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2021年4月

アカデミー賞改革

TBSラジオ「赤江珠緒 たまむすび」2021年4月27日(火)放送分の「アメリカ流れ者」のコーナーで、町山智浩さんが言っていたことが印象的だったので、心覚えに書いておく。

今年(2021年)の米国アカデミー作品賞は、『ノマドランド』に決まり、監督賞は『ノマドランド』を監督したクロエ・ジャオという、中国で生まれ、アメリカ合衆国で活動する女性の監督が受賞した。

考えてみればこれは、スゴいことである。

去年(2020年)は、韓国映画の『パラサイト』がアカデミー作品賞をとり、これもまた快挙であった。

なぜこういうことが起こったのか?

実は2015年のアカデミー賞で、ノミネートされた人が白人のしかも男性ばかりという事態になってしまった。このとき、アカデミー賞はものすごく批判されて、「一体、どうしてこんなひどいことになっているんだ?」ということで調べてみたら、その時のアカデミー会員の76パーセントが男性。94パーセントが白人。平均年齢が60歳ぐらいというすごい構成になっていたことがわかった。

で、「これはなんとかしなければ」ということで、アカデミー協会が世界中の人たちを対象に会員を増やしていったところ、5年後の現在は会員の40パーセントぐらいが非白人となり、女性の比率も45パーセントを超えた。

2015年の時には6000人ぐらいだった会員が、いまでは1万人くらいいる。4000人も増やしたのである。しかも、これまではハリウッドで働く人たちが主な投票者だったのが、いまではハリウッド以外のアジアやアフリカ、イスラム教国など、全世界の人たちを会員にしていった。もうすでにアカデミー賞はハリウッドの内輪の賞ではなく、世界を代表する映画人たちの投票によって決まる賞になったのである。だから『パラサイト』が去年、受賞し、今年は『ノマドランド』が受賞できたのである。

やはり意志を持って、その会員の人口比、人種比、国籍比みたいなのを変えていくということを示したことがこのような結果になった。つまり、変えようと思えば、変えられるのだ。変わったからこそ、こういう受賞結果になったのである。

ところで今回、フランシス・マクドーマンドさんが3回目の主演女優賞を『ノマドランド』で獲得したが、彼女が2回目に『スリー・ビルボード』で取った時、彼女は受賞のときに「Inclusion Rider」と言った。「Inclusion Rider」というのは、付加項目を契約条項に入れるという意味で、俳優たち、特にスターたちが映画に出る時に、かならずスタッフの中でマイノリティーや女性の比率を増やすよう努力をするという条件を作品のプロデューサーに飲ませるということをしてきたのである。

こうした地道な活動のおかげで、受賞した作品はもちろん、映画の内容自体も変わっていくことになった。つまり世界が変わっていったのである。これは、そのハリウッドという一職場だけの問題ではなくて、どこの職場でもできることである。そうしたことを、アカデミー賞の改革から学ぶことができるのだ。

…以上がラジオでのお話。

どこかでこの話が使えないだろうかと思い、忘れないうちに記録にとどめておく。

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五輪の悪口は言わない

4月28日(水)

今日も打ち合わせと書類書きであっという間に1日が終わった。しかも大型連休前ということもあり、駆け込みで提出しなければならない書類も多くて、さすがに疲れた。

ところで、自分の職場で、東京五輪のチケットを購入している人が何人かいることがわかったのは、ここ最近である。

僕はまったく興味がないので、チケットを買う人ってほんとうにいるんだ、と驚くばかりなのだが、いやむしろ、世の中には、オリンピックを純粋に楽しみにしていた人が多く、五輪反対派の僕などは少数派なのではないか、とすら思えてくる。

いつも物品購入の手続きなどでお世話になっているHさんも、そのひとりである。

たまたま今日、物品購入についての打ち合わせをしていると、オリンピックの話になった。

「これ、米国から取りよせることになるんですけど、こんな時節柄ですからねえ。コロナの影響で、納品は夏くらいになりそうです」

「そうですか。じゃあいまから発注しておいた方がいいですね。コロナがなかなかおさまりませんからねえ。夏ごろというと、オリンピックなんて、ほんとうにできるんですかねえ」

僕はちょっとオリンピックに対して批判的な感じで言おうとしたら、Hさんは少し悲しい顔をした。

「そうですねえ。せっかくチケットを買ったので、やってほしいんですけどねえ」

「えっ?チケットを買ったんですか?」

「ええ」

「高かったでしょう?」

「いえ、マイナーな競技ですから、そんなでもありません」

何度も「マイナーな競技」というものだから、気になって仕方がない。

「差し支えなければ、チケットを買った競技を教えてくれませんか?」

「…カヌーです」

「カヌー?!」

…たしかにマイナーな競技である。カヌーと言われて、そこから話を膨らませるのは至難の業である。

「どうしてまたカヌーを観ようと思ったんですか?」

「実はうちの子どもが、昨年まで中学生だったんですけど、カヌー部だったんです」

「カヌー部!」

「で、中学生最後の思い出に、ぜひオリンピックのカヌー競技を見せてやりたいと思いまして、それでチケットを買ったんです」

「なるほど」

それを聞いて僕は、ぼんやりとあることを思い出した。ずっと以前に聴いたTBSラジオ「伊集院光とらじおと」のゲストで、たしかリオ五輪のときに「何らかの船に関する競技」でメダルを取った日本人選手が出演していなかったっけ?あれはたしかカヌーだったような??内容はすっかり忘れてしまったが、そのときの話が意外とおもしろくて、スポーツ嫌いの僕でも、マイナースポーツを応援することも悪くないな、と感じたほどだった。

僕は当てずっぽうで言ってみた。

「たしかカヌーは、前回のオリンピックで日本人選手が話題になりませんでした?」

「そうです!羽根田卓也選手です。カヌーの中でもスラロームという競技で、日本人で初めて銅メダルを取ったんですよ」

「あのときけっこう話題になりましたよね」

よかった。当てずっぽうに言ったのに、奇跡的に会話がかみ合った。

(後で調べてみたら、羽根田卓也選手は、たしかに「伊集院光とらじおと」の2017年12月18日のゲストに出ていたのだった)

「子どもに、本物のカヌー競技を見せてやりたかったんですけどねえ。去年、オリンピックは1年延期が決まるし、子どもは高校になって別の部活に入ってしまうし…しかもそれがまたマイナーなスポーツで」

出た!またマイナーなスポーツ!気になって仕方がない。

「差し支えなければ、今度はなんの部活に入ったんですか?」

「…水球部です」

「水球部!」

これまたたしかに、地味な運動部である。というか、水球って団体競技ではないか。試合ができるくらいメンバーが揃っている、というのもすごい。

「どうしても水に縁があるみたいなんですよねえ」Hさんがなかば自嘲気味に言った。

「でもいまは部活動は自粛なんじゃないですか?」

「いえ、ソーシャルディスタンスをとりながらの陸トレをやっているみたいです」

「なるほど。ところで水球も、オリンピックの競技種目でしたっけ?」

「そうです」

そうか。マイナースポーツに惹かれるHさんのお子さんにとっては、オリンピックは自分のやっているスポーツが日の目を見る貴重な機会なのかもしれない。

本来ならば、そういう人にこそ、心をときめかせるオリンピックでなければならない。

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続・俺は何をやっているのか

俺は何をやっているのか

4月27日(火)

朝から、韓国が主催するオンライン国際会合に出席しなければならない。今月初めに急遽頼まれて、急いで資料を作成して先方に送っていた。僕の発表予定時間は午後3時25分からである。

だが今日の午前中は、職場のオンライン会議があり、もちろん職場の会議の方を優先しなくてはならない。午前中は、最初の40分だけ国際会合に出て、職場のオンライン会議のミーティングIDに切り替えた。

折しも、風雲急を告げる、というのか、3度目の緊急事態宣言が発出されたので、職場の同僚たちへ、どのような働き方をすればよいか、指針を示さなければならなくなった。

会議では、どうもそのあたりがあまり踏み込まれておらず、はっきり言えば、これまでとあんまり変わらない対応方針のようだった。

僕は思いきって、「フェーズ(Phase)が変わったんですよ」と言った。

「フェーズ」という言葉を、公の場で初めて使ってしまったぞ!恥ずかしい!

「フェーズ」と「Win-Win」だけは、絶対に使わないようにしようと思っていたのに、ついに使っちゃった。

すると、

「フェーズって何?」

という塩対応。

「つまり…局面が変わったんですよ!だからもう少し踏み込んだ対応にしないと…」

こういうのって、言い出しっぺがやらされるという鉄則がある。そういうわけで、これまでとは違う対応方針の原案作りをすることになったのであった。

予定では、午後イチから国際会合に参加する予定だったのだが、対応方針の作成の打合せをしているうちに自分の発表時間が近づいた。

打合せから戻ってパソコンの前に座る。あと30分くらいだな、と思っていると、なんと僕の前の発表予定者の一人が、Zoomの調子が悪いとかで音声が聞こえなくなり、その人の発表が後まわしになった。

…てことは、予定の時間よりも30分早まったってこと?

僕はギリギリで、自分の発表時間を迎えたのだった。あぶねえあぶねえ。

それでもなんとか無事に終わり、討論も乗り切った。

しかし、大事な国際会合を、こんな片手間な感じでやってしまっていいのだろうか。

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祝・助演女優賞!

4月25日(日)に米国のロサンゼルスで行われた第93回アカデミー賞の授賞式で、米映画「ミナリ」に出演した韓国の女優ユン・ヨジョンが助演女優賞のオスカーを手にした!

