

僕は「無伴奏のチェロ組曲」を聞いたことがないのでわからないのだが、少なくとも褒め言葉ではないだろう。

もうこれからは、異論を封じるために、この戦法で乗り切るしかないかな、とも思い始めた。

と同時に僕は、冒頭に書いた、中学校の生徒集会の時のことを思い出したのである。

もう一つ、こんなことも思い出した。

大学生の時、友達のアンドウ君の家に電話をしたときのことである。

僕が大学生の頃は、当然携帯電話などなかったから、電話をかけるときは、家の固定電話にかけるのがあたりまえだった。

アンドウ君の家に電話すると、決まって、愛想の悪いお姉さんが電話を取るのだった。

「もしもし、鬼瓦と申しますけれども、アンドウ君はいらっしゃいますか?」

「いえ、いません」

電話を切ってしばらくすると、アンドウ君から電話があった。

「さっき電話してきたの、おまえ?」

「うん」

「友達から電話があったよと姉貴が言うもんだから、誰から?と聞いたら、『名前は聞き取れなかった。ドイツ語みたいにしゃべる人だった』といったから、おそらくおまえだろうと…」

アンドウ君のお姉さんは、僕の電話が聞き取れず、ドイツ語をしゃべっている人のようだと答えたのだ。

ここで重要なのは、アンドウ君が、その情報だけで、電話をかけてきた人物が僕だと特定できたことである。ということは、アンドウ君もふだんから僕のしゃべりをドイツ語をしゃべってるみたいだと思っていたということである。

「無伴奏のチェロ組曲」を作曲したのは、ドイツ人のヨハン・ゼバスティアン・バッハだそうだから、俺のしゃべりはやはり万人に、ドイツっぽいと思われているのだろうか。ドイツ語の単位を落とした僕としては、あまりにも不可解な話である。

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お札を干す

3月14日(日)

久しぶりに、オンライン会合のない土日である。

この週はいろいろあったから、精神的にもまいってしまい、この土日は仕事のことは一切考えないことにした。というか、これからは、仕事以外の時間は仕事のことを考えずに、本を読むとか映画を観るとか、自分の好きな時間に使わないと、メンタルがやられてしまう。

日曜の午前は、もうすぐ3歳になる娘を連れて、公園に行くことにした。

最近娘がはまっているのは、家から歩いて20分ほどかかる「タイヤ公園」という公園である。もっとも「タイヤ公園」という呼び名は、娘が勝手にそう言っているだけで、正式な名称は別である。そもそもその公園には、タイヤがない。娘がなぜその公園を「タイヤ公園」と呼んでいるのかは謎である。

娘がその公園のことを好きなのは、遊具がたくさんあるからである。うちの娘に限らず、どの子どもたちも好きみたいで、そんなに広い公園ではないのだが、いつも親子連れであふれかえっている。密なのだ。

ふだんは妻や、近くに住む姪なども一緒に行くのだが、今日は事情があり、私と娘の二人だけで公園に行くことになった。

不安なのは、公園までの道のりにトイレがないことである。もちろん公園にもない。薬の副作用で、突発的にお腹がくだることがある僕にとっては、不安でしかない。もしそうなったときに、娘を誰かに預けて、少し遠くにあるスーパーマーケットのトイレに駆け込む、ということができないのだ。しかしまあ仕方がない。

僕は、自分の鞄に、自分の財布と、公園で遊んでいて娘が喉が渇いたときのために「おでかけストローマグ」に麦茶を入れたものを入れて出発した。

「おでかけストローマグ」というのは、蓋やストローがついている幼児用のコップのことで、落としたり倒したりしても、こぼれることのない工夫がされている。なので出かけるときには重宝なのである。ただ、いくつかの部品からなっていて、それを毎日分解して洗っているのだが、持って行くときは、それを組み立てないといけない。

出かける直前に、僕はそのバラバラになった「おでかけストローマグ」を組み立てて、そこに麦茶をなみなみと入れて、それを肩掛け鞄に入れて出発した。

20分ほどかけて娘と歩き、公園に着いた時には、すでにたくさんの親子連れで密な状態になっていた。

公園を見つけた娘は遊具に向かって走り出し、いくつかあるすべり台をさっそく楽しんでいた。

僕は最初は娘の近くから目を離さずにいたのだが、そのうち疲れてきちゃって、目の届く範囲にあるベンチに腰を下ろした。

すると、ズボンがなぜか冷たい。

(ベンチが濡れているのかな?)

と最初は気にもとめていなかったのだが、立ち上がって肩掛け鞄を触ると、鞄の底の方がぐっしょりと濡れている。

(うわ!なんじゃこりゃ!)

急いで鞄の中を開けてみると、「おでかけストローマグ」の中にあったはずの麦茶が、なくなっているではないか!僕の組み立て方が甘かったのか、麦茶は「おでかけストローマグ」から漏れ出して、鞄が麦茶まみれになってしまったのである。そしてそれがズボンに伝わり、ズボンまで湿ってしまったのだ。

そこからはもう、テンションがガタ落ちである。もうこうなると、早く家に帰って鞄とズボンを洗濯したいということしか思い浮かばない。

「もう十分に遊んだでしょう?」

と娘に言って聞かせ、公園をあとにして、20分かけて帰宅した。

あらためて鞄の中をのぞいてビックリした。

財布の中のお金やらカードやらが、すべて水浸しではないか!

