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複眼で見よ

本田靖春『複眼で見よ』(河出文庫)を読むと、ジャーナリストの本田靖春が生きていた時代のメディアの状況と、今のメディアの状況が、まったくといっていいほど変わっていないことがわかる。

冒頭の「テレビとは面白ければそれでいいのか」というエッセイに、次のようなエピソードがある。

本田は吉展ちゃん誘拐事件をテーマにして『誘拐』というノンフィクションを書いた関係で、誘拐事件が起きるたびに、マスコミにコメントを求められるようになった。ある時、電話のベルが鳴ったので受話器を取ると、あるテレビ局からだった。

女性の声で「少々お待ちください」といわれて待っていたが、待てど暮らせど先方が出ない。「もしもし」と繰り返すうち、やっと男性の声で、

「誰に用?」

と聞いてきた。

「そちらがおかけになったんですよ」

「あんた誰?」

失礼な話だが、

「東京の本田と申しますが」

と丁寧に答えると、その男性は、

「おーい、東京の本田っていうのが電話に出てるぞ」

と周囲に向かって叫び、ややあって、別の男性が電話を代わった。

「本田さんは吉展ちゃん事件の本をお書きになったそうですね。何という本ですか」

「『誘拐』です」

「ああ、そうですか。私は読んでないものですから。ところで…」

といって、いきなりテレビの出演交渉を始めたので、「ばかもの」といって電話を切ったという。

なんとも失礼な話だが、これと似たようなことは、僕も経験している。以前、テレビ番組の制作会社から電話があり、

「ネットで調べたんですけど、鬼瓦先生は○○についてお書きになっていますね」

「はぁ」

「ではうちの番組で○○についてコメントしていただけませんか」

僕は即座に断った。そのディレクターは、僕の本を読んでいるわけでもないし、そもそもコメントすべき対象は、僕とは何の関係もないものであったからである。

むかしっから、テレビってのは、そういう作り方をしているんだなあ。

新聞の取材も、これに近いことが多い。いずれも、短い時間で番組なり紙面なりを作らなければいけないので、どうしてもそうなってしまうのだろう。

そこへいくとラジオは違った。

僕は以前に1度だけ、ラジオに出演したことがあるのだが、そのきっかけとなったのは、そのラジオ番組の司会をしているベテランのアナウンサーさんが、僕の本を読んでくれて、面白いと思ってくれたようで、それで番組へのオファーが来たのである。

ベテランのアナウンサーは事前に周到な準備をしていたこともあり、進行は名人芸とも呼べるもので、ド素人の僕も安心して30分×4回の番組の収録を滞りなく終えることができたのだった。あの音源はどこにいってしまったか…。

僕がラジオというメディアを信用しているのは、その経験があることにもよる。

さて、本田靖春のこの本は、本田の死後にまとめられたエッセイ集だが、その編集を担当したのが、当時河出書房新社の編集者だった武田砂鉄氏であった。巻末には、まだ20代後半の編集者だった彼の「編集付記」(2011年)が掲載されているが、この文章が泣けるほどすばらしい。

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