「ミナリ」は韓国系米国人のリー・アイザック・チョン監督が自身の体験を下敷きに、1980年代に希望を求めて米国に移住した韓国人一家の物語を描いた作品である。ユン・ヨジョンは娘夫婦と孫を手助けするため韓国から来たスンジャを演じた。ちなみに僕はまだ観ていない。

いやあ、めでたい!

僕はユン・ヨジョンが出ている作品をとくに観ているというわけではないのだが、「ホテリアー」(2001年)というドラマで、ホテルの社長役をしていたのが、たぶん最初に観た作品だと思う。「ホテリアー」は、ペ・ヨンジュンが出演していたドラマということで、当時話題になっていた。このとき同時に、キム・スンウやソン・ユナやソン・ヘギョという俳優の存在を知った。

そのあとは、映画「私たちの幸せな時間」(2006年)だったかな。カン・ドンウォンとイ・ナヨンの映画である。

で、強烈な印象を残したのは、僕が韓国留学中に観た、映画「女優たち」(2009年)であった。この映画の感想については、以前このブログに書いたことがある

そのとき僕は、ユン・ヨジョンを日本の女優だと加賀まりこにたとえたのだが、町山智浩さんは、樹木希林にたとえていた。たしかに、ユン・ヨジョンに匹敵する日本の名優は、樹木希林くらいなものだろう。ただ、樹木希林のような、飄々とした演技というより、勝ち気でプライドの高い役の演技に特徴があるのかな、とも思う。なにしろ僕は「ホテリアー」と「私たちの幸せな時間」と「女優たち」しか観ていないので、なんとも言えない。

なんにしても、韓国を代表する女優のひとり、ユン・ヨジョンがアカデミー助演女優賞を受賞したというのは、前回のソン・ガンホに引き続き、まことに嬉しいかぎりである。

映画のタイトルの「ミナリ」とは、韓国語で「芹」の意味。以前に慶州で食べた、「ミナリ」を大量に入れた鍋は、それはそれは美味しかった。そのときいっしょにその鍋を食べた偉い先生が、あまりの美味しさに、「絶対にミナリを日本に持って帰る!」といって聞かなかったのだが、「検疫に引っかかりますよ」という僕のひと言で、その先生は泣く泣く諦めた、という思い出がある。

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3度目の緊急事態宣言

4月25日(日)

今日から、3度目の緊急事態宣言である。

…でも、緊急事態宣言になると、具体的にどうなるのかがわからないし、我々がどんな心構えをすればいいのかも、よくわからない。

今日の午前11時頃、携帯のメールアドレスに、市役所からメールが来た。

何かの折に、自分の携帯電話のメールアドレスを市役所に登録したのだと思うが、市役所からは、けっこうな頻度でメールが来る。

そのほとんどが「市内でアポ電詐欺が発生しました!注意してください」みたいな、犯罪注意報みたいな内容である。

で、今日の午前11時頃に、市役所から来たメールは、

【新型コロナ】緊急事態宣言が発出されています。

という件名だった。

中を開いてみると、次のように書いてあった。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、東京都に緊急事態宣言が発出されています。 感染力が強い変異株も流行しています。感染拡大防止のため、日中を含めた不要不急の外出はお控えください。 一人ひとりの命を救うため、市民の皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

えっ?これだけ?

端的にまとめると、

「感染拡大防止のため、日中を含めた不要不急の外出はお控えください」

ということしか言っていないぞ。

これでは、何も言っていないに等しいではないか!

これを読んだ第一印象は、「なんともやる気のない緊急事態宣言だ」ということだった。「おまえ、ほんとうにやる気あんのか?」と小一時間問い詰めたいくらいの内容の薄さである。

よくこれで、市役所の公式メッセージとして市民に出そうと思ったな。

で、気になって、このたびの緊急事態宣言では、どのような要請が出ているのか、というのを調べてみた。東京都の公式ホームページや、それをまとめたニュースサイトなどをもとにまとめると、次のようになる。以下、引用がスゴーく長くなる。

「区域:都内全域

期間:令和3年4月25日(日曜日)0時から5月11日(火曜日)24時まで

実施内容の概要:新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、人流の抑制を最優先に、以下の要請を実施

都民向け:日中も含めた不要不急の外出・移動の自粛要請 等

事業者向け:施設の使用停止の要請(休業の要請)、施設の使用制限の要請(営業時間短縮の要請)、催物(イベント等)の開催制限等

都民向けの要請:日中も含めた不要不急の外出・移動の自粛(新型インフルエンザ等対策特別措置法第45条第1項)。医療機関への通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、必要な職場への出勤、屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要な場合を除き、原則として外出しないこと等を要請。

特に、以下のことについて徹底(法第45条第1項)①20時以降の不要不急の外出自粛②混雑している場所や時間を避けて行動すること③感染対策が徹底されていない飲食店等や休業要請又は営業時間短縮の要請に応じていない飲食店等の利用を厳に控えること④不要不急の都道府県間の移動は、極力控えること

事業者向けの要請

休業要請(1000平方メートル超の施設)

・映画館、プラネタリウム、ボウリング場、スポーツクラブ、ホットヨガ、ヨガスタジオ、マージャン店、パチンコ屋、ゲームセンター、博物館、美術館、科学館、記念館、水族館、動物園、植物園、個室ビデオ店、射的場、勝馬投票券発売所、場外車券売り場

・大規模小売店、ショッピングセンター、百貨店、スーパー、コンビニ、ドラッグストア、ホームセンター、家電量販店、自転車屋、本屋、衣料品店(生活必需品は除く)

・スーパー銭湯、ネイルサロン、エステティック業、リラクゼーション業(生活必需サービスは除く)

休業要請(酒類やカラオケ設備を提供する飲食店):キャバレー、ナイトクラブ、ダンスホール、スナック、バー、ダーツバー、パブなど食品衛生法の営業許可を取っている施設(提供しない場合は午後8時までの営業時間短縮を要請)

原則休業だが全国大会などでは無観客化を要請:体育館、スケート場、水泳場、屋内テニス場、柔剣道場

無観客開催を要請:劇場、観覧場、演芸場、集会場、公会堂、展示場、貸会議室、文化会館、多目的ホール、ホテルまたは旅館の集会に供する部分、テーマパーク、遊園地、野球場、ゴルフ場、陸上競技場、屋外テニス場、ゴルフ練習場、バッティング練習場

部活の自粛、オンラインの活用:幼稚園、小学校、中学校、高校、保育所、介護老人保健施設、大学

オンラインの活用:自動車教習所、学習塾

酒類提供の自粛を働きかけ:葬祭場

入場整理の働きかけ:図書館

入場整理、店舗での飲酒につながる酒類提供やカラオケ設備の使用自粛:銭湯、理容店、美容店、質屋、貸衣装店、クリーニング店など

入場整理、酒類提供やカラオケ設備使用の自粛働きかけ:マンガ喫茶、ネットカフェ

以上、引用終わり。

なんか、スゲーわかりにくくね?

揚げ足をとろうと思えば、いくらでもとれるんだけど、たとえば、「休業要請(1000平方メートル超の施設)」のところにある「射的場」って、何?都内に1000平方メートル超の射的場って存在するのだろうか?

あと、休業要請の対象に「自転車屋」とか「本屋」が入っているけど、何でだ?

「無観客開催を要請」のところに、「ゴルフ練習場」とか「バッティング練習場」が入っているけど、そもそも観客なんているのか?

「入場整理、店舗での飲酒につながる酒類提供やカラオケ設備の使用自粛」のところにある「理容店、美容店、質屋、貸衣装店、クリーニング店」とあるのも、よくわからない。

「オンラインの活用」のところに「自動車教習所」というのは、どういう意味だろう?むかし、「通信教育で空手を習う」という定番のジョークがあったけれど、それに近いものだろうか。あるいは、自動車の運転を体験するゲームか何かで教習を受けろということなのか…。

いや、そんなことどもよりも、僕がいちばん知りたいのは、テレワークについてである。

東京都の公式ホームページの中を探してみたが、テレワークについて言及しているのが見当たらない。都知事はどこかで「出勤を7割減らしてテレワークにする」みたいなことを言っていたような気がするが、あれは公式見解なのだろうか?