僕は不安症なので、財布にはいつも余裕を持ってお札を入れているのだが、そのお札を財布から取り出したら、すっかり水分を吸ってふにゃふにゃになるばかりか、財布の中でお札がみんなピタッとくっついてしまっているではないか!枚数を数えてみたら、1万円札やら千円札やらが合わせて12枚もある!

僕は、お札が破れないように、慎重に一枚一枚をはがした。もちろん財布も水浸しである。

(これをどうすればよいだろう)

困った僕は、ベランダにある、洗濯バサミがたくさんついている物干しハンガーに、1枚1枚洗濯ばさみに挟んで干すことにした。ふだんは靴下だのパンツだの、汗拭きタオルなどを干している物干しハンガーである。

初めてだな、お札を洗濯ばさみに挟んで干すのは。

1万円札だの千円札だのを1枚1枚干していて、なぜか、札束で汗を拭く東MAXのギャグを思い出した。知らない人が見たら、まるで汗拭きタオル代わりに使った札束を洗濯して干しているように思われるのではないだろうか?

あるいは、「マネーロンダリング(資金洗浄)って、本当にお札を洗うことだと思ってるのかよ!」と思われるかもしれない。

…といった被害妄想がよぎる。

幸い、今日は日差しも強くて、お札も財布もすぐに乾いたのだが、その感触は、バリバリというべきか、ゴワゴワというべきか。

今日の教訓は、「おでかけストローマグ」を組み立てて麦茶を入れたときは、いい加減に組み立てずに、倒しても本当にこぼれないか、出かける前に入念にチェックする必要がある、ということである。

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もしイタ

3月12日(金)

今週も本当にいろいろなことがあったが、なんとか無事に金曜日を迎えた。

いつも書いているように、金曜日の夜は、TBSラジオ「アシタノカレッジ」の、武田砂鉄氏と澤田大樹記者のアフタートーク(YouTube配信)を聴いて、この1週間のことをクールダウンさせる。武田砂鉄氏が最後に必ず言う、

「来週もご無事でお過ごしください」

を聴いて来週の無事を祈り、そしてこの1週間がなんとか無事に終わったことに思いを致すことが習慣になっている。

今週のTBSラジオは「澤田大樹ウィーク」であった。

なんといっても、「アトロク」の「震災高校演劇特集」である。2年くらい前だったか、澤田大樹記者がプレゼンした「高校演劇特集」が神回と言われ、僕も当時それをラジオクラウドで聴いていて、鳥肌が立つというか、目から鱗が落ちるというか、高校演劇をまったく見たことがないのに、そんな感覚に陥ったのであった。

そして今回は、震災から10年経ったこともあり、震災をテーマにした高校演劇特集であった。

紹介された中で観てみたいと思ったのが、「もしイタ ~もしも高校野球の女子マネージャーが青森の「イタコ」を呼んだら~」である。

作・演出は高校演劇のレジェンドといわれる畑澤聖悟氏。演ずるは高校演劇の強豪校、青森中央高校の演劇部員たちである。

これも澤田大樹記者からの知識だが、高校野球はどちらかといえば西日本の高校が強く、「白河の関」を越えると、甲子園大会で優勝することは難しいとよく言われる。しかし高校演劇はそうではない。むしろ東日本の方が優勢で、とくに青森県は強豪校がそろっている。畑澤聖悟氏が顧問をつとめる青森中央高校は、高校演劇のエリート中のエリートである。

なかでも伝説的な演劇が、「もしイタ」なのだ。

…と偉そうに語っているが、つい最近、知ったことである。

「アトロク」で聴いた知識によれば、この作品は、東日本大震災の被災地応援のために作られ、2011年9月から各地で上演されたのだという。震災からわずか半年後である。

被災地をまわって上演するので、どんな場所でも上演できるように、大道具も、小道具も、照明も、音響も、何も使わない。高校生たちが身一つで現地に行き、演劇部員が、背景となる樹木やカラス、犬なども含めてすべてを演じる。劇中歌も彼らがその場で歌う。

舞台装置や照明や効果音や劇中音楽などに慣れてしまっている僕にとっては、ラジオを聴いているだけでは、どんなふうにそれを演じているのか、今ひとつイメージがつかめない。

この作品をすでに観ていたというTBSの日比麻音子アナウンサーは、この作品のすごさに感動したというのだが、立派なセットや照明や音響がなくても心を揺さぶる作品というのは、どういうものなのだろう、と、興味を持ったのである。

で、ちょうどいま、「震災高校演劇アーカイブ」というサイトで、2月11日~4月11日まで配信イベントをやっていて、そこで「もしイタ」が観られるというのだ。しかも、無料だというではないか。

さっそく観てみることにした。

舞台装置も音響も劇中歌も、すべて高校の演劇部員たちがやっていることに、まったく違和感を抱かせない。むしろその熱量に圧倒されて、その世界にどっぷりと浸れるのである。いや、これこそが、最もプリミティブで、根源的な演劇ではないだろうか。

