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ロスジェネの逆襲

3月26日(金)

TBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」のゲストは、作家の村山由佳さん。最近刊行された、明治・大正時代を生きたアナキストで女性解放運動家・伊藤野枝の評伝小説『風よあらしよ』(集英社、2021年)にまつわるお話だった。

ラジオの中で紹介された伊藤野枝の言葉は力強く、今のこの社会が直面する問題にも、強く響き渡るものである。決して「置きにいこう」とはしない、寸分の遊びもない言葉の強さ、といったらよいだろうか。

僕はこの話を聴きながら、いま起こっているあの一連の騒動を思い起こした。

今年の夏にこの国で行われる予定の大規模スポーツイベント、本来は昨年の夏に行われる予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、1年延期されることになった。

僕はスポーツ観戦が大嫌いなので、このスポーツイベントは基本的にはほとんど見たことがないのだが、それでも僕が高校生の時だったか、アメリカのロサンゼルスで行われたそのスポーツイベントの開会式は、いまでも印象に残っている。

開会式の競技場で、ジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」が生演奏される。言わずと知れたアメリカン・クラシック音楽の名曲である。圧巻なのはピアノ演奏だった。これでもか、という台数のピアノが現れ、ユニゾンで一斉に演奏するという演出を見たときは、ちょっと心が震えた。僕はそれ以来、この曲が大好きになった。

開会式における高度で上質な音楽的パフォーマンスは、僕がそのイベントを見るとすれば、唯一楽しみにしていることである。

このたび、この国で行うイベントの開会式をめぐって、さまざまなトラブルが起こったようである。

演出統括者は、人選が二転三転し、いつのまにか、元広告代理店のクリエイティブ・ディレクターという男性(66歳)が担当することになっていた。

聞けば、これまでもいろいろなCMやイベントを手がけていたそうで、それらはなぜか共通して、僕をイラッとさせるものばかりだった。

まあそれは、僕の好みの問題だから措くとして、それよりも問題だったのは、イベント名にかけたダジャレを思いついて、ある女性タレントに豚に見立てた扮装をさせる、というまったくおもしろくない演出をアイデアとして出したことが明るみに出たことである。週刊誌にこのことが暴露され、そのクリエイティブ・ディレクターの男性は、開会式の演出統括者を辞任することになった。

もちろんその女性タレントを侮辱するような演出アイデアを出したこと自体、大問題なのだが、実はこの問題の本質はもう少し違うところにある、ということが、その後の週刊誌報道で明らかになってきた。

それは、そのクリエイティブ・ディレクターの男性が、その前に演出統括者だった演出振付師の女性(43歳)を排除した、という事実である。その男性が、というよりも、組織ぐるみで行ったことかもしれない。いずれにしても、それまでその演出振付師の女性が積み上げてきた演出プランをないものとして、というのか、なおざりにして、というのか、とにかくきわめて侮辱的な扱いをして排除したことが、明るみに出たのである。

恥ずかしながら僕はその演出振付師の名前をそれまでまったく知らなかったのだが、聞けば、Perfumeのダンス指導をした人というではないか。しかもかなりの実績のある方である。毎年文句を言いながら見ているNHKの「紅白歌合戦」で、「あの番組で見るべきところといったら、Perfumeのパフォーマンスくらいしかない」と思っていたから、「ひょっとしたらこれは、僕が高校生の時に見た『ラプソディー・イン・ブルー』のような心の震えを多くの人に与えるのではないだろうか」と思ったのだった。

ところがその希望は潰え、ダジャレを面白がる66歳のクリエイティブ・ディレクターに演出統括者が代わり、苦虫をかみつぶしていたところ、結局その人物は自爆してしまった。

66歳のクリエイティブ・ディレクターの男性は、問題が明るみに出たときに、「謝罪文」を公開したが、これがひどい悪文だった。何度読んでも、意味がよくわからない。言い訳にしか聞こえない。まったく人の心を打たない。むしろ読んでいて、あまりの論理性のなさに具合が悪くなりそうな文体である。多くの人が指摘しているように、あの謝罪文は、公表する前に、誰のチェックも受けなかったのか?あの謝罪文でよしとする人しか周囲にいないとしたら、それこそが、この問題の本質ではないだろうか。

そして今度は、一連の週刊誌報道を受けて、演出振付師の女性がコメントを出したのだが、このコメントの文章が実に素晴らしかった。人の心に訴えかけ、胸を打つ文章だったのである。一読して、前者と破格の違いがあることは、誰の目にも明らかであると思う。

言葉に生命があるのだとしたら、演出振付師の女性のコメントは、血の通った言葉であり、それは伊藤野枝が圧倒的な言葉をもって語ろうとした姿勢にも通じるのではないだろうか、と、そんなことを感じたのである。

そしてこの問題は、この国の社会全体に関わる問題であると、僕は見ている。性別による理不尽な扱いももちろんだが、世代の上下による圧力と隷従、成功体験にすがる世代と、何もないところから出発せざるを得ない世代との対立。この国のあらゆる場面で、日々、こうした対立や葛藤が起きているのだ。

どれだけの言葉を尽くせば、過去の成功体験にすがる人たちの古い価値観を変えさせることができるのか。むなしい作業かもしれないが、いまこそ逆襲の時である。

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