あと、午後8時以降は消灯するようにとの「灯火管制」を口走っていたように思うが、それも見当たらない。

ほんとうに知りたいことは、よくわからない。

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解放区

TBSラジオは好きだが、TBSテレビはあまり好きではない。

とくにイヤだったのは、土曜日の夜から日曜日の午後にかけてのTBSテレビの番組編成である。

以前、もう20年くらい前になると思うが、土曜日の夜10時に、「ブロードキャスター」という番組をやっていて、その中に「お父さんのためのワイドショー講座」というコーナーがあった。

平日の昼間、仕事のためにワイドショーを見ることができない「お父さん」のために、女性タレントがその週に放送されたワイドショーの話題をコンパクトに伝えるという趣旨の内容で、つまりは、「お母さんは主婦なので昼間にワイドショーを見ているが、仕事で忙しいお父さんはワイドショーを見ることができない。でもワイドショーの話題についていけないと、世間に乗り遅れますよ。だからお父さんのために教えて差し上げるのです」という、いまのジェンダー観からすれば明らかに炎上するであろうことを、平然とやっていたのだ。そのコーナーの司会が女性だったのも、「女性はワイドショーの話題に詳しい」という、これまた昭和的なステレオタイプのジェンダー観にもとづいたキャスティングだった。

で、次は日曜日朝の「サンデーモーニング」である。この中に、プロ野球界のレジェンド的存在のOBが、あらゆるジャンルのスポーツに対して、何の権限なのか、「アッパレ!」とか「喝!」とかを判定するコーナーがある。まじめなニュースの合間に、スポーツ好きの「お父さん」に楽しんでもらう意図なのだろうか。僕はスポーツ観戦嫌いだし、何より「喝!」と叫ぶそのプロ野球界のレジェンドが、家父長制の権化みたいな存在に見えてしまい、このコーナーだけはどうしても見ることができない。

で、極めつけは、「噂の東京マガジン」である。出演者はアシスタントの女性ひとりを除いて、全員がアラフォー以上の男性。この番組の中に、道行く若い女性に料理を作らせて、うまく作れない女性に対して、スタジオで男性出演者たちが笑い、最後はプロの男性料理人が、正しい料理の作り方を伝授する、というコーナーがあった。これを見て、多くの男性視聴者たちは、溜飲を下げたのだろうか。よくわからない。

つまり、土曜の夜から日曜日のお昼過ぎまでの「ブロードキャスター」→「サンデーモーニング」→「噂の東京マガジン」というTBSテレビの番組の流れは、昭和のおじさん目線で作られた、「昭和のおじさんの解放区」だったのである。現在は、「ブロードキャスター」は終了し、「噂の東京マガジン」はBSに移転したようだが、「サンデーモーニング」の「喝!」のコーナーはいまだに健在である。

加えて最近は、日曜夜の「日曜劇場」で、「半沢直樹」みたいな、これまた昭和のおじさん目線的なドラマが作られてしているので、いまもなお土曜から日曜にかけての「昭和のおじさんの解放区」の名残をとどめているのである。

…こんなことを書いたのは、テレビ東京の、金曜夜というか深夜に、ジェーン・スー原作のドラマ「生きるとか死ぬとか父親とか」と、朝井麻由美原作のドラマ「ソロ活女子のススメ」を立て続けに観たからである。前者はTBSラジオリスナーの「業(ごう)」として、もともと観ることにしていたのだが、その流れでたまたま観た「ソロ活女子のススメ」がかなりおもしろかった。主人公の独身女性が、仕事のあとに、誰にも邪魔されることなく、さまざまなソロ活をするという物語で、テイストとしては、「孤独のグルメ」に近い。

二つのドラマは、男女問わず、1週間の仕事が終わったあとに観るドラマとして、ちょうどいい温度のドラマなのだ。ジェーン・スーさんが言うところの、「今週もよくぞ、よくぞ金曜日までたどり着きました!」という開放感に浸ることができるのである。

つまり、TBSテレビの土曜夜~日曜午後までが、昭和的おじさんの解放区であるのとはまったく別の意味で、テレビ東京の金曜深夜のドラマは、平日に働いているいまどきの人たちの解放区となっているのではないだろうか。

TBSラジオの顔ともいえるジェーン・スー原作のドラマが、なぜかTBSテレビでドラマ化されずに、テレビ東京でドラマ化されたという、一見して不思議に思える現象が起こったのは、そのようなことで説明がつくと思う。

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またTBSラジオの話かよ!

4月21日(水)

昨日から関西入りして、今日と明日は緊張を強いられる仕事である。

折しもこの県は過去最多の感染者数を記録したばかりなので、とにかく不安しかない。

通常よりももう少し人数は減らせなかったのだろうか、と思いたくなるのだが、人数を減らすと作業ペースが落ち、さらに滞在時間が長くなることになるので、なかなか難しいところである。

感染対策はできる限りとっているつもりだが、それでもかなり緻密な作業なので、人と人との距離をとることも難しい。

職人的な作業あり、儀式的な作業ありで、夕方にはすっかり疲れてしまい、ホテルに戻ったら何のやる気もなくなってしまった。

メールをチェックすると、職場から問い合わせのメールが来ていて、その返信を書くのもひどく億劫だったのだが、書かないわけにもいかず、返信を書いた。仕事のメールって本当に暴力的だ。最近はメール恐怖症である。

そういえば、ジェーン・スーと堀井美香アナの「OVER THE SUN」というポッドキャスト番組を、いちど聴いてみなくちゃと思いながらなかなか聴く機会がなかったのだが、ようやく聴いてみることにした。もっとも僕の場合は、ラジオクラウドで聴いたのだが。

もともとTBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」の金曜日のコンビだったのだが、昨年9月末に、番組が月~木に縮小されてしまって、スー&堀井コンビが聴けなくなってしまった。各曜日の中で、この二人がいちばん相性が合っていると思っていただけに、残念だったのだが、ポッドキャスト番組で復活したのだった。いま「武田砂鉄&澤田大樹記者コンビ」と、「ジェーン・スー&堀井美香アナコンビ」が、TBSラジオを二分する最強コンビといっても過言ではない。

毎週金曜日の夕方5時に配信されているみたいで、「今週もよくぞ、よくぞ金曜日までたどり着きました!」というスーさんのセリフがここで復活しているのがうれしい。

ということは、この番組は金曜日に聴かないとダメだということだな。

「よくぞ金曜日までたどり着きました」ではじまる「OVER THE SUN」と、「来週の金曜日までご無事にお過ごしください」で終わる「アシタノカレッジ 金曜日」アフタートークを聴けば、最強だな。

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複眼で見よ

本田靖春『複眼で見よ』(河出文庫)を読むと、ジャーナリストの本田靖春が生きていた時代のメディアの状況と、今のメディアの状況が、まったくといっていいほど変わっていないことがわかる。

冒頭の「テレビとは面白ければそれでいいのか」というエッセイに、次のようなエピソードがある。

本田は吉展ちゃん誘拐事件をテーマにして『誘拐』というノンフィクションを書いた関係で、誘拐事件が起きるたびに、マスコミにコメントを求められるようになった。ある時、電話のベルが鳴ったので受話器を取ると、あるテレビ局からだった。

女性の声で「少々お待ちください」といわれて待っていたが、待てど暮らせど先方が出ない。「もしもし」と繰り返すうち、やっと男性の声で、

「誰に用?」

と聞いてきた。

「そちらがおかけになったんですよ」

「あんた誰?」

失礼な話だが、

「東京の本田と申しますが」

と丁寧に答えると、その男性は、

「おーい、東京の本田っていうのが電話に出てるぞ」

と周囲に向かって叫び、ややあって、別の男性が電話を代わった。

「本田さんは吉展ちゃん事件の本をお書きになったそうですね。何という本ですか」

「『誘拐』です」

「ああ、そうですか。私は読んでないものですから。ところで…」

といって、いきなりテレビの出演交渉を始めたので、「ばかもの」といって電話を切ったという。

なんとも失礼な話だが、これと似たようなことは、僕も経験している。以前、テレビ番組の制作会社から電話があり、

「ネットで調べたんですけど、鬼瓦先生は○○についてお書きになっていますね」

「はぁ」

「ではうちの番組で○○についてコメントしていただけませんか」

僕は即座に断った。そのディレクターは、僕の本を読んでいるわけでもないし、そもそもコメントすべき対象は、僕とは何の関係もないものであったからである。

むかしっから、テレビってのは、そういう作り方をしているんだなあ。

新聞の取材も、これに近いことが多い。いずれも、短い時間で番組なり紙面なりを作らなければいけないので、どうしてもそうなってしまうのだろう。

そこへいくとラジオは違った。

僕は以前に1度だけ、ラジオに出演したことがあるのだが、そのきっかけとなったのは、そのラジオ番組の司会をしているベテランのアナウンサーさんが、僕の本を読んでくれて、面白いと思ってくれたようで、それで番組へのオファーが来たのである。

ベテランのアナウンサーは事前に周到な準備をしていたこともあり、進行は名人芸とも呼べるもので、ド素人の僕も安心して30分×4回の番組の収録を滞りなく終えることができたのだった。あの音源はどこにいってしまったか…。

僕がラジオというメディアを信用しているのは、その経験があることにもよる。

さて、本田靖春のこの本は、本田の死後にまとめられたエッセイ集だが、その編集を担当したのが、当時河出書房新社の編集者だった武田砂鉄氏であった。巻末には、まだ20代後半の編集者だった彼の「編集付記」(2011年)が掲載されているが、この文章が泣けるほどすばらしい。

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○○の業(ごう)

4月20日(火)

午後、新年度最初の全体会議をなんとか無事に乗り越えた。

…にしても、身体がツラいツラい。午前の会議では、Zoomの画面に顔出しをしているにもかかわらず、ウツラウツラしてしまった。というか、よく居眠り運転もせずに2時間以上かけて出勤できたものだ。

明らかに寝不足なのだろう。だったらブログを書くのを休めばいいのだが、これが神田伯山がいうところの、「物書きの業(ごう)」なのだろう。

最近、ラジオで講談師の神田伯山先生が、「○○の業(ごう)」という言葉を多用していて可笑しかった。伊集院光氏を「喋り手の業」と言っていたのはわかるとしても、松尾貴史氏を「キッチュの業」と言ったのは、もはやナンダカワカラナくてたまらなく可笑しい。

伯山先生が「○○の業」を多用したがるのは、「落語とは、人間の業(ごう)の肯定である」という立川談志の名言の影響を受けたものであろう。

ここでいう「業」とは何か?