こういうたとえをしていいのかわからないが、僕は大学生の時に見た映画「フィールド・オブ・ドリームス」をちょっと思い出した。

そして、観ていてもう一つ浮かんだ映画が、大林宣彦監督の映画「この空の花 長岡花火物語」である。

僕はハッと思い出した。大林監督の「この空の花」の中でも、劇中劇として、高校演劇が上演されていたではないか!そうか、「もしイタ」を観ていてこみ上げてくる感情、以前にどこかで経験しているなあと思っていたら、「この空の花」の劇中劇を観たときにこみ上げてきた感情と非常に近いものだったのである。

そういえば、あの一輪車の高校生たちは、実際には青森の高校生たちだった。主人公の高校生「元木花」を演じた猪俣南さんは、いまは青森放送のアナウンサーである。

何より、「この空の花」の脚本を書いたのは、「弘前劇場」主宰の長谷川孝治氏である。この人も青森の人。

「もしイタ」を作・演出した畑澤聖悟さんは、「弘前劇場」に所属していたこともあり、つまりこのあたりはみんなつながっているのだ。

そう考えると、あのなんともいえない感情がこみ上げてくる「この空の花」は、青森の高校演劇の風土を肌で感じている長谷川孝治氏ならではの脚本といえるのではないか。

そのことに、いまになって気づいたのである。

「この空の花」は、戦争を知らない高校生が戦争を描こうとした高校演劇作品としても、もっと評価されるべきである。

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この10年

3月11日(木)

この10年ねえ。何があったかねえ。

職場が変わった。引っ越しをした。大病を患った。父が死んだ。また引っ越しをした。子供が生まれた。全世界が新型コロナウィルス感染症の脅威にさらされ、生活は一変した。中間管理職になった。すっかり髪の毛が真っ白になってしまった。

家族がひとり死に、家族がひとり生まれ、僕はまだ生きている。

 

 

 

 

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忘れた頃にやってくる

3月9日(火)

「原稿催促は、忘れた頃にやってくる」

というのは、俺が考えたオリジナルの名言。

今朝、「めげない生き方」でおなじみのKさんから実に久々にメールが来た。

Kさんとのプロジェクトのこと、すっかり忘れていた!というか、あの大型企画、ポシャったのかと思ったら、全然そうではなかった。

締め切りがとっくに過ぎていても、Kさんから何の連絡も来ないから、僕はすっかりあの企画は流れたのだと思って、なかったことにしていたのだった。

「原稿、どうなってますか。ほかのところは8割方集まってますよ」

僕が担当のところだけが、不真面目だったというわけである。どうして、あの企画がポシャったなんて都合のいいことを考えたのだろう?

これは僕の本当に悪いクセなのだが、面倒なことを引き受ける割には、時が経つにつれて「なかったことにならないかなあ」と思い始め、問題を常に先送りにするのである。しかし「なかったことにした」ところで、実際にそれがなくなるわけではない。

大竹まことがラジオで言っていたが、「虫歯が痛いのを我慢したところで、よくなるなんてことは絶対にないんだよなあ」と。つまり、何もしないでいても事態は解決しないので、行動を起こさなければならない、ということである。

それが、僕の一番の苦手なことである。

催促といえば、もう一つあった。

僕も少しだけお手伝いした大型企画のシリーズの1冊が、この月末に出る予定なのだが、それに先だって、お世話になった人や関係者に献呈するためのリストを作らなければならない。

これが面倒くさい。

片っ端からお世話になった人に送りつけるのが理想なのかもしれないが、そうするとお金がかかる。結局、本を作っても赤字になるばかりである。そこで、あるていど人数を絞って、自分の中で理屈をつけて、この人には送る、この人には送らない、という選別をしなければならない。

これが僕にとっては死ぬほど面倒な作業なので、できればやらずに済ませたいのだ。

しかし今回は、怖いボスがいて、そういうことを期限内にきっちりと提出しないと叱られるので、真面目にやらなければならない。

(たしか、3月10日までに提出せよと言われていたな。10日は比較的時間があるから、この日にリストを一気に作って、怖いボスに提出しよう)

と高をくくっていたら、3月9日の23時半に、

「献呈リストを待っています。」

と、ひと言だけ書いたメールが怖いボスから来た。

ひえ~、怖い~。

これはきっと、待ちくたびれたあげくのひと言メールだな、と、僕はその行間を読み取った。

そうなると、すぐにリストを作らなければならない。多すぎず、少なすぎず、ちょうどいいと思われる数に絞るため、長考に長考を重ね、加減乗除、サインコサインタンジェント、と、なんとかリストを作り上げて、メールが来てから1時間半後に送信した。

僕はいつまで、人におびえて生きなければならないのだろう。

 

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上司は思いつきでものを言う

3月9日(火)

『上司は思いつきでものを言う』という本を書いたのは、橋本治だったか。

今日のオンライン会議ほど、そのことを身にしみて感じたことはない。

昨年10月頃から、コロナ対策の一環としてある対応をすることになったのだが、その実施方針を、時間をかけて、社長や副社長にも根回しをしながら、ようやく合意にこぎつけたのが昨年末。社員に向けて、その実施方針を示した。

この間、何度も社長や副社長に原案を突き返され、若い主任と二人であれこれと修正を加えながら、ようやく合意に至ったのである。あとは、具体的な実施方法を作るのみである。

これについても、若い主任と二人で、なるべく足下をすくわれないような、周到な実施方法を考えた、つもりであった。

ところが今日のオンライン会議で、社長や副社長から、

「実施する意味がよくわからない。やめるべきだ」

と言われたのである。

ええええぇぇぇっ!!!まさかの、ちゃぶ台返し?

