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CODA

東日本大震災以後の坂本龍一の音楽と人生に迫ったドキュメンタリー映画「CODA」(2017年、監督:スティーブン・ノムラ・シブル)は、震災や反原発運動などと関わって取り上げられることが多いが、僕にとっては、大病を克服した坂本龍一の「老い」をテーマにしたドキュメンタリー映画である。

映画の中では、若い頃、それこそ、YMOのワールドツアーの頃や、「戦メリ」の頃の映像が登場するが、若い頃の「戦メリ」のテンポは、今の坂本龍一がピアノで奏でる「戦メリ」とはまるで違う。明らかに今の方がテンポが落ちているのである。

ピアノを弾いている後ろ姿に、老境にさしかかった坂本龍一の、ある種の境地、といったようなものが感じられる。

しかしそれは決して悲壮感漂うものではなく、むしろ老いるとはどういうことか、老いてどう生きるべきかについて、考えさせられる。

映画の中で、坂本龍一は、こんなエピソードを紹介している。

ベルナルド・ベルトリッチ監督の映画「シェルタリングスカイ」(日本公開1991年)の劇伴の音楽を、いままさにレコーディングしようとしていたときのこと。

40人ほどのオーケストラを前にリハーサルをしていたら、ベルトリッチ監督が、

「そのテーマ曲、気に入らないから、今すぐ書き直してくれ」

という。

「ちょっと待ってよ。これからレコーディングをやるんだよ」

いくら何でもそれは無理だよ、と坂本龍一が言うと、

「あ、そう。でもエンニオ・モリコーネはやってくれたよ」

と返され、「モリコーネがやったんだったら俺も」と、30分ほどでテーマ曲を全然違うものに書き直し、レコーディングしたという。

「それがまた、いい曲に仕上がったんだ」

ここまでが、この映画で語っていたこと。この話は、以前にも聞いたことがある。

この話には、後日談があることを思い出した。1994年に坂本龍一のソロアルバム「スイートリベンジ」が発売された頃に、坂本龍一が語っていたことである。

最初に書いた「シェルタリングスカイ」のテーマ曲が没になったことがあまりに悔しくて、自分のソロアルバムに収録することにした。それが「スイートリベンジ」という曲である。タイトルを「スイートリベンジ」としたのは、ベルナルド・ベルトリッチ監督に対するささやかな復讐の意味を込めたからだ、と語っていたことを思い出したのである。

で、この「スイートリベンジ」も、かなりいい曲なのだが、これを没にすると決断したベルトリッチ監督も、それをまったく違う曲に書き換えてベルトリッチ監督を満足させた坂本龍一も、なんかすげープロ意識だよなあと、そのときに思ったのだった。

だんだん思い出してきた。

アルバム「スイートリベンジ」の発売に合わせておこなわれた、武道館のコンサートに行った。1994年だから、まだ20代半ばくらいの頃のことである。

そのとき、高野寛がゲスト出演していて、「夢の中で会えるでしょう」を歌い、会場はえらく盛り上がった。そりゃそうだ、「スイートリベンジ」に収録されている楽曲の多くは、インストゥルメンタルなのだから。

高野寛が歌い終わったあと、坂本龍一が、

「僕の曲よりも盛り上がってる…」

とぼやいていたことを思い出した。

この機会に書いておくと、森友学園問題で政治家や官僚に翻弄され、自死した近畿財務局の職員・赤木俊夫さんが、坂本龍一の熱烈なファンだったという。妻の赤木雅子さんとジャーナリストの相澤冬樹さんが書いた『私は真実は知りたい』(文藝春秋、2020年)の中に、赤木さんが坂本龍一について書いた文章が転載されている。実直な性格が表れた、坂本龍一愛にあふれた文章である。

あの文章は、教授に届いただろうか。

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