僕なりの解釈をすると、「そうせずにはいられない行為」みたいなことだろうか。

伯山先生が伊集院さんのことを「喋り手の業」と言ったのは、「どんなに自分にとってマイナスなことであっても、それについて喋らずにはいられない」という伊集院さんの「喋り」に対する姿勢を述べたものである。

松尾貴史さんを「キッチュの業」と言ったのも、ふだん、どんなに政治的に正しい発言をしても、ふとした瞬間に、タレント「キッチュ」の本質出てきて、キッチュとしてふるまわずにはいられないことを、そのように表現したのだと思う(わかりにくい)。

芥川龍之介の「地獄変」だとか、ゴッホが自画像をうまく描けなくて自分の耳を切り落とすとかいったことは、「画家の業」なのだろう。

ついつい酒を飲んじゃうとか、博打をしちゃうとか、仕事をさぼっちゃうとか、人間がついついそうしてしまう「業」を、落語は肯定しているのである、というのが、先の談志師匠の言葉なのだろうと思う。

こう書くと、「落語は人間の弱さを肯定しているのだ」という意味になりかねないが、それは違う。

無類の博打好きが高じて仕事もせずに借金を抱えた長兵衛。なんとか50両のお金を工面して改心しようとするが、帰り道に吾妻橋で、身投げしようとしている若者・文七に出会う。わけを聞くと、さる屋敷へお使いを頼まれて集金した帰りに50両の大金をすられたので、死んでお詫びをしようというところだった。「死んでお詫びを」「いや、死なせねぇ」と押し問答が続いた後、長兵衛は、自分の娘のお久が身を売って工面してくれた50両を文七に渡し、逃げるように帰ってゆく。

この「文七元結」を初めて聴いたとき、長兵衛はなんとバカなんだろう、せっかく工面した50両を、後先考えずに、見ず知らずの他人に渡すバカがどこにいるよ!と思ったのだが、これは、いくらバカだと言われても、長兵衛がそうせずにはいられなかったのだから仕方がない。これが長兵衛の「業」である。

それでも落語は優しい。最後はハッピーエンドとなり、つまり落語は、長兵衛の業を肯定したのである。

人間は、自分の業を肯定して生きるしかないのだと、落語は教えてくれる。

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井上ひさしか徳川夢声か

さすが、うまいですなあ、こぶぎさんは。

こっちはあんまり考える余裕がなくて、なんのひねりもない漫才風台本を書いてしまったのだが、こぶぎさんは「目黒のさんま」でうまくまとめやがった。やりやがったな(談志風に)。

ちょっと前に「らくだ」をパロディーにした「ごりん」という落語を考えたのだが、ちょっとあれもストレートすぎたかな。あれはもともと、「東京五輪は開催前にすでに死んでいて、死んでしまった五輪をどうやって開催するかを考えているのが今の段階だ」というある識者の意見を聞いて、「なるほど、まるで『らくだ』の世界だな」というところから発想して、作ったのだった。

20210418s00042000174000p_thum 今回は、この1枚の写真から発想して考えてみたのだが、同じ写真からでも、僕とこぶぎさんが全然違う発想で物語を作り上げるというのがおもしろい。だからこのブログをやめたくてもやめられないのだ。

そういえば、むかしから、コント作家に憧れていたなあ。

いまのお笑い芸人は、自分でネタを考えるのがふつうだと思うのだが、少し前までは、コント作家が台本を考えているケースがけっこうあった。

「てんぷくトリオ」には井上ひさしがコント台本を書いていたし、「シティーボーイズ」にも一時期、三木聡という天才的なコント作家がついていた。

漫才だって、いとしこいしのネタは、漫才作家の台本によるものだ。テレビでいとこい先生の漫才が始まると、「作・○○○○」と、作家の名前がテロップで出ていた。

僕はそういうのに憧れていたのだが、いまのお笑い芸人の、クオリティーの高いコントなんかを見ちゃうと、とてもではないが恥ずかしくてコント台本なんぞ作れないな。

何にも趣味がないのでどうしようと困っているのだが、趣味にしたいなあといま漠然と考えているのは、「朗読」「音読」である。

自分が好きな小説なりエッセイなりを朗読して、それを配信してYouTuberになる、という野望があるのだが、はたしてどうだろう。

手始めに、TBSの堀井美香アナの『音読教室 現役アナウンサーが教える 教科書を読んで言葉を楽しむテクニック』(カンゼン) でも読んでみるか。

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会談

「大統領!」

「何だ?」

「いま、先方の外務省から連絡が来て、いまからそっちに行くと」

「何だって?こんなコロナが蔓延している時期に対面会合だと?正気の沙汰とは思えん。しかも私も先方も年寄りだぞ!リモートでできんのか?」

「はあ、しかし先方がどうしてもというもので…」

「わけがわからん」

「しかも、80人来るそうです」

「80人?密だ密密密!」

「で、これは申し上げにくいのですが…」

「何だ?」

「ぜひ晩餐会をしてほしいと…」

「バカか?この時期、晩餐会をするバカがどこにいる?」

「はぁ、それがどうにもしつこくて」

「なんで晩餐会なんかしたがるんだ?」

「ええ、何でも先方の国では、会食しないと話し合いができないという風習があるそうで」

「どんな土俗的な風習だよ!」

「どうやらそれが世界の常識だと思い込んでいるようで…」

「うーむ。じゃあ英語が話せるのか?」

「いえ、まったく話せないそうです。しかも先方のリーダーってのが、とにかく座持ちの悪い人だそうで…」

「なんだよ!じゃあ会食する意味なんかないじゃん!」

「いかがしましょう?」

「そんなもん、クラスターが起こるぞ!晩餐会は中止だ中止!」

「しかしそれでは先方の顔が立ちません」

「じゃあ、最初に1対1で挨拶するときに、形ばかりの食事を出そう」

「そうすると、時間的にはランチになりますね」

「…そうだな…。ほら、前任のヤツがやってただろう?」

「なんです?」

「ビジネスランチとか体裁のいいことをいって、ハンバーガー食べてただろ」

「ああ、そうでした」

「あれでお茶を濁そう」

「なるほど、それはいい考えですね。ハンバーガーだったらシェフの手をわずらわせないし」

「それに前例もあるしな。失礼には当たらないぞ」

「これは一石二鳥ですね」

「ただし俺は食わんぞ。マスクを外してハンバーガーを食べながら談笑したなんていったら、世界中の恥さらしだ。国民にも示しがつかん」

「おっしゃるとおりです」

「むしろマスクを二重にする!」

「それがよろしいかと」

…………………

1対1の会談は約20分間行われ、家族や人生経験などプライベートの話題が中心となったという。ただ、首相は「(ハンバーガーに)全く手をつけないで終わってしまった。そのぐらい熱中していた」と記者団に語った。(○○新聞)

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出口なし

来週は関西出張があり、気が重い。

これが自分一人の問題なら、当然キャンセルするところなのだが、だいぶ前から日程が決められていて、しかも先方の意向もあるので、断るわけにもいかない。同じ出張に行く年上の人に、「考え直しましょうよ」とも言い出しづらい。先方からも、「感染に十分に注意してお越しください」と言われたが、どこをどう注意したらいいのか?

このご時世に、県をまたいだ出張に行くことに比較的抵抗がない人が多いことに驚いている。自分だけは大丈夫なのだろう、という思いが積もり積もって、かなりの数の人が、移動しているのではないだろうか。

東京都知事が、「(都外から都内に勤務している人は)東京に来ないでください」と突然訴えていたが、唐突にそんなことを言われて、それを守る人や会社は、ほとんどないだろう。たとえば僕が、都知事の訴えを真に受けて会社に行かなかったとしたら、「おまえ、馬鹿じゃねえの」と言われるのがオチである。

SNSで、首都圏在住の人だと思うのだが、「大学はなぜ対面授業をしないのか。娘を見ているとかわいそうだ。大学生にとっては、在学中の1年1年が大切な思い出なのだから、それができないのはかわいそうだ。マスクをして授業を受けている分には感染の心配はないのに。」といったような書き込みがあって、僕は複雑な気持ちになった。大学に行ったら行ったで、授業を聴いているときはたとえ黙っているとしても、それ以外の時間は、友だちとの会話に花が咲く。お昼ご飯だってお喋りしながら食べたいだろう。もちろんそれは、学生生活にとってかけがえのない時間なのかもしれないが、感染のリスクを高めることになりはしないだろうか。

「アスリートががんばっているのだから、今年の夏こそスポーツの大型イベントを開催するべきだ。そうでないとせっかくがんばっているアスリートがかわいそうだ」という空気にも、モヤモヤする。

「かわいそう」なのは、いったい誰なのだろう?