ま、ちゃぶ台返しはこれまでもあったことなので、さほど驚くことではないのだが、しかし最後の最後になってこうなるとはねえ。

僕は頭に血が上って、

「じゃあ、撤回します!」

と大見得を切ってしまった。これがいけなかった。

長い長いオンライン会議のあと、うなだれて廊下に出ると、会議に陪席していたベテランの部長から、

「撤回してはだめですよ」

と言われて、ハッと目が覚めた。

そうだ、僕はあの場でもっと、噛んで含めるように説明しなければならなかったのだ。つまりすべては、僕の説明不足のせいである。

「上司は思いつきでものを言う」という、橋本治が掲げたテーゼにしたがって考えると、戦術を間違っていたのは僕の方だったのだ。

そのことに気づいたとき、僕は取り返しのつかないことを言ってしまった、と思った。

でもなあ、あんな言われ方をされて、冷静を保てる人は、よっぽど胆力のある人だぜ。

とにかく僕は、ここまで一緒に作ってきた若い主任に申し訳ないと思うばかりだった。

すると、僕がうなだれている間に、若い係長と若い主任が話し合いをしたらしく、

「戦略を立て直しましょう。まずは僕らで説明資料を作りますので」

と言ってくれた。

ベテランの部長からは、

「とにかく揉めないように」

とのアドバイス。

根気よくやっていくしかない。

「いろいろな問題が起こるねえ。力不足で申し訳ない」と僕が若い主任に言うと、

「少しでも、(事態が)前に進んでくれるといいんですがね」

「そうだね。少しずつでも進めていこうよ」

と、仕切り直すことにした。日々、こんなことばかりである。

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ひとり新聞社

3月8日(月)

新聞記者、という話でつながるのだが。

こんどはTBSラジオ「荻上チキ Session」のラジオクラウドを聴いていたら、「東日本大震災から10年」の特集として、岩手県大槌町で、「大槌新聞」をひとりで発行している菊池由貴子さんという方がゲストだった。

岩手県大槌町は、人口が1万人あまりの町である。菊池さんは震災後、自分の住んでいる大槌町に「地域紙」すなわち地元の新聞がないことを憂いて、自ら新聞を作ろうと決意する。新聞記者になるなら、どうしたらいいのだろう?まずは新聞記者の「七つ道具」みたいなものをそろえることから始まった。パソコンだとか、ICレコーダーとか。

え、そこから?という感じなのだが、もっとスゴいのは、菊池さんは最初、ワードやエクセルの使い方も知らなかったという。まさにゼロからの勉強である。新聞作成アプリを使ったりして、大槌新聞の創刊号が発行されたのは、震災から1年以上たった、2012年6月のことだった。そこから週1のペースで、大槌新聞は発行され続けた。取材、執筆、編集はすべてひとりである。つまり、ひとり新聞社。

しかし、菊池さんの地域紙の取り組みは、一筋縄ではいかない。最初は国からの助成金をもらっていたので、無料配布していたのだが、助成金が打ち切られ、有償配布を余儀なくされた。町内の政治的な対立に巻き込まれることもあった。しかし、この町で知りたいことを追求するためにはこの地域紙しかないということで、さまざまな葛藤を経ながら、続けてきているのである。

地域のジャーナリズムとは何かとか、いろいろと考えさせられるのだが、ひとりの生き方としても、考えさせられる。

いま僕は組織の中にいて、組織の中で働くことに嫌気がさすことがある。ああ、フリーランスになりたい、と、一日に何度かは思うのである。でもその勇気がない。

自分だったら、「ひとり新聞社」ができるだろうか?趣味ていどだったらできるかもしれないが(実は、「ひとりラジオ」をやるのが夢である)、これを信念を持って続けられるかというと、そこまでの自信や体力がない。

でも、「ひとり○○」というのは、憧れるんだよなあ。みなさんは、「ひとり○○」の「○○」に、何を入れますか?

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高校の1年後輩だった!

3月8日(月)

今日の午後、社長室で打ち合わせの時に、例の宿題を持っていったら、

「鬼瓦くん、こういうのじゃないんだよ!」

と社長に言われた。

ええええぇぇぇぇぇっ!!!鼻血出しながら1万4000字も書いたのに!!!

僕は2時間×9回、つまり18時間にわたる打ち合わせの時に、誰がどういう発言をしたかというのを丁寧に書いたのだ。文字通り議事録である。

というわけで、これをまったく使わずに打ち合わせをすることになったのだが、ただ必要に応じて、誰がどんな発言をしたかを振り返ることができ、それに応じて打ち合わせが進んだので、結果的にはよかったのだ。

結論としては、「議事録は大事だ」ということだ。わかってますか?分科会のみなさん!

打ち合わせは2時間にわたり、なんとか方向性も見えてきた。

「じゃあ鬼瓦君、今日の話し合いをふまえて、金曜日までにまとめておいてください」

と、また宿題が出された!ああ、気が重い。

…と、今日はそんなことを書きたいのではない。

毎度のことながら、通勤の車中で文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」を、ラジオクラウドで聴いている。先週金曜日、すなわち3月5日(金)の「大竹メインディッシュ」のゲストは、東京新聞福島特別支局長の片山夏子さんという人だった。『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実』(朝日新聞出版、2020年)で第42回 講談社 本田靖春ノンフィクション賞と、第20回 石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞 奨励賞のW受賞をしたそうだ。ジャーナリストの青木理氏が大絶賛した本だという。

お話を聞いていると、実に明るくて、めげない人なんだな、という印象を受ける。大竹まこと氏が、

「こういったら失礼かもしれないですけれど、現場がお似合いの方ですよね」

と言ったり、室井佑月氏が、

「片山さんだったら、作業員さんも心を開いていろんなことを喋ってくれるでしょうね」

と言ったり。

話題が話題だけに、笑っちゃいけないんだが、つい笑ってしまう感じでトークが弾んでいる。

声の感じから、ずいぶん若いのに、新聞記者の中にもこういう気骨のある人がいるんだなあと感心しながら聴いていた。

で、今日。帰宅すると、年に一度発行される高校の同窓会会報が届いていた。

僕は、高校の同窓会組織というものに、ある時期から不信感を抱いていて、まあほとんど関心がなかったのだが、たまには開いてみるか、と封筒を開けて、同窓会会報を見て、ビックリした。

「化粧品販売員から福島原発取材記者に」というタイトルで、なんと、片山夏子さんのインタビュー記事が載っているではないか!

ということは、同じ高校出身ということである。しかも卒業年を見ると、僕よりも1年あとである。

てことは?高校の1年後輩?

記事を見ると、高校時代には音楽部に所属していたと。惜しい、ニアミス。こちとら吹奏楽部だったから、同じ音楽室を使っていたんだな(あたりまえか)。

そうなると、急に親近感がわいてきた。これが、全然世代が違うとアレだが、同じ時に同じ高校に通っていたとなるとねえ。

で、このインタビューを編集したのが、丸山美佳さんという方で、卒業年を見ると、僕の1年先輩である!たぶん面識はない。

というか、バンバン実名出しちゃってるけど、イイノカネ。

でもこれが、なかなか素晴らしいインタビュー記事なのだ。

というかさー。

うちの学年、もっとしっかりしろよ!俺も含めて。

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荒野の古本屋

3月7日(日)

週末の「オンライン会合マラソン」も、これで一区切りだろうか。今日はさすがに疲れてしまい、途中で気を失ってしまったが、楽しみにしていた夕方の「生中継」にはなんとか間に合った。

昨日の午後のオンライン会合で、森岡書店の話題が出た。

森岡書店で思い出すのは、森岡督行さんの本『荒野の古本屋』である。以前にその本の感想を書いたことがある。内容は忘れてしまったが、とてもおもしろい本だったと記憶している。調べてみたら、最近、文庫化されたらしい。

以前に、家にあったいろいろな本を古書のチェーン店に売ったことがあったが、この本はたしか、とっておいたはずである。

久しぶりに読んでみたいと思って、今日のオンライン会合が終わったあと、本棚の奥の奥から引っ張り出して、パラパラとめくってみた。

「一九四一年十二月八日の出来事」というタイトルのエッセイがあるを見て、僕はビックリした。

なぜなら、昨日のオンライン会合の時に、僕がお話ししたテーマが、「1941年12月8日の出来事」についてだったからである。

森岡さんは、図書館に行って1941年12月1日から15日までの新聞のコピーを入手し、1997年12月1日から15日間、1941年の同じ日の新聞を読むという行為を実践する。現代のメディアの情報をできるだけ遮断して、1941年に身を置いて、12月8日の「開戦の日」に至る身体感覚を追体験しようと試みたのである。

僕はこのくだりをすっかりと忘れていた。僕が昨日のオンライン会合で話そうと考えていたことに近い。どうして昨日のオンライン会合の前に読まなかったのだろうと悔やまれたが、昨日のオンライン会合で僕が「1941年12月8日の出来事」の話をしたからこそ、このエッセイを特別なものと感じることはできたのだろう。

つまり言いたいことは、「本を再読することは大切である」ということである。

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おむつの向こう側

3月6日(土)

昨日の金曜日は夜遅くに帰宅し、今日は午前と午後にオンラインの会合があったので朝から娘を保育園に預けたのだが、ちょっと見ないうちに、娘は3歳を目前にして急激な成長を遂げた。

そう!トイレでおしっこをすることができるようになったのである!

前に、うんちをトイレですることができたことはすでに述べた

ただその後は、一進一退というか、またおむつの中にうんちをすることが多くなってしまった。

(一過性のものだったのかな…)

と思っていたら、どうやら昨日あたりからトイレでおしっこができるようになったというのである。

実際、今朝起きたら、

「おしっこ…」

と言うので、トイレに連れて行ったら、

シャーッ!!