昨日、都内でのひとり合宿が終わり、帰宅までの時間、少しばかり都内を散歩した。ちょうど会社がお昼休みの時間になったようで、たくさんの背広を着たサラリーマン風の男性が歩いていたのだが、僕が驚いたのは、何人か連れだってお昼を食べに行く人が、非常に多かったことである。目当てのお店に行く道すがら、その人たちは大きな声で会話をしている。お店に入っても、おそらくマスクを外して大きな声で会話をしながら食事をしているのだろう。いまだにその生活様式を変えようとしない人がいることに、僕は恐ろしくなってしまった。

休憩するために、少し広めの喫茶店に入ると、案の定、マスクを外して5人以上で会話をしているグループがいた。こういうことをいちいち書くと、なんとか警察と言われるのだろうか。

僕は、これを機に、社会の無駄な慣習が淘汰されていくことを望んでいる者だが、本当の意味で「新しい生活様式」が実現するのは、いつのことだろう。

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他者と交わらぬ想い

4月15日(木)

ひとり合宿の2冊目は、土門蘭『戦争と五人の女』(文鳥社、2019年)である。

知り合いの編んだ本で紹介されていたので、読んでみることにした。

広島県呉市朝日町の遊郭街を舞台に、朝鮮戦争の休戦間近の1953年7月の1か月を描いた小説。登場するのは、さまざまな事情を抱えた5人の女性である。

僕自身のきわめて乏しい小説読書体験に引きつけていうと、この本を読んで、福永武彦の小説『忘却の河』を思い出した。僕の大好きな小説で、福永作品の中でもかなりの傑作である。

同じ時期に、同じ場所で暮らす人々。複雑な人間関係が交錯する。それぞれがどのような想いで生きているのか、あるいは、どのような想いで他者を見つめているのか。人々の想いは、時にすれ違い、時に重なり合う。

それを小説の技法として極めたものが、福永武彦の『忘却の河』である。

各章ごとに語りの主体が変わり、それぞれの独白という形で物語が進んでいく。それぞれが独立した物語でもあるし、全体を通すとそれは連作小説でもある。

それらを通じて、他者が決して知ることのできない個人の想いというものに、読者は気づかされるのである。

『戦争と五人の女』も、まさにそういう小説である。

的外れな感想かもしれないが、心覚えのために書いておく。

ちなみにこの本は装丁にも非常に凝っていて、地味だがとてもよく手になじむ作りになっている。

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俺は社長じゃない!

4月15日(木)

ひとり合宿2日目。

だいたい、3か月に1度くらいの周期で、都内でひとり合宿を行っていて、今回で通算9回目である。

いつもは4階の部屋なのだが、今回は3階の部屋である。3階の部屋は、初めてではないだろうか。

驚いたのは、部屋のトイレにウォシュレットがついていたことである。いままではついていなかった。

新しくウォシュレットをつけたのか、それとも3階の部屋だけにはウォシュレットがついているのかは、不明である。

アンケートに書いたっけなあ?

以前、出される食事の中に鯖の味噌にだか焼き鯖だかが出たことがあって、アンケート用紙に、

「身体が弱っている時に鯖はちょっと…」

と書いたら、それから食事に鯖が出ることはなくなった。

まあそんなことはともかく。

9回目なので、もう看護師さんの間では、僕の「血管の出なさ加減」については、情報が共有されているようである。

なので僕を担当する看護師さんは、戦々恐々としているようだ。

まず、1日目の晩にリハーサルをするのだ。

夜勤の看護師さんが夜8時半頃やってきて、僕の両腕の様子をたしかめ、いわばイメージトレーニングするという。

右手に点滴針をさすか、左手に点滴針をさすか。どちらかの腕に決まったとして、腕のどの部分に点滴の注射針を入れるかを、あらかじめ決めておきたいようである。そうしないと、次の日の朝、限られた時間でスムーズに針をさせるかどうかが不安でならないようなのだ。

僕は手をグーパーグーパーしながら、なるべく血管が出るようにして、看護師さんがそれを確かめる。

右腕と左腕を交互にそして入念に確かめたあげく、

「右腕にしましょう。明日の本番では時間がかかるかもしれませんので、朝5時半に起きてください」

「わかりました」

翌朝5時45分。看護師さんが来た。

「昨日はよく眠れましたか?」

「うーん、どうでしょう」

「ものすごい鼾をかいていらっしゃいましたね。それに寝返りも頻繁にうってました」

「そうでしたか」

「眠りが浅かったんじゃないですか?」

「そうかもしれません」

「湯たんぽを持ってきました」

「湯たんぽ?」

「これを右腕の下に置かせてください」

「どうしてです?」

「こうすれば血管が出やすいんです」

ほんとかよ!気休めじゃないのか?

でもそこまでしないと、俺の血管は出てこないと、看護師さんは本気で考えたらしい。苦肉の策である。

湯たんぽの上に右腕を乗せ、僕は右手をグーパーグーパーしながら、看護師さんが必死に血管を探している様子を見ていた。

「おかしいわねえ」

血管が見つからないらしい。

「左腕も念のため見せてください」

今度は左手をグーパーグーギーパーした。

「左腕にしましょう」

えええええぇぇぇっ!!!

昨晩のリハーサルは何だったんだ???それにわざわざ用意した湯たんぽは何だったんだ???

なんとか左腕に点滴針が入った。

治療室に行く道すがら、看護婦さんが言った。

「そのCDは、どんなジャンルの音楽です?」

治療室でかけてもらうCDを、僕は家から持ってきていた。

「ジャズです。渡辺貞夫です」

「ワタナベサダオ、知りませんねえ」

「知らないんですか?世界的に有名なミュージシャンですよ」

「そうでしたか。覚えておきます。…そういえば鬼瓦さんって、イベント会社の社長さんなんですよね」

「社長?」僕は不意の質問にビックリした。

「社長さんだって、看護師のみんなで話していたところですよ」

書類には職場の名称を書く欄があるので、職場が知られることは覚悟していたが、なんで俺が社長ということになっているんだ?

「社長じゃありませんよ。たんなる中間管理職です」

「そうでしたか…」

まったく、そんな根も葉もないことを誰が言い出したのだろう?

治療が終わって部屋に戻ると、今度は昼勤の看護師さんに交替していた。以前も何度か担当してもらったことのある、ベテランの看護師さんである。

「鬼瓦さんの職場って、建物が大きいでしょう」

「ええ」

「1度行ったことがありますよ。1日ではとても見きれなかったです」

「そうでしたか」

なんと、うちの職場に来たことのある看護師さんまでいた!

うーむ。これは困った。もう完全に面が割れてしまっている。

こうなるともう、アンケートに「体調の悪い時に鯖を出すな」とか、「ウォシュレットをつけろ」みたいな意見は書けない。

いちばん困ったことは、僕の鼾の音の大きさが尋常ではないことが、すでに看護師さんの間で共有されてしまっていることなのである。

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何度でも訪れたくなる

4月14日(水)

恒例のひとり合宿である。

抗原検査は陰性だったので、晴れてひとり合宿が認められた。

僕にとっては、職場のことを気にしなくてもよい3日間なのであるが、それでも職場からひっきりなしにメールが届き、「添付の書類の確認をお願いします」とあるので、いちいち確認しなければならない。まあそういう役目なので仕方がない。

ひとり合宿のときには、できるだけ職場の仕事のことは考えず、本を読むことにしているのだが、今回まず読んだのは、戦場ジャーナリストの桜木武史さんが文章を書き、『ペリリュー』でおなじみの武田一義さんが漫画を描いた『シリアの戦争で友だちが死んだ』(ポプラ社、2021年)である。

少し前に、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」の「大竹メインディッシュ」のコーナーのゲストで桜木さんが出演していて、その話がとても惹かれる内容だったのと、文章に添えて武田一義さんが漫画を描いているということに惹かれて、読むことにしたのである。

桜木さんは戦場ジャーナリストなのだが、それだけでは生活できないので、ふだんはトラックの運転手をして生計を立てている。で、あるていどお金が貯まると、戦場に取材に行くというのである。だが、戦場で取材したことを記事にしても、それだけで食べていくことはできないので、次の取材ができるようになるまで、やはりトラックの運転手の仕事をする。

こうなると、職業は戦場カメラマンなのか、トラックの運転手なのか、厳密な定義に即して考えようとすると難しくなるわけだが、要はどこに自分のアイデンティティーを求めるか、という問題なのだろう。以前に読んだ『石の肺』の作者、佐伯一麦さんも、数々の文学賞をもらっているにもかかわらず、小説だけでは食べていけないので電気の配線工事の仕事で生計を立てていたというし、本当に好きでないと、そういう生き方はできないなあと、我が身を振り返ってふがいなさを反省することしきりである。

この本で描かれているシリアの状況は、それはそれは酷いものである。桜木さん自身も、取材中に戦闘に巻き込まれて、銃弾を右下顎に受けて顎を粉砕してしまう。まさに死と隣り合わせの経験を何度もしているのである。

それにもかかわらず、シリアに何度も足を運びたいというのだ。これだけ酷い目に遭っても、なぜまたシリアに行きたいと思うのだろう。

僕の友人の中にも、かなりツラい思いをしているにもかかわらず、同じ国に何度も行ったり、さらにはそこに住み着いたりする人がいたりする。かくいう僕も、韓国がそれにあたるだろう。

僕の場合は、いっぺん見てしまったものは、見届けなければならないという心理がはたらいているような気がする。ジャーナリストはそこからさらに進んで、自分が見届けたからには、それを伝えたいということなのだろうと思う。

文章の間にはさまれる、武田一義さんの漫画が、桜田さんの文体とマッチしていて、とてもよい。

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俺は何をやっているのか

4月12日(月)

先週の水曜(4月7日)、都内で会合があった折に、偉い先生から、

「4月27日に韓国が主催するオンライン国際会合で、15分でも20分でもいいので発表してください」

と言われた。なんとも寝耳に水の話である。

僕が逡巡をしていると、

「あとで事務局に伝えます。追って事務局から連絡が来ると思いますので、よろしく」

おいおい!そんな乱暴な!