とおしっこをしていた。

ただし、まだ小さいので、自分でトイレの便座に座ることはできない。映画「ズートピア」で、主人公のうさぎ・ジュディが用を足そうと、洋式便所に飛び乗るシーンがあるのだが、あんな感じである(わかりにくい)。

トイレの電気をつけて、ドアを開けて中に入り、便座に座り、用を足し、トイレットペーパーで拭いて、便座から降りて、水を流して、トイレを出て、ドアを閉めて…という一連の動作は、もう完璧である。

あとは、尿意に合わせてトイレに行く頻度が高くなることを祈るばかりである。それと、自分で便座に座ることができるようになることもね。

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根を詰めると鼻血が止まらない

3月4日(木)

最近は韓国のドラマを見ていないのでわからないのだが、10年ほど前まで、よく韓国ドラマを見ていると、仕事があまりにキツくて鼻血が出たり、受験勉強をやりすぎて鼻血が出たり、みたいなシーンがあって、

「んなことあるかい!」

「また鼻血出してるよ!」

とゲラゲラ笑ったものだった。韓国人にとって、「一生懸命がんばる=鼻血が出る」というのが、あるあるネタになっているんだなということを、ドラマを見るたびに思ったものだ。

しかし、である。

今日はさすがにキツかった。

来週月曜までに社長に提出しなければならない宿題がまだできていない。先月行われた、2時間×9回の会合で出た意見をまとめる、という作業である。なにしろこの間忙しく、それにこの作業に対するやる気がまったく出ずに、作業をずっと先送りしていたのである。

しかし、土日は終日オンライン会合なので、金曜日のうちにやっておかなくては月曜日に間に合わない。

そこで、会議が終わった5時半過ぎから、3時間半ほどかけて、作業を行うことにした。

会議の時に、いろいろな人の発言をノートにメモしていたのだが、僕はそのノートを見ながら、そのときの様子を思い出し、言葉を補いながら発言録を作成していく。

ノートを見てはパソコンのキーボードを連打すること3時間半。ようやく目処がついた。気がついたら、字数にして1万4000字ほどになっていた。400字詰め原稿用紙にして35枚である。1時間あたり原稿用紙10枚のペースだ。これってけっこう速いペースなんじゃねえの?

帰ろうと思ったら今度は副社長からメールが来て、頼んでおいたものを早く提出するようにとややご立腹である。行間に「鬼瓦はいつも遅い」というニュアンスがにじみ出ていた。「しまった!作っておいたのにメールするのを忘れていた!」と思い、慌ててメールで提出する。

ほかにも別件でいくつかメールがあったが、帰ってから対応しよう。

ということで、2時間ほどかけて車で自宅に戻り、TBSラジオ「アシタノカレッジ 金曜日」をリアルタイムで聴き、さらにそのあとYouTubeで配信されている武田砂鉄氏と澤田大樹記者のアフタートークを聴きながら、

(あ~、これでようやく週末だ)

とささやかな幸せに浸っていたら、急に鼻血が出て来た。

(なんだなんだ??)

ちょっとしたら止まるだろうと思ったら、なかなかどうして、意外と長い時間止まらない。こんな感じの鼻血なんて久しぶりである。

そこで僕は、冒頭に書いた韓国ドラマのことを思い出したのである。これだ!と。

僕は、2時間×9回の会議の発言録を怒濤のように作成することにより、根を詰めすぎたのだ。さすがに身体が悲鳴を上げて、鼻血が出てしまったとしか考えられない。

韓国ドラマさん。がんばりすぎると鼻血を出すというシーンに対して、

「んなことあるかい!」

と突っ込んでしまい申し訳ありませんでした。

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対面もつらいよ

3月4日(木)

今日は午前中に職場で対面の会議があり、午後からは外部機関が主催のオンライン会合である。

朝9時半から12時半までの3時間。それが終わると、14時から17時までの3時間。もうこれでほとんど1日を使い果たしてしまった。

午前は僕がやり玉にあがる会議だったのだが、荒れるんじゃないかと思って、緊張を強いられ通しだった。

結果、少ししか荒れずにすんだ(やっぱり荒れたんかい!)。

ヘトヘトになっていたら、午後のオンライン会合の時間があっという間に来てしまった。

これもまた気が重い。

「○○さんが出席するとのことで、『一言もの申す!』と宣言しているそうです。○○VS××で荒れ模様になったら、鬼瓦さん、調整してください」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!○○さんも××さんも僕よりも年上で、クセもスゴいし、とても僕の手になんか負えませんよ」

事前にこんなことを言われたら、もう不安しかない。

会合が始まっても、そのことがずっと気になってしまい、気もそぞろである。

会合の終盤になって、

「もの申す!」

という声が聞こえた。

ああ、とうとう来たか…と絶望していたら、司会の方が、

「もう終了予定の時間なので、手短にお願いします!」

と先手を打ってくれた。すると、

「私は××さんと180度違う意見なんですけどねぇ…。ま、今日はそういうことを言い合う場ではないので、やめておきます」

と矛をおさめたのであった。

始まる前は、

(こりゃあ、予定の時間をオーバーするなぁ)

と覚悟をしていたのだが、司会の方がPunctualな方だったようで、17時きっかりに終わってくれた。

この業界、予定の時間を過ぎてもだらだら討論をしたりすることが多いのだが、これぞ、働き方改革である。これがおっさんが司会で、ホモソーシャルな会合だったら、17時過ぎてもダラダラと会合は続いていただろう。「おっさんは話が長い」のだ。

これもまた、偏見だろうか。

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続・オンラインはつらいよ

オンライン会議に慣れてしまうと、現地に出張に行くのが面倒くさくなる。もともとが出不精だからであろう。

しかし中には、出張したくってしょうがない、って人もいて、緊急事態宣言下の中でも、必要不可欠な出張ですので、感染対策を万全にして出張に行きます、という人がけっこういる。僕は怖くって仕方がないから、オンラインで済ませられるなら済ませてもらいたい派である。

うちの業界も、手軽にできるせいか、オンラインのイベントが格段に増えた。同じ日に複数の同種のイベントがあったりして、物好きな人は掛け持ちをして参加する人もいるようだ。これに全部つきあっていると何もできなくなるから、自分が関係するオンライン会合以外は参加しないことにしている。

うちの業界のイベントだけでなく、知り合いの出版記念トークイベントのようなものも、オンラインで行われたりする。リアルタイムで参加できなくても、1週間くらいアーカイブが残るので、申し込めたりしてしまうのだ。それに加えて、ふだん聴いているラジオを聴こうとすると、それこそこぶぎさんがやっているように、1.25倍の速度でラジオを聴かないと追いつかない。僕の場合は1.5倍だけど。

自治体関係の外部委員の仕事をしているのだが、その会議もまた、最近ではオンラインで行うことが多くなっている。

先日、某自治体のオンライン会議の日程調整して、

「すみません。委員のみなさんがご出席できるのが15日の17時から1時間程度なので、それでよろしいでしょうか」

「わかりました」

となったのだが、今日、別の自治体のオンライン会議の主催者から、

「日程調整の結果、みなさんがご都合が良いのが15日の16時からだけなのですけれど、鬼瓦先生はこの日17時までなら大丈夫と書かれていましたが、16時から18時頃までの2時間程度、会議に出席いただけますか?」

「すみません。その日は、17時から別の自治体のオンライン会議が入っているので、17時以降は無理です」

ということで、よりによって同じ日の近い時間帯に二つのオンライン会議が入ってしまったのである。

こういうのを何て言うの?「オンライン渋滞」?

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原稿ため込み党のつむじ曲がり

3月3日(水)

僕の原稿が載ったアングラ会誌と、やはり僕の原稿が載っている、ごくわずかの人の目にしか触れないであろう小冊子が、同じ日に届いた。いずれも、僕が「前の勤務地」に向けて書いた原稿である。

いずれも、A4用紙にして1枚程度の短い分量だが、僕はこれらを、「前の勤務地」への恩返しのつもりで書いた。僕は、こういうところに書く原稿が、何よりも好きである。

僕が尊敬している大林宣彦監督は、商業映画を作るかたわらで、インディペンデント映画というのか、アングラ映画というのか、プライベートフィルムというのか、とにかくお客さんが入るのを度外視した映画を作ることに愛着を感じていたと想像するのだが、僕もたぶんその影響を受けている。限りなくプライベートに近い媒体に書いた原稿に、愛着を感じるのである。

つい先日、「発売前から重版出来」という本が手元に届いた。たぶん商業的に成功した本なのだろう。もちろん僕もその本の中で、自分の持てる力をふりしぼって原稿を書いたのだけれど、あまり読み返したいとは思わない。

でも僕は、その原稿の中に、「前の勤務地」への恩返し的な件(くだり)を、むりやり書き込んだ。それを書かないと、自分らしさが出ない、と思ったからである。

大林監督の映画『廃市』の中に、柳川の旧家の娘である安子が、ピアノの楽譜を持って屋敷に戻る場面がある。それを見かけた居候の大学生・江口が、「安子さん、ピアノを習っているんですか?」と聞くと、

「他の人はお茶とかお華とかを習っているでしょう?そこで私は、ちょっとつむじを曲げてみたわけ」

と答える。福永武彦の原作にはない台詞なのだが、僕はなぜかこの、なんということのない場面が印象に残っている。つむじを曲げることこそが自分らしさなのだということに、気づかせてくれたからであろう。

「他の人はみんなまっとうな原稿を書いているでしょう?そこで私は、ちょっとつむじを曲げてみたわけ」

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オンラインはつらいよ

3月2日(火)

あまりに忙しいのだが、なんでそんなに忙しいのかが、よくわからない。

朝早く家を出て、2時間以上かかって職場に到着し、9時半からは、月に1度の僕が司会のオンライン会議である。この会議の前日は、眠りが浅くなるのだ。

ぼんやりとした頭で会議をなんとか終え、提出が遅れた書類を書いたり、メールの返信を書いたりしていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。

午後2時に電話が鳴った。

「2時から打合せですよ」

そうだった!すっかり忘れていた。というか、手帳に書いておくのを忘れていた。

あわてて打合せの部屋に行き、

(はて、なんの打合せだろう?)

そういえば打合せの内容を聞いていなかった。

ぼんやり座っているうちに、打合せは終わった。

(うーむ。結局何の打合せだったのだろう?)

ナンダカヨクワカラナイまま、仕事部屋に戻って、ふたたび諸々の仕事をする。

(そうだ!今日はもう1件、オンラインの打合せがあるんだった!)