そもそもその国際会合は、半年くらい前から計画を練って、当日の発表者も人選していたんじゃないか?当然、当日のタイムテーブルも決まっているはずである。

それを20日前に変更するなんてことして大丈夫なのか?東京五輪じゃないんだから。

するとその翌日に、事務局をしている韓国の方からメールが来た。当日の午後3時頃から25分ほど時間をとってくれるらしい。急遽作り替えたと思われるタイムテーブルが添付されていた。

短い内容のメールだったが、行間から、いきなり偉い先生に言われてタイムテーブルの変更を余儀なくされたことへの困惑した気持ちが感じられた。

(俺がごり押しして発表を希望した感じになっていないだろうか?)

と僕は少し心配になったが、考えても仕方がない。

それよりも心配なのは、いつまでに原稿を出したらいいのか、という肝心な情報が、まるでないことである。ま、いつものことといえばいつものことなのだが、僕はこれまでの経験と与えられた発表時間から類推して、原稿の量を考えた。

原稿だけではない。これまでの経験によると、原稿そのものは翻訳されず、要旨だけが中国語や韓国語に翻訳されている。ということは、原稿と一緒に要旨も書いて提出しなければならないのではないだろうか?

あくまでも僕の推測なのだが、何の連絡も来ない以上、僕の推測に任せて原稿と要旨を作るしかない。

いろいろと逆算してみると、今日のうちに原稿と要旨を提出しなければならないのではないか(これも僕の推測)という結論になり、僕は今日一日かけて、原稿を作ることにした。

原稿といっても、文章原稿を6000字程度のほかに、図版10点くらいを準備しなければならない。

この図版がまたたいへんである。原稿の内容に合う図版を見つけてきて、片っ端からスキャンして、トリミングして、その中から選択して、レイアウトする。この作業がとてもめんどくさい。

原稿もまた面倒である。書き殴ってよいものではなく、いずれ翻訳される可能性もあるし、文化的差異もあるので、そうしたことに配慮した書き方をしなければならない。こっちではあたりまえと思っている知識が、むこうではまったく知られていない、なんてことはざらだからね。

そんなこんなで悪戦苦闘して、なんとか6000字弱の原稿と1000字程度の要旨を仕上げ、10点程度の図版をレイアウトしたものを付けて、先方にメールで送信した。

はっきり言って、かなりのやっつけ仕事である。

今日はこれしかできなかった。まったく俺は何をやっているのか?

しかし、早くこの仕事から逃れたいと思っていたので、やれやれである。僕は先方に、「原稿の提出先や締切や分量など何も教えていただいてないので、とりあえずこちらで考えたものをお送りします」と、なかばイヤミを書いてお送りした。

やれやれと思っていたら、韓国の事務局の方から連絡が来た。

「中国の○○先生から突然連絡が来て、自分も発表したいと希望されましたので、やむを得ずタイムテーブルを変更いたします。これが最終版のプログラムです」

今度は明らかに困惑した様子がメールからうかがえた。

僕の発表時間は、その先生のおかげでさらに30分ほど後ろ倒しされることになった。

ま、想定内だから別に驚かない。「これが最終版のプログラムです」といったが、本当に最終版なのか、安心はできない。

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これでも映画か?

大林宣彦監督の遺作「海辺の映画館 キネマの玉手箱」は、これまでの大林作品の清濁をすべて併せ呑んだような映画である。

清濁の「濁」のほうについてみると。

映画の中で、「男装の麗人」といわれた川島芳子が登場する場面がある。川島芳子に好意を持つ男性が、川島芳子にピストルで殺されるというところで、「好きです、芳子さん」というセリフが入る。これって、明らかに林家三平の「好きです(ヨシコさん)」の歌のパロディーだよね。

僕は見ていて、「ここでパロディー?」と、正直言って面食らったのであるが、これはたぶん、映画「金田一耕助の冒険」に通じる、監督のパロディー精神からきたものだと思う。

映画「金田一耕助の冒険」は、大林作品の中でも、賛否両論がある作品である。そもそも、当時のキャッチコピーが「これでも映画か?」とあるほど、はっきり言ってふざけた作品だった。

映画の中では、ありとあらゆるパロディーが炸裂する。もともと大林監督はテレビCMの演出をやってこられたので、映画の中で、そのパロディーを縦横無尽に駆使したのである。

結果、怪作というか、珍作ともいうべき映画が完成した。おそらく金田一映画ファンには噴飯物だったろうと思うが、なんともエネルギーに満ちあふれた映画である。

僕は「好きです、芳子さん」のセリフを聞いて、「金田一耕助の冒険」のパロディー精神を思い出したのである。

もう一つ、「海辺の映画館 キネマの玉手箱」では、ミュージカルシーンが登場する。

これも唐突で、面食らう場面だと思うのだが、これは映画「漂流教室」を彷彿とさせる。大林宣彦監督の映画で、劇中にミュージカルシーンが登場するのは、おそらく「漂流教室」だけだったと思う。

で、映画「漂流教室」は、大林作品の中でも、ほとんど封印されているといってもいいほどの珍作である。僕は大林監督ファンであると同時に楳図かずおファンなのだが、さすがにこの映画には戸惑いを抱かざるを得なかった。

のちに聞くところでは、映画の制作会社といろいろとトラブルがあり、開き直ってああいう作品になったのだということのようだった。

僕にとって、大林映画の中の「珍作3部作」は、「金田一耕助の冒険」「ねらわれた学園」「漂流教室」なのだが、「海辺の映画館 キネマの玉手箱」の中には、大林映画の「濁」の部分ともいうべき映画までをも取り入れ、文字通りの集大成になっているのである。

「キネマの玉手箱」の「玉手箱」という意味は、そういうことなのだろうと思う。

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俺は何を調べているのか?

前回のようなタイプの文章を書くのが、一番好きである。「どーでもいい知識や教養を脈絡もなく組み合わせて書く文章」といったらよいか。

いつも、着地点を決めずに書き始めるのだが、前回は、実際に書いている途中で、手塚治虫の『ロストワールド』のことを急に思い出した。書き始めた時には、まったく意識していなかったのに。

それで、「豚藻負児(ぶたもまける)」の最後の「児」をなぜ「る」と読むのだろうという長年の疑問のことを思い出し、調べていくと、医学用語に「加多児(カタル)」があり、医学の知識がある手塚治虫がこれを採用したのではないか、という仮説に行き着いた。マジで、自分でも思いもよらなかった結論である。

…とまあ、自分ではたいへん面白がって書いたのだが、これを読んでいる人がいるとしたら、「何がおもしろいんだかちっともわからない」ということになるのだろう。だから僕の書く本はまったく売れないのである。

そんなことはともかく。

前回の「加答児」の続き。

「カタル」とは、オランダ語由来の言葉で、江戸時代に伝わった言葉らしい。医学に関する言葉が多く伝わったそうであるから、「カタル」もその中の一つとして伝わったのだろう。それを漢字の音にあてはめたのである。

…というくらいしか今のところわからず、なぜこの言葉を「加答児」とあてたのかは相変わらずわからない。

僕は恥ずかしいことに中国語がわからないので、以下に書くことはまったくの見当違いかもしれないのだが、中国語には「児化」というものがあるらしい。Wikipediaによれば、

「普通話や中国語の一部方言に確認できる発音表現である。接尾語としての「児」が音節として独立せず、前の音節と1音節として発音され語尾が巻舌音化する。日本では通例「アル化」と呼ばれるが、実際の発音はあまり「アル」には似ていない。北京語・東北官話・膠遼官話などの北方方言の話し言葉では頻繁に使用され普通話にも取り入れられているが、他の地域での使用は稀で、このことから簡体字で「儿化」と表記するのが一般的である」

「「児」は前の音節の母音をR音性を持った音に変化させる」

と書いてある。これはつまり、「児」が最後に来る時には、R音風の「ル」と発音するということのようである。

一方で、「児」の前にある「答」という字は、中国語では「da」と発音する(らしい)。ちなみに韓国語では「답」と発音する。

つまり「答」のあとの「児」は、「児化」によりR音風の「ル」と発音することになり、両者をつなげて中国語風に発音し、これを仮名表記すると、「タル」となるのではないだろうか。

…というのが、いまのところの仮説である。中国語のわかる人に「加答児」を発音してもらえば、すぐにわかることなのかもしれない。語学の知識がないというのは、ツラいものだねえ。

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蛇の道は蛇

4月9日(金)

今週も仕事ではいろいろなことがありすぎて、ストレスがたまる一方だったが、なんとか金曜日を無事に迎え、TBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークを聴くことができた。

さて、視覚障害者向けに本を音読する奉仕団の方が、うちの職場で作った本の音読をすることになったそうだ。僕もその本に少しだけ書いているのだが、僕の書いたコラムの中で、読めない名前があるので、読み方を教えてほしいという問い合わせが来た。

僕はそのコラムの中で、「モンゴル風の名前」として、「伯顔帖木兒」と「都兒赤」という名前を紹介したのだが、この二つは何と読むのか、という問い合わせである。

…というか俺、どんなコラムを書いてんだ???ふつう、コラムに「伯顔帖木兒」とか「都兒赤」とかは出てこないだろう。

自分で書いておいて、この二つの名前が何と読むのか、まったくわからない。なのでルビも振らなかったのである。

「都兒赤」が、どうしても「麿赤兒」に見えてしまい、「まろあかじ」と読みたくなってしまう。知ってると思うけれども、俳優の麿赤兒ね。大森南朋のお父さん。

しかし「まろあかじ」と読むわけにもいかず、どう読んだらいいのか、皆目見当がつかない。どうしよう…。

そうだ!僕の友人に、モンゴルの専門家がいることを思い出した。彼ならわかるかもしれない。

でも、この「モンゴル風の名前」というのは、ずいぶんと古い時代の名前なので、はたしていまのモンゴル語で読めるのかどうかもよくわからない。ダメ元で、恥を忍んでモンゴルの専門家の友人に聞いてみることにした。

するとメールの返信がすぐに来た。

「どんな難題かと思いましたが、一応私の守備範囲なのでひと安心です。

まず「伯顔帖木兒」は、バヤン・テムルです。バヤンが豊かな、テムルが鉄なので、二つの語の合成名です。どちらもモンゴル語です。

「都兒赤」は恐らくドルジです。

そう!朝青龍で有名になったドルジです! モンゴル人がよく付ける名前でかなりむかしから普通に付けています」

ということで、「伯顔帖木兒」はバヤン・テムル、「都兒赤」はドルジだということがわかった。

なんかすごくない?モンゴル人の名前のことがわかってないと、絶対に読めないよねえ。

さすがは専門家、蛇の道は蛇である。ふつうの人にはどんなに逆立ちしてもわからないけれど、専門家にとっては朝飯前のことなのだ。僕はこういう瞬間に、最も感動するのだ。

さて、ここからは僕の分析。

この二つの名前をくらべてみると、共通するのは「兒」。どうやら「兒」は「ル」という発音をするらしい。ということは、表音文字なのか?

その仮説でいくと「都」は「ド」、「兒」は「ル」、「赤」は「ジ」ということになる。

「伯顔帖木兒」もその線でいくと、「伯」が「バ」、「顔」が「ヤン」、「帖」が「テ」、「木」が「ム」、「兒」ガ「ル」となる。

…と、ここまで書いてきて、ハッと思い出した。

手塚治虫の初期の漫画に、『ロストワールド』という作品がある。この作品、大林宣彦監督をして「手塚漫画の一冊、というと、ぼくは躊躇うことなく《ロストワールド》をあげる」と言わしめた初期の傑作である。

この作品の中で、まるまると太った「豚藻負児」という博士が登場する。豚藻負児博士は、あやめという美しい植物人間を作り出し、自分に愛の告白をさせたいと願うのだが、それが叶わない。これは、ヒッチコック監督が終生夢に描き、結局は実現しなかった「メアリー・ローズ」という作品と重なるのだというのである。「メアリー・ローズ」とは、いわゆる「ヒッチコック・ブロンド」と呼ばれた美女たちに、「もしあなたがはげの太っちょになっても、私はちっともかまわないわ」とまるで自分自身に対して愛の告白をさせたい、という願いだけで作ろうとした映画だった。だが結局その夢は叶わなかった。あたかも豚藻負児博士の夢が叶わなかったのと同じように。

さて、話が脱線したが、「豚藻負児」は何と読むのか?「ぶたもまける」と読むのである。豚も負けるくらい太っていて醜い男という意味である。手塚先生は、なんと残酷な名前を付けたのだろう。

それよりもここで大事なのは、「児」を「る」と読ませていることである。

ひょっとしてこれは、モンゴル語か??手塚治虫は、モンゴル語の読みを知っていたのだろうか?

さらに調べていくと、「加答児」という語を見つけた。「カタル」と読み、いわゆる「腸カタル」などの時の「カタル」である。

そうか、手塚治虫は、もともと医学生だったから、「カタル」を「加答児」と書くことを知っていて、それで「児」を「る」と読ませることに抵抗がなかったのだな。

では、「加答児」を「カタル」と読ませるのは、そもそもなぜだろう?

…という疑問が次に浮かんだが、今日はここまで。

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マンボウ

「ヤン坊マン坊天気予報!」

「それはヤン坊マー坊天気予報!」

「チャッチャチャラッチャチャッチャラッチャッチャ」

「それはマンボNo.5!」

「北杜夫!」

「それはどくとるマンボウ!」

「マンボウダンス!」

「それはリンボーダンス!」

「マンボウの女!」

「それはミンボーの女!」

「君たちキウイ、パパイヤ、マンボ‥」

「それはマンゴー」

ささ、どんどんボケてくださいよー。

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キーワードは高齢化

4月7日(水)

今週月曜日に放送されたTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(通称アトロク)の「ビヨンド・ザ・カルチャー」のコーナーを聴いた。武田砂鉄氏によるメタル音楽特集である。

先週の金曜日に、TBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」の、武田砂鉄氏と澤田大樹記者によるアフタートーク(YouTube配信)で、「アトロク」の宇多丸さんに、どうやったら興味を持ってもらえるかということについて、アトロク出演経験のある澤田大樹記者が「アトロク攻略法」を武田砂鉄氏に伝授していて、それがあたかも、モテない男子同士が「どうやったら女子を落とせるか」という作戦会議を彷彿とさせた、ということはすでに書いた

澤田大樹記者はそのときに、「私もリアタイしますんで。グッドラック!」と武田砂鉄氏にエールを送っていたのだが、実際の放送を聴いてみると、澤田大樹記者はその放送をリアルタイムで聴くどころか、スタジオのサブで見届けていたのだという。

どんだけ仲がいいんだ?

最近僕の仕事まわりはとても殺伐としていて、人間関係の中でこのような経験をしたことがほとんどなくなってしまったことに、あらためて愕然とした。

最近は、「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークのような会話をしてみたいという衝動に駆られることがある。

さて、アトロクのメタル音楽特集は予想以上におもしろかったのだが、なかでも笑ったのが、「メタル音楽の送り手と受け手(ファン)の高齢化」問題である。メタル音楽は50年の歴史があるが、若い世代の新規参入が難しく、世代交代がうまく行われていない問題があるというのだ。

「ライブじゃなくて、株主総会かな?って思うことがある」というくだりに笑ってしまった。

しかしこれはメタル音楽に限ったことではない。

今日、久しぶりに都内に出て、20代の頃から一緒に勉強をしている方たちと勉強会があったのだが、こちらの方も、高齢化が甚だしい。若者の新規参入がなく、新陳代謝がないことにあらためて危機意識を抱かざるを得なかった。

このままでこの先この業界は大丈夫なんだろうか、と不安を抱かずにいられない。

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アダモさん

4月6日(火)

毎月第1火曜日は、朝9時半から僕が議長をする会議があり、憂鬱な気分になる。

朝6時過ぎには家を出なければならない。車で通勤しているので、いつ何時、渋滞に引っかかるかわからないのだ。

そのため前の晩はできるだけ早く寝ることにしているのだが、翌朝が会議となると、なかなか寝付けない。

結局、ずっと浅い眠りのまま朝を迎えることになる。

しかも今日は新年度1回目の会議なので、メンバーも一部新たになったこともあり、どうなるか不安である。

誰かが言っていたが、この国の会議は、議論をする場ではなくて、承認をする場である。だから、あらかじめ根回しをしておいて、会議の時には異論が出ないようにしておかなければならないのだ、と。

僕はその根回しというのが死ぬほど苦手なのだが、かといって根回しをせずにいて怒られるのも苦手である。そんな人間が、よく会議を仕切っているよと、ほとほと自分には呆れてしまう。

午前の会議は2時間半ほどかかり、終わった頃にはお昼休みの時間になっていた。

午後にはいくつかの打ち合わせがあり、それもまたストレスだったのだが、気がついたら夕方だった。

大学時代の先輩に誘われて、夜からはZoomによる会合に参加した。

ゆるゆるとした知的会合で、昼間の殺伐とした感情が少しだけ解きほぐされた。

1時間ほどで会合を失礼して職場を出るつもりが、時間を忘れて1時間半ほど参加した。

帰ると家族はすでに寝ていた。

テレビをつけると、「ザ・ギース」というお笑いコンビがコントをしていた。

「アダモさん」というタイトルで、外国人のアダモさんが、日本語のフレーズを「あ」から順番に勉強していて、「あ」から始まるフレーズにはめちゃめちゃ詳しいのだが、「あ」までしか勉強していないので、「あ」から始まるフレーズしか使わないで仕事仲間の日本人と会話をする、というコントである。

言葉遊びの発想が筒井康隆的で、とてもおもしろい。なんとなく『残像に口紅を』を思い出した。

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もしも病院

4月5日(月)

お世話になっているので、あんまりヘンなことはいえないのだが、今日は都内の病院で3か月に1度の定期検査であった。

そこは、最先端の治療を受けることのできる病院で、僕はそのおかげでなんとか生きながらえているといっても過言ではない。

ところが、いつも困ったことがある。

検査をして、検査に引っかかったら入院ということになり、入院と決まったら、採血をしなければならないのだが、この病院、こんなことを言っては申し訳ないのだが、採血が恐ろしく下手なのである。

もともと僕は、血管が出にくいと言われていて、採血泣かせの腕なのだが、それでも、いつも1時間半以上かけて通っている、総合病院で採血をする時は、まったくそんなことは問題にならず、スムーズに採血が行われている。

ところが、この都内の病院では、全員がおしなべて採血ベタで、毎回必ず、採血に悪戦苦闘しているのだ。

結局この日も、採血をすることになってしまい、嫌な予感がした。

おそらく初めて僕の採血を担当する女性の看護師さんだったのだが、僕が腕をまくった瞬間、困ったような顔をした。

いくらがんばっても、採血ポイントが見つからないようだ。

悪戦苦闘したあげく、ようやく採血ポイントを見つけたようで、

「ちょっとチクッとしますよ」

と言われ、僕は目をつむった。

腕にチクッと感じたのだが、その看護師さんは、

「あれ?あれ?」

とつぶやき始めた。

おいおい!針を刺してから不安になるなよ!と思いながら、それでも我慢していると、

「すみません。やっぱり抜きますね…」

抜くのかよ!