奇跡的にそのことを忘れていなかったのが我ながらスゴい。

何の打合せかというと、数日前にとあるカルチャースクールから、

「来年度、オンライン講座をやってほしい」

という仕事の依頼のメールが来たのである。まったく面識のない方だったが、どうやら僕の本を読んでくれて、白羽の矢が立ったらしい。まあ、前向きに考えましょうと返信したら、じゃあオンラインで打合せをさせてくださいというので、この日の夕方に設定してもらったのだった。ま、打合せと言いつつ、僕が商品になるかどうかのオーディションなのかも知れない。

Zoomをつなぐと、おとなしそうな若い男性が画面にあらわれた。

「ぜひオンラインで講座をお願いしたいと思いまして…」

「私なんかでよろしいんでしょうか。私はお客さんが集まらないことで有名なんですよ」

「はぁ…。そのことなんですが…。実は当社でオンライン講座を始めたのは、昨年からでございまして…」

「コロナの影響ですね」

「ええ。しかし宣伝がなかなかうまくいかないのか、苦戦しておりまして…どんなに人気の講師でも、10名集まれば御の字というような具合で…」

「そうですか。受講される方はご高齢の方が多いのですか?」

「ええ。平日の日中にお時間がある方といえば、どうしてもご高齢の方が多くなってしまいます」

オンライン講座がうまくいってない理由がわかった。ご高齢の方は、Zoomに慣れていないのではないだろうか。Zoomを使いこなせるご高齢の方のみが、オンライン講座にたどり着くことができるのだ。

そういえば、前の職場にいた時、市内にある同じカルチャースクールで講師をしたことを思い出した。そのカルチャースクールは各地方都市に教室を持っていて、全国展開しているのだ。当時はもちろん対面だったけれど、あの時は受講生が少なくて、3名くらいだったんじゃないかな。そのことを話し、

「あの町のカルチャースクールはどうなりました?」

と聞いたら、

「…つぶれました。業績不振で」

「………そうでしたか……」

そりゃあそうだろうな。考えてみれば、いまどき、YouTubeやら何やらでタダで動画を見たりすることができるのだ。お金をとって、それに見合うだけの90分の話をするためには、かなりの付加価値が必要なのではないだろうか。

なにしろ1回の受講料が、劇場で1本の映画を見るよりも高いのである。俺だったら絶対映画を見に行くよな。

それが3回連続講座ということになったら、ほとんど福沢諭吉の世界である。

つまり講座の回数も、考えどころというわけだ。

ちなみにギャラは歩合制である。集まったら集まっただけ、受講料の何パーセントかをもらえるシステムのようである。

受講生が3人とかだったら、赤字になるぞ。

「連続講座ではなく、単発の講座でもいいんですか?受講する方にとっては、その方が受講料を抑えられますよね」

「そうですね。その場合は『特別講座』ということになります」

どうやら、1回だけで終わりにするというのは、すごく有名だったり、売れていたりする人が、1回だけ特別に90分講義をしてくれるという、「ありがたみ」の深い講座、ということのようだ。

僕の拙い話にそんな「ありがたみ」なんぞはないので、「特別講座」なんて恥ずかしくて名乗れない。

「ただですねぇ」

「なんです?」

「オンライン講座を始めたおかげで、全国から受講生が来るようになりました。それが、対面講座とは大きく違うところです」

「そうですか。たしかにオンラインだったら交通費がかかりませんものね」

「…それでも、受講生はうまくいって10名ちょっとなんです…」

「はぁ…そうですか…」

いくら受講生が全国規模に広がったとしても、実際に受講するのがやっぱり3人だった、ということになったら、ますます目も当てられないことになる。というか、もうかつてのようなカルチャースクールは流行らないんじゃないだろうか。新しいビジネスモデルを考えた方がいいんじゃないの?

はたしてこの仕事、引き受けるべきか…?

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箱根駅伝2往復

2月28日(日)

4日間連続のオンライン国際会合が終わった。

正確に言うと、木金の2日間は、韓国側主催のオンライン国際会合で、土日の2日間は日本側主催のオンライン国際会合で、両者は主催者もテーマも異なる。

僕は、前半の2日間は聴いているだけでよかったのだが、後半の2日間は、登壇者なので、片手間で聴くわけに行かず、ずっと画面にはりついていた。

どれだけの時間、パソコンの画面の前にいたかというと、木曜日は12時から17時半までの5時間半、金曜日は9時半から18時までの8時間半、土曜日は13時15分から17時45分までの4時間半、日曜日は9時から18時半までの9時間半。4日間の合計は28時間ですよ!

「27時間テレビ」越えですよ!

箱根駅伝だったら、2往復くらいしてるんじゃないの?

会合がオンラインになって激変したことは、以前だったら、こんなスケジュールはあり得なかったものが、いまでは可能になっているということである。。

だって、前半の2日は、本来だったら韓国に行かなければいけないし、後半の2日は、本来だったら自宅から新幹線で2時間近くかかる場所に行かなければならなかったのだ。

前半の2日間、韓国で国際会合に出て、後半の2日間、日本の地方中核都市で会合に出るなんて、物理的には不可能である。それがオンラインだとできてしまうんだから、いいことなのか?悪いことなのか?

このやり方を覚えてしまうと、元のスタイルに戻れなくなるんじゃないだろうか。

「移動に時間がかかるから、その日は物理的に無理です」

と言っても、

「じゃあ、オンラインでお願いします」

なんてことが、ふつうになるんじゃないだろうか。

ま、考えてみれば、ラジオ番組なんか聴いていても、ゲストがスタジオにいなくて、電話でコメントするなんてことがむかしからふつうに行われていたから、交通費もかからないし、今後はオンラインで気安く使われる世の中になるのかもしれないな。

僕はもともとが出不精だから、それでも全然かまわないんだけど、いいことなのか、悪いことなのか、よくわからない。

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