その看護師さんは、ほとほと困った様子で、打つ手なし、という感じだった。

こっちからしたら、簡単にあきらめるなよ!と思うのだが、まだ経験が浅い人だったようで、どうしていいかわからなくなったようだった。

「すみません。ちょっと難しいので、看護師さんを呼びます」

え?あなた、看護師さんじゃなかったの???じゃあいったい誰なんだ?

看護師さんではなかったその女性は、内線の電話をかけて、看護師さんを呼び出した。

看護師さんがすぐに来てくれ、なんとか悪戦苦闘の末、採血は終了したのだが、最先端の医療技術とは裏腹に、毎回この病院で採血検査を受けるたびに不安になるというのはどうだろう。

これがドリフだったら、「もしも採血がひどく苦手な病院があったら」というコントができるのではないだろうかと、毎回、そのコントを想像しては、ニヤニヤしてしまう。

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おともだち

4月3日(土)

午前中は、娘と「タイヤ公園」で遊び、午後は僕の実家に娘を連れて行き、その近くの公園で遊ぶという公園のハシゴをして、すっかりくたびれてしまった。

公園における、最近の娘の遊び方に、一つのパターンがあることに気づいた。

それは、公園に着くなりまず、その公園に来ている子たちの一人を、「おともだち」と認定する、ということである。もちろん、その場の一期一会の「おともだち」である。

娘にとっては、どうやら「おともだち」と認定する条件があるようで、自分と同じくらいの背格好か、あるいは自分よりも少し小さな子が、ターゲットになる。

ターゲットを見つけると、その子に近づいていって、なんとなく行動を共にする。その子がすべり台を滑ろうとすると、そのあとをついて行って自分もすべり台を滑ろうとするし、その子が砂場に移動して遊ぼうとすると、娘も砂場でいっしょに遊ぼうとする。

別に何かを喋るわけでもなく、黙ってその子について行って、その子と同じことをしようとしているのだから、ちょっとしたストーカーである。

いままでのところ、娘が勝手に「おともだち」と認定した子たちのなかで、嫌がっている子はいないようなのだが、こっちとしては、いつ嫌がられるかと、不安でしょうがない。娘からしたら、自分よりもちょっと小さい「おともだち」を作って、自分がお姉さん気分に浸りたいということなのかもしれない。

ただ、たいていは、その「おともだち」のほうが先に帰ってしまう。娘はもっと遊びたがっているようで、

「あれ?おともだち、どこへ行ったの?」

と、いつの間にかいなくなってしまった「おともだち」をさがすのだが、ちょっと「泣いた赤鬼」っぽくって、見ていて切ない。

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事実はドラマよりも奇なり

4月2日(金)

新年度2日目だが、すでに2日目から前途多難な船出である。これで1年間、自分の心が持つかどうか心配である。

まあそれでも、金曜日の夜はTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」の、武田砂鉄氏と澤田大樹記者のYouTubeによるアフタートークを楽しめれば、無事に1週間を過ごせたことにしよう。

今日のアフタートークもおもしろかった。

来週月曜日のアトロク(TBSラジオ「アフター6ジャンクション」)の「ビヨンド・ザ・カルチャー」という1時間の特集コーナーで、武田砂鉄氏が音楽ジャンルの一つであるメタルについてのプレゼンをやるのだという。

ついに念願叶ってのアトロクデビューということになるのだが、アトロク初出演の武田砂鉄氏に対し、澤田大樹記者が、自分の出演経験をもとに、「アトロク攻略法3か条」を得意げに伝授していたのが、まるで学生時代にモテない男子同士が、「女子を落とす攻略法」について真面目に語り合っている場面を彷彿とさせ、微笑ましくなった。

…いや、今日書きたいのはそんなことではない。今週の月曜日の話を書きたいのである。

いま、6月に発行予定の、ある雑誌の編集を担当しているのだが、今週の月曜日は、その表紙の打ち合わせのために、日ごろ編集作業でお世話になっている都内の出版社を訪れた。前にも一度訪れたことのある出版社である。

その出版社は、雑居ビルの一室にある、従業員数名の小さな出版社で、町工場的な雰囲気のするものづくりの現場である。そこの社長さんも、町工場の社長さんのような趣がある。小さい出版社ながら、精力的に数多くの本を出版している。

部屋の奥に小さなテーブルがあり、そこで打ち合わせが始まった。

こっちが思いついたアイデアをもとに、編集者とデザイナーさんが、イメージを膨らませる。

「いっそ表紙の紙をこれまでとは違うものにしましょう。たぶん質感が大事になってくるので、○×紙なんかどうだろう?安っぽく見えないかな?」と編集者。

するとデザイナーさんが、

「そうですね。○△×紙にすれば、それほど違和感ないでしょうし、コストもかからないと思います」

「そこに箔をつけることできる?」

「ええ、できます」

「あ、でもバーコードを入れなきゃいけないんだよね」

「それはかくかくしかじかのやり方でやれば大丈夫かと」

みたいな会話が延々と続くのだが、聞いているこっちは、専門用語というか業界用語が多すぎて、さっぱりちんぷんかんぷんである。

しかし、何か前進していることだけはわかった。

「しかし、紙の質感を知りたいから、紙のサンプルがほしいんだよなあ…」

と編集者がつぶやいたそのとき、

「こんちわ~」

と、出入りの印刷業者らしき人がやってきた。請求書を持ってきたらしい。

「お!ちょうどいいときに来た!○○ちゃん!」

「何です?」

「いま、今度出る雑誌の表紙を考えているんだけど、かくかくしかじかのイメージで、はっきり言えば○○のパロディーを考えているんだけど、そうすると、これまでの表紙の紙じゃなくて、質感としては○×紙がいいでしょう?」

「そうですね」

「○×紙と、○△×紙と、どっちがいいかねえ」

「それだと、かくかくしかじかですねえ」

「なるほど。で、そこに箔をつけたいんだけど」

「あ~、なるほど。それなら、かくかくしかじかですねえ」

「それとイメージとしては、表紙はカバーをつけるのではなくって」

「わりと高めの帯にするんですね」

「そうそう。それで、コストはどのくらい増える?」

「それだと、かくかくしかじかですねえ」

「なるほど」

「あと、納期に少し余裕をみてもらわないと」

…ここまでの会話を聞いて、すっかり感心してしまった。

内容はちんぷんかんぷんなのだが、会話がツーカーなのである。

「蛇の道は蛇」とは、まさにこのことなのだろう。

「じゃあ○○ちゃんさあ、こんどサンプルもってきてよ」

「わかりました」

…はたして僕が最初に出したアイデアは、どのような形になってあらわれるのか?この会話を聞いた限りではよくわからないのだが、僕のいたずらなアイデアが、プロの編集者やデザイナーや印刷業者によって確実にいいものになるだろうということだけは予感できた。

町工場のような小さな1室で、職人同士の会話を聞いている気分になり、やっぱりプロってスゴいなあ。ものづくりは(手作り感があるほど)おもしろいなあということを、あらためて実感させてくれた。

みんな、ドラマに出てくるようなキャラが立っている人ばかりである。いや、町工場的出版社を舞台にしたドラマが作れるんじゃないか?

表紙の紙の打ち合わせをしているときに、ちょうどタイミングよく出入りの印刷業者が「こんちわ~」とあらわれるなんて、仕込んでたんじゃないの?と思いたくなるほど、事実はドラマよりも奇である。

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ビシソワーズはみそ味

4月1日(木)

料理研究家の平野レミさんっておもしろいね。

通勤途中の車の中で、「大竹まこと ゴールデンラジオ」を聴いて、ゲラゲラ笑ってしまった。憂鬱な気分が晴れるね。

夫の和田誠さんとの馴れ初めを聴くと、「久米宏って、ほんと、性格悪いなー」と思ったり(「久米宏 ラジオなんですけど」でも、自らそのエピソードを紹介していたが)。

和田誠さんが亡くなって打ちひしがれているときに、息子の配偶者の上野樹里さんが、

「レミさん、手を出して」

と言って、レミさんの息子の手を握らせて、

「ここに和田さんがいる」

と思った、なんて話は、じーんとくる。

とにかく早口で、せっかちで、それでいて相手を傷つけないマシンガントーク。

「冷たい牛乳とトマトジュースを、ちょうど半々に混ぜて、バジルを落として、オリーブオイルをちょっとたらしたら、これがおいしいのよ。ビシソワーズみたいに」

と、レミさんが早口で言ったら、阿佐ヶ谷姉妹のエリコさんが、

「え?みそ味」

と聞き間違えて、

「どうして牛乳とトマトを混ぜたらみそ味になるんだよ!みそ味じゃなくて、ビシソワーズ!」

と大竹さんにツッコまれたのが、最高に可笑しかった。レミさんの早口とエリコさんの聞き間違い癖が見事にハマった瞬間である。

よく伊集院光さんが使うネタで、

「ラジオブースで手を切っちゃって、「消毒液を買ってきて」と番組スタッフに言ったら、「ショートケーキ」を買って来ちゃった。何で手を切った俺がショートケーキを食べたいと思うんだよ!」

というのがあるんだけど(先日の「ちびまる子ちゃんスペシャル」でも話していた)、それに匹敵する聞き間違いである。

この「大竹メインディッシュ」のコーナーの最後に、大竹さんが、

「楽しかった~」

と言って終わったのは、ここ最近では、近田春夫、吉幾三、平野レミの3人である。

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